現世人類は所詮、猿人の子孫さ

 今年もあとわずかで、年の瀬も押し迫って来ました。

 ランチに行ったりすると、その店の常連さんや馴染み客が「今年で最後かな? 良いお年を」と言って出ていく人も多くなりました。

 まだ少し早いですが、今年も読者の皆様には大変お世話になりました。今年は相当な数の馴染みの読者さんが離れていきましたが(苦笑)、また、相当な数の新しい読者の皆様も御愛読して頂いたようです。このブログがいつまで続くか分かりませんが、感謝しか御座いません。

 さて、今年は、いつもの個人的なことながら、人類学にハマりました。ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)、そして、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)と、これまでほとんど知らなかった古代人類化石のゲノムを解読した最新科学を教えてもらい、目から鱗が落ちるような感動でした。

 もともと、私自身は、記者生活をしながら、近現代史の勉強を個人的に始めました。きっかけは、ゾルゲ事件研究会でした。しかし、昭和の初期から敗戦に至るあの狂気と言っても良い時代に登場する人物の中には、一兵卒たちは皆殺しになっても、自分だけは飛行機に乗って逃げて助かるといった日本史上最悪とも言うべき軍人がいて、腸が煮え沸るどころか、吐き気を催すほどで、日本人というものがつぐづく嫌になってしまいました。

 同時に、近現代史を知るには、明治維新を知らなければならない。明治維新を知るには江戸の徳川の治世を知らなければならない。江戸時代を知るには、まず関ケ原の戦いを知らなければお話にならない。関ケ原を知るにはそれに至る戦国時代を知らなければならない。でも、彼ら戦国武将を知るには鎌倉時代の御家人たちのことを知らなければならない。そして当然のことながら天皇家の歴史を知るには古代にまで遡らなければならず、究極の果て、人類学にまで逆上ってしまったわけです(笑)。

 でも、色んなことが分かると、皆つながっていて、「なるほど。そういうことだったのかあ」と感激することが多々あります。

東銀座 料亭H

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本のせいで、合戦場面がほとんどなく、まるでホームドラマかメロドラマになってしまい、残念至極なお芝居でしたが、その半面、鎌倉時代関連の書籍が多く出回り、色んなことを学ぶことができました。

 鎌倉殿の13人の一人、大江広元の子孫に毛利元就がいて、中原親能の子孫には大友宗麟がいて、八田知家の子孫には小田氏治がいる、といったことは以前、このブログでも書いたことがありますが、和田合戦で滅亡させられた初代侍所別当・和田義盛(三浦義村の従兄弟に当たる)の子孫に、織田信長の重臣だった佐久間信盛や盛政(母は柴田勝家の姉)らがいること最近、知りました(笑)。佐久間氏は、和田義盛の嫡男常盛の子、朝盛が、三浦義明の孫に当たる佐久間家村の養子になったことから始まります。

 和田合戦で、和田常盛は自害に追い込まれますが、その子、朝盛は佐久間氏の養子になっていたため、逃れることができました。しかし、朝盛は承久の乱に際して、後鳥羽上皇側について没落します。一方、朝盛の子である家盛は、北条義時側についたので、乱後は恩賞として尾張国愛知郡御器所(ごきそ)を与えられるのです。(「歴史人」12月号)

 私はこの御器所と聞いて、吃驚してしまいました。今年5月に名古屋に住む友人の家を訪ねたのですが、その場所が御器所だったのです。友人の話では、御器所はもともと熱田神宮の器をつくる職人が多く住んでいたことから、そんな変わった名前が付けられたという由緒は聞いていましたが、佐久間氏のことは全く聞いていませんでした。佐久間家盛が御器所の地を与えられたため、佐久間氏は尾張の地に根を張るようになり、その関係で、佐久間信盛や盛政らは、尾張の守護代、織田信長の重臣になったわけです。つまりは、戦国武将佐久間信盛らは、もともと三浦半島を本拠地とする三浦氏だったということになります。

 まさに、点と点がつながって線になった感じです。

東銀座・割烹「きむら」白魚唐揚げ定食1300円

 確かに、鎌倉時代は、梶原景時の変、比企能員の乱、畠山重忠の乱、将軍頼家、実朝の暗殺…と血と血で争う殺戮と粛清の嵐が吹き荒れました。当時は刑法もなければ、人権意識そのものがないので生命は軽んじられ、仕方がなかったかもしれません。でも、それは日本だけの状況かと思ったら、エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で、フランスのある教会区の住民台帳のようなものを調べたところ、13世紀(日本ではちょうど鎌倉時代)のある村の殺人率が10万人当たり100人(現代は、だいたい10万人当たり1人未満)と異様に多かったといいます。

 「なあんだ、世界的現象かあ」と思ってしまったわけです。当時は、ちょっとした言い争いでも直ぐに殺人事件に発展してしまったということなのでしょう。

 30万年前にアフリカで出現した現生人類は、7万年前に本格的にアフリカを出て世界に拡散し、1万年前に農耕を始めて定住生活をするようになると、土地、領土争いから戦争が絶えなくなります。21世紀になってもロシアがウクライナに侵攻するぐらいですから、人類は原始以来、全く変わっていません。人類学で篩にかければ、所詮、現世人類は700万年前、霊長類のチンパンジーから分岐して進化した猿人の子孫に過ぎません。だから、何が起きても予想外として驚くようなものはないかもしれませんね。

現生人類は旧人と交雑していたとは知らなかった=篠田謙一著「人類の起源」

 ウクライナ戦争を仕掛けたロシアのプーチン大統領が着ているダウンジャケットは、イタリアの高級ブランド「ロロ・ピアーナ」で約160万円もする、と聞いて驚愕しました。

 もっとも、お笑いの爆笑問題の太田光さんは、1把100万円もする線香(確かに、伽羅を使用した最上級の日本香堂の線香「富嶽」が楽天市場で110万円で売りに出されています!)をポンと買われるぐらいですから、有名人と庶民とは金銭感覚が違うということなんでしょう。

 何で、こんなにお金の金額のことを一々書くのかと言いますと、これを読んだ50年後、100年後の読者の皆さんに参考になるかと思ったからです。でも、このブログが50年後に残っているとは思えませんけど…(苦笑)。

 さて、相変わらず、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)を読んでおります。学術書であり、私も、もう若くはないので、そんなにスラスラとは読めません。正直、1ページごとに知らない「単語」が沢山出て来るので覚えきれないのです。 

