松岡將著「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」は浩瀚な労作でした

もし、私が「松岡総裁」と親しみを込めて呼んでいる松岡將氏と、面識を得ることがなかったならば、これほど、日本近現代史の「汚点」と言われた満洲問題について興味を持つこともなく、かつて満洲と呼ばれた現中国東北地方を実際に旅したりすることはなかったことでしょう。

松岡総裁という呼称は、日本の首席全権代表として国際連盟を脱退して有名な松岡洋石が、南満州鉄道(満鉄)総裁を務めたことがあったことから、私が勝手に(笑)、その名前にちなんで付けたものですが、松岡氏の御尊父は、松岡二十世(まつおか・はたよ)という戦前の労働問題専門の知識人でした。ゾルゲ事件で処刑された元朝日新聞記者の尾崎秀実と東京帝大法学部~大学院で同級生で、北海道で農民運動に挺身して治安維持法で逮捕され、その後、家族とともに満洲に渡り、敗戦後はシベリアに抑留されて帰らぬ人となった人でした。私も個人的に興味がある甘粕正彦が理事長を務めた満洲映画にも携わったことがある人で、それらの経緯については、松岡將氏の「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)に詳しく書かれております。

さて、松岡氏(昭和10年2月生まれ)自身は、日本の最高学府を卒業して霞が関の官僚となり、退官して老境に入ってからも拘り続けたのは、国民学校一年生の6歳から11歳までの5年間、「在満少国民」として過ごした満洲のことでした。それなりに家族団らんもあり、平穏な暮らしが一変したのは、1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄したソ連軍による侵攻でした。松岡氏は、ソ連軍の蛮行を目の当たりにし、父親が行方不明で、命からがら大陸が引き揚げるという壮絶な筆舌に尽くしがたい体験をしただけに、忘れよと言われても一生忘れることはできないことでしょう。

その後、松岡氏は退官して時間的に余裕ができるようになってから、旧満州の地を何度も訪れ、数千枚もの写真を収めてきました。例えば、かつてのお城のような形をした日本の関東軍司令部の庁舎が、そのまま壊されずに現代でも中国共産党吉林省委員会として使われたりしています。そこで、現在と昔を比較した「今昔物語」としてセンチメンタル・ジャーニーを写真入りでまとめたものが、「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」(同時代社、2018年9月30日初版、3000円+税)というタイトルでこのほど出版されました。

この企画については、私自身は以前から、スライドショーとして拝見したり、お話を伺ったり、事前にゲラまでお送り頂いたりしておりましたが、実際に出来上がった本を見て吃驚です。262ページの横変型のB5判というのでしょうか。しかも、百科事典のような重さです(笑)。

これなら、皆様に購入して頂くのが一番ですが、全国の自治体の図書館や、中・高・大学の付属図書館でも取り揃えてもらい、後世に伝えてほしい一冊です。

大連~奉天(瀋陽)~新京(長春)~哈爾浜。私も中国新幹線「和諧」号に乗って2014年7月17~23日にかけて旅行をしたことがあるので、写真を見て大変懐かしい気分になりました。何と言っても、中国が凄いところは、あれほど、「偽満洲」と全面的に否定しておきながら、かつての日本のヤマトホテルは現在でもホテルに、旧満州中央銀行は、中国人民銀行吉林省支店にするなど、そのまま再利用していることです。韓国が、近代建築の粋を集めた旧朝鮮総督府を破壊してしまったのとは正反対です。

以前(5年前の2013年)、松岡氏が「松岡二十世とその時代」を出版された時に、あまりにも多くの史料が引用されていたことから、私は不用意にも「随分たくさんの資料を持ち帰ることができたんですね」と感想を述べたところ、氏から「着の身着のまま、裸一貫でかろうじて帰国できたのですから、そんな資料なんかあるわけありません。一から、いや、ゼロから集めたのです」と真顔で反駁されたことがありました。

