果たして「舞い戻った転校生」さんは「空飛ぶ転校生」さんなのか?

 ほぼ毎日、《渓流斎日乗》なるものを書き続けておりますが、今日はどうも食指が動くような題材がないので、つまらない内輪話を打ち明けます。

 皆様お気づきがどうか分かりませんが、先月4月24日から、このブログのサイトがおかしくなってしまいました。

 まず、このブログと、ツイッター、フェイスブックのSNSとの同期ができなくなってしまいました。以前は、ブログをアップすれば、自動的にツイッターとフェイスブックに同時にアップできたのに、それができなくなりました。このため、しばらく、記事を書いても、SNSのプラットフォームだけで御覧になっている方には届かなかったわけです。

 それが、5月のゴールデンウィーク後半で、偶然、手動でSNSに送信すればSNSに反映できることが分かり、今は、手動でSNSにアップすることにしております。

 でも、その弊害で、ツイッターには、ダブリで配信されたり、順番が変になったりして、熱心な読者の方から「どうなってるんですか?」との問い合わせを受けました。すみません。これは因果関係が分からないので、解決できませんでした。

 フェイスブックも変になっているかもしれませんが、以前と同じように、有難いことに、「いいね」やコメントまで頂いております。

湯島・酒肴「吟」にて

 もう一つ、このブログから広告が消えてしまったことです。これも紆余曲折、さんざんの苦労の末、本日、やっと復活できました。これもIT専門家の松長氏のお蔭です。有難う御座いました。

 2017年9月に、Gooブログから独立して自分のサイトを設置して以来、これでも「プロ精神」として毎日のように淡々と執筆してきましたので、皆様にはまた広告のクリックを御願い申し上げる次第です(笑)。(スマホでは広告が付かないようなので、是非、パソコンかタブレットで)

◇「舞い戻った転校生」さんとは?

 さて、本日未明、「舞い戻った転校生」さんという方から、今年5月11日付の記事「『記者たち 衝撃と畏怖の真実』は★★★★★」にコメントを頂きました。ここに転載しますが、以下の通りです。

 観てきました。最終日前日に駆けつけました。大感謝です。凄い映画でした。おまけに、9:52頃シャンテビル真ん前で、高校同期の映画監督に遭遇!お互いあれ~っと叫びました。時々とんでもない所で会うのです。3年前は京都駅ホームでした。閑話休題、

 私はこのコメントを読み、大変感動しました。このブログも、皆様に少しはお役に立てたかな、と思ったからです。

 でも、「閑話休題、」と何か途中で切れているのも気になりました。そしたら、急に、この「舞い戻った転校生」さんは、かつてのGooブログで展開していた頃に、よくコメントをお寄せくださった「空飛ぶ転校生」さんではないだろうか、と思ったのです。

 このブログの「《渓流斎日乗》について」に書きました通り、諸般の事情で、2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は、コメントと一緒に消滅してしまいましたが、「空飛ぶ転校生」さんは、ちょうどその頃によくコメントして下さった方でした。 よく覚えています。直接お会いしたこともなく、ハンドルネームしか存じ上げておりませんが、もし、「舞い戻った転校生」さんが、「空飛ぶ転校生」さんだとしたら、こんな嬉しいことはありません。

デジタル・ネイティブ世代の申し子、デビッド・ホッグ君

 昨日15日夕方、ちょうど会社からの帰宅時に、JR東海道線品川駅付近での「人身事故」に遭遇し、私の利用する路線も巻き込まれて、長らく待たされ、猛烈な混雑な上に、帰るのに1時間以上余分に掛かってしまいました。

  私は迷惑を受けた15万人のうちの1人でしたが、 今朝の朝刊を見たら、記事にしていたのは毎日新聞と東京新聞ぐらいで、他紙は無視。もうニュースにもならないんでしょうね。15万人ぐらい…て、とこでしょうか。

 さて、今朝、ラジオを聴いていたら、月尾嘉男東大名誉教授が、米国のZ世代(1990年代後半~2000年頃生まれ)について興味深い話をしておられました。この世代は、現在10代から20代半ばの若い世代ですが、生まれたときからパソコンやスマホに囲まれて育った「デジタル・ネイティブ」世代だということが特徴的です。

