タコスが駄目ならポルトガル

 今週になって少しは和らぎましたが、猛暑が続き、銀座を歩くと鉄板の上で焼かれているようで、焼き鳥になってしまいそうでした。

 そんな時、食べたくなるのが、メキシコ料理のタコスです。暑さで食欲が落ちても、スパイスが効いて何個でも食べられそう。ということで、東京・銀座は、パリやニューヨークに劣らぬ世界のグルメ街ですから、本場タコスが食べられる店を探してみました。ありました、ありました。泰明小学校近くにありました。まあ、会社からも歩いて行ける距離なので早速、昼時に行ってみました。

 そしたら、ガーン、8月23日で閉店していたのです。な、な、何で?聞いてないよ。テレビでは、としまえんの閉園のニュースばかりやってましたが、ネットにも閉店のお知らせがありませんでした。

 仕方がないので、この近くにあったポルトガル料理店「V」に躊躇なく入りました。その時、ポルトガルのことで頭がいっぱいだったからです。

 何でポルトガルだったかと言いますと、三島由紀夫の実弟である平岡千之(1930~96)のことを考えていたからです。彼は外交官で駐ポルトガル大使などを歴任し、引退後、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの作品を翻訳したいという思いを持ったまま、まだ65歳で病死した人でした。

 そして、何で三島由紀夫の実弟平岡千之氏のことを考えていたかといいますと、昨日このブログで旧友の御尊父の御逝去のことに触れ、御尊父は、三島由紀夫と同い年なので大蔵省の同期入省ではないか、と書いたところ、早速、旧友から連絡があり、「父から三島由紀夫の話はあまりなかったけど、三島の弟で外交官だった平岡千之さんとは面識があった。市ヶ谷での事件(三島事件)があったとき、しょんぼりしていたと聞いてます」といった応えがあったからでした。

 三島由紀夫こと平岡公威は、華麗なる一族で、父平岡梓は一高~東京帝大から農商務省の官僚になった人(一高時代から岸信介らと同級生)。祖父の平岡定太郎は、帝国大学法科大学を出て内務省官僚となり、福島県知事、樺太庁長官を歴任した人で、私も名前は存じ上げておりました。でも、三島の実弟が外交官だったことまで知らず、不明を恥じていたわけです。

 で、タコスの店が閉店したことは至極残念、とうろたえていたところ、目の前にポルトガル料理店の看板が目に入り、ポルトガル大使だった三島の実弟平岡千之氏のことを思い出し、その地下の店にすぐ入店したわけです。何か、彼に導かれたような感じがしたからです。

 これも御縁ですね。

 注文した日替わりランチ(豚バラ肉のビール煮)が1000円(税込)というリーズナブルな価格。お味も合格点だったので、また来て、別のメニューに挑戦してみようかなあ、と思っています。

 今日はグルメの巨魁ブログ「ウマズイめんくい村通信」の二番煎じ(出来損ない)みたいで、失礼致しました。

お経の意味が分かると知らなければ恥だが役に立つ

 私が、次期総裁選びとか、今の皮相的な世間の喧騒よりも、人類にとって相も変わらぬ苦難の克服を目指す仏教哲学思想に特に最近惹かれていることは、皆さまご案内の通りです。

 先月、新聞の広告で法華経の新解釈による現代語訳の本が出ていて興味を持ちましたが、著者は個人的に嫌いな作家さん。この方、現役政治家時代に「文明がもたらした悪しき有害なものはババアだ」と生殖能力のなくなった女性を蔑視するなど舌禍事件が絶えない「無意識過剰」な人だからです。しかも、版元の社長さんがこれまた問題の人で、気に食わない売れない著者の実売部数をネットでバラしたり、何かと裏社会とのつながりが噂されたりする出版社ですからね。購買することはやめました。また、いつも派手に新聞に広告する出版社で目立ちますが、今後、広告内容を読むのをやめることにしています。

 でも、法華経の現代語訳が気になっていたところ、たまたま会社の近くの書店で、適当な本が見つかりました。鈴木永城著「お経の意味がやさしくわかる本」(KAWADE夢新書、2020年7月30日初版)という本です。先日このブログで御紹介したフランス語原文と対訳が並べられている「ランボー詩集」と同じように、般若心経や法華経など中国語訳の原文の下に現代語訳が書かれていて、とても分かりやすいのです。(お釈迦様の説かれたお経は、本来サンスクリットで書かれていたのですが、日本に伝わった仏教は、鳩摩羅什や玄奘らによって漢訳されたお経です。ということは、日本仏教とは、結局、中国仏教ではないでしょうか?日本仏教の開祖が師事したり影響受けたりした天台智顗も恵果も善導も臨済義玄も洞山良价も中国人です。現代の中国では共産党政権によって仏教は弾圧されていますが、三蔵法師らに感謝しなければなりませんね)

 日本の仏教には色んな宗派がありますが、例えば、天台宗では「朝題目夕念仏」と言われるように、朝は法華経を読経し、夕方は念仏を唱えるといいます。ですから、数あるお経の中でも法華経の寿量品や普門品(観音経)、般若心経、阿弥陀経などを特に重視するわけです。

 個人的には私の子ども時代に、父親の影響で法華経の方便品第二と如来寿量品第十六を意味も分からないまま、そのまま読まされたことがありましたが、この本を読んで「そういう意味だったのかあ」という新たな発見と驚きがありました。今さら遅すぎますね(笑)。

 お経を熱心に勉強したのは、人生に疲れた三十代初めにNHKラジオ講座の「こころをよむ」で金岡秀友東洋大教授が講師を務めた「般若心経」でした。よく写経に使われるあのお経です。わずか262文字の中に、仏様の思想哲学が集約されていて、苦しい時にたまにこのお経の文句が出てくることがあります。この本によると、天台宗と真言宗と浄土宗と臨済宗と曹洞宗と幅広く重用されているようです。逆に言えば、浄土真宗と日蓮宗ではあまり重んじられていないということになるのでしょうか?

