ついに 4000位台!

ボーヴォワール夫人御手製ラズベリーケーキ

昨日の扇子の価格ですが、定価7000円でした。我ながらよく買ったものです(笑)。網野善彦泰斗のせいにしておきませう。

ところで、渓流斎ブログは、昨年11月に復活しまして、半年経ちましたが、やっと、かつてのような認知度が復活したせいか(笑)、アクセスランキングも、とうとう4000位台に復活しました。凄い飛躍です。

おめでとうございます!

【アクセス・ランキング】
◇過去1週間の閲覧数・訪問者とランキング
日付 閲覧数/訪問者数/順位

7/10(日) 417PV 161IP 4,892位
7/9(土) 244PV 109IP 8,684位
7/8(金) 221PV 93IP 10,384位
7/7(木) 245PV 115IP 8,420位
7/6(水) 408PV 123IP 7,858位
7/5(火) 255PV 116IP 8,399位
7/4(月) 308PV 143IP 6,235位
※ランキングは上位100,000件まで表示されます

これも、全国の、いや全世界の御贔屓の皆々様方のお陰でございます。

今回、参院選で当選された方もおめでとうございます。

メデイアの報道は、何処もかしこも薄っぺらで、辟易しましたが、今の日本の国民の民度が色濃く反映された結果だと受け止めております。

参院議員は、解散の恐怖に晒されませんから、6年間みっちりと政策実行に取り組めますね。正確には知りませんが、議員一人当たりに年間2000万円から3000万円の税金が投入されているようですから、議員に当選した皆様には常に緊張感を持ってパブリック・サーバントとしての、自覚をしっかり持ってもらいたいです。

どうせ憲法を改正するのなら、あたしや、参議院を貴族院に戻して、被選挙権者は年間300万円以上の納税者で30歳以上とする、にしますね。

勿論、選挙権は、年間100万円以上の納税者で、25歳以上。

テレビに出て、顔が売れたもん勝ちなんていう選挙は、真っ平御免之助です。

しっかりと知性と教養を身につけるべき時期に、そうしなかった人間にどんな政治ができるというのでせうか?

もう一人、あの温厚な赤羽村長が怒りに怒りまくっていたゴロツキが当選したとは!世も末。

扇子は、余計な買い物か? 第5刷

桜井扇子

もう梅雨が明けたのかしら。

本日は、暑い中、ママチャリを漕いで、近くのスーパーアリーナで開催中の高級ブランド大招待バーゲンに行って来ました。

友人の川本君が、「貴兄の家の近くだろう」ということで、招待状をくれたのでした。会場には、招待状なしでは入れませんでした。

最近、会社に着ていくちゃんとした夏物スラックスが少なくなっていたので、いいものがあれば、買ってくるか、という程度で出掛けてきました。

会場は、普通なら、プロの室内スポーツ(テニスやバスケットなど)などがやれて、よく大物外タレもコンサートで使ったりしてますから、広いと言えば、広い。

しかし、正直、定価の半額とか3割引とかで売られているものは、はっきし言って、「売れ残り」か「バッタ屋落ち」もんばかりでした。値札の付け方も怪しい。最初から5割増の定価を付けておいて、そこから、「五割引き」セールを騙っていたのかもしれません。いや、断定はしてませんよ(笑)。あくまでも個人的印象です。

ま、売れ残りでも、福があるかもしれませんので、私は、狙いの夏物スラックスとして、英国の老舗ダックスの高級もんの柄が気に入ったので購入してしまいました。半額と称しながら、1万4000円もしました。

で、せっかく暑い中をチャリで飛ばしてきたので、すぐ帰るのも何ですから会場をフラフラしていたところ、扇子コーナーが眼に入りました。

そう言えば、7月1日から会社で異動した職場は、人口密度の高い風通しの悪い奥まった所で、空調設備の恩恵を受けにくい所でした。

端的に飾らずに言えば、冷暖房完備でも、夏は暑く、冬は寒いということです。

そういうことも、是ありまして、扇子を買うことにしたのです。

今日は、その写真を掲載したわけです。

これ、幾らだと思いますか?

