甘粕は偉かった…

 

 

 

今日もまた二日酔いです。健康診断でまたひっかかってしまいました。でも、飲んでしまう男の性(さが)。

昨晩は、高校時代からの友人と中目黒で痛飲してしまいました。中目黒の駅は初めて降りました。何と言う事もない街ですが、裏道に入ると風情のある渋いお店も沢山ありました。外人さんやミュージッシャンもウロウロしていて、ちょっと色の付いた街でした。

サラリーマンの友人は、7月に異動になるらしいのですが、今度上司になる人が年下の女性ということで、「やりにくいなあ」とボヤいておりました。まあ、辞めるわけにはいかず、男はつらいよですね。

昨日でやっと佐野眞一著「甘粕正彦」を読み終わりました。映画やDVDにうつつをぬかしていたので、時間がかかってしまいました。正直、楽しみながら読んだので、読み終わりたくなかった面もありました。

最後に1つだけ引用したいと思います。甘粕の陸軍士官学校時代の同期に澄田○四郎という人がいます。(○は、貝偏に旁は來)大蔵省から日銀総裁になった澄田智の父親です。敗戦を迎えた頃は、北支派遣軍第一軍司令部の司令官(中将)でした。この澄田という男は、敗戦になっても武装解除命令を出さず、国民党軍と密約して、2600人もの兵士をそれから3年半も中国戦線で共産党軍と戦わせて、おびただしい戦死者を出したというのです。

この男は、部下を戦場に置き去りにして、一人のうのうと日本に帰国して、昭和54年に89歳の大往生を遂げました。先頃評判になった映画「蟻の兵隊」では、間もなく90歳になる元部下たちが、かつての上官のこの「売軍行為」に対して、澄田が死してなおも告発し続けている姿を追っています。

著者は、結局、甘粕は、大杉榮らを殺害しておらず、陸軍のために犠牲になって罪をかぶった、というスタンスをとっていますが、こう書きます。甘粕は敗戦時、国策映画会社「満映」の理事長でした。

「最後の職場となった満映の全職員に退職金を渡した上、貨車の手当までして満洲を脱出させ、自らは服毒自殺した元憲兵大尉の甘粕と、部下を戦場に残し、自分は勲一等旭日大綬章の栄誉を受けた陸軍中将の澄田のどちらが本当に立派な日本人だったのか。」

今でも澄田のような卑劣な男は世の中に沢山います。未来永劫、こういう極悪な人間はいることでしょう。

しかし、甘粕のような潔癖で義理堅い男は、もう現れないかもしれません。