 この本の著者鈴木永城氏は、曹洞宗の僧侶で、埼玉県と茨城県の寺院の住職を務めているようですが、お経とは何かについて、興味深いことを書かれています。

 まず、仏教の究極とは、自分自身に備わっている仏性に目覚めて、悩みや苦しみを乗り越えて生き生きとした生き方をすることだ、と説きます。そして、お経は、死者に対する回向(供養)という意味があるが、お経に説かれていることは、人間としての本当の在り方、生き方の指針だといいます。つまり、この世に人間として生を受け、その生をどうやって全うするか教示してくれる、とまでいうのです。

 なるほど、となると、お経というと敷居が高い気がしていましたが、もっと気軽に、偏見を捨てて接しても良さそうです。あまり言うと、苦行に堪えている聖道門の皆様から怒られるかもしれませんが…。でも、お経は、宗教家や信者や信徒や門徒だけの独占物であるわけではなく、在家の煩悩凡夫が接しても罰が当たるわけありませんよね?

◇旧友の御尊父の御冥福を祈り読経す

 ということで、この本を読んでいたら、先日、たまたま、旧い友人の御尊父の訃報に接しました。著者の鈴木氏は、お経は死者に対する供養だけでなく、現代人が生きる指針になる、と書かれていましたが、本来の供養の意味で、友人の御尊父の御冥福をお祈りして、本書の中の「般若心経」と「法華経」を一人自室で読経させて頂きました。自分にできることはこれぐらいしかありませんからね。

 実は、旧友の御尊父T・K氏は、九州の久留米藩主の御小姓を務めた高い家柄の子孫らしく、私の先祖は同じ久留米藩の下級武士(御舟手役)だったので、世が世なら、頭が上がらない雲の上の上司だったわけです。御尊父は、九州(帝国)大学から大蔵省に入省した人でしたが、三島由紀夫こと平岡公威と同い年なので、もしかしたら、大蔵省の同期入省だったのかもしれません。

 生前、もっとお話を伺う機会があればよかったなあ、と今では悔やまれます。

投げる不動産屋、学問もする広告塔

 晩夏だというのに、日中の暑さは相変わらず。関東地方も34度の暑さで、コロナと熱中症の二重苦、三重苦です。

 こんな、よりによって最悪な季節にオリンピックだなんて、やってる選手だけでなく、役員や審判も、そして何よりも観客もその場に居るだけで、大変なことです。何よりもメディアがスポンサーになっているので、どこも批判するところはなく、その危険すら知らせてくれません。真夏開催は、バスケットや野球やアメフトなどのドル箱試合との重複を避けるための米放送業界の策略だなんて口が裂けても言えない。莫大な放送権料という「不労所得」目当てのIOC貴族による陰謀だなどと大手メディアは知っていても書けない。

 そのせいか、五輪開催反対の世論が全く形成されませんが、賛成する人も、利権にたかる人たちまでも、心の中で、来年コロナが終息するわけがなく、開催は無理ではないか、と危ぶんでいます。

夏はお寿司がいい

 と、書きながら、どこか他人事です。またまたアパシーapathy(興味・意欲喪失)状態がここ1~2カ月続いています。IR汚職も、自民党公費(国民の税金?)1億5000万円も買収資金に使った河井夫妻についても、どこか「どうでもいい」と冷めています。こんなブログに「許せない!」などと書いても事態が好転するわけがなく、単なる蟷螂の斧。粋がっている自分が恥ずかしいだけです。

 個人的ながら、6月下旬に羅針盤を失くしてしまってから迷走が続いています。このブログではなるべくジャーナリスティックな話題を追いかけてきたつもりですが、アパシーになっては筆鋒が鈍ります。世の中で何が起きても、所詮どうでも良いのです。ジャーナリズムのいい加減さにも自戒を込めて痛感しています。

 例えば、憲法改正問題について、賛成か反対か、ジャーナリストは著名な評論家の下に通い、何か一筆書いてほしいと依頼します。先生曰く「賛成?反対?どっちでも書けるよ」。「そうですか、では、今日のところは賛成の立場で論陣を張ってください」-そんなことがジャーナリズムの世界ではまかり通っているわけです。

握りもいいけどバラ寿司も

 今朝(27日付)の朝日新聞朝刊トップで、人口減少問題を取り上げています。題して「限界先進国 エイジング ニッポン」。2020年1月1日時点の日本の総人口は約1億1472万人と総務省から8月5日に発表されましたが、約100年後の2115年には5055万人に半減するというシュミレーションも描かれていました。少子高齢化で1年間に約50万人の日本人が減っていきます。また、総務省の調査では、10年以内に全国で3197もの集落が消滅する、とはじき出しています。

