「友愛がなければ幸福ではない」とはどういうことなのか?=「アリストテレス ニコマコス倫理学」

 昨日の「哲学によって救われたお話=『アリストテレス ニコマコス倫理学』」の続きです。こうして毎日のようにお読み頂いております皆さまには大変感謝申し上げます。

 前回と同じように、NHKのEテレの番組とテキスト「アリストテレス ニコマコス倫理学」によって救われたお話をします。それは番組最終である第4回の「友愛とは何か」です。

 アリストテレスの倫理学では、人生の究極の目的とは、賢慮、勇気、節制、正義などの「徳」を身に着けて幸福を追求することでした。そして、この徳を身に着けるには単独で、自力だけで身に着けることは難しい。「友愛」がその助けになるとアリストテレスは説きます。そして、自分の殻に閉じこもって孤独でいるよりも、「友愛がなければ幸福ではない」とまでアリストテレスは言うのです。

 その友愛こそが、私自身、個人的に、ここ何年も何年も悩み抜いてきたことだったので、この番組を見て、またテキストを読んで、目から鱗が落ちるような感覚でした。悩みが解消したとか、なくなったというわけではありませんが、その悩み=友愛とは何か、といった難問の正体が分かったのです。(以下は、テキストの用語をそのまま使うのではなく、テキストから少し離れた自分独自の解釈や見解も展開しております。)

 アリストテレスによると、友愛には3種類あり、それは①人柄の善さに基づいたもの②快いものに基づいたもの③有用性に基づいたものーだと言います。また、友情ですから、その条件として、相手に善を願ったり、暗黙の了解でもいいですから、お互い認め合う「相互性」がなければなりません。

 この伝でいきますと、あれほど仲良くしていた友人と疎遠になったり、没交渉になったりする理由がよく分かりました。一番分かりやすいのは、③の有用性に基づいたものです。分かりやすく言えば、友人とはいえ、(しょうがなく)打算的に付き合っていたに過ぎなかったということになります。具体的に言えば、仕事関係の友人が挙げられます。何でもいいのですが、仕事上の付き合いで情報交換したり、一緒にお酒を呑んだりしてかなり親密になります。しかし、仕事(や担当)が変わったり、退職したりすれば、疎遠になります。「有用性」がなくなったからです。こちらが幾ら、仕事を離れてもプライベートでも友人だと思っていても、相手が「こいつはもう使い道がない」と思えば、年賀状やメールの返事も敢えてしなくなったりして、交際を絶ち切ります。つまり、理由は、こちらの落ち度とか何か相手に不愉快なことをしたわけではなく、相手が有用性がないから断ち切ったに過ぎなかったのです。こちらが誤解していただけで、最初から打算的な付き合いだったということになります。

 ②の快いものに基づいたものも、同じようなことが言えます。一緒にいて楽しいとか、バンド演奏して楽しいとか、話をしていて面白いといった刹那的な快楽にだけ基づいた友情では長続きしないということです。そのうち、ちょっとした意見の食い違いとか、相手の冷たい態度に接したりすると、もう顔も見たくないという状況になるわけです。友愛とは壊れやすいものなのです。

磐田市香りの博物館

 そこで、アリストテレスは「完全な友愛とは、徳において互いに似ている善き人々同士の友愛である」と述べ、①の人柄の善さに基づいた友愛に最も着目します。人柄はそう簡単には変わらないので、人柄に基づく友愛には持続性がある、とまで言っています。このテキストを執筆し、番組にも出演していた山本芳久東大大学院教授によると、アリストテレスの言う人柄の善い人というのは、単なる「お人好し」ではなく、人間として充実した在り方をし、そのことに「喜び」を抱きつつ日々の生活を送っている人だといいます。そういう人同士が親しい関係を結べば、相手への信頼関係の中で心が開かれ、自ずと楽しい時間を過ごすことができるといいます。

 なるほど。快楽や有用性に基づいた友愛とは全く違うものでした。つまり、相手が困っている時は、「有用性」がなくても、打算抜きで助けてあげるとか、お互いに認め合って、慰め合って、喜びも悲しみも共有することこそが「人柄の善さに基づいた友愛」だと言えるのです。

新富町

 しかし、アリストテレスに言わせると、このような友愛は稀なものだとも言います。何故なら、様々な徳を兼ね備えている人なんてそもそも少なく、そのような友愛を形成するには長い時間と吟味が必要だからだといいます。

 ただ少なくとも、個人的には、何人かの友人が疎遠になった理由が分かったことは大変な収穫になりました。「何でだろう?」「自分は何か悪い事でもしたのだろうか?」などと、これまでその理由が分からず悩んでいたのです。結局、彼らにはそんな複雑な理由があるわけではなく、単に飽きたとか、利用価値がなくなったから、という理由だったのです。

 うーむ、これもなるほどですね。SNSで、実際に会ったこともないのに、「お友だち」なった人が友愛と言えるかといえば、これは真の友愛ではないでしょう。友人の数の多さだけを自慢するための「ネタ」に過ぎないからです。

 アリストテレスの言う「友愛は稀なものだ」という主張もよく分かりました。有難いことに、こんな私でも、いまだに付き合ってくれている何人かの友人がおります。彼ら、彼女らを大切にして、これからも幸福を追求して生きていく所存で御座います。

哲学によって救われたお話=「アリストテレス ニコマコス倫理学」

 NHKのEテレで10月に放送された「100分de 名著」の「アリストテレス ニコマコス倫理学」があまりにも面白かったので、書籍(600円)まで買ってしまいました。

