ビートルズ無料視聴

公開日時: 2006年11月13日 

どなたか奇特な方が面白いサイトをリンクしてくれました。

ビートルズの無料視聴です。ユーチューブとリンクして、ビデオの「アンソロジー」中の「サムシング」や「ペニーレイン」、映画「レッド・イット・ビー」の「ドント・レット・ミー・ダウン」などが見られます。著作権はどうなっているのでしょうかね?でもこのサイトが充実すれば、今持っている、ビートルズのビデオやDVDはいらなくなります。「なるべく私物は持たない」精神に合いますかね?

この中で、ビートルズ本人以外のマニアの人の投稿があって「ビートルズの曲でジャッグリングするおじさん」が異様に面白かったです。「アビイ・ロード」のB面の「ゴールデン・スランバーズ」から「ジ・エンド」までをBGMにして恐らくプロのジャッグラーが3つの玉を自由に操っているのです。ご興味のある方は、下のURLをクリックしてご覧ください。

http://beatlesvideo.seesaa.net/archives/200606.html

目に見えない悪霊の悪戯

ミラノ・ドゥオモ広場

公開日時: 2006年11月13日

昨日は、「私物はほとんど持たない」吉田太一さんのことを書きましたが、私の友人の刀根君もまさしくその典型です。何しろ、イタリア旅行から帰ってきて、そのまま成田空港からボストンバック一つで東京に定住してしまったのですから。

定住先では、家財道具は、K氏の涙ぐましい素晴らしい計らいで冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど最低限の設備は整っていましたが、「それ以外」の物は、一切ありませんでした。見かねた私は、もう中古なのですが、自分のラジカセを取り敢えず、持っていってあげることにしました。

でも、今度は自分の音楽再生機がなくなってしまいました。私は、テレビがなくても生きていける人間ですが(佐藤さん、すみません)、ラジオや音楽がなければ、人生が退屈しすぎて耐えられません。

そこで、昨日、有楽町のビックカメラにまで行って、安い小型のラジカセを買ってきました。(もうカセットテープは付いていなくて、MDとCDなので、「ラジカセ」とは言わないでしょうが)

深夜遅く、ラジオを同調させて「登録」する作業をしたところ、どうしても、AMのNHK第2(教育放送)とFMのJ-WAVEが入りません。J-WAVEの方は何とか幽かにチューニングすることができましたが、NHK第2は、どうしてもチューニングしないのです。

「どうしたものか?悪霊にでも取り付かれているの?」と本気で、思いました。何しろ、他に数多に放送局があるとはいえ、私は普段、日々、ほとんど、J-WAVEかNHK第2しか聴いていないのです。NHK第2は語学の勉強のためです。何か、目に見えない悪霊が悪戯しているとしか思えなかったのです。

私は不貞寝しました。

翌朝起きて、ハッと気がついて、笑ってしまいました。

NHK第2がチューニングしないはずです。日曜日の深夜(月曜日の未明)だったので、放送が終わっていたのでした。今朝はJ-WAVEもはっきり聴こえます。

お騒がせしました。

ビートルズ「LOVE」はおかしい

上士幌町

公開日時: 2006年11月12日

ビートルズの「ニューアルバム」、『LOVE』がもうすぐ発売されるようですね。

私は、自称ビートルズ・フリークなので黙ってはいられません。

ニューアルバムといっても、ビートルズは、もう36年前に解散したグループですし、メンバーの半分の二人も鬼籍に入ったので、新曲ではありません。しかし、新曲紛いの曲が収録されています。

FMでちらっと聴いただけなのですが、例えば、「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」は、最初、ジョン・レノンのアコースティック版で始まり、最後に、「サージェント・ペパーズ」や「イン・マイ・ライフ」「ペニー・レイン」「ピッギーズ」「ハロー・グッドバイ」のフレーズが此処彼処に登場します。「レディ・マドンナ」も最後に「ヘイ・ブルドッグ」に代わります。ビートルズ・ファンにとっては、「隠された曲」がどんな曲なのか、探すのも楽しみの一つになります。

