「フリーペーパーの衝撃」

公開日;2008年2月24日

 朝日新聞の稲垣太郎氏の書いた「フリーペーパーの衝撃」(集英社新書)には、本当に驚かされました。腰を抜かされたと言っていいのかもしれません。大変な時代になってきているんですね。

 

 フリーペーパーとは、ただで配られるか、首都圏では駅の構内に設置されたラックに無造作に置かれている新聞や雑誌のことです。「ただほど高いものはない」と昔から言われてきましたが、フリーペーパーと言っても今では馬鹿にできなくなりました。有料誌より高価な紙に印刷されたり、有名な俳優やタレントもどしどし出てくるし(恐らく高額のインタビュー料をもらっているのかもしれません)、一流の作家も執筆したりしているのですから。

 

 今や、全国で千二百紙誌も発行され、年間で約三億部も出ているというのです。

 

フリーペーパーの収入は広告のみに依存しているため、広告主の「御意見」に左右され、言論機関としての公平性や客観性がないとも言われています。テレビの民放と同じです。車がスポンサーのドラマに、絶対に交通事故のシーンは出てきません。もし、あったら脚本の段階で書き直しを命じられます。

 

それと同じです。

 

フリーペーパーがジャーナリズムかどうかについては、意見の分かれる所でしょう。

しかし、有料紙誌が絶対的にスポンサーに左右されない純粋なジャーナリズムかといえば、そうでもないのです!

 

 海外では多くの先進国で「新聞は無料で読むもの」という常識が定着しているらしく、日刊無料紙が五十二カ国、総発行部数四千二百万部もあるというのです。

 その代表的名な無料紙に1995年にストックホルムで創刊された「メトロ」があります。その「メトロ」を創案したスウェーデン人ジャーナリストのアンデション氏は「有料紙も無料紙も同じものを売っています。記者は読者が読むための記事を提供し、その引き換えに読者から読むために費やす時間をもらう。その読者から得た時間を広告主に売っているに過ぎないのです」という自論を展開しています。

 今や若者は、ネットでただでニュースを読んでいます。記者が靴の底を減らして足で稼いでせっせと記事にしているのに、居ながらにして、高みの見物をするのが当たり前の時代になってきたのです。

 ネットでできるのですから、当然、紙媒体でもできるはずです。それが、フリーペーパーなのです。

 そのうち、有料紙誌というものは、どんどん衰退していくことでしょう。

 「え?昔の人は、お金を出して新聞を読んでいたの?」と驚かれる時代がくるのかもしれません。