ミャンマー国軍による武力鎮圧で既に180人超の犠牲者

 食を通して、国際問題を考えるシリーズー。第365回(フェイクです)の本日は、今、毎日の新聞紙面で見かけない日はないミャンマーとその料理です。

 の、つもりでしたが、ガビーン。探して、探して、行ったらお店は閉まっていました。おかしいなあ…。月~金11:30~14:00はランチって書いてあったのになあ…。

 世界中の料理が食べられる「世界のグルメ 銀座」の触れ込みなのですが、銀座にはミャンマー料理店は1軒もないようです。都内の「ミャンマー料理店」を探してみたら、どういうわけか、高田馬場に集中していて、ここだけ20軒近くあります。在日ミャンマー大使館は北品川にありますが、高田馬場は、在日ミャンマー人が多く住んでいるということなのかもしれません。

 昨日のこのブログで、ロシア料理店のことを書きましたが、大好きな「チャイカ」は、高田馬場にあって、銀座から遠いので昼休みに行けない、といったことを書きました。ということで、同じように、高田馬場にあるミャンマー料理店にも行けそうにありません。

 結局、もう一回調べたところ、銀座に近い新橋に1軒だけあることが分かり、本日はその店を目指して出かけたわけなのです。会社から急いで歩いて20分かけて。

新橋「くしかぶき」

 「くしかぶき」という店でしたが、最初に書いた通り、さんざん探して見つけたと思ったら、閉まっていたわけです。コロナ禍の影響でしょう。仕方ないので、「証拠写真」としてメニューの看板写真を撮っておきました。

 ここで、ミャンマー料理を食べながら、ミャンマーに思いを馳せるつもりでしたが、残念。仕方がないので、この近くの居酒屋「新橋三丁目 魚市場」という店で、コロナ禍で仕方なく始めたらしいランチ「漬け刺身定食」(980円)を食べながら、軍事政権下で苦しむミャンマーの人々への思いを馳せました。

 ミャンマー国軍による突然の軍事クーデタが勃発したのは2月1日のことでした。それから全土で民衆のデモが広がりましたが、1カ月半経った3月16日の時点で、少なくとも180人を超える犠牲者が出ていると報道されています。

 ミャンマーで何が起きたのか、何が起きているのかーについては、日経ビジネスの取材で、ミャンマーの政治・軍関係者とのつながりが深い日本経済大学の井本勝幸特命教授が明解に答えています。結論を先に言えば、混乱の要因は、国軍がここまで民衆の反発が強いとは想定していなかったことにあるといいます。民衆は、陰で文句を言いながらも、最後はクーデタや国軍の支配を受け入れるだろうと国軍が浅読みしていたからだといいます。

 勿論、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が国軍の動きを見誤り、対応に失敗したことが混乱の最大の原因です。しかも、スー・チー氏拘束でリーダー不在となり、NLDはほとんど機能していないといいます。

 井本特命教授によると、表向き、全権を握ったのは国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官(64)となっていますが、裏で糸を引いているのは、旧軍政トップとして独裁体制を敷いたタン・シュエ氏(88)ではないかといいます。

 また、ミャンマー国内外では、「中国が国軍を支援している」との見方が強まっていますが、むしろ、中国一辺倒だったのは、スー・チー政権の方で、国軍は中国の影響力の増大には危機感を強め、近年、中国ではなくロシアから兵器を購入していたといいます。クーデターの数日前にはロシアの国防相がミン・アウン・フライン総司令官と会談しているので、国軍は中国とロシア、そして中国の進出に神経をとがらせる隣国インドとのバランスをうまく取りながら、難局を乗り越えていこうしているのではないかと、井本特命教授は見ています。

 なるほど、随分、すっきりした解説でした。

「新橋三丁目 魚市場」 「漬け刺身定食」(980円)

 どうも、国際社会は、「スー・チー氏=善 VS 国軍=悪」と、単純に断罪しがちですが、そう物事は単純ではなさそうです。勿論、クーデタを起こし、民衆を武力鎮圧する国軍側に非があるという前提の上ですが、ノーベル平和賞受賞のスー・チー氏でさえ、ロヒンギャ族虐殺・迫害に関しては、黙認したことから、批判の矢面に立たされ評判を落としました。

 東南アジアでは、お隣のタイ軍事政権もそうですが、軍人が最も高い水準の教育を受けることから、軍人のエリート意識は異様に高く、支配者階級となるのは当然だという傾向が強いと言われています。

 日本とミャンマーの関係は深く、先の戦争では「インパール作戦」が展開され、援蒋ルートなどもできました。あの「戦場にかける橋」や「ビルマの竪琴」の舞台になったのもミャンマーです。現在では、日本政府の円借款などで、最大都市ヤンゴンから南東に20キロに同国初の経済特区ティラワが設けられ、多くの日本企業も進出しています。

