ゆとり教育の責任者出て来い!

公開日時: 2008年6月7日

昨晩は、調布先生の呼びかけで、天下の東京大学の学食に14人ほどのツワモノが集まりました。著名作家、敏腕編集者、有名大学教授、経済評論家、大手マスコミ研究員…とそれぞれ一家言の持ち主ばかりで、自分達の言いたいことを銘々勝手にしゃべっていますから、ワイワイガヤガヤ全く収拾がつきませんでした。まさに梁山泊の様相を呈しておりました。二人ばかし、声が異様にデカイ輩がいたので、周囲に迷惑だったことでしょう(笑)。

 

調布先生が呼びかければ、こうして、皆が都合を付けてパッと集まってくるところがすごいところです。でも、当の調布先生はちょっと体調を崩されて、普段の元気がなかったのが心配でした。

 

学食から本郷三丁目の某居酒屋に河岸を変えました。そこで、随分興味深い話を聞きました。

 

まず、今年4月から「ゆとり教育」で育った学生が大学に入ってきたという話です。私は、ゆとり教育の実体については、それほど詳しく知らないのですが、象徴的なのが、円周率を3・14ではなく、わずか「3」として計算するように教育された世代だということです。円周率を「3・1」でもなく、大まかに「ゆとり」で「3」にしてしまうところがすごいところです。恐らく、というか間違いなく、彼らは、小数点どころか、分数も不得手でしょう。これら、以前だったら小学生レベルでマスターしなければならなかった学識を、今、大学で教えるように任せられていると聞いたものですから、驚いてしまったわけです。

 

これら、「ゆとり教育」を最前線に立って推進実行したのが、文部科学省の高級官僚だった寺脇研という人物で、今は、映画評論家と称して盛んにテレビのワイドショーに出てくるらしく、ゆとり教育についても「当時の時代の要請に従っただけ」と開き直っているということですから、呆れてしまいました。

 

今、本や雑誌が売れないという話も聞きました。特に、出版社のドル箱だった漫画やファッション雑誌が売れなくなったということです。以前は年間6万点の本が出版されていましたが、今は8万点も出版されているそうです。点数が増えたということは、それだけ、部数が低迷したので点数でカバーせざるを得なくなったということです。

 

フリーペーパーや無料誌の出現の影響もあるかもしれません。ファッション雑誌も「CanCan」の一人勝ちでその他はもうそれほど売れていないとか。漫画は「少年ジャンプ」が以前は600万部という驚異的な売り上げを誇っていましたが、今はもう100万部を切るそうです。小学館や集英社など大手出版社でさえ、昨年度は赤字決算だったというのです。

 

うーん、大変な時代というか、変革の時代ですね。

 

要するに、若い「ゆとり教育」世代が漫画を読まなくなったということです。では、彼らは何をしているのかー。やはり、携帯に嵌っているらしいのです。ゲームやアニメなど様々なコンテンツがありますが、どんどん進化しているそうです。ストーリー動画も、映画なら遠景からパンしてアップするという芸術的パターンを敢行できますが、携帯の画面は小さいので、アップにしないとよく見えないし、分からない。ということで、顔も大きく、字幕も短く大きいコンテンツばかりできるというのです。

 

普段、一人で引きこもっているので、偶に人に会うと、色んな話を聞けるので、刺激になります。

続きはまた次の機会に。

レコーディング・ダイエット

公開日時: 2008年6月6日 @ 09:28

 

「もうデブと呼ぶなよ」とか何とか言うキャッチコピーでベストセラーになっている評論家のダイエット本がありますが、実際、試して成功した人間が身近にいたので驚いてしまいました。

 

「レコーディング・ダイエット」とか呼ばれる減量法で、自分の食べた物をすべて記録してカロリー・コントロールするというものです。

 

身近の人間とは、私の同僚のことで、普段は無口で、誰とも話したがらないオタクみたいな奴なのですが、何を血迷ったのか、ウキウキして話が止まらないのです。

彼によると、半年で、何と、10キロも減量に成功したというのです。体重が67キロから57キロになったとか。胴周りも、85センチから72センチと、13センチも減少したんだそうです!

