「気滞」と「瘀血」を防いで朗らかに生きたい

(※渓流斎ブログは新サーバーに移行する予定ですが、主宰者=私のこと=の技術的無能力によって消滅する可能性もあります。)

 正月早々、ノロウイルスに感染して寝込んだり、集合住宅の役員として難題を突きつけられたり、一難去って一難の状況が続き、ついに、この渓流斎ブログの存続問題にまで発展してしまいました。

 そのせいか、毎日、憂鬱と不安で、肩痛、腰痛、関節痛などが少しも収まりません。何処かのマッサージにでも行けば、一時的には治るでしょうが、また再発しそうです。

 そんな折、大変為になる面白い話を聴きました。またまた、NHKラジオの聴き逃しサービスで、「日曜カルチャー」漢方薬膳研究家の阪口珠未氏による「元気に美しく年を重ねる食養生」の話です。

 以下は「如是我聞」で、阪口先生の話をそのまま要約したわけではないことを最初にお断りしておきます。

HigashiKurume この樹木は、中学生の頃、私の膝下しかありませんでしたが、半世紀以上過ぎて3メール以上の高さに成長していました

 漢方の考え方に、人間の身体には「気」と「血」と「水」の三つの構成要素が通っており、これらが停滞したり、鬱血したりすると、病気になったり、不調になったりするといわれています。

 「気」はエネルギーであり、これが滞ると「気滞」と呼ばれます。ストレスや心配や不安で気滞になるようです。イライラしたり、うつ状態になります。病は気から、とよく言いますから、私も慢性になっている肩痛、腰痛も、気滞の影響の一つだと思っています。

 阪口先生は、気の流れを良くするには、香りの良い食材を摂ることを勧めていました。香りの良い食材とは、レモン、ゆず(の皮)、カボス、シークワーサー、グレープフルーツなどの柑橘類なんだそうです。他に、ふきのとうや赤紫蘇なんかも良いといいます。そして、ジャスミン茶やバジルやミントなどのハーブも気の流れに良い、というので、私はこの話を聞いて、早速、遠くの専門店に行ってジャスミン茶を買ってきましたよ。すっかりお酒も弱くなってしまったので、これからジャスミン茶でも飲みますか。。。

 「血」はここには栄養が流れており、これが滞ると「瘀血」(おけつ)と呼ぶそうです。私は初めて聞きました。瘀血になると、冷え症や倦怠感など身体のあらゆる器官や部所で不調や不振が起きます。私の肩痛、腰痛もそうかもしれません。瘀血にならないようにするには、阪口先生は、下半身を使う運動を勧めていました。ウオーキングなんか良いのでしょう。血液の流れを良くするには、ショウガやニンニクを摂ると良いようです。また、阪口先生は個人的に瘀血対策として、ハイビスカスとバラとサンザシ(林檎に似た果物)などを混合したお茶を飲んでいるそうです。

 この他、気滞や瘀血にならないために、サバ缶はお勧めですが、油が酸化したスナック菓子や乾物などを摂りすぎると良くないそうです。

 「水」は、人間の身体の50~75%を占めていますから、ご説明するまでもないでしょう。人間は水で出来ているといっても過言ではないので、水がなければ確実に死に至ります。水は肌などのうるおいにも関係しますので、老人になれば、うるおいもなくなり、身体に占める水量も減ります。

 いくら、気滞や瘀血や水量に気をつけていても、人間は「加齢」からは逃れられません。平均的に女性は閉経となる49歳、男性は56歳から加齢が始まるといいます。(まあ、その前から始まるヒトも多いことでしょう。)

 私のように、毎日、抑鬱や不安にさらされていては、老化は進行することでしょう。阪口先生は、何よりも我慢せず、ストレスを溜めないことをお勧めしていました。そう言われてもねえ。。。

 私は日本人の典型ですから、どうしても我慢してしまうんですよね。これからは、ジャスミン茶でも飲んで、なるべくリラックスしますかぁ。。。

 

《渓流斎日乗》存続の危機?