 ミャンマーは熱心な仏教徒が多いわけですから、殺生や争いごとは本来、なじまないはずです。旧宗主国の英国の影響力は低下し、恐らく水面下で、米、中、ロ、印による駆け引きが続いていることでしょうが、日本も何らかの形で解決に貢献できないものか。陳腐な表現ながら、一国民として願っています。

 

 

 

ナワリヌイ氏に思いを馳せてロシア料理=銀座「ロゴスキー」で「つぼ焼きランチ」

  ロシア当局によって拘束された反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏は今、どうなっているのかと思ったら、首都モスクワから約100キロ東方のウラジーミル州ポクロフにある刑務所に収監されているといいます。(3月15日付ロイター電)

 ナワリヌイ氏の体調は良好だと伝えられていますが、弁護団の訪問を受けた直後に投稿されたインスタグラムのメッセージで、彼は「ロシアの刑務制度に驚いたことを認めざるを得ない。モスクワから100キロの場所に本物の強制収容所を作ることが可能だったとは全く想像しなかった」と発言しております。

 スターリン時代のラーゲリが復活しているということでしょうか。何とも恐ろしい…。

 ロシア全土でナワリヌイ氏の釈放を求めて抗議デモが展開されましたが、プーチン政権は強権を発動してナワリヌイ氏の妻ユリア・ナワルナヤ氏らを含め1600人以上を逮捕するなど抑圧しています。

 ということで、ロシアに思いを馳せて、本日は、銀座のロシア料理レストラン「ロゴスキー」に行って参りました。渋谷にある「ロゴスキー」は気に入って、もう随分昔ですが、友人たちと何度か行ったことがありましたが、銀座の「ロゴスキー」は今回が初めてです。

 というのも、ロゴスキーが入居している銀座のビルには中国人観光客御用達の家電量販店「ラオックス」があり、いつもいつも中国人観光客でいっぱいに溢れていて近づきにくかったこともあります。今は、コロナ禍で、そんなことはありませんが。

 でも、知る人ぞ知る有名店なのか、本日行っても、(緊急事態宣言下なのに)ほぼ満席で、私が出る頃には2~3人の客が外で待っていました。

前菜サラダ

 この店は「1951年創業 日本で最初のロシア料理レストラン」と銘打っています。一番の老舗です。でも、個人的には、ハルビン学院出身で恵雅堂出版を創業した麻田平蔵氏が高田馬場に開いたロシア料理店「チャイカ」(1972年創業)の方が味といい、良心的な価格といい、好きですね。皆さんにも是非お勧めです。昼休みは時間がないので、高田馬場まで行けないのが残念です(苦笑)。

ピロシキ(左)とボルシチ

 ロゴスキーと言えば、「つぼ焼き」なので、「つぼ焼きランチ」を注文しました。メニューをよく見たら、これが一番安くて2200円。一番高いランチコースは「ロゴスカヤ」で3960円でした。

 ランチでこの価格ですから、当然ながら、客層は富裕層に限られていました。まあ、服装と装飾品を一目見るだけで、それとなく分かります。中には高級ワインのボトルを昼間から開けているお客さんも目立ちました。逆に言えば、なるほど、こういう顔付き、こういう仕草をする人間が富裕層なのか、ということが手に取るように分かります。

 でも、私の斜め前方のテーブル席に座っていたアヴェックは、どう見ても怪しい。若い女性の方は20代の女子大生風。男性は初老、いや70歳は軽く超えていると思われる白髪の紳士。聞きたくもないのですが、女性は興奮して、結構ヴォリュームを上げて話しているので、耳に入ってきてしまいます。

名物「つぼ焼き」

 「ねえ、パパ。いいでしょ、いいでしょ?ねえ、買って、買ってえ」

 そのものズバリ、「パパ活」なのかもしれません。でも、パパ活にしては年が離れすぎています。「爺転がし」と言った方が無難かもしれません。とはいえ、白髪の紳士が可哀想かと言えばそうでもない。若い女子大生はこちら側を向いていたので、顔も表情もよく見えたのですが、白髪紳士は後ろ向きなので、表情が分からない。でも、声は聞こえます。

 「うん、うん、分かった、分かった」

 満更でもない表情を浮かべていると想像されます。

 どっちもどっちです。狐と狸の化かし合い。本当にどうでもいいんですが、もうちょっと声を抑えて会話してほしいなあ。食事をしていても、気が散ってしょうがない。

ロシア紅茶 勿論、ジャム入り

 ということで、ナワリヌイ氏の不遇に思いを馳せて、ロシア料理を選んだのに、怪しいカップルには水をさされてしまいました。

 でも、入場料2200円を支払って、生の人間観察と社会見学ができたと思えば、安上がりですんだかもしれません。

 とはいえ、一番安いランチにしたせいか、美味しかったですが、個人的にはちょっと量が少なかったなあ。腹六分目といった感じでした。

 ロシアといえば、何と言っても、トルストイ、ドストエフスキーと人類が産んだ最高峰の文学者を輩出しています。他にチャイコフスキーやムソルグスキーら偉大な作曲家もいますが、彼らも同じようにピロシキやボルシチを食べていたかと思うと、感無量になるではありませんか!

