青年劇場「博士の愛した数式」

青年劇場の宮部明さんのお導きで、舞台「博士の愛した数式」を見てきました。

演劇鑑賞は5,6年ぶりです。本当に久しぶりに舞台芸術を堪能することができました。宮部さん有難う御座いました。

場所は、地下鉄丸の内線「新宿御苑」からわずか3分の青年劇場スタジオ結です。150人くらい入れる小劇場で劇団の地下の稽古場も兼ねている所です。俳優の息遣いを本当に目と鼻の先で感じられる素晴らしい芝居小屋でした。

原作は、芥川賞作家の小川洋子で、2年前にベストセラーになり、映画化されました。今回の舞台化に当たって、原作にはない人物も登場しましたが、福山啓子の脚本・演出は概ね成功。2時間の上演が少しも長さを感じさせず、舞台に釘付けになってしまいました。

俳優は、テレビに出てこない、演技のしっかりした玄人なので、有名ではありませんが、皆、はまり役で素晴らしく熱演していましたね。特に、ルート少年を演じた蒔田祐子には、最後まで騙されてしまいました。てっきり、少年かと思ったら、少年になりきったうら若き20代の女優さんでした。

それに、あの長い台詞を覚えるのに大変だったろうなあ、と思いました。「友愛数」「絶対数」「完全数」など、数学がまるで哲学のように魅力ある思考回路に七変化するので、ぜひ原作も読みたくなってしまいました。

とにかく、時間の余裕のある人は見てほしいなあ、と思いました。公演は明日までですけどね。(電話は03-3352-7200)

それにしても、新宿御苑の新宿1丁目辺りは、下町風で、落ち着いて本当にいい所ですね。JR新宿駅周辺の雑踏から遠く離れた「大人の隠れ場」です。青年劇場の裏手の太宗寺は、ソフトバンクの王監督のお父さんの葬儀も行われた歴史のある由緒あるお寺だそうです。

「居酒屋白河」は2000円もあれば、酔っ払ってしまう安い居酒屋で、「江原豆腐店」はにがりの調合がピカイチで東京で一番おいしい、というのが宮部さんの談でした。

あ、秘密を教えてしまいました。

昭和天皇「太陽」

話題の映画「太陽」(アレクサンドル・ソクローフ監督)を見てきました。

銀座・三原橋にある小さな映画館。驚いたことに、平日の昼間だというのに大行列で、結局「立ち見」でした。昭和天皇の、靖国神社へのA級戦犯合祀で不快感を漏らされたメモが見つかり、今、タイムリーな話題になっているせいか、関心を呼んだのでしょう。

でも、東京は嫌ですね。人が多すぎて。映画を立ち見するなんて、30年ぶりくらいじゃないですかね。この映画、立って見るほど価値があったかと言えば、正直、それほどでもなかったでした。★

何で、この作品がベルリン映画祭で無冠に終わり、日本での公開が危ぶまれたのか、よく分かりません。天皇の「人間宣言」は歴史的事実で、どこの教科書にでも掲載されていますし、生物学者として、鯰や平家蟹などの研究に没頭されていたことなどよく知られていた話で、特に目新しい話は盛り込まれていません。

終戦間際からGHQのマッカーサー司令官会見までの昭和天皇の私生活と心の内面を辿った作品で、実に淡々として描かれているだけです。ただし、離れ離れに暮らす家族の写真に唇を寄せたり、天皇をあまりにも人間、人間的に描こうとしている作者の意図がみえみえで、職務を離れた個人の内面的苦悩を正確に描かれていたにせよ、皇国史観に染まった信奉主義者には我慢できなかったかもしれません。

それは、あくまでも、ロシア人から見た昭和天皇だったということです。ソクローフが演技指導したのかどうかわかりませんが、昭和天皇演じるイッセー尾形が、妙に口をモゾモゾとさせているのが気になりました。当時の昭和天皇は45歳くらいです。もっと若々しかったはずです。

マッカーサー役のロバート・ドーソンは少し似ている感じはしましたが、随分粗野な人間像に嵌められていました。本当のマッカーサーはあんな感じではない気がしました。昭和天皇が、通訳を介さずに英語で堂々と反駁して、「私はドイツ語もフランス語もスペイン語もできます」と伝えた時、日本人として胸がすく思いを隠せませんでした。天皇の写真を撮影に来たアメリカ人のカメラマンたちを猿回しか野蛮人のように描いたのも、ロシア人だからできたことでしょう。まず、アメリカ人はこんな映画は作りません。マッカーサーを大ヒーローにしたスペクタクルな大活劇にすることでしょう。

結局、フィクションとはいえ「現人神」をフィルムに焼き付けたことは、ソクーロフの歴史的功績と認めざるを得ません。

 

おめでとう!Felicitation! Congraturations!恭喜!

