ミシュラン中国料理版 

ネットで中国関係専門のニュースを配信している通信社「レコード・チャイナ」の編集主幹をしているM君から、「ミュシュランの中華料理店版をやるから参加しないか?」と誘われて、参加することになりました。

例の「ミシュラン東京版」は初版が完売されるなど、大好評でしたが、「三つ星」は日本料理とフランス料理に偏っていて、中華料理が無視されている。それでは、我々が中華料理の品評をやってネットで配信しようと企画したそうなのです。

既に、私は2軒ほど、行かせてもらいました。1軒目は、東京・汐留のホテル「コンラッド東京」内にある「チャイナブルー」、2軒目は、昨日で、西麻布にある「メゾン・ド・ウメモト・上海」です。どちらも超高級中国料理で、ランチでも7000円から2万円くらいします!

私は後者の「メゾン・ド・ウメモト」の記事を担当することになりました。恐らくネット配信は来年早々になると思いますが、是非ご覧くださいね。その時は、リンクを貼ります。

ミシュランは「覆面審査員」が記事を書いているという話ですが、笑ってしまいますね。何で、料理の写真が写っていたりするんでしょうか?-当然、店側と交渉して、「取材」する旨を話しているはずです。普通、事前に知らせないと写真は撮らせてもらえません。それに、ミシュランは食事代はタダにしてもらっているという根強い噂があり、星の数も店側の応対次第だということです。まさしく、ミシュランの「匙加減」なのです!

ちなみに、我々の場合は、ちゃんと、事前に写真を撮らせてもう許可を得て、堂々と話も聞きます。そして、何と言っても、ちゃんとお金を払います!これで初めて、公平な評価ができるというものです。

昨日は私を含めて5人が参加しましたが(中華料理は沢山で一緒に食べるのが一番)、編集主幹のM君は4年間、特派員として香港に滞在した経験がありますし、Yさんは留学生として重慶に、タウン誌の記者として上海に合わせて5年ほど滞在した経験があるので、中国料理には「精通」しています。もう一人、超美人のFさんは、北京の名門大学に留学してそのまま5年も北京にいついており、年末年始休暇で一時帰国中です。

そして私は、中国には上海に1度しか行ったことがありませんが、横浜に住んでいた頃、中華街によく通っていました。何の自慢にもなりませんが(笑)

どういうものができるか分かりませんが、できれば多くの人の目に触れてもらいたいので、完成したら、リンクを貼りますね。

比較日本人論 


 


 某有名(笑)語学塾で知り合った数人の方と最近、どういうわけか頻繁にメールのやり取りをしています。同じ目標に向かって、自分自身と闘ってきた同士なので、お互いどこか「戦友」のような親しみを感じています。


 


 そんな中で、頂いた飯田さん(仮名)のメールは、非常に面白かったので、ご本人に許可を頂き、「お断り掲載」をさせて頂くことになりました。最近、ネタが尽きているもので、無理にご承諾いただきました。飯田さん、有難うございました。


 


 以下そのままコピペします。面白いですよ!


 


 私はこのごろ比較文化論に再度目覚めて、それに該当するような本を見つけたら買っては読んでいます。本といっても古本です。いま月に14、5日ほど神保町の会社でバイトをやっていますが、ご承知のように神保町は古本の街、いろいろな本を物色するにはとても適した地なのです。


 その中に、ルイス・フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩波文庫、青459-1)があります。フロイスは、これもご承知のように、信長に接触したポルトガル生まれのイエズス会の宣教師です。面白い比較を2,3紹介してみましょう。450年前の日本人の行動、所作が記されており、現在の我々のそれと寸分も違わないことがわかり、非常に興味をそそられます。


 


 

「われわれの間では人を訪れる者は何も持っていかないのがふつうである。日本では訪問の時、たいていいつも何か携えて行かなければならない。」

 

 

 

「ヨーロッパでは言葉の明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、もっとも重んぜられている。」これに対して訳注者の岡田章雄氏は「日本では敬語を尊重し、当時は最も複雑な敬語法の発達した時代である。その敬語は直接明確な言い方を避けて、特に間接的で断定しない表現をとったことを指している。」と解説している。

 

 

 

「われわれは怒りの感情を大いに表すし、また短慮をあまり抑制しない。彼らは特異の方法でそれを抑える。そしてきわめて中庸を得、思慮深い。」これに対し岡田氏は「喜怒を色に現さないという儒教的、封建的な道徳観によるものであろう。」と述べている。

 

 

 

 これは昔の比較日本人論ですが、現代の比較日本人論も、日本文化と日本人の思考、行動を知る上で大いに役立ちます。

 

 

 いかがでしたか?フロイスを読みたくなったでしょう?