ビートルズの曲をよく知らない人にとっては何のことか分からないかもしれませんが、いずれにせよ、賛否両論になることは確かです。

ここまで「アレンジ」したのは、プロデューサーのジョージ・マーティンとその息子のジャイルズ・マーティンです。彼らだからこそ許されたことでしょうし、ポールもリンゴも喜んでいるということですが、もしジョンが生きていたらこんな「企画」には絶対反対していたと思います。

私もおかしいと思います。「お遊び」としては許されるでしょうが、単なる儲け主義、商魂丸出しと見られても仕方ないと思います。

ビートルズ関係のCDはほぼすべて持っている私ですが、このCDを買おうかどうか迷っています。

そんな時、面白い記事を目にしました。吉田太一さん(42)という人が書いたブログが本になったという話です。タイトルは「遺品整理屋は見た!」。そう、彼の仕事は、遺品整理です。この4年間で約4000件の遺品を扱ってきたそうです。高齢者や仕事が忙しい人の依頼人が多いそうですが、誰も引き取りに来ないという大家さんからの依頼も多いそうです。その9割は「孤独死」だということです。

吉田さんは「明日は我が身」ということを身に染みて感じて、「私物はほとんど持たない」そうなのです。

これには、すっかり感服してしまいました。

目下、私物は、本が300冊くらい、CDが1000枚くらいあります。(もっとかな?)

私も、吉田さんの言葉が身に染みます。

吉野大地「インド讃美歌集」

上士幌町

 公開日時: 2006年11月11日

最近、暇な時、吉野大地さんの「インド讃美歌集~バジャン~」のCD(ブロッサム・ミュージック)を聴いています。

アジア民族造形ネットワークの金子所長の言を俟たなくても、日本人の聴く音楽は、J-POPか歌謡曲、はたまた欧米のロック、ジャズ、クラシックに偏って、アジアの民族音楽を聴く人はあまりいません。

私もその一人ですが、吉野さんのように、インド伝統の讃美歌であるバジャンを習得して、自ら作詞作曲までしてしまう人がいたとは本当に驚きです。CDには歌詞も付いているのですが、残念ながら意味が分からないので、専ら、BGMとして聴いていますが、何か心の穢れが落とされるような感じです。デニッシュ・チャンドラ・ディヨンディさんの歌声にアコーディオンとタブラーというシンプルな楽器編成ですが、曲から湧き上がってくるイメージは深遠です。

上士幌町バルーンフェスティバル

CDのライナーノーツによると、吉野さんは函館市出身で、1995年にインド讃美歌「バジャン」に出会い、現在、帯広市で音楽活動中とあります。

「ああ、帯広で会えていたのかもしれない」と思うと、また懐かしさがこみ上げてきました。

「クリムト」

ミラノ

渋谷のbunkamuraル・シネマで映画「クリムト」を見てきました。

19世紀末の巨匠グスタフ・クリムトの、何と言うのか、筋はよく分かりませんでした。

1900年のパリ万国博覧会で、彼の絵が金賞か何かを受賞して一気に世界的な名声を得たり、ウイーンのカフェで芸術論争したり、モデルのレアの幻影を追いかけて、夢とも現実ともつかない女性を追いかけたり、彼につきまとう大使館の書記官が実際に存在しないクリムトの頭の中にだけいる人物だったりして…ああ、この映画はただ単に映像を楽しめばいいのかなあ、と思いました。

確かに、クリムトを演じたジョン・マルコヴィッチもエゴン・シーレを演じたニコライ・キンスキーも「そっくりさん」のように演じていました。でも、オーストリア人なのに、全編英語で通されていたのは、国際政治の力学が働いたのかなあ、と思いました。オーストリア、フランス、ドイツ、イギリス合作映画だったのですが…。

部屋の中で雪が舞い散ったり、花びらや金箔が花吹雪のように舞ったり、まさしく現実ではありえなような退廃的な幻想世界が映像の中で展開され、思わず見とれてしまいます。何と言っても、当時としては相当スキャンダラスな画家として糾弾されていたようですが、若い女性モデルの裸体が頻繁に登場しても、究極の美として説得力がありました。

映画がはねて、自由が丘に行きました。

4半世紀昔にフラフラした街ですが、すっかり変わってしまい、その面影すらなくなってしまいました。若者の街ではありましたが、昔はもう少し落ち着いていた気がしましたが、今は何か、せわしない、歩く人たちにも余裕を感じられない雰囲気でした。

