我輩の辞書…

 

 

 

ナポレオンの言葉に、「 我輩の辞書に不可能という文字はない」という名文句があります。どなたでもご存知でしょう。

 

でも、英語で何と言うかご存知ですか?

 

The word  “impossible” was not in Napoleon’s (                    ).

 

といいます。さて、括弧の中に何が入るでしょうか。

辞書だから、dictionary ? ・・・実は、私もそう思いました。

 

でも、答えは、 vocabulary  なんですね。

 

「歴史的事実」なので、was より is の方が良さそうだと私自身思ったのですが、とにかく、

The word  “impossible” was not in Napoleon’s vocabulary.

というそうです。

でも、ナポレオンはフランス人。原文のフランス語では何というのですかね?

調べたら

 

Impossible n’est pas francais.

 

と言いました。直訳すると、

 

不可能はフランス的はない。

 

たったそれだけでした。随分、簡単なんですね。

 

ナポレオンが部下を叱咤激励した際、「フランス人ならできないことはない」という意味で使ったそうです。

 

フランスの諺に

Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.

というものがあります。

明晰ではないものは、フランス語ではない。

という意味です。

 

英語は、発音にしても意味解釈にしても結構、曖昧なところがあります。が、フランス語は文法が少し厄介ですが、確かに明晰で、曖昧なところが少ない。「L」と「R 」の発音も全く違うので簡単に区別できます。

 

日本人にとって、英語よりフランス語の方が学習しやすく、身に着きやすいと私は思っています。

天保水滸伝

 

 

 

私事ながら、年に1回、眼の定期健診を受けなければなりません。「眼底検査」といって、実質、5分くらいでしょうが、それが50分か5時間くらい感じられる長さで、まさに拷問に近いものです。瞳孔を開く薬を付けられ、眼球にレンズを入れられて、100ワットぐらいの光を眼に当てられるのですから。検査が終わってもしばらく眼が見えません。回復するのに5,6時間は掛かりますので、その日は一日、使い物になりません。眼の有り難さをしみじみと感じます。

私が行く眼科医は、名医と評判の美人の女医さんなので、「お客さん」の数が半端じゃありません。受付は朝の9時からですが、1時間前から何人も並んでいます。9時を過ぎて行きようものなら、午前に受付ても、検診が午後3時とか、5時になってしまうのです。以前、私も6時間くらい待たされたことがありますが、今では事前に「午後4時になるので、また来てください」と受付の人が言ってくれます。

あ、今日はこんな話ではありませんでした。眼科に行くと、その日は眼が使えないので、ちょうど、図書館で借りてきた二代目玉川勝太郎の浪曲「天保水滸伝・笹川の花会」を聞くことにしました。駅に近い公園のベンチで平日の昼間に聞いていると、何か、オツなものです。

「天保水滸伝」は、調布先生が「是非とも聞きなさい」と奨めてくれたものでしたね。

ベンベンベン~ 利根の川風 袂に入れて  月に棹さす 高瀬舟~

なあ~んだ。聞いたことがある。一番、有名な浪曲だったんですね。

話は、天保の時代に、下総の笹川で渡世の稼業をしている繁蔵という男が、天保の飢饉で苦しむ世間の人に恩返しがしたいと思い「花会」を開こうとする。社会に還元できたら、もう1つ、角力道の祖と言われる野見宿祢(のみのすくね)の碑を諏訪神社の境内に建てるつもりです。花会は、「はながい」と発音していました。花札賭博のことでしょう。碑は「ひ」ではなく「し」とはっきり発音していました。江戸っ子ですねえ。

全国の親分衆に声を掛けるのですが、繁蔵と対立する飯岡の助五郎にも「形だけでも」ということで、繁蔵の子分の小南の正助が挨拶に行きます。生憎、助五郎親分は留守で、事情を詳しく知らない子分の荒町の寛太という若い者が土産物を受け取ってしまったので、帰ってきた助五郎がカンカンになって怒ります。

結局、助五郎は仮病を使って欠席し、助五郎の一の子分、洲の崎の政吉という男が代理で、花会に出席します。すると、そこには、仙台、肴町間宮の忠吉、伊達の信夫の常吉、信州、相の川の政五郎…と全国の錚々たる親分が列席しているではありませんか。6番目に紹介された病み上がりに無精髭を生やした男は、急に政吉に食ってかかる。「手前の親分がどんなに体が悪いか知らねえが、義理も礼儀も知らねえ野郎だあ!」