 月尾先生は、この世代を代表する一人としてデビッド・ホッグ君という19歳の青年を取り上げていました。今や、全米で知らない人はいないそうです。

 彼は、昨年2月に米フロリダ州の高校で、17人の犠牲者を出した乱射事件の生存者の1人で、事件後、メディアや集会などに出ては、銃規制に反対する「全米ライフル協会」や、その団体から献金を受けている政治家を実名で批判し、銃規制の必要性を訴えて来ました。

  その彼が昨年3月に、自分のSNSでカリフォルニア大学受験に不合格になったことを明らかにすると、彼の言動を心良く思っていないFOXテレビのトーク番組の女性司会者が「不合格にされ、めそめそと愚痴をこぼしている」とツイッターで発信します。これに対して、ホッグ君は、その番組のスポンサー企業名をSNSで公開して、このような番組のCMをやめるよう求めると、大反響を呼び、ペットフードのニュートリッシュ、旅行サイトのトリップアドバイザーなどが降板して、女性司会者が謝罪と1週間の休養に追い込まれたというのです。

 まさに、ホッグ君は、デジタル・ネイティブ世代の申し子で、SNSという武器を十二分に駆使したわけです。彼はその後、ハーバード大学に合格して政治学を専攻し、将来は政治家になるのが夢だといいます。 米国人のほとんどは、この話は知っていることでしょうが、日本人の私は知りませんでした。

 と、ここまで、ラジオを聴きながらメモも取らなかったのに書けたのはネットのおかげでした(苦笑)。私自身は、米国の世代分類では、X世代、Y世代の前のベビーブーム世代になりますけど、十分にネットの恩恵を受けているわけです。

鰻屋「川松」

 また、別の日にラジオで聴いた話ですが、あるキャスターが、ある取材先に電話で問い合わせたところ、先方は「ちょっとお待ちください」と言うので、待っていると、電話の向こうで「パチパチ」「カチカチ」というキーボードを叩く音がして、どうやら、パソコンで検索しているらしいことが分かってしまったのです。そして、キャスターは嘆きます。「そんなことなら、最初から自分で検索した方が早い。何のための電話取材なのか分からない」

 取材される側までもがネット検索ですか…。まあ、そういう時代になってしまった、ということなんでしょうかね。

丸山議員の「戦争しないと、どうしようもなくないですか」発言はいかがなものか

 大阪選出の丸山穂高衆院議員が北方四島の返還に関連して、「戦争しないと、どうしようもなくないですか」などと発言した問題。大騒動になり、彼の所属する日本維新の会が「除名処分」にするまで発展しました。 

 丸山氏は議員を辞職せず、このまま無所属として活動するようですが、国会議員としての自覚が足りないというか、勉強不足ですね。

 外見は若いイケメンで、チャラ男風という感じですが、東京の最高学府の経済学部を卒業して経産省に入省していた経歴には驚きました。外見とのミスマッチに驚いたというのではなく、「その程度なのか?」という驚きです。

 丸山議員は35歳ということで、学業途中で学徒出陣した世代の孫世代に当たります。私たちのように、二代目の子の世代なら、親から散々悲惨な戦争体験の話を聞くことはできましたが、もう三代目となると無理なんですね。哀しい哉、やはり、人間は痛い目に遭わなければ分からないんですね。

 ここ1週間、たまたま、和田春樹著「朝鮮戦争全史」(岩波書店、2002年3月11日初版)を、老骨に鞭を打って読んでいます。重い(笑)。本文だけで492ページの大作です。やはり、朝鮮戦争を知らなければ、現代史を語れないからです。これを読むと、自分の不勉強を恥じますね。私の場合、近現代史の勉強は、満洲問題から東京裁判あたりで終わってしまってましたが、この本を読むと、人間が生きている限り歴史は続いていたことが分かります。当たり前ですが。

 特に、満洲=中国東北部は、大日本帝国なき後、「真空地帯」になったのか、中国共産党と国民党との間の内戦で、最も激戦が続いた戦場になり、北朝鮮の金日成主席は、満洲派と呼ばれ、戦中は満洲でのパルチザンとして活動していたと言われます。

 1950年6月25日(日)午前4時40分に、朝鮮戦争が勃発します。しかし、戦争は急に始まったわけではなく、1年前から、いや1948年に、ソ連による北朝鮮と米国による韓国という二つの分断国家が成立してから「統一国家」を目指して始まっていたようです。

