末岡氏のレガシィ

風神雷神図

著名な作曲家末岡武彦氏から、「累計300万アクセスを誇る貴殿のブログで拡散して下さい」との御用命がありましたので、早速、拡散することに致します。

末岡氏のコメント。

6曲のファンファーレと18のシーンであなたの精神を元気にしょよう。 https://www.youtube.com/playlist?list=PL1LRwsAgYXMh9L3LFkezM5KBjejOZosQe

再び、末岡氏のコメントです。

4番は16歳の時のピアノ協奏曲の一部です。5番は20年程前に出来上がったピアノ曲を譜面化し、それを吹奏楽用に編曲しました。一撃必殺の5曲よろぴく!!!!

一撃必殺とはな…

無伴奏ヴィオラソナタ

 Transylvania copyright by Takehiko Soueoka

作曲を「アングルのバイオリン」にしている友人の末岡君が、新曲を送ってきましたので、サクラでアップすることにします(笑)。

彼曰く、

「10月に行ったルーマニア・トランシルバニア地方のイメージで無伴奏チェロソナタをヴィオラソナタに編曲しなおしました。全く違う世界が出来ました]

彼は昨年辺りから、果敢にも積極的に自作曲をユーチューブで発信しております。

「無伴奏ヴィオラソナタ 『トランシルバニアの空と空気を感じて』」 なかなか、ええんでなえかえ

アクセス数、マイナンバー、レディ・ガガ

Londre

以前、皆様にお約束しましたように、この渓流斎ブログのランキングをお伝えしましょう。これまで、20,000位前後をウロウロしていたのに、昨日初めて、4ケタの何千番台に上昇したのです。今、gooブログには233万9284件が登録されているようですね。以前は、150万件ぐらいでしたから、随分、増えましたね。今回、9000番台でしたが、初めて10,000台を突破しましたので、素直に喜びませう(笑)。

◆過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付        閲覧数    訪問者数    ランキング

2015.12.14(月) 298 PV 104 IP  9506 位 / 2339284ブログ
2015.12.13(日) 188 PV 78 IP  13745 位 / 2338369ブログ
2015.12.12(土) 128 PV 72 IP  16712 位 / 2337497ブログ
2015.12.11(金) 113 PV 53 IP  25614 位 / 2336607ブログ
2015.12.10(木) 180 PV 76 IP  16198 位 / 2335606ブログ
2015.12.09(水) 141 PV 70 IP  16750 位 / 2334608ブログ
2015.12.08(火) 147 PV 70 IP  18171 位 / 2333747ブログ

◆マイナンバー

マイナンバー制度が来年1月から始まるそうで、よく分からないので、本屋さんで立ち読みしてみました。何社かの出版社から雑誌の特集も含めて出ていました。でも、何となく「帯に短し、襷に長し」といった感じで、結局、マイナンバーの本は買わず、代わりに「知らないと絶対損するお得ワザ ベストセレクション」(マイウェイ出版=880円)というムックを買ってしまいました(笑)。「誰でもできる節約&便利な暮らしとお金の裏技を集めました!!」そうですから、いつか、また、機会があれば、ご紹介しましょう。

さて、マイナンバーですが、ある出版社に「Q&A」方式で載っていた一つに、「通知が来たら、必ず申請しなければいけないのですか?」という質問がありまして、その答えが「しばらく様子見しましょう」ですからね(笑)。

しかし、サラリーマンでしたら、必ず、職場で番号を聴かれるそうです。扶養家族も含めて。勤めていれば、バイトでもパートでも、マイナンバーを聴かれるそうです。その代わり、もう引退した仕事していない年配者や子供の申請は、無理することはない、というアドバイスにも笑ってしまいました。

とはいえ、老人は、特に、病院に行く機会が多いでしょうから、申請せざるを得ないでしょうね。

まあ、独裁者が歓びそうな「国民総背番号制度」が始まるということなのでしょう。

◆レディ・ガガ

ラジオを聴いていたら、トニー・ベネットとレディー・ガガがデュエットで唄う「The lady is a tramp」が、かかり、なかなか聴き応えがあって、感心してしまいました。早速、もう一度、ユーチューブで見てみました。

実は、私は、レディー・ガガについては、その奇抜なファッションとメイクに、かなり違和感を覚えて、いくら大人気とはいえ、ご遠慮申し上げていたのですが、この曲を聴いて、初めて彼女の歌唱力に感服してしまったのです。実にいいです。