彼は身長170センチぐらいでしょうか。彼ぐらいの身長だと、一日、1500キロカロリーが目安だそうで、彼は、毎日、三食小まめに食べた食事のカロリーを記録して、制限をオーバーしそうだと、控えることにし、自ずと間食のケーキやおやつも控えるようになったせいか、件の成功に導いたということです。

でも、10キロも減量したとは、周囲の者は誰も気がつきませんでした。そんな、おじさんの風体など、本人以外、誰も気にも留めていないということなのかもしれません(笑)

そうです。本人以外、あなたのことなんか、誰も気にしていないんですよ。(きつい皮肉でした)

呆れた「居酒屋タクシー」

 

 

 

「居酒屋タクシー」の報道には、やはり唖然としてましたね。

 

民主党の長妻昭代議士が全省庁にタクシー利用状況を調査した結果、財務省では、383人の職員が運転手からビールや金券、現金等のサーヴィスを受けていたというのです。冷蔵庫も完備しているタクシーもあるそうで、呆れてしまいます。

 

中には、約5年間、累計約150万円の金券や現金を受け取っていた主計局の30代の係長もいたとか。運転手は彼のことを「将来の事務次官」と見立てたのでしょうかねえ?

 

今年、タクシーは10年ぶりに値上げして、売り上げが大幅に落ちているそうですが、それだけに高級官僚は大切な上客なんでしょうね。

それにしても、運転手さんも客を選んでいますなあ。私も月に三回は深夜タクシーを利用し、1万5千円もかかる遠距離という大変な魅力のあるお客さんなのに、一度も「ご接待」に預かったことはありませんなあ(笑)。「お上」と民間人の違いでしょうか。

しかし、これは限りなく汚職(贈収賄罪)に近いのではないでしょうか。そもそもタクシー代だって、国民の血税から賄われているのです。(財務官僚は、2006年度は約4億8千万円も散財したとか)当事者であるタクシーの運転手の中には「もう20年以上前からやっているのに、何で今頃になって騒ぐの?」という人もいるので、確信犯なのでしょう。

「いつも文句を言うのは贈賄される立場にいない人間」という名文句があり、確かに現実はその通りではありますが、やっぱり庶民は腹が立ちますなあ。

オバマ氏が民主党大統領候補になりましたが

 

民主党大統領候補に、小沢氏が、いや違いました…小浜氏が、あ、また間違いました。オバマ氏が確定しましたね。

あ? わざとらしかったですか?

それだけ、アメリカの大統領は、政治経済、外交、軍事問題に至るまで、日本に多大な影響を深く及ぼすということです。

 

しかし、どうも、オバマ氏の場合、日本にとって、未知数のゾーンが多いようですね。上院議員は1期しか務めていないので、日本人の政治家と親しい人は一人もいないらしく、もちろん、オバマ氏は1度も日本に来たことはないし、日本に関する知識もほとんどないのかもしれません。もっと言えば、関心も薄いのかもしれません。アジアでは母親の再婚相手がいて自らも少年時代に過したインドネシアの方が日本より関心があるのかもしれません。

そもそも、オバマ氏は、今回の選挙キャンペーンで、”change” (変革)と  “We can do it”(自分たちならできる)という2語だけは絶叫しておりましたが、具体的な政策については、言明しておらず、未知数の部分が多いんですよね。ブッシュ大統領がrogue country (ならずもの国家)と揶揄した「北朝鮮」や「イラン」の指導者たちに、大統領になったら直ちに会う、と発言して、物議を醸しだしましたが、彼が何を「変革」したいのかよく分かりません。

アメリカ大統領といえば、真っ先に思うのは、「核のボタン」を預けられるということです。「世界警察」の長として、平和の鍵を一手に握るということです。

霞ヶ関の高級役人の皆さんの中には「オバマ氏が大統領になったら、誰を国防長官、国務大臣…に任命するのかさっぱり分からない。むしろ、日本びいきの共和党のマケイン氏に大統領になってもらった方が、日本の国益とっていいのではないか」と言う人もおりました。

私の個人的意見としては、誰が大統領になっても、早く、サブプライムローン問題を解決してもらって、世界経済を安定してもらいたいですね。京都議定書に不参加の米国ですから、今後の環境問題にどう取り組むのか、明確な指針も示してほしいです。

71歳のマケイン氏に対して、オバマ氏は46歳なんですね。でも、ケネディが大統領になったのは、確か43歳ですから、そんなに若いともいえません。とかく激務ですから、体力と気力が重要です。

今のところ敗北を認めないヒラリーさんは副大統領候補になるのでしょうか?