 テレビでは、タレントの伊集院光さんが毎回、落語に登場する与太郎のような役回りで、講師の先生(今回は、山本芳久東大大学院教授)に基本的なことを質問したり、自分の体験談や意見を開陳したりし、それはそれで大変面白かったのでした。

 でも、映像や動画から得る知識と、活字から得る知識とではやはり違いますね。何が違うかと言いますと、脳で処理する部分が違うんじゃないかと思っています。あまり勝手なことを言うと脳科学者から怒られるでしょうけど、映像から得る知識は、話し手の動作や声色などから感情的に処理するような気がします。活字は、活版印刷のように脳に刻み込んで情報を処理する感じです。

東京国際映画祭2023(有楽町)

 まず、テキストを購入するぐらい番組で感激したことは、私自身、倫理学に関して間違って解釈していたことでした。倫理学というのは、「こうするべきだ」とか「こうしなければならない」といった「人の道」を説く学問だと思っていたのです。こちらは、18世紀のプロイセンの哲学者イマヌエル・カント(1724~1804年)が確立した哲学で「義務論的倫理学」と呼ばれます。

 しかし、紀元前4世紀の古代ギリシャのアリストテレス(紀元前384~322年)の倫理学は全然違うのです。「人生の究極の目的とは幸福になることだ」と説いているのです。ただし、幸福になるのには、他人を押しのけたり、人の道に反するなど手段を選ばないことは推奨しません。「人は徳を身につけてこそ初めて幸福を実現することができる」とアリストテレスは説きます。これを「幸福論的倫理学」、もしくは「徳倫理学」と呼ばれます。

 アリストテレスは今から2300年以上昔の人ですから、こちらの方が、本家本元だったんですね(苦笑)。私は、ここ数年、人類学や進化論や宇宙論や量子論などにはまってしまい、「人生とは何か」「人生の意味と目的は何か」などについて哲学的ではなく、科学的に考えていました。その結果、人生には意味も目的もなく、生物学の見地からは、地球46億年、いずれ人類は滅亡し、「生き永らえることだけが目的」だと実に虚無的な結論に達してしまいました。しかしながら、このアリストテレスの哲学に従えば、人生の最終目的とは幸福を追求することだというのです。肩の力がふっと抜けました。毎日が苦悩の連続だったので、「なあんだ、幸せになっていいんだ」と思いました(笑)。

東銀座「トレオン16区」ランチプレート1500円

 ただし、繰り返しになりますが、そのためには徳を積まなければなりません。アリストテレスによると、人間にはこの徳(ギリシャ語で「アレテー」=単越性、力量の意味)は生まれながらにして備わっていないので、後天的に努力して身につけなければならないというのです。その徳はたくさんありますが、アリストテレスは最も重要な徳として四つ挙げています。

 ①賢慮(判断力)

 ②勇気(困難に立ち向かう力)

 ③節制(欲望をコントロールする力)

 ④正義(他者や共同体を重んじる力)

 です。本日はこれぐらいにしておきますが、これだけ読んだだけでは恐らく理解できないと思われますので、原典に当たってみるのが一番かもしれません。全10章ありますが、何冊か翻訳が出ています。これは最初に書くべきでしたが、「ニコマコス倫理学」とはどういう意味なのかと思いましたら、ニコマコスとはアリストテレスの子息のことで、同書は、そのニコマコスがアリストテレスが自ら設立したリュケイオン学園での講義をまとめて編纂したものだといいます。原題は、ギリシャ語で「タ・エーティカ」といい、これは「エトス」(習慣)や「エートス」(性格、人柄)から派生し、「人柄に関わることなど」という意味なのだそうです。つまり、倫理学というのは後付けで、同書では、アリストテレスは単に?人間の習慣によって出来る人柄について述べていることになります。そして、人間のエートス(人柄)は1000年経っても2000年経っても変わらないので、現代でも十分通用して、こうして今でも熱心に読まれているのだと思います。

 次回はこの番組とテキストを読んで救われた「友愛」について触れたいと思います。

今年は電子機器交代の端境期を経験=CDプレーヤー、スマホ、パソコン

 全く個人的な話ではありますが、今年はやけに家電も含み電子機器の交代の年でした。端境期とでも言うんでしょうかね。

 まず、今年9月、MD付CDプレーヤーが壊れてしまったので、新しくCDプレーヤーを買い換えました。MD付CDプレーヤーは、MDを使いたかったので2年前に中古で2万5980円もはたいて買いましたけど、わずか8カ月しか持たず、その後、CDまで壊れてしまい、ソニー製のCDプレーヤーに買い換えたのでした。中古より安い2万2240円でした。しかも軽量です。

 購入して2カ月ぐらい経ちましたけど、快適です。ラヂオの語学講座は、USBで簡単に予約録画できましたし、CDやラヂオが聴けるのは勿論、ブルートゥースを使って、スマホのアプリでエラ・フィッツジェラルドやフランク・シナトラらのジャズボーカルにはまっています。最高です。

 続いて、先週の21日、スマートフォンの機種を交換しました。5年前のiPhoneⅩS(64GB)から新発売のiPhone15pro(256GB)に買い換えたのです。iPhoneⅩSはカバーのケースやガラス代も含めると13万5660円でしたが、iPhone15proは総額21万4540円もしました。付属品が付いていないので、このほかにイヤホンやUSBなどを買えば、22万円を超えることは確実です。

