満洲国通信社の広告を担った金井勝三郎

東京・早稲田 大隈庭園

先週の土曜日は、2年振りぐらいで20世紀メデイア研究会に顔を出してみました。

興味深いテーマがあったからです。いつも不思議に思うのは、会場の早稲田大学は、私のような全く卒業生でも何でもない一般人にも幅広く開放して、しかも、資料のコピー代や講師の皆さんへの謝礼もあってお金がかかるはずなのに、無料で、そして、出欠の連絡なしに参加できることです。何一つボディチェックのないオープンキャンパスなので、私のような怪しい疑い深い人間にとっては、変な人が入ってきたら大丈夫なんだろうか、テロが起きないのだろうか(何で?)と心配になってくるほどです(苦笑)。

2年前は、失礼ながら、オンボロ校舎でしたが、今では改築されて見違える程、外見も内装もトイレも、まるでホテルのように立派になりました。会場は3号館でしたが、3号館といえば、何学部なのか事情通の方はすぐ分かることでしょう。

当日発表されたテーマは三つありましたが、私は二つだけ聴講して帰りました。今回は、そのうちの一つの「満洲国通信社の広告部門」についてです。

発表者は、元新聞記者ながら今は市井の研究者さんのようで、わざわざ大阪から来られまして、久し振りに高度な関西弁を聴きました。

配布された資料には明記されなかったのですが、文字として書かれていないお話だけの中に多くのキーワードがあったので、後から調べ直そうかと思いましたら、あまりにも専門的過ぎるのか、ネットには殆ど登場しない人ばかりでした。

それでも、私は個人的に大変興味があるので、同氏の資料等も参考にさせて頂き、勝手に許可なくこのブログに備忘録として残したいと思います。

世に知られているように、戦前の国策通信社として同盟通信社があります。これは、1936(昭和11年)に、陸軍の情報に強い電報通信社と、外務省情報に強い聯合通信社が、半ば強制的に、特に、対外情報発信の一本化を目的に、政治の大政翼賛会のように設立されたものです。

その同盟通信社が設立される4年も前に、大陸満洲では諸々の通信社を一本化する満洲国通信社が設立されます。日本政府の肝いりと言っていいでしょう。初代社長にはあの「阿片王」の異名を持ち、東京裁判では司法取引で「釈放」された里見甫が就任します。

しかし、研究発表会では、全くといっていいぐらい里見の話は出てきませんでした。

主に取り上げられたのは、金井勝三郎という人物です。この方は、非常に変わった人で、里見甫と同じ上海の名門東亜同文書院で中国語をマスターして、通訳をしたり、樺太日日新聞の記者となり、犬ぞり探検をして本を出版したり、青島(チンタオ)新聞の記者になったりします。

それがどういうわけか、縁も所縁もない大阪に来て、樺太日日新聞と青島新聞の日本支社と広告代理店「日華社」の看板を掲げて、事務所を開いたというのです。

この事務所で、満洲国通信社の広告を扱ったそうです。何故、東京ではなく大阪だったのか?ーそれは、昭和の初期は東京より大阪の財界の方が規模が大きく、新聞やラジオに出稿する大手企業の広告主は大阪に多かったからだそうです。

例えば、寿屋(現サントリー)、中山太陽堂、福助といった会社です。

実は、これらの企業広告を一手に手掛けていたのは、当時「大阪広告界のドン」と言われていた満洲の新聞社「盛京時報」にかつて勤務していた瀬戸保太郎という人物で、満洲国通信社の広告を引き受けた金井勝三郎の事務所は、この瀬戸保太郎の事務所に間借りしていたというのです。

結局、満洲国通信社の広告部門は、この日華社に乗っ取られる形で、何もできないまま、撤退したらしいですが、今日はここまで。

(間違いがあれば、後から何度でも修復訂正致します)

人生100歳時代 健康長寿の秘訣

 餌場に困らない Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨晩放送されたNHKスペシャル「最新科学が解き明かす健康長寿 スーパー100歳の秘密」は、ブラタモリの前のアシスタントだった桑子アナが出るというので、見ただけですが、なかなか面白かったです。

桑子アナは髪の毛がボウボウでした…。という話ではありませんでしたね(笑)。

どうせ、この番組の著作権は天下の神南放送局にありますし、有象無象のたくさんの方がネットで感想文を書いているでしょうから、本当はテレビの話題は避けたいのですが、ま、備忘録として自分勝手に創作しておきます。

 餌場に困らない Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

現在、100歳を超える日本人は6万5692人、世界で45万人いるそうです。…凄い、まるでメモしたみたいですね(笑)。

健康で長寿を保つには、どんな要素が強いのか、というのがこの番組のテーマでした。

よく、英語で、

Nature or nurture ?