 2022年12月19日付渓流斎ブログ「『ここは何処?』『私は誰?』がこの本で解明される=篠田謙一著『人類の起源』」でも取り上げましたが、21世紀になって、化石の骨(ホミニン)から全てのDNAを高速で解読できるようになり、化石人類学が急速に発展して、今では人類の進化の過程が飛躍的に分かるようになったのです。

 前回の繰り返しになりますが、700万年前に現生人類につながるヒトはチンパンジーから分岐し、この本では、人類の最も古い祖先は、サヘラントロプス・チャデンシスという初期猿人だと書かれています。これからオロリン、アルディピテクス、アウストラロピテクスなどさまざまな人種の属に進化していきます。昔、私も習った猿人―原人ー旧人ー新人のパターンです。

銀座「てんぷら阿部」昼定食1600円

 猿人から、話は一気に旧人に飛びますが、その旧人のネアンデルタール人は滅亡し、今はホモ・サピエンスという、たった1種類の現生人類だけが生き残っています。が、2010年には新たにデニソワ人という旧人も発見され、学界で認知されました。2010年なんて、私から言わせてもらえば、昨日のようなつい最近のことです。化石人類学の飛躍的進歩がこの例でも分かります。

 そして、私の拙い知識では、旧人と新人は別個のものだと思っていたのですが、何と、30万~20万年前に誕生したホモ・サピエンスは、このネアンデルタール人ともデニソワ人とも交雑していたというのです。(ただし、本書には、はっきりと書いてはいませんが、ホモ・サピエンスは、北京原人〔70万~40万年前〕やジャワ原人〔160万~25万年前〕など原人=ホモ・エレクトスとは交雑していないようです。)ですから、DNA解析すると、ホモ・サピエンスにはネアンデルタール人の遺伝子が数%残っており、このネアンデルタール人の遺伝子が、コロナウイルスの重症化につながっている、という説もあります(勿論、ネアンデルタール人と交雑しなかったホモ・サピエンスもいます)。iPS細胞の山中伸弥博士は、新型コロナに関して、アジア人と比べて、欧米人の方が重症化しやすいのは何故なのか、その原因はいまだ解明されていないので、「ファクターX」と命名していましたが、もしかしたら、このファクターXは、ネアンデルタール人の遺伝子と関係があるかもしれません。

 4万年ほど前と言われていますが、ネアンデルタール人が何故、絶滅したのか理由は分かっていませんが、子孫を残せなかったという事実から、氷河期の食糧難だけなく、感染症などの病気も一因かもしれません。

 ところで、南仏ラスコー洞窟の壁画で有名なクロマニヨン人も、私なんか旧人だと間違って覚えていたのですが、1万8000~1万1000年前のマドレーヌ文化を担ったホモ・サピエンス=新人の一員なんだそうです。その程度の知識しかない私のような人間がこの本を読めば、付箋と赤線だらけになります。読むのに時間が掛かるはずです(笑)。

「歴史人」読者プレゼントにまたまた当選=人生、最も歩きやすい靴にめぐり逢い

 またまた、「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。これで何回目なのか、もう覚えていませんが(笑)、5回以上10回未満だと思います。運が良かった、としか言いようがありません。

 当選した12月号のプレゼントは、上の写真の通り、東京・サントリー美術館で開催中の「京都・智積院の名宝」展のチケット2枚です。わずか5組にしか当選しないのに、何でえ?と我ながら不思議に思います。そこで、仏教の「無財の七施」の精神を発揮して、会社の同僚に1枚あげることにしました。希望者が複数いたので、あみだくじで決めました(笑)。

 真言宗智山派の総本山である「京都・智積院の名宝」展の目玉は、私も大好きな長谷川等伯です。今回は、等伯一門による障壁画「桜図」「楓図」などが、寺外で初めて揃って展示されるというので、大いに楽しみです。

 版元のABCアークの後藤隆之編集長を始め、スタッフの皆様方には本当に感謝申し上げます。「歴史人」は毎号、毎号、本当に勉強になるのですが、実は、私は、応募はがきの中で、偉そうに、誤字脱字や誤植などを指摘したりします。少しでも「永久保存版」として、より良い「製品」になってほしいからです。私がこうして当選を重ねることが出来るのは、毎号、人一倍熟読として誤植を指摘するからではないか、と思っているほどです。

 今後も、スタッフの皆様には頑張ってほしいと思っております。

 これで終わってしまっては物足りないので、もう一つ、話題をご提供します。先日、通販で靴を注文したら、ちょっとキツくて、送り返しの宅急便代として1050円を払って、サイズ交換してもらったことを書きました。

 その靴が、昨日、自宅に届きました。

 今朝、通勤で履いてみたら、とっても歩きやすいので吃驚です。靴底の厚いゴムがバネのように跳ね上がり、歩いていても跳躍しているような感じです。歩くことが嬉しく楽しくなります。

 宣伝ではないので、あまり商品名は言いたくないのですが、スイス製の「オン」というスニーカーです。スイス製と言っても、作られたのはベトナムの工場です。私は、普段26センチの靴を履いているのですが、このスニーカーの場合、26センチではキツくて、26.5センチに交換してもらいましたが、この靴の表面がゴアテックスで防水性になっていて、普通のスニーカーより、やや硬めだったのです。もし、私の真似をしてこの靴をお求めになる方がいらっしゃるとしたら、サイズは少し大きめをお勧めします。

 恐らく、私が生きたこれまでの人生で色んな靴を履きましたが、これは一番、歩きやすい靴だと思います。

 あれっ? 宣伝ではありませんよ。この会社から1銭ももらっていませんからねえ(笑)。それに、本日は電車や街中でこの同じ靴を履いている人は見かけませんでした。履き易さ、というか、歩き易さは、あくまでも個人的な見解です。個人差があるでしょうから、責任は持ちませんので、そこんとこ宜しく御願い申し上げます。

「ここは何処?」「私は誰?」がこの本で解明される=篠田謙一著「人類の起源」

 今年は、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史  人間を生き残らせた出来の悪い足」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)と興味深い人類学史に触れることが出来、学生時代に読み損ね、まだ未読のレヴィ=ストロースの名著「悲しき熱帯」上下巻(中公クラシックス)を含めて、わずか5000年程度の人間の文明の歴史よりも、1000万年近い原初の人類の歴史から解き明かしてくれる文化人類学、古代人類学への関心が大いに高まりました。