 

11月の本選まで、目が離せませんが、本当に長い選挙ですね。お金が掛かるはずです。一説では、ヒラリーさんは30億円以上の借金を抱えてしまったそうです。

こういう報道は尻切れトンボで、それ以上の詳細に触れられていないのですが、じゃあ、大統領になれば、それぐらいの借金は返せるということでしょうか?よく分かりません。すごい世界です。

やたらとイタリア料理店が多い所…

 

 

 

書くことがないので、単なる個人的な絵日記になってしまいそうです。

最近、お昼は、東銀座の1丁目か2丁目辺りで取ることが多いです。

あるグルメの方から、おいしいお蕎麦屋さんを紹介されて行ってみたら、近辺に結構人が並んでいるイタリア料理店があり、空いた頃に入ってみたら、昼間からワインをサービスを出してくれて、値段もそこそこでした。

え?どこかって?

教えたら怒られてしまうかもしれませんが、お蕎麦屋さんは「Y」という店です。通りを1本入った狭い路地に風格のある木造の建物があり、店構えが昭和三十年代風で趣きがあります。店内は本当に狭く、カウンターと座席で、数えたら18人しか入れませんでした。

私は「地獄」という蕎麦を注文しました。これは何なんでしょうか。ほうれん草と生卵が乗った蕎麦。何で地獄なのか分かりません。味は飛びぬけて天にまで上る感じとまではいきませんでしたが、麺とダシは他店にないコクと深みがありました。950円。この店を出て、近くに立ち食い蕎麦屋があり、卵ソバ320円とありました。

この辺りにはやたらとイタリアンレストランが多いのです。店の前に大きなイタリアの三色旗を掲げているのですぐ分かります。「イル ビアンコ」「山岸食堂」「オステリア アズーロ」…半径500メートル以内に4,5軒あるので、不思議です。また、狭い路地の奥に「グラン ブールバール」というフランス料理店も見つけました。今度行ってみようかと思います。昼間からワインをサービスしてくれるのは「イル ビアンコ」です。いずれも、ランチは千円ぐらいです。近くにお越しの際は、是非お奨めです。

昨晩はまた痛飲してしまい、二日酔い。新橋の「手羅須」というスナックが開店25周年で、食べ放題、飲み放題で3500円ということで、会社の先輩の長野さんと一緒に覗いてみたのですが、結局、飲みすぎてしまいました。今週土曜日まで、やってます。

生老病死。

最近、私自身は「老」を感じる毎日ですが、先輩の長野さんは、先日、同期入社のNさんが亡くなったこともあり、「最近、死を身近に感じています」としみじみと話しておりました。

イヴ・サンローランさんの死

公開日時: 2008年6月3日 @ 09:19

6月1日に世界的なファッション・デザイナーのイヴ・サンローランサンが、パリで亡くなりましたね。享年71歳。

私はファッションには詳しくないし、高級ブランドとはあまり縁がないのですが、サンローランは、後年、高級注文服(オートクチュール)から、既製服(プレタポルテ)に移行してくれたおかげで、大衆スーパーで、サンローランのタオルを買うこうとができました(笑)

サンローーランさんが、クリスチャン・ディオール亡き後の主任デザイナーを継いだのが、まだ学生でもあった21歳の時だったと知り、本当に驚きました。ディオールも亡くなったのが52歳だったというのですから、その若さには驚かされましたが。