その男こそ、泣く子も黙るあの国定忠治だったのです…。

まあ、そんな話です。全部を聞かなければ分かりませんが、昔の人が涙を流しながら何度も聞いたんでしょうね。いつも同じ箇所で「いよ~忠治親分!」だの、客席から声がかかったんでしょうね。何か、古いDNAが騒ぐようです。

浪曲のおかげで、大正時代にラヂオ受信機が庶民の間に普及したという話を聞いたことがあります。

むべなるかな。

銀座の恋の物語

「デスペラートな妻たち」に強力なライバルが現れて、借りようとしたレンタルDVDが既に借りられてしまいました。目下、第2シーリーズの第4巻までいきました。スーザン、ブリー、リネット、ガブリエル、イーディーそしてマイク、ジョージ、ポールとみんな夢にまで出てきそうな強烈なキャラクターで、早く彼らから逃れたいと思っています。

 

仕方がないので、他のDVDを物色して「銀座の恋の物語」と「気狂いピエロ」を借りました。

 

「銀座のー」はもちろん、石原裕次郎と浅丘ルリ子主演の映画で1962年の作品です。記憶喪失になる荒唐無稽なストーリーには興味がなかったのですが、46年前の銀座がどんな風景だったのか興味があったのです。

 

驚きました。全く変わり果てて、面影すら残っていないのですよね。唯一、残っていたのは、この映画で最初と最後に出てくる銀座4丁目の和光の時計台だけです。向かいの三愛ビルは「建設中」でした。もちろん、道路には路面電車がまだ走っています。かすかに日劇と数寄屋橋が出てきます。そうか…。東京が変わり果てたのは、この後だったんですね。1964年の東京五輪に向けて、首都高速が作られ、川はほとんど埋め立てられんですね。

どういうわけか、銀座の松屋デパートが何度も出てくるのですが、恐らく、映画とタイアップしたからでしょう。もちろん、今の「MATSUYA」とは全く似ても似つかない百貨店です。

画家役の裕次郎とミュージシャン役のジェリー・藤尾が下宿している屋根裏部屋みたいな銀座のビルはどこら辺にあったのか、見当もつきませんね。そうそう、日比谷公園の噴水が出てきました。昔は夜はネオンでライトアップされていたんですね。

裕次郎も浅丘ルリ子も20歳代でしょうか。若いですね。二人とも歯並びがガタガタのところが新鮮でいいです。今の芸能人は、老いも若きも気味が悪いほど、白く矯正していますからね。

江利チエミも出演していて、時代の最先端のファッション・シーンが出てきますが、今では全く、通用しないファッションなので、ファッションというのは本当に一過性なんだななあと思ってしまいました。

 

「気狂いピエロ」はヌーベル・バーグの旗手ジャン・リュック・ゴダールの代表作(1965年)です。主演はジャン・ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナ。

よく分からない映画でしたね。台詞が観念的すぎて、ちょっとついていけませんでした。昔はこれが「高尚」だと思われていたんでしょうね。でも、こういう作風ならやはり、ヌーベル・バーグは廃れるはずです。難解さと高尚さと紙一重かもしれませんし、この映画は誰でも知っている歴史的な名作かもしれませんが、私的には、ちょっと趣味が合いませんでした。途中で飛ばしてしまいました。

駅前食堂

小学校何年生か忘れてしまいましたが、国語の教科書に、今でも忘れられないエッセイが載っていました。

「今でも忘れられない」と書いておきながら、その作品のタイトルも作者の名前さえ忘れてしまっているのですが(笑)

話は単純です。

作者が、ある地方都市に旅かなんかに出て、ふっと駅近くの食堂に入り、メニューをながめながら、何を食べようか思案してしまいます。

「カツ丼にしようかなあ、親子丼にしようかなあ」

作者は注文に来た女の子に聞くとはなしに聞きます。

その少女は、純朴そのものの女の子で、赤い頬に飛びっきりの笑顔を浮かべて、

「カツ丼も親子丼も、どちらも美味しいですよ」と言うのです。

作者は、その清々しい明るい対応に、その日は一日中気分がよかった。という何ということはない。別にオチもない、何でもない話なのですが、私はこの話が妙に心に印象として残り、何十年経っても忘れられないのです。作者が、結局、何を食べたことまでは覚えていません。とにかく、注文を取りにきたお嬢さんが、満面に笑みを浮かべながら「どっちも美味しいですよ」と言ったことだけが、何か、一期一会の奇跡のようで、情景さえ浮かんできてしまうのです。

何で、こんなことを書いたのかと言いますと、つい先日、温泉近い駅で昼食をしようと入ったお店で、同じような体験をしたからです。

私は、ラーメンにしようか、蕎麦にしようか迷ってしまいました。

すると、お店の女性が「中華もお蕎麦もどちらも美味しいですよ」と言うではありませんか!

