宣撫活動報告

いらはいいらはい

昨晩、お風呂で石鹸で顔を洗った際に、間違って、石鹸(の泡)が右眼に入ってしまい、痛いの、何のって!

一応、水洗いしましたけど、寝ても起きても、あれから12時間は経っていると思われるのに、まだ、微かに痛い。長い間生きてはいますが、こんなことは初めてで、皆さんも気を付けて下さい。

◇大本営発表

扨て、今、辻田真佐憲著「大本営発表」(幻冬舎新書)という本が売れているそうで、宣伝広告惹句によりますと、先の大戦中、大本営は847回発表し、敵連合国軍の戦艦43隻、空母84隻を撃沈したことになっていましたが、実際は、戦艦4隻、空母11隻しか撃沈していなかったそうですね。

これは、「過大評価」というより、「大嘘つき」です。この大嘘の発表で、責任を取ったという軍人は聞いたことはありません。よって、「大本営発表」といえば、「大嘘つき」という代名詞が歴史的に定着しました。

そもそも、大本営は政府機関です。体制権力者側です。しかも、國民の生死が懸かっているというのに、こんな大嘘の公式発表していいものなのでしょうか?

米軍はどうだったのでしょうか?

中国は、もともと「怒髪三千丈」の国だから、大袈裟にしか表現しない、という人もいますが、戦果被害については、正確に国民に伝えていたのでしょうか?

日本では、正確な真実を知っていた人間が5種類いたはずです。

まず軍人と軍人以外の外務省職員をはじめとした政府機関の人間。新聞記者。海外の短波放送などを傍受したりして情報を得ていた大学・研究機関、企業関係者。そして、内通者のいたほんの一部の庶民ーといったところでしょうか。

彼らに共通して言えることは、「公式発表」を信用していなかったということでしょう。

時代が変わって、これだけ情報過多の時代になりながら、信用できる情報はほんの僅かです。99.9%が「宣伝広告宣撫活動」情報と言って過言ではないでしょうか。

それなのに、99.9%の現代人は、公式発表を信用しているんですからね。

強迫、成りすまし、おためごかし、懐柔、折伏、勧誘、羨望、欲情、羞恥心、強制…とあらゆる手段を使って、モノを買え、買え、買えと脅迫し、脅迫されている本人さえ自覚がない有様です。

マスコミには、業界用語で「是非もの」というものがあります。いや、という話を聞いたことがあります(笑)。そのマスコミが主催、後援する展覧会、競技会、音楽公演、プロサッカー、野球などを「報道」という目眩しで、宣撫活動を行うということです。

例えば、一年間ペナントレースを戦っているのに、読売新聞は、勝っても負けても、優勝の芽が全くなくなっても、毎日、毎日、巨人、巨人ですからね。

「見ないと流行に遅れますよ」
「東京ドームに行かないと、恥をかきますよ」
「仲間外れにされますよ」

これが、脅迫、羞恥心の宣撫活動ではないと誰が言えますかね?
いる?
あ、関係者ならそうでしょうね(笑)。

騙されることが大好きな人間

亜沙久佐

Getting the heave-ho in that sort of peremptory fashion triggers our deepest fears of being abandoned. It can cause even the calmest, most level-headed people to start behaving obsessively.

最近、アメリカでは、ネットのSNSの世界で突然、交流を遮断することを「ゴースティング」と言うんだそうです。

お化けになる、という意味でしょう。

何があっても、もう返事をしない。二度としない。恐らく、相手のアドレスすら削除してしまうことでしょう。

実行者は、何らかの理由、それが、飽きたから、でも、疲れたからでも、軽い気持ちでも何でもいいんです。本人は、能動的である程度の理由が分かっているからいいのですが、何も知らない受け身のやられた方は堪りません。

「何か、悪いことでもしたのか?」「不愉快な思いをさせてしまったのか?」ー等々、強迫観念と妄想ばかりが広がります。

「ツイッターに100万人ものフォロワーができた」「フェイスブックで10万人もの友達ができて繋がった」などと、日々楽しんではいても、所詮、そんなもん、シャボン玉の泡のような儚い心もとないものなのです。

「繋がる」ことが安易で、上っ面なものだったとしたら「離れる」こともいとも簡単で、義理も人情も、まして罪悪感もないでしょうから、ゴースティングなんてお茶の子さいさいなんでしょう。