 今、やっと読み始めることが出来た篠田謙一著「人類の起源」(中公新書、2022年10月30日第5販)は、私にとって今年の掉尾を飾る「大トリ」みたいな本で、久しぶりにワクワクしながら読んでおります。著者は国立科学博物館の館長を務め、私と同じ世代の人なので、ということは、中学、高校ぐらいまではほぼ同じ共通の教育を受けてきたので、読んでいて同感、実感することが数多あり、実に分かりやすく、面白いのです。

 我々の世代は、人類学と言えば、教科書では「猿人―原人―旧人ー新人」の進化過程を辿り、最も古い「類人猿」としてアウストラロピテクスが発見された、といった程度しか中学、高校では習いませんでした。そんな「定説」が次々と引っ繰り返され(塗り替えられ)て、「新発見」が続出するようになったのは、意外にも21世紀になってからだったのです。ということは、比較的新しい学問、と言ってしまえば、語弊がありますが、いきなり最先端の学問になったのです。道理で、この本に書かれていることは、専門家以外誰も知らないことばかりでした。

 著者によると、そんな化石人類学の飛躍的発展には、2006年から実用化されるようになった次世代シークエンサー(化石人類のサンプルの全てのDNAを高速で解読)の存在が大きいといいます。しかし、著者は「科学は間違うものだ」という認識が必要だ、とも言います。何故なら、これまでの、科学の発展は、たゆまぬ努力による間違いと訂正の歴史だったからだと説明します。

東京・銀座「マトリキッチン」

 それでも、現在の「最先端の科学」が解明した人類の起源は以下のようになっています。(「約」と「?」は省略します)

・700万年前=チンパンジーとヒトが分岐する。サヘラントロプス・チャデンシス(2001年、北アフリカのチャドで発見)

・600万年前=オロリン・トゥゲネンシス(2000年、ケニアで発見)

・580万年前~520万年前==アルディピテクス・カダッバ(エチオピア)

・440万年前=アルディピテクス・ラミダス(エチオピア)

 ※サヘラントロプス属とオロリン属とアルディピテクス属の3属を「初期猿人」と呼ぶ

・420万年前~200万年前=アウストラロピテクス属(勿論、1974年に発見された有名なルーシーも含みます)

・260万年前~130万年前=パラントロプス属 ※ここまでが猿人

・200万年前ホモ属誕生。初期のホモ属(ハビリスとルドルフエンシス)※猿人と原人の中間

・200万年前~30万年前=原人(ホモ・エレクトス=最初の出アフリカ、北京、ジャワなど。ホモ・フロレシエンス=インドネシアフローレス島。ホモ・ナレディ=南ア)

・60万年前~30万年前=旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)

・30万年前~4万年前=旧人(ネアンデルタール人)※60万年前に、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分岐。その後、両属は混合した形跡も。

・20万年前~現在=新人(ホモ・サピエンス)登場

・6万年前=ホモ・サピエンスが本格的に出アフリカ、世界展開

・1万年前=農耕開始

・5000年前=現生人類の文明開始

 ※取り敢えず、ここまで。つづきが楽しみです。

権威主義的、不平等主義的直系家族のドイツと日本=E・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」を読破

 ネット通販でスニーカーを注文したら、どうも小さくて、交換してもらうことにしました。以前にも何足か通販で靴を買ったことがあり、大抵、26センチで間に合っていたのですが、今回のスニーカーはスイス製の「オン」という防水性に優れた高級靴です(とは言っても、メイド・イン・ヴェトナムですが)。部屋で試し履きしてみて、無理して履けないことはなかったのですが、ちょっときつい。また外反母趾になったりしては嫌なので、26.5センチに替えてもらうことにしました。

 通販のポイントが付くので、かなり安く買えたと思ったのですが、先方に靴を送り返す宅急便代が1050円も掛かってしまったので、結局、チャラになった感じです(苦笑)。

 さて、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋、2020年10月30日初版)を昨日、やっと読了することが出来ました。上下巻通算700ページ近い難解な大著でしたから、正直言って、悪戦苦闘といった感じで読破しました。上巻の「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」は11月15日頃から読み始め、読了できたのが12月5日で、下巻の「民主主義の野蛮な起源」を読破するのに12日間かかったので、上下巻で1カ月以上この学術書に格闘してきたわけです。

 評判の本ということで、発売1カ月で、日本でも4万部を突破したらしいですが、果たして全員が読破できたのか、疑問が付くほど難解な本でした。私のような浅学菲才な人間が読破できたので、思わず、自分で自分を褒めてやりたくなりました(笑)。

 はい、これで終わりにしたのですが、ありきたりの書評を書いてしまっては、つまりませんね。エマニュエル・トッドという大碩学様に、浅学菲才が何を言うか、ということになりますが、もう少し分かりやすく書けないものですかねえ、と言いたくなりました。矛盾点も見つかりました。

 この本を渓流斎ブログで取り上げるのは、これで4回目です。過去記事は、最後の文末の【参考】でリンクを貼っておきますが、直近に書いた「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」の中で他殺率の話が出てきます。孫引きしますと、こんなことを書いています。

 この本(上巻)の345ページには、1930年頃の他殺発生数が出て来ます。10万人当たり、英国では0.5件、スウェーデンとスペインで0.9件、フランスとドイツで1.9件、イタリアで2.6件、そして日本では0.7件だったといいます。それに対して、米国は8.8件という飛び抜けた数字です。著者のトッド氏は「アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的で、そのことは統計の数値に表れている。」と書くほどです。

 そう、この辺りを読んで、私も正直、大変失礼ながら、アメリカは野蛮な国だなあと思いました。

 そしたら、下巻では、上巻には出て来なかったロシアの他殺率が出てきて驚愕してしまいました。251ページに、ロシアの他殺率は、「2003年に10万人当たり30.0人だったのが、2014年に8.7人に急減した」という数字が出てくるのです。10万人当たり30人とは米国どころではありません。時代は違っても、米国を野蛮国と断定したのは無理がありました。何で、トッド氏は、このロシアの数字を上巻に入れなかったんでしょうか?

 原著は5年前の2017年の5年前に出版されたので、当然ながら今年2月のロシアによるウクライナ侵攻のことは書かれていません。(「日本語版のあとがき」の中では少し触れていますが、あくまでも、著者は「ウクライナ軍を武装化してロシアと戦争するように嗾けたのは米国とイギリスです」と、ロシア贔屓の書き方です。)

 下巻の240ページでは、「モスクワによるクリミア半島奪回、ウクライナにおけるロシア系住民の自治権獲得など、伝統的な人民自決権に照らせば、正統な調整と思われることが、西洋一般において、とんでもなく忌まわしいことと見なされている。歴史の忘却を超え、地政学的現実の考慮を超えて、唖然とせざるを得ないのは、ロシアの脅威の過大評価にほかならない」とトッド氏は断言されていますが、結局、ウクライナ侵攻という事実によって西側メディアや学者らがロシアのことを脅威と見なしていたことは、過大ではなく、正当で、トッド氏の予言ははずれたと、私は思うのですが。

◇ユーラシア大陸中央部だけが権威主義的か?

