あああ、残念

 

先日、東京弁護士会に申し込んだドキュメンタリー映画「靖国」の試写会は「選外」でした。

つまり、落選ですね。見られないのがとても残念です。

 

最近、前橋をはじめ、全国でチューリップの花を何百本ももぎとったり、聖火リレーの出発点を辞退した長野県の善光寺の国宝本堂に落書きしたりする心ない人が増えています。

 

ひどい話ですね。奴らは軽犯罪だから、大した罰を受けないと思っている愉快犯なのでしょう。

でも、ひどい。

 

人間じゃあない。

外人用バスツアーを体験しました

 

今日は、通訳仲間の熊本さんのお導きで、はとバスの東京観光ツアー英語バージョンに参加しました。他に熊本さんの友人の酒田さんと今中さんと私で日本人は4人。バスの中で日本語をしゃべっていたら、ガイドさんから「仲間同士でしゃべらない!」といきなり日本語で怒られてしまいました。裏側の地図を見ていたら「それは、裏!」とぶっきら棒に言うんですよ。

これでも1万2千円も出して参加した「お客さん」なんですけどねえ。このはとバスのガイドさんはこの業界では大変有名な方だそうでした。最初、我々のことを冷やかしだと思ったらしいのですが、実は我々は「練習」のために参加していることが分かると実に親切丁寧に教えてくださいましたが…。(逆に、もっと外人さんのお相手をしてあげればよかったのに、と心配になりました)

 

さて、旅程は、浜松町を出発し、東京タワー展望台―白金台の八芳園(お茶会)―二重橋―目白の椿山荘(石焼バーベキューの昼食)―竹芝から遊覧船で隅田川下り浅草へー浅草寺―銀座ー浜松町という9時出発、17時過ぎ解散の1日コース。

英語でこうやって東京をガイドするのか、という意味で参考になりましたが、有名ガイドさんの発音がすごいJapanese English でちょっと聞き取りにくかったですね。お客さんは39人で、米国人が少なく、「何語をしゃべっているのかなあ」と思ったら、ボスニアのサラエボからの団体客でした。90年代に悲惨な「民族浄化」が行われた所です。「でも、今は、静かで安全な所よ。是非、遊びに来るべきよ」と言われてしまいました。この民族浄化が英語でなかなか思い出せませんでした。holocaust じゃありませんよ。 ethnic cleansing でした。

 

このほかニュージーランド、豪州の人が多かったでした。お名前は聞かなかったのですが、足が少しご不自由な高齢の母親を連れた親孝行のニュージーランドからいらした孝行息子さんもおりました。彼のニュージーランド英語の発音も聞き取りにくかったですが、オークランド近郊の小さな村から来られたようでした。職業も聞かなかったのですが、純朴な農民といった佇まいでした。

コースの場所のほとんどは、私は知り尽くした所ばかりだったので、大した感銘は受けなかったのですが、外国人観光客にとって、楽しめたのかなあと少し心配になってしまいました。もう少し日程的にも余裕があった方がよかったのではないかと思いました。それに、日本人の我々でさえ迷子になりそうになったくらいで、道案内にしても「あまり親切じゃないなあ」と感じてしまいました。

 

ちなみに、この有名ガイドさんに対してらしい「不満」のブログが今、ものすごい勢いでチェーンメールされていますので、お暇な時に覗いてみてください。

http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2006/04/post_b81c.html

アンドレア・ボチェッリはやはり「神の歌声」でした

2008年4月19日

 

17日の夜は、有楽町の国際フォーラムにアンドレア・ボチェッリの公演を聴きにいきました。

 

8年ぶりの来日です。1994年のCDデビュー以来、全世界で実に6000万枚以上の売り上げを誇るテノール歌手です。日本ではよほどの通の人しか知られていないかもしれませんが、サラ・ブライトマンとのデュエット「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を歌った人い言えば思い出す方も多いかもしれません。目が見えないハンディを乗り越えて、世界的な成功を手中にした人です。

 

最近のクラシック界の動向を追っているわけではありませんが、パヴァロッティ亡き後の世界を代表するテノール歌手と言っていいのではないでしょうか。公演では、非常に感動してしまいました。楽器の極地は、「人間の声」と言われていますが、人間の声の中でも、やはり、テノールが極地の中の極地だと実感しました。共演したバリトンのジャンフランコ・モントレソルが、ボチェッリの引き立て役になっていましたし、聴いていて心地よかったのは、やはりバリトンよりテノールの方でした。