渓流斎としては、目の玉が飛び出ない程度に高かったです。

写真を見てお分かりのように、上の紙の部分より、「骨」の部分が多く出ていますよね?扇子は、この骨が決め手で、多い方が高価なんだそうです。和紙で誤魔化しているような扇子は、安物ということになります(笑)。その話を聞いて、和紙の多い安物が、買えなくなってしまいました。

この扇子さえあれば、「よっしゃ、よっしゃ」と田中角栄さんのように、仕事ができそうです。捗りそうです。

今、併読している網野善彦著「異形の王権」は、文献から歴史を解読するのではなく、「一遍上人絵詞伝」や「伴大納言絵詞」などに出てくる登場人物と服装、持ち物などから、その人の官職身分、社会的地位の特徴を「絵解き」する学問を提唱しております。

勿論、歴史絵巻の中には、「小道具」として、扇子も多く登場します。単に涼むためだけでなく、顔を隠したり、穢れた人、物をそっと覗いてみる際に、扇子が使われていることを絵解きしたりします。

この本を読んだ影響から、今回、扇子を買ってしまったことを、私は、正直に告白します(笑)。

馬加

城壁に上る Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 「馬加」と書かれていれば、普通の人は、バカと呼んでしまうことでしょう。

 正解は…

 ちょっと、ためておきましょう(笑)。

 室町時代です。

 学校の歴史では、時間が少ないせいか、どうしても、室町時代となると、京都の足利政権ということで、3代義満北山文化の金閣寺、8代義政東山文化の銀閣寺でお仕舞いですが、実は、室町幕府は、完璧に全国制覇していたわけではなく、坂東では色んな豪族が派遣を争っていました。

 簡略しますと、足利尊氏は関東を支配下に置くために、息子の足利基氏(二男とも三男とも四男とも諸説あり。ちなみに、尊氏の嫡男義詮は第2代将軍に)を「鎌倉公方」として派遣します。

 この鎌倉公方の権力が絶大だったかと言えば、そうでもなく、この鎌倉公方の「執事」役だった関東管領の上杉氏(足利尊氏の母方の家系)が次第に勢力を拡大し、ついには、鎌倉公方を圧倒してしまいます。鎌倉公方の足利氏は、ついに、現在の茨城県の古河市にまで逃れ、「古河公方」と呼ばれるようになります。

 この古河公方は、後に第8代将軍義政(東山文化の銀閣寺)と対立したため、京都室町政権は、義政の異母兄政知を鎌倉公方として派遣しますが、古河公方勢力の反抗に遭い、鎌倉に入城できず、手前の伊豆堀越に留め置かれます。これが、代々引き継がれる「堀越公方」です。

 さて、「馬加」の話でした。

 これで、「まくわり」と読みます。ご存知でしたか? 今の千葉県の豪族で、最後は滅亡して血筋は絶えましたが、地名の「幕張」としてその名前が現代にも残っています。(幕張にある馬加城跡は、現在マンションになっていて往年をしのぶ碑さえないようです)

 馬加氏の中で最も有名な武将が、馬加康胤(まくわり・やすたね)です。

 1455年、鎌倉公方の足利成氏が、関東管領の上杉憲忠を謀殺したことから「享徳の乱」が起こります。この混乱に乗じた今の千葉一帯を支配下に置いていた千葉氏の重臣原胤房(はら・たねふさ)が千葉城を急襲し、この時に馬加康胤も原軍に加担し、千葉氏宗家を滅ぼします。

 しかし、馬加も、将軍足利義政から派遣された東常縁によって討ち取られたと言われます。

 以上、馬加のお話はこれでお仕舞。

 追加情報としては、「嵐」の相葉君(とはいっても、私の全く知らない人ですけど)の実家は、この幕張で、中華料理店「チャイナハウス 桂花楼」営んでいるそうです。

【追記】教養と薀蓄溢るる海老不羅江先生は、古河公方のことを「ふるかわ こうほう」とお呼びになってましたね。
「こが くぼう」でっせ(笑)。

超極秘機密グルメ情報 第7刷

 これはお墓です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨晩は、約1年ぶりに、東下りされた京洛先生を囲む「おつなサロン」に顔を出してきました。まだ、立ち上がりなので、「お酒は2杯まで」という厳しい自己管理規制の中で参加しました(笑)。

場所は、都心の半蔵門にある旧半蔵門会館の地下「門」。昔からよく行っていた所です。

約1年ぶりの「夜遊び」でしたので、少し疲れました。サロンに参加したのは、京洛先生と私渓流斎以外では、ウマズイめんくい村の赤羽彦作村長、麹町館の羽賀館長、今度王室秘書となったラファイエット夫人、分福茶釜包装の今岡嬢という京洛先生お気に入りの仲間たちでした。

