スマホ乗り換え奮闘記

湯島「吟」にて

これから書くことは全く個人的な話なので、ご興味のない方は、Au revoir.

先日、携帯のスマホをA社からR社に替えたことを書きましたが、その前後の手続きでてんてこ舞いでした。

特に大変だったのが、銀行口座のメールアドレスの変更でした。大手銀行もネット登録するようになっていますが、連絡用にA社の携帯メールアドレスを登録していたので変更しなければなりません。X銀行はすんなり出来たのですが、Y銀行は「ワンタイムパスワード」方式にしていたらしく、さっぱり先に進みません。オペレーターに電話して、指南を仰ぎ、ワンタイムパスワードのアプリをダウンロードし、1分でパスワードが変わってしまうので、早く対処しなければならず、もう散々でした。Y銀行は5年前にネット登録して、一度もネットで使ったことがなかったので、やり方をすっかり忘れておりました。

 もう、IDもパスワードも暗証番号もやたらと増えて頭が混乱しそうになりました。

 そう言えば、A社の携帯メールアドレスには、一日5~6通も迷惑メールが届くようになったことも、A社を解約する要因の一つでした。

 他に、A社の自転車保険に加入していたので、他社との契約代えや、A社のクレジットカードの解約など色々ありました。

岩手県のマスコット「そばっち」

 私がA社を解約すると、私だけの問題ではなくなり、家族も雪崩を打ったようにR社に乗り換えることになりました。家族割やら家族無料通話が効かなくなったことも一因です。特に、ma fille cadetteの場合、A社のアップルの最新機種iPhone12を契約しようとしたら、「5Gなので、毎月の通信費がプラス1000円になります」と言われて驚愕して、すぐ契約を辞めたと聞きました。それで、最初は気が進まなかったのに、A社からキャンペーン中のR社に乗り換えたのです。

 1000円も値上げするとは、A社も如何なものか、です。今のところ、5Gは中継基地が少なく、ほとんど使えないのです。10月15日付の読売新聞によると、東京ディズニーリゾートは日本の携帯各社は全滅で5Gは機能せず。羽田空港でさえ、5Gが使えるのはドコモだけです。だけど、驚くべきことに、ドコモは銀座では使えないといった有り様です。5Gが普及するにはまだ2~3年は掛かることでしょう。

 しかも、今、5G基地建設を巡って、人体に及ぼす電磁波が流れるという理由で、世界的に市民による反対運動が起きているのです。(電磁波問題市民研究会は、5Gの周波数は高く、健康に悪影響を与える懸念があり、携帯のヘビーユーザーと脳腫瘍発症との間に一定の相関関係が見られた、といった国際がん研究機関が公表したことを引用しています。ベルギーやスロベニア、ナイジェリア、ウクライナ等では5Gの展開を停止しているようです。電子レンジの周波数は2.45Gヘルツなのに対して、5Gは28Gヘルツだとか。そりゃ大変だ)

 こんな状態なのに、A社は5Gと称して「割増料金」を請求するなんて詐欺に近いのでは?ma fille codetteが頭に来たのは納得できます。

 もう一人ややこしかったのが、ma femme です。携帯がガラケーで、パソコンを一度もやったことがないのに、いきなりスマホですからね。まず、Rショップはマイナーなのであまり店舗がありません。自宅から自転車で片道40分もかけて行きましたよ。お蔭で翌日から脚が痛くなりました(笑)。Rショップの店員さんは、スリランカ人でした。日本語ペラペラでしたが。

 ma femmeは、コンピュータが苦手で、文字入力もガラケーとスマホとは違うので、最初から「分からない、分からない」とギャアギャア喚きます。それでいて、LINEもやりたい、路線案内もやりたい、と要求ばかり。もう勘弁してよ、といった感じで日が暮れる毎日で、落ち着いて読書もできませんでした。

【追記】

 先日、IT関係に詳しい志田君と呑んだのですが、R社のスマホはまだ中継基地が少ないので、圏外となるとA社の回線を使っているんだそうです。しかし、A社は意地悪して、東京23区内の地上は、A社回線の配信は停止しているそうです(地下は大丈夫)。また、23区内でさえこういう状況なので、吉祥寺、立川、町田といった東京都下はR社の回線がまだ繋がりにくく、結局、A社の回線でやっと繋がるらしいのです。東京がこういうことだと、地方もR社の回線は繋がりにくいようです(山奥は特に)。こういった事情を玩味の上、スマホ乗り換えは御考慮ください。

 R社のM会長におかれましては、通信事業は社会事業ですので、基地局などのインフラ整備は、たとえ「前倒し投資」とはいえ、十分に果たしてほしいものです。宜しくお願い致します。ナンバーワン・キャリアを目指してくれい。

メンサと政治と宗教とサイコパスと

 人口上位2%のIQ(知能指数 )を持つ人たちの親交を主目的とした非営利団体「メンサ」というのがあることを最近知りました。1946年に設立され、英国に本部があり、会員数は全世界で約12万人。支部は世界40カ国にあり、日本人会員は約3500人いるとか。著名人には、SF作家のアーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、日本人には、お笑いコンビ、ロザンの宇治原史規や脳科学者の茂木健一郎らがいる(いた)そうです。