 同書では、多くの往復書簡や暗号電報などが引用されていますが、北朝鮮の金日成らは、ソ連のスターリンと中国の毛沢東の「お墨付き」を得て、圧勝できる確信を持って開戦したようです。

 1953年7月 27日午前10時20分、板門店で停戦協定が調印されましたが、この戦争で、韓国人 約133万人(うち軍人は約24万人で、ほとんど民間人)、北朝鮮人約272万人(うち軍人約50万人、平壌は米軍による空爆で壊滅した)、中国人約100万人(中国の公式発表は2万9000人)、 米国人約5万4000人、ソ連299人が死亡したと著者は推定しております。朝鮮戦争は、事実上、米ソ戦(空域)と米中戦(地上)でした。日本人も哨戒船などで出動し、数十人が戦死したといわれています。(レーダーに捉えにくい木造船で、近海に詳しい日本人の船員らが犠牲)

 この朝鮮戦争期間中、日本人にとっても忘れてはならない大きな歴史的出来事がありました。1950年8月10日の警察予備隊(後の自衛隊)創設と、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約締結(52年4月28日発効)です。

 詳細については、リンクを貼りましたので、お読みいただくことにして、このサンフランシスコ講和条約で、日本は、千島列島と南樺太への権利・権原・請求権をも放棄しました。千島列島には北方四島も含まれますね。

 あ、やっと最初に書いた丸山議員の発言につながりました(苦笑)。

 ドイツの哲学者カントや大作曲家ワーグナーらが住んでいた街として有名な歴史的都市ケーニヒスベルクは、第2次世界大戦で徹底的に破壊され、今ではカリーニングラードと改名され、ロシアの領土(飛び地)となっています。

 戦争とはそれほど非情で悲惨で、不条理だという事実を若い国会議員は想像すらできないのでしょうか。まさか、彼自ら、三八式歩兵銃を持って最前線に行くつもりで発言したわけではないでしょうから。

作家遠藤周作の御子息がテレビ局社長に

 フジテレビの新社長に作家遠藤周作(文化勲章受章)の長男龍之介氏(62)が、6月の株主総会を経て就任するという記事を読みました。おめでとうございます。

 テレビ局に縁故入社する有名人の子弟は案外多いので、驚いたわけではありませんが、さすがにトップの社長になる人は少ないので、感心しました。遠藤氏が縁故入社かどうか公表されてもいないのに、何か上から目線ですねえ(苦笑)。

Espagne

 でも、マスコミが、作家や画家や文化人や大手企業重役などの子弟を採用するのは理由があるのです。ただし、茲では書きません。偶には、皆さんご想像してみてください。あ、それとも、既に御存知でしたか?

 そもそも、マスコミも大手企業も縁故入社があることは公然の秘密です。政治家の口利きで入社する人もいるぐらいですから。

 マスコミが「社会の木鐸」とか、清廉潔白だというのは幻想であって、天下のNHKも、大手広告代理店も、大手出版社も縁故入社はかなりいます。朝日新聞だって、もともと縁故採用が本筋で、入社試験を始めたのは1920年からです。近現代の歴史を勉強していれば、つい最近だということが分かります。コネ入社の方が、身元がはっきりしていますし、安心安全だからです。

 さすがに、霞ヶ関の官僚の世界では試験重視なので、縁故入省はないですが、外務省となると、不思議なことに、東郷さんのように、親や子や孫や何代も続いて外務官僚になる家系が多いですね。

 だから何だ、という話で、今日はオチがありません(笑)。

スペインの旅行写真はこれが最後です。本文とは関係ないのに長らく御鑑賞有難う御座いました。

フォネティックコード、御存知でしたか?