ラファイエット夫人が過日、王室秘書という対外交渉の責任者となり、何が大切なのか、というと拍子抜けするほどの話でしたが、やはり、日本らしい「おもてなし」が最も大切で、わざわざ来訪してくださったお客様に対しての「手土産」に何をしたらいいのか、ということが一番頭を悩ませているというのです。

そうしましたら、この自由闊達なサロンで、何処の雑誌にも、何処のネットのブログにも書かれていない超機密事項とも言えるグルメ情報が出るわ、出るわ…。

何しろ、今や「グルメの巨匠」と呼ばれる赤羽村長、「蛇の道は蛇」情報を内に秘めてあまり口外しない羽賀館長、そして、何と言っても古今東西のうまいもん情報に関してはこの人の右に出る者はいない、いるなら左から出てこい!と言われ続けて半世紀の京洛先生、食に関しては一家言の持ち主の今岡嬢が揃っておりましたからねえ。

超極秘機密情報を得ることができました。

いわゆる一つのスイーツ情報ですが、皆さんもお知りになりたいですか?

これさえ知っていれば、恥をかかない。逆に、こんなご贈答品をもらえば、「ヌヌヌ、お主(ぬし)もなかなかやのを~」と唸らされるという意味で、あなただけに特別にお教えしませう。…まるで、詐欺師の手口みたいですね。プレゼント待ってますよ~(笑)。
城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

まずは復習です。

かつての渓流斎ブログは、「グルメ」欄にも力を入れており、さまざまなお気に入りのお店を紹介してきました。しかし、事情があって、そのブログは消滅してしまいました。ですから、以前のブログに何回か書いたことがあり、重なってしまうということで、「復習」という表現を使ったわけです。

最初に取り上げるのが、「東京の三大大福」です。
(1)隠田(原宿)の「瑞穂」
(1)護国寺の「群林堂」
(1)泉岳寺の「松嶋屋」

このブログは、宣伝広告ではないので、店情報の詳細は省きます。何しろ、渓流斎は宣伝費を頂いておりません(笑)ので、もっと知りたい方はご自分でお調べください。ちなみに、私めは、この中で、まだ、「松嶋屋」の大福しか食したことがありません。残り二つは、愉しみに取っておきます。今岡嬢情報では、隠田の「瑞穂」は、まず店頭では手に入らないので、事前に予約しておいた方がいいそうですよ(これも凄い情報です)。

最新のウマズイめんくい村通信には、「東京三大どら焼き」が紹介されておりますね。
(1)上野(日本橋)の「うさぎや」
(1)浅草の「亀十」
(1)東十条の「草月」の「黒松」http://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13003793/

赤羽村長は、この「三大どら焼き」に負けずと劣らないほどうまいどら焼きが、人形町の「清寿軒」と書いておられますね。渓流斎、いずれも未体験ですが、写真を見るだけでも、涎が出てきました。

さて、ここからが本番です。

麹町の羽賀館長情報によりますと、日暮里は三河島にある「苺屋」http://ichigoya.org/item.htm のロールケーキが抜群の旨さを誇るそうです。私は、未経験なので分かりませんが、ボリュームありそう。

ラファイエット夫人が自ら申すには、銀座と言いますか、日比谷にある「かずや」の練という和菓子は、ご進物にもちょうど良い、知る人ぞ知る一品だそうです。渓流斎、もちろん、未体験ですが、触覚と臭覚が、ピクッと動きました。http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13019670/

1990年代に廃業しましたが、本郷にある羊羹の「藤むら」は、夏目漱石の「吾輩は猫である」「草枕」にも登場しますが、かつてのアイドル「キャンディーズ」のミキちゃんこと藤村美樹の親戚筋だそうです。嗚呼、食べたかったと。(何で急に九州弁…)

本郷三丁目には、あの勝海舟も愛した「壺屋総本店」の最中が有名だそうですね。http://sugoroku.tokyo/?p=3117 いやあ、渓流斎はまだ食べたことはありません。

そしたら、南青山の「紅谷」には、大福、どら焼き、何でもありますよ、と赤羽村長。あれっ?もしかしたら、ラファイエット夫人の発言だったかもしれません。少し酔ってきて忘れました(笑)。http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13054058/

いやいや、青山なら「豆屋」が美味しいよ、と麹町館長さん。私は、聞いたことがないので、調べてみましたが、もしかして、1894年創業の老舗「青山但馬屋」のことでしょうか? http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13093929/