ボチェッリに対する批判の一つに、クラシックとポップスを両方歌うので、「節操がない」というものがあります。私はこの批評は当たっていないと思います。アンコールで、やっと「「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」とプッチーニの「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」(トリノ冬季五輪で荒川静香さんが有名にしてくれました)まで披露してくれましたが、全く違和感がなかったですからね。

ボチェッリの宣伝文句に「貴方は神の歌声を聴いたか」というコピーがあり、大袈裟だなあ、と思っていましたが、この文句に偽りはありませんでした。神の声、天上の声でした。100人近いコーラスとソプラノのマリア・ルイージャ・ボルシ、黒人女性歌手のヘザー・ヘッドリーらとオーケストラを率いて熱唱2時間。何と心地良い時間を味わうことができたことでしょう。

 

公演を見逃した人は、衛星放送のワウワウで5月21日19時50分からこの日のライブを放送します。え、ワウワウに加入していない?(実は私もそうですが)他のライブがDVD化されていますから、買うなり借りるなりして実際に見てください。

その声量には驚かされますよ。

インフルエンザワクチンはノアの箱舟か

公開日時: 2008年4月18日 @ 18:12

昨日は「お休み」の連絡をしたため、アクセス数が普段の半分くらいでした。数字は正直ですね(笑)

さて、ヒトにも感染する鳥インフルエンザの大流行に備えて、プレパンデミック(大流行前)ワクチンを、世界に先駆けて日本が6000人に対して「臨床実験」として実施するという話がニュースになりました。

何か、もうSFの世界ですね。

その効果は依然未知数で、副作用を起こさないとも限らないそうです。

しかし、鳥インフルエンザが、いったん大流行すると、何十万人、何百万人の生命が失われるという研究者もいます。

実際、1918年から19年にかけて世界的に大流行したスペイン風邪は、世界で6億人が感染して、約5000万人が亡くなったと言われます。日本でも、芸術座を作った劇作家で文芸評論家の島村抱月も、このスペイン風邪に罹り、47歳で亡くなっています。日本でも40万人が亡くなったと言われています。

そこで、日本の国家は、臨床実験で有効性が確認されたら、1000万人にだけ事前接種するというのです。対象は、「医療従事者」と「社会機能維持者」です。

「医療従事者」を最優先するという話は分かりますが、「社会機能維持者」なんていう造語は、まさしく官僚さんが考えそうなことです。

内訳は、警察官や消防士、自衛官ら「治安維持」者。電気・ガス・水道などの「ライフライン」の仕事に従事する人。国会議員さんや首長さんら「国・自治体」の人。報道関係などの「情報提供」者。そして、鉄道・運送など「輸送」に従事する人。

さて、皆さんは、この中に当てはまりましたか?学生さんは含まれていないようですね。あれあれ、学者さんも「社会機能維持者」ではないのでしょうか?評論家や文筆家なぞも「社会機能維持」に関係ないので、いてもいなくても同じなのでしょうか?

そういえば、芸能人の方も含まれていませんね。

毎日新聞が一番詳しく報じていましたが、件のワクチンは、使用期限が3年で切れてしまうそうなのですが、その備蓄率は、人口が740万人と少ないスイスの場合は、全国民分備蓄されているようです。しかし、日本の場合24%しかありません。つまり、人口1億2700万人に対して、ワクチンは3000万人分しかないのです。米国は7%、英国3%、カナダのゼロに比べれば、まだましなのかもしれませんが、日本でも大流行して、3000万人しか生き残れないとしたら、ワクチンの取り合いが始まることでしょうね。

「僕はいらないよ」と自己犠牲を表明する人が出てきますかね?今日も電車の中で、シルバーシートに踏ん反り返っている若者をみかけましたが。

まさしく、プレパンデミック・ワクチンは、大洪水前のノアの箱舟になるのかもしれませんよ。

フランス人気質

開日時: 2008年4月16日 @ 18:05

日本弁護士会などが、例の上映中止騒ぎで話題になったドキュメンタリー映画「靖国」の試写会を23日に行う、というので申し込んでみました。定員は200人。当たるかどうか分かりませんが、今年は何でも挑戦する年と決めているので、トライしてみました。

まあ、こんなブログをやっていなければ、申し込んだりしなかったのかもしれませんね。私もいっぱしのブロガーになったということでしょうか(笑)。

昨晩は、蒲田耕二氏の「聴かせてよ 愛の歌を 日本が愛したシャンソン100」を読んでいたら止まらなくなって、夜更かししてしまいました。今朝は5時半起きだったので、眠いです。

