「守」「介」「掾」「目」の四等官

火星接近2018・7.31

今、加藤廣さんの遺作「秘録 島原の乱」(新潮社、2018年7月20日初版)を少しずつ読んでいます。

大坂夏の陣で自害したはずの豊臣秀頼が、九州にまで逃げ延びていたという歴史小説ですが、さすが、手馴れた作家だけあって、時代考証が生半可じゃありませんね。フィクションとはいえ、徹頭徹尾調べ上げた挙句の創作ですから、「もしかしてありえたかもしれない」と読者に思わせます。

歴史小説を読むに当たって、官位の知識があるととても便利です。私もこのブログで、何度か倉本一宏氏の「藤原氏」(中公新書)などを取り上げてきましたが、戦国時代になっても、明治になっても、これら官位が日本の歴史ではずっと続いております。今でも、小学校から高校の元校長先生、大学名誉教授らに「正五位」や「従五位」などと叙位叙勲しており、いまだに日本は古代の律令制が残っているわけですねえ(笑)。

官位の最高峰、関白になったのは、藤原氏以外では豊臣秀吉と秀次ぐらいです。

石田三成が「治部少」と呼ばれていたのは、三成が治部少輔という官位だったからです。治部少輔とは、治部省長官である治部卿、次官である大輔に次ぐ官位で、従五位下に当たるようです。治部省は、氏姓や戸籍に関する訴訟や仏事に対する監督などを行っていましたが、戦国時代ともなれば、有名無実化していたことでしょう。

火星接近2018・7・31

これら、長官、次官…といった官位は「四等官」と呼ばれ、諸官司で、色んな漢字が当てられています。

官司 長官(かみ) 次官(すけ) 判官(じょう) 主典(さかん)
神祇官
大夫
国司

出典 小学館デジタル大辞泉

源義経は「判官義経」と呼ばれていましたが、義経は「検非違使の尉」だったからでした。

私自身は、四等官の中で、地方官に過ぎない「国司」の「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」が一番馴染みがあります。「目」と書いて「さがん」や「さかん」「さつか」などと読むとても珍しい名字を持つ人が大阪と山口県にいらっしゃるようですが、まさにこの官位から付けられたことでしょう。

江戸時代、大岡越前守忠相が南町奉行でありながら「越前守」と名乗ったのは、既に国司が有名無実化していたからでした。幕府に許可が得られれば通称として名乗ることができたようです。ただし、江戸城のある武蔵国の武蔵守だけは、さすがに畏れ多くて誰も名乗ることができませんでした。

明治の大隈重信大蔵卿は、今で言えば、財務相ということになるんですね。

官位などは、今は簡単に調べられます。知識が広がった上で、歴史小説を読むと面白さが倍増します。