 

 

 

 

 さてさて、昨日書いたことの続きですが、読み返してみると、どうも、帯広市役所の人が勝手にM野さんに私の住所を教えてしまったかのように読めないことはないのですが、それは決してありませんでした。

 事前にちゃんと、ご連絡があり、「読者の人が熱心にあなたに連絡をとりたがっていますが、どうしますか。別にお断りしてもいいですけど」と市役所の方から電話がありました。

 私は「どうぞ、お伝えしてもいいですよ」と承諾したのでした。

 個人情報がうるさい昨今、私の愛する帯広市役所が、そんな勝手な振る舞いをするわけではありませんので、どうぞ、誤解のないよう宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

 

センプレ

奇妙なクリスマスプレゼント 

 

 

 

 

 

年も押し詰まり、そろそろ年賀状に取り掛からなければならない季節になりました。

 

面倒臭いですよね。でも、もらった時の久しぶりの友人知人の近況を知ることができるので、その楽しさには代えられません。皆さんも同じだと思います。

 

今年は、やけに喪中の葉書が多かったです。今年1月に叔父が亡くなったこともあり、12枚くらいです。ご尊父が亡くなられた人も結構いました。まあ、いずれこの世からお暇しなければならないので、私も生きている限り、この賀状交換という日本の慣習を続けていきたいと思っています。

 

ただ、段々減らしていこうかと思っています。こちらから行為に減らすのではなく、返事が来なければ「ご迷惑」だと考えて翌年から出さないのです。まさに自然減です。

 

経済ジャーナリストのAさんなんぞは、3000枚も出すそうです。それは別格として、異様に顔が広い調布先生は300枚。私の場合はその半分くらいです。以前、仕事関係で仕方なく出した時があり、その時の最高は250枚くらいでした。もちろん、相手から返事は来ないので、仕事関係がなくなれば、縁が切れてしまいました。

ところで、昨日、帯広から電話がありました。「M野さんという人から朋之介さん宛に小包が来てますがどうしますか」というものでした。M野さんといっても、ピンときませんでした。何やら、中年の女性で、タクシーで会社にまで乗り付けて、小包を守衛さんに預けたそうなのです。私は「どうぞ、中身をあけてください」と頼むと、中には、梅干と布製のソーサー、それに、瓶かグラスのような物が入っているそうなのです。中にはメモが貼り付けてあって、読んでもらったら、そこには「このグラスは、貴重なものだと、店の主人も言っていました。マリアセツカヤのサイン入りです」などと書かれていました。相手の住所と名前はありますか?と尋ねると、それはない。ただ、「M」とだけ書いてあります。あ、タクシーの領収書も入っていますね…というのです。

何か気味が悪いですね。

思い起こせば、4年前のことです。私は帯広市役所の広報誌に写真入りで載ったことがあります。「私の逸品」とかいう市民のお遊びのコーナーで、たまたま、市役所の広報の人と昵懇だったので、「どうしても」ということで「出演」したのです。私の自慢の愛蔵エレキギター「ギブソンES335TD」を抱えて、ニッコリ笑っている写真が載りました。

 

その記事を見た市民の読者の方が私の会社を訪ねてきたのです。市役所に電話して、私のアジトを突き止めたようです。その人がM野さんだった、ような気がします。もう名前を忘れてしまいましたが、そうとしか考えれません。その日は、雪が降る日で、M野さんは、何と言うか異様な格好で、フエルトのようなごわごわしたセーターのようなものを2枚も3枚も重ね着していました。髪の毛はボサボサというか、文学的に表現すれが「乱れ髪」でした。言うこともとりとめもないのです。