今は便利な時代で、ちょっと検索すれば、歌詞を和訳している人もいますし、この曲について、色んな情報が載っています。

例えば、この曲の邦題は、「気まぐれレディ」で、1937年上演のミュージカル『青春一座(Babes in arms)』の挿入歌。1939年に映画化され、ジュディ・ガーランドが歌っているそうです。作曲は、リチャード・ロジャース、作詞は、ローレンツ・ハート。だから、この歌の歌詞の中で、急に、ヤンキースのジータの話から、ロジャースとハートが出てくるんですね。

調べたら、この曲は2011年にリリース。もう4年も前じゃありませんか。大学生なら卒業して就職する時間(笑)。時の経つのは早いものだという、相変わらず陳腐な使い古された言葉しか思い浮かびません。

本当にクラプトン?

公開日時: 2008年5月19日 @ 18:33

4月29日に書いた「性善説」の後日談です。

アメリカで大流行のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に登録して、私は外国人の友人がいないものですから、戯れに冗談半分にエリック・クラプトンさんに「友人」として登録したら、何と、先日、お許しが出たのです。

本当にギターの神様、エリック・クラプトンが直々に登録してくださったのか、疑わしいのですが、まずは、驚いてしまいました。

米国に住む日本人の友人に聞いたところ、「あ、あれね。知っているよ。高校生の間で流行っているよ。僕はやんないけどね」と、あっさりしたお返事。
「なーんだ。高校生レベルならやめてしまおうか」と思った矢先、返事が来たので、このまま様子を見ることにしました。

そしたら、今日の日経新聞の朝刊で、このサイトのことが出ていましたね。何と、1カ月に全世界で1億人が利用する世界第2位の巨大SNSで、今度、日本語版も始めるという記事でした。

このサイトの最高経営責任者は、今月24歳になったばかりの若武者だそうです。

相当儲かるみたいですね。

このサイトには、何か沢山の広告が、しかも日本語の広告が出てくるので怪しいなあ、とは思っていたのですが、どれくらい儲かっているのか、この記事のどこを探しても出てきませんでした。

日本最大のSNSは「ミクシー」ですが、わずか(?)1400万人の会員しかないそうです。

こちらは1億人ですからね。「場所」や「住所」を登録させられるのですが、JAPANと登録したので、日本語の広告がバンバン登場していました。

SNSの場合、建前上、「友達の友達は皆友達だ」理論に基づいて構築されていますから、全く知らない赤の他人が薦めるモノよりも、友人、知人、家族、親戚が薦めるモノの方が信頼度が高く、それだけ、サイト運営者にとっては、広告の掲載費を高めに設定しやすいらしいのです。

「有名人」を潜り込ませるのも、サイト運営者の策略の1つでしょうか。

何しろ、1億人も登録していたら、全員が、正直にデータを登録しているとは限りません。チェック機関もないし、嘘を申告しても偽証罪すら問われませんからね。

でも、「性善説」に基づけば、私は晴れて、ギターの神様、エリック・クラプトンさんの友人になったわけです。

でも、やっぱり、実感がないなあ~(笑)

エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。

エリック・クラプトン自伝

 

神田の神保町まで行ってきました。

「エリック・クラプトン自伝」(イースト・プレス)が欲しかったからです。最近、「街の本屋さん」がどんどん消えています。銀座の旭屋書店でさえ、創業42年で銀座の一等地から撤退して店をたたむそうで、悲しい限りです。とにかく、新刊でも欲しい本がある時は、大型書店にまで足を運ばなければならなくなってしまいました。

クラプトン自伝の話でした。まだ読み始めたばかりですが、「自伝」と称しながら、かなり、インテリジェンスの高いゴーストライターがいるようです。翻訳がもう少しこなれていたらなあ、と残念に思いますが、彼の言いたいことは十分伝わります。

クラプトンはよく知られているように、15歳の女の子と英国に駐留した妻子のあるカナダ人空軍兵士との間で私生児として、1945年3月30日にイギリス南部のリプリーという小さな町で生まれています。祖父と祖母を両親として呼ぶように育てられ、結婚した母親からは「おかあさん」と呼ぶことを拒否され、心に傷を負って多感な青春時代を過します。