 まあ、親睦団体みたいなものですから、懇親会等では「政治と宗教の話はタブー」になっているそうです。「金持ち喧嘩せず」ということなんでしょう。そうでなくても、政治と宗教がらみで国家間で戦争になったりしますから、人類のタブー中のタブーでしょう。まず、思想信条は折り合いが尽きませんからね。最近、また、イスラム教の教祖の風刺画を巡り、パリ郊外で教師が殺害されたりしました。

 それなのに、この渓流斎ブログでは、最近、政治と宗教の話題ばかり書いております。勿論、冒涜的なことは書いておりませんが、これでは駄目ですね(苦笑)。

 このブログは2005年3月15日から始めましたから、今年で丸15年も経ちました。我ながら、よく続けてきたものです。しかし、以前、「ブログなんかやってると親友をなくすよ」と忠告されたことがありましたが、事実そうなってしまいました。

 30年来の友人のA氏からは「ブログなんかやっていると、人は離れていき、そのうち誰からも相手にされなくなりますよ」と言って、本人が率先垂範して離れていきました。旧友のB氏からは「君とは住む世界が違います」と通告され、異国に住むC氏は、メールを出しても返信すらしなくなりました。理由は分かりませんが、やはり、ブログが原因なのか、面倒臭くなったのかのどちらかしか思い当たるフシがありません。仲違いしたわけではありませんから。

 ブログをやっていても、ロクなことありませんね。

 でも、半面、良い事も沢山ありました。ブログを通じて知り合った何人もの方が全国にいらっしゃり、実際に交流でもできたことです。色々な「学び」もあり、自分では思いも寄らない「知識」や「情報」が寄せられ、大変勉強になりました。というより、現在進行形です。それが、15年も続けて来られた理由の一つでしょう。

 ところで、最初にご紹介した「メンサ」は、「サイコパス」を調べているうちに、何の関連もなく、ひょんなことで出てきました。何で、サイコパスを調べたかといいますと、最近、どうも独りよがりの人間が増えてきた気がしたからです。まず、挨拶はしない。不注意にせよ、人にぶつかったり、足を踏んだりしても謝りもしない。そこにいたお前の方が悪いんだと言わんばかりで逆切れしそうです。他人が苦しんでも見て見ぬふり、自分さえ良ければ何をしてもいい、そんな輩が増えたように思えるのです。

 そういう人間のことを何て言ったっけ?と一生懸命に思い出して、サイコパスがやっと出てきたのです。一般的に、サイコパスとは先天的に、罪悪感を感じず、良心の呵責に苛まれることはなく、嘘をついても平気で、他者に対する思いやりが皆無で、自尊心が過大で自己中心的、それでいて口が達者で表面的には魅力的なことが特徴だといいます。(両親や教師の教育や環境などの影響で後天的になった人はソシオパスと呼ばれます)

 ニュースで、平気で嘘をつく政治家を目の当たりにしたり、良心の呵責もなく老人を騙したり、殺害したりする若者を見かけたりしますが、もしかしたら、彼らはサイコパスなのかもしれません。

 私自身はサイコパスとは正反対の性格で、他人に気を遣い過ぎるかなりの神経質で、良心の呵責と罪悪感は莫大にあります。特に若い頃は、異様に神経が過敏で、自分の神経はピアノ線より細い!と天を呪ったことがあります。

 でも、何万人に一人か、何十万人に一人か分かりませんが、世の中には、傍若無人で無神経で罪悪感のない人間が存在するという事実を知っただけでも、少し冷静になれました。

(本文中敬称略)

R社スマホ、快適です=「Go to イート」に挑戦

 先日、携帯のスマホをR社に変更したことを書きましたが、データ通信も通話も全く支障がなく快適です。しかも、料金が一年間無料だというので言うことありません。

 さらに、どなたかにR社のスマホを紹介すると、紹介した人に3000ポイント、紹介された人にも2000ポイントが付きますので、もしご興味を持たれた方は、是非小生に御連絡ください(笑)。小生のR社スマホのIDをお伝えします。キャンペーンは期間限定ですのでお早目に(笑)。

 付け加えると、R社のスマホのデータ通信は無制限に使えるので、初めてテザリングに挑戦してみました。そしたら、こうしてパソコンに難なくWi-Fiが繋がりました。となると、今契約しているOCN(NTTコミュニケーションズ)のモバイルWi-Fiも必要なくなります。解約しようかしら?これで、毎月の通信費が大幅に節約できます。感謝、感謝です。

 さて、昨晩は雨が降る中、「Go to イート」に行って参りました。自宅近くの炭火焼店なので、場所も店名も言えませんが(笑)、なかなか良い店、というか高級店でした。

 とにかく、ジャーナリストを自称していますから、時流に乗るといいますか、今、世間で話題になっていることを自分自身でやってみなければならないということを自分に課しておりますから、こういう無節操なこと(?)もやらざるを得ないのです。