さてさて、やっと遅れてきた大御所京洛先生の登場です。

練馬区大泉学園にある「大吾」の「爾比久良(にいくら)」は絶品ですよ。和菓子と洋菓子を折衷したようなお菓子で、近くに東映の撮影所があり、高倉健さんらの大好物だったそうです、と早速薀蓄を傾けます。

我々がサロンを開催していた半蔵門会館のすぐ近くにある有名な「村上開新堂」は、もともと京都の和菓子店で、明治維新後に、「とらや」と同じように、天皇陛下について京都から東京に出店します。なるほど。しかし、東京の半蔵門の店は、敷居が高く、「一見さんお断り」なんだそうです。庶民の方は諦めてください。…それにしても威張っているなあ(笑)。http://www.kaishindo.co.jp/

京洛先生のお膝元、京都では、「桃山」というお菓子が有名だそうですが、これも私は未体験。桃山とは、坂東人には馴染みがありませんが、最中や大福といった種類の一つだとお考えください。http://kyoto-wagasi.com/teiban/momoyama.html 市内のデパートや和菓子店で売られていますが、「中西鼓月」という和菓子店で売られている桃山の「華」が一番有名なようです。

京都のお次は奈良。

その桃山に関しましては、「菊屋」の「菊之寿」が秀逸だそうです。

また、「白玉屋栄寿」の名物みむろの最中は絶品だそうです。うーん、食べてみたい。
http://www.begin.or.jp/mimuro/item.html

もう一つ、奈良「鶴屋徳満」の三笠 http://www.tsuruyatokuman.co.jp/。これだけ知っていれば、誰にでも威張って騙れます。もう十分でしょう(笑)。

ついでながら、もう2~3年前になりますか、「渓流斎ブログ 200万アクセス記念会」を内幸町の「はらぺこ」で開催した際に、奇特なお師匠様から東京・銀座「萬年堂」の「御目出糖」を贈答されまして、初めて「萬年堂」の名前を知りました。飯田橋にも同名の「萬年堂」がありますが、一説では、銀座本店からの暖簾分けではないそうです。間違っていたら訂正しますが。

まだ、続けますよ(笑)。

夏目漱石の小説にも出てくる銀座の老舗「空也」最中。情報通の今岡嬢の話では、当代の御子息が品川に洋菓子店を出したとか。

このほか、荻窪の天沼にある「高橋」の酒饅頭  http://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13044820/
演劇評論家安藤鶴夫が有名にした四谷の「わかば」のたいやき http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13000848/
大門にある「芝 榮太郎」の最中と大福 http://www.shiba-eitaro.com/index.html の話も出ましたけど、渓流斎は、じぇーんぶ、全然(じぇんじぇん)食べたことありません。

最後に、庶民は行けないので、関係ありませんが、虎ノ門のホテルオークラの「山里」では、最上級の「剣菱」がご用意されております。せんべろ店で出される「剣菱」と称されるものとは名前が同じでも、似て非なるモノなりだそうです。

「山里」は国家の最高権力者やマスメディアの最高峰の方らが行かれる和食天ぷら店です。

お呼びでないと思います。

あ、そういえば、昨日書いた代々木公園近くにあるノルウェーの店「フグレン・トウキョウ」。(えっ?読んでないの?!)何と、今岡嬢のお住まいの近くのお店だそうで、大変雰囲気が良さそうなお店ですが、いつも、いつも、いつも、何時行っても超満員で入れないそうです。

何か、食べ物などの持ち込み可能だそうで(未確認)、長居する人が多いからだそうです。

あたしも、トレジョリジュヌファムと行く予定でしたが、ずわんねん。

追記しますと、上記に書きました極秘店は、知る人ぞ知る店なので、午前中で売り切れるそうで、要注意。

「ノルウェーの家具」に決定!

JICAでお仕事をしていたANさんが今お住まい近くの「フランスの森」。バングラデシュで亡くなった日本人の方々は直接知らなくても、亡くなった方々が勤めていた会社の方はよく知っていたので、大変衝撃を受けたそうです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

賢明なる読者諸兄姉の皆々様方におかれましては、私こと渓流斎が、にんどすさんという方と、コメント欄で、大論争を繰り広げていたことは、まさか、知らないとは言わせまい(笑)。

ビートルズが1965年に発表したアルバム「ラバーソウル」に収録されている「ノーウェッジアン・ウッド」という名曲にまつわる世紀の大誤訳の話です。(ジョージ・ハリスンが、師事したラヴィ・シャンカールにシタールを習い、ポピュラー音楽史上初めて、シタールが使われた名曲としても知られています)

