物欲のない修行僧

ヴェニス

そんなT君の様子を見て、さりげなく、目立たないように、援助の手を差し伸べてくれたのが、添乗員の村山さんでした。

ミラノ、ヴェニス、フィレンツェ、ナポリ、ポンペイ、ローマと廻りましたが、現地ガイドがいる時は、自ら、一番後ろに回って、我々が迷子にならないように見張ってくれたり、我々だけに特別にエレベーターに乗せてくれたり、はたまた、長い距離では、タクシーまで用意してくれたのです。

感謝しても感謝しきれません。

ミラノ・スカラ座

ところで、団体のツアーは本当に格安です。しかし、その裏にはカラクリがあります。

休憩所として、土産物店と提携して、団体客に物を買わせるシステムになっているのです。別に買わなくてもいいのですが、団体客は皆、私も含めて、催眠術にかかったように、何らかのものを、不必要でも買ってしまうのです。

このシステムを考えた人は本当に天才だと思います。

欧州では特に、トイレに行くのにもお金が掛かります。気軽に入っていけないのです。駅でも公衆トイレでも大体、50セント(75円)ぐらい入口で取られます。そういう慣例(ローマ帝国時代の発明だそうです)を逆手にとって、「トイレ休憩」の時間を土産物店訪問(実際、ここでは無料でトイレが借りられます)に当てる旅程を旅行代理店が組んでいるのです。このシステムには、本当に感心してしまいました。

私なんか、騙されて、色々と買ってしまいましたが、T君は、一切、モノを買わなかったのです。T君とは、30年の付き合いです。少しは、想像できたのですが、これほどまで禁欲的になれるとは思いませんでした。

そもそも、今回のイタリア旅行に私が彼を誘ったのは、彼が「もう、僕には夢も希望もないんだよ」とメールで伝えてきたからでした。「それじゃあ、死ぬ前にナポリでも見ようか」と思ったわけです。

しかし、これほどまで、物欲がなくなったとは想像もつきませんでした。修行僧という言い方は大袈裟ではなかったのです。

私は、毎日、水(1ユーロから2ユーロ)を買ったり、食事の際、ビールやワイン(5ユーロから10ユーロ)を注文しましたが、彼は、ほとんど注文しませんでした。もちろん、土産物屋に入っても、何も買わずに出てきました。

 

ミラノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ像

彼がお金を使ったのは、物乞いの人に幾ばくかの小銭を渡したぐらいでした。

それは、こちらがイライラするくらい時間をかけてじっくり彼らと話し込んで、お金を渡していました。

「別に彼らが、物乞いのフリをして、家に帰れば豪邸に住んでいても構わないんだよ」と彼は言いました。

「それより、彼らの目だよ。物乞いで訴える乳飲み子を抱えた若い母親と、僕らと全く同じ目をしているんだよ。それが嘘でも別に構わないんだよ」

T君については、まだまだ書きたいことがあるので、続きはまた明日。