蒲田氏は、よっぽどフランス嫌い(?)らしく「この国(フランス)は、非難や攻撃を受ければ受けるほど依怙地になる。自分のおびえをごまかすために、なおさら居丈高になる。アホな国ですね。国家が依怙地であるように、フランス人は個人のレベルでも依怙地である。フランスへ旅行したことのある方は、土地の人間に一方的にまくし立てられて閉口した経験をお持ちではありませんか。…自己主張を押し通すことだけが正しい人間の道だと、彼らは思い込んでいる。負けるが勝ち式の考え方は、まずしない」

ね、すごいでしょう?でも私もある程度、同意してしまうんですよね。私自身の経験ですが、フランス人とは何人かと知り合いになりましたが、決して親密になることはないんですよね。決して、自分の説は曲げないことも、その通り。群れたり、つるんだりしない。

とはいえ、蒲田氏がこんな文章を書くのも根底にはフランスに対する奥深い愛情があるからです。

フランスかぶれの人は天邪鬼が多いのです。私もですが(笑)。

 

明日は、早朝から夜更けまで仕事でいないので、お休みします。毎日チェックして戴いている方々にはお詫び申し上げます。

後期高齢者医療制度は長生きするなという制度

 

4月からスタートした後期高齢者医療制度がすったもんだの状態に陥っています。75歳以上の高齢者の保険料を年金から天引きするという有無も言わせぬ極悪非道な制度です。3年前の12月の医療制度改革で決まったらしいのですが、今回、メディアが報道してくれなかったら、気付かなかったほどです。お上は、そっとやってしまおうという魂胆があったのではないでしょうか。

そもそも、「後期高齢者」というネーミングはいかがなものでしょうか。日本人はもう75歳以上は生きるな、と国家が宣言しているようなものです。これから、大量の団塊世代が「後期高齢者」の仲間入りをするため、その先手を打って、医療費を確保したい、というのが本音のようですが、この制度が確立すれば、そうでなくても少ない年金を毟り取られ、全く他人事ではない話です。

昨日、盛んに野党代表らが、「おばあちゃんの原宿」巣鴨で、この制度の廃止を求めて立会い演説会を開きましたが、全く「明日は我が身」です。「姥捨て山」よりひどい制度だと演説するする人もいましたが、確かにそれに近いかもしれません。

ああ、日本は何でこんなに夢も希望もない国に成り下がってしまったんでしょうね。非正規雇用で格差であえぐ若者が後期高齢者になった頃、どんな世界になっているかゾッとします。

青年劇場「呉将軍の足の爪」を見て

 青年劇場の「呉将軍の足の爪」(朴祚烈・作、石川樹里・訳、瓜生正美・演出)を新宿の紀伊国屋ホールで見ました。新劇界の重鎮、瓜生さん(83)は一度は演出家引退を宣言したのですが、「この作品だけは、やりたいので是非もう一度やらせて」と9年ぶりにメガホン(映画じゃないんですが)を取ったのでした。

反戦劇なのですが、笑劇(ファルス)に仕上がっているので、「大いに笑ってください」と事前に聞いていたのですが、やはり、シニカル過ぎて大笑いはできませんでしたね。作者の朴さんが朝鮮戦争での実体験を基にして1974年に発表したものの、当時の軍事政権によって上演禁止処分を受けた作品です。88年に上演解禁されて韓国国内の演劇賞を総なめして、大絶賛で観衆に迎えられたそうです。

演劇の場合、狭い空間の中で色んなことを表現しなければならないので、映画やテレビと違って観客にかなりの想像力と創造力が要求されます。そういう意味で、舞台が、のどかなジャガイモ畑になったり、弾丸が飛び交う戦場になったり忙しいので、それなりに感情移入が必要とされました。

私は、面白かったのですが、一緒に見た作家のXさんは「すべての場面で、主役の呉将軍役の吉村直さんのテンションが高く、もう少し、(テンションを)配分した方がよかったのではないでしょうか」と厳しい批評でした。

あ、呉将軍というのは、本当の将軍ではなく、大きくなったら強い立派な男になってほしい、と親が願いを込めて付けた名前です。いわゆるインテリとは程遠い純朴そのもので臆病な農民が徴兵で軍隊に駆りだされる悲劇を描いた作品です。

久しぶりの演劇鑑賞でした。このブログを書き続けていると、何か自分でもしょっちゅう映画を見たり、演劇を見たり、絵を見たりする生活を送っているような気になってきましたが、そんなことはないんですよ。ちゃんと仕事もしております(笑)。

 

シャンソン万歳!