 まず、グルメサイトの「食べログ」に登録して、「Go to イート」キャンペーンに参加している自宅近くの店を検索して、ある店に予約してみました。「食べログ」だと、Tポイントとして1人1000ポイントが付くことになっていました。このTポイントはお店に還元されるのかと思ったら、後からお店の人に聞いたら、「そんなこと全くありません」と言うのです。私は、この1000ポイント分は、またその同じ店でしか使えないと思ったら、どこでも使えるようです。つまり、同じ店に還元されるとは限らないのです。

 よく分かりませんが、どうもこのTポイントは、「食べログ」のサイト内のお店(つまり、「食べログ」に加盟料を払って参加している店)にまた予約する際に使えるようなのです。異様に面倒臭い。恐らく、グルメサイトを使用しなければ、この獲得したTポイントは「宝の持ち腐れ」になるんじゃないかと思われます。はっきり言って、「Go to イート」キャンペーンは、店舗よりも、菅義偉首相のお友達の滝久雄会長のやっている「ぐるなび」などグルメサイトが儲かる仕組みになっているのではないでしょうか?

 「Go to イート」キャンペーンの中身は、実際に自分自身でやってみないと、本当に分からないものですね。

 そうそう、私が利用しとお店の話です。普通の焼き鳥屋を選んだつもりでしたが、豈はからんや、高級炭火焼店でした。本日のお薦めのメニューを見たら、「本マグロ2200円 馬刺し2860円…」ですからね。帰ろうかなと思いました(笑)。

 でも、「本日のお薦め」以外を見ると、大衆焼き鳥屋より少し高めの値段。帰らずに注文しました。そしたら、旨いこと、美味いこと。何しろ、塩は食卓塩ではなく、高級などこかの岩塩で、醤油もスーパーには売っていない高級醤油。サラダのタレも凝っていてバルサミコ酢にチーズも入っている感じでした。

 何と言っても凄かったのは、焼き鳥には「みつせ鶏」を使っていたことです。「比内地鶏」や「名古屋コーチン」なら聞いたことはありますが、初めて聞く鳥なので、お店の人に「何処の鳥ですか?」と伺うと、「佐賀県です」と応えるではありませんか。そこで、早速、某マスコミの佐賀支局長を務めたことがある岡元氏にR社スマホのショートメッセージを使って聞いてみると、「みつせ鶏は旨いですよ。佐賀にいた時は滅多に口にできませんでしたが。」との返事を頂きました。

 そんな高級鶏でしたか! いやあ、実に旨い。感動してしまいました。この店は、数年前に線路沿いにあったのですが、火事で焼けてしまい、ここの場所(駅から歩1~2分)に変えて復活されたようなので、またお邪魔しようかと思いました。

(ビール中瓶と日本酒二合、串盛りと串焼き四本、サラダなどサイドメニュー六品、二人で8610円)

【追記】

食べログで獲得したTポイントは、他にも運用できるようです。

携帯通信事業者をR社に替えました

 ここ2~3週間、迷いに迷った末、携帯通信事業者をK社からR社に替えました。昨夕、契約しましたが、清水の舞台から飛び降りる覚悟でした(笑)。ミドルリスクでしたからね。

 きっかけは、正直、今の私の力量では、K社では月々の通信量が高かったからです。そしたら、新規参入のR社が1年間のプラン料金無料や高額のポイント還元キャンペーンをやっていることから乗り換えることにしたのです。その間、IT雑誌の敏腕編集者だった畏友の志村氏からさまざまな助言を得ることができ、それでやっと決心しました。

 清水の舞台から飛び降りる覚悟をしたほど心配したデメリットは、今使っているiPhoneを、SIMカードを替えてそのまま使うため、果たして、通話やデータ通信が実際に使えるかどうかという不安です。自分でSIMカードを替える自信がなかったので、ショップに行って替えてもらいましたが、その際に、iPhoneはR社の正式対応機種ではないため、もし仮にうまくいかなかったら自己責任になりますよ、といったような趣旨の「誓約書」にサインさせられましたからね。ドキドキでした。

 しかも、R社と契約すると自動的にK社との契約は解約(手数料込みで解約料が1万3750円)になりますが、K社で契約していたiPhoneのアップル社の保証もなくなり、R社では改めてアップル社との保証契約はできないと言われたのです。これがミドルリスクです。小生のiPhoneは、2018年12月に買ったXSという当時の上位機種(カバーとケース付き13万5660円)でしたから、まだそんなに早く壊れることはないでしょうが、落として画面のガラスを割ったりしたら、修理が全額自己負担になり大変です。

 こうしたデメリットを越えて有り余るメリットが、プラン料金(1カ月2980円)が1年間無料だということと、専用のアプリを使えば、通話もショートメッセージも使い放題だということです。つまり、国内電話はかけ放題、ネットもデータ量を気にすることなく気軽に使えるということです。

で、まだ、契約して1日しか経っていませんが、電話もショートメッセージも通じて、一応満足しています。いや、R社に替えて良かったとさえ思っています。

 ショップでは1カ月間だけ無料のRマガジン(1カ月超えると月額418円)とRミュージック(同980円)に試しで契約してみました。契約しただけで600ポイントが貰えるからです。嗚呼、ポイント奴隷ぶりをここでも発揮してしまいました(笑)。

