光クラブ事件

ライブドア事件を見ていると、1949年に起きた光クラブ事件を連想します。

東大生、山崎晃嗣が法定利息を上回る利息で融資者を募り、高利で運用する新手の商売で巨万の富を得るが、銀行法違反などで逮捕。出資者からの取り付け騒ぎが起こり、元の木阿弥に。結局、山崎は青酸カリを飲んで自殺するー。大雑把に言ってそんな事件でした。

この事件をモデルに多くの作家が小説にしました。三島由紀夫「青の時代」、高木彬光「白昼の死角」、北原武夫「悪の華」、田村泰次郎「大学の門」…。ですから犯罪史に残る事件と言っていいでしょう。

ホリエモンが自殺するとは思えませんが、彼が金の亡者になったのは、彼の人生でそうならざるを得ない体験があったのではないかと想像します。

山崎の場合、こんな体験がありました。軍隊に召集され、終戦直後に上官の命令で食糧を隠匿したが、横領罪で逮捕。上官をかばって一人で刑に服したが、出獄後、上官は山崎に謝罪するどころか、分け前も一切渡さなかった。これがきっかけで、山崎は人間不信に陥る。

今後の彼の人生で、「人間の生は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるがゆえに、私は人間を根本的に信用しない」という想念が支配することになります。

時代の寵児ホリエモンの名言は「金で買えないものはない」でした。コンプレックスの裏返しだったのでしょうか。東大在学中に起業した「オン・ザ・エッヂ」という会社の資本金600万円は、その頃付き合っていて、婚約寸前にまでいっていた恋人の親から調達したと言われています。

それから「時価総額世界一」を目指して、脱法路線を突っ走ります。ホリエモン式錬金術の一つと言われる「株式分割」も決して目新しい手法ではないのに、ここ数年で、何回かの分割を経て、1株が3万株になったなどいう話は素人が聞いても異常でおかしいと感じます。

マスコミも専門家も証券に携わる人も皆、知っていたはずなのに、黙って見過ごしていたとしたら、同罪ではないでしょうか。もちろん、不正を薄々気づきながらライブドアに投資していた人も同じです。ダフ屋の防止におまわりさんもスピーカーで呼びかけているではありませんか。

「売った人も買った人も罰せられます」

それにしても、ライブドアはIT企業といいながら、どんな新しい技術を生み出していたのでしょうか。実態は株転がし屋で、虚業もいいところ。INT企業、つまり、Information No Technology(情報無技術)の会社だったのですね。カエルがお腹をふくらませて破裂してしまう姿が目に浮かびます。今週の「週刊新潮」の見出しは刺激的でした。

「『ホリエモン』は2月に逮捕されて『ムイチモン』になる!」

人の心はお金で買える

証券取引法第158条「風説の流布」で逮捕されるかもしれないライブドア社長堀江貴文君(33)の名言。

「人を動かすのは金。人の心はお金で買える」(2004年8月刊行『稼ぐが勝ち』から)

「人を動かすのは金。人の心はお金で買える」ですって?
もう一度書きます。
「人を動かすのは金。人の心はお金で買える」だそうです。

でも、もう一度、マジで言いますよ。「人を動かすのは金。人の心はお金で買える」
まっさかあー。単なる世間知らずの田舎もんの子供のたわ言です。
それが、私の結論です。

「アメリカン・グラフィティ」

「アメリカン・グラフィティ」を久しぶりに見ました。DVDで980円で売っていたからです。

映画公開は1973年。当時、高校生だった私は、お金がなく、ロードショー映画館で見た記憶がなく、リバイバル上映で見た気がします。池袋の「文芸座」、渋谷の「前進座」、飯田橋の「佳作座」、高田馬場の「パール座」、大塚の…名前忘れました等、当時の東京には貧乏学生向けに沢山の「二番館」がありました。

もちろん、当時は音楽映画として見ました。チャック・ベリーやプラターズなど1950年代のロックンロールが効果的に使われて、単に楽しんだだけでしたが、後にテレビやビデオでも何回も見たのも、毎回、何か発見があったからです。