あ、そう言えば、何処かの誰かさんが「ブログのアクセスが少ないから、もうやめよう」なんて言ってましたが、この人も分かっていませんね。

ネットなど、所詮、泡沫だということが。

いい加減、目を覚まして、自分自身がネットに依存していることに気が付き、ネットなんぞ二の次にして、適当にあしらう時代になってきたということですよ。

だから私は、数年前にフェイスブックはやめました。あの世界から抜け出すのに、「いいのですか?」「本当に脱会していいのですか?」「本当にやめていいのですか?」という戦慄する程しつこい難所、関所を一体幾つ潜り抜けて脱会できたことか!そんじょそこらのダサい新興宗教より悪どいことが分かりました。

フェイスブックもツイッターも、ヤフーもグーグルも楽天もアマゾンも、個人情報を丸盗みして、宣伝広告をピンポイントで攻撃してくる阿漕な商売をしていることに誰も気がついていないことに、私は本当に唖然としてしまいます。

人間は、騙されることが大好きなんですね。

おめでとう!ポケモンご卒業!

賑やかし

人のふり見て我がふりなおせ

とは、よく言ったもので、過日、都内某所で駅近くの公園広場で異様な光景を目にしました。

もう薄暗い夜の7時過ぎです。

そう、大体30歳代以上の中年初老の男女が数十人、一心不乱になって手元のスマホに熱中していたのです。

スマホのライトが顔面に反射し、皆んな、お岩さんに見えました(笑)。

その公園広場は、ポケモンGOのピカチュウが現れるという「隠れキリシタン」の里(笑)として知る人ぞ知るスポットで、恐らく、口コミかネットで集まってきた輩でしょう。

子供は1人もいませんでした。全員、仕事が終わって帰宅に向かう途中で、道草を食っていたか、油を売っていたかのどちらかだったのかもしれません。

人のふり見て我がふりなおせ

とは、よく言ったものです。

その尋常ならざる度肝をぬかれるほど異様な光景を目の当たりにして、私も反省しましたよ。

気がつかなければ、自分もあの連中と同じことをやっていたのだ、と。

最近、若者の間で、原因不明の偏頭痛に悩まされる患者が増えているそうですね。

その原因の一つが、スマホのようです。

正確に言いますと、スマホの放つブルーレイが眼に非常に良くないらしいですね。これが原因で、偏頭痛から睡眠障害、はたまた眼精疲労から視力障害まで起こすそうです。

最近、どうも疲れやすくなって、集中力も根気力も減退したものだと、我ながら呆れておりましたが、小生もスマホのやり過ぎだったのかもしれません。

眼に毒となるブルーレイは、ブラウン管、液晶画面、パソコン、スマホの順に強烈になっていくそうです。

今の時代に、ブラウン管を使っている日本人は、少ないでしょうが、若者(何とアバウト!)の9割以上がスマホを使っているそうで、毎日、強烈なブルーレイを浴びて健康を害していたわけです。

そう言う渓流斎よ!

毎日、電車の中でスマホでブログを書いたりしていて大丈夫かえ?

人間疎外世界

スターピース

腕時計忘れた!

最近、どうも老化力がメキメキと出て来まして、駅や会社ではなるべく階段を利用するようにしているのですが、息が乱れてハアハアしてしまいます(笑)。

それに、「三十肩」か「四十肩」か知りませんが、右肩が痛くて、シャツを脱ぐのにも苦労する程です。

三年程前に、既に左肩で「五十肩」(何で?)を経験しているので、症状は把握していますし、もう整形外科医には行きません。その場凌ぎで、殆ど全く効き目がなかったからです。

末岡君から「俺もやったけど、放っておけば、一年ぐらいで治っちゃうよ」との話を聞いたものですから、それで病院に行くのをやめたら、左肩はやはり、一年近くで自然と治ってしまいました。

私が通っていた整形外科医は、若いインターン風のお兄さんを4、5人雇っていたので、「経営が大変だろうなあ」と薄々感じていました。何か、商売、商売といった感じで、日曜日まで営業していて、顔を出すと、正直な先生は「カモがネギを背負ってやって来た!」と、目を輝かせて大喜びするので、途中で行く気がしなくなってしまったのです。

ですから、今回は、整形外科に行きません。我慢します(笑)。

◇人間疎外の時代

人間、いつの時代に生まれれば幸せだったのですかね?