 

マスクの下を見たかった=助平爺の独白

 熱は出ないのですが、一時間ごとぐらいに猛烈に咳き込む「喉風邪」を引いてしまいました。なぜか、二週間以上も経つのになかなか治りません。

 熱が出ないし、食欲もあるので、日常生活に差し障りがほとんどないのですが、困るのは通勤電車の中で咳き込んでしまうことです。何十人もの白い眼がさっとこちらに向けて突き刺さってきます。

 「しゅびばせんねえ」と志村けんのヒトミばあさんのように謝るしかありません。

  喉風邪に加えて、花粉症ですから、頭がボーとして、気分もスカッとしません。

 生きていてもつまらないし、「何かいいことないかなあ」と願っても、街中は緊急事態宣言下で、皆不機嫌そうに歩いています。それに、ほぼ全員、マスクをしているので、ここしばらく、笑顔にも接していません。仏教用語でいうところの「和顔施(わがんせ)」のことです。

 そう言えば、皆マスクをしているので、他人様の鼻や口を見なくなって久しいことに気が付きました。一体、どんな形だったことやら、忘れかけてしまうほど、最後に見たのは遠い昔の話でした。

 それが、幸運にも、本日、本当に久しぶりに、他人様の鼻と口を見る機会を得たのです。お昼にレストランに入って待っていたら、通路を挟んで向こう側のテーブル席に若い二人の女性が案内されました。普通なら向かい合って座るのに、二人はわざわざ隣同士に並んで座ったので、向こうのテーブルと通路と私のテーブルを挟んで、向かい合うことになってしまいました。まあ、10メートルぐらいは離れていたことでしょうが。

 食事をするので、当然、その時はマスクを外します。まあ、真正面で向かい合って座っておりますから、見たくなくても相手が見えてしまいます。すると、どう見ても、10代後半か20代初めのピチピチギャルでした。顔の肌には皺がひとつもなく、ピンと突っ張っていました。服装から年齢層は最初から分かっていましたけど(笑)。

 この後書くことは、恐らくPC(ポリティカルコレクト)に欠けて、糾弾されるかもしれませんけど、二人は特に超美人というわけではありませんでしたが、青春のど真ん中で、「箸が転んでもおかしい年ごろ」のようで、何でもない話でも愉快そうに笑っていました。

 特に、私から見て右側の女の子は、その唇が、想像していた以上にぶ厚くて、とても蠱惑的で、まるでスクリーンの中の女優さんのようにさえ見えてきました。私は食事をしながら、チラチラと眺めました。いやあ、実に、眼福、眼福でした。

 えっ?やっぱり、PCに欠けて、単なる助平爺(スケベ シャチョウさん)の発言ですか?

 まあ、許してつかあさい。

 年を取っていくと、生きる喜びも愉しみもだんだんなくなってしまうものなのです。貴方には想像もつかないと思いますけど。

 相手に気付かれないように、チラッと見ていただけです。まるで、SFの世界ですが、単にマスクの中を見たかっただけなのです。

 こうして、罪を告白しましたから、どうか許してつかあさい。

(「命みじかし 恋せよ 乙女」と心の中で叫びました。古い!)

中国大陸料理で「倍返し」=銀座「天龍」の餃子はデカい

 先日、このブログで、可哀想な台湾のために少しでもお役に立ちたい、という思いで、台湾料理店「銀座 金魚」に足を運んだ話を書いたところ、早速、ある筋から「分かっているだろうな」と低い声で囁かれました。

 そこで、本日は中国大陸の料理に「倍返し」ということで探した挙句、銀座「天龍」に行くことに致しました。餃子では「日本一」と評判のあの有名店です。昭和24年創業、ということですから、東京でいえば老舗と言えるかもしれません。

 私も以前に何回か行ったことがありますが、今ある場所に移る前の1階にあった頃です。現在は、地下鉄有楽町線「銀座1丁目」駅に直結したビルの4階にありました。

 さすが人気店ですから、コロナ禍とはいえ、少し待たされました。

「銀座 天龍」の餃子ライス・ランチ1250円

 訪れるのは6~7年ぶりですから、すっかり味も作法も忘れておりました。迷った末、焼き餃子(8個入り、1150円)と銀座のラーメン(980円)を頼んだところ、お店の人が「多いですよ。餃子とライスで十分だと思いますよお」と言うので、作法に従うことにしました。

 細かい話ですが、餃子と別にライスを注文すると、ライス小だと200円、ライス大だと300円でした。でも、ランチの「餃子ライス」だと1250円。つまり、ライス分は100円で済んでしまうのです。

 少し待って運ばれてきた餃子を見て、ビックリ。「デカっ!」と声が出るくらいでした。

このデカさ!