と言うことがあります。

Nature and nurture.

は、「氏と育ち」という意味になりますが、

Nature or nurture ?

は、「遺伝か? 環境か?」と意訳できるでしょう。

つまり、生まれつきのもので、長寿が決まるのか、生活習慣で、長寿になれるのか、という永遠の課題です。

それが、最新の研究で、同じ遺伝子を持っている双子を長年追跡調査した結果、遺伝子的要素が25%、環境的要素が75%だったことが分かったというのです。

つまり、生活習慣を心掛ければ、いくらでも健康で長生きできる可能性があることを示唆したわけです。
 餌場に困らない Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

番組では、生活環境の改善として、もう昔から言われている(1)食事(魚、野菜、ナッツ)(2)適度の運動(階段の上り下り)(3)心掛けや物事の捉え方ーの3点を挙げておりました。

老化の要因として「慢性炎症」なるものがあるそうです。老廃物を身体内でうまく処理できなくなるわけですね。これが悪化すると糖尿病や動脈硬化、肺疾患などにつながるようです。

この慢性炎症を抑えることが、健康長寿の秘訣となり、上記の3点を実行することが決め手になるということです。

例えば、食事ならリコピン、ポリフェノール、オメガ3脂肪酸のような抗炎症成分の含む食材を採るとか、なるべく身体を動かし、負荷の掛かる運動をするとか、日々、幸福感、達成感、満足感を味わうといったことです。

この最後の満足感については、食欲や性欲や買い物といった「快楽型」では慢性炎症を抑制する効果はなく、仕事や、世のため人のための社会貢献やボランティア、アート作品の発表といった「生きがい型」が効果があるというのです。

世界最高齢で現在116歳のイタリア人のエマ・モラノさんは、毎日ほぼ寝て暮らしながら、「今が人生で一番幸せ」と現状肯定して常に前向きでしたが、こういった人生の終盤でポジティブな感情になることを「老年的超越」と言うのだそうです。

ゲストに出演していた105歳の医師日野原重明さんも「100歳までつらいことが多かったけれど、100歳を過ぎると心が豊かになりポジティブになった」といったようなことを発言されておりました。

うーん、まるで、備忘録用にメモして書いたみたいですね(笑)。

「復帰後世代に伝えたい『アメリカ世』に沖縄が経験したこと」と哀川翔のファミリーヒストリー

街頭にて Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 いつもお世話になっている沖縄にお住まいの上里さんが、また本を贈ってくださいました。 

 琉球新報の元記者の池間一武さんの書かれた「復帰後世代に伝えたい『アメリカ世』に沖縄が経験したこと」(琉球プロジェクト)というムックです。貴重な歴史的な写真が満載されています。

 米軍による占領期間は、日本本土が1945年8月15日~1952年4月28日の約7年でしたが、沖縄返還・本土復帰は、1972年5月15日でしたから、約27年間続いていたわけです。

 この間、勿論、「外国」ですから、本土との行き来にはパスポートが必要とされ、新聞社の場合、沖縄駐在記者は「特派員」でした。

 この本では、戦後直後、米軍が「B円」なる法定通貨を発行していたことや、米軍公認の飲食店・風俗店に「Aサイン」なる営業許可証を発行していたことを知りました。記述が学術的なのですが、私のような俗物は、例えば、このAサインなるものは、一種の「みかじめ料」みたいなものだったのかどうか、もう少し踏み込んで書かれていてもよかったかなあと思いました。

 路傍の餌 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう一つ、沖縄占領期の27年間では、「朝鮮戦争」と「ベトナム戦争」があり、沖縄の基地から相当多くの爆撃機が飛び立ったはずですが、そのことに触れていないのは、何故だったのか、ちょっと疑問を感じました。

 思い返しますと、上里さんは、これまで、大島幹雄著「満洲浪漫 長谷川濬が見た夢」(藤原書店)をはじめ、中島岳志著「血盟団事件」や、沖縄出身のゾルゲ事件で連座した宮城与徳の画集、詩人の山之口獏の全集などまで贈ってくださり、私の蒙を啓(ひら)かせるきっかけをつくってくださった恩人でもあります。