 高い、異様に高い。それなのに、使い勝手が同じで、アプリも同じのせいか、特段に変わったとは思えないのです。特に、4Gから5Gにグレイトアップしましたから、通信速度が速くなるかと思いましたら、それほど変わらない。楽天モバイルのせいか、銀座でも地下に潜ったりすると、相変わらず、通信が使えないのです。また、iPhoneⅩSを中古として下取り売却しようとしましたが、どうやら1万円ぐらいにしかならないようです。本当にガッカリですよ。

 最後は、個人の所有物ではありませんが、本日、会社のパソコンを新品に交換してもらったのです。それまでは中古パソコンでした。私は入社して40年以上も経つ古株ですが、これまで使っていたパソコンは中古ばかりでした。入社以来初めて、やっと新品にありつけました(笑)。

  本日はこれだけで全く「オチ」がないのですが、蛇が脱皮するように、電子機器は定期的に更新するのは仕方ないのかもしれません。それとも、数年で買い換えさせるのはメーカーの戦略なのかなあ。やっぱり、MDを止めたソニーやiPhoneの宣伝戦略がうまいアップルの陰謀なのでしょうか?

華麗なる大学教授南博=第53回諜報研究会と早稲田大学20世紀メディア研究所第170回研究会との合同開催

 10月28日(土)、早稲田大学で開催された第53回諜報研究会に参加して来ました。早稲田大学20世紀メディア研究所(第170回研究会)との合同開催で、社会心理学者として著名な南博・一橋大学名誉教授(1914~2001年)がテーマでしたので、「あれっ?諜報研究なのかなあ…?」と思いつつ参加しました。後で何故、合同開催になったか分かりましたが。

 それは、諜報研究会を主催するインテリジェンス研究所の理事長を務める山本武利早稲田大学・一橋大学名誉教授の恩師が南博一橋大学教授だったからでした。そのため、今回の研究会の講師として登壇しました。でも、山本氏は、近現代史とメディア論が専門の歴史学者のイメージが強く、社会心理学とは程遠い感じがします。その理由も、山本氏の話を聞いて後で分かりました。

 それは、ちょっと書きにくい話ではありますが、山本武利氏が、一橋大学の南博ゼミの大学院生時代に、文芸評論家でもある谷沢永一・関西大学教授がある雑誌で「南博氏には実証的研究に欠ける」といった厳しく批判する論文が掲載されました。それを読んだ山本氏は、「その通りだなあ」と同意してしまったらしいのです。そのことを耳にした南博教授は、山本氏に対して冷ややかな態度を取るようになったといいます。「世界」「中央公論」「朝日新聞」などマスコミに引っ張りだこで大忙しの南教授には編著書が多くありますが、資料集めなどの「下請け」を大学院生に「仕事」として回すことが多かったのですが、それ以来、山本氏には全く声が掛からなくなったといいます。(ただし、山本氏は最後まで南博が設立した社会心理研究所には出入りしていたそうです。)

 そりゃそうでしょう。アカデミズムの世界はよく知りませんけど、親分が白と言えば、子分は、黒でも、へえー白です、と言わなければならない不条理な世界が組織というものです(苦笑)。教授の業績を否定する言説を肯定してしまっては、教授に反旗を翻すようなものです。それ以降、山本氏は、南教授の「正統な弟子」?ではなくなり、社会心理学とは違った独自の道を歩むことになったと思われます。これは、私が勝手に思っているだけではありますが。

 南博氏は、「進歩的文化人」と言われ、マルクス主義者ではありませんが、やや左翼がかった思想の持ち主だったと言われます。しかし、実生活は、お抱え運転手付きの高級車に乗り、多くの人気女優と浮名を流すなど、ブルジョア階級だったようです。それもそのはず、南博氏の御尊父は、赤坂で南胃腸病院を開業する医師で、癌研究会の理事長を務めるなど権威でした。(南胃腸病院はその後、築地のがん研究センターに)南博氏は真珠湾攻撃直前の1941年に米コーネル大学に留学するなどかなり裕福な家庭に育ったと言えます。妻は劇団青年座の女優東恵美子で、2人は「自由結婚」「別居結婚」とマスコミを賑わしました。

 研究会の前半では、鈴木貴宇・東邦大学准教授が「モダニズム研究から日本人論へ:南博と欧米における日本研究の動向」という演題で講演されました。実は、私は南博の著作は1冊も読んだことがないので、よく理解できなかったことを告白しておきます(苦笑)。南博のモダニズム研究や日本人論や社会心理学に関して、国内では、「(社会心理学の)中味がつまらなければつまらないほど」(見田宗介「近代日本の心情の歴史」)とか、「確かに日本人論のレファレンス・ブックを網羅的に列挙したのは申し分ないのだが、取り上げられた日本人論への著者のコメントがあまり見られない」(濱口恵俊による南博著「日本人論」の書評)などといった南博氏に対する批判が紹介されていましたが、同時に海外では南博の著作に影響を受けた米国人研究者が、2000年代初めに次々と日本のモダニズムに関する書籍(Miriam Silverberg “erotic grotesque nonsense” , Barbara Sato ” The new Japanese Woman” , Jordan Sand “House and home in modern Japan”)を出版していることも列挙しておりました。