 拙ブログ《渓流斎日乗》は、2005年3月から始めましたから、もう20年近くなります。その間、多くの読者の皆さまに支えられてここまでやって来られたと思います。感謝申し上げます。

 2017年9月から、高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏のお導きで独立して広告収入まで得ることができました。このまま順風満帆に行くかと思いましたら、その松長氏が一昨年、53歳の若さで他界されてしまいました。技術面で彼におんぶにだっこの状態でしたので、今後存続できるかどうか不安を覚えてしまいました。

 広告収入を得ていますので、確定申告をしています。正直に書きますと、一昨年の広告収入は年間約4万2000円で、松長氏を引き継いだ管理者の方が管理するサーバー代とドメイン代が計年間2万円で、差し引き、約2万2000円の「収入」がありました。

 昨年はお蔭様で、アクセス数が急激に増え、「100万回アクセス」まで突破しましたので、今年の確定申告は大いに期待したのですが、わずか約3000円でした。あれっ?3万円の間違いではないのかな?と問い合わせをしたところ、ブログサイトの広告へのクリック数が減り、広告収入は約2万3000円でした。これに、サーバー代、ドメイン代を差し引くと、手取り3000円になるというわけです。

 このブログを書くために、書籍代やら映画など観劇費やら交通費やら「取材費」が相当かかっています。年収3000円ではとてもやっていけません。

HigashiKurume

 と、思いましたら、今朝、ブログの管理者の方から初めて電話があり、今後、会社組織として再編成する関係で、ブログのサーバー代、ドメイン代を月1万円にしたい、との御提案がありました。年間12万円ではとてもやっていけません。

 そこで、管理者の方からもう一つあった御提案は、「引っ越し」です。自分で新たにサーバーとドメインを契約し、グーグルの広告も新たに契約しなさい、といったものでした。レンタルサーバー代は月1000円、ドメイン代は年間2000円で済む会社もあるようです。

 いやはや、このブログを続けるにはそれしかありません。ただし、私自身は、技術面でズブの素人ですから、自分の力だけで「引っ越し」が出来るかどうかは、全く心もとないのです。

 うまくいかなければ廃業するしかないかなあ、と諦めています。まさに青天の霹靂で、どうなってしまうのか? 《渓流斎日乗》の存続の危機です。

SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

そんなに有名になりたい?=無名という名の恍惚我にあり

 個人的な身辺雑記が続いております。

 私の旧い友人のA君は、幼少から習っていたピアノの腕前を発揮して自分で作曲もし、仲間と一緒に音楽会を毎月、都内で開催しています(クラッシックをベースにしたピアノ曲)。多い時は月に3~4回です。その度に、「参加してほしい」と連絡が来るのですが、こう見えても私は、週末は、老親介護やセミナー参加や展覧会や映画やマンション理事会やら色々とありまして、まず行けません。その度に、何度も何度もお断りするので、先方も「その気はないな」とそろそろ諦めてくれるかなと期待していました。それでも、彼はしつこく連絡してきます。

 こりゃあ、いつか、はっきり、断った方がいいかもしれないな。ーと思いつつ、その断りの文面がなかなか思い浮かびません。機微に触れる問題なので、相手を傷つけたくないし、最初から喧嘩別れするなら話が早いのですが、別に彼とは絶交したいわけではなく、たまに会って一緒に酒でも飲みたい相手でもあるからです。

Higashi-Kurume

 実は、私自身も中学生からギターを始め、高校生ぐらいから自分でデタラメな曲を作り始め、大学では軽音楽クラブに入って、学園祭で自作を演奏したりしていました。何を言いたいのかと言いますと、音楽に関する趣味や好みや拘りが普通の人より強いということです。何しろ、自分で曲を作ってしまうぐらいですからね。

 毎年のように、音楽の好みは変わっていきますが、ロックなら1960年代のビートルズから80年代のポリスまで。今のヒップホップは付いていけません。ジャズは、ビル・エヴァンスとウエス・モンゴメリーに始まり、マイルス、コルトレーン、ヴォーカルならエラ・フィッツジェラルドとシナトラはやはりピカイチ。