 8個入りですから、食べても食べても減りません。たい焼きじゃありませんが、尻尾までお肉がパンパンに入っていました。お店の人が正解でした。これに、ラーメンでは、お腹ぱんぱんになるところでした。「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんのように、そんなに沢山食べられませんよ。腹八分目で十分。勿体ないことに、餃子2個も残している先客さんもいました。

 結局、台湾料理を食べたお蔭で、文字通り、「倍返し」で、中国大陸料理を食べることになりました。何か、予言やお告げに従って生きているようで、自分でも怖いです。

 

台湾応援のため台湾料理を銀座「金魚」で食す

銀座 台湾料理「金魚」 

 本日も当局の監視の目をかいくぐってグルメの話題で胡麻化します。

 とは言っても、かなり政治的な話題に触れます。2028年にも米国を抜いて世界一の経済大国になると言われる中国のことです。

 その中国が3月1日から台湾産パイナップルの輸入停止を始めたというのです。中国当局の発表では、その理由は、害虫が発見されたからというものです。台湾産パイナップルの中国への出荷量は輸出全体の9割を占めていたので、台湾の農家にとっては大打撃です。

 台湾では「害虫説」を信じる人はほとんどいません。パイナップルの一大産地である台湾南部は蔡英文総統の与党民進党の支持者が多いため、中国が蔡政権を追い落とす策略のために輸入停止の措置を取ったのではないかと穿った見方をする人もいます。蔡政権はコロナ対策で成功し、支持率も高かったので、中国は、苦肉の策を弄したということでしょうか。

台湾料理「金魚」ランチ「ルーロー飯と台菜麺」1120円 ホットコーヒーを食前に持ってくる風習のようでした

 はっきり言って、大国中国は大人げないですね。弱い者いじめは良くないですよ。台湾だけでなく、国内では同化政策を強行しています。香港では国家安全維持法を施行し、自由と民主主義を弾圧し、「一国二制度」の約束を反故にしようとし、内モンゴルやウイグル地区などでは、固有の言語であるモンゴル語やウイグル語などを禁止して、漢語一辺倒での教育を強制しています。

 中国の今年の防衛費も昨年比6.8%増で、日本円で22兆円余りと日本の防衛費の4倍。アジアの周辺国だけでなく、欧米各国にも脅威を与えています。

 勿論、中国にも言い分はあるでしょう。19世紀から20世紀にかけて欧米列強と、急速に近代化を成し遂げた日本によって、植民地化されるなど長い間支配され、「もう二度と騙されないぞ」と「富国強兵」国家樹立に邁進せざるを得なかったとも言えます。中国にとって、台湾はあくまでも「自国領土」であり、国際社会の批判は「内政干渉だ」と敏感になっています。

 あれっ? グルメの話をするはずが、いつの間にか、生臭い話になってしまいましたね(笑)。

台湾料理「金魚」

  そうなんです。中国による台湾パイナップル禁輸のニュースを聞き、台湾を応援したくなり、本日、台湾料理店に行ったわけです。

 調べたところ、銀座で一番の人気店が、メルサ4階にある「金魚」という店だということで、初めて行ってみました。

 さすが、人気店で、ちょっと待たされましたが、本場台湾の味でした。台菜麺が美味かった。数年前に台湾旅行した時の味を思い出しました。

 今度またこの店に行くとしたら、今回注文しなかった台湾名物「小籠包」でも頼んでみようかしら。

 それとも、こんなことを正直に書いたので、高級中国飯店に行って「倍返し」しなければならなくなるかもしれません。

築地「天ぷら 黒川」で特製天丼食す

 東京・築地の天ぷらと言えば「黒川」と、もう20年以上昔に聞いたことがあったのですが、なかなか機会に恵まれず、本日やっと重い腰をあげて実現させました。

 最近、このブログで、政治的なことばかり書いていたところ、当局の監視の目がうるさく、当たり障りのない話題で煙に巻こうと思ったからでした(笑)。

 いわゆる築地場外市場の奥の奥の路地にあり、すこし分かりづらい。でも、とっても小さな店だったので、「えっ?これが、あの有名な『黒川』?」と思ったぐらいでした。何しろ、テーブル2卓とカウンターの13席しかないといいますからね。