 集落衰退の理由の一つとして、15年前の「平成の大合併」が挙げられていました。大合併により村役場が閉鎖され、職員もその家族もいなくなり、また、住民サービスが行き届かなくなって不便になった集落の人口減に拍車が掛かったといいます。

 今から15年前というと平成17年(2005年)ですか。私は当時、北海道の帯広にいて、ちょうどこの平成の大合併を取材していました。住民投票による賛成、反対票確認と結果の報道が精いっぱいで、15年後に合併させられた小さな町村が限界集落になって消滅の危機になることなど考えてもいませんでした。全く浅はかでしたね。

 それでいて、自分を棚に上げて、ジャーナリズムの浅はかさに日々、不満を感じています。

 テレビを見ると、スキャンダルを起こした夫に代わって美人タレントの妻が出演していました。健気な糟糠の妻?感心している場合じゃありませんよね。民放もNHKまでも番宣(番組宣伝)だらけです。民放の夕方のニュース番組で、ジャニーズ系のタレントが講師に復帰する、とかやっているので、てっきりニュースかと思ったら、時の最高権力者とも関係が深い森永製菓のコマーシャルの講師役にそのタレントが復活するという話でした。報道にかこつけた番宣じゃないですか!

 1本8000万円とも1億円とも言われるCM出演のため、タレントも俳優も監督もスポーツ選手も学者までも、浮気な視聴者からの人気を勝ち得ようと「露出」に余念がありません。露出こそがすべて。いつも同じ顔触れです。正直、見たくもない。

 昔、バブル華やかりし頃、某有名球団のピッチャーが、不動産投資をしてぼろ儲けしていたことから、先鋭な夕刊紙から「投げる不動産屋」と命名されたことがありました。投手が本業でなく、不動産が本業で、その片手間で野球もやっているという揶揄です。その伝で今の状況をなぞれば、「歌って踊れる宣伝屋」「足の速い宣撫員」「学問もできる広告塔」じゃありませんか。テレビが駄目ならユーチューブ? そんなに楽して金儲けしたいの? 日本人に恥の精神はなくなったのかい?

 見ていて苛立たしいのですが、私はここ最近、アパシーなものですから、「どうでもいいや」という感想の方が優ってしまうのです。

 嗚呼、残念。

新発見の松永弾正久永像から悪逆非道説は否定?

He who hath many friends hath none. – Aristotle 

感染拡大が止まりませんね。

 週末はいつもだと、映画館か博物館に行くか、城巡り、寺社仏閣巡りに勤(いそ)しんでおりましたが、一気に自粛ムードが広がり二の足を踏んでいます。

 もう一つの大きな要因は週末になると朝寝坊してしまうことです(笑)。1日9時間ぐらい寝てもまだ足りず、さらにまたお昼寝をしたりするので、一日の半分は寝て過ごすことになります。週日は労働に励んでいますからね。人生の半分を損している感じですが、「一日5時間睡眠で十分」と豪語している人が信じられません。羨ましい限りです。ま、この長い睡眠のお蔭で免疫力が付いていると考えるようにしております。

 家に閉じこもってばかりいられないので、自宅近くを散歩します。門構えも立派で、かなりの超豪邸も散見します。表札を見ると、「星野」「石田」「山崎」…。古くからの庄屋か大地主だったことでしょう。

 小学校のような広大な庭があり、でも、学校には見えない建物の正面に回って確かめてみたら、それが児童相談所だということが分かったこともあります。いわゆる、よくニュースで話題になる「児相」です。こんな所にあったのか、と新発見した気分でした。

 かと思えば、周囲が鉄条網に物々しく囲まれた広大な敷地に、今は廃墟になっている建物があります。門には、看板も表札もありません。「何の建物だろう?」と前々から気になっていたのですが、周囲の人に聞くこともできません。もしかしたら、秘密組織かもしれません。

 それがやっと分かったのです。警察の科学捜査研究所だったのです。いわゆる「科捜研」です。テレビドラマにもなってますね。私はその番組は一度も見たことはありませんけど。科捜研は現在、他に場所に移転しているようです。それでも、依然として警察の敷地らしく、奥の方に機動隊の装甲車みたいな車が十数台駐車していました。

 外部から侵入されないよう高い塀に囲まれた三階建ての瀟洒な集合住宅が3棟ありますが、門には何も名称が書いていません。大抵は「〇〇団地」とか「〇〇マンション」とか書いてあるものです。何か怪しい…。これも前から気になっていたのですが、暇に任せて調べてみたら分かりました。国税庁の職員官舎だったのです。これで、国家公務員の宿舎は周囲を憚って看板を付けず、分からないようにしているということが分かりました。

 そう言えば、江戸時代の武家屋敷も「尾張藩上屋敷」などと門に書くわけがありません。屋敷の所在地は超機密事項の一つですからね。それにしても、徳川幕府は地方の大名を改易したり、移封したり、減封したりしていますから、屋敷も色々と替えたりしていたことでしょう。秘密の文書(もんじょ)に書き留めておいたことでしょうが、幕府官僚も整理するのが大変だったことでしょう。