まずは、「スターウォーズ」で大御所監督となった若きジョージ・ルーカスの出世作だったこと。プロデューサーは、既に「ゴッド・ファーザー」などと有名になっていたフランシス・コッポラにルーカスが頼んだこと。

俳優人も、この作品がきっかけでスターの道を歩んだ者も多かった。後に「ジョーズ」や「未知との遭遇」に主演したリチャード・ドレファイス、「スターウオーズ」や「インディージョーンズ」のハリソン・フォードも俳優を諦めて大工になっていたところを、スタッフに呼ばれて参加して復活しています。

そして今回、一番驚いたことは、主人公のノッポのそばかすだらけの少年スティーブを演じたロン・ハワード。DVDの付録の「製作余話」のインタビューに登場していましたが、30年前の面影が全くなく、すっかり禿げ上がっていましたが、後でプロダクション・ノートを読んで、驚いてしまいました。

監督業に進出し、「アポロ13」「ビューティフル・マインド」などで知られる巨匠ロン・ハワードだったのですね。

映画通にとっては当たり前の話でした。

ライブドア事件

1日で1500億円失う ライブドア時価総額 (共同通信) – goo ニュース

今日は本当に色んなニュースがありましたね。
●阪神大震災から11年
●連続幼女殺害事件の宮崎勤被告の最高裁判決ー死刑
●耐震強度偽装問題のヒューザー小嶋社長、国会証人喚問ー証言拒否

でも、最大のニュースはやはり、「ライブドア本社強制捜査」でしょう。

ホリエモンこと堀江貴文社長が、「風説の流布」と「偽計取引」という証券取引法違反の疑いをかけられている事件です。要するにウソの情報を流して故意に株価をつりあげて、大金をしとめたいうことでしょう。この大金で、ニッポン放送株を取得したとしたら、大スキャンダルでしょうね。

ホリエモンは、自ら広告塔になって、業績を伸ばしてきました。
有名⇒商品取引の上昇⇒株価上昇⇒M&A⇒時価評価額の拡大⇒有名
の定理です。

ただ、ホリエモンの唯一の「想定外」だったのが、有名の定義です。
人気などというものは、移ろいやすい陽炎の鼻息みたいなものです。
今まで、自分をヒーローに持ち上げてくれたマスコミも、手の平を返したように、一斉に魔女狩り裁判を始めました。そんなもんなのです。

ホリエモンのやっていたことも所詮、虚業だったのです。

それにしても、「風説の流布」の法的罰則は、わずが500万円以下の罰金だそうですね。「実に厳しい罰則」という評論家もいましたが、ホリエモンにとっては、庶民感覚から言えば、500万円なんて、50円か5円程度でしょう。

「時間外取引」や「株式100分割」など、これまで「禁じ手」と言われた様々な手法を駆使して、規制緩和の恩恵にどっぷりつかって、時代の寵児にのしあがったホリエモンも、ライブドア・グループの株価急落で、今日わずか1日で1500億円の損失を蒙ったそうです。これを博打と言わずに何と言うのでしょうか。

せめて、これから、ホリエモンだけでなく、三木谷君や村上君らにも司法の手が伸びて欲しいものです。

あ、こんなこと書くと、「風説の流布」に当たるのでしょうか?
残念!このブログは、株価に全く影響しません。残念!