 マスコミの世界で仕事をした経験のある人なら誰でも知っていますが、原稿の名前や住所などを校正する際に、間違いがないかチェックし、最後は2人1組になって、「読み合わせ」をします。

 この時に、漢字の場合、例えば、「伊藤俊行」なら、「イタリアの伊、下がり藤、俊敏の俊、行進する行く」といった感じです。カタカナの場合、例えば「バビロニア」なら、「葉書のハに濁点、広島のヒに濁点、ロシアのロ、ニンジンのニ、アメリカのア」といった具合です。こういうのを業界用語で、「字解」と読んでいます。

バルセロナ

 日本だけかと思ったら、欧米にもあるんですね。特に有名なのが、「フォネティックコード」です。この中でも北太西洋条約機構(NATO)が定めた通話表が、世界中の航空業界や無線・通信業界で広く使われているようです。

大雑把に言いますと、

AAlpha   B=Bravo C= Charlie D=Delta E=Echo F= Foxtrot G=Golf H=Hotel I=India
J=Juliett
K=Kilo
L=Lima
M=Mike
N=November
O=Oscar
P=Papa
Q=Quebec
R=Romeo
S=Sierra
T=Tango
U=Uniform
V=Victor
W=Whiskey
X=X-ray
Y=Yankee
Z=Zulu

ほとんど、人名か地名か、中学生ぐらいの英単語なので、分かりやすいでしょう。日本人が引っかかるとしたら、S=SierraZ=Zulu あたりでしょうか。Sierra は、「のこぎり状の山脈」のほか、19世紀後半から20世紀にかけて活躍したメキシコ人の教育者・歴史家、または、フォード自動車の車種名にも使われていました。Zulu は、南アフリカのズールー族や俗語で「黒人」の意味もあるようです。欧米人としては常識なんでしょうね。

グエル邸=バルセロナ

 国際民間航空機関(ICAO)は、世界各国の航空機に「国際民間機登録記号」を定めています。例えば、日本はJA、米国はN、パラグアイはZPです。ある空港にパラグアイの民間機が発着する時、パイロットと管制官との間で、ZPだけでは聞き取りにくいので、「Zulu Papa ×○△」などと無線でやり取りするわけです。

 私は業界人ではないので知りませんでしたが、大変勉強になりました。

 

母の日にコンビーフ

 ウマイめんこい村の白羽作彦村長です。

 何か、わたすのライヴァル・サイト「ウマズイめんくい村」の赤羽彦作村長さんが、東京・千駄木腰塚の「極旨 コンビーフ」を取り上げておりましたが、たまたま、わたすも同じように「ここのコンビーフは日本一、極旨ですよ」という極秘情報をある情報筋から仕入れて来ました。

 もしかしたら、この極秘情報は、ワトキ会か、または、同じ情報筋かもしれませんが(笑)、今日は「母の日」ということもあって、母親へのお土産として、奮発して買いに行って来たわけです。

 千駄木本店にしか売っていないという情報でしたが、JR日暮里駅の「駅ナカ」でも販売しておりました。昭和24年創業の腰塚自家製「極旨 コンビーフ」は、400グラムというかなりボリュームで、価格は、1個1980円。

 コンビーフは最近ほとんど口にしていませんでしたが、子どもの頃は、缶詰入りのコンビーフをよく食べたものでした。そう言えば、小中学校の給食でもよく出ていたと思います。

 手始めに生でそのまま食べてみました。まあ、コンビーフの味はしましたけど(笑)、脂の乗ったほどよい塩加減にしろ、今まで食したコンビーフと比べると、老舗の腰塚さんから広告宣伝費をもらっているわけではありませんが、類似品とは違い、高級感たっぷりで、旨味がありました。

 でも、キャベツなどの野菜炒めにしたり、手を加えても美味しいと思いました。

 生コンビーフと一緒に、サンドイッチ(580円)も一緒に買ってきました。

 このサンドのコンビーフにはキャベツが入ってました。

 「千駄木 腰塚」のネットのサイトを見たら、「コンビーフは一人1個まで」とか、「午前10時には売れ切れてしまう」といったコメントが書かれてあったので、日曜日だというのに朝早く起きて、買いに行きましたが、コンビーフは何個でも買えたし(年末とか特別な日は制限するらしいですが)、午前10時ぐらいでしたが、まだ沢山売れずに残っておりました(笑)。

 一緒に食べた母親も「美味しい」と褒めてくれたので、ほんの少し親孝行ができてよかったかな、と思いました。

?「記者たち 衝撃と畏怖の真実」は★★★★★

 大変遅ればせながら、ロブ・ライナー監督作品「記者たち 衝撃と畏怖の真実」を東京・日比谷の東宝シャンテ・シネマまで観に行って来ました。(最初、間違えて、東宝シネマ日比谷に行ってしまい、案内係の人も呆れておりました。駄目ですねえ)