その後、ヤードバーズ、クリーム等ロックの歴史に名を残す世紀のバンドに参加して世界的な名声を得るのですが、親友ジョージ・ハリスン夫人強奪事件、薬物・アルコール中毒事件、息子の転落死事故など、私生活では散々な辛酸を嘗めたことでも知られています。その度に「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」などの名曲も生み出しています。

56歳で再婚して今ややっと平穏の暮らしを送っているようですが、過去の事件に際して、彼がどのような気持ちだったのか、悪趣味ですが、ちょっと知りたいと思って、買ってしまいました。

ちなみに、私の好きなジョン・レノンに関しては「その後の人生でジョンのことが分かるようになってきたので、友人だとは思っているが、とんでもないことをやりかねない彼にはいつも目を光らせていた」と述懐していました。

この本のことについては、また次の機会で。

「ディス・イズ・ボサノヴァ」は必見ですぞ

もう、あまり物は買いたくなかったのですが、こればかりは買ってしまいました。

DVDです。

パウロ・チアゴ監督の映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」です。

いつぞや、渋谷のシネマライズか何処かで見たのですが、一度見ただけでは人物相関図がつかめず、いつかDVDが発売されたら、買ってみようと思った作品だったのです。

これでも、私はボサノヴァの大ファンを自称しているのですが、結局のところ、アントニオ・カルロス(トム)・ジョビンとジョアン、アストラッド・ジルベルト、それにセルジオ・メンデスぐらいしかよく知らないし、聴いてこなかったんですね。

それは、私が小さい頃から聴いてきたラジオが、欧米偏重だったせいなのでしょう。ラジオでボサノヴァがかかるのは彼らぐらいしかありませんでした。逆に言えば、世界的なヒットを産んだ国際的なボサノヴァ・アーティストこそ彼らだったのでしょう。

ですから、この映画の主人公で案内役でもあるカルロス・リラとホベルト・メネスカルの二人については、正直、知らなかったのです。ボサノヴァの世界ではスーパースターだというのに、大ファンの自称は返上しなければなりませんね。

カルロス・リラもホベルト・メネスカルも現在70歳を過ぎていますが、いまだに現役として活躍しています。

映画の中では、この二人が、リオの街中を歩きながら、ボサノヴァの歴史を振り返ってくれます。まさに、生き証人です。ナラ・レオン、ジョイス、タンバ・トリオ、ワンダ・サー、ホナルド・ボスコリ、ジョニー・アルフ、トムの息子のパウロ・ジョビンらさまざまなアーティストが登場します。

私は、自称、ギタリストなので、演奏シーンにも惹かれます。ボサノヴァのギターのコードは普通と違って異様なんです。複雑なのです。メイジャー7とか♭5とか、add9とか多用します。画面で見たのですが、やはり、コード進行はコピーできませんでしたね。どなたか教えてください(笑)。

メネスカルの代表作に「小舟」という曲があります。この曲は、仲間と一緒に小舟で海に出た時、エンジントラブルで漂流してしまい、あやうく遭難しかけた出来事があり、その経験を元に作ったのですが、この曲には悲劇性も暗さもなく、青空のように澄み切って、ゆったりとくつろげる癒しの音楽になっています。

この曲について、メネスカルは「悲劇的なことを、明るく楽しい前向きな音楽に変えたのさ」と創作秘話を明かしていました。

何事も「明るく、楽しく、美しく」ですね。

この映画で、カルロス・リラの素晴らしさを知りました。声もいいし、作曲のセンスもいいし、ギターもうまい。ポルトガル語を勉強したくなりました。

アンドレア・ボチェッリはやはり「神の歌声」でした

2008年4月19日

 

17日の夜は、有楽町の国際フォーラムにアンドレア・ボチェッリの公演を聴きにいきました。

 

8年ぶりの来日です。1994年のCDデビュー以来、全世界で実に6000万枚以上の売り上げを誇るテノール歌手です。日本ではよほどの通の人しか知られていないかもしれませんが、サラ・ブライトマンとのデュエット「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を歌った人い言えば思い出す方も多いかもしれません。目が見えないハンディを乗り越えて、世界的な成功を手中にした人です。

 