何か、デジャビュのような体験でした。

恐らく、私と同世代でしょうが、教科書で、このようなエッセイを覚えている方は、作者名と作品を教えてください。その他何でもコメントしてくださいね。

電子辞書を買いました

またまた、電子辞書を買ってしまいました。

買うまでに、随分悩みました。何と、4万1千円もするのです。

私はどうも優柔不断で、石橋を叩いても渡らない性格です。

しかも、1台、既に電子辞書は持っていたのです。

なぜ購入したかと言いますと、フランス語の電子辞書が欲しかったからです。前の1台は、英語専門で、その他の言語は入っていません。価格は忘れてしまいましたが、5,6年前に3万円ぐらいだったと思います。

今回も同じメーカーの機種で、大きさは前回より一回り大きくて分厚く、ブリタニカの百科事典まで入っています。フランス語だけではなく、英語も入っています。

価格は高めでしたが、何と、まるで小さなパソコンみたいな機能があり、他に気に入った辞書だけを別に購入してインストールできるのです。

もう一つ、重宝だったのが、「暗記カード」といって、自分で手書きで、単語帳を作ることができることです。これには驚きました。チェックして、記憶できた単語は削除できるようにもなっています。

こんな機械が昔あったら、私はとっくに語学の天才になっていたでしょうね(笑)。

しかしながら、この年齢で、いまだに、語学の勉強をし続けているというところが偉いと自分自身では思っています。

湯治

公開日時: 2008年5月27日 @ 07:26

湯治のため、磯部温泉の旭館に泊まっています。
ネットで検索したら、結構近場で、一人でも泊まれるというところが気に入りました。

何やら、ここは日本で初めて温泉マークを作った由緒ある所らしいのです。それに、ここ磯部は私の好きな詩人・大手拓次の故郷です。

何?大手拓次を知らない?

かつての文学青年が記憶を手掛かりに開陳させて頂ければ、大手拓次は、萩原朔太郎、室生犀星と並ぶ北原白秋の三大高弟の一人です。確か、早稲田の文学部を出て、ライオン歯磨きの宣伝部でサラリーマン生活を送りながら詩作に励み、同僚の中には彼が詩人だったことを知らなかった人もいたとか。そんなエピソードが頭に残っています。象徴派のような結構、難解な詩を書きます。47歳くらいで独身のまま亡くなっています。あ、記憶違いかもしれませんが。

さて、ここ旭館の若女将は愛嬌があって別嬪さんです。露天風呂もあり、外国人を連れてくれば、「隠れ秘境」として、喜ばれるのではないかと思いました。

夜、マッサージをお願いすると、短時間で凝りを打ち払ってくれました。普通とは違うので、施術師の高橋さんという50歳代くらいの女性に伺うと、何やら静岡県の牧之原市に本部がある「気導術」とかいう流派らしいのです。

宗教団体ではないのですが、勧誘すると、特典が付くらしく、高橋さんは盛んに私にも入会するように奨めてくれましたが、初期投資として3日間で何と47万円も掛かるというのです。
なぁーんだ、マルチじゃないかなあ、と思いましたが、口には出しませんでした。

ただ、不思議なことに腰の痛みは引きました。

一体何なのでしょうね?どなたか、気導術についてご存知の方はコメント頂けないでしょうか?

お待ちしています。

と、書いても、なかなかコメント頂けないんですよねえ。

でも、今回は期待しております!

