亜沙久佐
人間、見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない。そんな思いがあるから、偶然にも、見たいものや聞きたいものに当たる。しかし、それは決して偶然の産物ではない。ただ単に自分が必然的に選択したのだから。ーヘルマン・ヤルシン
今、日本経済新聞の最終面の「私の履歴書」で、牛丼の吉野家グループの安部修仁会長さんが書いているか、担当記者が聞き書きで書いております。
会長さんは、一時期「高卒の社長」ということで大変有名になったことがありますが、その高校時代は、ラグビーに明け暮れ、先輩らの理不尽で不条理な拷問に近いシゴキや命令に耐え抜いてきたそうです。
例えば、何本もダッシュさせられてその場に倒れ込むと、先輩からヤカンの水をかけられ、立ち上がれ、と命令されます。立ち上がると歩け、と言われ、歩くと、「歩けるなら走れるだろ」と再びダッシュを命令されるというのです。
安部会長さんは「ああいった理不尽なことに耐え抜いてきたから、社会に出ても理不尽なことに耐え抜くことができた」と振り返っていました。
あれっ?どっかで、聞いたことがある話ですね?
◇国家社会主義者の過剰な自信
ここ数年、国家社会主義的な言動で、ベストセラー小説も飛ばしている作家の方が、今度は、「人間はそれほど弱い存在ではない。自分が限界だと思っている以上のことは耐えられるし、できる」といった精神論を展開した新書がまたまたよく売れているらしいです。
私は、作家や学者らが自分たちの信じる自分たちの言いたいことを書いて出版することを咎めたりしません。それが、広く読者から共感を得られれば、素直に「おめでとうございます」と祝福します。
しかし、それは、特別な才能を持った恵まれたその人に当て嵌まる話だけであって、万人に効能があって、上手くいくかどうかという話になると、それは別だと私は思っています。
例えば、今盛んに自分の限界に挑戦するような自己啓発本が出ていますが、私は、やめておいた方がいいと思っています。少なくとも、私は真似しませんね。
案外、作家さんが主張するほど、人間の心身は、想定以上に強くはないのです。か細く脆いものなのです。傷つきやすく、簡単に壊れてしまいます。
その国家社会主義的思想の持ち主の作家さんは、ネットなどで非難されると「さすがに、人間だから、落ち込むことがあるが、気にしないようにしてる。それより自分の信じる道に邁進することで忙しい」といったような趣旨の発言をされていましたが、彼には特別な忍耐力と精神力があるといいますか、普通の人とは比べものにならないほど、生まれつき堅牢強固な性格だと思われます。
まあ、普通の性格の人なら、見たこともない他人から非難されれば落ち込むどころか、2~3日は立ち上がれないのではないでしょうか。
◇自己責任の罠
それと、何があっても「自己責任」を問われる世の中になりました。これまで「学校が悪い」「先生が悪い」「社会が悪い」「政治が悪い」などと他人に責任を転嫁して逃げてきた人を「卑怯者」とみなす風潮が蔓延していました。
しかし、考えても見てごらんなさい。人間は、か弱く脆いものです。責任を転嫁しなければ生きていけない動物だと考えれば気が楽になるのではないでしょうか。(そもそも、他人を非難したところで何も始まりません)
先の大戦での戦争責任も有耶無耶になりました。人間はか弱い動物だからです。中には、切腹して責任を取った軍人や戦争責任を取って新聞社を辞めたジャーナリストもいましたが、全体から見れば僅かでした。
殆どの人間は、逃げました。
私も、弱い人間だという自覚を身をもって体験したので、当時に生まれていたら、逸早く責任転嫁して逃げたことでしょう。
その前に、とっくに心身は壊れてしまっていたかもしれません。