 そう言えば、マスコミの寵児的学者だった南博教授の直弟子の一人に、後に作家、政治家になる一橋大生の石原慎太郎がおりました。石原氏の実弟は、言わずと知れた大スターの石原裕次郎です。そんな関係で南教授も芸能界に多くの友人知人を持ったのではないかと思われます。これも、私の勝手な想像ですけど。

 以上、勝手な憶測ばかり書いてしまいましたが、これでも書くのが大変で、かなり時間が掛かってしまいました。

世界史的に見ても稀有な超大物スパイ=オーウェン・マシューズ著「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」を読了しました

 「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ第2弾、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房、6270円)をやっと読み終わりました。途中で図書館で予約していた本が2冊も届いたので、途中何度か休止していたので、読了するまで25日間掛かりました(苦笑)。人名索引まで入れれば、540ページ以上ありますから熟読玩味すればそれぐらい掛かるでしょう。

 私は校正の仕事もしておりますので、どうも誤字脱字に関しては、小姑のように指摘したくなります。職業病だと思って、堪忍してください。何カ所かありましたが、特に気になったのは、129ページで「地政学雑誌」編集者の名前が、クルト・フォヴィンケルになっていますが、135ページ以降ではクルト・ヴォヴィンケルになっているのです。「フォ」と「ヴォ」の違いですが、日本語では別人になってしまいます。

 そう言えば、思い出すことがあります。私は映画監督のルキノ・ヴィスコンティが大好きなのですが、彼の代表作に「神々の黄昏」があります。楽聖ワーグナーのパトロンである狂王のバイエルン王の話です。その主人公の名前がタイトルになっていますが、当初は「ルードウィッヒ」でしたが、そのうち訂正されて「ルートヴィヒ」となりました。ドイツ語の Ludwigをどう発音するかですが、当初は英語読みしていたのかもしれません。やはり、現地語読みが正しいはずです。日本の映画配給会社にドイツ語が堪能な方は少ないかもしれませんが、頑張ってほしいものです。

 私は学生時代にフランス語を専攻した「仏語屋」なので、本書で335ページで気になる箇所がありました。ヴーケリッチが東京で勤務した通信社アヴァスがありますが、ここでは「ハヴァス」と誤記されているのです。アヴァス通信社は現在のAFP通信社に引き継がれた近代通信社では世界最古(1834年創業)と言われ、ここから英国のロイター通信(1851年創業)などが独立しています。アヴァス通信の創業者はCharles-Louis Havas で、フランス語のH(アッシュ)は発音しないので、Havasは「ハヴァス」ではなく、「アヴァス」と発音します。

 やはり、小姑のように細かくて失礼しました。

 内容については、英国人の父とロシア人の母を持つオックスフォード出身の英国人ジャーナリストが書いた現在手に入るゾルゲ伝の最高の出来と言えそうですが、日本人の研究者から見ると少し物足りない感も無きにしも非ずです。ロシアの公文書館での資料分析はなかなか日本人は出来ませんが、最近の日本では、みすず書房の「現代史資料 ゾルゲ事件」全4巻(小尾俊人編集)の「定番」に加え、思想検事・大田耐造が遺した「ゾルゲ事件史料集成」全10巻(不二出版)なども公開されるようになり、事件に関する「新発見」も表れているからです。

 ゾル事件に関して、日本人は、やはり、満洲やノモンハン事件、対ソ戦戦略、対米戦争について一番関心がありますが、欧州のジャーナリストの手になると、当然のことながら「独ソ戦争」の話に重点が置かれている感じがしました。これは、ヒトラー率いるナチス・ドイツが、独ソ不可侵条約を締結しているにもかかわらず、「バルバロッサ作戦」と極秘に計画されたソ連侵攻(41年6月22日)ですが、オット駐日ドイツ大使に深く食い込んだ「ジャーナリスト」ゾルゲが見事にスクープするのです。もっとも疑心暗鬼の塊の「粛清王」スターリンからは信用されませんでしたけど。

 でも、この独ソ戦争は、世界史的に見れば特筆に値するほど壮絶で悲惨な戦争でした。何しろ、ドイツ軍の戦死者は約350万人、ソ連軍約2700万人で合わせて約3000万人もの死者を出しています。特にソ連の戦死者は人口の約16%。ロシア人が「大祖国戦争」と呼ぶのも無理もありません。

 この独ソ戦の最中に、大日本帝国軍が北進してシベリアに攻め込んだりしたら、歴史にイフはありませんが、恐らくソ連は崩壊していたことでしょう。それほど、日本軍が「北進するか南進するか」はソ連赤軍第4部のスパイ・ゾルゲにとって最大の関心事でした。これも、近衛内閣嘱託で政権の中枢にいた元朝日新聞上海特派員の尾崎秀実によって「南進情報」が齎され、ソ連軍にとってドイツ戦だけに集中できる多大な貢献をしたわけです。

 ゾルゲは確かに、ソ連赤軍第4部の情報将校ではありましたが、ドイツ新聞「フランクフルター・ツァイトゥング」等の契約特派員とナチス党員を隠れ蓑に、ドイツ大使館に「特別席」が用意されるほど食い込みました。この本を読むと、ナチス親衛隊上級大将だったシェレンベルクやドイツ国家秘密警察ゲシュタポのマイジンガー大佐らはスパイではないかという疑いつつも、ゾルゲをドイツ大使館から追い出すことなく、銀座での飲み仲間になったりしています。さらには、何なのか具体的には書かれていませんでしたが、ゾルゲはソ連や日本の機密情報をシェレンベルクらに伝えたりしています。