当時の東芝EMIレコード宣伝部さんが「Norwegian wood」を「ノルウェーの森」というタイトルで売り出したおかげで、この誤訳のタイトルが日本では定着してしまい、その後、日本のベストセラー作家が、わざわざ同名タイトルで作品を発表し、映画化もされて、世界中でボチボチのヒット作になりました。

コメント欄では、歌詞の内容について、詳しく触れておりますので、ご興味ある方はご参照下さい。

で、私も、あれから、新たに調べてみたところ、偶然に以下のサイトにぶち当たりました。

「北欧インテリアは、ビートルズの時代がベストかも。」 ←こちらをクリック

これで、決定です。「ノーウェッジアン・ウッド」とは「ノルウェー家具」のことでした。このサイトにあるように、1950年代から70年代に掛けて、ノルウェー家具は、全盛期で英国にも輸入され、大人気だったようですね。

70年代以降は、北海で発見された油田の影響で、手作りの家具産業がノルウェーでは廃れてしまい、北欧家具のシンボルがスウェーデンやデンマークに移行してしまった、という話も説得力があります。

私も大好きなドイツのバウハウスに影響を受けたノルウェー人のハンス・ブラットルがデザインした木製椅子は、世界中でかなりヒットしたようです。

でも、「ノルウェーの家具」を作詞作曲したジョン・レノンの歌詞には「(部屋を)見回したら、椅子はなかった」と唄ってますね(笑)。恐らく、ジョンは「あの有名なハンス・ブラットルの木製椅子さえないじゃないか!」ということを言いたかったのかも?

世界中を旅している渓流斎ですが、残念ながら、ノルウェーには行ったことがありません。でも、先ほどのサイトには、日本に居ても、ノルウェーの雰囲気が味わえるカフェがあることが紹介されています。「フグレン・トウキョウ」です。本店は、ノルウェーの首都オスロにあり、ここは日本支店に当たるようです。

場所は、東京都渋谷区の代々木公園近く、昔よく通っていた天下の国有放送局イヌ・アッチ・イケーのそばです。地図を拡大して住所を見たら、何と、現在日本の最高権力者であらせられる方のご自宅そばなんですね。付近は、24時間警戒態勢を引いていることでしょうから、私のような体制に反感を持っている怪しいおじさんが行くと誰何されることでしょうね(笑)。

「フグレン・トウキョウ」には、もちろん、ノルウェー家具や調度品が供えられているようで、ノルウェー・コーヒーもあるそうです。ノルウェー料理もあるのかしら?いずれにせよ、行けば、ノルウェーに行ったような気分になれるのかもしれません。

いつかこの店に、ジョン・レノンのように下心を持って可愛いヘテロさんを誘ってみたいですねえ(笑)。

Mr Sekoi のようなせこい話

エベレスト・カレーセット通常1500円が…

野々村猿太郎です。

いつぞや、我が愛用しているiPhoneが、月々7200円であると、この渓流斎ブログで書いたことがありましたが、よくよく領収書を見ると、7550円ぐらいでした。

これでも、端末代はゼロ円で仕入れたので、もし毎月の端末代分割料金があれば、毎月1万円近くにはなっているはずです。IT事情に詳しい石田先生は「iPhoneなんて、お金持ちしか持てないですよ。それだけ、維持費が掛かるということです」と力説されておりましたが、その通りでした。

私の記憶違いで、毎月の支払いが400円近く高かったのは、auのスマートパス会員として、毎月401円払っていたからでした。

しかし、この会員になると、特典がいっぱい付いてくるのです。何と言っても、私のよく行く映画館が、土日でも一般通常1800円のところ、1100円で済むのです。これで、700円分浮き、月に一回映画館に行けば元が取れることになります(笑)。

もう一つ、この会員になったのは、iPhoneがもし壊れた場合、保険代が出て、自己負担額が1500円だったか、その程度で済むからでした。全額負担となると、2万円近くなると聞いたことがあります。

最後に、これはちょっとせこいのですが、割引きランチがあることです。これは、昨日初めて使ってみました=写真。銀座にあるインド・ネパール料理店で、3種類のカレーが食べられ、サラダ、コーヒー付き。通常セット1500円のところ、1000円也でした。