5時に、作家のYさんとカフェ「アンセーニュダングル」で待ち合わせをして、その後、居酒屋「金田」で痛飲。文壇の裏話を伺いましたが、「書いちゃ駄目よ」と釘をさされてしまいました。

「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッド監督の話題の映画「父親たちの星条旗」を丸の内ピカデリーで見てきました。

新聞も雑誌も大きく取り上げ、辛口の映画評論家も満点に近い評価を与えていたので、大いに期待して見に行ったのですが、正直、無名の俳優を採用したせいか、登場人物と名前がほとんど一致しなくて、困ってしまいました。そういうことに触れた評論家は一人もおらず、「彼らはやはりタダで見て勝手なことを言ってるんだなあ」と再認識しました。

もちろん、この映画に取り組んだクリント・イーストウッドの勇気と業績はいささかも揺るぎのないものであることは変わりはありません。

これまでの戦争映画といえば、「正義の味方」アメリカが、悪い奴ら(日本やドイツ)を懲らしめて、苦しみながらも勝利を収めるといった「予定調和」的な作品が多かったので、観客(もちろん連合国側の)は安心して見ていられたのです。しかし、この映画に登場する戦士たちは、何と弱弱しく、あまりにも人間的に描かれていることか。兵士たちも当時20歳前後の若者たちが多かったせいか、登場する兵士たちも皆、少年のようにあどけなく、戦場では恐怖におびえて、子供のように泣き叫んでいる。硫黄島で米軍は、約6800人が戦死し、約2万1800人が負傷したということですから、実態に近い描き方だったと思います。

主人公のブラッドリーが凱旋演説で「本当のヒーローは(硫黄島の擂鉢山に星条旗を揚げた)我々ではなく、戦場で死んでいった戦士たちです」といみじくも発言した通り、ヒーローに祭り上げられて生き残ったインディアン系のアイラは、死んだ戦友たちに対する申し訳ないという悔悟の念で、アル中が遠因で不慮の死を遂げたりしてしまうのです。

この映画では、星条旗を揚げたヒーローたちが、戦時国債を売るための「人寄せパンダ」に利用され、最後はボロ衣のように捨てられてしまう有様を冷徹に描いています。そこでは、登場人物に対する感情移入ができなければ、カタルシスもありません。かつてのハリウッド映画が避けてきたような題材です。それを態々、映画化したクリント・イーストウッドの勇気には感服しました。

12月には日本側から硫黄島の戦いを描いた「硫黄島からの手紙」が公開されます。予告で見ましたが、こちらの方が面白そうです。もちろん、見に行きます。

 

『薬指の標本』

渋谷のユーロスペースで上映中の「薬指の標本」http://www.kusuriyubi-movie.com/index.htmlを見てきました。芥川賞作家の小川洋子の原作をフランス人の監督ディアーヌ・ベルトランが映画化したということで、是が非でも見なければならないという気がして、本当は「子供の街、渋谷」にはあまり行きたくなかったのですが、暇な合間を縫って出かけてきました。

それにしても最近の小川洋子の活躍は目覚しいですね。読売文学賞を受賞した「博士の異常な数式」が映画化、舞台化されて話題になり、「ミーナの行進」が今年の谷崎賞を受賞。目下、日本人作家として諸外国語に翻訳されるのは村上春樹に次いで多いらしく、米週刊誌「ニューヨーカー」に翻訳が載った日本人作家としても、大江健三郎、村上春樹に続いて三人目というのですから、もう世界的作家の仲間入りです。

そんな彼女の作品をフランス人が映画化するということで興味が沸かないわけにはいきません。

で、見た感想はどうだったかと言いますと、フランス語で bizarre  という単語がありますが、それに近いです。「奇妙な」という意味です。

主人公のイリスを演じるオルガ・キュリレンコはウクライナ人のモデルで、これが女優としてデビュー作だそうです。辺見エミリと伊東美咲を足して2で割ったような可憐な女優です。確かに原作に忠実に映像化されたのでしょうが、彼女の魅力を表現したいがために映画化したのではないかと勘ぐりたくなるくらい彼女の官能的な肢体がスクリーンに乱舞されます。そして、標本技術士役のマルク・バルベの変態性愛者スレスレのミステリアスな雰囲気は、見ている者を催眠術にでもかかったような気にさせます。