 そしたら、吃驚。Rマガジンは主要週刊誌、月刊誌500誌以上もがバックナンバーから最新号まで読み放題なのです。これでは雑誌は売れませんね。電車の中で、どうも誰も週刊誌も読まなくなったと思っていたら、もしかして、スマホで読んでいたのかもしれません。

 なあんだ、そういうことだったんですか。

【追記】

 ということで、小生が使っていたK社の携帯メール(〇〇〇@ezweb.ne.jp)は、不通になりましたので、宜しくお願い申し上げます。

Rショップ銀座のFさんは、日本語が少したどたどしかったので、ご出身地を聞いたら「中国の長春(満洲帝国時代の首都新京)」だというのです。15年前に来日して、今は日本人に帰化されたそうで、少し親しみを感じて思い切って契約したわけです。

Rミュージックは、古いジャズが無さそうだったので、すぐ解約してしまいました。

 

ついに私もポイント乞食、いやポイント奴隷に

 ついに私も三木谷王国の軍門に下ってしまいました。

 世界中では今、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の寡占状況が叫ばれていますが、我が邦では、公社あがりのガリバーか、稲盛様か、孫様か、三木谷様のいずれかを選ばなければならない体制になってしまっています。もちろん、格安何とかもありますが、「安心・安定」で選ぶなら、この四つの王国を選ばなければなりません。

 私は今、スマホは稲盛王国のものを使用していますが、毎月8439円も掛かり、日頃からどうにかしたいと思っていました。通話かけ放題プランですが、データはわずか、月に3GBしか使っていないのに、高過ぎます(調べたら、iPhoneなので、毎月アップルに保証費1309円払っていました)。

 そこで、驚異的な価格を発表した三木谷様のスマホに乗り換えようかと模索しているのです。でも、三木谷王国では、iPhoneがなく、SIMを交換してようやく使えるようで、IT音痴を自認する小生としては、いまだに自分で操作する自信がなく迷っているところです。

 でも、ラジオで興味深い話を聴きました。「三木谷王国経済圏」です。銀行も証券もスマホも電気も通販のお買い物も、三木谷様の王国を使えば、ポイントがバンバン溜まり、年間6万円~10万円も得(ポイント獲得)するというのです。

 私の場合、スマホだけで年間10万円以上支払っていますから、ちょうどその分助かるというわけです。

 ということで、銀行は三木谷王国の口座を契約してみました。コンビニで入出金できるので、意外と簡単でした(ただし、条件により手数料掛かります)。この銀行のデビッドカードを現金代わりに使えばまたポイントも溜まるという仕組みです。

 これで、「経済圏」の一員になるには、あとは、スマホと電気を三木谷王国に代えるかどうかになりました。

 コンピューターは0と1の世界ですから、中間や曖昧さがありません。all or nothing の世界ですね。勝つか負けるか。寡占するか、敗退してゼロになるかの世界です。「2位では駄目ですか」では駄目なのです。消費者は、否が応でも、こうした「経済圏」の覇者争いに巻き込まれます。

 でも、実にせこい話です。私自身は三木谷様とは面識もありませんし、王国に絶大なる信頼をしているわけでもありません(ただし、通販やカードを利用すると、しつこいくらい小まめにメールで連絡してくれることは大変有難い)。それなのに、ポイントを獲得するために乞食になるしかありません。いや、乞食じゃありませんね。三木谷王国の奴隷ですね。

 庶民の経済防衛として、究極の選択です。よゐこの皆さんは真似しないでください、と言っても真似する人は多いことでしょう。だって、真面目に現金払いをしても全くポイントが付きません。それに、この渓流斎ブログの影響力は絶大ですからね(爆笑)。

祝ジョン・レノン誕生日 if he was still alive80歳

 今日10月9日は、元ビートルズのジョン・レノンの誕生日です。生きていたら80歳。暗殺されたのが40歳の時でしたから、没後40年という節目の年になります。

 ということは、現在、45歳以上ぐらいじゃなければ、ジョン・レノンの現役時代を知らないということになりますか。えっ?教科書に載っていたから知っている? 英リヴァプールはジョン・レノン空港だから知っている? そうですか、そうですか。もう彼はすっかり歴史上の人物になりましたね。

 このブログに何度もジョン・レノンのことを書くのは、私の人生で最も影響を受けた人物の一人だからです。ミュージシャンとしてだけなく、英政府からMBE勲章を受けながら返還したり、反戦運動家(ジョン・シンクレアら)や黒人の人権運動家(アンジェラ・デイビスら)を支援したりして米CIAからマークされるほどの活動家だったからです。

 当時私は中学生か高校生だったので、お蔭で「お上にたてつく」ことを覚えてしまい、長じてもその習慣が身に着いてしまいました。ジョン・レノンを知らなければ、上司に反抗することなく、長い物に巻かれて今頃大出世して、世界を動かすインフルエンサーになっていたかもしれません(笑)。