 クラシックならモーツァルト。そして、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの「3大B」の正統派。卒論でドビュッシー、他にシューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ストラビンスキー、マーラーはかなり聴いた方。

 それ以外なら、ボサノヴァのA・C・ジョビンとシャンソンのゲンズブールはレノン=マッカートニーと並ぶ20世紀の偉大なコンポーザーだと思っていますし、バート・バカラックもフランシス・レイもニーノ・ロータも同時代人として生まれた幸せを感じています。

 自分の好きな音楽の100分の1も此処ではご紹介出来ませんでしたが、まあ、ざっと、好きな曲ばかり聴いて来ましたので、わざわざ時間と電車賃を掛けて、いくら「素晴らしい音楽です」と説得されても、彼の音楽は、以前に何度か生で聴いたことはありますが、自分の好みにピタリと合って万難を排してでも、といった最優先事項にならないのです。申し訳ないのですが。

 そこで、今回は、はっきりと断ることにしました。特に、彼は、私がマスコミ人であることを知っているので、「都庁の記者クラブで会見を開いて音楽会を取り上げてほしいので、手続きの仕方を教えて下さい」と聞きに来たからです。

 都庁の記者クラブは行政が中心ですから、コンサートはまず取り上げません。その辺りを含めて、彼には色々と説明し、嫌われるのを覚悟で最後にこんな文面を付け足しました。

 「貴兄はそんなに有名になりたいのですか?そんなに名声を得たいのですか? そこまでしたいのなら、プロになって大手音楽事務所と契約したら良いと思います。興行面で裏社会とつながっていることが多いですが、かなり売り込んでくれますよ」

 これに対して、彼は、

「目的は、より多くの人にじっくり聴いてもらって、心の財産にしてほしいと思っているだけですよ。ですから、音楽を聴いてもらえる新たな仕組みを作る必要性を感じてます。足下をしっかりさせないといけないので、宗教団体と同じかもしれません」云々の答えでした。

 まあ、あまり話がかみ合っていませんが(笑)、顧客開発は独自でやってくれそうで、私は大いに期待したい。

 それにしても、ヒトはそんなに有名になりたいものですかねえ? 私は長年、取材記者として有名人と会ってきましたが、彼らがうらやましいなんて一度も思ったことがありません。むしろ気の毒になるくらいです。プライバシーもないし、自由に街を歩けないし、公共トイレなんかにも入れないでしょう。

 そんな私でさえ、正直、自分のブログを読んでいただける読者数が増えてほしいとは思いますけど、有名になりたいとか、名声を勝ち取りたいとか思いませんね。分かって頂ける皆さまの心に伝われば、それで十分です。

 ですから、自分が無名であるということの恍惚を感じています。

病院開院ラッシュ=自宅徒歩圏内に3軒も内科医院が林立!

 個人的ながら、ノロウイルスは昨日、やっと小康状態になってくれました。1月3日から7日まで diarrhea が5日間も続きましたから、軽症ではありません。特効薬がない上、1年半前、つまり2022年7月にも同じノロウイルスに罹って苦しめられたというのに、免疫もできないとは、ナンタルチヤです。

 今回、遠出が出来ないので自宅近くの病院といいますか、診療所で少しだけお世話になりました。ここは昨年10月に出来たばかりです。もともと、自宅近くにはバスの停留所名にもなっている診療所がありますが、もう大分昔に院長の先生が早く亡くなり、奥さんも女医さんでしたが、高齢になっておられました。

そしたら、また自宅近くに明日9日に、同じ内科の診療所が開院するというのです。

 駅前通り商店街は、ほとんど閉店してシャッター通りになってしまったというのに、やたらと病院だけ出来るとはドユコト? しかも、自宅から歩いて数分圏内に同じ内科の診療所が林立するとはドユコト? このブログをお読みになったファンの皆さまが殺到されると困るので、地名は明かせませんけど、こりゃあブログに書くしかありませんよね?(思い誤って検索しちゃ駄目よ)