 もう一つ、私が矛盾点を感じたことは、下巻10~11ページに書かれていたことです。

 個人主義的・民主主義的・自由主義的イデオロギーが、ユーラシア大陸の周縁部に、歴史の短い諸地域に位置しているということである。逆に、反個人主義的で権威主義的イデオロギーーナチズム、共産主義、イスラム原理主義ーは、ユーラシア大陸のより中心的ポジション、より長い歴史を持つ諸地域を占めている。

 確かにそうかもしれません。ユーラシア大陸の中央にあるロシアや中国は実質的に共産主義で、イランやアフガニスタンなどはイスラム原理主義です。でも、ユーラシア大陸のはじっこの周縁部にある北朝鮮やベトナムはどうなるのでしょうか?

 それでも、著者による「人口」「出生率」「識字率と高等教育」「宗教」「イデオロギー」「家族形態」に着目して、世界のそれぞれの国家を分析、仕分けした学説は説得力があり、データの使い方に恣意的な面が見られるとはいえ、感心せざるを得ません。表記も換骨奪胎して、それらの部分を引用します。

 ・政権交代を伴う自由主義的民主制が容易に定着したのは、欧州でも英国、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークといった核家族システムにおいてだけだった。(19ページ)

 ・カルヴァン的不平等主義から民主的な平等主義へ移行した米国は、独立宣言で、インディアン(アメリカ先住民)のことを「情け容赦のない野蛮人」と述べ、1860年から1890年までの間に、インディアン25万人を殲滅した。人種差別はむしろ、アメリカン・デモクラシーを支える基盤の一つだ。(22~23ページ)

◇人類の知的能力は頭打ちか?

 ・米国の高等教育は、1900年は、25歳の男性のわずか3%、女性の2%しか受けていなかったが、1940年には男性7.5%、女性5%、1975年には男性27%、女性22.5%、2000年頃には男性30%、女性25%に達した。しかし、試験の平均スコアは1970年代からほぼ停止状態入った。これは、受け入れシステムの制約ではなく、高等教育を受けるに足る知的能力の持ち主の比率が上限に達した結果だ。(43~46ページ)

・米国の1950年代以降の知的能力の停滞は、テレビの普及の可能性があるのではないか。私は既に、6歳から10歳までの思春期以前の集中的読書がホモ・サピエンスの知的能力を高めることを言及したが、集中的読書を抛擲したがゆえに頭脳の性能が落ちたとしても、いささかも意外ではない。(50ページ)

・ロシアや中国の基本的家族型は、外婚制共同体家族だが、セルビアやベトナムなども含め、農村で起こった共同体家族の崩壊で人々が個人として解き放たれたが、急に解き放たれた個人は、直ぐに自由に馴染めず、ほとんど機能不全に陥った家族の代替物として、党や中央集権化された計画経済や警察国家に求めた。(142ページ)

◇不平等で反個人主義のドイツと日本

 ・ドイツと日本は直系家族の典型で、父系制が残存し、長子相続の記憶を保全し、不平等な反個人主義だ。女権拡張的価値観に乏しく、人口面で機能不全を来し始めた。その一方、今日の世界貿易の面では、英語圏の全ての国が赤字で、一般的に直系家族型社会が黒字になっている。(170~176ページ)

 ・ゾンビ・直系家族は、集団的統合メカニズムを恒久化し、不平等主義を促し、非対称性のメンタリティがあるが、ドイツや日本の技術的優越性は自己成就的予言となり、かくしてドイツ製品や日本製品は高いレベルに到達していく。(190ページ)

 ・大陸ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、フランス、デンマークを別にすると、自由主義的、民主主義的であったことは一度もない。大陸ヨーロッパは、共産主義、ファシズム、ナチズムを発明した。何よりも、ユーロ圏の多くの地域が権威主義的で不平等主義的な基層の上にあることを忘れないようにしたい。(232~237ページ)

 ・直系家族であるドイツや日本の階層的システムは、社会秩序を安定化させる不平等原則を内包している。(271ページ)

 こうして読んでいくと、ドイツも日本も19世紀までいわばバラバラの領主分権国家だったのが、統一国家(プロシャ、大日本帝国)として成立した時期も似ています。明治日本がプロシャを手本にして憲法をつくったりしたのも、先の大戦で、日独伊三国同盟を樹立したのも、同じ直系家族として、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。勤勉で真面目で、組織力がある性癖は日独に共通しています。

 私の経験では、英国で道に迷って、人に聞くと「No idea」と言って素っ気ないのに、ドイツ人ならわざわざ一緒に歩いて目的地まで連れて行ってくれたりしました。同じ直系家族としてウマが合うのかもしれません。

【参考】

 ・2022年11月18日=「人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』」

 ・2022年12月1日=「『ドミノ理論』は間違っていた?=家族制度から人類史を読み解く」

 ・2022年12月6日=「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」

スマホ断食のすすめ

 《渓流斎日乗》は、個人的なブログなので、毒にも薬にもならぬ日々のよしなしごとを書き連ねております。毎日更新する予定ですが、たまに間が空くこともあります。それが何か?