 

「昨日ジョン・レノンの夢を見て、是非、あなたに会わなければならないというお告げがあったので、来たのです」

「私の夫は、新聞社の販売店に勤めています」

「あなたは有名になりますよ」

 

うーん、こういう人は、どう応対したらいいか、困ってしまいました。不真面目に取り合っても怒り出したら困りますし、生真面目に取り合っても、あまり話が噛み合いません。

 

結局、最後までお話を伺って、丁重にお引取り願いました。

 

それっきりでした。いや、名刺を渡してしまったので、一度電話があり、それっきり、二度と電話を掛けてくるでもなし、訪ねてもこられませんでした。

 

4年も前のことですし、その後、何百人もの人にお会いしましたから、すっかり忘れてしまいました。

 

私は昨年、帯広から関東地方に転勤しましたし、「今頃どうして?」という不思議というか不安が募ってしまいました。帯広の人に「どうぞ処分してください」とお願いしたのですが、「朋之介さん宛ての小包なので、捨てられない」と言い張るので、仕方なく送り返してもらうことにしました。

 

ああ、どうしましょうかね?梅干とソーサーとグラス…どなたか欲しい方はいませんか?

宝くじが当たる確率と事故に遭う確率

 先日、ラジオを聴いていたら、宝くじで3億5千万円も当たった人が出演していました。「久慈太郎」さんという匿名で、愛知県に住むサラリーマン。年収400万円とか言っていました。およそ30歳代前半かなあ、と想像しました。「ロト6」という数字を6個当てるヤツです。

 

その人が一番苦労したことは、自分の愛する恋人以外に当たった事実を周囲に吹聴できなかったことだったそうです(笑)。当たり前ですよね。そんなことしたら、皆に毟り取られてしまいます。宝くじが当たっても会社は辞めなかったそうです。

 

でも、吹聴しなくても、今、手元に残っている金額は1億円を切って9000万円台なのだそうです。え?2億6千万円近くはどうしちゃったの?

 

どうやら、FXとか呼ばれる金融相場に手を伸ばして、すべてすってしまったそうなのです。久慈太郎さんには、失礼ですが、「悪銭身につかず」の好例ですね。聞かされた方はカタルシスを感じますが…

 

ジャンボ宝くじの当たる確率は2000万分の一と聞いたことがあります。ロト6はどうなのでしょうか?

 

ところで、昨晩、会社からの帰りの深夜、また私の利用するJR某線で人身事故があり、そのための遅延に巻き込まれてしまいました。先週は、出勤途中の早朝に同じ某線で人身事故があり、会社に遅刻しました。最近、この線では異様に多いのです。今年だけで12回、いやもっとあったかもしれません。人身事故とか言ってますが、結局、飛び込み自殺です。宝くじに当たる確率どころではありません。

この人身事故でJRは遺族に損害賠償を請求します。いくらかご存知ですか?私は300万円くらいかな、と思っていたのですが、友人によると、何と3000万円なんだそうです。ある人は家を売って、その費用に充てたといいます。ある遺族は、自己破産を申請して、夜逃げしたそうです。

3000万円ですよ!この数字は正確ではないかもしれませんが、一千万円単位であることは間違いないようです。この事実をもっと周知徹底させるべきではないでしょうか?通勤通学客に迷惑を掛けるだけではなく、遺族の負担は桁外れに大きいという事実をです。まさか、車内で車掌が「飛び込まないでください。事故になったら、弊社から3000万円を請求します」とアナウンスできないし、どうやって周知するか難しいですね。

まあ、こんな口コミみたいなブログで皆に広がっていったらいいと思います。

成功とは

 

 

 

師走ということで、私のように大した用事も締め切りも仕事もないのに、心急くものがあります。

 

今月に入って、会う約束をした人と当日になって二度もドタキャンされたり、久しぶりに会おうと思った人には、「用があるので」と断られてしまうし、たったこんなことでどうも気落ちして元気がなくなってしまいました。

 

某誌に、毎回、面白い格言が載っています。非常に含蓄があるので、勝手ながら無断転載します。

 

●人生で最も大きな喜びとは、皆からあなたにはできないよと言われたことをやり遂げることだ。

 

