座ったら死ぬ?

 「銀座の高級腕時計店巡り」企画はあまり受けていなかったみたいですね(苦笑)。昨日のアクセス数は「301」。それでも、300人以上の方が御覧になってくださったのですから、本当に有難いことです。

銀座5丁目「アワーグラス」 パテック・フィリップのキャリバー240が1046万1000円とありまする

 このブログは、主宰者だけが細かいアクセス解析できるのですが、これまでの最高アクセスが2020年12月15日で、何と1日、6318アクセスもありました「この異様な数字は何じゃいな?」と思って、前日の12月14日の記事を検索したら「コメディアン小松政夫さん逝く=またお手頃の銀座ランチ発見」でした。「えっ?」失礼ながら、こんな記事にどうしてこんなアクセスがあったのか、不思議です。世の中、分からないものです。

 ゴホン、主宰者としましては、もっと真面目な堅い記事の方を読んでもらえると嬉しいです(笑)。

銀座6丁目「パネライ」1860年、伊フィレンツェで創業

 本日は、最近読んだ記事で最も衝撃的だったものを取り上げます。

 「座りすぎ 運動で帳尻合わず」と題した10月11日付朝日新聞東京本社夕刊の記事です。一言でいうと「座っている時間が長いと死亡リスクが高まる」というのです。京都府立医科大学の小山晃英講師が約6万人の調査から導き出した結果です。

銀座6丁目「チューダー」1926年、スイス・ジュネーブで創業(ロレックスの姉妹会社)

 具体的には、座っている時間が1日5時間未満だったグループを基準にして比較すると、1日7~9時間グループは約1.2倍、1日9時間以上だと約1.5倍も死亡率が高かったというのです。また、1日に座っている時間が2時間長くなるごとに、死亡リスクは15%も上がるというのです。(詳細を知りたい方は、販売店か、図書館にでも行って探して読んでみてください)

銀座6丁目「タグ・ホイヤー」1860年、スイス・サン・ティミエで創業

 えーーー、ですよ。私は少なくとも6~7時間は毎日、毎日、会社でパソコンの前で座っています。往復約3時間の通勤の電車内でも遠方なので結構座っています。

 でも、これでは、「座ったら死ぬで~」と言われているようなものです。

銀座6丁目「ゼニス」1865年、スイス・ロクルで創業

 対策としては、定期的にパソコンから離れて、少し歩いてみたりすれば良いようですが、それもなかなか…。

 お金にもならないのに、ブログなんて書いているのは、一番駄目ですよねえ?(笑)。

銀座6丁目「オメガ」 あれま、木曜日定休でした。1848年、スイス・ラ・ショー・ドゥ・フォンで創業

 そう言えば、世の中、座職(英語でsedentary work)が溢れています。日本人の大半を占めるオフィスワーカーがそうですし、陶芸家など職人さんも大抵、座って仕事します。タクシーや長距離のトラック運転手などは、1日5時間では済まないでしょう。

 立ち仕事(stand-up work)は、ハウスマヌカン(もう死語?)とか、お店や居酒屋などの店員さん。料理人さん。美容師、理容師さん。駐車場や工事現場などでの交通指導係などが思い浮かびます。

銀座6丁目 左は「ジャガー・ルクルト」というより「イエガー・ルクルトゥル」1833年、スイス・ル・サンティエで創業、右は「A.ランゲ&ゾーネ」1845年、ドイツ・グラスヒュッテで創業

 机に向かって執筆する作家さんも座職でしょうが、あのヘミングウェイは、晩年は立ってタイプライターで執筆していました。

 健康に気を遣っていたのでしょうけど、悲しいことに結局、61歳で自殺してしまいました。長い白髭を生やして、随分お爺さんに見えましたが、そんなに若かったんですね…。

銀座6丁目「ロレックス」(ここは明治から大正にかけて朝日新聞社があった所です) 日本人が一番好きなブランドでは?1905年、ドイツ人ハンス・ウィルスドルフがロンドンで創業、本拠地はスイス・ジュネーブ

 何と言っても、先ほどの記事によると、余暇に運動してもそれほど死亡率が下がらない。座る時間を減らすしかない、といった結果が出たというのです。

 やっぱり、「座ったら死ぬ」んかいなあ~!?