X 診療所

 まず、バスの停留所名にもなっている「X 診療所」です。バスの停留所として「X 診療所前」があるくらいですから、かなり古い診療所です。開院の詳細は分かりませんが、地元の医師会の登録が1971年になっています。

 ここは先述したように、院長先生がもう25年ぐらい前に他界されました。自宅から徒歩で4分と近いので、昔はよく通ったことがありますが、昨今は全く行かなくなりました。

Y 内科・循環器内科

 次は、昨年10月に開院した「Y 内科・循環器内科」です。ここは、何の前触れもなく、いきなり開院したという感じです。ポストの中に「開院内覧会」のチラシが入っていましたが。ここは、「X 診療所前」から最寄り駅に近い次の次のバス停の目の前に造られました。写真のように、ちょっとモダンな瀟洒な建物です。自宅から歩いて6分ぐらいです。確か、以前は個人の自宅を兼ねた税理士事務所があった所だと思います。

 ノロウイルスで少しお世話になったのがこの病院です。

Z 内科

 最後は、「Z 内科」です。ここは、バス停「X 診療所前」から最寄り駅行の次のバス停の近くにありますので、私の自宅から歩いて5分ほどです。

 ここは以前から大きな看板が建てられ、病院と薬局建設の案内があったので、いずれ建つだろうことは知っておりました。ここは以前はお蕎麦屋さんがあった所でしたが、2年前に火事で焼失してしまいました。

 蕎麦屋より病院の方が儲かるということなんでしょうか? そんなこと言ってはいけませんね(苦笑)。 でも、「開院内覧会」があるというので、昨日、ちょっと覗いてみました。そしたら、吃驚です。駅に近い所にある、私もそこでコロナワクチンを打ったことがある「N 内科」のチェーン店だったのです。チェーン店なんて言ったら、またまた怒られますね(苦笑)。胃カメラ、大腸カメラ等も備え、リハビリ設備も整え、この辺りでは一番、機器が充実している感じでした。

 駅前通り商店街では、果物屋さんが消え、肉屋さんが消え、時計屋さんが消え、寿司屋さんも中華料理店もなくなったというのに、病院だけは元気なんですね。個人商店で健在なのは、クリーニング店と理容・美容店ぐらいです。(最寄り駅近くに理容・美容学校があるので、この辺りはやたらと床屋さんと美容院が多いのです。)

 とにかく、いずれにしても、私の自宅から4~6分の徒歩圏内に内科医院が3軒も林立するなんて、異様に感じてしまいました。

「夜ゆっくり眠られる」という幸せ=病気になって考えた

  いやはや参りました。1年半ぶりにまたまたお腹にくる風邪(ノロウイルス)に感染してしまいました。

 感染経路は分かっています。私は、それまで全く元気だったのに、3日(水)夜に急に症状が出て、まず2回、vomitして、夜中はwatery diarrheaが3~4回起きました。食欲がないので、3日夜と4日(木)朝と昼の3食を抜いたら、さすがに vomit も watery diarrhea は止まりましたが、4日の夜に軽くサンドイッチを食べたら途端に再開です。5日(金)も会社を休んで静養し、近くに新しく出来た内科病院にも行きましたが、薬を飲んでも直ぐ改善せず、5日の夜から6日(土)の朝にかけても6~7回、トイレに駆け込む状態が続いています。

 これでは本も読めず、ギターやピアノも弾けず、ブログも書けません。というより、気力がありませんでした。

 今年はお正月の元日早々、能登半島地震が起き、2日には羽田空港で、日航機と支援物質を運ぶ海上保安庁の飛行機が激突する大惨事が起き、不吉な予感がしましたが、当たってしまった感じです。元日の初詣の神社のおみくじでは、「大吉」が出たんですけどねえ。