「日本の10大新宗教」

2008年5月26日

島田裕巳著「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書)を読んでいます。

 

著者は、例のオウム事件でミソを付けて大学教授の職を失い、その後、紆余曲折があったようですが、最近、元の宗教学者として再び活躍されているようです。

 

まだ、途中なのですが、さすがにオウムは扱っていないようですね。天理教、大本教、生長の家、創価学会など、多くの資料・史料に当たって、わりと、公正中立に書かれていると思います。

 

著者は「はじめに」でこう言います。

「明治に入って、宗教という概念が欧米から導入され、神道と仏教とが二つの宗教に分離されたにもかかわらず、 日本人は、片方の宗教を選択できなかったため、自分たちを無宗教と考えるようになった。」

 

「そうだったなのかあー!」と思ってしまいました。そうでなければ、今の日本で、何千万人といる新宗教の信者を説明できませんからね。

もともと、日本人は、神仏習合で、神社にも仏閣にも区別なくお参りし、路傍のお地蔵さんにまで、手を合わせて「挨拶」する慈悲深い民族でした。それが、明治維新の革命政権が、「もう、おまえたちは、国家神道だけを信じろ」と言って、「廃仏毀釈」を断行しました。その一方で、庶民らは相変わらずお葬式だけは、仏式で挙行してきたわけで、感情的にどっちつかずになってしまったのは、致し方ないことかもしれません。

ただ、「無宗教」と考えながら、やはり、ご先祖さまの血から、神社に初詣に行ったり、葬式に参加したりするということは、現代人が思っているほど、日本人は無宗教ではないのかもしれません。

新宗教といえば、いつも、功罪の「罪」の方ばかり強調されてきましたが、ある程度の「功」がなければ、信者を獲得してこなかったでしょう。

 

私自身は、もう今さら特定の宗教団体に入るつもりはないのですが、安心立命を願う人々の気持ちはよく分かります。

でも、この本を読んで、失礼ながら、随分いい加減ないかがわしい宗教があるものだと分かりました。「鰯の頭も信心から」という諺があるくらいですから、他人がどうこう言う話ではないのですが、カラクリが分かってしまえば、団体に入会して「無我の境地」に達することは難しいということです。

三州屋、高僧、天保水滸伝、ジェイミー、銀座で遊ぶ

 

昨日は、調布先生と銀座で遊びました。

まず、銀座2丁目にある大衆居酒屋「三州屋」。夕方5時過ぎだというのに、超満員で、一階は満席。「二階に上がれ」(「上がってくださいい」ではない!)というので、二階に上がったところ、昔は綺麗だったかもしれない顎がしゃくれた60歳くらいのおばさんが、「聞いてない」と、「何で、上がってきたのか」と言わんばかりの露骨な言い方をするではありませんか。

 

この店は、ガイドブックに載り、銀座にしてはリーズナブルな値段のせいか(そうは思いませんけどねえ)、繁盛しっぱなし。そのせいか、随分、傲慢で図に乗ってしまったようです。

 

件のおばさんは、下足棚への靴の置き方が悪いだの、そっちは予約だから座るな、だの、サービス業を忘れて、命令調で指図するのです。注文の聞き方でさえ「何、すんの」と丁寧な言葉使いさえできない。ついに、調布先生もキレてしまい、「そんな嫌だったら、下へ行こうか。接客業なのに、そんな言い方は駄目だよ」と諭す始末。普段、冷静な調布先生なのですが、ものすごい剣幕でした。

 

私もはっきり言ってやりました。「ちょっと、有名な店だからと言って、図に乗ってんじゃねえか」

 

相手はやっと、反省した様子だったので、落ち着くことにしました。

 

さすがに調布先生の話は面白かったですよ。最近、ご購入あそばれた禅師・川島昭隠の書の話になり、京都五山の高僧・名僧のことを教授して頂きました。何しろ、ネット情報はいい加減なので、こういうことは書かれていませんからね。

 

調布先生は、「日乗さん(私のことをこう呼びます。でも、日乗というのは、日記という意味で、名前じゃないんですけどねえ)、ブログになんか書いちゃ駄目ですよ」と言うのですが、正しい知識を広めるために、仕方なく書くことに致します。

 

【京都五山】

別格 南禅寺  豊田毒湛

一位 天龍寺  池上湘山

二位 相国寺  橋本独山

三位 建仁寺  竹田黙雷

四位 東福寺  別所九峰

五位 寿福寺

妙心寺  川島昭隠

大徳寺

 

ご覧の禅師は、明治から昭和にかけて活躍された高僧で、時の政界、実業界、スポーツ界の有名人までもが師事したらしいです。だから、知る人ぞ知る存在で、彼らの揮毫した書はかなり価値があるそうです。