 結局、左遷ばかりされて、インフルエンサーになれず、この40年間はインフルエンザに罹ってばかりいました(笑)。

 40年というのは、あっという間でしたね。ジョン・レノンが暗殺されたとき、40歳というのはかなりのおじさんにみえましたが、今では人生の半分以下でまだまだ若い。青年に近いと言ってもいいぐらいです。

 思えば、ジョンがビートルズとして活動したのは満21歳から28歳まで(1962年10月5日にデビュー、69年8月の「アビイ・ロード」のレコーディングまで)のたったの7年間ほどでした。早熟の天才だったと言えるでしょう。彼のつくった曲で好きな曲はあまりにも沢山ありますが、「ラバーソウル」の「ガール」と「ホワイトアルバム」の「ハッピネス・イズ・ウオームガン」と「イマジン」の「ギミー・サム・トゥルース」と「ダブルファンタジー」の「ウーマン」は外せないと思っています。

 ジョン・レノンが生まれたのは1940年ですから第2次世界大戦の真っ只中でした。セカンド・ネームのウィンストンは、チャーチル首相から取られたことが有名ですが、小野洋子と結婚した際、ジョン・オノ・レノンに改名したことも有名です。幼い時に、船員だった父親アルフレッドから離れて伯母のミミ夫婦に育てられ、産みの母親ジュリアは内縁関係の2人の男性との間に3人の娘をもうけ、ジョンが17歳の時に交通事故死するなど家庭的に恵まれなかったトラウマが結局、曲づくりや彼のその後の人生に反映されていました。

 巷では商魂たくましく、ジョン・レノン生誕80周年記念 ニューベストアルバム「ギミ・サム・トゥルース.」(ユニバーサ)が今日から発売されたようですね。CD2枚とブルーレイ付きのデラックス版で9350円ですか…。私ですか? いえ、もう買いませんよ。彼のCDはもう既に全て持っていますし、DVDも何枚かありますからね。

 ジョン以外のポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンやリンゴ・スターは日本公演で見たことがありますが(リンゴだけは記者会見で同席したことがあります)、ジョンは早いうちに亡くなってしまったので、「会う」ことができず、本当に残念無念でした。

 ですから、1966年のビートルズの来日コンサートを見たという林さんや、70年代後半にジョンとヨーコを東京のホテル・オークラの近くの路地で歩いているところをすれ違ったという栗原さんには、何を差し置いても密かに尊敬しています。

50代の若さで逝った勘三郎丈と三津五郎丈

 皆さま御案内の通り、私こと、ポルトガル、ニュージーランド、インド…とせめてランチぐらいで世界旅行したいと、東京・銀座の専門料理店を彷徨い歩いてまいりました。

 でも、今日は、日本浪漫派のように日本に回帰したくなり、ランチは異国料理ではなく、和食にすることにしました。

 向かったのは、東銀座・木挽町にある「割烹 きむら」です。いつぞやも、この店のことをこの渓流斎ブログに書いたことがありましたが、例の私の「シュトルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)の時期に当たり、今ではその記事は消えてしまったようです。

 ということで、同じような記事書くことになりますが、この店の敷地には、もともと、「六代目」の住まいがありました。六代目というのは歌舞伎役者として初めて文化勲章を受章した六代目尾上菊五郎(1885~1949年)のことです。六代目というだけで梨園の世界では通用し、歌舞伎の神さまのような伝説の持ち主です。国立劇場のロビーにある平櫛田中作の「鏡獅子」像のモデルが六代目菊五郎だといえば、お分かりになるかもしれません。

 私も勿論、昭和24年に亡くなった六代目の舞台を見たことはないのですが、親しくさせて頂いた演劇評論家で舞踊作家の萩原雪夫先生(1915~2006年)から何回も六代目の話を伺い、近しく感じてしまっていたのでした。萩原先生はよく言ってました。「僕は六代目を見てしまったから、演劇記者になったんですよ」「終戦直後、新橋~鎌倉の東海道線でよく御一緒したことがあります」「掛け声の『音羽屋』は『おとわや』じゃなくて、『お、たーわー』と言うのが通ですよ」等々。(六代目の雄姿は、今では小津安二郎監督作品「鏡獅子」などユーチューブで見られます)

 その六代目が、下谷二長町(台東区台東)の市村座から昭和2年に松竹に移籍して歌舞伎座に出演するようになった経緯などを書いた自伝的芸本「藝」(改造社)がありますが、私はその本を読んで、六代目が住んでいた木挽町の場所をやっと探り当てたのでした。1階が和食店のビルになっていました。そのビルの何階かに「中村勘三郎後援会事務所」のようなものがあったので、十八世勘三郎(1955~2012年)は、六代目の孫に当たることから間違いないと思ったのでした。

 その日は、店に入って食事して、旦那さんに確かめたら、裏が取れました(笑)。

 さて、本日のランチは、和食のはずが、特別に「牛ヒレステーキ」を注文しました。1700円。我ながら気張りました(笑)。

 勘定を済ませた後、女将さんに六代目の話をしたところ、「まあ、随分、よく御存知なんですねえ」と驚いておりました。ま、そりゃ、そうでしょう。私は、怪しいもんですから(笑)。