2008年4月13日

 

昨日は、2年ぶりに大学の同窓会に参加しました。平成10年に卒業した若手から何と昭和17年卒業の大先輩に至るまで約90人が集まりましたので、会場の大手町のサンケイプラザの201-202会議室は満杯状態でした。(東京駅の丸の内周辺と大手町はいつの間にかすっかり変貌していて、産経ビルが建て替えられていて近代的なビルになっていたので驚いてしまいました。)

 

参加者のほとんどは定年を過ぎた方々ばかりで、20歳代から50歳代までの働き盛りは殆んど見当たりませんでした。同期の人間は私のほかに一人もいませんでしたからね。大学ではフランス語を専攻した人間で、本当に変わった人間が多いのです。フランス人にあやかって、よく言えば個人主義で人と群れたりつるんだりしません。悪く言えば、我がままで世間とうまく立ち回っていけない連中ばかり。卒業生に大杉栄や中原中也がいたといえば、大体想像がつくと思います。

 

それでも、一年後輩のKさんが母校の教授になっていて、初対面でしたが、お互いに知っている人の近況などを聞きました。私が学生時代に教えを受けていた最後の教授が、この3月で定年退官されたという話を聞き、自分も随分年を取ってしまったなあと思いました。

 

同窓会では、卒業生で一応名をなした人による講演会があります。二年前は私の同期で、マリー・クレール誌の編集長になった生駒佳子さんの講演でした。今回は音楽評論家の蒲田耕二氏(昭和39年卒業)でした。この講演会で席が隣りになった人が木村竜一さんという人で何と昭和20年卒業の方でした。大正14年3月生まれの83歳。戦中世代で海軍少尉だったらしいのですが、今も背筋がピンと伸び、矍鑠していました。どう見ても60歳代後半しかみえませんでした。木村さんが通っていた頃の大学はまだ、神田の一ツ橋にあったそうです。戦後、ジョージア州立大学でMBAを取得して、エクソン・モービル石油に就職し、世界中を飛び回った。と話してくれました。

 

元気の秘訣をうかがったら「そりゃあ、歩くことだよ。老化は脚からくるからね。足さえしっかりしていれば大丈夫。今の人はすぐにタクシーに乗ったり、エスカレーターに乗ったりして歩かないだろう?そりゃあ、使わなければ退化しちゃうよ」と言ってましたから、ご参考にしてください。

で、蒲田氏の講演の話でした。同氏は大学卒業後、出版社に就職し、フリーの音楽評論家になった方ですが、シャンソンの権威と言っていいでしょう。NHKのFMラジオでも長年、シャンソンの番組解説を務めていたので、ご存知の方も多いでしょう。私も氏の「聴かせてよ 愛の歌を 日本が愛したシャンソン100」(清流出版)CD付 4700円+税を会場で特別割引で4000円で売っていたので、早速、買い求めました。

その本にかなり詳しく書かれているのですが、蒲田氏によると、シャンソンはフランス語の唄という意味では今もあり、これからもあるが、「心に染みる」「人生を感じさせてくれる」歌という意味でのシャンソンはもはや終わったと断言しています。19世紀末に形が整い、1930年代に全盛期を迎え、1981年のブラサンスの死で終わった、というのが彼の説です。

蒲田氏の批評はかなり、かなり辛辣でした。例えば、イヴ・モンタンなどは、「大スターだけど、ぼくは評価しない。ちっともうまくない。リズムの乗りが悪く、しまりがない。でも一時代を築いた人なので敬意を表しますけどね」と言った具合。

私の大好きなセルジュ・ゲンズブールについては「詩人・作家、映画作家としては素晴らしいが、音楽家としては評価しない」と一刀両断するのです。講演をしながら、色んな歌手の代表曲のCDをかけてくれるのですが、私の一番好きと言ってもいいぐらいのフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」(作詞はゲンズブール!)なんかは、リストにありながら、「この曲はお聴かせるに値しないので飛ばします」と言って、この曲だけかけないんですからね。もっとも、日本人によく知られるアダモの「サン・トワ・マミー」などは「箸にも棒にもかからない」と言ってリストアップすらされていませんでした。