 と、まあ、今日はつまらないことを書きましたが、ブログを書く話題がこれぐらいなのでご勘弁下さい。

話は変わって、ついでと言っては何なんですが、最近、松永弾正久秀(1510~77)が歴史的に見直されているんですね。テレビの再放送で見ました。(とは言っても、最近のテレビは再放送ばかりですが)書物も多く出版されています。

 私が学校で習った松永久秀と言えば、東大寺を焼き討ちにするは、主君に歯向かうは、で悪の権化、下剋上、極悪非道のイメージの塊でした。風貌も鬼のような髪の毛ボサボサで歯を剥き出しにした姿が描かれていました。

 しかし、それは江戸時代につくられたイメージで、実際は、主君三好長慶に忠実な家老格で、長慶病死後は、17歳の長慶の甥の義継の後見役となって、三好家のために戦い、大和の多聞城を根城にします。最後は三好家のために織田信長に反旗を翻して、信貴山城で自害した忠君の戦国武将と見直され始めました。

 しかも、松永弾正の肖像画も最近、新発見されました。今年3月5日付の産経新聞によると、東京都内の古美術商が所有していた肖像画を大阪府高槻市が昨年1月に購入し、鑑定を続け、絵の上部には松永弾正の命日と戒名が記されていたことから本物と断定されました。新発見の肖像画では、松永は唇が厚く、しかも前歯が出たどこか愛嬌のある顔立ちです。とても、悪逆非道の武将には見えません。膝元には茶道具をしまう袋が描かれ、久秀が所有し、織田信長に献上したということで有名な茶入「付藻茄子(つくもなす)」(静嘉堂文庫美術館蔵)か「平蜘蛛(ひらぐも)」の釜を収めていると推定されるといいいます。(著作権の関係で茲に肖像画の写真を掲載できないのが残念です)

 こうして見ると、歴史的評価というのは時代、時代によって変わっていくものかもしれませんね。

魔法の非接触キー?を買わされた話

 ついに、というか、とうとう、ここ半年以上、全国で唯一新型コロナの「感染者ゼロ」で踏ん張ってきた岩手県から昨日の29日、感染者が出てしまいました。国内全体では、1日当たりの感染者が初めて1000人を超え、29日は過去最多の1261人。東京都で250人の感染者が出れば、大阪府も過去最多の221人、愛知県で167人、福岡県で101人と100人を超えてしまいました。

 ということを書いていたら、今、速報で、30日午後の東京都の感染者が367人とついに300人の大台を初めて超してしまいました。

 キリがないですね。もう「第2波」が来たと言ってもいいんじゃないでしょうか。

 それでも、週刊現代は「第2波は来ない」と断言していますし、米大統領もブラジルの大統領も、そして、この間の都知事選候補の一人も「コロナは単なる風邪」と豪語していました。ベラルーシの大統領は「コロナはウオッカとサウナで治る」と、本人が感染しても全く動じることなく、無症状のまんま回復したといいます。

 何だかよく分かりませんね。渦中にいると、本人だけが状況を全く理解できないのと同じです。やはり、真相は何カ月か何年か経たないと分からないのかもしれません。

 となると、人それぞれの個性は態度で現れます。こんな御時世だというのに、マスクをしないで街中を平気で歩いている人がいれば、とにかく人を避けて家に閉じこもっている人もいます。

 私の周囲にいる友人知人も千差万別です。「三密なんか気にしてられるか」と言って夜の街に繰り出して飲み歩いている人もいれば、社内でフェイスシードをして神経質そうにビクビクしている人もいます。

 そんな中で、今日一緒にランチに行った小早川君は、どちらかと言えば後者で、「これは必需品だぜ」と鍵のようなものを見せびらかすのです。

それが、上の写真です。

 正式名称は分かりませんが、「非接触キー」とか何とか呼ばれているらしく、これでドアのノブを開いたり、エレベーターの階の番号を押したりして、とにかく、感染しないように、他人が触ったものに接触しないようにするキーだというのです。

 なんじゃこれ!? ですよね?

 そんな話をしているうちに、会社の近くで、彼がそのキーを買ったという店を通り掛かりました。

 「おお、ここで買ったんだよ。君も買ったら?あ、そうだ、もう一つ、息子の分も買って行くよ」と言って、銀色のキーを持って、レジに行きました。

 戻ってくると、彼は「あれっ?まだ買ってないの?迷ってるの?駄目だねえ」と言う始末。お店の回し者かと思いましたが、値段は660円。まあ、ブログに載せるために、ただそれだけのために買うのもいいか、と思い直し、いつの間にか、私もレジに走っておりました(笑)。

 私が金色のキーを買ったものですから、小早川君は「金色を選ぶとは欲深いな。湖に斧を落とした木こりが、悩んでいたら、神様が出てきて、『お前が落とした斧は、金色の斧かね?それとも銅色の斧かね?』と尋ねる話知っているか?」とまで、言うのです。

 そこまで言いますかねえ?