昨日写真が撮れなかった銀座4丁目「ベル&ロス」。1992年、カルロス・A・ロシロとブルーノ・ベラミッシュによりパリで設立。ご興味のある方は、HPでこの高級腕時計を御覧ください(笑)。

 先ほどから、ベタベタと銀座の「高級腕時計店」の写真が貼られていますが、約一名、「銀座の時計の企画、興味深く読みました」と褒めてくれた人がいたからです。

 せっかく撮った写真を死蔵するのも勿体ないですからね(笑)。

ルソーの一族は時計職人だった=銀座・高級腕時計店巡り

 このブログでは、これまで、「銀座ランチ」とか、「銀座・明治新聞街」とか、「銀座・地方物産店巡り」など色々と「銀座企画」をやって来ましたが、少し、飽きてきたので(笑)、他のものをやろうと考えてみました。

 代替案はすぐ見つかりました。「銀座・高級腕時計店巡り」です。銀座を歩いていると、やたらと高級腕時計の販売店が目立つのです。もしかして、飲食店に次ぐぐらい多いかもしれません。

 何と言っても、銀座のシンボルは、4丁目の服部時計店=セイコーですからね。世界各国から、特にスイスの高級腕時計店が銀座に集まって来るのも頷けます。何しろ、高級腕時計は安くても数十万円、パテック・フィリップともなると数千万円もする代物ですから、「信用」が肝心です。消費者は、銀座に出店しているから安心して買うのです。その点、銀座に画廊が集中しているのと同じ論理です。やはり、偽物はつかませられたらたまりませんからね。

銀座SIX「シチズン」

 最初に取り上げるのは、日本に敬意を表してシチズンです。銀座SIXにあります。

 1918年創業。関東大震災の翌24年にシチズンの前身・尚工舎時計研究所によって懐中時計が販売され、30年にシチズン時計株式会社が創立されたとのこと。シチズンの命名者は、当時、東京市長だった後藤新平です。この人、色んなところで登場しますね。本社が、今でも、私も土地勘がある西東京市田無町にあるというのがいいですねえ。

銀座SIX「アーノルド&サン」1764年創業

 このシチズンの隣りにあるのが「アーノルド&サン 1764」です。恐らく、シチズンと販売契約を提携していると思われます。英国の時計職人ジョン・アーノルド(1736~99年)に敬意を表して、その名前を冠していますが、スイスの時計店です。1764年とは、アーノルドが国王ジョージ三世に小さな2度打ち時計を塔載した指輪を献上した年なんだそうです。

銀座6丁目「IWCシャフハウゼン」1868年

 私の得意な「みゆき通り」を歩いても、何軒か、高級腕時計店を見かけます。

 上の写真の 「IWCシャフハウゼン」 は、確か、以前はここに風月堂の喫茶店があったと思います。風月堂ビルのままですし、よく、取材でも使ったので間違いありません。

 今や、スイスの高級腕時計店にリースしているということなのでしょう。IWCとは「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー」とのこと。スイスでもドイツ語圏のシャフハウゼンが本拠地に1868年創業。パイロット・ウオッチが世界的にも有名で売れ筋のようです。安くても50万円ちょっとなので、あたしには関係ないですが。

銀座5丁目 ブランド時計販売店「エバンス」1987年創業

 みゆき通り、銀座5丁目でよく見かける「エバンス」はブランド名かと思ったら、販売店の名前のようでした。ロレックスやウブロなど高級腕時計を扱っているので、勿論、お店の中には入りずらいのです(笑)。

銀座5丁目 総代理店「シェルマン」フィリップ・デュフォー、ハブリング・ツー、クドケなど個性豊かなと時計を販売

 この 「シェルマン」 も時計のブランド名かと思っていたら、高級腕時計の総代理店名でした。(水曜日は休みのようでした)

 この店の前は、通勤でしょっちゅう通るので、馴染みになっていますが、店に入ったことはありません(笑)。日本ではあまり知られていない 「フィリップ・デュフォー」「ハブリング・ツー」「クドケ」など個性豊かなスイスの高級腕時計を販売しているようです。

銀座5丁目「センチュリー」1966年創業

 本日最後は「センチュリー」です。 1966年に創業されたサファイアを使った高級時計ブランドですが、恐らく、日本人でも知る人ぞ知るブランドだと思います。(この店も水曜日は休みでした。契約が水で流れると禁忌している日本の不動産屋さんが、水曜日を定休日にするみたいですね)

 このビルが建つ前の、取り壊された古いビルから知っていましたが、銀座にこんな立派なビルを建ててしまうことができる高級腕時計会社というものは、「儲け率」が高いのではないかと下衆の勘繰りをしてしまいました。

 「だから、何なのだ」と言われそうですが、スイスの時計というのは、草創期の17~18世紀では、今で言う超ハイテク機器だったことでしょう。世界中の王侯貴族が買い求めたと言われ、それは今でもあまり変わりありませんね。

 あの自由思想主義者のジャン・ジャック・ルソーはスイスの仏語圏のジュネーブ生まれで、ルソーの父イザークを始め、ルソー家は代々、時計職人だったことは有名です。ルソー家は、いわばエリートだったのです。