 となると、ゾルゲはソ連のスパイではありますが、本人が好むと好まざるとにかかわらず、結果的にはドイツと日本を含めた三重スパイだったと私は思いました。何故なら、私も経験がありますが、ジャーナリストとして相手に取材する際、どうしても相手が話したがらない情報を聞き出したい時は、こちらが持っている極秘の情報を小出しにして教えて引き出すことが取材の要諦でもあるからです。だから、国際諜報団の一員であるヴーケリッチも尾崎秀実も宮城与徳らにも同じようなことが言えます。

 著者は最後に「ゾルゲは欠点だらけの人物だが、勇敢で聡明で、執拗なまでに非の打ち所なきスパイであった」と結論付けています。私もこの見解に賛同するからこそ、「三重スパイ説」は、疑いないと思っています。それが彼を貶めることはなく、世界史的に見ても稀有な、今後も出現することはない超大物スパイだったという威信は汚れないと思っています。

楽天モバイルは安いがサービスが悪い=スマホ機種変更奮闘記

 長年愛用していたスマートフォン(アップルのiPhoneⅩ)が最近、電池持ちが悪くなり、スイッチを入れても立ち上がりがかなり遅くなったことから、最新機種iPhone15に替えることにしました。「もう5年も使ったから、ま、い、か」てな感じでした。

 最新機種は、「ーPro」とか「ーplus」とか色んな種類があるので、どれにしたらいいか迷ってしまいます。そこで最初に銀座のアップルショップに行って、「カタログありますか?」と聞いてみました。そしたら、そんなもんない。全て、ネットにアップされています、と店員さんは「そんなことも知らんのかあ~」と勝ち誇ったような表情でした。

 これが躓きの第一弾

 色々と迷った末、iPhone15proにすることにしました。5Gの256GBで、20万5800円です!かなり高額ですが、私は、月給14万円の超貧困層ですから、金に糸目はつけません(笑)。それでも、ネットの写真だけでは色とか重さとか分からないので、実物を見たいので、自宅近くの楽天ショップに行ってみました。数年前にauから楽天に変更しましたが、その理由は、通信費が格段に安いからでした。auは毎月1万円近く通信費を支払っていましたが、楽天に替えたら、2000円ちょっとで済んでしまうので段違いです(ただし20GBまで)。

 ここで、iPhone15proのブラックにすることに決めましたが、このショップでは在庫がないので、ネットで申し込むことになりました。その場で、自分のスマホで操作して申し込むのです。「なあんだ」これなら自宅でも出来る話です。ショップでは、前の機種に入っている住所録や写真などの「データ転送」の問題を解決したかったので、その方法を伝授してもらおうかと思っていたので聞いたら、「マニュアルがあるからそれを参照してください」とのこと。ただし、楽天サービス月額330円に入ってもらい、すぐ解約して、日割り計算で、1日18円分を払ってもらえれば、そのマニュアルを渡す、というのです。勿論従いましたが、随分不親切だなあ、と感じました。というのも、向こうは楽天の光通信だの楽天WIFIなどを契約させたがって、家で何を使っているのか、そんな質問ばかりしてきたからです。また、購入時のみ入れるアップル補償も月額1740円と聞き、あまりにもの高さに加入するのをやめました。GAFAアップル、儲け過ぎですよ!

 製品はわずか2日で自宅に届きました。肝心要の「データ転送」は意外とスムーズに出来ました。住所録も写真もバッチリです。しかし、アプリは初期化された状態なものもあり、後から、IDやパスワードが何だったのか忘れていて、相当苦労しました。特に、杉田敏先生の「現代ビジネス英語」の音声をアプリにダウンロードしていましたが、全部消えていました。仕方がないので、もう一度、やり直してみましたが、うまくいきません。結局、このアプリを削除して、もう一度、イチからアプリをダウンロードしたら、「復元」のサインが出て来たので、それでやっと回復することが出来ました。早く言ってよお。

 そして、何よりも、新製品は通話も通信も出来ません。データ転送の際は、自宅にあるポケットWi-Fiにつないで成功しましたが、ショップでは何も教えてくれませんでした。SIMカードを入れ替えればつながるとは思いましたが、店員は、セールストークばかりして、肝心なことを教えず、不親切ですよね?

 そこで、昨日の昼休み、銀座の楽天ショップに行って来ました。SIMカードの交換だけでは悪いので、スマホ画面の除菌・抗菌ガラスコーディング(4400円)をやってもらえば、サービスとしてSIM交換してくれると思ったからです。そしたら、30代ぐらいの男性店員は「コ―ディングする人は今いない」と言うじゃありませんか。それじゃ、タダでSIM交換してもらうのも悪いと思い、やり方を聞いてみました。その答えは、特殊のハリがあるのでそれを買って、穴に差し込んで、蓋を開けて、古い機種から取り出したカードは、新機種にも同じ方向で同じ向きに入れることを教えてもらいました。

 かなり不親切でぶっきらぼうな説明でした。つまり、「自分で勝手にやれ」というオーラを発していたのです。

 それで、会社に戻って、SIMカードを言われた通り、旧機種と同じ方向、同じ向きに入れようとしましたが、窮屈でなかなか入りません。少し無理してやっと差し込むことが出来ましたが、全然、通信が出来ませんでした。「困ったなあ」。悪戦苦闘して何度も試した挙句、やっと、同じ向きではなく旧機種とは反対、つまり、新機種にはカードを裏返しにして差し込まなければならなかったのです。これで、やっと「開通」しました。

 これで分かったことは、若いショップ店員はやり方を全く知らなかったということになります。バイトか、転職で来たばかりなのか知りませんが、知識ゼロです。「私は売るだけで、やり方を知りません」と正直に話せば良いものを、不親切極まりないですねえ。

新富町「中むら」天麩羅定食1100円

 楽天モバイルは1000億円という大幅な赤字を抱えているとかいう記事を読んでいたので、少しは応援してやろうと思い、ショップで、ケースやガラスシールカバーを買ってやろうと思ったら、店員は「iPhone15の最新機種のものは置いてません」と言い放つ始末。やる気あんのかなあ?