女優オードリー・ヘップバーンが、「ジバンシー」ブランドを世界的に有名にしたように、サンローランを世界的に有名にしたのは、カトリーヌ・ドヌーブだったんですね。彼女が、60年代に、当時、女性があまり履かなかったサンローランがデザインしたパンツを流行させます。当時はパンタロンと言っていたと思います。

新聞の記事を読むと、サンローランさんは、早熟の天才ですが、芸術家にありがちな内向的な性格で、睡眠薬の飲みすぎで、顔がむくんでいたそうです。デザイナーの森英恵さんも、サンローランさんを最後に見かけたのは数年前のパリで、レストランで一人でカウンターで背中を丸めてお酒を飲んでいたそうです。周囲の人は気付かなかったのか、個人主義のパリジャンらしく、そっとしておいたのか分かりませんが、森さんは「天才の孤独を感じた」と語っています。

やはり、華やかな世界の裏には、深い闇があるものなんですね。

そんなにネットが信頼できるの?

公開日時: 2008年6月2日 @ 22:56

今日の毎日新聞のメディア欄は面白かったです。
というより、恐ろしかったと言った方が適切かもしれません。

長いタイトルは
匿名、匿名、匿名。
よくないことでもプライバシー
公的機関に広がる「非公表」の論理

沢山のケースの中から一つだけ例を挙げますと、昨年の夏に高知大学の50歳代の男性教授が、スーパーで乾電池を万引きして捕まり、警察に事情聴取を受ける事件がありました。

大学は結局、この教授を懲戒解雇処分にしました。

それはそれでいいのですが、大学側は、大学のホームページ(HP)に掲載しただけで、処分を下した教授については、「教育学部教授、50代男性」とだけしか情報開示しませんでした。 (2007年8月22日)

高知大学の言い分は「処分を受けているのだから実名にしてこれ以上社会的制裁を加える必要はない」というものでした。

そして、ここからがすごいのですが、「ホームページが社会に対する正式窓口で、記者にまで発表する必要はない」とまで言ったそうなのです。

ああ、ついにそういう時代が来たかあ、というのが私の感想です。

ネットにはこれだけ有害情報と偽、エセ情報が氾濫しているというのに「社会に対する正式な窓口」と言い切って大丈夫なのでしょうか?一応、本物らしくみえても、誰が高知大学のホームページを「本物」だとオーソライズしてくれるのでしょうか?

「記者にまで発表する必要はない」というのも、新聞記者さんたちも随分、舐められたもんですね。

高知大学の態度はまさに自分たちに耳障りの悪いことは隠し、都合の良い情報だけは大々的に報じさせた第2次大戦中の日本の大本営か、ドイツ・ナチスの宣伝省と何ら変わりがありません。

泉下でゲッペルスも驚いていることでしょう。

散歩コース

公開日時: 2008年6月1日 @ 17:16

よく、写真と本文が合っていない、というご指摘を受けますが、今日は珍しく、合っています(笑)。

私がよく行く散歩コースの竹林です。竹林のほかに別に何があるというわけではないのですが、不思議と気分が落ち着く所です。初夏の風が頬を掠め、生きている実感を味わいます。

公私ともに、何か自分の思い通りに、うまく回ってくれないものですよね?人間も機械も。

私は、よく自分の寂寥と焦燥と擬懼を癒すために、ここを訪れます。

我輩の辞書…

 

 

 

ナポレオンの言葉に、「 我輩の辞書に不可能という文字はない」という名文句があります。どなたでもご存知でしょう。

 

でも、英語で何と言うかご存知ですか?

 

The word  “impossible” was not in Napoleon’s (                    ).

 

といいます。さて、括弧の中に何が入るでしょうか。

辞書だから、dictionary ? ・・・実は、私もそう思いました。

 

でも、答えは、 vocabulary  なんですね。

 

「歴史的事実」なので、was より is の方が良さそうだと私自身思ったのですが、とにかく、

The word  “impossible” was not in Napoleon’s vocabulary.

というそうです。

でも、ナポレオンはフランス人。原文のフランス語では何というのですかね?

調べたら

 

Impossible n’est pas francais.