ストーリーは、まずはありえないような話です。どこかの港町(ハンブルグで撮影されたようです)が舞台で、安ホテルに船員と部屋を時間差で共有したり、わざわざ離れ小島のような所にあるラボに船で通勤したり(なんで主人公は近くにアパートでも借りないのでしょう?)…まあ、内容については、これから映画を見る人のために内緒にしておきます。

ただ、最後の終わり方が、「わけの分からない」ヨーロッパ映画らしく、「すべて、あとは鑑賞者の想像力におまかせします」といった感じで、それが、さっき言ったbizarre という言葉に集約されるのです。そこが、ストーリーがはっきりしているハリウッド映画との違いです。

そのせいか、わずか144人しか収容できないミニシアターで上映されているのでしょう。平日の昼間だったせいか、お客さんも10数人しかいませんでした。

でも、こういう映画って、「あれは何を言いたかったのだろう?」と引っかかって、あとあと残るんですよね。最後に付け足すと、この映画の不可解な不条理な世界にマッチしたベス・ギボンスの音楽が素晴らしかった、ということです。

 

バンド遊び

小樽

公開日時: 2006年9月24日

昨日は久しぶりに、高校時代のバンド仲間と赤羽のスタジオで音楽遊びをして日頃の憂さを晴らしてきました。とはいえ、ドラマーの黒川は法事で欠席、ベースの神林はドタキャン。結局ギターの幸信と二人きりになってしまいました。

そこで、幸信の学生時代の友人で赤羽に住む小巻君を急に呼び出して合流してもらいました。彼はベーシストなのでですが、イーグルス専門で、我々のようにビートルズがほとんどできなくて、ほとんどバンドになりませんでしたが…。

私は買ったばかりのマーチンD28を持って行き、幸信は、ジョン・レノンが愛用していたギブソンのJ160Eを持ってきました。結局、アンプラグドになりました。

終わった後、幸信と二人で「魚魯魚魯」で痛飲、その足でドタキャンした神林の家に押しかけて、また芋焼酎「一刻者」を痛飲しました。話すことは、年を取ったせいか、病気の話ばかりです。笑ってしまいます。

幸信はキーボードの腕前が驚くほど上がっていましたが、恐ろしいほどのギターのコレクターだということが分かりました。エピフォンのカジノが2台、J160Eが2台…結局12台もギターを持っているのです。それも安くても中古品で15万円ですから、総額は…すごい値段ですね。私もマーチンとギブソンのE335TDとオベーションのクラシックギターの3台持っていますが、とても毎日弾きこなせません。すごいなあ、と感心してしまいました。

ギターに興味のない方には、つまらなかったと思うので、アメリカに住む今村君がメールで送ってくれた「格言」を無断で引用します。

水は酒をダメにする。

車は道をダメにする。

女は男をダメにする。

(分かるような気がします。次の箴言は、掲載しようか、悩みましたが、非常に良く分かりすぎるので載せちゃいます)

25歳までの女は自分を殺す。

35歳までの女は自分と相手を殺す。

35歳以後の女は相手だけを殺す。

久しぶりの歌舞伎鑑賞、「秀山会」中村吉右衛門

小樽

後藤先生のお導きで久しぶりに歌舞伎座へ歌舞伎を見に行ってきました。帯広時代は一回も行っていないので、4,5年ぶりかもしれません。久しぶりに堪能しましたが、役者の皆さんは随分、お年を召されたなあ、というのが第一印象でした。

九月の歌舞伎座は、秀山こと初代中村吉右衛門生誕120年祭です。昼の部を見たのですが、松緑の梅王丸、染五郎の松王丸で「車引」、吉右衛門南与兵衛、後の南方十次兵衛、富十郎の濡髪長五郎の「引窓」、雀右衛門の小野小町、梅玉の在原業平、染五郎の文屋康秀で「六歌仙容彩(すがたのいろどり)」、幸四郎の松王丸、吉右衛門の武部源蔵、魁春の戸浪、芝翫の千代で「寺子屋」といった演目。