四苦八苦

医療ジャーナリスト松井寿一さんの近著『がんを友に生きる』(元就出版)を面白く読んでいます。

仏教で「四苦八苦」といいます。

「四苦」とは、生老病死。「八苦」とは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のこと。この「苦」とは苦しみのことかと思っていたら、「思い通りにならないこと」を意味するらしいのです。

つまり、まれてきたのも、誰かに頼んで生まれてきたわけではない。いてをえてぬのも同じ。全く思い通りにならない。愛別離苦は、どんなに愛し合っていても必ず別れがくる。怨憎会苦とは、顔も見たくない嫌な人に会わなければならないこと。求不得苦とは、欲しいものが手に入らないこと。五蘊盛苦は、身体の機能が思うように働かず、思うようにならないこと。

まさに世の中は自分の思い通りにならないことを、お釈迦さまは喝破したのです。

松井さんは、無着成恭さんから聞いた話を書いています。この話をしたいがために、今日はこのテーマにしました。

「財布から一万円出そうとして落としました。すぐ拾いますよね。なぜですか。自分のものだからです。傘をぶらぶら振っていて落としました。これも拾います。自分のものだからです。では生命を落としたら拾えますか。拾えないでしょう。生命は自分のものではないからです」

今日、私はあまりいいことがありませんでした。要するに、全く思い通りにならないことばかりが起きました。しかし、この本を読んで、元気をもらい、自分の陳腐な思考回路が馬鹿らしくなりました。これからは、度々、引用させてもらおうかなあと思います。

ウォーキング・メディテイション

ウォーキング・メディテイションというものがあることを今日、初めて知りました。

 

「歩行瞑想」と訳せばいいのかもしれません。瞑想といえば、座禅を組んでじっとして、只管閉じこもって精神を集中するものかと思っていたのですが、歩きながら、戸外の景色を眺めながら、想念を巡らせていいようです。

 

今回、私自身、全く「歩行」の基本を知らなかったことがわかりました。つまり、着地する時、いつも、爪先ほどではないにせよ、足の裏の先端部分で着地していたのです。随分と前屈みとなり、言ってみれば、猫背になっていたのです。全くみっともないのですが、もう半世紀近くもこんな歩き方をしていました。本当にぞっとします。道理で、しょっちゅう、ほんの小さな石や段差で転んだり、バランスを崩していたものでした。

 

本来の歩き方というのは、踵から着地していたのですね。知らなかった!(皆さんは知っていましたか?私は歩き方を習わなかったので、本当に知りませんでした)

 

踵で着地すると、自然と背筋が伸び、5歳は若返った気分になります。

 

「歩き方には人生観が出てしまうのですよ!」とメンター(師)は言いました。「渓流斎さんの場合、性格がとてもせっかちで、いつも時間や締め切りに追われている、というのが露骨に現れています。いつも、いつも、先のことばかりを心配している歩き方です。『今』を素通りにしているのです。『今』しかないのに、起こりもしない将来のことばかり心配しているのです。もし、地に足が着いた生活を自信を持って送っているとしたら、そんな歩き方はしません。まさしく、地面に踵をしっかり着けて、大地を踏みしめています。もし、渓流斎さんが、そういう歩き方をすることができれば、そういう人生を送ることができるのですよ!」

 

私は、歩き方を変えました。一歩一歩、雪道を踵からゆっくり降ろして、踏みしめて歩きました。「ザクッ、ザクッ、ザクッ」。心地よい音が自然の大気にこだましました。『今』を感じながら、しっかりと大地を踏みしめました。

 

ああ、何と幸せな気分なのでしょう。これこそが、ウォーキング・メディテイションだったのですね!

森の哲人、帯広入り

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いつぞや、このブログでもご紹介した「森の哲人」オジジとオババこと徳村彰、杜紀子夫妻が、帯広に来て、帯広の隣町の幕別町札内で講話会を開きました。

講話会といっても、ごくごく少数の人(15人くらい)で、ゼロ歳から50歳代ぐらいの人まで様々でした。

約1時間半、オジジがどうして、北海道上川管内滝上町滝西にある森に移り住んだのか、といった話から、今、森に暮らして感じていることを淡々と話していました。

初めてオジジのことを聞いた人のために、ここで再び彼のことを紹介しますとー。
彼は金沢市出身で、現在78歳。詳しくは分かりませんが、東京大学を出て、物書きの仕事をしていたようです。中国やソ連にも行っていたというので、貿易関係の仕事もしていたようですが、本人は口を閉ざしているので謎です。