 長谷川濬のことや血盟団事件に関しましては、えらく感動して、渓流斎ブログにも書かさせて頂きましたが、そのブログは消滅してしまい、今では幻となってしまいました。でも、しっかり、私の身体の中で流れる血や肉になっております。

 土地はいくらでも Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 長谷川濬と聞いただけで、本当に懐かしく、満洲のことや、甘粕正彦満映理事長のことなどが思い起こされます。

 これまた、ブログの写真などでお世話になっている松岡氏は子供の頃に満洲の首都新京(現長春)で育っていたりして、どうも、私は、満洲のことについては御縁があるようで、残りの人生も関心を持ち続けていきたいと思っています。(満洲に関係があるとしたら、私の徴兵された伯父が満州で戦い、シベリアに抑留されたことぐらいです)

  NHKの「ファミリーヒストリー」は意外な人物が驚くほど凄い御先祖様を持っていたりして、大変面白い番組です。先日は、俳優の哀川翔さんが登場していて、あまり興味がある人ではありませんでしたが(失礼!)、彼の祖父が満洲に関係があるということを番組欄で知り、その時間帯は見られなかったので、昨晩、録音したものを見てみました。

 いやあ、壮絶でしたね。
 
 哀川翔さん(55)の本名は、福地家宏といい、福地家は佐賀鍋島家の家臣(重職で300坪の屋敷を拝領していた。向かいは、あの大隈重信の大隈家だったとか)で、1637年の島原の乱(あの平林寺に葬られている松平伊豆守信綱が総大将になりましたね)に参戦し、大いに戦功を立てたらしいのです。
 
 そして、話は飛びますが、哀川翔さんの祖父福地家久氏は大秀才で、大正15年に東京帝大法学部に入学します。昭和4年に卒業しますが、当時は昭和恐慌の真っ只中で、就職難に見舞われます。そこで、家久氏は活路を見出すために、大陸満洲に出かけます。警察官僚となり、最後はソ満国境の興安省の警察トップ(県警本部長に当たる)に就任しておりましたが、ソ連の日ソ中立条約を破る参戦によって、戦死してしまいます。享年40。

 家久氏は、ソ連参戦による混乱の中、妻子を先に新京にまで避難させます。こうして、妊娠中の妻益家(ますえ)さん(哀川翔の祖母)と幼子3人の逃避行が始まり、途中、ソ連軍に捕まったりしますが、最期は1歳の娘則子さん、生まれたばかりの娘ふさ子さんと益家さんの3人は、避難していた坦途という所で亡くなります。残された嶺子さん(12)と三郎さん(4)さんは、後から駆けつけてきた家久氏の警察の部下によって救助され帰国します。

 いやはや、言葉が出ないほど壮絶なのに、哀川翔さんは、冷静にVTRを見ているので、随分肝が据わった人だなあ、と思いました。その肝の据わった性格は、後で分かります。

 哀川さんの父親の福地家興さんは、肋膜炎を患っていたため、長男ということもあり、家興さんの父家久氏の考えで、満洲には連れて行かず、佐賀の祖父母の家に預けられます。

 家興さんは、父親との手紙のやりとりで、「お国のためになる立派な大人になりなさい」という言葉を胸に秘めて、早稲田大学入学のために上京します。猛勉強した卒業後は周囲の反対を押し切って、今の海上自衛隊に入隊して念願のパイロットになります。しかし、これまた壮絶な人生で、1966年に訓練帰還中、37歳の若さで事故死してしまいます。哀川翔さんはこの時、まだ5歳ながら、身持ちだった母親に代わって、叔父とともに父親の遺体と面会したりしています。度胸の根源はここにあったのですね。

 この番組は何と、ユーチューブで観られるので、ご興味のある方はご覧ください。

 哀川翔のファミリーヒストリー ←こちらどす

慎太郎を撃つな!