前から5列目の特等席だったので、役者の息遣いが手に取るように伝わり、しばし、江戸の芝居小屋の雰囲気の中にタイムスリップした感じでした。

不仲が伝えられていた幸四郎、吉右衛門兄弟が「寺子屋」で共演したことには随分と感動させられました。二人とも還暦を過ぎたので、芸にいぶし銀のような艶が出てきました。私自身、播磨屋吉右衛門が現代歌舞伎界のナンバーワンだと思っているのですが、松王丸を十八番にしている幸四郎もなかなかよかった。幸四郎は現代劇もやっているせいか、台詞回しが現代風に陥りがちだったのですが、松王丸ははまり役で、自分の息子を身替わりに提供した親の悲痛を見事なまでに表現しきっていました。

吉右衛門は台詞がなくても立ち姿が格好いい。「引窓」では、殺人犯の義兄弟を捕縛しようかどうか悩む町人あがりの武士を品良く演じているし、「寺子屋」の源蔵は、初代の当たり役だったらしく、苦悩する源蔵が2代目として演技の継承者として悩む吉右衛門本人と重なって、うならされてしました。

かつて、歌舞伎は年に30本くらい見ていた時期もありました。ちょうど「三之助」が売り出していた頃です。あれから10年近く経ち、役者さんたちも随分年取ったなあ、というのが最初に書いたのと同じ印象でした。

天国への階段

公開日時: 2006年8月29日

最近、若い頃に聴いたロックの歌詞に凝っています。当時は、詞の内容などほとんど意に介しておらず、とにかく、ギターのリフやベースラインばかり聴いていたからです。

長じて、歌詞カードを見てみると、いかに出鱈目かが分かりました。間違いだらけと言ってもいいでしょう。恐らくロック音楽など子供相手なので、誰も抗議する人がいなかったのでしょう。

以前、ひどすぎる例を挙げたことがあります。

例えば、ビートルズの「ノルウェーの森」。原題の Norwegian wood は、本当は「ノルウェー製の家具」という意味だということを指摘したことがあります。

ジョン・レノンがソロになった時に出した「コールド・ターキー」は、日本でシングル盤がリリースされた時「冷たい七面鳥」でした。(カプリングのB面は、「京子ちゃん、心配しないで」だったことを覚えています)

「冷たい七面鳥」は直訳で、全く原題の意味をなしていません。当時発行された英和辞書にはどこにもその訳が載っていなかったのでしょうが、今の辞書にはほとんど載っています。

麻薬などが切れたときの「禁断症状」という意味です。それで、あのジョンの不可解な叫び声の意味が分かりません。冷たい七面鳥では…。

レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」は、Stairway to Heaven ですから概ね合っているでしょう。

しかし、歌詞カードの最後の方が出鱈目なんですよね。ですから、翻訳も間違っています。この曲だけ原文がジャケットに印刷されているのに、そこまで神経が行き届かなかったのでしょうか?

この曲は恐らく、ロバート・プラントが作詞したのでしょうが、かなり諺が間接的に引用されています。

最初の出だしの、

There’s a Lady who’s sure all that glitters is gold.

And she’s buying a stairway to heaven.

の中の all that glitters is gold. は、  All that glitters isn’t gold.(煌くものすべてが黄金であるとは限らず。=見かけで判断するな)のもじりです。

しかし、4番に出てくる

And it’s whispered that soon if we all call the tune,then the piper will lead us to reason.

の意味が分かりません。

歌詞カードには

「囁かれているのは、間もなく我々が皆、あの調べを歌えば、笛吹きが我々を理性に導いてくれるだろうと」

となっていますが少し違う気がします。何故なら、次の諺を踏んでいるからです。

He who pays the piper calls the tune.(笛吹きに金を払うものは曲を注文する。⇒お金を払うものには発言権がある。責任を取るものには命令権がある)

これを試訳すると、

「そのうち静かに伝わるだろう。もし、我々みんながその曲を注文すれば、笛吹きが我々を理性に導いていくれるだろう」

ですが、その言外の意味として、「もし我々みんなが責任を取れば、理性的な世界になるだろう」ということになるのでしょう。

ネイティブには、こういった諺が頭にインプットされているから敵うわけありませんね。