 封切りが今年3月29日で、もう1カ月半近くのロングランとなり、来週で、いよいよ公開終了(東京・日比谷は)ということで、慌てて観に行ったのでした。

 とても良い映画でした。満点です。「スタン・バイ・ミー」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」などで知られる巨匠ロブ・ライナーが、監督、製作、そして出演(新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット役 )まで兼ねた意欲作です。

 先日、バイス(悪徳)ディック・チェイニー副大統領を正面から取り上げた「バイス」を観て、その感想をこのブログにも書きましたが、その「バイス」も、この「記者たち」とほぼ同じ題材(「9.11」からイラク侵攻へ)を扱っていながら、「記者たち」の方が骨組みがしっかりして、人物相関図も分かりやすく、時間の経過を忘れるほどの力作でした。

 それに、CNNやNBCやFOXなど当時のテレビ・ニュースを挿入してドキュメンタリータッチに描く手法は、マイケル・ムーア監督の得意とするところで、ロブ・ライナー監督は、その手法にかなり影響を受けているというか、はっきり言って、真似をしていますが、こう言っては何なんですが、ロブ・ライナー監督の方が上品に感じました。

 今でこそ、「フェイク・ニュース」は有名になりましたが、ブッシュ息子大統領政権は、イラクに大量破壊兵器(WMD)がないにも関わらず、NYタイムズやワシントンポストやNBCといった大手メディアに、嘘の情報を垂れ流し、世論をイラク戦争への道に駆り立てます。

 そんな中、ナイト・リッダーという新聞社というより、田舎の地方新聞社31社に記事を配信している通信社だけが、地べたを這いずり回るほど地道な取材で、政府発表の嘘を見抜いて、ただ1社だけ、イラク戦争反対のキャンペーンを張ります。

 これでも、私自身もジャーナリストの端くれですから、観ていて、記者魂が燃えてきましたね。全米でも最も信頼されている高級紙ニューヨーク・タイムズは「イラクのフセイン政権は、大量破壊兵器を隠し持っている」といったスクープを連発するというのに、規模も小さく、信頼度も大手紙と比較すれば劣るナイト・リッダーは、その正反対のことを書き、9.11以降、日増しに高まる「愛国心」を持った市民らから非難されたり、記者に脅迫メールが送られたりします。加盟紙も記事掲載を拒否したりします。

 この時のナイト・リッダー社の主人公であるジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)という2人の記者の猜疑心と孤立感と不安と焦燥と怒りが、本当に手に取るように分かり、観ていて、こちらも気持ちが高ぶってしまいました。

 特に、大手紙は、恐らく、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官といった中枢と直接取材できるのに、弱小メディアであるナイト・リッダーは、それが出来ずに、末端の政府職員や、かつての情報分析官らからしか取材できないという事情もあったことでしょう。それが、逆に「政府広報紙」にも「御用新聞」にならずに済んだ要因になったことは皮肉と言えば皮肉ですが、「真実を報道したのは1社だけだった」ことは称賛すべきでしょう。

 映画は、実話に基づく話ですが、ロブ・ライナー監督は、もう一人、愛国心に燃える19歳の黒人青年が、志願してイラク戦争に従軍し、重傷を負って帰還する姿も描き、物語に厚みを持たせていました。

 2003年のイラク戦争も、もう多くの映画になるほど「歴史」になってしまったとは感慨深いですが、ベトナム戦争開戦の火ぶたとなった「トンキン湾侵攻」に賛成し、後に後悔することになる上院議員が「歴史は繰り返す」と発言していたことも印象的でした。

 ハリウッド映画(ワーナー系)でしたが、久々に骨太の映画を観ました。間に合えば、今からでも多くの人に見てもらいたいと思いました。

 

村上春樹が初めて語る自身の父親

 正直言いますと、私自身、数年前から「ノーベル賞に一番近い作家」と言われている村上春樹氏の熱心な読者ではありません。

 ひねくれ者ですから(笑)、彼の名声が高まれば高まるほど、離れてしまいました。(読書は、小説よりも専らノンフィクションに転向したせいもあります)

 とはいえ、「ねじまき鳥クロニクル」の頃まで、新刊が出るのが楽しみで、初期から中期までの彼の作品はほとんど読んでいました。(この作品の「第3部 鳥刺し男編 」は1995年8月初版ですから、もう20年以上昔ですか!)