ベニス

豊洲問題の最大の功労者、ではなかった、当時の最高責任者だった石原慎太郎元都知事が、高齢を理由に「証人喚問」にも応じず、逃げ隠れして、最後は作家さんらしく文書のみで回答しながら、「記憶に御座いません」などとかつてのロッキード事件の小佐野さんのような曖昧な弁明に終始されておりまして、かつてのあの自信に満ち溢れていた傲岸不遜のキャラは何処に行ってしもうたのか、晩節を穢す哀れでみっともない醜悪どころか、説明責任を果たさない公職者として、公の場に晒して弾劾するべきでなはないか、と思いつつも、多くの世間の反応は、彼を選出した引け目があるせいなのか、いやに穏やかで、見て見ぬフリをしているのが、実に不思議で許せない、と思っていた今日この頃でした。

それが、昨日の東京新聞の夕刊にに出ていた中島岳志さんの論壇時評を読んで、一気に疑問が氷解しました。

石原さんは、高齢どころか、相当体調がお悪いようなのです。数年前に脳梗塞を患ったらしく、その後遺症なのか記憶力が本当に減退して、作家の命である文章や漢字が出てこなくなったというのです。中島さんは、過去に石原さんが「女性が生殖能力を失って生きているのは無駄で罪です」などと暴言を吐くなど、弱者に対する排斥発言を引用しつつ、「石原は今や、自らの肉体的衰えに苛立ち、死の恐怖に怯えている」とまで明晰に書いております。

これまで富も権力もヨットもファーストクラス席もスイートルームも全て手に入れて、傍若無人な強い独裁者のように振る舞っていた暴君が、一転して、これまで手荒に差別的にあしらっていた、そしてあれほど軽蔑していた弱者の側に堕ちてしまい、まるで、これまでの罪を反省して、神様に命乞いをしているかのように見えてきます。

しかし、中島さんは、この論壇時評の中で、「石原には『自業自得』という言葉を投げかけたくなるが、それをやってはいけない。自己責任論を加速させ、彼の暴言を後押しすることになるからだ」(一部変更引用)と主張しているのです。

名匠フランソワ・トリュフォーに「ピアニストを撃て」(1960年公開)という作品があり、日本でも大ヒットしました。米国の西部開拓時代の酒場に「ピアニストを撃たないで」という貼り紙があったそうです。このタイトルをパロディーにして、ジャズピアニストの山下洋輔さんが「ピアニストを笑え」というエッセイを発表したことがあります。

私も、中島さんの論壇時評を読んで、すぐさま「慎太郎を撃たないで!」というタイトルが頭に浮かぶのでした。

私も弱者ですから。

小馬鹿にするな!メガ銀行!

新宿 やる気茶屋

東京にお住まいの北浦先輩がいつになく不機嫌です。

「渓流斎さんや、最近の銀行はあまりにも酷くなえかえ?あまりにも客を小馬鹿にしている。貴人はブログとやらをやってるそうやさかい、是非とも書いてくんなまし」と口角泡を飛ばして語るのです。

以下は北浦先輩の証言です。

北浦先輩は、今年9月末をもって40年間勤めていた金属加工会社を定年退職されました。今は、友人の伝手を頼って、速記のテープ起こしの仕事をしておりますが、世の中甘くない。給与は、月額20万円ながら、以前働いていた会社の給与から算段された厚生年金と健康保険と区民税と介護保険とやらが15万円もあって、差し引きの手取り額が僅か5万円にしかならないと嘆いておりました。

然し、先輩が憤慨したのはそのことではありません。退職金が2000万円余出ましたので、普通預金に入れたままでは、どうも間抜けな感じがして、定期預金にしようと思ったそうです。

2000万円なんて、相当高額ですが、考えてみれば、日本人の平均寿命を頑張って80歳まで生きるとしたら、残り20年。ということは、年間僅か100万円にしかならないんですね。

若い私は定年までまだまだありますが、こんな金額では、どう暮らしていけというんじゃい!と、同情するどころか、情け無くなりました。

あ、失礼致しました。北浦先輩の話でした。先輩は、新宿で用事があったので、渋谷支店に口座のあるメガ銀行の新宿支店に行ってみました。北浦先輩は、1000万円の現金を持って行き、定期預金にしてもらうように言いました。何か、2年前に銀行の口車に乗せられて、貯金をはたいてブラジルレアル主体の投資信託を購入したところ、為替差損や銀行手数料を差し引くと、今では120万円も損失が出て、懲りたそうです。もう、いくら、金利が0.001%でも、元本が保証されるものにしようと思ったらしいです。