身分格差が歴然としていた江戸時代では、自分のやりたいことはできなかったかもしれません(それでも、やり遂げる人はいました)

明治、大正、昭和初期でも、公侯伯子男爵と薩長藩閥の厚い格差の壁と徴兵制がありましたから、自由主義者は生きにくかったでしょう。

では、現代が一番良いかと言えば、それ程でもないかもしれません。

昔のラジオやテレビの聴取率、視聴率の時代は、全くいい加減で、まさに牧歌的な時代だったかもしれません。

今では、ネット広告が中心となり、それを見ている性別年齢職業住所、家族関係、学歴まで分かり、最も効果があるピンポイント攻撃ができるようになりました。

例えが悪いですが、昔の視聴率に基づく広告が、成り行き任せの風船爆弾だとしたら、ネット広告は、誤差範囲数十センチのトマホークほどの違いがあります。昔は「当たれば儲けもの」でしたが、今は必要最低限の労力で「当たって当たり前」の時代となりました。

仕事も全てコンピューター化されて、出退社時間も、業務、営業成績も数値化されて丸見えです。これが、出世ポイントとなり、賃金格差は、年齢性別学歴に関係なく平等に数字だけで取り締まれます。

とはいえ、息苦しい監視社会です。あたしゃ、やっていけませんよ(笑)。ランボーのように、一刻も早いランティエ生活を望むばかりですねえ。

71回目の終戦記念日

麻久佐

今日は8月15日。終戦記念日です。

戦後、71年ともなりますと、戦争を知らない戦後生まれが8割という圧倒的多数を占め、今年は、特に終戦記念日なんかよりも、リオデジャネイロ・オリンピックや、SMAP解散の芸能ニュースの方が一部の人にとっては重要ではないでしょうか?

それでも、敢えて、今日は、終戦記念日を取り上げます。

1945年8月15日は、正確に言いますと、ポツダム宣言を受諾したことを昭和天皇が、国民に向かって、「玉音放送」で伝えた日です。(ポツダム宣言受諾は、その前日14日の午後11時に、中立国のスイスとスウェーデンを通じて、連合国に伝えられました。この14日から15日にかけてのクーデター未遂事件などを描いたのが、半藤一利著「日本のいちばん長い日」です)

戦後民主主義教育を受けた私の世代は、よく「8月15日は、終戦記念日じゃない。日本が負けた日なんだから、本当は敗戦記念日なんだよ」と教えられたものです。

私も長らく、そう信じておりました。

しかし、歴史的事実を冷静に見つめていくと、やはり、8月15日は、「終戦記念日」だということが分かります。つまり、大日本帝國陸海軍及び政府は、ポツダム宣言というの名の降伏勧告文書を受け入れて、戦闘行為は止めると宣言したことに過ぎないからです。

「過ぎない」という言い方は、語弊があるかもしれません。ただ、歴史的事実は、大日本帝國は、受諾を宣言しただけで、海外を見れば、満洲でも樺太や北方列島でも戦闘状態、というより一方的な殺戮、略奪、強姦、暴行が、国際条約を破棄して侵攻した決して許してはならないソ連軍によって行われていたわけですから。

それに、8月15日が過ぎても、特攻突撃に出陣した将軍もいました。

「ポツダム伍長」だった私の父親のような帝國陸軍の一兵卒も然り。8月15日で、「解散」とすぐ郷里に帰してくれたわけではなく、8月末まで、上官の炊事当番として、毎日食事を作っていたと聞いたことがあります。

では、「敗戦記念日」がいつか、となると、やはり、9月2日ということになるでしょう。1945年同月同日、東京湾に停泊する米艦ミズーリ号で、梅津美治郎参謀総長(63)と重光葵外相(58)の全権代表が、降伏文書に署名した日ということになります。

重光外相は、駐華公使だった1932年の第一次上海事変後の天長節祝賀記念式典(上海)で、弁当爆弾を投げつけられて負傷し、右脚を切断しておりました。ミズーリ号の甲板上で、この重光の歩く義足と杖の音が響き渡りました。

梅津、重光は、ともに大分県出身で、極東国際軍事裁判(東京裁判)ではA類戦犯となり、梅津は終身刑で服役中に病死、享年67。重光は禁錮7年、戦後恩赦で公職に復帰し、衆院議員に3回当選して、改進党総裁、日本民主党副総裁などを歴任しました。湯河原の別荘で急死、享年69。