バルセロナ

実は、村上春樹氏とは一度だけ会ったことがあります。いや、「会った」というのは大袈裟で、文芸担当記者だった頃に、都内のホテルで開催されたある文学賞のパーティーでお目にかかって、名刺を出して自己紹介して、エッセイの執筆を御願いして、当然ながら多忙を理由に断られた、といった程度でした。

恐らく1996年の秋ぐらいだったと思います。文学賞のパーティーは講談社か新潮社だったと思いますが、忘れました。いい加減ですね(笑)。

身長は170センチあるかないかの小柄で、筋肉質かもしれませんが痩せ型。マラソンのせいか、日に焼けた顔色でした。こんなことを書くと熱烈なファンに怒られるかもしれませんが、ヨレヨレのジャケットを着て風采が上がらない感じでした。ベストセラー作家として飛ぶ鳥を落とす勢いで、裕福で、既に名声が高く、もっとオーラを感じる人かと思っていたので、意外だった印象が強く残ってます。

 当時から、村上春樹氏はマスコミ嫌いとして有名で、メディアにも住所は公表せず、新聞のインタビューにもあまり応じないことで知られていたので、エッセイの依頼を断られても、予想通りだったことを覚えています。

バルセロナ

  さて、その村上春樹氏が「初めて父親について語った」という随筆を今日発売の月刊文藝春秋の6月号に発表した、という記事を読み、早速購入して読んでみました。

 彼の父は、西宮市にある中高一貫校、甲陽学院の国語の教師でしたが、彼の祖父村上弁識(べんしき) は京都の安養寺の住職だったというのです。これには吃驚しましたねえ。安養寺は、この渓流斎ブログでも、京洛先生のお導きで何回か取り上げていたからです。

●2018年8月29日「桁違いの関西、桁違いの京都人

●2019年1月6日 「京都『左阿弥』は意外と知られていない由緒ある料亭です

 (京都の円山公園の円山とは、慈円山安養寺から取られたもので、安養寺は吉水坊とも称します。天台宗の開祖最澄が創建。浄土宗の開祖法然がここを本拠に30数年間も称名念仏を宣揚した寺としても知られています。)

 村上春樹氏は、安養寺のことを「京都としてはかなり大きなお寺」としながらも、「浄土宗西山派」などと淡々と書いていましたが、とんでもないほど格式の高い名刹なのです。現在、安養寺は彼の従弟の方が住職に就いているそうです。

 と、2019年5月10日に書いたところ、私の大変な思い違いで、村上春樹氏の従弟の方が住職として務められているのは、慈円山安養寺ではなく、青龍山安養寺だということで、大変な大きな間違いだということが分かりました。同年5月28日に、その間違いを御指摘頂いたのは、な、何と、村上春樹氏の従弟の御住職の村上純一氏、御本人です。たまたま、この《渓流斎日乗》をお読みになって、間違いに気がついたということで、「寺号が同じですし距離もそう離れていませんので、しばしばお間違えになってご来寺になる方もございます。春樹に心を寄せてくださる方々が折々来てくださいます。ということは、渓流斎様の文章をお読みになった方が東山区の安養寺様にいらっしゃることも考えられます。ご点検の上、可能ならば訂正をお願い申し上げたく存じます。」との誠にこの上もなく、ご丁寧な文面で御座いました。

 単なる無知な坂東の蛮人が、よく調べもしないのに勝手に書いてしまっただけなのに、穴があったら入りたいくらいです。村上純一様を始め、関係者の皆様方にはお詫び申し上げるとともに、訂正させて頂きます。申し訳御座いませんでした。

 青龍山安養寺の公式ホームページではないかもしれませんが、それに最も近いサイトをリンクさせて頂きました。住所は、 京都市左京区粟田口山下町8で、京都市営地下鉄東西線「蹴上」駅から徒歩3分と書かれております。

 自分の間違いを棚に上げて、何なんですが、村上春樹ファンの皆様におかれましては、ゆめゆめ、お間違いのないように。京都市左京区の青龍山安養寺は西山浄土宗で、京都市東山区の慈円山安養寺は時宗、という宗派の違う全く大きな違いもありました。本当に申し訳ありませんでした。機会があれば、お詫び行脚させて頂きたく存じます。