「銀座で最も評価が高い」とネットで評判のとんかつ屋さん(あえて名前は秘す)。目立たない地下にあり、やっと探し当てて、少し並んで、ロースかつランチ定食(1200円)を食しましたが、ちょっと脂身が多くて、小生の口にはちょっと…。大いに期待していたので、ネットの評判も当てにならないなあ(笑)

 このルソーの話もまた、「それがどうした」と言われそうですね。

 「いいじゃないか。だって、ブログだもん」と言い返すしかありません(笑)。

(本当は、「ベル&ロス」という1992年、パリで、カルロス・A・ロシロとブルーノ・ベラミッシュにより共同創業された異様に格好良い高級腕時計(銀座4丁目に今年5月に旗艦店がオープン)を御紹介しようと思って、今日行ってみたら、お店は改装中でした。残念)

偶然の一致に驚く毎日=非科学的不可知論的考察

 本日のタイトルは厳めしいのですが、単なるエッセイです(笑)。

 我々は現在、科学の世界で生きています。法曹界でも、マスコミ業界でも、何でもエビデンスなるものが求められます。今のようなコロナ禍では当然の話で、何度も何度も科学的治験を経て、やっとワクチンが開発されます。

 その一方で、私自身は、非科学的なものに惹かれることがあります。それは、私だけでないでしょう。特に、本日は秋分の日、お彼岸の中日です。この時期は、御先祖さまの魂と通じやすいということで我々はお墓参りするわけですが、科学的に証明されているわけではありません。

 やはり、堅くなってきたので、話を変えましょう(笑)。

中秋の名月イヴ(9月20日)

 私は、いまだに科学的に証明されていない霊魂や透視や背後霊なるものの存在を信じてしまいます。

 今から30年近い昔の1995年のことですが、「ヒーリング・ハイ オーラ体験と精神世界」(早川書房)を書かれた作家の山川健一氏にお会いしてインタビューしたことがあります。山川氏は、人の背後霊のようなオーラの色が見える、というのです。同じ人でも、体調によって色が変わるというのです。この時、最も印象に残ったのは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーの話でした。山川氏が見たミックは、ステージの上では彼のオーラは紫色に燦然と輝いていたのに、ステージを降りて、群衆に紛れ込んだりすると、白っぽくなって輝きがなくなってしまったというのです。「つまり、街の中では、普通の人になって、自分の存在を消そうとしてるんじゃないでしょうか」と山川氏が話したことは今でも忘れません。

 確かに、非科学的話ではありますが、こういう話は嫌いじゃありませんね(笑)。透視や背後霊の話については、他にも沢山あるのですが、別の機会に譲ることにして(笑)、本日は自分のことを書きます。私には「予知能力」があるのではないかと思うことがあるのです。

 失礼! 予知能力は大袈裟でした。いつ地震が起きるのか、とか、いつ火山が爆発するのかといった予知能力は私には全くありません。ただ、何となく、といった感じの「予感」がよく当たったりするのです。それも、本人の自覚なしで。

 この《渓流斎日乗》ブログを長年、ご愛読されてくださる皆様なら御存知だと思いますが、私のブログにはちょくちょく、「シンクロニシティ」が登場します。シンクロニシティとは、自分の考えていたことが実際に起こったりして、その「偶然の一致」に驚くといった程度の話です。もしくは、以前、どこかで何となく見たことがあるといったデジャヴュ(既視感)の話です。英語で言えば、ユングの心理学用語であるシンクロニシティというより、コインシデンスcoincidence(偶然の一致)の方かもしれません。

東京・銀座

 私は毎日、このブログを中心に生活しておりますが(笑)、先日、夜中にふと目覚め、このブログの記事の中で一番アクセスとコメントが多い「駅前食堂」(2008年5月28日)のことを思い浮かべました。これは、小学校の教科書に載っていた随筆で、とても印象に残りながら、作者もタイトルも分からない、どなたか、御存知の方いらっしゃいますか?と投げかけたところ、10件以上もコメントを頂いたのです。今、読み返したところ、デジャヴ(既視感)からこの作品のことを思い出した、と書いています。

 一昨日の夜中に、ふと、「沢山コメントをもらった『駅前食堂』の記事があったなあ」と、軽く思ったところ、何と、昨日の9月22日に羽藤さんという方から、この記事に対してコメントをお寄せくださったのです。もうすっかり忘れ去られているはずなのに、「えっ!」ですよ。これでは、「予感が当たったぞ!」と、私自身の予知能力を皆様に自慢したくなったわけです(笑)。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(グラモフォン)DVD 1980円

 実は、これだけではありません。9月19日付のブログに「価格破壊と技術革新でDVDが安く買えるように」という記事を書き、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」のDVDをCDよりも安い1980円で購入したことを書きました。