 今はコロナ禍なので人が少なく、待たずに済みましたが、普段の昼時ともなりますと、外の腰掛で、結構待たされるようです。

 この店は、最低でも天丼の1500円、定食は3000円からですから、暖簾をくぐるにはそれなりの覚悟がいります(大袈裟な)。

特製天丼 蟹味噌汁付

 私は、迷いましたが、2000円の特製天丼を注文しました。

 写真で御覧できると思いますが、海老2本と穴子、帆立、野菜、かき揚げがもれなく入っています。特殊の秘伝のタレがかかってますが、見た目をより辛くない。むしろ、甘いぐらいでした。お味はさすが、天ぷら一筋30年の職人技、黒川、といった感じでしょうか。カリッと揚がって旨い。

 とはいえ、「てんや」の天丼並盛500円を目隠しされて食べても、その日の体調によっては、はっきり区別できないかもしれませんけど…(駄目じゃん=笑)

内閣広報官の月給は117万円

銀座アスター

 今、話題沸騰騒然の「内閣広報官」というのは特別職の国家公務員で、官僚トップの事務次官級と同じ月額給与は117万5000円なんだそうです。えっ? 何? 月給が117万余円? 今の私の手取り年収じゃありませんか。

  だから、東北新社とNTTから高額接待を受けた山田真貴子さんも、本当は辞めたくなかったんでしょうね。体調不良で入院さえしなければ。

銀座アスター ランチコース「桂花」2420円 

 後任の内閣広報官に就任した小野日子氏は外務省出身。直前は外務副報道官だったので、局長を経ずに事務次官級に2段跳びしたことになります。ちなみに、日子氏の夫は外務省の小野啓一地球規模課題審議官(局長級)なので、職制で見れば、夫を追い抜いた形になります。ジェンダー平等万歳!といったところですか。

 便宜供与もからんでいるとみられる総務省の高級官僚の接待事件は止まるところを知らず、NTTの澤田純社長らから接待を受けて更迭された谷脇康彦前総務審議官が3月末で定年になるそうですね。谷脇氏は現在60歳で、事務次官級の総務審議官は本来、国家公務員法などに基づき定年を62歳までとする特例があるんですが、更迭されて官房付への異動となり、その適用がなくなるので定年退職してもらおう、というのが表向きの理由。

 しかし、内実は、退職金も満額なら6000万円前後も支給される可能性があり、総務省ナンバー2を経験した人ですから、ほとぼりが醒めれば、どこか放送事業関連会社の役員に滑り込むんじゃないでしょうか。

銀座アスター(デザート) 普段は安い中華料理店の850円のランチだったので、ここではまるで中国皇帝になった気分でした

 山田真貴子氏も総務省審議官時代に東北新社やNTTから接待を受けたのに、文春砲で「発覚」したときは、総務省を離れていたので、事務的な「お咎めなし」でした。谷脇康彦氏も総務省を退職させれば、もう霞が関の人ではないから、またまた「お咎めなし」ということで事件を有耶無耶にしようとする菅政権の魂胆が見え隠れします。

 菅首相は総務省族議員出身ですから、色々、まずいことが出てくるとヤバイというセンサーが働いたんでしょうね。

 以上、「持たざる者」ながら、少額納税者から見た単なる羨望でした。

歴史教科書に「占領時代」と明記すべきでは=「米軍ヘリが都心で実践訓練か」の記事を読んで

 日本は、アジア太平洋戦争での敗戦後の1945年9月2日からサンフランシスコ講和条約締結後の1952年4月28日まで約7年間、連合国軍GHQという名の実質上米軍によって占領されていたという史実を知らない人が多いことに唖然とすることがあります。若者だけでなく、教養のありそうな中年や初老の人もそうでした。「時間切れ」で学校で教えてくれなかったことが原因でしょうが、それにしても情けない。

 3月5日付毎日新聞朝刊が社会面で、「米軍ヘリ、スカイツリーに6回接近 都心で実戦訓練か」と題して、米軍が、日本の首都東京のど真ん中で白昼堂々とヘリコプターによる実践訓練の模様を報じ、ネットでも動画を配信しておりました。米軍は、取材に対して具体的な飛行理由を明かさなかったのですが、専門家は軍事訓練ではないかと分析しています。占領国だから政府に許可なく勝手放題していいということなんでしょうか?