 でも、女将さんは打ち解けて、すっかり内輪話をしてくれました。

 「(お店は、十八世)勘三郎さんが亡くなって、(姉で新劇女優の)波乃久里子さんが(ビルの)オーナーでしたけど、手放されて、今のオーナーさんはファンドなんですよ」とまで教えてくれました。

 そして、「昔は良かったですねえ。(十世)三津五郎さんが(歌舞伎座の幕間に)ちょくちょく顔を出して、遊びに来てくれましたよ。本当に良い人でしたねえ」とまで女将さんは言うのです。嗚呼…、私がよく知るのは、三津五郎丈が(五世)坂東八十助(1956~2015年)を名乗っていた時代ですが、腰が低く、何かのパーティーで会うと、遠くからでも私を見つけて挨拶してくださるような人でした。三津五郎丈のお名前を聞いただけで、懐かしくて涙が出そうになりました。

 勘三郎丈は57歳で、三津五郎丈も59歳の若さで亡くなってしまいましたからね。歌舞伎の世界では、「五〇、六〇(歳)は洟垂れ小僧」と言われるぐらいですから、まだまだこれからでした。志半ばでさぞかし無念だったろうなあ、と思うと胸が詰まってしまったわけです。

フォーが食べたい、そして日産の正体

 9月も半ばになろうとしているのに、まだ気温が30度を超え、猛暑のように暑い。地球温暖化は進む。去年もこんなに暑かったっけ? 残念ながら、もう忘れています。

 こう暑いと、急にヴェトナム料理が食べたくなってしまいました。ヴェトナムは、ハノイ、ハイフォン、ホーチミン、ビンズオン省など、仕事と遊びで何度か訪れています。私の世代は、どうもベトナム戦争のイメージだけが濃厚で、行く前は、大変な国だという印象ばかりでした。

 でも、着いてみると、そんなイメージは全くなく、戦争の爪痕が残っているのはホーチミンの「戦争証跡博物館」ぐらいで、私が訪れた5、6年前は、ベトナム人の平均年齢が27歳という若々しさ(年長者は戦争で亡くなっていたということか)でした。フランスの植民地だったのに、フランス語で話しかけても全く通じませんでした。

 ハノイもホーチミンも、都市は驚くほど近代的なビルが建ち並び、ゴミも少なく清潔でした。ただし、やたらとモータバイクだらけで道路を渡るのに苦労しました。また、取材で訪れた日系企業の工業団地なども衛生管理が行き届いていて、日本の工場よりきれいじゃないかと思ったぐらいでした。

 そこで、初めて触れたヴェトナム料理は、日本人にも合って、病みつきなりました。特に「フォー」という米粉のラーメンみたいな麺料理は、ラーメンと同じような色んな味付けがあり、上に載せる具までも、鳥から豚から牛肉など本当に千差万別で、毎日食べても飽きませんでした。

鶏肉入りフォー

 ということで、ランチは、フォーがまた食べたくなって、銀座のヴェトナム料理店に向かいました。今の愉しみといったら、食べることぐらいですからね。金に糸目は付けません(大袈裟な)。お互い、いつ死ぬか分かりませんから、子孫に美田を残さず、です。

 入った店は、マロニエビルの11階にあり、結構、高級店で、フォーのランチセット(春巻きとベトナムコーヒー付き)が1650円もしました。普段の私のランチの1.5日分です(笑)。

 さすがに高級店らしく、お客さんも裕福そうでした。私の隣に座った40歳前後の女性は、文字盤を見れば一目で分かる50万円ぐらいのフランク・ミュラーの高級腕時計をさり気なくしておりました。女性客の大半は、着ているものも、ジョン・スメドレーとかストロベリーフィールズとかいかにも高級そうでした。

 肝心の料理ですが、お値段なりに、とても美味しかった、とブログには書いておきます。

◇日産の正体

 さて、昨日のこのブログで、日産自動車へ1300億円もの政府保証融資がなされ、「何で日産だけが特別待遇になるのか?」といったような趣旨のことを書きました。

 そこで、調べてみたら、確かに日産は特別な会社だということが分かりました。日産は、皆さん御存知のように、戦前は日本産業株式会社と呼ばれていました。設立者は、満洲の「二キ三スケ」の一人、鮎川義介です。鮎川は、義弟の久原房之助が1905年に設立した久原鉱業や日立製作所など久原コンツェルンが、第一次世界大戦後の慢性不況により経営不振に陥ったため、1928年にその経営再建を託されたのでした。鮎川は手腕を発揮して多角経営に乗り出し、日産自動車もダットサンなどを吸収合併して手に入れたものでした。ダットサンのダットは国産第一号車「脱兎号」の出資者DAT(田、青山、竹内)の頭文字から取ったという話は、皆さんも御案内の通りです。

 こうして、日立製作所、日産自動車、日本水産、損害ジャパン、ENEOSなどの日産グループは現在、「春光懇話会」と呼ばれています。

 そして、この春光というのは、初代総理大臣伊藤博文の子息(婚外子)の伊藤文吉(元日本鉱業社長)の雅号でした。芝公園にあった文吉の私邸(現春光会館)にグループ企業の幹部が集まり、「春光会」を開いたのがその始まりでした。文吉の長男俊夫(伊藤博文の孫)も東大法学部を卒業後、日産自動車に勤務していたといいます。