 そしたら吃驚です。

 昨日、有楽町の三省堂書店でNHKラジオの「まいにちフランス語」10月号のテキストを購入したところ、10月(正確には9月30日)から来年3月までの半年間、このドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」の台本全体を48回に分けて読み通す講座が始まることが分かったのです(講師は、川竹英克・明大名誉教授)。

  魂消ましたねえ。まさに、またまた偶然の一致、コインシデンスです。

100万円が貰える?=いえいえ、地道に働いた方が気分が良いです。

 昨晩、フェイスブックに、ZOZOTOWNのマエザワさんという方から「おめでとう! !! !!🎉💸あなたは今日の勝者に選ばれました!私の投稿をチェックしてください!」とのメッセージがいきなり来ました。

 物は試しで、チェックしてみたところ、「おめでとうございます、前澤から100万円もらえます!! このギフトは無料です!フォームに正しく記入し、記入が完了するまで登録してください」とありました。写真も本人でしたので、「おー、今度こそ本物だあ~」と喜び勇んで、登録しようとしたら、パソコンに入れているウイルスワクチンが「このサイトは安全に接続されません」との警告が出てきました。

 「なあんだ、やっぱり偽物かあ」。それにしても、噂では聞きますが、全く面識のない人からいきなり100万円貰えるわけないし、たとえ貰ったとしても気分良くないなあ、と冷静になることができました。本当によく出来たサイトでしたし、本物かもしれませんでした。でも、欲の皮が突っ張っていると、人間、ロクなことをしませんね。

 やはり、人間、真面目に働くのが肝心です。

 そうなんです。私は、今の会社には40年以上も勤続しております。真面目に働いてきたお蔭で先日、会社から「餞別金」が出ました。〇〇万円もです。これなら、堂々と受け取ることができる正当な報酬です(笑)。

銀座「ジョルジオ・アルマーニ」

 この餞別金は貯金などして死蔵せずに、経済活性化のために使おうと決心し、高級ブランド、ジョルジオ・アルマーニの財布を買うことにしました。勇気を奮って、銀座のアルマーニ専門店に入りました。ギョ、ギョ、ギョ、たかが財布なのに(笑)、〇万円もしました。まあ、コロナ禍で、これで世界経済に貢献できるのでしたら、「ま、い、か」といった感じで買ってしまいました。多少、嫌らしい成金趣味に見えないことはないのですが、「モード界の帝王」アルマーニ(1934~)のファッション哲学に惹かれたから、と言っておきましょう。

 「世界経済に貢献する」といった陰徳を積んだお蔭で、家に帰ったら、またまた月刊「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントが当選しておりました。これで二度目です。どうしちゃったんでしょうか? 当選品は、今、東京・両国の江戸東京博物館で開催している「大江戸の華」展のチケット2枚です。実売ですと、1600円×2=3200円です。

 人生、苦節40年で、やっと運が巡って来ましたよ(笑)。以前、私が書いていたこのブログの古い記事を読み返してみると、随分、暗くて、陰気で、絶望的なことばかり書いておりました。これからは、アルマーニの人生哲学でもある「陽気」で「前向き」に生きることは欠かせませんね。

 

忘れたことを忘れてしまった話

 昨日9月8日付日経夕刊の一面コラム「あすへの話題」で、精神科医のきたやまおさむさんが、大変興味深いお話を書かれていました。「忘れ物の大問題」と題して、自分は小さい頃から如何に忘れ物が多いか、その失敗談を赤裸々に告白しているです。

 きたやまおさむさんは、フォークルセダースの一員などとして一世風靡しましたが、れっきとした医学博士です。さぞかし、芸術的センスに加え、大変、頭脳明晰な方だとお見受けしていたのですが、そんな「欠点」があったとは…。若い時から、財布、カギ、メガネ、切符…と次々となくし、親や家人の方から呆られながらも、財布にはヒモを付けるなどして少しずつ対処していったことを告白しています。

 切符は、新幹線の切符をなくすことが多く、車掌さんから「見つからなかったら、全額払ってもらいますよ」と脅されながらも、9割方は、在来線から新幹線に乗り換える改札機から取り忘れていたそうです。案外、そそっかしい人だったんですね。

銀座・スペインバル「バルデエスパーニャ ビルゴ」イベリコ豚のグリル・ランチ1000円

 こういう失敗談は大好きですが(笑)、私も他人様のことは言えません。電車の中に傘や携帯を忘れたことがありますが、一番痛恨だったことは、もう30年近く昔の話です。痛恨と言っておきながら、ほとんど忘れてしまいましたが、場所は、オランダ・アムステルダムのスキポール国際空港だったことだけは覚えています。確か、旅行ではなく、仕事だったと思いますが、それすら覚えていません。駄目ですねえ(笑)。

 とにかく、ここはトランジットで、何時間か、だだっ広い空港内で待たされていたのです。そしたら、切符がない! 胸ポケットに入れていて、走ったりして、何処かで落としたのかもしれません。カバンの中、背広のあらゆるポケットを隈なく探しても飛行機チケットは出てきません。喉がカラカラになり、脂汗が流れてきました。

 それでどうなったのか?ーこうして日本にいて、本人は、呑気にブログを書いているのですから、無事帰国できたことは確かですね。どうやって?

