永遠の都市ローマで迷子になる

コロッセオ

先週も、ローマ地下鉄で列車衝突事故があったり、トルコでバス事故があって、日本人観光客に死傷者が出たりしました。ローマでは、まさしくその地下鉄に乗って来ましたし、旅行もほとんど大渋滞の中のバスだったので、自分もよく無事に帰ってこれたものだと、思っています。

フォロロマーノ

旅行中に何もなかったかといえば、そうでもなく、最大の「事件」は、迷子事件でした。

現地最終日の8日(日)、午前中、4時間ほどの自由時間をもらえました。オプションツアー(6500円)もあったのですが、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会にあるカラヴァッジョの「聖マタイの殉教」をどうしても見たかったので、「自由」を選んだのでした。

コインを投げるスペースもなかったトレヴィの泉

フランチェージ教会を出た後、近くのパンテオンやサンタ・マリア・ソプラノ教会に行き、まだまだ時間があるので、ナヴォナ広場の方に足を伸ばそうと、T君と二人でとぼとぼと石畳を歩いていました。

ティトゥス帝の凱旋門

いつのまにか、狭い路地に入っており、ここがどこか分からず、私は手持ちの地図を一生懸命に眺めていました。

運動速度が極端に反比例しているT君ですから、私より、彼は後方200メートルくらいを歩いていました。

3分ほど、地図を見つめていたと思います。すると、T君の姿がまるっきり見えなくなってしまったのです。

焦りましたね。

スペイン広場は人だかり

私は元来た道を戻り、戸口で大道芸人のような化粧をして現代舞踊のようなものをしていた若い奇妙な女性がいたので「日本人は見なかったか」と聞いてみました。

彼女の答えは「あっちへ行け」でした。

物乞いの話を熱心に聞くT君

焦ってしまいました。

狭い同じ路地を何往復したか覚えていません。

そのうち、私自身も疲れ、トイレに行きたくなってしまいました。

テーブルクロスに「鮮」とか「美」とか、意味を度外視して単なるアートデザインにしているバル(Bar=日本の喫茶店とフランスのカフェとイギリスのパプを合わせたような店)があったので、そこに入ることにしました。

パンテオンの前にいたローマ兵

昨日は、スペイン広場の近くで、「グッチ」やら「プラダ」やらの高級ブランド店通りにある「グレコ」というカフェに入りました。

1760年創業とかで、カサノヴァや詩人のキーツやシェリーが通った店としても知られています。

(そういえば、ローマの「三越」は1630年創業とプレートが掲げられていました。江戸時代の「越後屋呉服店」の創業でしょうが、数千年の歴史のあるローマでは新しく感じました)

そこのカプチーノが7ユーロ(1050円)、エスプレッソが6ユーロ(900円)でした。私はエスプレッソを頼んだのですが、量がほんの数滴で、一息で飲んでしまいました。

カラヴァッジョ「聖マタイの殉教」

ですから、ここのバルの珈琲も、5ユーロ(750円)くらいするかなあ、と思ったところ、店の若いお嬢さんは「ナインティ」というではありませんか。一瞬、90ユーロ(13、500円)では高すぎるので、19ユーロ(2850円)かなあ、と思いました。

それでも高い。聞き返すと、彼女は「90」と言った後「セント」と続けたのです。

 

アンティコ・カフェ・グレコ

わずか90セント、135円だったのです!

要するに赤坂プリンスホテルと、「プロント」「ヴェローチェ」の違いです。

地元のローマっ子は、こういうバルに行くのでしょうね。

何かが起きたわけではなく、単なる観光客の群集

そういえば、いわゆる観光スポットを避けて、裏道に行けば、人通りもそれほど多くはなく、手ごろな店に出会うことができることがわかりました。ツアーで連れて行かれたショップで、チーズやパスタを買ってしまったのですが、ローマの庶民が買うスーパーでは、我々が買った値段の十分の一くらいで売っていました。

それを最終日になって知ったのが本当に悔しいです。

あと1ヶ月、いや、少なくとも一週間はローマに滞在したかったです。

トレヴィの泉

それで、T君はどうなったのか、という話です。

普通の人なら、別に放っておいても構いません。イタリアでは、人が横断歩道を歩いていても速度を緩めずに車に突っ込んでこられる経験を私は何度もしました。T君は、まさか、交通事故に遭うのではないか、と心配でしょうがなくなりました。

しかし、午後1時のテルミナ駅での集合時間が刻々と近づいてきました。

イタリアでは、タクシーは日本のように道路を流していないので、簡単につかまりません。どこか観光スポットに行かなければなりません。

そのうち、自分自身が迷子になっているのに気がつきました。

二重に焦ってしまいました。

パンテオン

他の団体客に迷惑をかけるわけには行きません。緊急時ために添乗員の村山さんが、携帯の電話番号を皆に配っていたので、彼も持っているはずです。大の大人ですから、どうにかなるでしょう。

それより、自分が迷子になってしまい、大丈夫だろうか?

結果を申しますと、私は、スペイン広場から地下鉄に乗って、テルミナ駅まで、集合時間通りに何とか着くことができました。

T君は何と、バスに乗って帰ってきたのです。彼はヨーロッパは初めてです。1ヶ月前にイタリア語を勉強し始めて、何とか簡単な言葉を話せるようになりましたが、相手から返ってくる言葉を完璧に理解するまでに至っていませんでした。

よく、バスに乗って帰って来れたなあ。

不思議に思いましたが、素直に安堵しました。

でも、これには後日談があるのです。我々が帰国した後です。

彼は「不法滞在でもいいから、どこかに行きたかった」と告白したのです。

なあんだ。あれほど探したのに、どうしても見つけることができなかった。

ということは、彼の方から雲隠れしていたのです。