彼の生き方を変えたのは1971年のこと。仕事のしすぎで、肝硬変と肺気腫に罹り、当時、名医中の名医と言われていた医者に、「あなたの命は、もってあと2年」と宣告され、「どうせなら、残りの人生好きなことをやろう」と心に決めたそうです。

そこで、横浜の日吉で子供たちのための「文庫」(「図書館」と言えるほど大きくなかったのでそう名づけたらしい)を作ったところ、今で言う登校拒否の子供たちが沢山集まるようになり、もっと広い、環境のいい所を探します。そして、紆余曲折を経て、北海道にその地を見つけますが、「永住」覚悟したのは、1990年のことでした。

約6㌶の国有地を借りて掘っ立て小屋を建てますが、電気もガスも水道もありません。しかも真冬は、マイナス25度にもなる極寒地です。

それでも、「この15年間は本当に幸福だった」と振り返ります。「余命2年」と言われて、30年以上、生き延びています。しかも、「森の精」のおかげで、肝硬変が消える奇跡が起こり、左右裸眼で0・1しかなかった視力も1・2まで回復します。「森のおかげ」とオジジは言います。

6㌶の土地には、ミズナラ、ニワトコ、ホウノキ、ハルニレ、アモダマ、シラカバなど80種類の樹木もあるそうです。ヨーロッパ全体で65種類しかないので、その数字がいかにすごいかお分かりになるでしょう。

オジジはそんな森の自然に一切手を加えることなく共棲しているのです。

春から秋までは、都会の子供たちらを受け入れ、冬は、毎日8時間の雪かきです。北国育ちのオジジは子供の頃、雪かきが大嫌いだったそうですが、健康を害して、余命2年と宣告されたのに、雪かきのおかげで、すっかり体力を回復したそうです。

「幸福とは、日本になかった言葉です。明治になって、Happinessを翻訳したものです。それでは、古来の日本では、幸福のことを何と言っていたのかー。幸(さち)と呼んでいたのです。幸の『さ』境目、境界線のこと。『ち』は霊力のことです。つまり、自分の肉体や精神の内部と外部の境目で不思議な力を感じることなのです。私は、一日の雪かきの仕事が終わって、五右衛門風呂に入ると自分の肉体とお湯が溶けて境目がなくなって、何とも言えない恍惚感を感じるのです。こんな幸せなことはありません。これから私は100歳、いや140歳まで生きて、森の素晴らしさを伝えたい」

オジジの素敵な笑顔を皆さんにもみせたかったです。

なお、オジジについてもっと知りたい方は、彼の著作『森に生きる』『森に学ぶ』(雲母書房)をご参照ください。

壮年の生き方 

弟子「私はこれまで、道に迷った時、大変そうに見える苦難の道ばかり選んできました。決して安易な道を選びませんでした。私も若かったし、その方がやりがいがあったからです。それに、これまでの人生で読んできた書物の影響もあったかもしれません。何の本だったのか、たった一冊の本を挙げることはできませんが、アンドレ・ジイドの『狭き門』であり、夏目漱石や太宰治の一連の小説であったり、です。

しかし、私も老い、壮年を迎え、そろそろ自分に正直に生きようかと思っています。岐路に立たされたら、もう苦難の道を選ぶ気力も体力もありません。決して楽をしようというつもりはないのですが、楽しそうな道を選びたいと思っているのですが…」

メンター(師)「いいえ、もう、楽な道を選んでいいのですよ、マイ・サン。安易な道で何故悪いのですか。あなたは、もう十分苦しんできました。十分過ぎるほど苦しみぬいてきた。それは、あなたが欲した道だったからです。苦しめば何かご利益がある、と誤解していたからではありませんか?

それとも、苦難の道を選んで、何かご利益がありましたか?どちらを選んでも同じだったはずです。人は一瞬、一瞬、その場、その場で選択しています。仕事や職業など重大な判断を下さなければならない時もあれば、『今日の晩ご飯は何にしようか』まで様々です。でも、食事なら、まずいものを食べようと選択していましたか?