受け付けで対応したのは、70歳近い老婆だったそうです。その老婆が言うには、大口定期となると、口座のある渋谷支店でしか扱うことができないというのです。しかも、悪いことに、先輩は銀行カードは持っていても、判子は持っていませんでした。

老婆は、奥に入って何か相談しているようで、散々待たされるので、北浦先輩は、もう諦めて帰ろうとしました。そしたら、老婆は、慇懃無礼にも、「それでは現金を一旦、普通口座にお預けになったら如何ですか」「ATMは現金は、一回の入金は200万円までですから、5回ぐらいかかりますけど」などといけしゃあしゃあと言うではありませんか。

「それならいいです」と帰ろうとした先輩を、老婆は「もう少しお待ち下さい」と制止した後、また奥に相談に行き、やっと、「それでは、窓口で1000万円をお預かり致します」と勿体ぶって話したそうです。

いやあ、それだけ聞きまして、メガバンクともあろうものが、手際の悪さに呆れてしまいました。

最後のとどめは、メガバンクに1000万円も預けたというのに、犯罪者のような扱い方で、名前を書かされ、有難う御座いましたの一言もなし。勿論、粗品もなし。笑ってしまったのは、店を出るときに、老婆が先輩を追いかけてきて、「先程は御迷惑をお掛けしました」と言いながら、キャバレーの喧伝で使うような小さいポケットティッシュをくれたという話です。

マイナス金利で業績が芳しくないと言われるメガバンクも、ここまで堕ちたか、と思いました。まあ、ちょっと振り込むだけで、216円もの手数料を取って生きてる銀行ですからね。

北浦先輩も「あの狂言廻しのような、全く要領を得ない老婆は、一体何だったのだろう?あんな老婆を養うために、手数料を払っていたとは!」と不思議がっておりました。

欧米語と日本語における比較対照に関する言語学的考察

東京・銀座

昨日、rightは、「右」と「正しい」という二つのまるで違う意味を持つ、と書きながら、英米人はrightと言った時、「正しい右」と考えながら言うものなのかなあ、などと色々と考えてしまいました。

しかし、後でよくよく考えてみますと、話は単純で、全く考えていない、という結論に達しました。

例えば、日本語で考えますと、何でもいいですが、「小川」を例に挙げてみます。♪春の小川はサラサラいくよ♪の小川が本来の意味にしても、名前が小川さんの場合、川のことなどサラサラ考えません。小川さんの顔や声色、仕草などを思い浮かべることでしょう。

日本語には同音異義語が沢山ありますが、交錯しないようにうまく脳が処理してくれます。

ドイツ語で、小川はバッハですが、ドイツ人は偉大な音楽家と川と即座に区別するのと同じでしょう。

rightに関しては考え過ぎてしまいました。

◇濁音は不吉か?
ところで、にんどすさんからのコメントで、「何で、濁流斎になっただあぁぁぁ」との御下問が御座いました。

はい。これも深い理由がありまして、たまに「渓流斎」から「濁流斎」に変身することがあることを、どうか弁えくだされ(笑)。

これまた、言語学的考察ですが、日本語でネガティヴな意味を持つ言葉は、濁音が多いですね。濁流もまさしくそうですが、残酷、地獄、罵詈雑言、ぞんざい…。

それに比べて、やはり、渓流、清風、平安、恋愛、遊興…いいですね。ナイスですね。

欧米語のような表音文字は、言葉そのものを見ても意味を成しません。発音されて初めて意味を持ちます。例えば、フランス語の「たくさん」は、beaucoup ですが、このスペリングに意味を成さないので、英語のようにbocu と綴っても、発音さえしっかりしていれば、意味が通じるわけです。

だから、フランスでは、よく「言葉は意味の影に過ぎない」などと言われたりします。

逆に、日本語や中国語は表意文字ですから、発音されても、意味が良く分からないことがあります。漢字表記を見て初めて誤解していたことが分かったりします。

同音異義語が多いので、パソコンの変換間違いも多くなるわけです。

先日も、大手マスコミの記事の見出しで、政策投資銀行の略称を「政投銀」とすべきところを、「政党銀」と書いて大間違いしておりました。

ネットで記事を愛読されている京都にお住まいの私立探偵さんが発見しました。

右は正しいのか? ドゥテルテ比大統領の来日でどうなる?