 はい、実はネタがないのです。あることはあるんですが、衆人監視の中、政治問題にせよ、経済問題にせよ、ブログなんかに本音なんか書けるわけがありませんよね。でしょ?(笑)

 あれっ?今日はいやに皆さんに同意を求めておりますね(笑)。御寛恕ください。

 というのも、私は今年に入って、FacebookなどSNSをやめたことをこのブログに書きました(正確には未だつながっていますが、利用しなくなった、ということです)。理由も書きました。「いいね!」や読者欲しさから、自分の信念を曲げたり、狡猾になったりする自分の「あざとさ」に嫌気がさしたからでした。

 もともと、このブログの宣伝のために、SNSを始めたのですが、余計に読者の反応が気になってしょうがなくなります。反応がないと意気消沈したりします。とにかく、スマホ中毒といいますか、何処に行ってもスマホから目を離すことが出来ず、いわゆる「スマホ廃人」になってしまい、「これではいけない!」と反省したわけです。

 でも、「あざとさ」というのは自己矛盾です。繰り返しになりますが、ブログ拡散のために、SNSを利用したのですから、あざとくなるのは当たり前です。このモヤモヤした気持ちを、どなたか、一言で明言してほしいなあ、と思っていたところ、素晴らしい文章に出合いました。

昭和通り

 それは、京大総長を務めた「ゴリラ学者」の山際寿一さんが2020年6月に出した「スマホを捨てたい子どもたち」(ポプラ新書)という本の中に出て来ました。

 まず、現生人類ホモ・サピエンスの脳の能力から、我々が、信頼関係を持ってつながることが出来るのは100~150人が限界。日常的におしゃべりしたり、付き合ったりすることが出来る友人知人は、10人程度、と著者は明らかにしているのです。SNSで、やれ、10万人が「いいね!」ボタンを押したとか、YouTubeで100万人がアクセスしたからといっても喜んでばかりいられないのです。つまり、面識があって信頼関係でつながっているわけではないので、逆にそのギャップに苦しみ、特に、生まれた時からスマホがあるデジタルネイティヴ世代の中には、いい加減、スマホを捨てたいと思っている、というのが本音だというのです。

 へー、と思ってしまいましたね。

 換骨奪胎、敷衍して、著者の山際氏はこんなことを言っています。人類は、社会的動物なので、自分のやっていることを他者から認めてもらいたい、注目してもらいたいという願望を持ち続けて来た(何も政治家や財界人や芸能人やスポーツ選手や芸術家だけでなく、無名の一般人も)。だからこそ、人類は進化の過程で付き合う親しい仲間の数を増やそうとしてきた。(そう、人類は他者から認めてもらうためのツールとして、世界で何十億人もが持つスマホという武器を手にしたわけです。)

 しかし、それでも、個人が真に信頼してつながることが出来る数は150人のまま増やせていないというのです。何故かと言えば、現生人類の脳の構造がそうなっているから、ということなのでしょう。意外なことでしたが、現生人類であるホモ・サピエンスの脳の容量は、絶滅したネアンデルタール人より少ないんだそうですね。これも、へーと思ってしまいました。

 このほか、著者の山際氏はこの本の中で、「AIに支配されないためにも、人類は生物としての自覚を取り戻せ」と主張しています。ゴリラ研究のためにアフリカのガボンなどでゴリラに襲われ、何度も死にかけた体験を持つ著者だけに、説得力があります。また、山際氏は「このまま情報化が進めば、人間は『考える』ことをやめてしまうかもしれない」と危機感を募らせます。 

 確かに、現代人は、例えば、流行に遅れたくないために、AIに頼って服選びをしてもらったり、恋人とのディナーを何にしようか、をアルゴリズムに頼ったりしがちになりました。まさに思考停止です。逆に、選ぶには、悩みます。そんな悩むこと=考えることを放棄したのが、現代人と言えるかもしれません、

 最後に山際氏は「スマホ・ラマダン(断食)」を薦めています。たまにはスマホから離れた生活をして、本来の人間の姿を取り戻せ、ということです。

 このブログ《渓流斎日乗》の一日ののアクセス数は、昨年は300人程度でしたが、今年に入って、どういうわけか500~600人に倍増しました。FacebookなどSNSをやめてもその数は維持されている感じです。そっかー。どなたが御愛読されているか分かりませんが、もう十分ではありませんか。

 恐らく1日しか続かないでしょうけど、私も、たまにはスマホ断食をやってみようかと思っています。精神的健康に良いはずです。

アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?

 またまたブログ更新に間が空きましたけど、サッカーのワールドカップに熱中したりして、読書がなかなか進まなかったことが理由の一つにあります(苦笑)。でも、昨日、やっと、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)の上巻を読了できました。

 上巻のサブタイトルは「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」となっておりますが、何故、アングロ・サクソンが世界の覇権を握ることができたのか、については上巻を読んだだけでは明解な回答が私にはよく理解できませんでした。答えは書かれていないと言ってもいいかもしれません。「第9章 イギリスというグローバリゼーションの母体」の最初に「2015年頃の時点で、英米世界は4億5000万人の人口を擁し、既に、イギリスとアイルランドの分を差し引くと4億3800人しかならない欧州連合の総人口を凌駕している。」と書かれていますが、人口で比べれば、中国の14億人、インドの13.9億人と比べれば、微々たるものです。その微々たる人口のアングロ・サクソンが何故、世界制覇をしたのか、気になるところですが、私は、軍事力を超越して、文化力=英語という言語が世界共通語となったこと=が大きいと考えています。けれど、「鶏が先か、卵が先か」のような話になってしまいますね(笑)。

  日本国語大辞典(小学館)によると、アングロサクソンとは、現在のイギリス人の主な祖先のことで、5世紀ごろドイツ西北の海岸地方から大ブリテン島へ侵入したアングル、サクソン、ジュートなどの西ゲルマン族のこと、とあります。ということは、英国人というのは、もともとゲルマン=ドイツ人だったのかあ、ということになります。1066年にノルマン人による英国征服があり、ウィリアム1世として即位(ノルマン朝)しますが、この本の中で著者は「フランスのノルマン人」と書いております。でも、正確に言うと、ノルマン人とはゲルマン系で、フランスのノルマンディー地方に移住して根を張っていた民族だったので、ノルマン人はゲルマン=ドイツ人ではないでしょうか?それに、現在の英国の王室につながるハノーヴァー朝は、ドイツの王室から来たものです。

 また、12~14世紀の英プランタジネット朝は、フランスの貴族アンジュー伯アンリがヘンリー2世として即位した王朝で、そのヘンリー2世は、フランスのアキテーヌ女公エリアノールと結婚したため、ワインで有名なボルドーは、300年間もプランタジネット王朝の支配下、つまり英国領でした(英仏の百年戦争で、フランスがボルドーを奪還)。

 何が言いたいのかと言いますと、英国人、フランス人、ドイツ人などと言っても、欧州ではゲルマン系、ケルト系、ラテン系、スラブ系など色々混じっているので、民族的な特色を峻別するのは難しいのではないか、と思ってしまったわけです。でも、著者によると、国としてそこに住む人間の家族体系を比べると明らかに違いが出て来るというのです。その国をつくる国民の家族形態は、地理的環境や政治経済体制によってつくられていくというのがこの本の基本になっているようです。「ようです」と書いたのは、著者の文章が難解だからです。