ウオルター・バグホット(英作家・コラムニスト、1826-77)

 

●成功とは一つしかない。-それは、自分の人生を自分の思い通りに過す能力のことだ。

 

クリストファー・モーリー(米編集者・作家、1890-1957)

 

●成功とは、昔から言われているあのABCのことだ。つまり、能力Ability、運Break、勇気Courage。

 

チャ-ルズ・ラックマン(米建築家、1919-99)

霊感商法は詐欺だ

 

 

 

霊感商法で、現職の神奈川県警の警視宅が家宅捜査されましたね。取り締まるべき警察官が、グルだったとは驚きです。

 

この種の事件、つまり、人の不安につけこむ事件は、なくなりませんね。手を換え品を換え、消えては現れ、消えては現れます。マルチ商法も、自分は騙されないぞと思っても、なくなりません。今は、和牛商法ですが、以前は健康食品、養殖エビ、山林なんてのもありました。

 

霊感商法の話でした。

「これが効く」と言われても、証明できないところがミソです。「鰯の頭も信心から」という諺があるように、昔からこの手の「職業」はあったのでしょう。実際、それで、不安が軽減されて、運をつかんだ人も偶然にもいたことでしょう。

 

今回の「詐欺」の主役とされているのが有限会社「神世界」(しんせかい)と呼ばれているヒーリングサロンなのですが、「魂を昇らせるのに70万円」「特別祈願料で50万円」「御礼祈願料で40万円」…なるものが請求されるようです。サロンでは「警察の人がいるから安心」とセールストークに使っていたらしいのですが、こればかりは、嘘ではなく、本当だったので、笑えないほど悪質です。

 

神世界被害対策弁護団が昨日、記者会見してその実態を明らかにしたのですが、へったくそな字で「楽」とか何とか書かれた書などもありましたが、これも何十万円とかで売りつけられたのでしょう。そんなもん効き目があるわけないのに、不安に駆られて切羽詰った人が「警察のお墨付き」とか言われれば、コロリと騙されてしまうのかもしれません。

ワイドショーのキャスターが、「ある神社が御札を100万円で売ったら、これも霊感商法になるんでしょうかね」とコメンテイターに聞いたら、そのコメンテイターは「それはなりません」と答えていましたが、私なんか「そうかなあ。大して『神世界』と変わりがないじゃないか」と思ってしまいました。

 

よく、霊が見えるとか言う人がいますが、私の知っている範囲では、その人は決して、金銭を請求したりしませんでした。ですから、多額な金品を請求する人がいたら、その人が有名無名問わず、既成宗教だろうが、新興宗教だろうが、サロンだろうが、霊媒師だろうが、「商売」だと考えて間違いない、と断言します。

忠臣蔵は面白い!

12月14日の討ち入りは過ぎてしまいましたが、「サライ」12月20号の「忠臣蔵を旅する」特集は本当に面白かったです。討ち入りは元禄15年(1702年)12月14日。300年以上も昔なのに、文楽で取り上げられ、歌舞伎で取り上げられ、映画で取り上げられ、小説で取り上げられ、テレビで取り上げられ…。こんなに日本人が忠臣蔵が好きなのは何故なのか、興味深いところです。以前は、忠臣蔵はあまりにも取り上げられるので、食傷気味だったのですが、この雑誌を読んで、今まで知っているようで知らないことだらけだということを悟りました。

忠臣蔵には、史実とはかけ離れた芝居や脚色の世界では、陰謀あり、妬みあり、恋愛あり、何と言っても大願成就ありで、人物関係も複雑に入り組んでおり、語っても語っても語りつくせないところに魅力があるのでしょう。

何しろ、真実は分からないことだらけなのです。なぜ、浅野内匠頭長矩が松の廊下で刃傷事件を起こしたのか、真相は何もわかっていないのです。吉良上野介義央は、本当に悪者だったのか?以前、彼の領地だった愛知県播豆(はず)郡吉良町に行ったことがあるのですが、そこでは、吉良の殿様は、水害防止の堰堤を築いたりして、「名君」として知られていました。