これで、スマートパスの1カ月分の元が取れてしまうのです。

増添君とは、ゼロが三つも、四つも違うので話になりませんが、いずれにせよ、「せこい」話でした。

ま、庶民は、こうして、無い知恵を絞るちゅうことですよ(笑)。

シャンフォールの予言

Venetia

小島てるです。

学生時代にフランス文学を齧った人でも、流石にシャンフォール(1741~1794年)なる作家を知らないでしょう。

御存知の方は、余程の通です(笑)。

何しろ、シャンフォールは、フランス中部クレルモン=フェランに庶子として産まれたためなのか、正確な生年月日も分からず、死因も諸説あります。パリに出て、ジャーナリストとして活躍します。時代が時代ですから、仏革命に参加し、革命後の混乱の中で、追い詰められて、自殺を図り、その傷が元で亡くなります。どうでもいいかもしれませんが、自殺にはピストルと刃物を使ったという二説あり、享年も53と54があります。

シャンフォールは筆名で、本名はセバスティアン=ロシュ・ニコラ説が有力です。absurdit?(馬鹿らしさ)という単語を「不条理」という意味で使った最初の仏文学者だということで後世に名を残しています。あたしなんか、「不条理」は、アルベール・カミュが流行らせた言葉だと思ってました(苦笑)。最近の世の中は、コメント師が指摘されるまでもなく、不条理で溢れていますね。

彼の作品は、彼の死後、「警句」として纏められたものが多く、その中にこんなものがあります。

朝にヒキガエルを飲み込みなさい。そうすれば、残りの1日はそれ以上不愉快なことに遭遇しないだろう。

果たして、これは何を意味するのか、私は、さっぱり分かりませんでした。

それが、人生経験が豊富となり、「人間観察官」(無給)としての面目躍如を発揮することができるようになると、この警句の意味がよく分かるようになったのですね(笑)。

かつていた友人の地方公共団体の職場に、仕事をサボる不埒な男が異動できたそうです。まさに、「月給泥棒の確信犯」です。

しかも、そいつは無類の女好きで、女と見たら手当たり次第で、職場の他の部署の人間だろうが、用もないのに声を掛けて、20分でも、30分でも立ち話をして遊んでいるというのです。

それで、そいつが女性にモテるタイプかと言えば、その正反対で、顔といい、体型といい、まさに醜悪なヒキガエルだというのです。

そう、もう一度、シャンフォールの警句を思い出してみましょう。

朝にヒキガエルを飲み込みなさい。そうすれば、残りの1日はそれ以上不愉快なことに遭遇しないだろう。

シャンフォールは凄い!まさに200年後を予言していたのですね!

足を踏まれた人の痛み

「二乃宮」

大島てるです。

バングラデシュで、日本のJICAから派遣された方々が、首都ダッカのレストランでテロ襲撃に遭って、命を落とされたということで、非常に胸が痛みました。

何も、遊びや旅行で行ったわけではなく、バングラデシュのため、お国のインフラ整備のために、仕事で出張されていた方々でしたので、お気の毒で、遺族の皆様には大変御愁傷様でした、と言う言葉以外見つかりません。

何よりも、実行犯の若者たちは、裕福な家庭に育ち、留学経験もあるインテリだったという事実には衝撃を受けました。開発途上の国を良くしようとはるばる遠方からやって来た外国人を、異教徒だからといって、殺害したりしますかねえ?日本人が何で十字軍なんですか?インテリは駄目ですね。

全く無関係なのですが、私にとって、バングラデシュと言えば、どうしても、ジョージ・ハリスンが主催した「バングラデシュ・チャリティーコンサート」を思い出してしまいます。

うろ覚えの記憶で、電車の中で書いているので間違っていると思いますが、確か、あのコンサートは、1971年8月に、ニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで開催された本格的な、世界初のチャリティーコンサートで、主宰者のジョージ・ハリスンは、長髪で胸まで垂れるほどの長い髭を伸ばして、目が覚めるほど真っ白の上下高級スーツを着こなし、クリーム色のフェンダーのストラトキャスターを弾きまくっていました。(日付等間違っていたらどんどん改訂します)

凄いお爺さんに見えましたが、当時、ジョージは28歳の若者でした。前年の1970年に、ビートルズが正式に解散し、ジョージ自身は3枚組LPのソロアルバム「オール・シングズ・マスト・パス(諸行無常という意味)」をリリースし、その中の「マイ・スウィート・ロード」が世界的に大ヒットして、ソロとして自信を深めていた頃でした。(盗作事件もありましたが)

私も、バングラデシュという国については、このコンサートで初めてその名前を知りました。コンサートの模様は、映画化され、私も何十回、映画館に足を運んだか覚えていないほど足繁く運びました。当時は、ビデオもネットもありませんからね(笑)。