Higashi-Kurume

 テレビを付ければ、建物が崩壊した地震災害現場や燃え盛る飛行機や、ガザ地区の戦争など心が痛む場面ばかりで、却って落ち込んでしまいました。そこで、新春のお笑い番組を見ようとしますが、こちらも何かお腹の底から笑えず、あまり面白くない。

 「どうしたらいいんだ」と頭を抱えていると、家内制手工業の工場長は「そんな暗い顔をすんのやめて」「ノロに特効薬ないのよ!お金がもったいないから、病院なんか行く必要ないのに何で行くの?そこにあるビオフェルミンでも飲んでればいいのに」「第一、貴方は人を疑り深いから、自己免疫が付かないのよ」「病は気からだから、気合で治さなきゃ駄目でしょ」と毒舌の嵐です。

 他にももっともっと色々ありますが、生活に支障をきたす恐れがありますので、この辺でやめておきます。お正月だというのに殆ど好きなお酒を飲めない、というか飲みたい気にもなりませんでした。

 今回の体験で痛感したことは健康の大切さですが、人間の幸せとは何か、はっきり分かりました。それは、「夜ゆっくり眠られる」ことです。私はお腹の調子が悪く、夜中に何度も何度も目覚めさせられましたから、これにつきます。敢えて、付け加えれば、1日、1日、3度の食事が有難く美味しく食べられることです。グルメを自称する私が食欲をなくしましたからね。そして、その間に家事や仕事が出来ること―これ以上の幸せは他にないことでしょう。他に何を望みますか?こんな単純なことでさえ、出来ない人が世の中にはいっぱいいるのです。

 能登半島地震と航空機事故で亡くなった皆様方にはお悔やみ申し上げ、御冥福をお祈りいたします。また、避難生活を余儀なくされている皆様方は、食料が十分ではなく、お風呂にも入れず、何と言っても「夜ゆっくり眠られる」ことが出来ないことでしょう。人類の幸せから遠ざけられてしまっているわけです。お見舞い申し上げます。

 私もしばらくブログが書けない状態でいましたら、ある読者の方から、「最近ブログを更新されていませんが、何かありましたか?」と心配のメールがありました。

 あ! このブログは「安否確認」情報になっていたんだ!と我ながら感動してしまいました(笑)。ということで、まだ回復していませんが、また元気になったら、本格的に更新再開しますので、皆様宜しくお願い申し上げます。

  

最新映画より小津安二郎など旧い作品の方が観たくなりました

 2024年(令和6年)、新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い賜わります。

 扨て、「一年の計は元旦にあり」とよく言いますけど、あまり、しゃちこばらずに今年はどんな一年にしようか、考えてみました。

 一言でいいますと、アナクロニズム(時代錯誤)と批判されようが、もうあまり流行は追わずに、アナログ人間でもいいから、ゆったりとシンプルに過ごしていこうという心構えです。

 昨年末に観たヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の影響かもしれません。役所広司演じる主人公の平山のように、あそこまで、カセットテープやネガフィルムカメラに戻る気持ちはないのですが、便利さや効率ばかりを追及するデジタル人間にならなくても、アナログ人間的生き方でも許してもらえるのではないか、と思うようになったのです。

 昨年は、スマートフォンのiPhoneⅩから5年ぶりに20万円以上もするiPhone15Proに買い換えました。4Gから5Gにもなったので、データ送受信速度も目を見張るほど速くなるものと期待したら、楽天モバイルのせいか、殆ど変わりません。アプリもそのまま移行したので、内容も変わらず、変わったのは少しだけバッテリーの持ちが良くなったぐらいです。たったそれだけですよ! スマホの進化は、終わったといいますか、頭打ちになったということなのでしょう。

 昨今、AI(人工知能)やロボットばかり注目されていますが、普段の生活にそれほど必要なのか、私は懐疑的です。本当の人間らしさとは何かを考えた時、そして、心の豊かさを求めようとした時、やはり、AIやデジタルより、アナログ的思考ではないかと思っています。