最近のクラシック界の動向を追っているわけではありませんが、パヴァロッティ亡き後の世界を代表するテノール歌手と言っていいのではないでしょうか。公演では、非常に感動してしまいました。楽器の極地は、「人間の声」と言われていますが、人間の声の中でも、やはり、テノールが極地の中の極地だと実感しました。共演したバリトンのジャンフランコ・モントレソルが、ボチェッリの引き立て役になっていましたし、聴いていて心地よかったのは、やはりバリトンよりテノールの方でした。

ボチェッリに対する批判の一つに、クラシックとポップスを両方歌うので、「節操がない」というものがあります。私はこの批評は当たっていないと思います。アンコールで、やっと「「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」とプッチーニの「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」(トリノ冬季五輪で荒川静香さんが有名にしてくれました)まで披露してくれましたが、全く違和感がなかったですからね。

ボチェッリの宣伝文句に「貴方は神の歌声を聴いたか」というコピーがあり、大袈裟だなあ、と思っていましたが、この文句に偽りはありませんでした。神の声、天上の声でした。100人近いコーラスとソプラノのマリア・ルイージャ・ボルシ、黒人女性歌手のヘザー・ヘッドリーらとオーケストラを率いて熱唱2時間。何と心地良い時間を味わうことができたことでしょう。

 

公演を見逃した人は、衛星放送のワウワウで5月21日19時50分からこの日のライブを放送します。え、ワウワウに加入していない?(実は私もそうですが)他のライブがDVD化されていますから、買うなり借りるなりして実際に見てください。

その声量には驚かされますよ。

シャンソン万歳!

2008年4月13日

 

昨日は、2年ぶりに大学の同窓会に参加しました。平成10年に卒業した若手から何と昭和17年卒業の大先輩に至るまで約90人が集まりましたので、会場の大手町のサンケイプラザの201-202会議室は満杯状態でした。(東京駅の丸の内周辺と大手町はいつの間にかすっかり変貌していて、産経ビルが建て替えられていて近代的なビルになっていたので驚いてしまいました。)

 

参加者のほとんどは定年を過ぎた方々ばかりで、20歳代から50歳代までの働き盛りは殆んど見当たりませんでした。同期の人間は私のほかに一人もいませんでしたからね。大学ではフランス語を専攻した人間で、本当に変わった人間が多いのです。フランス人にあやかって、よく言えば個人主義で人と群れたりつるんだりしません。悪く言えば、我がままで世間とうまく立ち回っていけない連中ばかり。卒業生に大杉栄や中原中也がいたといえば、大体想像がつくと思います。

 

それでも、一年後輩のKさんが母校の教授になっていて、初対面でしたが、お互いに知っている人の近況などを聞きました。私が学生時代に教えを受けていた最後の教授が、この3月で定年退官されたという話を聞き、自分も随分年を取ってしまったなあと思いました。

 

同窓会では、卒業生で一応名をなした人による講演会があります。二年前は私の同期で、マリー・クレール誌の編集長になった生駒佳子さんの講演でした。今回は音楽評論家の蒲田耕二氏(昭和39年卒業)でした。この講演会で席が隣りになった人が木村竜一さんという人で何と昭和20年卒業の方でした。大正14年3月生まれの83歳。戦中世代で海軍少尉だったらしいのですが、今も背筋がピンと伸び、矍鑠していました。どう見ても60歳代後半しかみえませんでした。木村さんが通っていた頃の大学はまだ、神田の一ツ橋にあったそうです。戦後、ジョージア州立大学でMBAを取得して、エクソン・モービル石油に就職し、世界中を飛び回った。と話してくれました。

 

元気の秘訣をうかがったら「そりゃあ、歩くことだよ。老化は脚からくるからね。足さえしっかりしていれば大丈夫。今の人はすぐにタクシーに乗ったり、エスカレーターに乗ったりして歩かないだろう?そりゃあ、使わなければ退化しちゃうよ」と言ってましたから、ご参考にしてください。

で、蒲田氏の講演の話でした。同氏は大学卒業後、出版社に就職し、フリーの音楽評論家になった方ですが、シャンソンの権威と言っていいでしょう。NHKのFMラジオでも長年、シャンソンの番組解説を務めていたので、ご存知の方も多いでしょう。私も氏の「聴かせてよ 愛の歌を 日本が愛したシャンソン100」(清流出版)CD付 4700円+税を会場で特別割引で4000円で売っていたので、早速、買い求めました。