 1952年で終わったはずの米軍による占領が、まだ終わっていないことを証明しているのかもしれません。

 何と言っても、この事実は、毎日新聞が報じなければ、日本国民は誰も知らなったことでした。考えるだけでも恐ろしい。メディアには頑張ってもらいたいものです。

 それにしても、この「事件」に関して、日本政府が抗議したことなど、寡聞にして知りません。何で、こうも弱腰なんでしょうか。日本人は占領下民として駐留費を負担し、半永久的に占領国の言いなりにならなければならないということなんでしょうか。歴代政権も米国の顔色を窺い、少しでも反米的態度を取れば、田中角栄元首相のように、葬り去られると思っているのかしら。

銀座アスター

 昨日この渓流斎ブログで取り上げた「検閲官」(新潮新書)の著者山本武利氏も、同書の最後の方で、日本政府の弱腰を批判しておりました。

 山本氏が批判したのは、現代史研究者にとって最も重要な資料で、日本の文化遺産でもある「プランゲ文庫」のことです。同文庫は、戦勝国によって戦利品のようにabduct(拉致)されたというのに、敗戦国としての当然の権利を行使せず、日本政府は弱腰で、返還請求したことは一度もないというのです。

 プランゲ文庫の正式名称は「ゴードン・W・プランゲ文庫 ー1945~1952年日本における連合国の占領」で、ゴードン・W・プランゲ(Gordon William Prange 1910~80年)が歴史学教授を務めていた米メリーランド大学図書館に収蔵されています。プランゲは、1942年、同大教授の職を休職して海軍士官として軍務につき、1946年からGHQの参謀第2部(G-2)で戦史の編纂作業に当たった人でした。

 私自身は、以前からゾルゲ事件に関心があったので、プランゲといえば「ゾルゲ・東京を狙え』上・下(早正隆訳、原書房)の著者として知っていました。非常に面白い本で、ゾルゲ事件を映画化した篠田正浩監督もこの本を大いに参考にしたと思われます。

 昨日書いた記事(山本武利著「検閲官」)の復習になりますが、GHQ傘下のCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)は、検閲のため、当時発行されたあらゆる図書、雑誌、新聞などの資料を収集します。それがそっくりそのまま、日本に返還されることなく、プランゲがG-2の部長ウィロビー将軍に取り入って、占領期のどさくさに紛れ込んで、母校の大学に「拉致」したというのが、山本氏の見立てです。その数は、雑誌約1万3800タイトル、新聞・通信約1万8000タイトル、図書約7万3000冊、通信社写真1万枚、地図・通信640枚、ポスター90枚と言われています。

 やはり、日本の歴史教科書の年表の1945年9月2日から1952年4月28日までは「占領時代」と明記すべきですね。奈良、平安時代…江戸時代などと同格です。文部科学省が明記させないとしたら、いまだ占領状態が続いていると思っているからなのでしょうか?

 あ、あまり書くと、今も密かに生き残る検閲官の手によって翻訳され、私も消されてしまうかもしれませんね。

闇が深い占領期の検閲の史実=山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」

 山本武利著「検閲官 発見されたGHQ名簿」(新潮新書、2021年2月20日初版)を読了しました。

 実は、2月28日の渓流斎ブログで「占領期の検閲問題=三浦義一論文も削除、木下順二は検閲官だった?-第34回諜報研究会」という記事を書きました。この中で、この諜報研究会を主催するインテリジェンス研究所理事長の山本武利一橋大学・早稲田大学名誉教授が最近上梓された「検閲官」(新潮新書)を未読だったため、オンライン講演会で質問もできなかった、といった趣旨のことを書いたところ、この記事に目を留めて頂いた山本先生御本人から「まだ購入されていなかったら献本致しますよ」と、声を掛けて頂いたのです。

 一瞬、自分自身が、GHQ占領下の日本人検閲官か、総務省の高級官僚になったような気分に陥りましたが、せっかくの御厚意ですからお言葉に甘えてお願いしてしまいました。

梅は咲いたか、桜はまだかいな

 いつもながら、前置きが長くなりましたが、これはかなりの労作です。新書のスタイルですが、中身はかなり濃厚です。著者略歴で公表されている通り、山本氏満80歳の著作ですから、本当に頭が下がります。「GHQの検閲・諜報・宣伝工作」など長年にわたってライフワークとして取り組んできたインテリジェンス(諜報)研究の最新の成果が表れています。

 戦後、GHQによる検閲に関しては、江藤淳による先行研究がありますが、山本氏は江藤説を止揚(アウフヘーベン)している格好です。例えば、江藤説では、日本人検閲官は約1万人だった、としていたのに対して、山本氏は2万人余と訂正。また、長洲一二元神奈川県知事(1919~99年)ら東京裁判の検察側証人の事務所雇員を、江藤が検察官グループに入れてしまった誤りなどを山本氏は指摘しています。