銀座「ローマイヤー」ポークソテーランチ1100円

 航空会社のカウンターに行って、パスポートを見せて、チケットを再発行してもらったのかもしれません。そんなこと出来たのでしょうか?牧歌的時代だったのかもしれません。それとも、チケットが何処からか出てきたのか?ーそれさえ忘れているということはかなり重症です。忘れ物さえ忘れたことを忘れる。

 もうこうなっては、「老人力」が付いたと明るく前向きに解釈しますか。

《渓流斎日乗》で知り合った人、立ち去った人

 本日は、個人的な身辺雑記です。

 学生時代からの親友のA君が、急にフェイスブックを「お終いにする」と言い出して、ある一部で大変な騒ぎになりました。

 あれっ?どうしたことか?

 私自身も真相が分からず、ついに本人に直接、取材することにしました。

 実は、A君はつい2,3日前に、私のフェイスブックのコメント欄にキテレツな書き込みをして、その「暴走老人」のような行為に私も魂げてしまい、日曜日に彼に電話して、事情聴取したばかりでした(笑)。結局、酔っ払った勢いで、するべきではない、する予定もなかったコメントを知らずに投稿してしまったようで、本人は、自分が投稿したことすら覚えていませんでした。後で見て、自分でも、ゾッとしたそうです。この後、かなり反省したコメントが送られてきました。

 この暴走行為が引き金にはなりましたが、A君は以前から、フェイスブックにしろ、インスタグラムにしろ、不特定多数向けのSNSはもう止めようと思っていたようです。ということが関係者の取材で明らかになったーと最近のメディアがよく使うフレーズ、どうにかなりませんかねえ?(笑)

銀座「ジョルジオ・アルマーニ」

 彼はSNSをやめる理由について、正直に話してくれましたが、彼がフェイスブックなどに発信する「投稿」で揉めていたというのです。揉めていた、というのは言い過ぎかもしれませんが、一部の人から「(書いていることが)上から目線だ」とか「やはり、貴方には『先生』癖が抜けませんね」といった思ってもみない中傷に近い反応にウンザリしてしまったというのです。

 そんなこと言われれば、私なんか、こんなブログを書いていることで、彼より遥かに辛辣で重い誹謗中傷を受けてきましたよ。ある大手新聞社のOBからは「お前の書くものは怪文書だ」とまで言われましたし、何十年も親しくしていた友人も、何も言わずに、メールをしても返事もせず、私から離れていきました。その理由も、このブログに書いたことが気に障らなかったんだろう、という推測しか他に考えられません。

 ブログを書くと友達をなくしますよ。

 これは、私の格言です。

 そうしたことをA君に話すと「君は、ずっと書き続けて、めげないね。本当にめげない。僕には出来ないよ」とまで言うのです。

銀座SIX

 いえいえ、本当にめげました。今でもめげてますよ。長年このブログを愛読してくださっている皆様でしたら、お分かりになると思いますが、昨年の6月までこのブログに頻繁に登場していたある人が、それ以降、急に登場しなくなりましたよね? 理由は分かりませんが、単に飽きたのか、私がブログに書いた何かが逆鱗に触れたのか、どちらかだと想像するしかありません。ですから、今でもかなりめげて、落ち込んでいますよ。

 ただ、誹謗中傷する人や離反する人がいる一方で、このブログを通してかけがえのない素晴らしい皆様と出会うことができました。それが何物にも代えがたいことが大きかったと思います。

 ですから、これからも、もう少し書き続けていくつもりです。

【追記】

 A君によると、特に深い意味はありませんでした。毎日、フェイスブックで更新して来る⇒「いいね!」と、毎日返事するのが面倒になって来た⇒でも、返事をしないと義理に欠けてしまう⇒どうしたらいいか分からなくなった⇒ええい、面倒だ。自分のフェイスブックをやめたらいいんだ!⇒これですっきりしたーといった構図でした。

 これまで離れていった友人たちも同じようなものでしょう。私のことを蛇蝎の如く嫌っていたわけではなく、単に面倒臭くなった⇒返信しないうちに、こちらからアプローチするのも気が引けるようになった⇒ま、どうでも良いことだから、このまま没交渉でいいやーといった構図だと思われます。

Life is too short for the indulgence of animosity.