 日産は、初代総理大臣伊藤博文と縁のあった会社だったんですね。ビスマルクは「鉄は国家なり」という名言を残しましたが、その伝でいけば、「日産は国家なり」というわけだったんですか? 日本政府の皆さん。

成瀬巳喜男監督の手腕に脱帽=1930年代の「まごころ」と「鶴八鶴次郎」

 私生活で色々と心配事が続いて悩みが尽きません。こういう状況だと何をやってもつまらないものですね。物欲がなく、悪所に行かず、賭け事はせず、宝くじも買わず、煙草も吸わず、最近、あまり酒も呑まず、好きな音楽も聴かず、只管、四角四面、謹厳実直に振舞っているので、ますます生きているのが苦しいのです(笑)。本を読んだり、映画を観たりしてますが、実は心底から楽しめません。-まあ、こんな繰り言を書いてしまいましたが、こうして、つまらないブログを書いても旧知の人や見知らぬ人からコメント等を頂いたりすると嬉しくなり、「ま、書き続けていきますか…」という気持ちにさせてくれます。

 今日も書くことは、またまた成瀬巳喜男監督の戦前の1930年代の作品です。前回、成瀬巳喜男監督のファンクラブの方々が立ち上げた精巧なサイトをご紹介しましたが、その中で、1930年代作品のベストワンに挙げていた「まごころ」を初めて観てみました。1939年(昭和14年)、東宝東京の作品です。1939年はノモンハン事件が起きた年です。ゾルゲ事件の国際諜報団の一人、ブーケリッチがアヴァス通信(現AFP通信)記者としてこのノモンハンを取材しています。また、1939年は第2次世界大戦が始まった年でもあり、世界中で軍部が台頭し、きな臭い時代です。撮影当時は、そんな時代背景がありました。

 原作は、「青い山脈」で知られる石坂洋次郎で、同名の小説は同じ1939年に発表されていますから、凄い速さです。石坂は当時からベストセラー作家だったのでしょう。それにしても同じ年に映画化するなんて、映画監督も原作に飢えていたんですね(笑)。成瀬作品の中で、「まごころ」はあまり知られていませんが、1930年代のベストワンになるぐらいですから、確かに本当に良い作品でした。

 日本では既に、1937年から支那事変(日中戦争)が始まっており、映画は、何処か地方の駅舎の前の広場で(甲府駅らしい)、「大日本愛国婦人会」の白いタスキを掛けた主婦たちが大勢集まって、何か打ち合わせをしている場面から始まります。「大日本愛国婦人会」といっても、今では誰一人も関心を持つ人はいませんが、かつて、この団体に異様に興味を持っていた方がおり、色々と教えてもらったことがあったので、私なんか注視してしまいました。

 「銃後の守り」とも言うべき婦人会は、ざっくり言って3団体あり、第1がこの「愛国婦人会」(1901年設立)で内務省・厚生省系で、最盛期は約312万人。華族の参加も多かったようです。第2が「大日本連合婦人会」(1931年設立)で文部省の音頭取り。第3の「大日本国防婦人会」(1932年発足)は、陸軍省、海軍省の肝いりで、最盛期は905万人以上も参加しました。この3団体は1942年に国家総力戦体制ということで、「大日本婦人会」の一つに統合され、終戦まで続きます。

 映画の話から少し外れた感じですが、とにかく、この大日本愛国婦人会のリーダーが浅田夫人(村瀬幸子)で、その娘の小学校高学年らしき信子(悦ちゃん)が学期が終わり、成績が10番に落ち、代わって、信子の親友の長谷山富子(加藤照子)が1番になったという話から物語は展開します。

 子どもが主役なので、子供映画のようですが、なかなか奥が深い(二人とも演技がうまい)。浅田夫人の夫は銀行役員の敬吉(高田稔)ですが、どうやら、将来、婿養子になる条件で、学生時代に学費を払ってもらっていたらしい。夫婦関係は醒めています。

 ところが、敬吉には若い頃に好きな相手がいて、それが今は富子の母親の蔦子(入江たか子)。二人は当然、結婚できず、蔦子はある男に嫁ぎましたが、飲んだくれの甲斐性なしで、早くに亡くなり、蔦子は針仕事で家計を支え、富子を育てています。

 富子と信子は親友なので、夏休みに、川で遊んでいるうちに、信子が足を怪我してしまいます。そんな偶然の機会に蔦子と敬吉が久しぶりに再会し、噂を聞いた浅田夫人は嫉妬で怒り狂います。しかし、すぐ誤解は解け、ちょうど召集令状が敬吉のもとにも来ていて、最後は、敬吉の出征場面で終わります(恐らく中国大陸へ)…と大体の荒筋を書いてしまいましたが、80年以上昔の映画だからいいでしょう、と勝手な解釈で、悪びれた様子は見せません(笑)。ご興味のある方は御覧になってください。