 何しろ、GHQによる検閲を主導したCCD(民間検閲局)が閉鎖された時点(CCDは1949年10月31日廃止)での全国の本部・支部の所在地について、山本氏は長年追求してきましたが、ようやく資料が発見できたのが、アメリカ公文書館で、何と2019年11月のことだった、というのです。つい、最近ではありませんか!!江藤淳が「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文藝春秋、1989年)を発表した当時は、日本人検閲官だった人は誰一人証言する人はなく、メリーランド大学のプランゲ文庫などが全面的に公開されていなかった時代だったかもしれませんが、もしかしたら、今後も新資料が見つかるかもしれません。(本書では日本人検閲官の体験談がかなり採用されています)

ミモザ

 さて、私自身が、GHQによる検閲という史実を初めて知ったのはいつだったのか忘れてしまいましたが、少なくとも若い頃は、新聞雑誌の検閲や仇討映画や演劇の上映、上演禁止といったこと以外は、あまりよく知りませんでした。特に日本人のインテリによって電話が盗聴されたり、庶民の私信が開封されて英訳されたりしていたことなど、これは超機密の極秘事項だったので、多くの国民が知る由もなかった、というのが実情でしょう。

 本書では、その実体について、的確に教授してくれます。まず、敗戦後の日本を支配下占領軍GHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令部)内で諜報、検閲を扱う総本部はG-2(参謀第2部)と呼ばれ、そのトップは、マッカーサーの忠臣チャールズ・ウィロビーでした。そのG-2の傘下には民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事・刑事を扱うCIC(対敵諜報部)が置かれ、このCISに属していたのがCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)でした。

 CCDには、郵便、電信、電話の検閲を行う通信部門(Communications)と、新聞、出版、映画、放送等を検閲するPPB(Press, Pictorial &Broadcasting)部門がありました。検閲対象については、例えば、1948年6,9月のリストでは郵便部門が75%と全体の4分の3を占めていました。つまり、GHQは、右翼、左翼の大物も含めて、日本国民の占領軍に対する「庶民感情」を一番知りたかったことになりますね。支配者として、統治の基準を暗中模索で探っていたか、問題人物は刑務所にぶち込むなどしていたのでしょうね。

 日本人検閲官は、かなりの高給で採用されたことを本書で初めて知りましたが、GHQのポケットマネーで給与が支払われたわけではなく、日本政府が賠償金代わりに負担させられていたというのです。まさに、踏んだり蹴ったりですね。

 江藤淳が追及していた当時は分からなかった日本人検閲官については、ほんの一部ながら、本人による手記などで分かってきています。2月27日の諜報研究会のオンライン講座で話題になった進歩派知識人の代表である劇作家の木下順二もその可能性大ですが、後に推理小説の大家となる鮎川哲也(1919~2002)は、「うしろめたい仕事だった」と回想し、ロッキード事件などの追及で「国会の爆弾男」の異名を持った楢崎弥之助(1920~2012、元衆院議員)も、福岡のCCDで検閲に携わった体験談を残しています。

 日本人検閲官は、英語の出来る東大や津田塾大などの若い学生が多かったようですが、興味深かったのは高齢者雇用です。例えば、斎藤玉男という人は、東大医学部を卒業した精神科医で、「智恵子抄」の高村智恵子が入院したゼームス坂病院を開設したり、東京府立松沢病院副院長などを歴任しながら、戦後は職がなく、猛烈な食糧難とインフレに悩まされていたことから、1948年にCCDに採用されます。斎藤は1880年生まれなので、この時、68歳です。他にも高齢者採用の中に、元大学教授や元外交官らエリート層がいましたが、著者の山本氏は「人生50年と言われた当時の60歳代は現在の90歳代に相当するだろう」と書いています。

参謀本部の高級幕僚は売国奴に

 検閲以外で、著者の山本氏が最も糾弾しているのが、有末精三中将や服部卓四郎大佐といった戦時中の参謀本部の高級幕僚だった元軍人で、彼らは専門知識を旧敵国に最高値で売り込み、占領の手助けをしたというのです。山本氏は「売国奴以外の何者でもない」と書いてますが、その通りですね。戦後直後の占領期には、帝銀事件、下山国鉄総裁事件、三鷹事件、松川事件などといった「陰謀事件」が多発し、キャノン機関による工作などGHQの影もちらついています。