 まあ、折角買ったので、会社のエレベーターで、早速このキーを使ってみました。

 玩具みたいなもんです(笑)。まさにSFの世界です。経済の需要と供給の世界なので、こんなものが売られ、買う人がいるということでしょう。けど、まさか、こんな時代が来るなんて思ってもみませんでしたよ。

土用の丑の日は「竹葉亭」木挽町本店のうな丼

7月21日、今日は土用の丑の日。

 長期入院を余儀なくされている方もいらっしゃるというのに、大変申し訳ございません。本日は、一世一代の懸け、といいますか、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、お昼に豪華「うな丼」を食して参りました。

 そんじょそこらの「うな丼」ではありませんよ。な、な、何と、竹葉亭です。

 スーパーやファミレスやファストフード店の「うな丼」ではありません、念のため。

 しかも、竹葉亭の中でも、銀座支店ではありません。木挽町本店です。分かったかああ?頭が高いぜよ…

 ははあああ、御意。

 竹葉亭は慶応2年、江戸は大富町(東京・新富町)で創業の老舗です。日本を、いや世界を代表するうなぎ店でしょう。

 私もうなぎは大好きですから、調布先生のお導きもあり、色々なうなぎ店を行脚したものです。

 思い出深いのは、十三世片岡仁左衛門が贔屓にしていた「小満津」(京橋から現在東高円寺に移転)、十一代将軍家斉の寛政年間創業の「野田岩」(麻布飯倉本店と日本橋高島屋店)、浅草の「色川」(文久元年創業)、築地「宮川本廛」、神保町の「なかや蒲焼店」、関内「わかな」、小江戸川越の「いちのや」(天保3年創業)、浦和で最も古い「山崎屋」(創業文政年間頃)…。

 まだ、行ったことはありませんが、一度行ってみたい老舗は、重光葵が贔屓にした日本橋の「伊勢定」、評判高い駒形の老舗「前川」、そして何よりも神楽坂の「たつみや」。ここはジョン・レノンがヨーコに連れられて入った店ですからね。

完食 写真を撮るのが難しかった 赤羽村長の苦労が分かりました

 肝心なお味ですか?

 いやあ、グルメ雑誌でもテレビでもないので、野暮なリポートはやめときましょう(笑)。

 竹葉亭は、他店と比べると上品な味付けだと思います。個人的には、表が少しカリッとして中がふんわりと焼いた「野田岩」が一番の好みですが。

 以前は、と言っても6、7年ぐらい前までは、うな丼ならランチで1200円ぐらいで食べられましたが、今は、高騰してしまい、夢のまた夢です。

 今、竹葉亭木挽町本店の昼メニュー「うな丼」(B)は、3520円です。…明日から当分、立ち食いソバになりそうです。

米国差別の構造=そして誕生日メッセージ御礼申し上げます

あまり個人的な話を書くことは気が引けますが、昨日は誕生日で、予想もしなかった多くの家族親戚友人知人の皆さんから多くの祝福メッセージを頂きました。有難いですね。お一人おひとりの名前は茲では書けませんが、本当に感謝申し上げます。

 ただ、フェイスブック(FB)もやっているせいで、強制的に誕生日が通知されてしまい、本当に甚だご迷惑のことだったと存じます。だからFBは嫌いなんですよ(苦笑)。

 FBは個人情報満載ですから、勿論、実年齢はバレてしまいます。昨日の誕生日は、私にとって大変特別でした。皆さん御案内の通り、私はビートルズ・フリークです。彼らが1967年に発表したアルバム「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」に収録されている曲「When I’m 64」があるからです。1967年ですから、今から実に53年前。当時、アルバムは高くて買えませんでしたから、最初はラジオで聴きました。ビートルズと言えば、ロックですが、この曲は、ポールの作品で、影響を受けた1930年代のジャズ風の明るい曲です。

 今から何年も先の話だけど、歳を取って髪の毛が薄くなっても、君はバレンタインや誕生日を祝ってくれるのかなあ。ワインのボトルで。僕が64歳になった時に。君も同じように歳を取っていることだろう。孫たちが膝にまとまりついているかな。ーといった内容です。

 実に53年間、私も何百回も聴き続けてきましたからね。ついに、その歳になってしまいました!

 そんな特別な誕生日に娘夫婦が自宅に招待してくれて祝ってくれました。婿殿は米国人。ハーフの孫はもうすぐ1歳8カ月で可愛い盛りです。ビートルズの「When I’m 64」の再現です。まさに正夢です。

婿殿の誕生プレゼント

 婿殿は、かなり高価な日本酒「越王」を奮発して買ってくれました。日本語があまり出来ず、かなりシャイな性格なのですが、一緒にお酒を飲むと、やっと少し饒舌になり、こちらの質問にも色々と応えてくれました。こんなに深くしゃべったのは初めてぐらいです。

 例えば、小池都知事が口癖のように言っていた”Stay home” は和製英語ではないか? Stay at home が正しいのではないか? もしかして、Stay the home が正しいのかもしれない…。小生の愚問に丁寧に答えてくれました。こういう時に、身近にネイティブさんがいると便利ですね(笑)。

 彼によると、やはり、Stay home が一番正しい。「外に出ないでください」というニュアンスが強くなる。Stay at homeだと、「特定の家に留まるように」と限定される。at は場所が限定される。at the restaurant のように。Stay the home は間違い。home にtheは付けない。theを付けるとしたら、the house になる…まあ、こういった感じです。

