お盆休みに入り、テレビは「戦争もの」番組を放送するようになりました。
昨晩は、続けて見てしまい、今朝はちょっとテレビの見過ぎで片頭痛です(苦笑)。
その中で、NHK-BSの「映像の世紀」の「難民」は衝撃的でした。
・1920年代初頭に起きたソ連の大飢饉で、疫病と飢えで実に900万人もの人が亡くなっていたんですね。不勉強で知りませんでした。「映像の世紀」ですから、やせ細った子どもたちや路上で亡くなった人たちが映っていました。
番組では、レーニン政権はほとんど無策で、黙って見過ごしていた感じでした。国際世論の高まりで、世界各国から援助物資が届きますが、後に米大統領になるフーバー商務長官は、国内の物価抑制のために余った飼料を送るなど、人道的ではなく、極めて「政治的」だったことも明らかにしてました。
ヒトラー政権によるユダヤ人のホロコーストが600万人と言われてますから、900万人というのはとてもつもない数字です。番組では紹介されていませんでしたが、ソ連は、1932~33年にウクライナで起きた大飢饉でも、ほぼ計画的にウクライナを見捨てたフシがあり、600万人とも、一千数百万人ともいう餓死者を出したと言われています。「ホロモドール」と言われ、2006年のウクライナ議会で「ウクライナ人に対するジェノサイド」と認定されました。規模があまりにも大き過ぎます。
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・1936~39年のスペイン内戦では、50万人の難民が出ています。国境近くのフランスでは難民キャンプがつくられましたが、多くの人が亡くなったようです。
・この番組で初めて知ったのですが、第2次大戦で敗戦国となったドイツは、占領していたポーランドやチェコスロヴァキアなどから追放され、実に200万人もの難民が死亡したということです。伝染病や飢餓によるものが多かったでしょうが、強制労働や暴行をはじめ、広場でリンチのように殺された人もいたようです。まさに憎しみの連鎖です。(約1500万人のドイツ人が半ば強制的に占領地に移住させられたようです)
日本の敗戦後のシベリア抑留は約60万人で、約6万人が亡くなったとされていますから、この200万人という数字には驚愕しました。
・シオニズムの高まりにより1948年5月14日、ユダヤ人によるイスラエルが建国されます(ダビド・ベングリオン初代首相)。しかし、土地を強制的に追われたアラブ人は難民化します。その数は現在、500万人と言われています。パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(1929~2004)が「ヒトラーのツケを我々パレスチナ人が払わさせられている」といった趣旨の発言は実に印象的で、心に残りました。
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もう一つの番組は、NHKスペシャル「”祖父”が見た戦場」でした。小野文恵アナウンサーが77歳の母親と一緒に、戦死した祖父小野景一郎衛生一等兵(享年34)の足跡を求めてフィリピンに行く話でした。
米国の国立公文書館の記録で、米軍は日本兵の遺体を一人ずつ数えていた資料が見つかり、5万人以上の死亡場所が分かりましたが、名前や所属は分からず、結局、昭和20年6月か8月に戦死した小野アナの祖父の最期の場所は分かりませんでした。
ほとんど玉砕でルソン島だけでも20万人以上が戦死したと言われます。私の大叔父もレイテ島で戦死しているので、どうも個人的にフィリピンと聞いただけで気が重くなります。
小野アナは、奇跡的に生還した90歳を超える元日本兵を訪ねますが、その中のお一人が「兵隊は消耗品のようだった」と話していたことが印象的でした。番組では、司令官や指揮官が誰でその後どうなったのか、までは触れていませんでしたが、一兵卒は、食料がなくて餓死したり、自決したりした者が多かったということです。それでいて、東京の大本営は「永久抗戦」つまり、時間稼ぎのために、玉砕するまで戦え、と安全地帯にいて命令するのですから、あの時代とはいえ呆然としてしまいました。
※数字は、諸説あります。