人生の選択も同じです。好きなことをやって、好きなことだけをして成功している人は世の中にいっぱいいます。その方が、遥かに輝いています。自分の好きな仕事ですから、楽しくてしょうがありません。嫌な人にも会うことはないのです。
『それはできない』『生計が立てられない』と思っているとしたら、前世によほど酷い目に遭って、不遇のうちで亡くなったからです。毎日、不平不満ばかり言って、過ごしていたら、その人の人生は、『不平不満の人生』で終わってしまうのですよ。もし、その仕事が自分に合っていなかったら、その会社が嫌だったら、何故、飛び出さないのですか?人生はそれほど長くはないのです。その人の人生は不平不満を抱えたまま、終わってしまうのですよ。

もったいない!せっかく、この世に役目を持って皆、生まれてきたはずなのに、無駄に過ごしてしまうのですか?もったいない!太宰治なんか読んでいる暇はないのです。人生など本当に一瞬で終わってしまうのです。ネガティブに考えれば、人生を否定的に考えたまま終わってしまうのですよ。人生を否定的に考えて終わってしまう人は、その人がそう望んだからです。だから、その人は結果的に否定的な人生で終わってしまうのです。

逆に肯定的に捉えれば、人生もスムーズに行きます。『楽しくしたい』と思えば、楽しい人生が自ずから開けてくるのです。人間関係も変わってきます。もう、嫌いな人に出会うことはないのです。次元も違うし、波動が違うからです。これまでの友人関係も変わってきます。

宇宙の愛に目覚めます。生きているというより、『生かされている』という感謝の気持ちになります。そうなれば、ちょっとソリが合わないとか、気に食わないとかいった人間関係の些細な次元が全く馬鹿らしくなるか、気にならなくなるのです。だから、もう嫌な人に遭うことはなくなるのです。

楽な道、安易な道、ワクワクするような楽しそうな道…。大いに結構じゃありませんか。もう、そういう時代になってきました。あなたが変われば、あなたの意識が変われば、周囲の人も変わります。そして、大いなる宇宙の愛は燎原の火の如く、たちどころに広がります。疑心暗鬼も猜疑心も消えます。不安や恐怖も消えます。心は信頼と愛で満たされます。

人は、猜疑心や恐怖心というものが、それが高級なものであると勘違いしているだけなのです。決してそうではありません。何も童心に帰れ、とは説きません。心の意識をほんの少し変えるだけで、自然と信頼と愛に満たされてくるのです。
ですから、これから、どうぞ楽な道を選んでください。安易な道を選んでください。ワクワクするような楽しそうな道を選んでください。

こんなことは、若い人には決して説きません。苦労は、体力と気力がある若い時にしか自ら買って出られないからです。

でも、あなたは、もう50歳です。これまで散々苦労を重ねてきました。皆も認めています。そういうあなたにだから言えます。これから、いい仕事をしてください。楽しんで仕事をしてください。世の中のためになることをしてください。あなたはリーダーシップを発揮する星の下に生まれました。必ずや道は開けます。周囲に影響も与えます。あなたが率先して行動すれば、周囲もついてきます。

世の中は、決して、映画の世界のように、善人と悪人だけが住む世界ではありません。マスコミが伝える世界だけでもありません。どうか、魂のレベルで世の中を浄化してください。それが、あなたのお役目です。」

UFOの話

池田町「スピナーズ・ファーム」

 

UFOを見たことがあると主張する人に会いました。UFO=Unidentified Flyng Object 未確認飛行物体のことです。

 

その人は言いました。

 