 仕方ないので、有楽町のビックカメラで、ケース(2980円)とカバーガラス(2980円)を買いました。そうそう、iPhone15には、電源アダプター(2780円)が付いていないというので、ショップで買いましたから、それを合わせれば、全部で幾らになりましたかね? 随分高い買い物をしてしまいました。

 三木谷社長はこのブログを読むことはないでしょうが、ここまで読んで頂いた読者の皆さんも同感してもらえると思いますが、「楽天モバイルは安いがサービスが悪い」という結論に達しました。プラチナバンド獲得に成功したとは言っても、まず、その前に顧客に直に接する社員教育から始めたらどうですか? 知識がないなら正直に言ってもらいたい。私もSIMカードを無理やりに入れて、もう少しで壊してしまいそうでしたよ、三木谷さん。

浦高「古河競歩大会」に触発されて歩こう、歩こう

 ちょっとローカルな話ではありますが、進学校として知られる埼玉県立浦和高校(若田光一、タケカワユキヒデ、愛川欣也、半藤一利さんらの出身校)に「古河競歩大会」というのがあります。今年は11月5日(日)に開催され、65回目という伝統があります。

 古河は「ふるかわ」ではなく、「こが」と読みます。茨城県古河市です。室町時代から戦国時代にかけて、関東足利氏の拠点となる古河公方(こがくぼう)が置かれ、江戸時代は、大老土井利勝らを輩出した譜代の古河藩がありました。今でも静かな城下町として大変な趣があり、私も、渡辺崋山が肖像画(国宝)を描いたりして有名な古河藩家老の鷹見泉石(大塩平八郎の乱を平定した)の足跡を辿りたくなって、古河市を訪れたことがありました。

 浦高の「古河競歩大会」は、埼玉県の浦和からこの茨城県古河市まで競歩する伝統的大会ですが、私はJR宇都宮線で行って、その距離感覚が分かっているので、ぎょっとしました。何しろ、浦和~古河間は50.2キロもあるのです。高校生といえども、あり得ない!速足でも約7時間かかるそうです。

 たまたま、会社に浦髙出身の同僚がおりましたので、彼に聞いてみました。「古河競歩大会? ええ、ええ、ありました、ありました」と言うではありませんか。彼にとっては、もう40年以上昔の話なので、毎年高校3年間、参加したか、2年生の時1回だけ参加したか、そして、50キロを完走したかどうかも、忘れてしまったそうですが、それほど苛酷ではなかったそうです。

 彼によりますと、競歩は全速力で走ってもよし、途中でダラダラと友達としゃべりながら歩いてもよし、だそうです。ただし、時間制限があり、一定の時間になると、茨城県古河市の手前の埼玉県久喜市の栗橋でストップを掛けられ、完走できなかった生徒はここからバスで戻るシステムになっているそうです。彼は「今も大して変わらないと思いますよ」と振り返っていました。

 まさに文武両道ですね。浦高は、県大会レベルですが、野球もサッカーも進学校にしてはまあまあの成績を残しています。

 ところで、平和な江戸時代になって、庶民の間で「お伊勢参り」など旅行ブームになったそうです。細かいことは省きますが、当時は、駕籠なんか乗れば高くつきますから、専ら歩きです。しかも、1日40キロも歩くと聞いて、驚いてしまいました。昔ですから草鞋です。あんな藁の靴で良く長距離を歩き切ったものだと感心しました。

 そうか、私も歩こう。先日読んだアンデシュ・ハンセン著「運動脳」(サンマーク出版)によると、歩くだけでも、精神的抑圧がかなり緩和されるといったことが書かれていました。最近の私は、どうも、夏目漱石の「それから」の主人公代助が悩まされていた「アンニュイ」(仏語で、倦怠感、物憂いなどの意味)の束縛から離れらず困っていたので、ちょうど良いかもしれません。

 歩いて、アンニュイを吹き飛ばそう。

世界的な経営者が験担ぎ好きの苦労人だったとは=永守重信著「運をつかむ」

 どういうわけか、この《渓流斎日乗》が最近、幾何学級数的に随分とアクセス数が増えまして、驚きを禁じ得ません。勿論、わざわざ、アクセスして頂いている皆々様方のお蔭ではありますが、私自身は、筆名を改名したからではないかと睨んでいます。何故なら、今年7月、筆名を「高田謹之祐」と改名した途端、急にアクセス数が増加したからです(笑)。

 これは、改名を勧めて頂いた運勢鑑定師の古澤鳳悦師の全面的なお蔭ではありますが、実は、私自身はこのように目に見えないものを信じたり、験を担いだりすることが案外好きなのです(笑)。(別に、いかがわしい宗教にのめり込んで多額の財産をお布施したりはしません。目に見えないものを信じている、といっても軽い気持ちであることはお断りしておきます。)

