BSEがまた見つかった

今日、またまた日本で狂牛病が見つかりました。
北海道十勝管内の音更町(おとふけ)という所の酪農家で飼われていた4歳6ヶ月の乳牛でした。ちなみに、音更町は、ポップグループ「ドリームズ・カム・トゥルー」をクビになった西川くんの出身地です。

国内では17頭目なので、あまりニュースにならないかもしれません。地元十勝でも、これで4頭目なので「またか」という感じで醒めています。「農業王国」十勝の人口は36万人ですが、牛の数は50万頭以上と言われています。まさに人間の数より多いわけです。

それで、行政当局はこれからどうするかといえば、狂牛病が見つかった農家を立ち入り検査して、牛に食べさせた飼料などを分析して原因を究明するのです。その間、家畜伝染予防法に基づいて飼養牛の3週間の移動制限を発令し、あやしい牛は擬似患畜として特定し、脳ミソを調べるわけです。つまり、殺してしまうんですね。狂牛病と認定された過去16頭の疫学調査で擬似患畜と指定された牛に狂牛病は見つかっていません。それどころか、何が原因か、まだはっきりしないのです。いつも、いつも「餌に、肉骨粉は含まれていませんでした」と発表するだけで、ムヤムヤになってしまうのです。

「いかがなものか」と思います。

地元でまことしやかに語られているのは、どうやら「ミルフードAスーパー」という飼料があやしい、ということです。これは、哺乳期の子牛の育成用代用乳用配合飼料で、動物性油脂も含まれています。販売元は巨大組織、農業協同組合連合会「ホクレン」です。もちろん私は専門家ではないし、今のところ科学的根拠がないので断定もできません。しかし、それにしても隔靴掻痒。早く、はっきりさせてほしいと思います。

「アビエイター」★★

今評判の映画「アビエイター」を観てきました。
謎の私生活に包まれた大富豪ハワード・ヒューズの半生を描いているので、大いに期待したのですが、残念ながら、及第点はあげられませんね。特にフィニッシュが良くない。「終わり良ければ…」と本当に悔やまれます。監督のマーティン・スコッセシは何を言いたかったんですかね。未見の方には種明かしをしてしまうようなので、この先は読まれなくていいですが、この映画は、狂気に駆られたヒューズ役のレオナルド・ディカプリオが「未来への道、未来への道、未来への道…」と、言語障害に陥って、何十回も繰り返して、幕が閉じられます。何ですか?この終わり方は?観客を何処に連れて行きたいのですかね?

小生、子供の頃、まだ存命中で隠遁生活を送っていたハワード・ヒューズのゴシップ記事を何度か目にしたことがありました。彼の名は極東の中学生にも轟き渡っていたわけですね。
「大富豪で飛行機会社を買収した」
「たくさんのハリウッド女優と浮名を流した」
「何度、手を洗っても、また何度も手を洗ってしまう潔癖神経症に罹った」
「晩年は誰とも会わずに隠遁生活を送り、一切の音を遮断できるようにコルクを敷き詰めた部屋に住んでいた」…記憶を辿るとそんな感じです。映画でもそのようなシーンが出てきました。

「アビエイター」は150億円の製作費をかけたらしいですけど、その大半は飛行機でしょうね。正直、ハワード・ヒューズがあそこまで飛行機気違いだとは知りませんでした。

それでも、製作費を飛行機代に掛けすぎじゃないでしょうか。「神は細部に宿る」といわれ、確かに飛行機は細部まで精巧で素晴らしかったのですが、それ以外はずぼらでした。例えば、ちょくちょく出てきた歌って踊るキャバレー内のステージ。バンドは演奏している「ふり」で、演奏してませんね。三流でもいいから本物のジャズバンドに演奏させればよかったじゃありませんか。

唯一、「アビエイター」でよかったのが、キャバレーのステージで気が狂ったように手を大きく広げながら叫ぶように歌っている太った中年の歌手です。名前も出ないし、キャバレー内が騒がしくて、彼の歌も聞こえません。それでも、一心腐乱に歌う彼の歌う姿は感動ものでした。

もし「アビエイター」をもう一度観たいとしたら、「彼」だけです。

災害教訓

非常に感動したので「孫引き」させて戴きます。

2000年の有珠山噴火の際の報道を地元紙、室蘭民報が、このほど『有珠山・平成噴火とその記録』にまとめた。その中の編集局長のひとこと。
「一緒に被災し、『安全確保と安心報道を』を基本姿勢にした地元の報道機関と、不安と混乱をのぞき見し、センセーショナルに『不幸報道』する大手マスコミでは視点も視線も違った」

1995年の阪神・淡路大震災で、地元・神戸新聞の論説委員。
「被害がどうしたの、危機管理がどうしたのと書くのもいい。が、それでどうした。今、力になれるのはどこに水があるか、食料があるか、命のことだ」

苦悩卒業

その人は言った。

あなたが好きなことをすればいいのです。
何でも義務感でやってはいけません。
好きなことをすることを自分が許せばいいのです。
人間は自分の好きなことをするために生まれてきたはずです。

今、現在を充実させれば、目に見えない、存在しない、過去や未来に対して怖れたり、不安になったりすることはないはずです。

長い間、あなたは十分、苦悩を味わってきました。
苦悩よ、もう卒業しなさい!