今から思うと、降伏文書に署名した2人ともまだ若かったんですね。

世界の何処の国を見ても、自国の「敗戦記念日」を徹底させる国は、皆無に近いのではないでしょうか。

先の大戦では、日本人だけでも310万人もの人々が亡くなりました。(ソ連は2000万人、ドイツは700万人、中国は1300万人、米国は29万人)
だから、せめて「終戦記念日」だけでも、末代に伝えて式典を行い続ける意義はあると思います。

「地盤サポートマップ」は使えます

黒竜江  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

夏休みとなると、結局、ボケーとテレビの前の特等席でリオ五輪観戦にしけこんでしまいますね。

その点、「ポケモンGO」は、外に出て、ポケットモンスターの狩りに行かなければならず、世間では非難囂々の中、運動不足解消に少しはなるのではないかという点だけで、ある程度、この悪魔の小道具は貢献しているのかもしれません。

そういう私も、この渓流斎ブログのネタづくりのためだけに、それが動機で始めたのですが、ほんの少し嵌ってしまい、今のレベルは「16」まで行きましたよ!(笑)。

まだ、ファイトはしたことがないので、今捕獲しているモンスターの何かのCPが1600ぐらいになったらやってみようかと思っています。

と、ここまで読まれた方で、ポケモンGOのことを知らなければ、何が書いているのかさっぱり分からないのではないでしょうか?(笑)

ま、私もこのまま続けて行けば、第一に「目の毒」ですし、「時間の無駄」だと断言できますので、レベルが「25」ぐらいまでいけば、自慢できるでしょうから、卒業しようかなあと思っています。

でも、稀にしか捕獲できない可愛い「ピカチュウ」や「フシギダネ」等を捕獲すると、結構はまっちゃうもんですよ(笑)。

 さらば黒竜江 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

さて、今日は、皆さんに貴重な情報をお伝えしましょう。

「地盤サポートマップ」です。

https://supportmap.jp/#13/35.6939/139.7918 ?サイトアドレス

ま、検索して試してみてください。まず、気になる住所を入れて検索してみてください。その地盤が「いざ」という時にどうなるのか、参考情報が出てきます。

私も、今住んでいる自宅住所を検索してみました。

標高は、意外と低く、わずか12・9メートル。
地質は、川沿いの低地に分布している約7万年前~1万8000年前に形成された段丘層
液状化の可能性は、非常に低い
土砂災害の可能性は、なし
地震の揺れは、やや揺れやすい

と、ありました。
 延辺朝鮮族自治州延吉はハングルだらけ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

ちなみに、12日に四国電力が再稼働させた伊方原発の住所は、「愛媛県西宇和郡伊方町九町3-40-3」ですから、その住所を検索すると―。

標高は、5.4メートル
地質は、約1万8000年前~現在までに形成された最も新しい時代の地層
液状化の可能性は、やや高い
地震の揺れは、中規模

とありました。

皆さんも気になるようでしたら、ご自宅の住所を検索してみては如何ですか?

他にも色んな情報が出てきますよ。

人間疎外、いや侮辱、いや差別でなえかえ?

 これぞまさしく黒竜江 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 平賀貞夫です。

 恐らく、今、皆さんはリオデジャネイロ・オリンピックでテレビの前に齧りつきだと思われます。

 思いも寄らぬ予想以上の日本人の活躍に感涙興奮していることでしょう。

 五輪でメダルを取るぐらいですから、やはり、どんな人にも「物語」があり、共通して言えることは、怪我や精神的葛藤を克服した前後に、超人的な努力があったということしょう。

 まあ、世界一、努力した人間ということで、表彰台のてっぺんに上がる人が我等が同邦日本人だったりすると、感激も一入です。

 例えば、競泳女子200メートル平泳ぎで優勝した金藤(かねとう)理絵選手(27)なんて、一日、2万メートルも泳がされたそうですね、それも、毎日。五輪候補選手でもとてもそこまでできないのでは?