国家と歴史に翻弄された引揚者の苦労を知らない、書物でしか知らない戦後世代の甘さを痛感し、恥じ入ったものでした。

松岡氏は敗戦直後、新京(長春)に留まらざるを得なかった際に、市内で銃撃戦に遭遇したり、ソ連兵による暴行を見聞したりしたらしいのですが、この本ではあまり深く触れておりません。

松岡氏は、この本を通じて、満洲の「負の遺産」以外のものを伝えたかったのではないかと私は思いました。そして、ただひたすら「ひたむきに満洲の大地に生きた」この記録が、後世に伝えるべき「歴史の証言」となっており、特に、こんな時代があったことさえ知らない多くの若者には、この本を手に取って読んでほしいとも思いました。

「拡散」をお願いしているクラシック・コンサート

アルハンブラ宮殿

私の音楽遍歴ですが、子どもの頃はよく歌謡曲を聴いていました。城卓矢の「骨まで愛して」なんか好きでしたね(笑)。

10代からバンド遊びをやり始めたので、20代まで専らロックです。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリーム、レッド・ツェッペリン、クイーン、ポリスなど主にブリティッシュ・ロックを聴いてました。

アルハンブラ宮殿

30代になると、一転してクラシックばかり聴いてました。特に、バッハ、ベートーベン、ブラームスの「三大B」とモーツァルト、マーラー、それにドビュッシー辺りをよく聴きました。エンターテインメントというより、教養として、モーツァルト以外はしかめっ面しながら聴いてました(笑)。

40代になると、専ら、ジャズやボサノヴァです。王道のマイルス・デイビスとコルトレーンにはまり、ピアノはビル・エバンスとウインストン・ケリー、ギターはウエス・モンゴメリー、ボーカルはヘレン・メリルとチェット・ベイカーの「遅れてきたファン」になりました。

ボサノヴァのアントニオ・カルロス・ジョビンは、レノン=マッカートニーと並ぶ作曲家でしょう。ジョアン・ジルベルトも最高です。

とにかく、レコードやCDを買いまくりました。

アルハンブラ宮殿

で、今、自宅の特別オーディオルームという名のラジカセで、モーツァルトの交響曲第29番を聴きながら、このブログを書いております。

この曲は、意外と知られていませんが名曲です。1774年、モーツァルトが18歳の時に作曲した傑作です。さすが大天才です。この曲は、随分前から自分の頭の中でよく回っているのに、どうしてもタイトルが思い出せず、「何だっけ?何だっけ?室内楽だっけ?ディベルティメントだったっけ?」などと数週間、膨大なレコードコレクションの前で頭を悩ませておりました。

そしたら、やっと、色々と自分のコレクションを視聴して、「交響曲29番」だということが分かったのです。演奏は、カラヤン指揮、ベルリンフィル。

ルハンブラ宮殿 後宮のお風呂だとか

そして、昨日、ユーチューブでこのモーツァルトの交響曲29番を検索してみたら、カール・ベーム指揮ウイーンフィルの動画が出てきたので、聴いてみましたら、実に演奏が遅い、遅い(笑)。よく「疾走するモーツァルト」と音楽評論家たちは表現しますが、鈍足、牛足そのもの。まるで別の曲に聴こえてしまいました(笑)。

しかし、こんな名曲なのに、カール・ベームのユーチューブの視聴回数はわずか2900回程度。今、世界で最も売れていると言われながら、私はよく知らない(笑)アリアナ・グランデの「ブレイク・フリー」という曲なんか、現在、9億6000万回も視聴されているではありませんか!残念ながら、クラシックって、世界的にはマイナーな音楽なんだなあと痛感してしまいました。

それを証明する「事案」がありました。

アルハンブラ宮殿

私自身、最近は、昔のようにほとんど全くクラシックのコンサート会場に足を運びませんが、噂によると、このごろは会場に行くとパンフレットが配られ、そこには「聴衆の皆様へのお願い」として「どうか、この公演の内容やご感想をフェイスブックやツイッターなどのSNSでアップしてください」などと書かれているそうですね。

つまり、大手メディアや音楽雑誌だけでは、クラシックファンを獲得することができないので、お客さんにまで宣撫活動の協力を求めているわけです。

著作権がありますので、音声や動画まで拡散するよう要請しているかどうか分かりませんが、今やインスタグラムやユーチューブが大流行ですから、主催者やプロモーターやクラシックの演奏家としては、猫の手も借りたいほど切羽詰まっているということなんでしょうね。

それにしても、時代は変わったものです。

日本の格差社会は、まだマシなのか?