 著者の言葉を堀茂樹氏の訳でそのまま、ここに掲載しますと、「イギリスでは、ケルト人、ゲルマン人などの『野蛮人』の未分化家族が絶対核家族に変形した。双系親族システムが非活性化し、兄弟姉妹の連帯がローカル集団の機能の根幹を担う部分ではなくなった。そのことにより、世帯の核家族的性格が徹底したものになった。」などとありますが、この文章をすぐ理解出来る人はそれほど多くないと推測されます。

 話は全く飛びますが、上巻で私が最も印象に残った数字が「他殺の発生数」です。13世紀のフランスのある村の教区の住民台帳が残っていて、それによると、他殺の発生率は、10万人当たり100件もあったといいます。かなり多いです。現代の世界平均では、10万人当たり1人を切るからです。13世紀と言えば、日本は鎌倉時代。ちょうど大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をやっていますが、梶原景時の乱、比企能員の乱、和田義盛の乱…等々、やたらと人が殺される物騒な世界です。そんな13世紀は大した憲法も法律も人権もない無法地帯だったので、世界的にも他殺の発生数が多かったのではないか、と思ってしまった次第です(笑)。

 ちなみに、この本の345ページには、1930年頃の他殺発生数が出て来ます。10万人当たり、英国では0.5件、スウェーデンとスペインで0.9件、フランスとドイツで1.9件、イタリアで2.6件、そして日本では0.7件だったといいます。それに対して、米国は8.8件という飛び抜けた数字です。著者のトッド氏は「アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的で、そのことは統計の数値に表れている。」と書くほどです。1930年頃の米国と言えば、アル・カポネらギャングが暗躍した頃なので、殺人事件が多かったのでしょうか。また、トッド氏は「米国社会で一般市民が拳銃やライフを所持するのは、中世ヨーロッパにおけるナイフの日常保持の永続化である。」と書き、米国の矛盾する先進性と野蛮性を指摘していましたが、要するに、日本のような秀吉による「刀狩り」がなかったせいなのでしょう、と私なんか読みながら考えてしまいました。

「ドミノ理論」は間違っていた?=家族制度から人類史を読み解く

 うーん、人の名前が出て来ない。10月に新しく英国の首相になった人、インド系で、奥さんともども大金持ちで、英王室よりも資産があるという…。韓国の大統領の名前も出て来ない。テレビで顔はよく見るのだけど…。目下、カタールで開催中のサッカーW杯。フランス代表のスーパースターは、バムエパだったか?エムベパだったか…(答えは、リシ・スナク英首相、尹錫悦ユン・ソギョル韓国大統領、エムバペ)。

 物忘れ、置き忘れ、が激しくなってきた今日このごろです。昨日なんか、ネット通販のパスワードも忘れて、一瞬、焦りました。

 でも、英国の首相や韓国の大統領の名前を会社の若い後輩に聞いてみたら、出て来ません(笑)。やったー、です(爆笑)。情報が氾濫しているせいなのかもしれません。現代人は、スマホがあれば、すぐ検索できますから、無理に覚えようとしないせいなのかもしれません。というより、今の世の中、「いらない情報」が多過ぎるのかもしれません。SNSで一般ピープルが好き勝手に発言する。それをマスコミが面白おかしく取り上げる…。

 勿論、このブログもまさしく「いらない情報」です。「それを言っちゃあ、おしめいよ」ですけど、私はすぐ読者の反応を期待してしまいますから、そんな自分のあざとさが嫌になって Facebook もやめてしまいました(笑)。

 さて、相変わらず、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)を読んでいます。四国の城巡りにも持参しましたが、ほとんど読めませんでした。昔なら、ラジオを聴きながら勉強するとか、一度に違うことが同時に出来たのに、年を取ると、マルチタスクが出来なくなりました。音楽を聴きながらの読書さえ出来なくなりました。どちらか一つに集中しなければ何も頭に入らなくなったのです。

 ですから、四国旅行の際は、お城のことで頭がいっぱいで、ほとんど本が読めなかったのでした。特にこの本は、気軽に読めるような本ではありません。はっきり言って、難解な学術書です。未分化親族網、絶対核家族、不完全直系家族、共同体家族…といった耳慣れない専門用語が頻出するので、何度も立ち止まってしまいます。うーん、もう少し分かりやすく書いてくだされば、ハラリさんの「サピエンス全史」のように世界的な大ベストセラーになったのに。

 でも、言い訳ばかり書いてもしょうがないので、「如是我聞」ではなく、「如是我読」でいきます。如是我読とは、私の造語で、「このように私は読んだ」という意味です。誤読かもしれませんが、致し方ありません。

◇人口と家族が人類史の謎の鍵

 トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」のまだ上巻ですが、私はここまで読んできて、以下のように理解しています。まず、20万年前に出現した現生人類ホモ・サピエンスは、核家族だった。それが、1万年前に、彷徨する狩猟採集生活から、定住する農耕生活が始まったお蔭で、土地や資産などの相続の問題が発生してきた。富が分散しないようにたった一人の長子に分け与えたのが直系家族で、それ以外にも色んなパターンがあって、それが、先述した未分化親族網、絶対核家族、不完全直系家族、共同体家族がそれに当たります。王侯貴族ともなると、絶大な権力と広大な土地を確保するので、土地が分割されたり、女子にも分け与えられたり、さまざまな形態が生じていきます。

 この本は、人口問題を主軸に置いた歴史人類学書です。この本には書かれていませんが、中東で農業が始まった紀元前8000年頃の世界の人口はわずか500万人でした(日本は縄文時代)。この農業革命の影響で人口は増え続け、現在2022年の世界人口は、何と80億人です。世界人口が10億人になったのが1800年ごろ、500万人の時代から約1万年掛かりましたが、それから130年後の1930年代に20億人。それからわずか80年余の2011年に70億人。そこから約10年で、また10億人も増加。ただし、国連の推計では、2080年代に約104億人でピークとなり、その後、横ばいになるといいます。

 いずれにせよ、人口増加には様々な促進要因や、その逆に阻害要因があります。ここからがソ連邦崩壊を予言したトッド先生の面目躍如です。宗教(特にキリスト教のプロテスタンティズム)、識字率、出生率、イデオロギー(特に共産主義)、家族制度との相関関係を人口をキーワードに見事に解き明かしてくれます。