有名は無名に勝てない

大正から昭和にかけて活躍した陶芸家、河井寛次郎(1890-1966年)の言葉です。

1921年、第1回創作陶磁展覧会で「陶界の一角に突如彗星が出現した」と絶賛された寛次郎は、次第に自分の作風に疑問を感じて一時、陶芸界から離れたことがありました。その後、1926年に柳宗悦、濱田庄司らとともに「日本民藝美術館」を設立し、無名の庶民が作った陶器に着目し、一気に民芸運動にのめりこんでいくのです。

寛次郎の素晴らしさは、アンドレ・マルローをはじめ、世界の錚錚たる知識人に賞賛されたにもかかわらず、人間国宝や文化勲章など一切の名誉を拒絶したことです。

そんじょそこらの並大抵の人間ではなかなかできるものではありません。

滝乃不動明王

その不動明王は小高い河岸段丘の緩やかな崖の麓にありました。

角川春樹氏が30年以上前に夢のお告げで訪れ、「これから出版だけでは駄目だ。映画界に進出せよ」との啓示を受けた所だそうです。

音更町の人里離れた十勝川の河岸に、とても立派とは思えない草庵ともいうべき粗末な庵の中に小さな不動明王は鎮座していました。その草庵の横に湧き清水が流れ、地元の人がひっきりなしにお水取りにやってきました。

私も浄財箱に幾ばくかの小銭を入れて、手を合わせて、何かの啓示を待ちました。

あるがままに…。
まだ春遠き十勝の広大な原野に葉風の音がそう囁きました。

羊セラピー

今日は、ワインで有名な北海道池田町にある「スピナーズファーム」へ羊さんを見に行きました。ここには、コリデール、ハンプシャー、シェットランドなど親羊30匹、子羊が20匹もいるのです。

オーナーの田中さんに話を聞いたところ、羊の平均寿命は14歳くらい。メスは5歳から8歳にかけて1年に2匹くらい子供を産むそうです。つまり1匹の羊は生涯に10匹くらい子供を産むということでしょうか。すごいのは、絶対に自分の子供以外に自分の乳を与えないことです。他の子供が乳を飲もうと近づくと、角や体で追い払います。ですから、子羊は尻尾を振って、自分の体臭を撒き散らしながら母親の乳を吸います。「あなたの子供ですから、どうぞ蹴らないでくださいね」と言っている感じでした。

ジンギスカンになる食用の羊はサフォークと呼ばれる種類ですが、ここで飼っている羊は、ほとんどが羊毛用の羊です。体全体が黒かったり、顔だけ黒くてボディはクリーム色だったり、角が3つも生えていたり、乳牛のように「ブチ」だったり(ヤコブと呼ばれてます)、本当に1匹として、同じ顔がいません。羊は世界で何と3000種類以上あるそうですから無理もありません。見ているだけでも本当に飽きません。

羊の原産は英国が多いので、暑さには弱いが、寒さに強い。だから、冬場の寒い時にマイナス25度にもなる池田町でも平気なんだそうです。見るからに羊さんはセーターを10枚くら着込んでいる感じですからね。

ここの羊の殆どが羊毛用と最初に書きましたが、そのうち半分近くは内地の病院に「出荷」するそうです。病院?-そう、いわゆるアニマル・セラピーと呼ばれるもので、羊さんを飼う事によって、心が癒される心理療法です。それは確かに効果覿面だと思います。卵を一回り縮小した感じの大きな薄いグリーンの眼。その眼を良く見ると、瞳は丸ではなくて太い横棒なんですね。本来、羊は怖がりなので、あまり人間には近づきませんが、「スピナーズファーム」の羊の何匹かはとても人間に慣れているので、餌を与えなくても、撫でてあげると、犬のように尻尾を振ります。それがとてもかわいい。

六本木ヒルズ辺りでマネーゲームに明け暮れている連中には、この素晴らしさは理解できないだろうなあ。

平原綾香との浅からぬ縁

公開日時: 2005年4月1日

◎平原綾香とは浅からぬ縁あり!

本当に腰が抜けるほど驚いてしまった。その理由は追々明かしますので、このまま読み続けてください。
一昨年12月に「Jupiter」でデビューした平原綾香の歌声は実に衝撃的でした。何回も聴いているので、初めて耳にしたのは、いつだったのか忘れてしまいましたが、「何という才能。これは本物だ!」と思わず声をあげてしまったほどです。ホルストの有名な組曲「惑星」を編曲したものなので曲はすでにスタンダードなのですが、詞がいい。「私たちは誰もひとりじゃない」という箇所にはどんなに励まされたことか。

とにかくすっかり心酔してしまい、それから、まだ20歳という若い歌手の才能と歌唱力に注目してきたのです。そんなある日、彼女はFM放送の番組にゲスト出演していました。13歳からアルトサックスを吹いていたこと、お父さんもお祖父さんもサックス奏者だったことを話していました。

その時です。腰の辺りにビリビリと電流が走ったのは。「もしかして」。慌てて彼女のホームページを検索すると、「父はサックス奏者の平原まこと」と書いてあったのです。
「なんだ、平原さんの娘さんだったのか」と納得したわけです。平原さんはスタジオミュージシャンとして活躍する知る人ぞ知る存在。昨年プロ生活30年を迎えた彼とは、7年ほど前に彼が初のアルバム「月の癒し」出した時にインタビューし、すっかり意気投合し、毎年、年賀状をやり取りする仲だったのです。

昨年、彼からもらった年賀状を改めて読み返すと「綾香です。昨年Jupiterでデビューしました」と書いてあるではありませんか。すっかり忘れていました。「灯台下暗し」とはこのことかと思った次第です。(了)