バルセロナ サグラダファミリア教会

英エコノミスト紙(電子版)を見ていたら、興味深い記事に当たりました。

Sep 26th 2018付の記事で、タイトルは「 Buying time How life expectancy varies across America」。意訳すると、「時はお金で買うもの 米国の平均寿命は何で地域によってこうも違うものか?」あたりでしょうか。

簡単に要約しますと、米国立保健統計センターの調査によると、ノースカロライナ州のフィアリントンという街の住民の平均寿命は97歳だったのに対して、オクラホマ州のスティルウエルの住民は56歳だったというのです。実に41歳も開きがあるのです。驚きです。

グラナダ アルハンブラ宮殿

ちなみに、日本の場合を調べてみましたら、厚生労働省によると、男性の場合、1位は長野県で79.84歳で、最下位の青森県が76.27歳。その差3.57歳。女性の首位は沖縄県の86.88歳で、47位の青森県は84.80歳。その差は2.08歳です。

よく格差社会と言われますが、米国の41歳差は半端じゃありませんね。

フィアリントンもスティルウエルも、人工的につくられた街ということで共通点がありますが、前者は、もともと酪農場だった所を英国の「田園調布」をモデルに開発された富裕層向け高級住宅街で、同市チャトハム郡の住人の96%が白人。後者は、もともとイチゴ畑だった所が、1830年に、チェロキー族などネイティブアメリカンが強制的に移住させられた街だというのです。

フィアリントンの世帯の平均年収が8万1900ドル(925万円)に対して、スティルウエルはわずか2万5000ドル(282万円)。

全米6万5662カ所の平均寿命を調査した研究者たちは、この大きな格差の要因は、貧困と教育にあると結論付けておりました。貧困で教育に恵まれない地区ほど、肥満や運動不足で喫煙習慣があり、高血圧、糖尿病などの病気に罹る人が多く、それが短命につながっているのではないかというのです。

教育については、高学歴が高収入につながり、健康志向になり、禁煙もするようになるということです。

この記事を読んで、皆様もさまざまな感想を持たれることでしょう。「ネイティブアメリカンは差別されて可哀想だ」とか「格差社会とはいっても、日本はまだマシだ」とか…。

バルセロナにて フラメンコ

日本でいえば、56歳というのはまだ働き盛りですが、貧困のどん底に押し込められて、夢も希望もない生活で、酒とタバコぐらいしか人生の楽しみがないとしたら、こんな世の中、長生きしてもしょうがないと思うのが人情なのでしょう。

何を書いても批判されるでしょうから、今日は過激にまとめてみました(笑)。

西城秀樹と姐さん(文春砲の見出しそのまんま)

サラゴサ

もう20年近い昔ですが、これでも仕事で、(好むと好まざるとに関わらず)、芸能担当記者をやっていたことがあります。

芸能と一口に言っても守備範囲は幅広く、文楽能歌舞伎といった伝統芸能から、最先端の音楽、人気歌手、テレビや映画に出演する国内外の大物俳優インタビュー、放送行政などさまざまでした。

レコード大賞の審査員などもやったお蔭で、芸能界の実態についてはかなり詳しくなってしまいました。大手芸能事務所と裏社会との関係、タレントの出自、政財界や宗教界との関係、警察公安と芸能界との持ちつ持たれつの関係…等々です。

バルセロナ サン・パウ病院(ガウディの師ドメネクが設計)