マーチンD-28

2006年7月18日(火)

今日は世界中の誰が何と言おうと、おめでたい日でーす。

ついにこの日を迎えてしまいました。

☆歳の誕生日。

若い頃はこんなに長生きするとは思いませんでした。

でも、なってみると、あっと言う間でした。

たとえ、100歳になってもそう感じることでしょうね。

残された人生。これから私は不良になりまあ~す。

人の目は気にしません。

もう我慢しないで自分を楽しませます!

余った分、幸せは皆さんに御裾分け致します!

これは、私のブログです。

文句あっか、てか!

でも、せっかくアクセスして頂いた方の皆さんのために、また、「サラリーマン川柳」をお送りします。

●駅まで25分 子供は送迎 旦那は歩き

●人生の 第二の職場は 妻の部下

●受け取りが 俺はおまえで おまえは子

●アラッ居たの? 今日行かないの? やだぁ父さん!

今村君も言ってました。

「やっと、この年になって『家内安全』の意味が深く分かるようになった。若い頃はさっぱりわかんなかったんだよなあ…」

マーチン D-28

 公開日時: 2006年7月17日

今日と明日は私にとって特別な日です。

明日に備えて今日は大きな買い物をしました。

マーチン D-28です。

言わずと知れたギターの名器です。フォークギターの元祖のようなものです。

特にビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーが愛用したギターとしても知られています。「ハロー・グッドバイ」のプロモーション・ビデオでジョンが弾いています。映画「レット・イット・ビー」の中でポールが「トゥ・オブ・アス」で、左利き用に弦を逆に張り替えて弾いています。

フォークギターといえば、ジョンは、初期の頃、ギブソンのJ-160Eを愛用していました。茶色のピックアップ付きは、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の「恋に落ちたら」などで弾いています。解散後の「平和を我ら」にで弾いているのもJ-160Eのようです。ポールの「イエスタデイ」はエピフォンのテキサンというフォークギターで演奏しています。ジョージ・ハリスンは、ジョンと同じギブソンのJ-160Eのほかに、ギブソンのJ-200も愛用していました。

でも、レコーディングでは結構、D-28を使用しているようです。「ホワイトアルバム」の「アイ・ウイル」もそうだと思われますし、ポールの最初のソロアルバムの「マッカートニー」では「エヴリ・ナイト」にしても「ジャンク」にしてもシャリシャリした音色は、マーチン以外には考えられない音なのです。

私はこれで、エレキギターはギブソンのESー335TD、クラシックギターはオベイション、そしてフォークギターはマーチンのD-28と「3種の神器」を揃えることができました。

ギブソンもマーチンも、ギター少年にとってはあこがれのギターで、とてもとても手に届かない代物でした。私も手に入れるのに半世紀も掛かりました。

うーん、フェンダーも欲しくなってきました。

イージーリスニング

 公開日時: 2006年7月9日

若い頃、馬鹿にしていたのですが、最近、イージーリスニングに凝っています。懐メロの感覚ではありますが、気持ちが塞いだり、むしゃくしゃした時は、効き目百倍です。イージーリスニングを聴くと、何でもすべて許せる心の余裕が生まれてくるから不思議です。しかし、イージーリスニングという命名はどうにかならないものですかね。アーティストも単に、イージーに演奏しているわけではないのですがね。別名ムード・ミュージックとも言われていますが、もっとひどいと思います。

ま、いずれにせよ、私の好きなイージーリスニングをアトランダムに列挙してみます。

ポール・モーリア「恋は水色」

ポール・モーリア「真珠の首飾り」

レイモン・ド・ルフェーブル「シバの女王」

リチャード・クレダーマン「渚のアドリーヌ」

リチャード・クレダーマン「愛しのクリスティーヌ」

マントヴァーニ・オーケストラ「シャルメーヌ」

ビリーボーン「浪路はるかに」

ビリー・ボーン「真珠貝の歌」

フランク・チャックフィールド「引き潮」

ビクター・ヤング「エデンの東」

ビクター・ヤング「80日間世界一周のテーマ」

パーシー・フェイス「夏の日の恋」

ダニエル・リカーリ(サン・ブルー楽団)「二人の天使」

ニーノ・ロータ「太陽がいっぱい」

ヘンリー・マンシーニ「ひまわりのテーマ」

フランシス・レイ「男と女」

バート・バカラック「雨にぬれても」

何か、段々、映画音楽のオンパレードになってきましたね。

急に音楽が聴きたくなった人は、以下をクリックすると聴けます。私より立派なHPで内容も充実しています。

http://www.kitake.com/sdejavu/sdejavu.html

ビートルズ写真展

 公開日時: 2006年7月3日 

銀座のソニービルで開催中の「The Beatles in Tokyo 1966 浅井慎平・写真展」(入場無料、7月17日まで)に行って来ました。

ビートルズ・フリークの私ですから、雑誌などで何回か見たことがあります。でも、結構ピンボケが多くて、「下手だなあ」と思ってしまいました。「ちょっと、ピンボケ」のロバート・キャパの影響だったのでしょうか?浅井慎平の名前を世に知らしめた代表作だというのに、写真集は当時あまり売れなかったそうです。(本人の弁)