シャンソンに関する教養・知識でいえば、蒲田氏の方がはるかに上なのですが、どうも私とは感性が違うようでした。ちなみに、彼が真の天才として持ち上げたシャンソン歌手は、ダミア(戦前最大)、エディット・ピアフ(戦後最大)あたりでした。曲はシルヴィー・バルタンの「あなたのとりこ」で、「文学性などのシャンソンの伝統やしがらみを断ち切って、ダンス音楽に徹して潔い。オーケストレーションが図抜けている」という大賛辞でした。

彼の話を聴いて、もっともっとシャンソンが聴きたくなりました。

「太陽がいっぱい」の矛盾台詞を発見

 フランス語の勉強と称して映画「太陽がいっぱい」のDVDを購入して見ています。結局、フランス語の字幕がついていなかったので、がっかりしてしまいましたが。

 

この映画は劇場で何度見たか分かりません。50回、いやそれ以上かもしれません。もちろん、1960年の日本初公開の時点ではなく、リバイバル上映の時です。当時はDVDはおろか、ビデオもない時代ですから、いわゆる二番館と言われる名作座で見るしかなかったのです。今、あるかどうか知りませんが、当時は沢山ありました。池袋・文芸座、高田馬場のパール座、早稲田の松竹座、飯田橋の佳作座、ギンレイ座、大塚の…、銀座の…名前は忘れました。とにかくお金のない学生にとっては恵みでした。

あれだけいっぱい見た「太陽がいっぱい」なのですが、DVDで家で落ち着いて見ると、結構、矛盾点が見つかるんですね。ご覧になった方も多いと思いますが、アラン・ドロン扮するトム・リプレーが金持ちの放蕩息子のフィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成りすまして、銀行から大金を下ろし、フィリップの恋人のマルジュ(マリー・ラフォネ)まで奪って、完全犯罪を企むストーリーです。原作はパトリシア・ハイスミスで、私は原作は読んでいないのですが、巨匠ルネ・クレマン監督の最後のシーンは彼による発案らしいです。1999年にアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン、ジュード・ロー主演でリメイク版「リプレー」が製作されましたが、やはり「太陽がいっぱい」には足元にも及びませんでした。それほど素晴らしい映画です。

若い頃は、アラン・ドロンの格好良さだけ目に付いて、男から見ても溜息をつくようでしたが、今、見ると、どうも、灰汁の強さだけが迫ってきてしまいます。その後、自分の用心棒だったマルコビッチ殺害事件にドロン自身が関与したのではないかと、疑われたり、飛行機に乗ってもファーストクラスで異様な王様気取りの傲慢さでフライト・アテンダントを辟易させたという証言を読んだりしているので、どうも単なる悪党(笑)に見えてしまいました。それだけ演技がうまかったということになりますが。

この映画は、子供の頃に初めてテレビで見たのですが、とても、恥ずかしくて大人の世界を盗み見るような感じでドキドキしてしまいました。彼らは皆、すごい大人に見えたのですが、当時、アラン・ドロンは24歳、マリー・ラフォレは何と18歳だったんですね。モーリス・ロネでさえ32歳です。驚きです。最も、ルネ・ククレマン監督でさえ46歳の若さだったのですから。

 

それで、矛盾点の話ですが、ドロン扮するトムがフィリップに成りすまして、フィリップの友人のフレディを殺してしまうのですが、警察は「指紋が一致した」と言って、フィリップが下手人であることを突き止めるのです。その指紋は結局トムの指紋なのですが、そんなことは、すぐ分かってしまいますよね。完全犯罪には無理があります。

これは、映画を見て思ったことなのですが、今回、DVDを見て発見した矛盾点は台詞にあります。トムとフィリップとマルジュの三人がヨットの中で食事をするシーンです。貧乏青年のトムは、フィリップの米国人の父親に頼まれてサンフランシスコに呼び戻す使いで、イタリアのナポリまで来ていたのです。(それにしてもあの映画で描かれるイタリアは素晴らしい。フランスとイタリアの合作映画だったということも今さらながら知りました)

食事をしながら、トムはフィリップに言います。

「フィリップの親父さんには、僕は随分嫌われていたなあ。出自が卑しいって言うんだよ。でも、おかしいよね。今ではこうして僕は君の監視役だ。貧しいけれど、賢いっていうことかな」(私の意訳)