小指のない芸能事務所の社長さんと懇談したこともありますが、茲でさらに詳細に書けば、生命の危険に及ぶので、残念ながら書けませんね(苦笑)。最近は、ネットで色んなことが、虚実ない交ぜで書かれていますから、ご興味のある方はそちらをご参照ください。半分近くは当たっているんじゃないでしょうか。(ということは、半分は嘘、デタラメ)

いずれにせよ、自分自身は、かなりの「芸能界」通だと思っておりました。でも、今日発売の「週刊文春」を思わず買ってしまったのですが、先日亡くなった人気歌手の西城秀樹の実姉と広域暴力団五代目山口組の宅見勝若頭(=当時、1997年8月に、中野会との内部抗争で暗殺、享年61)とは内縁関係だっため、大阪市の名刹四天王寺の墓地では、秀樹と宅見若頭の墓が隣同士にあることが写真入りで書かれておりました。(執筆はノンフィクション作家森功氏)

知りませんでしたねえ。

秀樹と9歳離れた実姉は、秀樹を芸能界にメジャーデビューさせるに当たってかなり尽力した人で、大阪で高級「クラブ西城」を経営し、当時は「宅見ママ」ということでかなり有名だったらしいのです。

グラナダ大聖堂

宅見若頭が神戸で暗殺された1997年は、私自身バリバリの芸能記者でしたから、そのニュースはかなり衝撃的でした。芸能関係には複雑に入り組んだ利権構造があり、宅見若頭は当時、頭がキレる「経済ヤクザ」として名を馳せ、芸能界にもかなり深くコミットしていたことを噂で聞いていたからです。

暗殺された宅見若頭は、当時は自分自身も若かったせいか、かなりの年配だと思っていたのですが、61歳と、思えば随分若かったんですね。

あれから21年ですか…。芸能担当記者から足を洗って(笑)かなり年月が経ってますから、最新情報には全く疎いのですが、芸能界の相関図は20年前とそう変わっていないと思っております。

(残念ながら、今はあまり興味がないので、タレントさんの名前と顔が一致しません。←それじゃ駄目じゃん!)

「本能寺の変」にスペインも絡んでいた!?

グラナダ

実は今、4冊ぐらい並行して本を読んでいるため、頭の中は、ごった煮のシチュー状態です(笑)。

病気をきかっけに、本はなるべく買わないようにしているのですが、やはり、本ぐらいしか人生の楽しみ(と同時に苦しみ)がないので、増えてしまいます。

今朝から読み始めたのは、安部龍太郎著「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」(幻冬舎新書、2018年7月30日初版)です。「世界史からの視点」というのが、新鮮というか、斬新的です。

プラド美術館 ベラスケス像

安部先生は、いつぞや、京都は、京洛先生の守備範囲である上京区にある老舗居酒屋「神馬(しんめ)」に出没され、ちょうど、京洛先生と小生がそこで一緒に呑んでいた時に、安部先生と取り巻き編集者が奥の超一等席にいらっしゃっていたという話を聞いたことがありました。つまり、同じ時間と空間を共有していたわけです(笑)。神馬は、東京からハイヤーを乗り付けて来店するツワモノがいるほどの人気店で、調子に乗った神馬の親父が、あまりにも居丈高だったので、その後我々は行かなくなりましたけど…。

さて、「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」です。私も加藤廣さんの「信長の棺」などを読んで、本能寺の変の「黒幕」は、五摂家筆頭の近衛前久(さきひさ)だったいう説に、私も納得しましたが、さらにその背後に、スペインやイエズス会もいたというので驚きですね。

コルドバ 大聖堂

安部氏は、以下のような持論を展開します。

…信長は南蛮貿易による利益と軍事技術の供与を受けるために、イエズス会を通じてポルトガルと友好関係を築いていたが、ポルトガルは1580年にスペインに併合された。

そこで、信長はスペインとの新たな外交関係を築く必要に迫られ、イエズス会東アジア巡察師のアレッシャンドロ・ヴァリニャーノと1581年2月から7月まで交渉したが、合意に至らなかった。