ホテルの部屋で、彼らが和服を着たり、横笛を吹いたり、鼓を打ったり、三味線を弾いている写真がありましたが、もちろん、「やらせ」で、浅井氏に許された撮影時間はわずか2時間だったそうです。

しかし、28歳だった浅井の「何でも撮ってやろう」という精神には頭が下がります。ビートルズの四人が吸ったタバコと灰皿を撮ったり、タオルやビールの飲みさしのコップなども撮ったりしています。

私の記憶では、ベッドの枕に付いていた髪の毛をメイドが持ち出して、高価な金額で売れた、なんていう記事を当時、読んだことがあります。

マニアックな話ですが、彼らはステージでは、楽器がジョンとジョージがエピフォンのカジノ、ポールがカール・ヘフナーのベースを弾いていましたが、予備として、ギブソンのSGやJ-160E、リッケンバッカーの12弦ギターやベースもバックステージに用意していたのです。

フリークにはこんな写真がたまらないのですが、単なる変態かもしれませんね。

ビートルズ来日40年

 公開日時: 2006年6月29日

 

ちょうど40年前の今日、ビートルズの四人が来日しました。午前3時35分。羽田空港着の日航機のタラップから、法被を着た四人が、ポール、ジョン、リンゴ、ジョージの順番で降り立ってきました。

 

彼らは翌30日から7月2日まで、日本武道館で計5回のコンサートを開きました。全11曲で、アンコールなしの35分間。前座に内田裕也のグループ、ホタテマンこと安岡力也の所属していたシャープホークス、それにあのドリフターズもいましたね。司会はE・H・エリックさん。

 

当時、小学校4年だった私はコンサートをテレビで見た記憶があります。当時、ビートルズは学校では不良とみなされ、コンサートに行けば停学処分される生徒もいました。右翼はビートルズを不逞の輩とみなしていました。警備員に8370人の警察官が動員され、6520人が補導されたそうです。

 

それが40年経っても語り継がれるとは、誰も想像していなかったでしょうね。

 

私も高校生との時、このビートルズの「ライブ・イン・ジャパン」の海賊盤を新宿のレコードショップで手に入れるほど熱狂的なフリークになってしまいました。(でも、今では簡単に映像までが手に入る時代ですからね。)

 

ビートルズ以降、レッド・ツェッペリンやクイーンやベイ・シティ・ローラーズ、ローリング・ストーンズなどが来日して話題になりましたが、ビートルズほどあらゆる世代に影響を与え、今でも与える続けているグループはいないでしょう。

 

私はビートルズの現役時代を知る最後の世代です。かろうじで歴史の証人になれたことを誇りに思っています。

「ダ・ヴィンチコード」★★★

やっと、映画「ダ・ヴィンチコード」を見てきました。
見る前は、酷評ばかり目にしました。
例えば、「ラングトン教授役のトム・ハンクスは、とてもハーバード大学の宗教象形学者には見えない。あくまでも、トム・ハンクスにしか見えない」

「トム・ハンクスの長髪が似合わない。あれは鬘だ」

「物語の展開が早すぎて何がなんだかわからない」

「わずか2時間半に沢山のものを詰めすぎ」等々…

確かにそういう所がありました。原作を読んでいなければ、よく筋がわからないかもしれません。それでもあえて言いますが、「とてもよかった」

DVDでもう一度じっくり見たいくらいです。

暗号解読官ソフィー役のオドレイ・トトゥが非常に知的に見えてよかった。何しろ、彼女はイエス・キリストの末裔ですからね。

世界中の熱心なキリスト教信者がこの映画をボイコットしているそうですが、確かにわからないわけではありませんね。彼らにとっては、イエスにマグダラのマリアという妻がいて、おまけにイエスが磔になった後、マグダラのマリアはフランスに逃れて娘をもうけたという話は荒唐無稽どころか冒涜そのものなのですから。

しかし、エンターテインメントとしてはよく出来ています。監督のロン・ハワード(あの「アメリカン・グラフィティ」のそばかす少年!)がよく世紀のベストセラーを映像化したものです。(「ダ・ヴィンチコード」の日本語版文庫が1000万部に達したそうです。)

「ナイロビの蜂」★★

今日は久しぶりに映画を見ました。3月に帯広で見て以来ですから3ヶ月ぶりです。
観たのは、今話題の「ナイロビの蜂」です。ブラジル人のフェルナンド・メイレス監督作品。原作はスパイ小説の巨匠ジョン・ルカレ。主演は「イングリッシュ・ペイシェント」でアカデミー主演男優賞を受賞したレイフ・ファインズ(この俳優さん、私は好きですね)とこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞したレイチェル・ワイズ。