こう書いてきて、漢字は読めましたか?浅野内匠頭長矩は、かろうじて「あさの・たくみのかみ・ながのり」は読めましたが、吉良上野介(きら・こうずけのすけ)の義央は一般的には「よしなか」と読みますが、地元吉良町では「よしひさ」と読むんだそうです。日本語は難しい。

大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)良雄にしても「よしかつ」とうろ覚えしていたのですが、「よしたか」とルビが振ってありました。

大石内蔵助が集めた討ち入りのメンバーは最初は120人ほどいたのですが、次々と脱落して、最後に参加したのは47人。このうち、吉田忠左衛門の足軽だった寺坂吉右衛門が引き揚げる途中で行方不明になっているんですね。「途中で逃亡したという説と広島に差し置かれた浅野大学(内匠頭の弟)への使者だったという弁護説があるが、真相は闇の中」(山本博文・東大史料編纂所教授)なんだそうです。

たまたま並行して読んでいる海野弘「秘密結社の日本史」(平凡社新書)にも秘密結社としての赤穂浪士のことが出てきます。

吉田忠左衛門は、大石内蔵助の参謀格で、軍学者近藤源八に兵法を学び、内蔵助の指令で江戸に出て、急進派の堀部安兵衛を説得し、新麹町に兵学者田口一真として道場を開き、同志の誓詞、神文の前書きなども作成したそうです。重要人物でした。

浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた原因については、朝廷の勅使の接待役になった内匠頭に礼儀作法を教えなかった吉良に対する恨みがあったという説が有力ですが、なぜ、吉良がいやがらせしたかについては、海野さんの著書によると、赤穂藩が賄賂を出さなかったという説から男色事件までさまざまあるようです。(男色事件とは内匠頭は男色趣味でも知られ、比々谷右近という小姓をかわいがっていたが、吉良がこの少年に惚れて譲ってほしいと頼んだが断られたという)

製塩をめぐる争い説は、製塩で莫大な裏金を作っていた赤穂の技術を吉良が聞き出そうとしたが、内匠頭は秘密だから断ったという話。(この説は、「サライ」では、吉良町内には塩田があったが、それは他領で吉良家の収入とは関係なかったので、否定されています)

さらに、すごい陰謀説は、南北朝の対立があるというものです。北朝派の将軍綱吉と南朝派の水戸黄門が対立しており、吉良は北朝派、浅野は南朝派だったというのです。「仮名手本忠臣蔵」では、南北朝時代の太平記に時代設定しているのは、南北朝の葛藤があったからという穿った意見もあるそうです。

奥が深いでしょう?

「信長の棺」の作家加藤廣さんもこの忠臣蔵に取り組んでおり、来年から週刊誌で連載が始まるようです。

楽しみですね。

おんばひがさ

 

 

 

私の勤める会社で、早期退職勧告がありました。いわゆる「肩たたき」ではなく、志願制です。目の玉が飛び出るくらい割り増しの退職金が出ます。先週、急にそのお知らせが回ってきました。

 

 

応募は12月17日から来年1月15日まで。先着20人!募集人員に達し次第、締め切り。

 

 

 

さすがに今回は考えましたね。私の信頼する何人かの人にも相談に乗ってもらいました。

 

最初に相談したのは、私淑する業界の先輩の調布先生です。結論的には、ニンジンをぶら下げて煽動しているだけだから「踏みとどまった方がいい」というものでした。残念ながら、このメールのデータは例の携帯水没事件で消滅してしまいました。

 

次に相談したのは、会社の先輩で占術師になったF師です。同師には、今年の春先にもみてもらったのですが、ちょっと岐路だと思いましたものですから、改めて相談に行ったのです。見立ては、こちらが勝手に解釈するれば、辞めても辞めなくても「何とも言えないが、どちらでも成功する」というものでした。

 

 

 

アメリカに住む親友のI君にもメールで相談しました。非常に厳しい見解ながら、かなり的確なアドバイスでした。

 

最後は、実際に「肩たたき」にあった銀行員だった兄に相談しました。こちらも「経験者は語る」談話で、説得力がありました。

 

で、どうなったのか?