埼玉県稲荷山古墳

日本人はよくゲンを担ぐ民族だと言われます。そういう私も、大したことはありませんが、ゲンを担ぐ方だと思っています。

非科学的なイメージがありますが、結構、欧米人もやっているようです。

例えば、朝起きてベッドから降りるとき、右足から先に降りるとか、靴を履くときは、右足から最初に履くとか、です。そうすると、1日無事平穏に暮らせるというのです。

英語で右はright 、左はleftですが、このrightには、正義とか正しいという意味もあります。

ということは、leftは、その残った余り物という意味もあるのでしょうか?

鶏が先か、卵が先かーのような話ですが、正しい方が右になったのか、右だから正しいのか分かりませんが、もうローマ帝国時代から、右足から先に靴を履くとか、というゲン担ぎはあったようです。左は不吉と思われたフシもあります。

いやはや、これは思想信条の話ではありませんよ(笑)。

◇ドゥテルテ比大統領、お次は何を?

本日25日、フィリピンからとかく世界中に話題を振りまいているドゥテルテ大統領が来日します。

中国では、「アメリカと決別する。軍事的に。経済的に」と発言して、中国から、当初の8000億円の目論見から2兆5000億円もの巨額の借款を引き出したヤリ手の国家元首です。

南シナ海問題をフィリピンは棚上げしたので、中国も余程気を良くしたのでしょう。

ドゥテルテ大統領は、どうやら反米主義者というより、嫌米主義者のようです。学生時代、華やかだったベトナム戦争の反戦運動を行っていたとか、市長時代に、FBIによって自治権を侵害されたとか、色んなことが積み重なって、そういう思想信条を持ったようです。

また「麻薬撲滅」を隠れ蓑に、犯罪者だけでなく、自分の政敵者まで碌な裁判をかけずに粛清しているのではないかという噂もあります。

しかし、国民の支持率は80%を超えるとかで、政治家としてはなかなかしたたかです。

米国との同盟を強固にする日本の現政権は、こんな凄腕の大統領とどう対峙するのか注目してます。

巨大格差の果て

東京・銀座の天ぷら「阿部」 ランチかき揚げ丼 天下無敵

どなた様か分かりませんが、いつもコメント有難う御座います。執筆の力になりまする。

扨て、私がお勧めした昨晩のNHKスペシャル「マネー・ワールド」第3回「巨大格差 その果てに」は、御覧になりましたか?

凄い時代になりましたね。

番組は、あまりにも詰め込み過ぎて、よっぽど頭がいい人じゃないと全てを理解できないでしょうが、私が印象に残ったことを書きます。

今や、世界は資産トップ62人が、下位の36億人分の3兆円の富を独占支配しているそうです。

大貧困層の一人当たりの年収は5万円だとか。

この超巨大格差は、まだ、不労所得を謳歌していた貴族が支配していた19世紀並みなんだそうです。

番組では全く出てきませんでしたが、この辺りは、あのトマ・ピケティが「21世紀の資本論」で解き明かしていましたね。

1980年のレーガン政権あたりからの「規制緩和」政策で、ドンドン貧富の格差が広がる様子をグラフで解説されておりました。

メデイアで成功した米国人の大金持ちスタンリー・ハーバードさん(83)が、自家用ジェット機に乗り、政治家に献金して、自分たちの都合の良い法案を成立させるように、無言の圧力をかけ、週末は大型クルージングで優雅に暮らす姿を映してました。その大金持ちは、同じ川べりで、小型船でクルージングする人たちを見て、「彼らの方が幸福かもしれない」と呟くところが、実に印象的でした。

その一方で、普通のサラリーマンが、家賃を払えなくなって、仕方なく、テントで暮らす様も報じていました。

米国西海岸のシアトルです。あまりにも増える貧困者のために、市が土地を「テント・シティ」として開放していたのです。

大金持ちのハーバードさんは、「彼ら社会の落伍者たちは、努力が足りないからだ」と一刀両断にします。しかし、テント・シティでの生活を余儀なくされた市民は、特別な人に見えなく、いかにも普通で、善良そうで、ただ運がなかったかのようにも見受けられます。明日のあなたかもしれません。

シアトルには、テント・シティがある一方で、このまま格差が広がると、社会がとんでもない方向に行くと危機感を募らせた経営者もいました。

グラビィティ・ペイメントというクレジットカード会社のCEOダン・プライスさんです。彼は昨年、自らの年収100万ドル(1億円)を10分の1の10万ドル(1000万円)に引き下げで、従業員の最低賃金をこれまでの3万5000ドル(350万円)から7万ドル(700万円)と2倍に引き上げたのです。