 柔道男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋(マシュー)選手(東海大)は、米国人の父親は米国に帰国してしまい、日本人の母親が一人で育ててくれたそうですね。

 オリンピックとなると、「スポーツに政治を持ち込むな」とか「参加するのに意義あり」などと、建前ばっかしが掲げられていますが、本音といいますが、現実の実態は、何と言っても、国別対抗のメダル獲得争いであり、そのためにはロシアのように、国家ぐるみで薬物使用を勧めて目的のために手段を選ばなかったり、国際オリンピック委員会(IOC)委員と呼ばれるスポーツ貴族だけが大儲けして、桁違いな贅沢な暮らしぶりができることが、あまり報道されてないことが残念です。

 川上を見やれば Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、言葉や名称がないと、何か手探りの暗中模索状態といいますか、雲をつかむような話で、なかなか他人を説得できないことが往々にしてあるものです。

 例えば、変態による追い回しや尾行について、適切な言葉なく、犯罪ばかり多発した頃に、「ストーカー」などというレッテルができて、やっと世間に認知されるようになったことがありましたね。

 私が今回取り上げたいことは、電話を掛けると、人間ではなく、コンピューターが出てきて、「はいの場合は1、いいえの場合は2、もう一度アナウンスを聞きたい場合は3を押してください」と応答するケースです。

 電話をかける相手は、ぼろ儲けしている通信会社で、問い合わせたり、解約したりする場合とか、旅行代理店とか、商品説明を求めるためのメーカーとか、駅やバスなど公共交通機関への問い合わせなどです。皆さんも大いに経験があることでしょう。

 そういう時に限って、急いでいるので本当にイライラしてきますよね?

 そして、川下のハバロフスクまで500余キロ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 これら、電話でコンピューターが応答するシステムをIVR(interactive voice response system)と言うそうですね。日本語で、「自動音声応答システム」。英語が原語なので、米国人が開発したのかもしれません。

 私は、最近初めて知りました。

 このIVRとやら、確かに、人間を疎外するマシーンですね。

 お年寄りなら、マゴマゴしてしまい、分からなくなって、途中で諦めてしまうかもしれません。

 そりゃあ、生身の人間を使うより、IVRを使った方が、便利で安上がりでしょう。だけど、使う方にとって、これほどややこしく、疎外感を覚えるものはありませんね。

 お年寄りといえば、あるネット保険会社の中で、海外旅行の保険は69歳までしか入れない規定になっていることが分かりました。

 つまり、70歳以上は、その掛け捨て保険に入れないのです。

 ということは、70歳以上の人は、「人間じゃねえ!」と言われているようなものです。

 人間疎外どころか、人間侮辱、いや、差別行為ですね。

 皆さん、よう黙っていられますね。ナヌ?まだ、70歳じゃないから、自分には関係ない?

ホセ・ラミレス欲しいなあ(笑)

こんにちは

暫行懲治叛徒法違反容疑で検挙された情野義秀です。

私は、多感な少年の頃、あまりイデオロギーだの政治思想だの、経済論だのといったものに興味がなく、只管、夢中になったのは音楽でした。

特に、レノン・マッカートニーやハリスンの名曲には、打ちのめされたといった表現がピッタリで、彼らに影響されてギターも独習し始めました。

最初に、ギターを手にしたのは13歳ぐらいの時で、安い1万円ぐらいのクラシックギターを両親から買ってもらったと思いますが、記憶が定かではありません(笑)。

とにかく、イヌ・アッチ・イケー教育テレビ「ギター教室」を見ながら、独習して、どうにか、「禁じられた遊び」は弾けましたが、「アルハンブラ宮殿の想い出」ともなりますと、最後まで弾けず、クラシックはギブアップしてしまい、フォークやロックギターに転向してしまいました。

しかし、最近になって、またまた、クラシックギターに懲りだしました。ボサノヴァが大好きで、見よう見真似でやっているだけですが、つい最近、驚くべき事実(私だけかもしれませんが)を発見しました。

ビートルズの最初の映画「ア・ハードデイズナイト」(1964年)の中で「アンド・アイ・ラブ・ハー」という名曲がありまして、ベースを弾きながら歌うポールの側で、ジョージがクラシックギターを弾いていますが、このギターが、スペインの世界的に有名な名器「ホセ・ラミレス」だったのです!

これが、今、「ジョージ・ハリスン・モデル」として、販売されているんですね。何と、44万8000円ですって!しかし、こんなんで驚いてはいけませんよ。「ホセ・ラミレス工場生誕125年記念エディッション」ともなりますと、な、な、何と400万円(税抜)もするのです。ギター1本の値段がでっせ、親分!