スペインが明国征服のための兵を出すよう信長に求めたからだと思われる。日本にそれを示す資料は残っていないが、ヴァリニャーノがマニラ在住のスペイン総督に宛てた手紙を読めば、そうとしか考えられない。

信長は、イエズス会とスペインを敵に回したため、信長政権はとたんに不安定化した。キリシタン大名や南蛮貿易で巨万の富を得ていた豪商たちが見限り始めたからである。

これをチャンスとみたのが、京都から備後の鞆の浦に追放された室町幕府15代将軍足利義昭。彼は朝廷や幕府ゆかりの大名に檄を飛ばし、これに応じたのが、義昭の従兄弟で義兄弟に当たる近衛前久だった。前久の工作で、明智光秀が本能寺の変を起こした…

というのです。

サラゴサ

なるほどねえ。スペインが絡んでいたとは、驚き、桃の木ですよ。

日本は偏向報道国家なのかなあ?

ラ・マンチャ地方

ほんの1週間ですが、スペイン旅行に行ってよかったと思っています。

「スマホ中毒」から少し解放されたからです。行く前は異常でした。電車に乗っても、バスに乗っても、歩いていても、気になって、すぐ液晶画面を見ていましたから。

実際、大した情報に接していたわけでもないことも分かりました。単に習慣になっていたんですね。悪習慣は断ち切ることです。

グラナダ・アルハンブラ宮殿

帰国して痛感したことは、新聞でもテレビでも、日本の海外ニュースは、アメリカと中国と韓国の話題ばっかりだということです。スペインやフランスなどで起きたことは、ほとんど報じてくれません。

BSの海外テレビ放送を見れば、十分事足れるでしょうが、地上波は、米中韓ばかりに集中して、まさに「偏向報道」と断定してもいいでしょう。

もちろん、基軸通貨ドルと世界最大の軍事力を持つ米国と、日本も大いに依存している世界第2位の経済大国である中国を中心に世界は回っていることは確かですが、それにしても、見たくもない為政者の顔ばかり見せ付けられたり、見たくも聴きたくもない芸能が世界基準(スタンダード)で最先端の潮流だとばかり押し付けられては、さすがに、うんざりしてしまいます。

まさに、日本の常識は、海外の非常識でもあるわけです。

コルドバ大聖堂

思うにスペイン旅行は、普段の喧騒から離れた歴史散歩だったかもしれません。

少年の頃、歴史学者を夢見たぐらいの歴史好きだったせいか、日本史と世界史の基礎知識はかなり時間をかけてみっちり頭に叩き込みましたから、今でも重大事件の起きた年号や背景ぐらいソラで言えます(笑)。「レコンキスタ」「スペイン継承戦争」「スペイン内戦」など起伏に富む複雑なイベリア半島の歴史は、ある意味で魅力的で、何と言っても800年間もイスラムに支配されていた風土と文化に直接肌を感じることができたのが今回の旅行の大いなる収穫でした。

特に、私は美術建築好きでもありますから、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤの三大巨匠とピカソの「ゲルニカ」といった傑作画やガウディのサグラダファミリア教会などを間近に見られたことは、何よりも得難い至福の時間だったと言えます。

逆に歴史にも芸術にも興味がない人が旅行しても、つまらないんじゃないかなあ、と思ってしまいました。

現在、見えないもの、見えていないものを見るために、想像力を働かせなければならないからです。それにはある程度の知識が必要なのは否めません。

いやはや、またまた、堅い話になってしまい、失礼仕りました(笑)。

バルセロナ サグラダファミリア教会

先日会った友人の田所君なんかは「俺、最近、プラスチックゴミが気になってしょうがないんだよなあ」という始末です。確か、10年ぐらい前、日本で割り箸が使い捨てされるという「事件」で話題になった際も、「割り箸のお蔭で、熱帯雨林が破壊されている」と、彼は叫んでいたものでした。