 

と言いました。直訳すると、

 

不可能はフランス的はない。

 

たったそれだけでした。随分、簡単なんですね。

 

ナポレオンが部下を叱咤激励した際、「フランス人ならできないことはない」という意味で使ったそうです。

 

フランスの諺に

Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.

というものがあります。

明晰ではないものは、フランス語ではない。

という意味です。

 

英語は、発音にしても意味解釈にしても結構、曖昧なところがあります。が、フランス語は文法が少し厄介ですが、確かに明晰で、曖昧なところが少ない。「L」と「R 」の発音も全く違うので簡単に区別できます。

 

日本人にとって、英語よりフランス語の方が学習しやすく、身に着きやすいと私は思っています。

天保水滸伝

 

 

 

私事ながら、年に1回、眼の定期健診を受けなければなりません。「眼底検査」といって、実質、5分くらいでしょうが、それが50分か5時間くらい感じられる長さで、まさに拷問に近いものです。瞳孔を開く薬を付けられ、眼球にレンズを入れられて、100ワットぐらいの光を眼に当てられるのですから。検査が終わってもしばらく眼が見えません。回復するのに5,6時間は掛かりますので、その日は一日、使い物になりません。眼の有り難さをしみじみと感じます。

私が行く眼科医は、名医と評判の美人の女医さんなので、「お客さん」の数が半端じゃありません。受付は朝の9時からですが、1時間前から何人も並んでいます。9時を過ぎて行きようものなら、午前に受付ても、検診が午後3時とか、5時になってしまうのです。以前、私も6時間くらい待たされたことがありますが、今では事前に「午後4時になるので、また来てください」と受付の人が言ってくれます。

あ、今日はこんな話ではありませんでした。眼科に行くと、その日は眼が使えないので、ちょうど、図書館で借りてきた二代目玉川勝太郎の浪曲「天保水滸伝・笹川の花会」を聞くことにしました。駅に近い公園のベンチで平日の昼間に聞いていると、何か、オツなものです。

「天保水滸伝」は、調布先生が「是非とも聞きなさい」と奨めてくれたものでしたね。

ベンベンベン~ 利根の川風 袂に入れて  月に棹さす 高瀬舟~

なあ~んだ。聞いたことがある。一番、有名な浪曲だったんですね。

話は、天保の時代に、下総の笹川で渡世の稼業をしている繁蔵という男が、天保の飢饉で苦しむ世間の人に恩返しがしたいと思い「花会」を開こうとする。社会に還元できたら、もう1つ、角力道の祖と言われる野見宿祢(のみのすくね)の碑を諏訪神社の境内に建てるつもりです。花会は、「はながい」と発音していました。花札賭博のことでしょう。碑は「ひ」ではなく「し」とはっきり発音していました。江戸っ子ですねえ。

全国の親分衆に声を掛けるのですが、繁蔵と対立する飯岡の助五郎にも「形だけでも」ということで、繁蔵の子分の小南の正助が挨拶に行きます。生憎、助五郎親分は留守で、事情を詳しく知らない子分の荒町の寛太という若い者が土産物を受け取ってしまったので、帰ってきた助五郎がカンカンになって怒ります。

結局、助五郎は仮病を使って欠席し、助五郎の一の子分、洲の崎の政吉という男が代理で、花会に出席します。すると、そこには、仙台、肴町間宮の忠吉、伊達の信夫の常吉、信州、相の川の政五郎…と全国の錚々たる親分が列席しているではありませんか。6番目に紹介された病み上がりに無精髭を生やした男は、急に政吉に食ってかかる。「手前の親分がどんなに体が悪いか知らねえが、義理も礼儀も知らねえ野郎だあ!」

その男こそ、泣く子も黙るあの国定忠治だったのです…。

まあ、そんな話です。全部を聞かなければ分かりませんが、昔の人が涙を流しながら何度も聞いたんでしょうね。いつも同じ箇所で「いよ~忠治親分!」だの、客席から声がかかったんでしょうね。何か、古いDNAが騒ぐようです。

浪曲のおかげで、大正時代にラヂオ受信機が庶民の間に普及したという話を聞いたことがあります。

むべなるかな。