再訪したいナポリ、ポンペイ

ナポリのストライキ

ナポリ湾

フィレンツェからユーロスターに乗って、ナポリhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AAに行きました。500キロ、約3時間30分の列車の旅です。

窓外には、イタリアらしい田園、ブドウ畑、牧舎などが見えました。でも、北海道の景色の方が雄大で素晴らしい、というのが正直な感想です。

カプリ島

夜ナポリに着いて、驚きました。新聞記者と市バスのストライキとかで、道路はカオス状態です。あんな車の渋滞は、東京にもないくらいです。4車線のところを6台くらいの車が、押し合いへし合いしているのです。よく交通事故にならないものかと思いました。人口100万人で、超過密状態は社会問題になっているそうです。

ナポリはピザの発祥地。アラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ピッツァになったそうです。

しかし、スパゲティのナポリタンは、どうやらまるっきり関係ないようです。日本にも留学したこともあるナポリ出身のガイドさんが「何で、ケチャップなんか使うのよ。生トマト使うなら分かるけど。絶対に、ナポリではケチャップは使わない」と断言していました。

青の洞窟

10月6日(金)に、ジェット船でカプリ島に行きました。『青の洞窟』を見るのが主目的でした。晴天で夏のような暑さでしたが、高潮の影響で、結局、青の洞窟は見ることができませんでした。ご覧のように、本当に小さな洞窟で、小さなボーとに乗り換えて、仰向けにならないと入れない狭い所ですが、洞窟の中は案外広いようです。

良心的な旅行会社は、青の洞窟を見ることが出来なかったので、1000円返却してくれました。

カプリ島でも、またケーブルカーのストライキをやっていました。

おかげで、行き場を失った観光客が、そこかしこに溢れていました。

また、カプリ島は、高級リゾートとして知られ、芸能人の別荘もあるそうです。

イタリア人は格好いい

ジェット船でナポリに戻り、バスでポンペイhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4にまで行きました。約1時間。

ポンペイ

紀元79年8月24日午後1時、ヴェスヴィオ火山が噴火して、火山灰の下に埋もれた古代遺跡です。

そのまま、忘れ去られていましたが、1748年に再発見され、250年以上経った今でも発掘作業が続けられている、というからすごいです。

とにかく広大です。当時2万3千人くらい住んでいたそうですからね。

驚くべきことは、日本ではまだ弥生時代で、やじりで動物を追いかけていた頃、パン屋さんがあり、ワイン醸造所があり、円形闘技場あり、大浴場あり、かなりの高度の文明を享受していことです。映画「ベンハー」に出てくるような馬車に乗っていたようで、道路が綺麗に完備されていました。馬車の轍さえ残っているのです。大雨になった時、道路は川になってしまうので、川を渡れるように飛び石が備わっていたりしていました。

ポンペイの壁画で有名なアレクサンダー大王とペルシャのダリウス3世の「イッソスの戦い」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%8E%8Bを見たかったのですが、ナポリの考古学歴史博物館にあるらしく、そこは、ツアーの日程に組み込まれていなかったので、見られませんでした。残念。再訪したくなりました。

北品川の「金時」

この写真のどこかに筆者がいます

昨晩は、後藤先生のお導きで北品川の「金時」という創業70年という老舗居酒屋で痛飲しました。

酩酊してしまい、年のせいか、会合で何を食べたのか、何を話したのか、さっぱり覚えていません。とにかく、ビールと焼酎をガバガバと飲み、気がついたら二日酔いで目が醒めたといった有様です。

参加したのは、テレビ東京建物の浦本さん、辰巳出版の大西さん、東京新聞の大石さん、東商の清水さん、日経BP社の大豆生田さん、共同通信の村上さん、東京スポーツの佐藤さん、電通の大沼さん、東洋経済の福井さん、新聞協会の吉澤さん、週刊新潮の安河内さん、それに私と後藤さんの実に13人も集まりました。

これだけいると、席が離れていてほとんど話をする機会がなかった人ばかりでしたが、何となく阿吽の呼吸で、皆言いたい放題で、私なんか話した内容を全く覚えていないくらいですから。

この店は、後藤さんが、BS-iの番組「吉田類の酒場放浪記」を見て、思い立って決めたそうです。ちょっと、都心から離れ、京浜急行「北品川」駅から歩いても、道がくねくねして分かりにくいのですが、随分、人が集まったものです。誰かが「後藤さんの人徳だね」と話していました。

この店の女将、長谷川いつ子さんがなかなかのやり手で、普通のネクタイを、さっと蝶ネクタイに結び変えてしまう早業を披露して、皆をあっと言わせていました。浅草出身で、北品川には「都落ちしてきました」なんて言ってました。

品川は、言わずと知れた宿場町ですから、昔は大いに繁盛したのでしょう。「金時」の前の狭い道路が、旧東海道だったらしく、どこかに弥次さん喜多さんが出てきそうな雰囲気。この辺りは遊郭で、置屋もあったとか。古い街並みも残っており、昼間に散策するのもいい所かもしれません。

何を食べたか思い出しました。お刺身と枝豆とこの店の名物の「肉豆腐」でした。これは美味でした。締めて5千円。