「私が高校生の頃ですから、20年前、1986年の夏のことでした。帯広市のグリーンパークで、彼氏と逆立ちをして遊んでいた時、公園の東側の住宅街の屋根の上に。突如、オレンジ色の丸い物体が現れ、すぐ消えました。私は、あ、あれは何だ!と叫びましたが、彼氏は見ておらず、全然信じてもらえませんでした。まさしく、未確認飛行物体でした。翌日の地元紙『十勝毎日新聞』にも『謎の飛行物体、現る』という記事が載り、見たのは私だけではなかった、と安心しました。そして、その2年後の夏、帯広市西15条の十勝川の堤防付近で、車の助手席に座っていたところ、雲の切れ間から、花火のような、オレンジと黄色の光がグルグル回っている母船を5分以上見ました。スピルバーク監督の『未知との遭遇』のようでした。それが2回目です。3回目は、こないだの8日の日曜日、十勝川温泉の白鳥飛来地の十勝川の畔で、オレンジ色で、まるで雲のようなひょろ長い物体が現れ、南の空へ移動して消えました」

 

私は言いました。

 

「嘘でしょう?怖くないから、大丈夫。もうすぐお迎えに来るから待っててね」

 

その人は言いました。

 

「UFOは、意識の高い、波動の高い人しか見ることができないのです」

 

「もう、わかりました」と私。

 

「イエス・キリストは金星から来ました。宇宙人です。肉体は地球で生まれましたが、魂は金星から来ているのです。金星は愛と調和の星で、精神性が高いのです。地球を救済にやってきました。キリスト教信者には金星の生まれが多いのです。人それぞれ、お役目があって、この地球に来たのです。昔の人は元々、スピリチュアルなのです。神話の世界は神様同士が戦っていました。しかし、神話の時代は終わりました。人間が創造主になって、自立する時代になりました。創造力に目覚めて、人が神になる時代になったのです。自分が想像した物が、引き寄せて創造につながるのです。今の時代に日本に生まれてきた人には、お役目があるのです。だから、運命を信頼して、天命を全うすることです。自分の神とつながるために瞑想が必要です。変なものとつながらないためにも、真の自分自身とつながるために、瞑想が必要です」

 

その人は、何かに憑依されたかのように、話し始めたら止まらなくなりました。

 

「はい、はい、もう分かりました。あなたは、病院に入った方がいいと思いますよ」と私。

 

「いえいえ、私は真面目です。今は大変革の時期です。21世紀になって、魚座から水瓶座の時代に入りました。生まれたときの星の位置から、その人が、今生、何のお役目で生まれてきたのか分かります。宇宙全体が1枚の織物のように動いています。それが神の意志です。宇宙の流れに誰も逆らえないのです。だから、過去に縛られないで、今を生きるしかないのです、何一つ、留まるモノはありません。地球の自転は変わっています。1日は24時間ですが、すさまじい勢いで昔より速くなっています。人は気づいていませんが…」

 

「わかりました。そこまでおっしゃるなら、私のブログに書いてしまいますよ。それでも構いませんか?」

「おまかせします」

現代フランス新聞事情

池田町 「スピナーズ・ファーム」

 

「新聞通信調査会報」1月号で、東洋大学名誉教授の広瀬英彦氏が、フランスの新聞界の最新事情を伝えています。

 

どこの国でも若者の活字離れ、新聞離れが広がっており、フランスもその例外ではないようです。

 

●まず朝刊高級紙の「フィガロ」(1826年創刊のフランス最古の新聞)は、1960年代後半が最盛期で50万部あったのが、最近では32万7000部まで落ち込んだ。

 

●夕刊高級紙の「ルモンド」。かつては一面に写真を使わない硬派の紙面作りで知られていたが、2002年から大胆なカラー化と写真の多用、より大きな活字で軟派路線に変更。しかし、2001年に40万部を超えていた部数も昨年は32万4000部にまで下降。

 

●代表的夕刊大衆紙「フランス・ソワール」(1944年創刊)は、1960年代から70年代にかけて100万部を超えていたが、創業者のピエール・ラザレフが72年に亡くなると、部数が下降線をたどり、2000年に11万5000部、2002年には6万7500部、昨年はついに4万5000部にまで激減。

 

ちなみに、昨年の日本の読売新聞は1016万部、朝日新聞が826万部、毎日新聞が393万部となっています。