その本にかなり詳しく書かれているのですが、蒲田氏によると、シャンソンはフランス語の唄という意味では今もあり、これからもあるが、「心に染みる」「人生を感じさせてくれる」歌という意味でのシャンソンはもはや終わったと断言しています。19世紀末に形が整い、1930年代に全盛期を迎え、1981年のブラサンスの死で終わった、というのが彼の説です。

蒲田氏の批評はかなり、かなり辛辣でした。例えば、イヴ・モンタンなどは、「大スターだけど、ぼくは評価しない。ちっともうまくない。リズムの乗りが悪く、しまりがない。でも一時代を築いた人なので敬意を表しますけどね」と言った具合。

私の大好きなセルジュ・ゲンズブールについては「詩人・作家、映画作家としては素晴らしいが、音楽家としては評価しない」と一刀両断するのです。講演をしながら、色んな歌手の代表曲のCDをかけてくれるのですが、私の一番好きと言ってもいいぐらいのフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」(作詞はゲンズブール!)なんかは、リストにありながら、「この曲はお聴かせるに値しないので飛ばします」と言って、この曲だけかけないんですからね。もっとも、日本人によく知られるアダモの「サン・トワ・マミー」などは「箸にも棒にもかからない」と言ってリストアップすらされていませんでした。

シャンソンに関する教養・知識でいえば、蒲田氏の方がはるかに上なのですが、どうも私とは感性が違うようでした。ちなみに、彼が真の天才として持ち上げたシャンソン歌手は、ダミア(戦前最大)、エディット・ピアフ(戦後最大)あたりでした。曲はシルヴィー・バルタンの「あなたのとりこ」で、「文学性などのシャンソンの伝統やしがらみを断ち切って、ダンス音楽に徹して潔い。オーケストレーションが図抜けている」という大賛辞でした。

彼の話を聴いて、もっともっとシャンソンが聴きたくなりました。

「Jポップを創ったアルバム1966-1995」

公開日時: 2008年2月6日

私の敬愛する音楽評論家の北中正和さんが、新著「Jポップを創ったアルバム 1966~1995」(平凡社)を出されました。

 

北中さんといえば、ワールド・ミュージックの紹介者として90年代の日本に一大ブームを作った人なのですが、洋楽通で、ジョン・レノンのアルバム「心の壁、愛の橋」のライナーノーツも書かれているし、ジョンの訳書も出されているので、私としては、もう憧れに近い人なのです。

 

ですから、この本を読んで、北中さんが、これほど「Jポップ」を聴かれていたとは驚きでした。もっとも、北中さんには「「にほんのうた・戦後歌謡曲史」という名著があり、洋楽だけではなく、かなり日本の曲も聴いていらっしゃることは知っていました。

 

しかし、音楽評論家とはいえ、その人の趣味がかなり入り込み「俺は、ジャズしか聴かねえ、歌謡曲なんか滅相もない」「俺はラップしか音楽じゃないと思っている」「メタルだね。それ以外はロックじゃない」と皆さん偏った人ばかり。音楽全般トータルに語れない音楽評論家が大半なのです。

 

その点、北中さんは、すごいですね。洋楽、歌謡曲、ワールドミュージック、Jポップと、世界のポピュラーミュージックを語れる数少ない人なのです。

 

この本には69枚のアルバムが紹介されていますが、この中で私が買ったアルバムは、竹内まりやの「ヴァラエティ」のわずか一枚だけでした。人から借りたりして聴いたものでも5枚ぐらいでした。知らないミュージシャンがほとんどでした。

同時代なのに、いかに偏って聴いてきたか分かりました。

私の場合、ビートルズ、ストーズ、ツェッペリン、ディープ・パープルといったブリティッシュ・ロック系か、ビル・エヴァンス、ウエス・モンゴメリーといったジャズ、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスらのクラシック、その辺りを好んで聴いてきました。

 

でも、こうして、幅広い音楽知識に裏付けられた北中さんの本を読んでみると、聴きたくなってしまいますね。

食べ物でも、「夏目漱石も通った洋食屋」なんていう情報があると、是が非でも行ってみたくなるように、結局、音楽だって、そういう前知識というか情報があると、より納得できるので、脳で聴いていることになるんですよね。

 

ただ音を聴いているだけじゃなくて、ミュージシャンの経歴と生き様を思い浮かべながら、付加価値も聴いているのです。