 私には、人生の全てをアルゴリズムで決められてたまるか!といった感情があります。

さいたま新都心

 昨年末の大晦日に、NHKの紅白歌合戦を何十年ぶりか見たところ、出演者のほとんど知りませんし、怒られますが、歌って踊っている若い歌手は、皆同じ顔に見えて区別がつきませんでした。名前だけは知っている乃木坂だったか、欅坂とかいう若い女性グループは、4~5人なのかと思ったら、40~50人もいるではありませんか。あれじゃ、宝塚です(もっとも、昨年事件を起こした宝塚ですから、出演出来なかったことでしょうが)。私と同世代の郷ひろみさんは、流石に高齢となり、高音の伸びがなくなり、ブレイクダンスまで挑戦しようとしましたが、やっと周囲に支えられてポーズを取るのがやっと、です。何か、痛々しいなあ、と思い、テレビを消してしまいました。性加害事件で旧ジャニーズ事務所所属のタレントが44年ぶりに不出場ということでしたが、似たような、と言っては顰蹙を買うかもしれませんが、他に若い男性グループが沢山出演していたので、「ジャニーズ不在」と言われても分かりませんでした。

 何か、「終わった人」の老人のつぶやきを聞かされているようで申し訳ないですねえ(笑)。

 最初にヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の話をしましたが、最新の映画はFXやCGを使った暴力やアクションものが多くなり、年配者にはとても付いていけなくなりました。今は色々と便利になりましたから、私は、今年は最新封切映画より、旧い映画を観なおしたりすると思います。

 この年末年始は、ビデオ録画していた小津安二郎監督の「お早う」(1959年)と「秋刀魚の味」(1962年)を観ました。昨年は没後60年、生誕120年の節目の年で大いに注目された小津安二郎ですが、やはり、いいですね。ヴィム・ヴェンダース監督が影響受けただけあります。

 「お早う」は、東京郊外の新興住宅街を舞台に、テレビを買って、とねだる子どもたちとそれに振り回される家族の日常が描かれた何でもない内容なのですが、何とも滋味深いものがありました。佐田啓二と久我美子主演。公開された1959年は、テレビの普及率は24%、価格は7万円でした。当時のサラリーマンの月給は1万7000円程度でしたから、4カ月以上分と高価でした。騒動になるのは当たり前で、当時最新の話題を盛り込んだホームドラマだったわけです。東京郊外は何処なのかと思ったら、佐田啓二と久我美子が駅のプラットフォームで一緒になる場面があり、その駅は「八丁畷」でした。川崎市にある京浜急行の駅でした。

 「秋刀魚の味」はもう観るのは3回目ぐらいですが、細かい場面は忘れているので何度観てもいい(笑)小津監督の遺作です。笠智衆演じる初老のサラリーマン平山と、岩下志麻演じるその娘路子(みちこ)の縁談話を軸に展開されるこれまたホームドラマです。秋刀魚の味といいながら、秋刀魚が出て来ない不思議な映画で、つまりは秋刀魚の味は初老の平山の感慨のメタファーになっているという説もあるようです。岩下志麻は「極道の妻」のせいで、怖いイメージが強過ぎてしまいましたが、役柄とはいえ、若い時は純朴、おしとやかで、天下一の別嬪さんだったことが分かります。

 とにかく、小津監督が好んで使った女優さんは、他に杉村春子、三宅邦子、原節子、岡田茉莉子ら、大変失礼ながら、今の女優さんにはない品格と内面的美貌がありました。男優も笠智衆、佐田啓二を始め、中村伸郎、東野英治郎、山村聡、加東大介ら重厚で、一度見たら忘れられないアクの強そうな脇役も揃え、脳裏に焼き付いてしまいます。台詞がなくても、背中で演技が出来る名役者ばかりです。(小津組ではなかった高峰秀子や京マチ子、若尾文子らも、今の役者と比べて存在感が全く違います。)

 アナクロながら、最新映画よりも旧作映画の方にどうしても関心が向かってしまうのもそんな理由からでした。