その結果、社員のモチベーションがぐっと上がり、業績も1年で2倍になったそうです。従業員も、安心して結婚したり、出産したりして、大幅に消費活動が活発になり、地域経済の活性化にもつながるという良循環も生まれたのです。

勿論、良い話ばかりではありませんでしたが、かなり見応えのある番組でした。

大切なものは目に見えない

ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

NHKスペシャル「マネー・ワールド 資本主義の未来」は、面白くも何ともない、実につまらない漫才師が出てきて、真面目な話をぶち壊しているので、NHKとプロデューサーの品格を疑いますが、まあ、見応えのある番組でしょう。

第一回が10月16日放送で、「世界の成長は続くのか」というタイトルでした。

今や、世界のわずか62人が36億人分の富(3兆円)を独占する超々格差時代なんだそうです。

メモをしなかったので、忘れましたが(笑)、2011年に発覚したスイス最大の銀行UBSのロンドンにいた元トレーダー、クウェク・アドボリ被告による2500億円に上る不正取引を取り上げておりました。アドボリ被告は、懲役4年の刑を服したのか、番組のインタビューに出てきて、「厳しいノルマを課せられ、不正取引をやらざるを得なかった。上司は知っていた」などと発言しておりました。

番組では、英国エジンバラに銅像が立つスコットランド出身のアダム・スミス(1723~1790)の「見えざる手」理論を、資本主義の権化のような扱い方をして、そのアダム・スミス以来の自由な資本主義が250年経過した現在、成長の終わりを迎えたのではないかといった感じで、リードしていました。

漫才師の一人は「いやいや、資本主義は終わっていない。まだまだ希望は持てる」といった楽観論を展開してましたが…。

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨日22日放送の第2回の「国家 VS 超巨大企業」では、国境を越えたグローバル企業が、ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項=Investor State Dispute Settlement)を盾にして、国家を訴える裁判が多発している様を報告していました。

狙われるのは弱小最貧国で、例えば、南米のエクアドルを取り上げていましたが、国家予算の何倍もの何兆円も債務を背負ってしまい、そのツケがエクアドル国民に深刻な影響を与えている「事件」を報告していました。つまりは、国民が教育や医療福祉などの行政サービスが受けられなくなったのです。

このISD条項は、早期調印を安倍政権が推し進めているTPP(環太平洋パートナーシップ)にも密かに盛り込まれております。もし、日本政府が裁判に負けて多大な債務を背負えば、日本国民にそのツケが回ってくる危険が潜んでいるわけです。

あと、グーグル、アップル、アマゾン、スターバックスといった米国の超巨大グローバル企業が、「税金回避」のために、あらゆる手段を使っている様も教えてくれました。

アップルは、法人税が高い米国から、12.5%と極端に低いアイルランドに逃げて、実質0005%しか税金を納めていないことを解明しておりました。アップルは、議会で追及されても言い逃れておりました。

このほか、グーグルはフランス、アマゾンがルクセンブルク、スターバックスがオランダへ租税回避しており、世界では総額2400億ドルもの大金が税逃れされているようでした。

よおし、私は、もともと、スターバックスのコーヒーは飲むとお腹が痛くなるので、スタバには一切入りませんが、アマゾンの通販はやめよう。グーグルも使うのやめよう。あ、でも、アップルは今、iPhoneを使っているなあ…(トホホホ)

 ワニノ市役所 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

第3回の「巨大格差 その果てに」は今日23日夜に放送される予定です。

思うに、星の王子さまではないですが、大切なものは目に見えないもんですね。

先日、チラシがポストに入っていて、インターネットのWiーFi設備が、7GBで通常料金が月額3880円のところ980円に値引きすると大々的に広告しておりました。

しかし、下に眼に見えないほど小さい字で、980円の割引が続くのはわずか6カ月だけで、7カ月目からは2600円と書いてあるのです。

しかも、通常2年契約が普通なのに、この会社には3年契約という縛りがあるので、途中解約しようものなら、ヤフーのように莫大な解約金を請求するに決まってます。阿漕な商法です。