 その相関関係を大雑把に見てみると、欧州では15世紀にグーテンベルクによる活版印刷の発明により、聖書が大量に出版されるようになり、識字率が高まる。特に、ドイツでは16世紀になってルターによる宗教改革で「聖書に帰れ」と主張されると、識字率がさらに高まる。同時に、キリスト教は禁欲主義と罪の意識を唱えるので、聖職者は独身を貫き、一般民衆の中には原罪意識から自殺も増え、出生率にも影響を与えるようになる。と、明確に著者は断定はしておりませんが、これが私の如是我読です。

◇日本とドイツは直系家族

 家族制度については、同書284ページで、トッド氏は具体的に国別に紹介してくれております。

 英国=絶対核家族、仏(中央部)=平等主義核家族、ドイツ=直系家族、ロシア=外婚制共同体家族、日本=直系家族、中国=外婚制共同体家族、カンボジア=未分化核家族、イラン=弱い内婚制共同体家族、アラブ世界=強い内婚制共同体家族、インド南部=父方居住で交叉イトコ婚の核家族、ルワンダ=一夫多妻制の直系家族…。日本は長子相続の伝統が残っている直系家族ですから、その通りで、これで、家族制度のイメージが湧きます。

 そこにイデオロギーが登場します。トッド氏は、共産主義社会というのは、権威主義的で平等主義的ドクトリンなので、共同体家族の権威主義的で平等主義的な価値観に支配されている地域でのみ実現する可能性があるというのです。上の各国のデータを見てみると、外婚制共同体家族制度を取っている中国とロシアが、ちょうどそれに当てはまるわけです。他に、ベトナムも社会主義体制ですが、やはり、家族は権威主義的で平等主義的共同体の国なのです。

 その一方、同じ東南アジアのタイは、権威主義的でも平等主義的でもない、つかみどころがない未分化の家族組織なので、共産主義は全く適応できない。「ドミノ理論」(一国が共産主義社会となると、隣国もドミノ倒しのように共産主義化する)でベトナム戦争に深く介入した米国のロストウ理論の破綻は、このように家族制度を見極めれば、知的・政治的説明がつく、とトッド氏は胸を張って主張しております。

 同書には書かれてはいませんが、さしずめ、トッド理論によれば、日本は直系家族制度ですから、共産主義は適応しない、ということになるのでしょう。しかし、同じ直系家族のドイツは、東独が共産主義化されました。これは、ソ連による占領ということで説明がつくかもしれません。また、ベトナムの隣国カンボジアは、ドミノのように共産主義化されましたが、共同体家族ではなく、未分化核家族です。詳しい説明はありませんが、未分化核家族には共産主義を受け入れる土壌があるのかもしれません。(それとも、単なる強圧的な独裁政権なのか?)

 「難解」などと難癖をつけてしまいましたが、色々と我流に読むと俄然面白くなってきました。

 

人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」

 本日、スマホを紛失してしまいました。焦りましたよ。でも、今日ランチに行った築地の「千秋」に戻ってみたら、案の定、その店で忘れておりました。もう六時です(洒落です)。でも、一瞬、命が縮む思いでしたから、見つかってよかった、よかった。

 さて、先月、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んで大いに感心感動したことはこのブログにも書きました。そのお陰で、文化人類学への興味が復活してしまいました。私が学生だった1970年代は、レヴィストロースを始め、文化人類学がブームでした。しかし、不勉強な私は、他の事(音楽のバンド活動でしたが)に夢中になってしまい、読書に勤しむことがなかったことを未だに後悔しております。

 その罪滅ぼしとして、先日、レヴィストロースの名著「悲しき熱帯」上下(中公クラシックス)を買い込み、早速読み始めました。それなのに、瀧井一博著「大久保利通 『知』を結ぶ指導者」(新潮選書)や松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」(文春新書)など、次から次と読むべき本が登場してしまい、レヴィストロースさんは後回しになってしまいました。

 大方の緊急課題本は読了出来ましたので、では、レヴィストロースさんを再開しようかと思ったら、困ったことに、またまた新たに興味深い本が出現してしまいました。エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋、2022年10月30日初版、ただし原著は5年前の2017年刊)です。今、その 上巻「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」を読んでいるところです。

 デシルヴァ著「直立二足歩行の人類史」、レヴィストロース著「悲しき熱帯」といった「人類学」の一連の流れの一環です。大雑把に言えば、歴史はチマチマした人間の業の行いの記録ですが、古人類学は、話し言語や文字が生まれる前の二足歩行を始めた約1100万年前の類人猿の話から始まりますので、雄大で膨大です。人間として生まれて来たからには、誰でも「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」は気になります。この本、スラスラ読めるかと思いましたら、結構、著者特有の専門用語が多出するので、つっかえ、つっかえ読んでいます。

 著者のトッド氏と言えば、ソ連崩壊などを予言した歴史人口学者として世界的に著名ですが(親日家で、目下来日中)、私のような仏文学を昔かじった学徒としては、「ポール・ニザンの孫」というのが真っ先に思い浮かんでしまいます。恐らく日本人のほとんどの方は知らないでしょうが、ジャーナリスト、作家のポール・ニザンはサルトルの親友で、1940年5月、通訳として転属されたダンケルクの戦いで戦死しています。行年35歳。代表作「アデン アラビア」は「ぼくは20歳だった。それが人生で最も美しい時代とは誰にも言わせない」という一文で始まり、若き頃の私が大変な衝撃を受けた出だしでした。

 エマニュエル・トッドの実父オリヴィエ・トッドもジャーナリスト兼作家なので、「なあんだ、彼の並外れて優れた知性は遺伝じゃないか」なんて思ってしまいます(笑)。

東銀座「むさしや」創業明治7年

 相変わらず、長々と前書きを連ねてしまいましたが、この本の要約がなかなかまとまらないからです(笑)。それに、まだ上巻の半分しか読んでいません。でも、ここまで読んできて、強引に最も印象に残ったことを茲に書くとすると、現生人類ホモ・サピエンスは元々、一夫一妻制だったということです。それが、一夫多妻や、稀に一妻多夫になったりしますが、文明が高度に発達した地域になれば、一夫一妻制に戻るというのです。

 これまで一般的に太古の家族共同体では、人類はひしめき合うように雑居し、性的に混乱し、原初的な近親相姦も頻繁に行われていた、という仮説が通説でしたが、それに意義を唱えて全面否定したのが、フィンランド人の哲学者・人類学者エドワード・ウェスターマーク(1862~1939年)でした。ウェスターマークは、近親相姦のタブーは文化事象ではなく、生存競争上の有利さをもたらすものとして自然選択された無意識の行動だと結論付けました(1891年「人類婚姻史」)。トッド氏は言います。「明らかにウェスターマークは正しい。彼より後に登場したフロイトやレヴィストロースらは近親相姦の回避の内に一つの文化事象を見ようとしたが、それは誤りだった。悲しいかな。人文科学はこうした知的後退に満ち満ちている」と皮肉交じりに叙述しています。えっ?あのレヴィストロースが間違いだったとは!?(トッド氏は、構造主義にも否定的に言述しております。)