 日本人、いや外国人にとっては、英語の冠詞や前置詞が一番難しいものです。

 例えば、It’s nice to talk to you.と It’s nice to talk with you.の違い。前者のtoだと、「貴方とお話ができて光栄です」と丁寧になりますが、後者のwith だと、「君とおしゃべり出来て楽しかったよ」とお互いの立場が対等に近いニュアンスだというのです。こういうのなかなか外国人は分かりませよね。

 今、米国で一番話題になっているのが Black lives matter(黒人の命こそ大切)運動です。黒人のジョージ・フロイド氏がミネアポリスで警察官に圧死させられて全米、全世界でこの運動が広がりました。婿殿は黒人ではありませんが、米国内ではヒエラルキーの上位に属さないので、差別については、大変よく理解できるというのです。

 米国の階層は、白人、ヒスパニック、アジア系、黒人ぐらいの区別しか日本人の多くはできませんが、彼によると、もっともっと複雑でした。白人の中でも差別意識があり(それらは職業や住居などに表れる)、「支配階級」の一番トップは、アングロサクソン系、次がドイツ系、その次がフランス系辺りじゃないかといいます。同じ白人でも後から来たイタリア系や英国と長い間戦争していたアイリッシュ系は下に見られる。ポーランドやハンガリーなど東欧系も同じように見られる。でも、ロシア系は国力があるので、かなり上のランクだそうです。そして、ユダヤ系はやはり、上位ではありません。

 続いて、ヒスパニック。ラティーノと呼ばれることもあります。ヒスパニックの中でもスペイン系は白人なので、白人系に属してかなりの上のランク。同じヒスパニックでも米国に近いメキシコ系はまだましですが、その下がペルーやコスタリカなどの南米系、その下がホンジュラスなどの中米系、最後はプエルトリコなどカリブ海系のヒスパニックなんだそうです。なぜなら、カリブ海系は肌の色が黒い人が多いからです。彼は「結局、見た目で判断されます」。(そう言えば、英国人は植民地の現地人とほとんど結婚しませんが、スペイン人は現地人との混血が進んだ。そのため、肌の白いヒスパニック系が多くなったといいます)

 続いてアジア系は、「エイジアン」の一言でお終い。米国人は、日系と韓国系と中国系が全く区別できないから「エイジアン」の一括りで、多くの米国人は、アジアの国の文化も理解しようとしないし、区別しようともしないといいます。東南アジアもエイジアンですが、インド人は、エイジアンとは言わず、インディアンと別のカテゴリーになります。これも、インド人の肌がやや黒いからです。

 黒人は、アフリカンですが、例えば、アルジェリア系、エジプト系、コンゴ系は民族も宗教も文化も全く違うのに、全部いっしょくたんで、区別しようとしないそうです。

 ロサンゼルス出身の婿殿が、差別問題で印象的だった事件の一つは、2013年2月に起きた「クリストファー・ドーナー事件」だというのです。クリストファー(クリス)・ドーナーは黒人で、ロス市警の優秀な警官でしたが、同僚の白人女性警官の不正を告訴したら、逆に解雇されたというのです。彼は「人種差別だ」とすっかりキレてしまい、ロス市警の家族ら3人を殺害し、山小屋に逃亡したところを見つかり、銃撃され、最後は警察によって爆死させられた可能性が高いという事件です。

 この間は、ロス市警は黒人と見れば、怪しいと銃撃して、誤射で何人かの黒人が亡くなったといいます。そこで、街では、「僕はクリス・ドーナーではありません。どうか撃たないでください」と大きくプリントしたTシャツが黒人の間で飛ぶように売れたそうです。

 いやあ知りませんでしたね。婿殿はこういう治安の悪い米国が嫌になったことが、日本に来るきっかけになった一つだったようです。「米国では、車のスピード違反が白人だったら、警官は『今度は気を付けなさい』で終わってしまうが、黒人ではそうはいかない。日本は平気で何処でも安全に歩き回れるけど、ロスでは絶えず緊張して外に出なければならない。いつ、何処からか銃弾が飛んで来るか分からず、心が休まらなかった」と打ち明けてくれました。

効くのかしら「補中益気湯」?

 ついに、とうとう私の会社の社員から新型コロナ感染者が出ました。

 私がこの事実を知ったのは、今朝の新聞ですよ。まるで「マスコミ辞令」ですね。知らぬは本人なりけり、です。昨日は社内の部署で一切話題にならなかったので、知っていた人はごく一部だったと思われます。でも、会社が会社なので、灯台下暗しです(苦笑)。

 感染した人は、九州の現場に行って罹ったので労災かもしれません。でも、発症が早すぎるので、東京で罹った可能性もあります。恐らく彼は今、自宅待機か、病院にいるのかもしれませんが、その人の部署は、私と全く同じフロアで、すぐ近くなので、……(そう、この後、何と書けばいいというのでしょうか?)