友が皆、我より偉く見ゆる日よ…

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ(石川啄木)

 これは、「一握の砂」(1910年)に所収された有名な短歌です。この「友」とは、一体、誰のことなのかー? 岩手県立盛岡中学(現盛岡第一高校)時代の友人だった金田一京助や、後に海軍大将になる同校先輩の及川古志郎、「銭形平次捕物控」で名を成す野村胡堂(長一)ら色んな説がありますが、特定の友ではない、という説もあります。(ちなみに、啄木の盛岡中学の11年後輩に宮沢賢治がおり、加藤哲郎一橋大学名誉教授も盛岡一高出身です。)

 私は短詩型はあまり得意ではありませんが、若い頃に覚えた句や短歌は、何かあると、ふと口をついてきたりします。

 友が皆、我より偉く見ゆる日よ…

 本日、文部科学省から発表された文化審議会委員の人事名簿を見て、すぐにこの短歌が出てきました。

 委員の中に、お二人、しのぎを削ってスクープ記者合戦に勤しんだ「戦友」のような方のお名前を発見したからです。ライバルの大手新聞社(出身)のOさんとKさんです。Oさんはノーベル賞作家に食い込んで、文庫の解説まで書かれ、文化部長から有名大学教授に華麗なる転身を遂げた方です。Kさんは、歌舞伎界で知らない人はいない、何冊も本を出されている専門編集委員さんです。いやあ、お偉くなりました。

 文科省の文化審議会には四つの分科会がありますが、その中に「文化功労者選考分科会」があります。主な所掌事務として「文化功労者年金法により審議会の権限に属させられた事項を処理すること」とあります。詳しくは分かりませんが、恐らく、年金350万円といわれる文化功労者になる方を選んだり、推薦したり、答申したりするお役目ではないかと想像されます。作家さんも、役者さんも、画家さんも誰でもこの文化功労者だけにはなりたいと思っていますからね。

 文科省のお役人さんはお忙しいですから、沢山の本を読んだり、演劇、映画、音楽、美術鑑賞したりできないわけですから、専門家の意見や助言を仰ぐしかないですからね。ですから、委員の方々の責任は重大です。そして、何と言っても、審議会委員の皆様は本当に偉いのです。

 もっとも、OさんやKさんと取材現場で御一緒したのはもう30年も前の大昔のこと。無位無官の「無用の人」である私のことなどもう覚えていないことでしょう。「あんた誰?」と言われる前に、早めに退散することに致します。

大田区役所物語=桃源社の佐佐木吉之助さん

 「日乗」と銘打っておきながら、毎日書けない日もあります。モノを書くことは職業病なので、苦は通り越しているのですが、「何を書いても無駄」といった虚無感に苛まれたりして、筆が進まない日があるのです。昨日もそうでした。ごめんちゃい、としか言うしかありません。

 本日も題材があまり浮かばないので、単なる雑感ですー。

 先日、東京・大田区の蒲田に行った話をこのブログで書きました。JR蒲田駅東口に隣接する超一等地に「大田区役所」があったので、昨日、出勤した際、蒲田生まれの蒲田育ちの会社の同僚O氏に「凄い所に区役所あるね」と話したところ、「ああ、あそこはもともと、トウゲン社が建てた高級マンションだったんですよ」と言うではありませんか。

 えっ?何?トーゲン社?漢字はどう書くの?という話から始まって、よくよく取材したところ、トーゲン社とは、あの「バブル紳士」と悪名を轟かせた佐佐木吉之助(1932~2011年)が創立した不動産会社「桃源社」のことでした。ああ、聞いたことがある!

 バブルがはじけた1990年代後半に住専問題が国会でも取り上げられ、この佐々木吉之助さんも国会で証人喚問されて、メディアを賑わしたものです。が、今やすっかり忘れ去られ、若い人はほとんど知らないことでしょう。この人、今は簡単に調べられますが、もともと慶応大学医学部を出た医師だったんですね。1971年に不動産会社を設立して、いわゆる地上げで巨万の富を築いて「バブル紳士」の一人として目されましたが、バブル崩壊の上、偽証罪で逮捕されたりして、晩年は最悪だったようです。

 O氏によると、この蒲田駅前超一等地の桃源社の物件処理問題は、紆余曲折の末、区役所になったというのです。内部は改装されて、かつて、高級マンションのプールがあったところは、何と「埋め立てられ」て、今や、区議会場になっているというのです。だから、議員の座席も横長になっていて、変な議事場になっているといいます。へー、ですね。知らなかった。

 大田区役所は、以前は、大森駅から歩いて15分以上の不便な所にあったらしいので、「バブルの置き土産」とはいえ、今や大田区民は恵まれていますね。ちなみに、大田区とは、戦前の大森区と蒲田区が合併して、「大田」区となったのでした。蒲田の駅近は、新宿の歌舞伎町のような怪しげなごちゃごちゃした繁華街でしたが、私の生誕地なので(笑)、また、いつか行ってみたいと思います。