ホセ・ラミレスは、創業者のⅠ世(1858~1923)から、Ⅱ世、Ⅲ世、Ⅳ世と受け継がれ、現在5代目のアマリア・ラミレス(1955~)が女性頭領さんのようです。

こんな高価なギターは、勿論、買えませんけど、かつての「ギター小僧」だった私は、カタログを見ているだけで涎が出てきてしまいます(笑)。

ヤルタ会談が分かれ目

黒河市内を黒竜江へ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 いつも、いつも、「獅子身中の虫」様からコメントを頂きますと、ドキッと心臓が一瞬止まり、身仕舞いを糺してしまいまする。

 そうですか。御意見賜り、誠に有難う御座いました。

 まさか、ロラン・バルトにまで言及されるとは思いも寄らず、さすが、氏の読書量と教養の深さの甚大なることが拝察されました。

黒河市内を黒竜江へ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 やはり、昨日書いた「ヤルタ協定」が気になっています。

 1945年2月4日から11日にかけて8日間、忘れっぽい現代人が既に忘れているあのウクライナ半島の南端の黒海を臨むリゾート地ヤルタで行われました。

 まだ、枢軸国の雄、ドイツ帝国も、大日本帝国も降伏しておりません。(イタリアは1943年9月に無条件降伏)

 そんなまだ「時期尚早」の時期に、既に、第2次世界大戦後の世界の構築が米英ソの3人の首脳によって話し合われたのです。

 参加した米大統領ローズベルト(1882~1945)は63歳。英首相チャーチル(1874~1965)は70歳。そして、ソ連首相スターリン(1878~1953)は66歳です。

対岸のブラゴベシチェンスクが見える Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 スターリン君は「憎いのは日本だ。40年前の露日戦争で勝手に奪われた樺太の南半分を返してもらいたい。ついでに、千島列島もくれなきゃ、やだよ」と言ったに違いありません。事実そうなりました。

 「そのかわり」と、その2カ月後に死が迫っていることを知らないローズベルト君は「日ソ中立条約なんか、さっさと反故にして、対日参戦してもらわなきゃ困るよ」と言ったに違いありません。70歳の最高齢のチャーチル君も口を揃えたのかもしれません。

 1945年8月9日。事実そうなりました。

 驚くべきことに、この会談では、特にポーランドとドイツの戦後処理と連合国同盟(国際連合は誤訳!)の設立。その連合国の英米仏ソと中華民国(決して中華人民共和国ではない!!)の5カ国が、拒否権を有することまで決定したのです。

 これらは、「ヤルタ密約」として、日本はおろか、世界中誰にも知らされることなく、「戦勝国の利」として取り決められました。

 日本にとっては、敗戦の半年以上も前に趨勢が決定されていたのです。それなのに、何も知らない青年将校が、ポツダム宣言受諾の玉音放送の録音盤を奪取しようとクーデターを試みた歴史的事実は、彼らが当時の文武両道の超知的エリートだったはずなのに、後世の人間から見ても、どうも、時代錯誤的、自大野郎的、情報収集力の根本的欠如を痛感せざるを得ません。

何かお忘れではありませんか?

戦争時、いや間違い、浅草寺

8月9日は、長崎原爆忌。

目下、リオデジャネイロ五輪、甲子園の高校野球、そしてプロ野球…と生中継のコンテンツが 豊富ですが、辛うじて、長崎原爆忌のニュースだけは、フォローされておりました。

しかし、この世の不条理に異議申し立てをする方もいらっしゃいます。皆様ご存知の松岡総裁です。

…小生にとって、この8月9日は、それこそ、時間単位で出来事を想起させる日である。別に競い合う積もりはないが、新聞などに“長崎原爆投下”のことは出ていても、現今に至る東アジアの政治的・軍事的歴史を大きく塗り替えた、“8月9日、ソ連軍170万満洲一斉侵攻開始”などと言うことは、何処を探しても出てこない。これが、“日本人の歴史感覚” 、と言うものなのですね…

まさに、忿懣遣る方なし、といった感じです。

私も、8月9日付の各紙夕刊の東京最終版6紙を全部チェックしてみましたが、何処もソ連軍の侵攻や暴虐に触れていません。

これでは、日本人の歴史感覚も、レベルが低いまんま、低空飛行を続けていってしまうと考えざるを得ませんね。

私も松岡総裁に敢えて質問してみました。

◇ヤルタの密約は何処まで取り決められたのか?