 とにかく、あまり甘く見ないことにしています。

 昨日16日は、東京での感染者が286人と過去最大を記録しました。国内で622人です。もう第2波がやってきたのか、「夏は落ち着く」と言っていた専門家の予測が間違っていたのか、真実は、後世にならなければ判明しないことでしょう。今の時点で後付け解釈はするべきではないと思っていますが、事実、感染は拡大しています。

 7月16日現在、日本国内での感染確認総数は2万4443人、死者998人となっていますが、米国では1日の感染者が6万人前後と、驚くほど桁違いです。昨日の東京新聞に、6月1日と7月14日の感染者の比較が出てました。それによると、アリゾナ州では6月に感染者が187人だったのが7月は4274人。死者は11人から92人に。テキサス州では感染者が593人から1万0745人、死者が6人から87人に増加。フロリダ州では、感染者667人から9194人、死者が9人から113人と激増したというのです。音信不通になったテキサス州に住む友人の安否が心配です。

 これでは、トランプ大統領の再選は黄信号、いや赤信号が灯りそうです。

 また、我が身を振り返って、「コロナは単なる風邪」と主張する人はいますが、自分として「危ない」と気を引き締めて、細心の注意を払っていきたいと思ってます。従って、まだ、友人たちとの居酒屋談義は再開できていません。残念ですが、周囲に迷惑掛けたくありませんからね。

 もう一つ、一部の医療関係者の間で「コロナに効く」と評判の漢方の「補中益気湯(ほちゅうえっきとう)」をやっと入手できました。都心のドラッグストア(はっきり言ってマツモトキヨシ)では売っていなかったのですが、自宅近くのドラッグストア(はっきり言ってウエルシア)には売っておりました。4378円。サプリメントも効くかどうか分からないし、これも本当に効くかどうか分かりませんが、まあ、気休めにはなるでしょう(笑)。箱の裏の効能には「体力虚弱で元気がなく、…疲労倦怠、病後衰弱、食欲不振」などと書いてあります。そうですね、最近、疲れが取れず、ブログなんか書いているせいで、目、首、肩、腰が痛く、満身創痍で元気がないので、この薬をのめば効果あるのかしら?

 そうそう、効能には最後に「感冒」としっかり書いています。信じる者は救われる?

必要でないのかもしれない=コロナ後を見つめてーマイナンバーカードが怪しい

 昨日、大型書店に行ったところ、会計の際に「袋は有料ですが…」と言われてしまいました。えっ!?です。7月1日からスーパーやコンビニで、レジ袋が有料になるという話は聞いてましたが、本屋さんまで有料ですか…。3冊、締めて5000円以上もの「お買い上げ」でしたのに…。

 でも、考えてみれば、袋なんて必要なかったのかもしれません。欧米の書店なんか、丁寧に包装してくれたり、袋に入れたりしてくれるところは滅多にありませんでした。日本だけがバカ丁寧だったのかもしれません。

 昨日はこのブログで、経路依存性(偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性)のことを書きましたが、考えてみれば、何でも習慣的に必要だと思い込んでいただけで、本来は必要でなかったのかもしれません。

 特にコロナ禍で自粛を余儀なくされたりすると、今まで絶対に必要だと思っていたことは、大して必要ではなく、単なる商業資本主義に洗脳されていただけだったことに気付かされます。

銀座のスペイン料理店

 例えば、こんなことを書けば、アパレル業界やファッション業界や出版業界の人に怒られ、「商売妨害」と訴えられるかもしれませんが、流行などいうものは、業界人が「今年のトレンドは紫」とか「今年はセシルカット(古い!)が流行の兆し」などと、作為的につくるもので、「流行に遅れたら大変だ」と焦る若者には必要かもしれませんが、それ以外の人には全く必要ではありません。(例えが悪くてすみません。コロナ禍で、リモートになり、たまたま、リンカーン大統領も愛用したブルックス・ブラザーズ破綻のニュースを聞いたもので)

 そう言えば、先日、「マイナンバーカード」の更新のお知らせが届きました。5年経過したから、カードは使い物にならなくなるぞ、というのです。更新するには、市役所、区役所の担当窓口に会社を休んで平日に行かなければならないというのです。「マイナンバー」は、会社から半ば強制的に登録させられましたが、カードとなると現在、全国の普及率はわずか16%だというのです。

 私の周囲に聞いても、カードまで申請している人はほとんどいなく、「カードは下請けの下請けに作らせて、中国の子会社で製作したりしているから、個人情報が中国当局に筒抜け。お前みたい奴は、中国に入国できなくなるだろう」なぞと脅す奴までいました。もちろん、その人はマイナンバー登録してもカードまで作っていません。

 今、マイナンバーカードを作れば、「5000円ポイント還元」のキャンペーンをやっているようですが、そこまでやるとは! 実に怪しいですねえ。個人情報を根こそぎ採取して、他人の財産を監視するのにこんな簡単な手段はありませんからね。カードのメリットはパスポートを取る際の本人証明になる、とか書いてますが、そんなもんなくたって、自動車免許証や保険証があれば取れますからね。だから16%しか普及しないんですよ。しかも、「隗より始めよ」であるはずの国家公務員のカード取得率でさえ25%(2019年10月末時点)なんですからね!国家公務員は日本で一番賢い人たちですから、彼らが取得しない、ということは、何か裏があるということなのでしょう。

 マイナンバーカードも必要ないのかもしれません。

ランチ1250円

 経路依存性を突き詰めていくと、本当に、衣食住の最低限と病院と薬局さえあれば、他のものは必要ではないのかもしれません。それだけでなく、これまでの人生経験も教養も今後、何ら役に立たず、必要でないのかもしれません。