何はともあれ、このように、メディアの影響力は強いのですから、現役のマスコミ従事者にはもっと自覚してほしいものです。

独裁主義国家じゃあるまいし、偏向報道はやめてほしいなあ。。。

写真は撮らない~ヘミングウエイ~数字は人格

アルハンブラ宮殿

スペイン旅行(2018.9.11~18)では、プロカメラマンさながら、500枚近くもの写真を撮りまくってきました。

そんなに写してどうすんの、てな感じです。

そんな中、ツアーで一緒になった静岡県から参加された女性が、ただ一人だけ、一枚も写真を写していないことに気が付きました。デジカメすら持参していないようでした。

彼女は、あの秘境マチュピチュにまで行かれたことがあるらしく、大の旅行好きのようでした。それがどうしたことか。その理由について、恐る恐る聞いてみました。

アルハンブラ宮殿全景

「以前はよく撮っていたんですけどね。家に帰って、娘たちに見せても、自分が行ってないものだから、あまり興味なくて…。それより、あまりにも沢山、写真が増えてしまって、『お母さん、(写真を)どうにかしてよ』とまで言われてしまって…」

なるほど、そういうことでしたか。

確かに、身内の人とはいえ、勝手に好きに遊んできた(笑)写真を見せつけられては、はた迷惑かもしれませんね。

SNSの流行で、世間の人たちはやたらと自分たちの撮った写真をアップしてますが、確かに、興味や関心がない人の撮ったものなどどうでもいいのかもしれません。

親戚や親しい友人でも、年賀状に赤ちゃんの写真や家族の写真を送ってもらっても、待望の赤ちゃんにまだ恵まれていない夫婦や、独身の人間にとっては、あまり愉快なものではない、のと同じです。

アルハンブラ宮殿前庭

さて、スペイン=闘牛ということで、久しぶりに若い頃に熱中して読んだヘミングエイのことに思いを馳せました。

彼は晩年になって、悲劇的にも猟銃自殺しましたが、若い頃は、彼の晩年の白い髭をはやした老人姿の写真から、彼が70歳か、80歳に近い頃だったと思っておりました。

そしたら、ちょっと調べてみたら、まだ61歳(62歳になる直前)だったんですね。今のような「人生100年時代」ではとても若いです。

どうやら、ヘミングウェイ一族は自殺の多い家系のようでした。彼の父親クラレンス、妹アーシュラ、弟レスターもそうで、姉マーセリンも自殺が疑われているそうです。また、最近、といっても1996年のことですが、孫娘で女優のマーゴも自殺しています。原因は精神疾患の遺伝のせいではないかとも言われています。

私は、ヘミングウエイ好きが高じてキューバにまで行ったぐらいですが、彼のマッチョ的イメージとは違う内面の繊細さは意外でした。

ただ、若い頃のヘミングウエイはかなりの自信家で、同時代人で彼を知る人たちの中には、彼がかなり度を越した傲岸不遜で、付き合い切れなかったと証言する人もいたようです。彼は、生涯で4度も結婚しました。

アルハンブラ宮殿

話が飛んでしまいましたが、旅行中に暇つぶしに持って行った本の一つに、小山昇著「数字は人格」(ダイヤモンド社、2017・12・13初版)がありました。

数学関係の本と思いきや、中小企業経営者のための指南書でした。法律で作成が義務付けられている「損益計算書(P/L)」よりも「貸借対照表(B/S)=バランスシート」を優先して経営者を読め、と薦めております。

そのバランスシートの中でも、一番最初の「流動資産」の中の「現金預金」を重視するべきだと何度も強調しております。

何故なら、いくら黒字経営でもキャッシュ(現金預金)がなければ、倒産してしまうからです。2008年のリーマン・ショックでは、約2分の1が「黒字倒産」だったそうです。

だから、著者は、銀行から借金してでも、イザというとき、いつでも手元にキャッシュが用意できるようにしろ、と力説するのです。銀行からの借金には金利が付きますが、それは「時間」を買っているようなものだ、というのです。

