「薩長史観の正体」

今年は大政奉還(1867年)からちょうど150年(先月、その舞台の京都・二条城に行ってきました)。そして、来年は明治維新150年。

長州にルーツを持つと言われる安倍首相のことですから、来年は、国家主宰の盛大な国事記念式典を行うことでしょう。

◇前政権を全否定しアウフヘーベン

しかし、我々は、司馬遼太郎の小説やその他多くの「幕末もの」と言われる歴史小説で、独断と偏見に凝り固まってしまっていることを多くの人は知りません。

そんな中、9月21日に東洋経済新報社から初版が発売された武田鏡村著「歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す 薩長史観の正体」は、実にエグイ本です。(経済専門出版社がよくぞこういう本を出版したものです)

これまで明治政府というより、薩長革命政権によって流布された「歴史的事実」が検証され、バサバサと反証が試みられているからです。

いつの時代でも、どこの国でも、新しく政権に就いた権力者たちは、とにかく、前政権を全否定して、小池さんの大好きなアウフヘーベンして、後世の人間をだまくらかさなければならないことは、古今東西共通のお話です。

とにかく、「封建主義は前近代的で悪い」「徳川も幕臣どもも皆な無能だった」「徳川方に全く正義はなかった」「徳川政権が続けば、日本は欧米列強の植民地になっていた」…などと、薩長政権は、それがまるで「歴史的必然」だったのかのように吹聴してきました。

青山城跡入口登山道=埼玉県比企郡

それが、この本によると、まるで逆なんですね。

◇薩長史観とは何か?

そもそも「薩長史観」とは何か?この本から引用します。

「明治政治がその成立を正当化するために創り上げた歴史である。それは薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・反逆・暴虐・殺戮・略奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた『欺瞞』に満ちた歴史観である」

うおー、凄い。凄過ぎる言い方です。

著者の武田氏は1947年新潟県生まれで、新潟大学を卒業後、在野で歴史を研究し、通説に囚われない実証的な史実研究をされている方で、「藩主 なるほど人物事典」など著書も多数あるようですが、私自身は彼の著作を購入して読むのは今回が初めてでした。

彼にかかると、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊輔(博文)、山県狂介(有朋)、品川弥二郎らを輩出した松下村塾の大教育者で、長州が生んだあまりにも偉大過ぎて言葉が出ない吉田松陰でさえ、「激情に駆られて変節して、暴力革命を礼賛するテロの扇動家であった」と一刀両断なんですからね。

大日山=埼玉県比企郡

◇西郷隆盛は無定見な武闘派?

せめて、大南州と尊敬され、明治の元勲ながら靖国神社にも祀られていない西郷隆盛ぐら褒めても良さそうなものですが、武田氏にかかると、「西郷隆盛は、僧侶を殺して、江戸市中を騒擾化させ、同調者を見殺しにした無定見な武闘派の策略家だ」となっております。

まあ、本当の策略家でしたら、あんな無謀な西南戦争なんか起こさなかったと思いますけどね。。。

一方、薩長史観によって、重罪人扱いされた幕臣の小栗上野介忠順(ただまさ)については、「日本の近代化の基礎をつくった大先駆者で、暴虐な薩長の体質を看破した憂国の士であった」と、歴史的再評価を主張しています。

小栗は、薩長に対して、駿河湾に浮かべた軍艦開陽丸から砲撃するなど「徹底抗戦」を主張したのにもかかわらず、「最後の将軍」徳川慶喜は、逆賊となることを恐れて聞き入れず、大坂から「敵前逃亡」して江戸に逃げ帰ってしまったことが、徳川幕府崩壊の最大の要因でした。

もし、慶喜が小栗の意見を採用していたら勝ち目がなかったと、長州の軍事指導者で後に靖国神社前に大きな銅像が建てられた大村益次郎(村田蔵六)は述懐したらしいですが、まさに、あの幕末の大混乱の中、本当にどうなっていたか分からなかったのです。

◇坂本龍馬は薩摩に暗殺された?

もう一つ。ちょうど150年前に京都で暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎。下手人は幕府直属の見廻組の佐々木只三郎らということで、既に歴史的決着がついていたのかと思っておりましたが、武田氏は「龍馬は、大政奉還による『新国家』を推進したために薩摩によって暗殺された可能性が高い」というのです。

うーん、まだまだ謎の部分が多いようです。

ともかく、この本は時の権力者たちが、発禁本にしたがるもので、世が世なら、読めないでしょね。