やはり、大切なものは目に見えないものです。

土人発言と「空気を読んではいけない」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

  10月18日に、沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド建設反対運動をしていた市民らに対して、大阪府警の29歳の機動隊員(巡査部長)が「どこつかんどんじゃ、ボケ! 土人が!」などと発言して物議を醸しています。他に26歳の男性巡査も「シナ人」などと発言していたそうです。

 私もこの「土人発言」の様子を、投稿されたユーチューブで見てみました。この映像の撮影者、イコール侮蔑された当人が芥川賞作家の目取真俊さん(56)ということでも少し驚きました。

 目取真さんは「最初は『老人』と言われたと思い、自分はそんな年寄りでもないのにと思っていた。それが『土人』だったと後から知り、怒りより呆れてしまった」などと沖縄タイムス紙のインタビューに応えていました。
 
 ここまで物的証拠を撮られてしまっては、「言った」「言わない」の話ではなく、若い機動隊員が、確実に沖縄県民を上から目線で侮蔑的な差別発言をしていたことは隠せませんね。

 差別発言をした機動隊員は大阪府警なので、松井大阪府知事が「ご苦労様でした」などと援護射撃し、物議を醸した後の20日にも、「発言を撤回しない」と開き直ったようです。

 松井知事は大阪府民が選挙で選んだ公職者ですが、思考の根底に沖縄の人に対する差別観があるのかもしれません。本人に確かめたわけではないので、分かりませんが。

 ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 こういうことを書いても、若い一部の人や剛腕作家が、「機動隊より、反対派の連中の方がもっと酷い発言をしている。報道しないメディアが悪い」とネットに投稿しております。

 体制(エスタブリッシュメント)護持派は、問題をすり替えています。

 差別される側でないから、他人事のように野次馬根性で言葉遊びをしているに過ぎないのでしょう。

 若いうちはいいでしょうが、年を取れば、そのうち、自分たちの大好きだった体制が、実は、その実態が、人権を無視して、年金まで搾取して、都合の良いようにあしらう羞恥心もない迫害者だったということが分かることでしょう。

 その時は手遅れですが。

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 「若い人」などと一括りにして、批判してみましたが、世の中には色んな人がいるので、そんな抽象的な言葉ばかり使うのも良くないかもしれません。

 最近、「空気を読んではいけない」(幻冬舎)を出版した青木真也さんという格闘技家は、33歳ながら、なかなか達観した骨のある発言をしております。

 早稲田大学を卒業して、静岡県警に入りながら2カ月で退職して格闘家になったという異色の経歴の持ち主です。子供のときから、人とは違ったことばかりやって、学校の先生からは何度も呼び出され、友達からは仲間外れにされて育ってきた、という体験を同書の中で明かしています。同時に、先生から呼び出された父親が、面談から帰って、息子に対して、「もう先生の言うことは聞かないでいい。自分の信じたことをやれ」とお墨付きをもらうぐらいですから、まるで。「カエルの子はカエル」です(笑)。

 この本は5章に分かれています。つまみ食いしますと…。

 ◆第1章 「人間関係を始末する」
 ●幸せな人生を生きるために友達はいらない
 ●凡人は群れてはいけない
 ●自分の考え方が汚されるから、人と食事に行かない

 ◆第2章 「欲望を整理する」
 ●足るを知る
 ●欲望が散らかっている人間は、永遠に何も手にすることができない

 ◆第3章 「怒り、妬み、苦しみ、恐れ。負の感情をコントロールする」
 ●結果さえ出せば、他人はいつでも手のひらを返す
 ●「殺される」恐怖との向き合い方

 ◆第4章 「一人で生きていくためのサバイバル能力の養い方」
 ●不安定に飛び込む
 ●自分に値札をつける
 ●負けを転がす

 ◆第5章 「他人の『幸せ』に乗らない」
 ●皆にとって価値のあるものが自分にとっても価値があるとは限らない
 ●一度しかない人生で、世間的な「幸せ」に惑わされている時間はない

 どうですか。かなりの変人ですね?(笑)。

 この方は、格闘家ですから、色んなパトロンが寄ってきますが、絶対に一緒に食事に行ったりしないそうです。何しろ、人から奢られると、その人に借りをつくることになるからだそうです。

 格闘家として「死ぬか、生きるか」のギリギリの所で毎日を送っている人なので、孤独も孤立もなんのその。「友達はいらない」という発言には心底、感服しましたね。

 人間の悩みの99%は、人間関係なのですから。