とにかくストーリーが錯綜していて分かりにくかったですね。ファインズ扮するジャスティン・クエイルは英国人の外交官で、新妻のテッサ(ワイズ)を伴って、ケニアのナイロビの大使館に一等書記官として赴任するが、妻のテッサは、ある陰謀の実態を調査しているうちに、刺客に狙われて、結局、事故にみせかけて殺害されてしまう。その陰謀とは、国際的な製薬会社が、新薬の効果を調べるために、ケニア政府と裏で取引して、貧しいケニア人を使って、人体実験をしているというものだった。この背後には、英国の外務省のアフリカ局長もからんでいた、という一大スキャンダルで、テッサは、口封じのために殺されたのだ。妻の「事故死」に不審を抱いたジャスティンは、妻の足跡を追っているうちに、次第に組織に狙われるようになるーといった内容です。と、まだ観ていない人には悪いのですが、書いてしまいました。

しかし、これは私が映画で観てとった内容であって、本当は、もっと違う話かもしれないというのが正直な感想なのです。カメラはわざとぶれて、ドキュメンタリー・タッチで撮っています。主人公と一緒に、ケニアのスラム街を歩いているような気分にさせてくれます。

名門ケンブリッジ大学出の才媛レイチェル・ワイズの美しいこと!妊婦姿でしたが、あれは本物だったのか、CG(?)なのか今でもわかりませんが。

原題は、 The constant gardener です。何でこれが「ナイロビの蜂」になるのかー映画を観れば分かるでしょう。原題は、ジャスティンが、あまり妻の行動に関心を示さず、というか束縛しないで、自分は、好きなガーデニングに打ち込んでいた。その結果、妻を死に追いやってしまったという負い目を感じたから、この題をつけたのではないかと勝手に想像しています。

言っておきますが、私の読みは浅い!

観ている途中で「ありえない」と不思議に思う場面が何度もありましたが、とにかく、アフリカの大地の映像と音楽は素晴らしかったです。それだけでも観る価値があると思います。

ついでながら、ネットで間違えて「ナミビアの蜂」と検索したら、社民党党首の福島みずほさんのブログをはじめ、かなりのヒットがありましたが、これは「ナイロビの蜂」の間違いですよね?何だかよくわかりません。

リバプール

中札内村美術館 公開日時: 2006年5月28日

(昨晩の続き)

佐藤君は、大手アイスクリーム会社の部長さんですが、昨年、工場視察等で、フランスのリール近くの何とかという町(失念)に行ってきました。その帰りに有休をとって、リバプールに行ってきました。彼は、私に劣らぬビートルズフリークなのです。

リールからロンドンまでTGVでわずか2時間なんだそうですね。ロンドンからリバプールまでは列車で3時間です。

彼は、早速「マジカル・ミステリー・ツアー」に参加して、ビートルズの所縁の地を訪問しました。私も、1979年に今村哲郎君と一緒にリバプールに行ったことがありますが、そんなものはありませんでした。今では、「ビートルズ」が観光の目玉で世界中からの観光客がこの港町に外貨を落としているわけです。

私は、ジョンとミミおばさんが住んでいたメンラヴ・アベニューの家に行ったことがあります。そこは、中流よりちょっと上が住む高級住宅街で、ジョンの「労働者階級の英雄」というのは、ウソだなあ、と思ったことがあります。その時は、ポールやジョージやリンゴの住んでいた家には立ち寄りませんでした。

今回、面白いことを聞きました。

まず、ジョンのミミ伯母さんの家は、庭付き一戸建てでしたが、どうやら、住居はその半分で、もう半分は他の家族が住んでいたこと。ポールとジョージの家は本当に狭い、日本でいう「長屋」だったこと。リンゴの家はもっとみずぼらしかったことーでした。

やっぱり「労働者階級の英雄」だったわけです。

彼は律儀にもビートルズ博物館に行って、ロン・ジョーンズ著のガイドブック「ビートルズのリバプール」とボールペンを買ってきてくれました。その本はリバプールのビートルズの名所案内です。

私は「ペニー・レイン」が大好きなのですが、歌詞の意味が分からないところが何点かありましたが、この本で初めて分かりました。

それは、shelter in the middle of the roundabout です。「ロータリーの真ん中の避難所」とは何のことかなあと思っていたら、写真付きで説明がありました。それは、ペニー・レインにある交差点のロータリーにあるバス・ターミナルでした。今では、そこは「サージェント・ペッパーズ・ビストロ」という名前の小さなレストランになっていて、観光客を集めているようです。

いやあ、ビートルズ・ファンの私にとってはたまらない堪能する本です。

有難う、幸信!