 さらには、家族も友人も必要でないのかもしれません。宗教も科学も経済学も必要ではないかもしれません。当然、SNSもブログも必要ないということになります。うーん、いやこの辺で止めておきましょう。このままでは、地獄への恐れも、極楽への願いまでも捨てた「捨聖」の一遍上人になってしまいそうですからね。

 ただ、コロナ禍で自粛を余儀なくされた芸術もスポーツもギャンブルも酒も、本来なければないで済んでしまうものかもしれません。でも、必要ないからこそ、逆に、人々は熱狂したり熱中したり、アイドルに貴重な時間やお金を捧げたりするのでしょう。ーということだけは付け加えておきます。

HSPとは何ぞや?神経過敏症?=そのうち和らぎますよ

ラファエロ WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新聞や雑誌で、医療関係の記事を読んでいると、本当に色んな病名が出てきます。日常のわずかな刺激がきっかけで、顔面に激痛が生じる「三叉(さんさ)神経痛」、加齢により食事でむせたり食べこぼしたり、滑舌が悪くなったりする「オーラルフレイル」…等々。そんな時、「医者はちょっとしたことでも名前を付けることが好きだなあ」と傲慢にも思ってしまいます。

 しかし、病名が付くことによって、患者のモヤモヤが解決することがあります。原因不明の腰痛や腹痛、肩こり、眼痛、手足のしびれに襲われ、検査しても何も分からない時、医者から「それは、フレイルですよ」と言われれば、分かったような分からないような気分ですが、「嗚呼、俺はフレイルなんだ」と病名が分かっただけでも安心します。実際、「もう年なので、治しようがありませんよ」という意味なのかもしれませんけどね(笑)。

 そんな中、最近、「へー」と思ったのが、HSPという病気です。いや、病気や障害ではありません。HSPとは、Highly Sensitive Person(過度に繊細な人)の略でそういう体質、気質の人のことです。精神病理用語ではなく、心理学用語で、1990年代に米国のエレイン・アーロン博士が提唱したもので、人口の20%、つまり5人に1人の割合で見られるといいます。こういう人たちは、生まれつきストレスを処理する「扁桃体」が普通の人より活発で、不安や恐怖を感じ取りやすい性質を持ちます。

 つまり、異様に感受性が鋭く敏感な気質を持った人ということになります。昔言っていた神経質とか神経過敏症に近いかもしれません。

ヤブカンゾウ

 アーロン博士によると、HSPには四つの特性があります。

(1)行動処理の深さ Depth of processing=その場限りの快楽よりも真面目な生き方や哲学的ものに惹かれる、など。

(2)刺激に敏感で疲れやすい Overstimulation=人の些細な態度や言葉に傷つき忘れられない、など。

(3)人の気持ちに振り回されやすく共感しやすい Empathy and emotional responsiveness=人のちょっとした仕草や声音などに敏感で相手の機嫌が分かる、など。

(4)あらゆることに敏感 sensitivity to subtleties=寝る時、時計の音が気になり、強い光が苦手など。

 いやはや、確かにこういう人たちは、単に生きているだけでつらいし、疲れますよね。HSPは病気ではありませんが、こういう気質の人は、鬱病や双極性障害、統合失調症などの精神障害になりやすいと言われます。

 可哀そうですね。と言っても我が身にはね返ってきます。

 特に若い頃の私は、これら四つの特性に全て当てはまりました。(1)→とにかく、誠実に正直に生きたいという願望がありました。(2)→相手を気遣うのですぐ「人疲れ」してしまい、家に帰るとどっと疲れが出てきました。(3)→人の気持ちに作用されやすい。(4)→感受性が鋭く、ゴッホの「アイリス」を見ては感情が高ぶって涙がでてきて、ワグナーの「ニュンルンベルクのマイスタージンガー」を聴いただけで感動でむせび泣いたりしました。あまりにも繊細で感受性が激しいので、「自分の神経はピアノ線より細い!」と絶叫したことがあります。

 こんなんでは、行きつく先は、知れたものです。事実、私もそうなりました。

 でも、加齢のおかげで神経も摩耗し、大分穏やかになりました(笑)。歳を取るのも悪くはないですね。ちょっとしたことがきっかけで、神経が壊れてしまうことが分かったので、落ち込まなくなりました。気にしてもキリがないので、物事に執着しなくなりました。

 何と言っても症状が和らぎ、薬なしで夜、眠ることができるようになったことは、本当に有難いことでした。

 HSPの確率は5人に1人の20%だということは、残りの80%、つまりほとんどの人はHSPではないということになります。人の気持ちに振り回されることはなく、些細な言葉に傷つくこともなく、うるさくてもぐっすり眠られるということでしょうか?羨ましいですねえ。そう言えば、暴露本で叩かれても馬耳東風で、週刊誌に悪口を書かれても全く気にすることなく堂々とメディアに出続ける人も世の中にはいます。神経が図太くみえますが、単に「偏桃体」が正常だということなのでしょう。医学的に割り切れば何でもない話です。

 HSPだからと言っても、特別でも何でもない。歳を取れば、神経も少しは和らぎますよ、と若い人には伝えておきたいと思い、こんなことを書きました。