 さて、最初から「験を担ぐ」話から始めたのは、先ほど、永守重信著「運をつかむ」(幻冬舎新書)を読み終えたばかりだったからです。永守氏は、今や売上高1兆円超、従業員11万人も抱える世界一の総合モーターメーカー日本電産(現ニデック)を築き上げた誰もが知る有名な経営者です。私は、皆さんと同じように、直接、永守氏とお会いしたことはなく、メディアを通してでの独断的印象ですが、大胆不敵で怖いもの知らず、絶えず部下を叱責して信長のようなおっかねえ(恐ろしい)人物であると勝手に思っておりました(失礼!)。 

 でも、この本を読むと、そんな印象が変わりました。絶えず部下を叱責することは合っていましたけど(ただし、信長とは違い、叱った後、必ずフォローして社員が辞めないように配慮しています)、大胆不敵で怖いもの知らず、は間違っていました。永守氏は、自分自身は大変な小心者で臆病で、子どもの時からかなりの心配性だったと告白しているのです。でも、その方が経営者に向いている、と付け加えていますが。

 そして、何よりも、永守氏はやたらと「験を担ぐ人」だということが分かりました。創業7年目に会社倒産の危機に陥った時、「その人のお告げは当たる」と評判の京都・八瀬の九頭竜大社の教祖に半信半疑で会いに行き、「あなたの運命は次の節分で変わる。それまで何とか持ちこたえなさい」というお告げを信じて、金策に奔走しながら必死の営業努力を続けました。そして迎えた節分の日、米IBM社から大量の精密小型モーターの注文が飛び込んできたというのです。他にも教祖さんのお告げが当たることがあり、永守氏はすっかり信じて、毎月の九頭竜大社のお参りは欠かさないといいます。

 この他、永守氏は、1944年生まれの「二黒土星」で、ラッキーカラーは緑であることから、ネクタイは全てグリーンに統一して、実に2000本も揃えているといいいますから、その「験担ぎ」ぶりは徹底しています。

 また、永守氏は挫折知らずで、連戦連勝で個人零細企業を世界的な大企業に急成長させたエリートの敏腕経営者だと思っていました。しかし、実は貧しい農家出身で、辛うじて奨学金を得て教育を受けることが出来、血みどろの努力を積み重ねた結果であることが分かりました。それに、連戦連勝ではなく、失敗や挫折は数知れず、100億円もの損失を計上したこともあったといいます。それだけに、「8勝7敗の勝ち越しで行ければ、上等だと思え」と書いています。

 この本は運命について書かれていますから、例えば、

 ・偶然の運にかけるような人生は、まっとうな人生として確立されることはない。宝くじで大金が当たった人は、それによってかえって不幸になるケースも多いそうだ。

 ・「人との縁」はすなわり「運」と言っても良い。新しい仕事も幸せな出会いも、皆、縁が運んでくれる。人の縁に恵まれている人は、運にも恵まれるものだ。

 ・ただ縁があるだけでは駄目だ。この人なら信頼できるとか、この人のために何とかしようといったことを思わせるものがその人に備わっていなくてはいい縁にならない。

 ・縁には一期一会のものも沢山あるが、出来ればずっと続くいい縁にした方がいい。運は縁によって運ばれるものであるから、人から好かれることはとても大事である。

 …といった箴言が並びます。

 嗚呼、残念。私はもう「終わった人」なので、この本を高校生ぐらいの時に読んでいたら、その後の人生、全く変わっていただろうなあ、と思いましたよ。

日本人が知らない覆面篤志家、逝く=チャールズ・フランシス・フィーニー氏92歳

 チャールズ・フランシス・フィーニーさん。日本人のほとんど誰も知らない米国人の実業家です。免税店「DFS」を共同創業し、まさに巨万の富を築いた人ですが、その全財産に等しい80億ドル(約1兆2000億円)もの大金を自ら設立した慈善団体や病院、大学などに生前に、しかも匿名で寄付した人でした。 

 10月9日に92歳でサンフランシスコの自宅で亡くなりました。それは2部屋しかないアパートで、しかも賃貸住宅でした。若き頃は贅沢三昧で、50代の時には、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ホノルルなどに7軒もの豪邸を所有していました。60代で最初の妻と離婚した際、7軒の豪邸全てをこのフランス系の前妻に与えたといいます。

 かつては、豪華なパーティーに参加し、リムジンやヨットを乗り回していましたが、そのうち、そんな生活が嫌になり疑問さえ持つようになりました。やがて、ヨットやリムジンも売り払い、バスや電車を利用し、飛行機もエコノミークラスです。高級レストラン通いもやめました。しかも、成功した大金持ちの象徴とも言うべき腕時計は、わずか13ドル(約2000円)の日本のカシオ製だったといいます。えっ!?です。それだけの財産があれば、1億円のパテック・フィリップぐらい簡単に買えるのに…。

 その間、匿名で大学や病院(米国だけでなく、アイルランドやベトナムなどにも)に寄付を続けていましたが、1997年に免税店「DFS」の持ち株をルイ・ヴィトンーモエーヘネシーに売却した際に、彼の名前が表に出ることになりました。この時得た利益16億ドルはフィーニー氏の懐に入ったわけではなく、そのままバーミューダーに設立していた慈善団体に寄付されました。