 最新研究によると、霊長類の類人猿は今から約600万年前にヒトとチンパンジーに分かれます。だから、人間とチンパンジーの染色体はほとんど同じで、塩基配列の違いは約 2%に過ぎないと言われています。しかし、人類とチンパンジーの決定的な違いは、家族です。初期のホモ・サピエンスは一夫一妻制の核家族でしたが、チンパンジーは夫婦関係は知らない。群れでは、メスを庇護するオスが次々と変わり、オスとメスの安定した関係は認められない。第一、父子関係が確定できないというのです。野性のチンパンジーの平均寿命は15年。片や「人生100年時代」。このように、人類が霊長類、いや生物の頂点に君臨して長寿を保つことができるようになったのも、家族が関係しているのかもしれません。

(つづく)

嗚呼、夢の絶頂から敗戦へ=南満洲鉄道復刻保存会編「特急あじあ号復刻時刻表」(大洋図書)

 先日、拙宅に本が送られてきました。大洋図書というあまり聞いたことがない(失礼!)出版社の封筒に入っていて、差出人は不明。私は昔、文芸記者をやっていたことがあるので、会社だけでなく、自宅にも贈呈本や献本が送られて来ることがありますが、この出版社はあまり御縁がなかった出版社です。

 開封してみたら、その本は、南満洲鉄道復刻保存会編「特急あじあ号復刻時刻表」(2022年10月20日初版、1540円)というグラフ誌でした。「お~!」と歓声を挙げました(笑)。私の趣味というか関心に合った本です。一体、どなたが送ってくださったのか? 封筒には手紙もメモも入っていません。あら不思議。

 ということで、ページを捲ってみたら、思い当たるフシが見つかりました。知己のノンフィクション作家、斎藤充功氏が本文の中で、「『あじあ』を作った男たち」(28ページ)、「満鉄の旅」(54ページ)を執筆し、さらには、写真や資料の提供者としても名を連ねていたのです。「ははあん、斎藤さんが出版社を通じで送ってくださったのかあ」。そこで、斎藤氏に御礼のメールをしたのですが、返事なし。あれ? 御高齢なので、体調でも崩されたのでしょうか? 入院でもされているのかしら? 少し心配になりました。

大洋図書「特急あじあ号復刻時刻表」の14~15ページ

 正直、大洋図書という出版社について無知だったので、調べてみました。ノンフィクションなど硬い書籍を出している一方、漫画や成人向けの愉しそうな本もかなり出している1952年創業の老舗出版でした。出版不況と言われている中、本屋さんに行けば、コミック誌や成人雑誌のコーナーの面積が広いことから、その筋のジャンルが売れどころだということが分かります。あまり聞いたことがない出版社なのに(これまた失礼!)、都心に自社ビルらしきものを構えていることから、かなり羽振りの良い出版社だと想像されます。

 大洋図書の小出英二会長さまにおかれましては、売れなくても(またまた失礼!)、真面目なノンフィクションをどんどん出版してほしいものです。

 真面目な話、この本は歴史的資料価値が高いと断言してもいいです。当時のグラフ誌に掲載されていた貴重な写真や、鉄道マニアならたまらない当時の時刻表まで収録されています。

◇あじあ号とは?

 あじあ号は、昭和9年(1934年)11月1日、大連~新京(現長春)間約701キロを、最高速度130キロ、8時間30分で運転を開始し、「夢の超特急」と呼ばれました。勿論、当時「世界一」の列車です。その後、大連から哈爾濱まで約950キロまで延長して運行しましたが、昭和18年に休止してしまいます。あじあ号は夢の超特急ですから、現代人はディーゼル車か電気鉄道を想像してしまいますが、当時はまだ蒸気機関車だったのです。流線形のパシナ型と呼ばれていました。このパシナ型を設計した旅順工科大学卒の吉野信太郎と時代背景については、この本の「『あじあ』を作った男たち」中で、斎藤充功氏が詳しく書いております。

 日本の近現代史、特に昭和史に興味がある方にとって、好悪は抜きにして「日本の生命線」と言われた満洲問題を抜きにしては語られません。満洲の中でも満鉄のことを抜きにしては、満洲は語られません。満鉄とは、南満洲鉄道の略称で、鉄道会社と言っても間違いないのですが、大連汽船や満洲航空などの運輸交通関係、昭和製鉄所などの工業関係、日満商事などの商社関係、南満洲電気や満洲瓦斯などのインフラ関係、それに満洲日日新聞などのマスコミ関係等の会社も傘下に入れていたコングロマリットだったのです。1937年3月時点で満鉄の関連事業は80社だったといいます。

大洋図書「特急あじあ号復刻時刻表」(当時のまんまの復刻版)

 この本のタイトルになっている通り、巻末には当時発行された「満洲 列車時刻表」(昭和14年11月1日改正など)が復刻再掲されております。驚いたことに、大連から南満州鉄道とシベリア鉄道を経由して巴里(パリ)までの直行便まであったのですね。この時刻表を見る限り、大連を1日に出発するとパリには11日に到着するようなので、何と11日間の旅。東京からパリまで飛行機なら約13時間で行ける現代人から見れば気が遠くなる優雅な旅です(笑)。当時は朝鮮半島も満洲も日本の領土(つまり植民地ですが)だったので、東京から下関や門司でフェリーに乗って、釜山や大連を経て満鉄に乗れましたから、東京駅で「巴里まで、一枚!」と切符を買う富裕層もいたかもしれません。

 ソ連は昭和20年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲に侵攻します。終戦時、国策会社の満鉄の資本金は24億円、従業員約40万人、満鉄の営業路線は1万2500キロ、機関車、貨車、客車の総計は4万6995両。資産総額は、鉄道資産に限っただけでも今日の評価で30兆円はくだらないと言われています。

 その膨大な資産は、今はロシアとなってウクライナに侵攻しているソ連軍によって全て接収されました(34ページ)。現代の若い日本人はこの事実をほとんど知りませんが、世界史的に見ても、稀に見る蛮行です。機関車、貨車、客車は、恐らく、シベリア鉄道でソ連領まで運んだことでしょう。