映画では、独立運動で戦うバングラデシュの人々や、飢えで苦しむ子供たちが、沢山写っていました。

政治的な人物として前面に出していなかったジョージが、何故、バングラデシュ問題に関わったのかについて、映画の中での記者会見や、主題曲(?)のバングラデシュの歌詞にも出てきます。シタール奏者で、ジョージの友人のラヴィ・シャンカールから「助けてほしい」と支援を求められたからです。

シタールという楽器は、インドの古代から使われている楽器で、ビートルズのアルバム「ラバーソウル」(1965年)の中の「ノルウェー製家具」(以前のブログに書きましたが、「ノルウェーの森」はあまりにも酷過ぎる誤訳です!)で、初めて使われました。ローリング・ストーンズもすかさず真似して、「黒くぬれ!」で、ブライアン・ジョーンズが器用にシタールを弾きこなしています。

もう15年ほど前ですか、ノラ・ジョーンズという若い女性歌手が「ドント・ノウ・ホワイ」でグラミー賞を受賞して、大きな話題になった際、彼女があのラヴィ・シャンカールの娘だったということを知った時の驚きは今でも忘れません。

「バングラデシュ・コンサート」には、ボブ・ディランやエリック・クラプトン、レオン・ラッセル、ビリー・プレストン、バッド・フィンガーらが友情出演して大成功を収めました。

恐らく莫大なチャリティー金が出て、バングラデシュ政府に寄付されたことでしょう。昔なら、よかった、よかったで終わりますが、あれから、ひねくれ者として成長した私なんか、あの寄付金は、しっかり貧しい人たちの手に渡ったのか、不信感を抱いています。まさか、政府高官たちによって、公用車で別荘に行くお車代や、ホテル三日月への家族旅行に使われたんじゃないでしょうね?

いくら、数字や文章を見せつけられても、単なる統計に過ぎず、足を踏まれた人の痛みなんて、その人本人しか分からないものなんです。足を踏んだ本人が、とやかく、自分の功績として、数字を吹聴しているだけなのです。

図書館システム異議あり!

「二乃宮」

図書館と掛けて、宝クジととく。その答えは?

クジに当たった途端、知らない親戚が急に増えるでしょう。

…いやあ、全く関連性がありませんでしたが、どうして図書館って、貸出の予約をしても、待てど暮らせど、なかなか来ないのに、忘れた頃に、どかっと予約本が襲ってくるもんなんですね?

まさに、渓流斎の法則です。

昨日は、去年の秋に、つまり、もう8カ月近くも前に予約していた本が、四冊もドッと解禁されました。

四冊じゃ、無理でしょう。期限内に読み切ることは。これでも宮仕えの身ですから、自由時間がそれ程ありません。それに、机の上には、まだ読み切っていない本が沢山あります。

えっ?何を予約していたのか、気になるんですか?…うーん、そんなに渓流斎の頭の中身が気になりますかねえ?からかっているだけでしょ?(笑)

ま、いっか。網野義彦「異形の王権」、辺見庸「1★9★3★7」、高村薫「空海」、「だんびら一代藤原敦」の四冊です。

著者さんと出版社さんには、申し訳ないですが、購入しませんでした。その代わり、宮仕えの身ですので、給金から自動的に市民税が差し引かれていますから、その分、図書購入費の一部に充てられているはずですから、ただで借りているとは思ってませんよ(笑)。

星霜ふるうちに、モノを所有することに興味が薄れていくような感じになったせいかも知れません。

著名評論家さんの「本は買うもので、借りては意味がない」と展開される持論に反発したい気持ちもあります。

生かされた人生ですから、残された時間を、他人の意見に左右されることなく、穏やかに過ごしたいものです。

私は美人局なのか?                           第7刷

門が次々と Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨晩は、某所三階の個室で、約一年ぶりに栗林閣下と再会しまして、懐石料理と、約一年ぶりに解禁したおチャケに舌鼓を打ちました。

私事、昨年は、事情がありまして、しばらく此岸をお留守にしていたのですが、どういうわけか、栗林閣下は足繁く、当時私のいた黄泉国まで通って頂き、「あれが欲しい」「これが欲しい」という小生の我儘を聞いてくださったのでした。大変人が良い親切な方なのです。(今回も、何と!大変高価な「白州」12年ものまで持参して下さいました!)