 私自身、最近、戦国時代に夢中になって、少しだけ近現代史から遠ざかっていましたが、まだまだ勉強が足りないと実感しました。

戒律は何処へ行った?=築地本願寺カフェ「Tsumugi」で肉食す

 今、何かと話題になっている築地本願寺カフェ「Tsumugi」紬に初めて行き、会社の近くなんでランチして来ました。

 築地本願寺は、御説明するまでもなく、浄土真宗本願寺派(西本願寺)のいわば東京の総本山みたいな寺院です。江戸初期の元和2年(1617年)に浅草で創建されましたが、1657年の「明暦の大火」で焼失してしまいます。その後、幕府から与えられた土地が現在の場所で、当時は海上。そこで埋め立てをして「土地を築き」、本堂を建立したことから「築地」の由来になったことは皆さまも御案内の通りです。なお、大正12年(1923年)の関東大震災で再度本堂を焼失し、昭和9年(1934年)に現在のちょっと変わったというか、初めての方が見れば異様なインド寺院風の本堂になっております。

 400年以上の歴史があるわけですが、実は、オウム真理教事件などもあり、最近、若者らの既成宗教、特に仏教離れが進み、参拝者も激減していたそうです。

 そこで、築地本願寺は、あの開成高校から慶應大を卒業し、銀行員からコンサルタント会社社長も経験して僧侶の資格を得たA氏を2015年から事務方トップの宗務長に起用し、「開かれた寺」を目指すA氏の大幅改革によって、参拝者は2015年からの5年で実に2倍の250万人に増えたといいます。

 A氏は、数多くのテレビや雑誌の取材に応じて「顔見世興行」のように露出されているので、皆さまも御存知のことでしょう。

築地本願寺 カフェ「Tsumugi」紬

 私は「野次馬」ですから、カフェに初めて行ってみました。

 その前に、本堂は、会社から近いので、昼休みを利用して何度も行ってます。でも、キリスト教会のようなパイプオルガンが設置されていて、1台3億円もするとは知りませんでしたね。(テレビの番組で知りました)

 築地本願寺カフェ「Tsumugi」紬は、まさに21世紀のカフェ・レストランでした。加賀の一向一揆や織田信長による石山本願寺攻めの歴史を知っている我々にとっては、実に感慨深いものがあります。

 とにかく、ビックリです。

十三穀御飯と和風ビーフステーキ 1540円 写真の上部にメニューがあり「オーダーはこちらから 1」と書いてある

 何と!注文するのに、メニュー表紙のバーコードをスマホで読み取って、それから初めて注文することができるのです。スマホを持っていない人はどうしたらいいんでしょうかねえ?

  最近、海外旅行に行っていないので、知りませんが、こんなバーコード注文なんて、紐育や巴里や倫敦でもやっているんでしょうか? IT先進国のフィンランドや、何でも一番になりたがる中国なら既にやってそうですが、もしかして、世界初なのかもしれません。

 でも、すぐ目の前に接客してくれる係の若い綺麗な女性がいるのに、何か味気ない(こらっ!)私はスマホ中毒というか、スマホ廃人ですから、バーコードを読み取り、すんなり「注文」のボタンを押せましたが、それでも、どこか解せない。そこで、美人さんに「どうして、私が注文したことが分かるんですか?」と尋ねたところ、「あ、それは、テーブルごとに番号が付いていて、バーコードで読み取る際に、場所が分かるのです。お客様のメニューには『1』と書かれていますよね?」

 なるほど、よく分かりました。

 会計の際、スマホのアプリで、R社のポイントを加算してくれて、カードも使えました。「凄く、IT化が進んでいるんですね」と帰り際に言ったところ、美人さんは「2月の頭から始めたんです」とニッコリ微笑んでくれました。(マスクではっきり見えませんでしたが)

◇「般若湯」「桜」「牡丹」なら食べ放題、飲み放題

 ところで、私は「和風ビーフステーキ」を注文したのですが、仏教寺院が経営するカフェだというのに、肉も魚も食べ放題、日本酒もビールもワインもウイスキーも飲み放題でした(ただし、総務省の高級官僚を見習わずに、御自分でお支払いくださいね)。

 細かく言えば、殺生を禁じる仏教の戒律に違反しますよね?あ、僧侶御自身だけが守っていればいいのかしれませんが、色んな宗派の中でも、浄土真宗は特に寛大な気がします。僧侶でも肉食妻帯は許されているようで、何と言っても件の宗務長をはじめ、僧侶でも剃髪せず、長髪を伸ばしている方を多く見受けられます。日本の仏教の宗派の信者の中で、浄土真宗が一番多いのは、このように、戒律に対して寛大なせいなのかもしれません。

 隠語として、お酒のことを「般若湯」と言ったり、馬肉を「桜」、鹿肉を「紅葉」、猪を「牡丹」もしくは「山鯨」などと言ったりしております(花札の影響か?)。歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」や落語なんかにも出てきますよね。ということは、お坊さんたちも、昔から隠れて、いや正々堂々と戒律を破っていたということになりますか。親鸞聖人が見たら吃驚するかもしれませんが。