有楽町「ロイヤルホスト」黒和牛ハンバーグ定食・ドリンクバー付1694円 緊急事態宣言下なのに店内満員。期待していなかったのに、実に美味かった。

  話は変わって、先日、テレビで、かつての名画である「麗しのサブリナ」(1954年、ビリー・ワイルダー監督)を初めて観ました。何てことはない、映画でしかあり得ないシンデレラストーリーでしたけど、オードリー・ヘプバーン主演の「ローマの休日」(1953年、ウイリアム・ワイラー監督)に続く大ヒット作でした。まだ、白黒でしたが、映画黄金時代の作品です。相手役は、あの「カサブランカ」のハンフリー・ボガード(ボギー)です。

 ヘプバーンもボギーも、今でも名優として名を残していますが、調べてみたら、意外にも若くして亡くなっていたので驚いてしまいました。 オードリー・ヘプバーン (1929~93年)は63歳、 ハンフリー・ボガード (1899~1957年)は何と57歳で亡くなっているのです。「えーー!!」です。「人生100年時代」と言われる現代からみれば、まだまだ、本当にお若い。そう言えば、私の大好きなビートルズのジョン・レノンは40歳、ジョージ・ハリスンも58歳で亡くなっていましたね。

 「長生きは三文の徳」「無事是名馬」…色んな駄作が思い浮かびますが、何も功績も業績もなくたって、長生きできるだけで、それでいいじゃないか。有名にならなくても、人に馬鹿にされても、路傍に咲く月見草でも、ただ、生きているだけで、それでいいじゃないか。

 まあ、そんなことを考えてしまいました。

中野信子著「ペルソナ」は本人の話ではない???

 テレビによく出演されている脳科学者の中野信子氏の代表作なのに、まだ未読だった「ペルソナ 脳に潜む闇」(講談社現代新書、2020年10月20日初版、968円)をやっと読んでみました。彼女の書かれた「サイコパス」(文春新書、2016年11月初版)「シャーデンフロイデ   他人を引きずり下ろす快感」(幻冬舎新書、2018年1月20日初版)などを大変面白く拝読させて頂いたので、「是非とも読まなければ」と思っていました。

 そしたら、「はじめに」の最初から、

 どの本を読んでも、「中野信子」が見えてこない、と言われることがある。

 という文章で始まるので、これは一体、何の本なのか? と、のけぞりそうになりました。「ペルソナ」って何だろう?ー調べてみたら、心理学では、「外向きの人格」、マーケティング用語では「架空の人物モデル、ユーザー像」という意味でした。

 結論から先に言いますと、この本はどうやら、彼女の半自叙伝のようでした。しかも、三島由紀夫の「仮面の告白」にかなり影響を受けたような、そして、太宰治の主人公のような超自意識過剰で、自己顕示欲満々といった感じです。

 それでいて、ペルソナですから、中野信子氏という本人ではなく、かりそめの人物モデルの告白のようで、本人は読者からスルリと身をかわして逃げてしまう。何と言っても、この本の最後は以下のように締めくくられているのですから。

 これは私の物語のようであって、そうではない。本来存在しないわたしが反射する読み手の皆さんの物語である。

 おいおい、ここまで238ページも活字を追って読んで来た読者を、ここに置いてきぼりにするつもりなのかい?いやはや、やはり、著者の方が、一枚も二枚も上手であることを認めざるを得なくなるわけです。

 半自叙伝ですが、書き手の社会や世間に対する恨み、つらみ、怨念、ルサンチマンが、これでもか、これでもか、と溢れかえっています。著者は1975年生まれという「団塊ジュニア」世代で、社会に出ようとした時、超氷河期の就職難で、「自己責任」という新自由主義の嵐が吹き荒れ、ほとんどが、アルバイトやパートや嘱託や派遣など非正規雇用に甘んじなければならなかった、高度経済成長を知らない世代でした。著者は、日本の最高学府である東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了という立派な肩書がありながら、(本人は決してそう書いてはいませんが)、碌な就職口がなく、その前後には、彼女が美人だったせいか、数々のセクハラやパワハラやアカハラ(アカデミーハラスメント)などに見舞われたことが書かれています。

 あまりにも、暗い話が続くので途中でもう読むのはやめようと思ったぐらいでした。

 著者は、子どもの時から、自分は他人とはうまくコミュニケーションが取れない変わった人間だと思い詰めたり、自分で見抜いたりして、結局は脳科学研究という天職を見つけていきます。テレビに出始めたりすると、「学者がそんな軽薄なものに出るものじゃない」と陰口を叩かれたり、足を引っ張られたり、妬まれたり、まあ、人間の業ですから、そこまで書かれなくても最初から想像はできましたが…。

