中国 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
第31回民教協スペシャル「祖父の日記」を見ましたが、こういう重厚で真面目なテレビ・ドキュメンタリーは派手な宣伝もされませんし、祝日とはいえ、午前10時からというゴールデンアワーからほど遠い閑散期に放送されますので、誰も知られず、誰にも見られないことだろうなあと思いつつ観ていました。
第一、民教協なんて、誰も知らない。民族協和かと思いましたら(笑)、民間放送教育協会の略称で、設立が1967年といいますから、今年でちょうど50年。半世紀も経ってこれほど認知度の低いマスコミ団体も少ないんじゃないでしょうか。
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とにかく、全国の民間放送の制作した番組の中で、毎年、賞を選んでいるようですが、この作品も最優秀賞か何かを獲得したかもしれませんが、詳細は分かりません(苦笑)。
「祖父の日記」 ←こちらのHPにも書いていないようです。
この番組は、いわゆる支那事変後、中国戦線に上等兵として召集された熊本放送の井上佳子ディレクターの祖父井上富廣さんの足跡を辿ったドキュメンタリーでした。
祖父の富廣さんが残した日記や手紙や戦友からの手紙などから、富廣さんは昭和13年(1938年)6月に上海に衛生兵として上陸して、わずか47日後に戦死していたことが分かるのです。享年27。小作農として働いていた故郷熊本には若い妻と3歳の一人息子が残されます。
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番組では、井上ディレクターが、祖父の足跡を辿って中国に渡り、当時中国兵だった人らにインタビューしたりします。最初は、自分の祖父が日本兵だったことをなかなか口に出して言えなかった井上さんも、最後に、当時、母親を日本兵に殺されたという人に告白します。
当時3歳ぐらいだったその方は、貧しかったので母親の遺体は粗末な棺桶に入れられて山の中に埋葬されたものの、あまりにも幼くて母親の死を受け入れられず、その場に居座ったり、何度も埋葬された山に行ったりしたことなどを語り、日本兵の残虐さを訴えていました。
それが、インタビューワーの井上さんの祖父が、日本兵で、現地で戦死したということを聞かされると、怒るどころか、あなたのお爺さんも大変だったんですね、とお互い戦争の犠牲者だったという風に労りの声を掛けるのです。
これには胸が熱くなりましたね。久しぶりに民放で良い番組を見ました。
でも、こういう良質な番組に限って、視聴率が取れず、従ってスポンサーも付かず、ほとんどお蔵入り状態になってしまうものなんですよね。特に民放となりますと、視聴率最優先で、どこのチャンネルも、似たようなお笑いタレントばかり。
そもそも、民放自体が番組を制作していないことが現状です。大手放送キー局は特に、いわゆる番組制作会社に丸投げして、ただ時間帯を貸す大家さんのような賃貸業者に堕落してますからね。
番組制作には相当な予算が必要なので仕方ないのかもしれませんが。
今日も明日も、吉本興業かジャニーズか、バーニングか、サンミュージックか、ホリプロか研音か、アップフロントか、新栄プロか、芸映か廣済堂か田辺エージェンシーかアミューズか、まあその辺りのプロダクションが頑張っていらっしゃるようです。
最近では、民放どころか、受信料を徴収する公共放送NHKまでがそうなんですから(しかも、ラジオまで??)、免許事業者として如何なものかと存じる次第で御座います。

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