…自分の不勉強を棚に上げて申し訳ないのですが、ヤルタ秘密協定で、8月9日、長崎原爆投下とソ連軍侵攻は、同時進行として取りきめられたのでしょうか?ソ連は長崎原爆は事前通告されていたのでしょうか?
それとも、米軍が、焦って、戦局を優位に進めるために暴走したのでしょうか?…

夕刊を読んでいたら、ある被爆者が「広島の原爆はウラン、長崎はプルトニウム。米軍はどちらの効き目が高いのか人体実験したに過ぎない」と証言されておりました。

確かに、アメリカは、憎っきドイツに対しては、同じ白色人種ということで、原爆を投下せず、イエローモンキーなら人体実験になると主張した科学者がいた、という話も漏れ聞いたことがありますが、裏を取ったわけでもなく、確実な証拠があるわけでもなく、都市伝説のように、誠しやかに言い伝えられていただけのかもしれませんが。

さて、私の質問に松岡総裁は何と答えるか?

◇日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連

…ご質問の件に関しては、関係歴史的事象を、時系列的に整理・推論していくことにより、自ずと解を得られることと思われます。勿論、後に起こったことが、前に起こったことを規定することはないのです。

小生の「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)には、関係歴史的事象が、次のように精密にえがかれています。

(1)「三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及び英国の指導者は、ドイツ国が降伏し且つヨーロッパにおける戦争が終結した後二箇月または三箇月を経て、ソヴィエト連邦が、次の条件で連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した」(618ページ)

(2)なお各地に残存していたドイツ国防軍の首脳部は、五月七日、五月八日発効ということで、フランスのランスで連合国側の無条件降伏文書に署名し、また、ソ連側に対しては、五月九日、ベルリンにて、無条件降伏文書に署名した。(751ページ)
 この五月八日は、その三ヶ月後の八月八日に、ソ連が、ヤルタ秘密協定を援用し、まだ有効期間中であった日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告を行い、八月九日午前零時を期して、満洲への一斉侵攻を開始するに至る、運命の日となった。

(3)マリアナ諸島のテニアン島を発進した第二十一爆撃航空団所属のB29エノラ・ゲイ号は、八月六日午前八時十五分、広島上空で人類最初の原子爆弾、リトルボーイを投下し、同爆弾は、六百メートル上空で核分裂爆発した。(761ページ)

 それから二日経ったモスクワ時間八月八日午後五時(日本時間午後十一時)、ソ連のモロトフ外務大臣は、クレムリンにモスクワ駐在佐藤尚武日本国大使を招き、ソ連の「対日宣戦布告状」を手交した。
 その一時間後、満洲での一大カタストロフィーの幕開け、昭和二十年八月九日午前零時がやってきて、アレキサンドル・ワシレフスキー元帥指揮下の百七十万の極東ソ連軍が、東、西、北の三方面から、怒濤の如き満洲一斉侵攻を開始した。

なお、上記(3)の佐藤尚武日本国大使が、大使館に戻った時は、すでに無線は破壊され、佐藤大使は、「対日宣戦布告状」を本国を含む外部に伝えることは出来なかった由である。

上記(1)~(3)の次第をよくよく整理して考えれば、ソ連を含む連合国間の権謀術数がよく分かると思われます。…

うーん、難し過ぎる。

8月9日の長崎原爆とソ連侵攻の同時進行は、ヤルタ協定で確約されていたのか、それとも偶然だったのか?

日本の歴史家もメディアも、この「同時多発」に関しては少なからず、再検証するべきではないでしょうか?

偶然だろうが、必然だろうが、悲劇は、8月9日に長崎だけでなく、満洲でも起きたことを日本人として、もっと再認識するべきでしょう。

少なくともこの満洲の悲劇(ソ連のスターリンがその引き金を引いた!)で、60万人もの人がシベリアに抑留され、葛根廟事件のように民間人が大量虐殺される悲惨な事件が多発し、世界史上稀に見る残留孤児問題が起きたわけですから、後世の人間としてはもっと認識を新たにしなけらばなりません。

いわんや、松岡氏のように、1945年8月9日に満洲の首都新京(現長春)に住んでいて、ソ連軍による虐殺暴行略奪横暴を目の当たりにした「歴史的証人」にとっては、メディアにさえも取り上げられない現状に怒りを覚えるのも当然かもしれません。