私自身は、最初から最後までサラリーマンの「使用人」として終わり、経営には全く縁がなかったので、損益計算書もバランスシートも関わることがありませんでしたから、この本は、自分にとってはかなり新鮮でした。

アルハンブラ宮殿内部

この本の内容については、目次からピックアップすれば大方のことが予想できます。

その前に、バランスシートの中の「売掛金」とか「買掛金」とかいう項目の意味を知らなかったですが(笑)、「掛け」とは「ツケ」のことで、売掛金とは、既に商品は売っているものの、代金が後払いで、まだ回収していないお金のことでした。買掛金とはその逆で、すでに商品は仕入れているのに、まだその代金を支払っていないお金のことです。

世の中には、売掛金がゼロの商売もたくさんあり、その一つが飲食業で、飲食店は現金かクレジットカードがメインで、お客さんがその場で払ってくれるからです。

ただ、飲食業は安泰かといえばそうでもなく、全く知りませんでしたが、飲食店の80%が開業して5年以内に倒産するというから驚きです。食材などを仕入れて、後払いする「買掛金」があるのに、無謀な経営をするのが理由の一つだそうです。メニューを変えたり、インテリアを変えたりして、「事前投資」しなければ、お客さんにすぐ飽きられてしまいますからね。道理で、街中ではちょくちょく商店が変わるはずでした。

そう考えると、何百年も続く老舗飲食店は凄いんですね。

以下、目次を拾ってみますとー。

・現金があれば、会社は倒産しないカラクリ

・在庫は「資産」ではなく「死産」

・売上を増やすには「客単価」をアップするより、「客数」を増やす

・人件費を減らすには無駄な仕事を減らすのが一番

・社員にいつでも自由に会社の数字を見られる環境を整える(役員報酬1億円まで公開)

以上、これから起業しようとする皆さんなら大いに参考になるでしょうが、残念ながら、私自身は遅すぎて、「へー」と世の中の仕組みが分かり、勉強になりました。

お財布携帯アプリは見ず知らずの他人に財布を預けるようなもの

アルハンブラ宮殿

清里の油小路先生です。

何か、渓流斎さんは、スペインにご旅行され、無事帰国されたようで何よりです。最近の欧州は、テロが多く物騒ですからね。

ブログに長々と旅行記を書いていらっしゃいましたが、あれは、長過ぎますね。追河探訪記者は「流し読み」したらしいですが、あんな長ければ誰も読みません(笑)。最後まで読んでくださった方には感謝しなければなりませんよ。

フィンランド航空には大変お世話になりました(行きは7時間もヘルシンキ空港で待機させてもらいました)

あ、さて、先週木曜日でしたか、久しぶりに上京した折、歌舞伎見物にでも行こうかと、ついでに、渓流斎さんの銀座のオフィスに立ち寄ったところ、貴方は随分、吃驚した表情でしたね。「えっ!? 清里におられていたんじゃなかったんですか」と。

まあ、何も事前に連絡なく、突然訪問したこちらも悪かったかもしれませんが、何か、貴方は当日、先約があったらしく、久しぶりに再会して一献を傾けようとした機会を逃してしまいました。残念でしたね。

ヘルシンキ空港のトイレは日本語の説明。多くの日本人が来訪するということでしょうね

久しぶりの東京でしたが、ネクタイを締めている男性がめっきり減りましたね。例の女性議員による「クールビズ」とかいう洗脳で、紳士たるもの、その本分を忘れて、皆、だらしなく胸元を開けて、労務者風情に貶められておりました。

エリート官僚さん、青年実業家といっても、あんなだらしない恰好では、まるで、雲助が登城しているようなものですよ。

あ、少々、差別的感情を煽るような表現でしたら、御寛恕願いたいものです。

きょうび、人権意識の高まりを受けて、表現に関して、世間では大変神経質になっておりますからね。

グラナダのレストラン

しかしながら、ある程度、辛辣な表現を使わないと、真意が伝わらないのです。

東京の電車や地下鉄に乗ると、誰もがみんな、スマホの画面に熱中している人ばかりです。ニュースを読んでいるのか、ゲームをしているのか…。でも、あんな受け身のことばかりしていては、人間の魂は何処に行ってしまったんですかねえ?