 寄付は、あくまでも「生前」に拘り、老後の生活資金や遺産などのために200万ドル(約3億円)だけ残して、全財産を寄付してしまいました。

東京・中央区役所

 この記事は、10月9日付ニューヨークタイムズ電子版などを参照しながら書いていますが、NYTには、何が彼をそうさせたのか、については詳しく書かれていません。ただ、それとなく暗示することは書かれています。

 チャールズ・フランシス・フィーニー氏は1931年4月23日、米東部ニュージャージー州エリザベス市で、熱心なカトリック教徒であるアイランド系米国人の両親のもとで生まれました。父は保険外務員、母は看護師で、典型的な労働者階級で大学に進学できる余裕もなかったので、1948年に高校卒業後は空軍に志願し、主に、占領地日本で4年間過ごしたといいます。

 米国に帰国後、軍歴があったため奨学金を得てコーネル大学で学ぶことが出来、56年に卒業後、バルセロナに渡り、そこで大学時代の友人ロバート・ミラーと偶然、再会します。この時、2人で高級化粧品や高級酒など販売する免税店を思いつき、起業したといいます。その後、大成功したことは言うまでもありません。

 超富裕層になった彼が、ほぼ全財産を手離すことに躊躇しなかったのは、やはり貧しい労働者階級ながら信仰深く、質素で誠実な両親の下で育ったからだと思われます。「金持ちになると、ニュージャージー時代の友人と対等に気軽に付き合えないから」とフィーニー氏は振り返ったりしています。5人の子宝に恵まれましたが、5人とも父親の莫大な遺産を期待するようなハシタナイ人間ではなく、派手な生活を好まない人間に育ったことも幸いしました。

東京・新富町駅 ???本文と写真合ってないじゃないですか!

 しかも、寄付が匿名というのが、「陰徳」そのものです。「名前が出ると、付きまとわられるから」というのが匿名にした理由だそうですが、大抵、寄付をする富裕層は、寄付した建物やホールなどに自分の名前を付けて自己アピールしたがるものです。やたらと宇宙に行きたがる大金持ちもいます。誰、とは言いませんけど沢山いますねえ(笑)。そんな人たちと比べると、「覆面篤志家」フィーニー氏の行為と質素な生活は立派という他ありません。何と言っても、2000円の腕時計で満足してしまうなんて、考えられませんよ。

 私なんか、ジョン・レノンも愛用した2000万円のパテック・フィリップの腕時計が欲しくてたまらなかったので、まだまだ修行が足りませんねえ。コリャダミダ

18年ぶりのニューアルバム=ローリング・ストーンズ「ハックニー・ダイアモンズ 」

 むふふふふ、本日10月20日、世界同時発売のローリング・ストーンズの18年ぶりのニューアルバム「ハックニー・ダイアモンズ 」(ユニバーサルミュージック)が店頭に並ぶということで、昼休みに東京・銀座の山野楽器に買いに走りました。

 結構、列をつくって並んでいるかと思いましたら、ほぼガラガラ。今どき、CDを買うような奇特な人がいるわけありませんよね? 特に最近の若者は、ネット配信とか、サブスクとか言って、フィジカルなレコードやCDは買わなくなったようです。CDも紙の本と同じような運命を辿ってしまったわけです。

 それが証拠に、明治25年(1892年)創業の天下の老舗の山野楽器の銀座4丁目のビルは、今や1階から3階まで、携帯電話のauショップに占拠(実はテナントとして貸していることでしょう)されてしまって、山野楽器本体のCDや楽器、楽譜などの売り場は大幅に縮小されてしまいました。

 そして、本日驚いたことに、私はこの山野楽器の長年の顧客ですから、会計でポイントカードを出したら、「もうポイントカードは廃止されました」と言うではありませんか。つまり、もうポイントカードを作って、サービスとして顧客に還元できるほど売上高がないし、余裕がなくなったということを意味するのでしょう。

 嗚呼~、溜息が出ます。

 実は、ローリング・ストーンズのニューアルバムに関しても、ちょっと無理して買ったことを告白しなければいけません。正直に言えば、もう五月蠅いロックを聴くような年ではなくなったし、年配になれば、ムーディーなジャズ・ヴォーカルやボサノヴァやシャンソンの方が遥かに落ち着いて聴けるからです。

 でも、ローリング・ストーンズは私が小学生の頃から60年間も聴き続けて来たアーティストです。それに、ミック・ジャガーは80歳になるというのに、いまだに現役で頑張っているじゃありませんか!!今の若者言葉では「推し」というらしいですが、応援したくなります。18年ぶりということで、前回のアルバム「ア・ビガー・バン」は2005年発売。ちょうど、この《渓流斎日乗》を開始した同じ年ですから奇遇を感じた次第です。

東銀座「ふらいぱん」生姜焼き定食・コーヒー付きで1100円

 CDを買った後、ランチに入った東銀座の洋食レストラン「ふらいぱん」では、BGMに何とも懐かしい1970年代のロックが流れていました。イーグルスやドゥービーブラザースやブロンディ、ボズ・スッキャグスなどです。笑顔が素敵なお店の若い店員さんは生まれる前の曲です。

 最近は、五月蠅いロックはとても聴く気になれなかったのですが、こうして耳に入ってくると懐かしくてしょうがなく、何となく若い時の自分に戻ったような感じで、気持ちも若返りました。

 これは音楽の力ですね。これから、仕事が終わって帰宅して、部屋でじっくりストーンズのニューアルバムを聴いて、また若返ることにしますか(笑)。