 でも、我慢して読み続け、真ん中を過ぎた辺りにこんな文章に出くわします(142ページ)。

 ウイスキーを一人で飲みに行くようになったのがこの頃のことだ。

 これを読んで、「今度ご一緒しましょう」などとお声を掛けてくださる方がいるかもしれないが、絶対にやめていただきたい。私は、酒は静かなオーセンティックバーで、一人で飲みたいのだ。どうか誘わないでほしい。断る心の負担もタダではない。

 はい、ウブな私は思わず赤面してしまいました。最高学府で博士号を取得された優秀な方でもこういう文章を(本という有料メディアで)世間にさらすんだ…。この本では、両親とも短大出で、それほど豊かではない家庭で、「毒親」に育てられたことを赤裸々に告白し、今の御主人とのなれそめも、「人からよく聞かれるから」ということで、あっけらかんと書かれています。

 あ、やっぱり、自叙伝だ!と思った瞬間、著者は最後に「 これは私の物語のようであって、そうではない。 」と書いて消え去ってしまうのです。

 まさに、恐るべし、というほかありません。

ワクワク・メールがわんさか、わんさか

 最近、見知らぬ人からのワクワク・メールがわんさか来ます。

 先日は、ジェシカちゃんという若い女性から、「はーい、髙信さん! メールアドレス変えたので、こっちに返信してね」と来ました。ジェシカちゃん? うーん、誰だっけなあー?と思いつつ、特段の緊急の用がないのでそのままにしていたら、今朝は何と朝の5時に、今度はジェーンちゃんという女の子から、また同じ英語の文面が送られてきました。

そう言えば、先週は、ジュリアちゃんから「私はあなたの応答が必要です」と日本語で至急便が届きました。 

良い一日、私はあなたの資金をATMカード経由であなたに送金する義務があります。(中略)ATMカードがあなたに送られるように適切な手配をします。次のことを私に再確認してください。

1.あなたのフルネームとフルアドレス

2.私がいつでもあなたに連絡できるようにするためのあなたの直通電話番号

敬具、

 なるほど、なるほど。わざわざの御連絡、痛み入ります。

 そうかと思えば、先々週は、ケイトさんという年配の方から「あなたのメールはあなたのためにお金を獲得しました(完全な詳細を読んでください)」とのメールが、これも日本語で届きました。 

 私の名前はケイト・ジェームズ夫人です。私は81歳の子供がいない未亡人で、献身的なカトリックの女性であり、スコットランドの不動産業者です。私は11日目から不幸なcovid-19ウイルスと闘っていますが、医者は「私」は私の年齢のために生き残れないかもしれないと言いました。二日前、神の預言者が私のために祈るようになりました。そして私のために祈った後;預言者は私のお金をすべて見知らぬ人に分配するように私に言いました。(中略)今すぐ私の弁護士にメールで連絡し、あなたが18番であることを彼に伝えてください。そうすれば、「彼」から合計USD4,000,000.00が送られてきます。(後略)

 そうですか。わざわざ、「見知らぬ人」と正直に断っているところが素晴らしい。怪しい人ではなさそうです。しかも、外国人なのにとても流暢な日本語の文章を書かれる。Googleの翻訳ソフトも、人工知能(AI)もこんなに書けないでしょう。

 実は、この他に数十件のワクワク・メールが、私のメールボックスに充実しているのですが、最後に1件だけ御紹介致しましょう。 

 こんにちは、サー。私の名前はバンギ中央アフリカ共和国のニコラ・チャンガイさんです。私はあなたに送った私の電子メールの無応答に行う前にあなたと一緒に来ました。 そして、あなたの国の市民であり、あなたと同じ姓(姓)を持っている私の亡くなったクライアントに関する私の以前の電子メールを確認する機会を得たかどうか疑問に思いました。私はあなたの親戚/子孫および国籍である可能性があると信じていました。 より多くの情報と説明を喜んで提供します。ありがとう、よろしく、

 まあ、全く聞いたこともないアフリカの国からなのに、何と完璧な日本語。自分のことを「さん」付けするとは、相当、日本語に精通しているとしか思えません。こちらこそ、ありがとう、よろしくです。

このように、インターネットで国境を越えて見知らぬ人から瞬時に多くのメールが毎日、毎日届き、メールボックスは満杯になります。善意と利他主義精神に満ちていますね。やるじゃん、人間って捨てたもんじゃない。素晴らしい!

 それにしても、どうして私のメールアドレスが世界中に漏れたのかしら?えっ?何? 全く同じ文面のメールが貴方にも届いているんですか? あらまあ、あたしだけかと思ってました。。。