 蔦子役の入江たか子(1911~95)は、前回も書きましたが華族出身の美人女優で当時の大スター。敬吉役の高田稔(1899~1977)も、当時の二枚目スターだったらしく、確かに凛々しくて、惚れ惚れするぐらい格好良い俳優です。この人、戦後になっても長らく俳優生活を続けていて、テレビの「ウルトラQ」や「ウルトラマン」まで出ていたんですね。全く知りませんでした。

 もう一つ、第3位の「鶴八鶴次郎」(東宝東京、1938年)も観ましたが、これも大傑作。長谷川一夫と山田五十鈴の二大スターの共演ですが、二人とも実に若いこと。長谷川一夫は、勝新太郎にそっくりですし、山田五十鈴は年配になってしか知らなかったので、こんな品のある美人さんだったとは…(失敬)。原作は川口松太郎の同名小説(1934年)で、第1回直木賞受賞作品なので、私も原作は読んでいましたが、こんな話だったけ?と自分の記憶力のなさにがっかりしてしまいました(笑)。

 番頭の佐平役の藤原釜足もいい味出してましたが、やはり、二大スターの魅力を存分に引き出した成瀬監督の手腕には感服しました。

「駅前食堂」の作者が決定=古谷綱武さんか?ミルクボールも応援

 渓流斎ブログの記事の中で、これまで一番コメントが多かったのが「駅前食堂」(2008年5月28日)という記事だと思われますが、昨日、春日芳彦さんという同世代の方からコメントを頂き、この随想「駅前食堂」(タイトルは違ったと思いますが)の作者が決定しました。

 「駅前食堂」は昭和40年代頃に全国の小学校の国語の教科書に掲載されていた随想で、駅前にある食堂に入った作者が、親子丼にするか、かつ丼にするか迷っていたら、ほっぺが真っ赤なお店の女の子から「親子丼も、かつ丼も両方美味しいですよお」とニッコリ笑われてしまい、また迷ってしまったという他愛のない話です。でも印象的な話でいつまでも忘れられませんでした。

 それなのに、作者は誰だったのか、結局作者はどっちを注文したのかさえも忘れてしまい、「果たしてどうだったのでしょうか?」と、このブログで読者の皆さんに疑問を投げかけたのでした。そしたら、12年も昔に書いたというのに、思い出したように、ポツリポツリとコメントを頂くようになったのでした。

 この経緯について真面目に書いても面白くないので、漫才師のミルクボールに登場してもらいましょう。

親子丼とちゃうやんけ!

 駒込「オカンが言うにはな、小学校の教科書に載っとった『駅前食堂』の作者は、昔TBSの『ニュースコープ』のキャスターをやっていた古谷綱正さんの兄で文芸評論家の古谷綱武さんだと言うんねん」

 熱海「えー、その人、昨日9月3日付の渓流斎ブログ『成瀬巳喜男に観る日本の戦前1930年代』に載っとった人やんけ。すごいシンクロニシティやなあ。古谷綱武さんは、新劇の神様、滝沢修の奥さんの文子さんのお兄さんだっちゅうからね。それにしても偶然やなあ偶然。それで決まりやんけ」

 駒込「俺もな、そう思ったんやけど、オカンが言うにはな、作者は曽野綾子さんちゃうかと言うねん。あの文体といい、クリスチャンらしい心配りといい、曽野さんとちゃうかと言うんねん」

 熱海「そっかー、ほなら、古谷さんとちゃうか、曽野綾子さんに決まりかあ…」

 駒込「それがな、オカンが言うにはな、曽野さんは、上皇后美智子陛下と同じ聖心女子大学出身やし、産経新聞御用達の愛国主義者とも言われとんし、第一、昔のお嬢様が一人でこきたない駅前食堂に行くんかい、と言うんなん」

 熱海「こきたないは言い過ぎやろ…、ほなら曽野綾子さんとちゃうかあ。ほんならオカンはもうちょっと詳しいこと言っとらんかったか?教えて」

 駒込「それがな、オカンが言うにはな、作者は男だろうし、奥さんは生活評論家の吉沢久子さんだと言うんねん」

 熱海「それじゃ、古谷綱武さんやないけ、これで決まりや。作者は男性でその奥さんが『100歳の本当の幸福』など沢山の著作がある評論家の吉沢久子さんなら古谷綱武さん以外にいない。古谷さんは成城高校時代、大岡昇平と富永太郎と同級生で文学に目覚め、太宰治や檀一雄らとも同人誌を発行し、演劇から人生論、児童文学に至るまで幅広く評論活動を続けた人や。これで決まりやんけ」

 駒込「それがな、オカンが言うにはな、まだ分からへんと言うんねん」

 熱海「何で分からへんのや、作者は古谷綱武さんに決まりやろ」

 駒込「それがな、オトンが言うには、作者は結局、親子丼を食べたらしいんやけど、昭和10年に成瀬巳喜男監督作品にも出ていた新劇の神様、滝沢修さんじゃないかと言うんねん」

 熱海「んなわけないやろ、いい加減にせいや。もーえーわー、失礼しましたあ」

 (コメントお寄せ頂いた皆様、誠に有難う御座いました)