トムは一生懸命、ナイフを使って魚の肉を切り分けています。それを見たフィリップは

「上品ぶりたがるということ自体が、そもそも下品なんだよ。魚はナイフで切るな。それにナイフの持ち方が違うぞ」

とテーブルマナーすら知らない貧乏青年を馬鹿にするのです。

そして、一番最後のシーンです。フィリップは殺され、ヨットは売られることになり、父親が米国からナポリにやってきます。マルジュはすっかり、トムといい仲になり、海水浴をしているところに、女中(禁止用語)が来て言います。「お嬢様、お義父さまがお見えになっていますよ」

マルジュはトムに言います。「いけない!忘れてた!」。トムは聞きます。「彼は何しに来たの?」マルジュは「ヨットを売りに来たのよ」。そして、トムにこう言うのです。

「あなたに会いたがるわよ。とても良い方なの」

なぜなら、フィリップの父親は、息子がすべての財産をマルジュに与えるという「遺言」を残していたので、息子の遺志を尊重すると、マルジュに言ったから…、と台詞は続くのですが、私が問題にしたいのは、そもそも「あなたに会いたがるわよ」という台詞が変なのです。なぜなら、ヨットの中でトムは、フィリップの父親に「嫌われていた」とはっきり、マルジュにも聞こえるように話していたからです。

以前は完璧なシナリオだと思っていたのですが、あら捜しすると、結構見つかるもんですね。

「編集者 国木田独歩の時代」は本当に面白い

公開日時: 2008年4月11日

黒岩比佐子著「編集者 国木田独歩の時代」(角川選書)は、タイトルはダサい(失礼!)のですが、実に実に面白い。もう二週間もダラダラと読んでいますが、それは、あまりにも面白くて、読了したくないからなんです。下手な推理小説を読むより、ずっと、面白い。「え?そうだったの?」といった意外な事実が次々と明かされ、著者の力量には本当に感心してしまいます。

 

国木田独歩といえば、個人的には随分小さい頃から馴染みの作家でした。10歳くらいの頃、誕生日プレゼントか何かで親が、確かポプラ社が出ていた「武蔵野を」買ってくれたのです。でも、親は私のことを神童と思ったんですかね。いくら文学史に残る名文とはいえ、如何せん10歳の頭ではとても理解できませんでした。

 

それでも、その本の中にあった「牛肉と馬鈴薯」や「源叔父」「忘れえぬ人々」「画の悲しみ」などを何回も愛読したものです。実は、私のプロフィールにある「非凡なる凡人」は彼の作品のタイトルです。

 

ですから、国木田独歩については、彼はもともと新聞記者で、日清戦争の従軍記者だったことや、今も残る「婦人画報」の名編集長だったということぐらいは知っていました。

でも、この本を読むと実によく調べていますね。著者の黒岩さんは、「古本収集」が趣味らしく、これまでの学者や研究者が発表したことがない本当に驚きべき事実を、執拗な探偵の目になって調べ上げてしまうのです。本当に感服してしまいました。独歩は、小説家として食べていけず、むしろジャーナリストとして生計を立てていたという話も初めて知りました。

 

まず、自然主義作家の田山花袋や民俗学者の柳田国男とは大の親友だったことは知りませんでしたね。先輩の徳富蘇峰からは「国民之友」に招聘されて新聞記者となり、「経国美談」で知られる矢野龍渓からは彼が社長を務める出版社の編集長に採用されます。出版社はその後「独歩社」として独立し、最後は経営難で破綻しますが、最後まで独歩を見捨てずに残った編集者に、後に歌人として名をなす窪田空穂がいます。画家の小杉未醒がいます。独歩亡き後、「婦人画報」などの発行を受け継いだのは鷹見思水ですが、彼の曽祖父は、何と鷹見泉石だったのです。幕末の洋学者。渡辺崋山が描いた「鷹見泉石像」は国宝になっていますね。

意外にも22歳の若き永井荷風は、当時鎌倉に住んでいた独歩に会いに行っているんですね。

独歩の最初の妻の佐々木信子の従姉が相馬黒光(本名良)で、夫の愛蔵とともに新宿中村屋を創業した人です。多くの芸術家を支援し、亡命中のインド人革命家ラス・ビハリ・ボースを匿ったことでも有名です。そして、有島武郎の名作「或る女」のヒロイン葉子は何と、この信子がモデルだったのです!

こんな話は序の口です。独歩はわずか37年の生涯でしたが、これほど多くの友人知人に恵まれていたとは知りませんでした。

当時の文壇サロンというか、明治の雰囲気が手に取るように分かります。これは本当に面白い本です。