◇父親の悲惨な戦争体験

 もう一つ。安養寺住職の次男として生まれた父親は、住職養成学校である西山専門学校(現京都西山短大)に入学しますが、事務手続きのミスで1938年に学生の身ながら中国大陸の戦線に召集されます。(本格的な学徒動員は1943年から)。村上氏は作家らしく調査して、父親の所属は第16師団師輜重(しちょう)兵第16連隊(京都・深草・伏見)だったことを突き止めます。この時に、父親から自分の属した部隊が中国人の俘虜を処刑した話を聞かされます。(「その父親の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼き付けられることになった」)

 村上氏の小説の中には、急に戦争の話( 「ねじまき鳥クロニクル」の中のノモンハン事件など )が出てきますが、小さい頃に父親から聞いた戦争体験の話の影響が作品に如実に表れているのでしょう。

 その父親は復員し、謎の空白期間があった後、学業優秀のため京都帝国大学文学部に進学し、3度目の軍務に就いた後に奇跡的に生還し、大学院を中退した後、国語の教師になります。途中は省略して、父親は90歳で亡くなりますが、村上氏は父親との確執から、関係は絶縁に近い状態となって20年以上も顔を合わせなかったといいます。しかし、亡くなる直前になって再会して和解のようなことを行った、と記しています。

 この村上氏の「個人的な文章」では、祖父や伯父らの名前は実名で出てくるのに、不思議なことに、自分の父親の名前は書かれていませんでした。

 月刊文藝春秋は、1000円にもなっていました。でも、この村上春樹氏の一編を読んだだけでも、その価値はありました、と書いておきます。

タルムードに少し触れて

 何となく、季節の変わり目のせいか、ここ数日、気分爽快とはいかず、ペンが重くなっています。

 以前なら、朝起きるとその日に書きたいことが湧き出る泉の如く、止めどもなく、何本も、何本もテーマが浮かんできたのですが、最近はどうも、不調です。

 特に、以下の文章を読んだのが、低迷の決定打となりました。

ゴシップは殺人よりも危険である。殺人は一人しか殺さないが、ゴシップは必ず三人の人間を殺す。ゴシップを言いふらす人自身。それを反対せずに聞いている人。その話題になっている人。

 ゴシップを「ブログ」に置き換えるとゾっとしてしまいます。私は弱い人間ですから、殺すことはありませんが、人を傷つけているのではないか、と思うと書く気力が失せてしまったのです。

先ほどの格言(教義)こそは、ユダヤ民族に伝わるタルムードで、ユダヤ民族に伝わる口伝律法を納めたものです。 法律に例えると、「旧約聖書(トーラー)」が六法全書にとするなら、「タルムード」は判例集に当たります。

タルムードには「労働」「婚姻」「商法」「死生観」 など多岐に渡って教義が記されています。

 以前、このブログの今年2月2日に取り上げた市川裕著「ユダヤ人とユダヤ教」(岩波新書)の中で初めてタルムードの存在を知り、興味を持っていたところ、たまたま、電脳空間に「ユダヤ民族に伝わるタルムード(talmud)には何が書かれているか?」 というサイトが見つかりました。

 このサイトには「ぜひともタルムードの完全な日本語訳が出版されることで、『悪魔の経典タルムード』というイメージや、『ユダヤ人は選民思想によって非ユダヤ人をゴイム(豚)として扱い、世界支配を企んでいる』と言った、ユダヤ陰謀論の誤った認識が覆されることを祈る」と書かれているように、至極真面目に、正攻法でユダヤ思想を取り上げていると思います。

サグラダファミリア教会

 そして、このサイトのリンクには「多様な業界で活躍した著名なユダヤ人」というサイトがあり、これを拝見すると、ユダヤ系の人たちがこれほど、幅広い分野で活躍していたとは驚きでした。

 イエス・キリスト、アインシュタイン、マルクスといった大天才たち(誤解を恐れずに言えば、イエスは生前、教団をつくる意思はなかったという説があります。宗教を超えて生身のイエスは、大天才だったことは疑う余地はなかったと思います)がユダヤ人だったということはよく知られており、クラシックからポップスに至るまで芸能関係者が多く、私自身もかなり知っているつもりでしたが、俳優のハリソン・フォードやスターバックスの中興の祖ハワード・シュルツ、心理学者のアドラー、映画監督のオリバー・ストーン、フェイスブックのザッカーバーグらもユダヤ人だったとは知りませんでした。