はっきり言って、現代人は魂がない、生きているようで死んでいる人間ばかりです。

魂がない、というのは、騙されやすい、どうか、私を騙してください、と言っているようなものなのです。

例えば、ネット広告です。パソコンなどで検索すると、化粧品にしろ、時計にしろ、いつまでたっても、他のサイトを開いても、同じ広告が追っかけてくることでしょう。ネット広告は、地の果てまで追いかけてきます。

あまりにものしつこさに根負けして、ついつい、また、同じ化粧品を買ってしまう。そんな繰り返しです。

ネット広告は「ポン引き」だ、とはっきり言ってやらないと分からないのです(笑)。ポン引きは、客が入店するまでいつまでも追いかけて、地の果てまで付いてきます。

客も魂がないから、ポン引きなのに、親切心でやってもらっていると誤解して、騙されるのです。

アルハンブラ宮殿にようこそ(個人名が記載された入場ペーパーにQRコードが添付され、3カ所もゲートがありました)

「ネットは危ないもの」という認識を念頭に置かなければならないのです。

特に、今、盛んに日経新聞などが取り上げている「お財布携帯アプリ」なんか、最たるものです。記事では利便性のメリットばかり取り上げておりますが、いざ、盗難にあったり、サイバー攻撃で盗み取られたりしたりするデメリットなんか一行も書いたりしません。

そもそも、お財布携帯アプリなんて、見ず知らずの他人に財布を渡すようなものですよ。現代人は魂がなくなっているから、そんなことも分からないので、迂生も、はっきり言ってやらなければならないのです。

進化や進歩は言葉の綾です。現代人は便利さばかりを追求するあまり、確実に退化しています。

スマホを捨てろ、とまでは言いませんが、せめて、ホドホドに、ですよ。

電脳空間は富士山の「樹海」です。入口も、出口も分からず、深入りすればするほど出口が分からず、白骨になって御終いです(笑)。

今回、突然の訪問のため、貴方と懇親できませんでしたので、書簡で失礼申し上げました。

新生《渓流斎日乗》1周年記念祭

湯島 純酒肴「吟」

おめでとう!1周年

《渓流斎日乗》が、今の新しいサイト移設されて、9月15日で1周年となりました。(実際、もう少し前に開通しておりましたが)その記念として、技術面でこのサイトを立ち上げて頂いたIT実業家の松長社長と2人で、昨晩20日、祝賀会を開催しました。

場所は、あの東京・湯島の純酒肴「吟」です。

松長社長には、スペイン旅行の土産話を聞いてもらいました。

闘牛場を改修したミハスのレストラン

皆様にも嬉しい御報せがあります。皆さんが新サイトの広告バナーをクリックして頂いたおかげで、何と黒字になりました!

2018年1月1日から9月20日までの総計ですが、ページビューが1万0153、表示回数が2万7184、クリック数が51、アクティブビュー視認可能率が44.76%で、見積もり収益額が1733円になりました。これに、ドメイン使用料を差し引くと、135円の黒字が出たのです。サーバーは、松長社長が契約しているものを使わさせて頂いているので、使用料は大目に見てもらいました。

135円でも、私にとっては、大手gooブログから独立して自分で稼ぐことができた貴重な金額です。

これでも、「世界最小の双方向性メディア」と銘打って「プロ」としてやっているので(笑)、本当に嬉しい限りです。当初は、ドメインとサーバーの使用料で、どれくらい負担するのか、頭を抱えておりましたが、嬉しい誤算でした。

これを励みに一層精進していく所存です。(堅いなあ…笑)

ガスパッチョ(冷製野菜スープ)

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。