ローマ
2月23日に46歳の若さで急逝した哲学者の池田晶子さんは、どうやら他力本願の人だったようですね。
携帯電話を持たず、インターネットもメールもしない。テレビは、見るとしたら、ニュースと天気予報程度。ひたすら、自己の人生を思索の時間に当てていたようです。
その結果、会得した最期で最大の人生訓は、
「生きるも死ぬも、全て他力によるものである」
という他力本願思想。
確かに、人間、生まれてきたのも偶然。死ぬのも偶然。結婚するのも偶然。(人は、赤い糸で結ばれた運命と言いまするが。)子供が生まれるのも偶然。あー、その繰り返し。
「人生は、自分の人生だと思うから不自由なのである」
うーん、確かにそうですね。人生は、仏教で言う「求不得苦」です。何一つ、自分の思い通りになることはありません。何1つ。
「人生というものを、生まれてから死ぬまでの一定の期間と限定して、しかも、それを自分の権利だと主張することが、現代人の人生観である」
「これはあまりにも貧しい」
ということで、彼女は、他力こそ本願、と主張するのです。
確かに「自分の人生だから不自由だ」という言葉は、キラリと光り、勇気付けられます。
だが、その一方では…
努力もやめて、すべて天に任せて、気楽に生きる。どうせ、自分の人生など思い通りにいかないのだから、あがくだけで、無駄。さのよいよい。
「他力本願」にそういう臭いも感じます。