この渓流斎ブログを再開できたのも、少なからず、彼のおかげだと思っています。

とは言っても、栗林閣下とは思想信条が正反対なので、おチャケが進むと、大激論となり、星一徹のようにテーブルをひっくり返すは、千秋楽のように座布団が舞い散るはで、それはそれは大変な惨状が展開されました。

そしてまた門 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

栗林閣下というのは、あの「毎月50冊読破する」という市井の学人(アイドルGaktoとは別)さんです。しかも、国立図書館まで自宅から自転車で片道6時間も掛けて通うという戦歴の持ち主だったことには本当に驚きました。

「田舎の秀才」らしい面をそのまま保持しておられ、「渓流斎は、戦後民主主義の残留孤児だ」などとうまいことを言います。

政治信条には、確固たるものがあり、かつて、高額な会費を毎月お支払して、その方面の組織に所属したことがあり(現在退会)、大ベストセラー作家桃田曲樹の言う「琉球新報と沖縄タイムズはつぶさなあかん」という主張は正しい、あの二紙は必ず、近いうちにつぶれるでしょう、と自信満々にのたまうのでした。

栗林閣下。これだけは、「そんなことはありませんよ」と、声は潜めて、柔らかく申しげます。と、主宰者特権で、公衆の面前でブログに書いてしまいます(笑)。

私は今年5月27日の渓流斎ブログ「沖縄、おきなわ、オキナワ」の中で、以下のように書きました。

「日本の国土面積のわずか0.6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が置かれています。
沖縄県の負担割合は、本土の約500倍。県民約140万人の約9割が住む沖縄本島の2割近くの面積を米軍施設が占めています。その米軍基地のうち、海兵隊基地が占める割合は75%。沖縄県民総所得に占める基地関係収入の割合は、最近はわずか5%程度です」

琉球新報と沖縄タイムズは、何の罪も犯していない将来のある希望に燃えた若い沖縄女性が、不埒な米軍属の男に殺害されたことを受けての抗議集会を大々的に取り上げていました。

帝都のいわゆる全国紙と言われる紙面では、その記事は、ほどほどの扱いでした。

今の私の気持ちは変わりません。「沖縄の人がかわいそうじゃないか」です。

沖縄県紙二紙は、傲岸不遜な桃田某が言うように、つぶしてはいけません。

やっと建物に Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

今、個人的に「古事記」や「日本書紀」を読んだり、「読史備要」を参照したりしているのは、「日本人とは何か」に大変興味があり、知りたいからなのです。

今年6月27日の渓流斎ブログ「我々は何処から来たのか?我々は何者か? 我々は何処へ行くのか?」で、書いた通り、最新の科学によりますと、我々日本人の祖先というのは、6万年前にアフリカから大移動を開始した現生人類=ホモ・サピエンスが、3万8000年前から2万6000年前にかけて、南は東南アジアから沖縄(最近、石垣島で2万年前の旧石器時代の人骨が発見されたニュースが話題になったばかり)を通って、西からは大陸中国、朝鮮半島、そして対馬を通って、北からは、シベリアから樺太を通って日本列島にやって来た、ということが分かっています。

ということは、日本人とは、今で言うアフリカ人であり、東南アジア人であり、大陸人であり、半島人であり、シベリア人であるということでしょう。

私の祖先は、九州ですので、遡れば、熊襲だったかもしれませんし、沖縄人だったかもしれませんし、東南アジア人だったかもしれない、と勝手に思っています。残念ながら、亡くなった叔父が調べた尽くした限りでは、江戸時代、ギリギリ秀吉桃山時代までしか遡れないため、それ以上は分かりませんが。

建物も立派 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

(関係者の方はこれ以上先は読まないでください)
社内のコップの中の小さな出来事ですが、一昨日から、つまりは、今年第3四半期から、一発大逆転の不当労働行為に限りなく透明に近いブルーのような気がしないでもないような人事異動がありまして、私は、官僚でもないのに、会社の「○○局」という肩書になりました。

「○○局長」とか「○○局付」なら聞いたことがあるし、確かに存在しますが、単なる「○○局」なんて、聞いたことがありません。果たして、そもそも「○○局」なんて、人間に対して、付ける肩書なんでしょうかねえ? と、あたしゃ、声を大にして言いたい!(笑)

そう言えば、「○○局」と言えば、私には無縁の情報関係(?)の職業にありましたね。えっ?何かって?

最初にお断りしましたが、貴方は関係者じゃありませんよね?

では、お答えしましょう。

美人局です。(何て読むの?どういう意味?なんてカマトトぶらないように…)