 

この他、西田幾多郎の弟子で、京大の哲学宗教学の権威だった久松真一という人http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1041.html も教えていただきました。

 

また、静岡県の龍沢寺の住職・山本玄峰老師http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1041.htmlは、終戦宰相の鈴木貫太郎首相がポツダム宣言受諾をするかどうかの岐路に立たされた時、相談役としてかなり影響を与えたそうです。あの田中清弦が師事したらしいですから、相当な方です。

 

そして、どういうわけか、「日乗さん、玉川勝太郎か福太郎の『天保水滸伝』を聞かなきゃ駄目ですよ」というではありませんか。「平手造酒は男でござる」のあれですね。

 

「『天保水滸伝』はいいですよ。特に『笹川の花会』を聞いてください。サラリーマンの処世術のすべてがあります」とのことです。早速、聞いてみようかと思っています。

 

この後、雨の中、銀座6丁目のライブハウス「タクト」へ。エルビス・プレスリーのそっくりさんジェイミー・アーロン・ケリーのコンサートを聴きにいきました。100人近く来ていたでしょうか。往年のプレスリー・ファンが大半で、私には60歳代に見えたのですが、調布先生は「いやいや、50歳代。案外若いですよ。56歳くらいでしょう」と譲りませんでした。私なんか、その人は70歳くらいに見えたんですがね…。本人に年齢を聞くわけにいかず、勝負はつきませんでした(笑)。

 

ジェイミーは、プレスリーよりハンサムで、歌もうまかったです。バックバンドは日本人で、これがずば抜けてうまい。ギターもベースもキーボードもドラムも、非常に技術が高かったです。歌はあまり聴かず、演奏ばかり聴いていました。久しぶりに堪能しました。

 

随分個人的なご報告

 

 

 

昨日は思わず、自分の健康問題を書いてしまいまたが、今日は大分、いいです。

 

あれから、大衆浴場「孝楽」に行って、大きなお風呂にゆっくり身体を浸かって、おまけに、その後にマッサージを受けてきました。

 

 

 

「お客さん、随分、凝っていますねえ…」と言われながら、揉みほぐしてもらいました。

 

 

 

おかげさんで、身体が軽くなりました。もう歩けるどころか、走れそうです。

 

 

ご心配をお掛け致しました。(あ、誰も心配していないかあ…)

 

 

 

今朝、新聞を読んでいたら、ブログを読んで、その内容に感心して、ヴェンチャー企業投資家から投資を受けた人の話がありました。ネット保険を立ち上げた岩瀬大輔さんhttp://totodaisuke.weblogs.jp/blog/2008/05/6-b31b.htmlという人です。

 

 

 

世の中広いですね。

 

 

 

こんな情けないブログなので、私のブログを読んで、投資してくれる人はいないでしょうが、同情してくれる人はいるかもしれませんね(笑)。

やっぱり、身体にガタがきているので、オーバーホールのため、来週は、湯治に行ってきます。パソコンは一切やらないつもりです。これこそ、極楽、極楽…

健康宣言


もう若くはない、とは自覚はしていますが、昨日は、腰痛というか、左のお尻の辺りに激痛が走り、歩きずらく、ビッコを引いて歩くのがやっとでした。
信号が変わっても、とても走れませんでした。
どうしちゃったんですかねえ?
若くはない、とは言いながらも、まだ、老け込む歳でもないので、身体にガタがくるのは、まだちょっと早過ぎるのではないかと思ったのです。

ズバリ、生活習慣病だと思います。

私は普段、ほとんど運動はしません。ゴルフもテニスもしないのです。
それどころか、毎日、パソコンの前で、一時の休みなく眼を酷使しています。
おかげさまで、疲労が眼から首、肩、腰と伝わり、、ついに歩行困難の状況にまで陥ってしまったわけです。
人類ホモサピエンスは、何万年、何百万年に渡って、狩猟、漁労、そして農耕を基本に生活を送ってきましたが、産業革命、IT革命を経て、ついに、狩猟も漁労も農耕もしないでひたすらディスプレイの前で御託を並べて生活する人類を出現させたことになります。
同時に歩行さえ困難せしむるほどの人類を今回、凾養、育成せしめたわけなのです。

これは、これまでの人類が体験したこともない、未曾有の出来事です。

私は単なるモルモットではないかと、自分自身を感じています。