 もちろん、私自身も、巷間出回っているユダヤの陰謀説には与していません。ハリウッドのスターになったり、ウォール街の金融街で優遇されるかもしれませんが、それらは陰謀でもなく、白日の下で晒されている誰もが知っている話でしょう。別にヒトは、映画界のスターになることもないし、ジョージ・ソルスやウォーレン・バフェットにならなくても生きていけます。

 それより、何故、ユダヤ人には頭脳明晰な人が多いのかといった方に私は、興味があります。(このサイトには「ノーベル賞受賞者の22%がユダヤ人」とも書かれています。)

 要因として、「ユダヤ人は教育熱心だから」といったことが書かれていますが、それだけではないはずです。「中国のユダヤ人」と言われているのが、「客家(はっか)」で、孫文や鄧小平、李登輝、リー・クアン・ユーらも客家と言われてますが、彼らも大変教育熱心な華僑として知られています。

あ、あまり書き過ぎると、タルムードの戒律に触れてしまいそうなので、この辺でやめておきます。

谷山ー志村予想

志村五郎・米プリンストン大名誉教授が5月3日に亡くなっていたことをプリストン大学が、日本時間の6日に発表しました。享年89。「整数論」の世界的権威の数学者です。

 とはいえ、門外漢の小生が志村氏のことを知ったのは、つい先日のことでした。「騎西城 散策」の際に、埼玉県加須市の観光案内所にあった「加須が生んだ郷土の偉人」というパンフレットの中に数学者の谷山豊(1927~58)が 掲載されていて、これを見た「城歩き同好会」のキャプテンが大声で「えっ?谷山豊は加須出身だったの!?」と叫んだたため、その業績に興味を持ったからでした。キャプテンは、帰り道のバス停の場所を間違えて、もう少しで、キャプテンの座から転落しそうになりましたが、子どもの頃から、フランス人のガロアら天才数学者については人一倍興味を持った人でした。

騎西城跡

 後で詳しく触れますが、埼玉県騎西町(現加須市)出身の谷山豊と静岡県浜松市出身の志村五郎(1930~2019)は東京大学理学部数学科の同窓で、この2人が発表した「谷山ー志村予想」は、難問中の難問「フェルマーの最終定理」解くための鍵となったのでした。

ちなみに、電脳空間で公開されている「加須インターネット博物館」には、谷山豊氏については以下のようなことが書かれています。

 谷山氏の功績に、数学史上最大の難問であり、証明されるまで360年かかった「フェルマーの最終定理」を解くために重要な鍵を握った「谷山-志村予想」を提出したことが挙げられます。これは、昭和30年(1955)栃木県日光市で開かれた数学の国際会議で若手数学者が中心となって未解決の興味ある問題を提起した中に、「谷山予想」(「すべての楕円曲線はモジュラーである」)が含まれていました。

 平成5年(1993)イギリス人数学者アンドリュー・ワイルズ氏により「フェルマーの最終定理」は証明されますが、のちに、ワイルズ氏は「フェルマーの最終定理」を証明するための核心は、「谷山-志村予想」を証明することにあったと語っています。

 めでたし、めでたし、ですね。でも、谷山氏は31歳の若さで亡くなっています。ご病気だったのでしょうか。加須市の偉人パンフレットには何も書かれていませんでした。

 ネットの「コトバンク」にも何も書かれていませんでしたが、ウィキペディアだけには詳しく書かれていました。1958年、東京・池袋の自宅アパートでガス自殺、とありました。 「自殺の原因について、明確なことは自分でもよくわからない 」といった遺書まで残して…。彼は、その年に東大助教授となり、その1カ月前に婚約者が決まり、プリンストン高等研究所からの招聘も決まっていたといいますから、何とも不可解、何とも不可思議、何とも不条理です。

 しかも、その半月後に、谷山氏の婚約者までもが後追い自殺したというのです。

 何と言う悲劇。一体、何があったのでしょうか…。思わず姿勢を正してしまいました。

 賢明なる皆様なら御案内の通り、フェルマーの最終定理とは、「nが3以上の整数の時、X(n乗)+Y(n乗)=Z(n乗)を満たす自然数の組(x,y,z)は存在しない」というものでしたね。私にはさっぱり分かりませんけど…。