 

皆さんにはあまり関心がないかもしれませんが、私の心は定まったとはいえ、ほんの少しだけ揺れていました。まあ、来年1月15日まで引き伸ばしてみようという魂胆もありました。

 

応募初日の17日の夜、調布先生にお呼ばれされて、新宿の有名な焼き鳥屋「ぼるが」まで飲みに行きました。そこには、某女子高の生活指導部長さんと漫画の原作者として有名な倉科遼先生の事務所の社長さんもいらっしゃいました。そこで、あまり個人的な話はできなかったのですが、調布先生から「あなたは、『おんばひがさ』ですから、よく考えた方がいいですよ」と再びアドバイスしてもらいました。

おんばひがさ?

 

聞いたことがない言葉でした。何しろ、調布先生の祖父は江戸時代生まれですし、博学多才の先生は言葉の魔術師です。

「おんばひがさ」とは「乳母日傘」と書きます。広辞苑によると、「乳母に抱かれて日傘をさしかけられなどして大事に育てられること」とありました。

うーん、抗弁できませんね。昨今のウオーキング・プアの実態を見てみると、世間の荒波は想像を絶するほど過酷なものがあります。その荒波にもまれていないことは確かです。

で、結果はどうなったのか?

うろちょろ迷っているうちに、わずか1日で「募集定員」に達し、締め切られておりました。

文は嘘なり

私のへなちょこのブログでも役に立つこともあるらしく、私の「緊急連絡」を読んでくださって、何人かの奇特な方からご連絡を戴きました。どうも有難う御座いました。

さて、先日、新宿の中村屋で作家のYさんと会食しました。

面白かったのは、文章と人格とは別だという話でした。

例えば、「品格」だの「品性」だのを売り物にして一躍、ベストセラー作家になった人を個人的によくご存知らしく、「あの人、とても上品とは思えませんよ」というのです。

それで思い出したのは、作家山本夏彦さんの名言「文は嘘なり」です。もちろん、「文は人なり」のもじりですが、やっぱり人は文章には騙されてしまうものです。

私も個人的に超有名な作家を知ることができましたが、その人は大変高邁な素晴らしいことを書いておきながら、単なる俗物で、自分の売名行為しか考えていないことが分かり、ひどくがっかりしたことがあります。今でも盛んに新聞にも書かれていますが、その人の名前を見ただけで、飛ばすことにしています。

政治家の場合は言葉ですね。昨今の年金問題やC型肝炎問題を見ても、夏の選挙で公約しておきながら、「3月末までにすべてやると言ったかなあ~」なんて惚けたりして、全く信用できません。

ねえ、福田首相?

佐世保乱射事件に想う…

 公開日時: 2007年12月17日 @ 09:31

また不可解な事件が起きましたね。佐世保の銃乱射事件です。

犯人とほぼ断定される馬込政義容疑者(37)が14日に、佐世保市内のスポーツクラブに友人の藤本勇司さん(36)を誘い出し、目出し帽と迷彩服という異様な装束に身をかためて、散弾銃で藤本さんとスポーツクラブのインストラクター倉本舞衣さん(26)の二人を射殺した事件のことです。

犯人は自殺してしまったので、理由が分かりませんが、どうやら、容疑者と射殺された藤本さんとは小学校か中学校以来の同級生で、一緒に釣を楽しむなど、かなり親しく交際していたようですし、倉本さんには容疑者が一方的に片思いしていたという報道もあり、この事件は単なる無差別乱射事件ではなく、計画的な特定殺人事件であることは間違いないようです。

最近は、このような親密な関係同士のトラブルが増えたような気がします。思い起こせば、今年1月にあの外資系のエリート高給社員が妻に殺害されバラバラになった遺体が見つかった事件で幕が開きました。続いて、医大受験に何度も失敗してくすぶっていた浪人生が妹に馬鹿にされて、その妹を殺害してバラバラにする事件もありました。

それからは自分の祖母、父、義姉…と次々といわゆる尊属殺人が起きました。

私は法律には全く疎いので、間違ったことを書くかもしれませんが、以前は尊属殺人といえば、特に罪が重かったのに、最近は、同じ殺人事件と扱われると聞いたことがあります。それだけ、尊属殺人が増えたということでしょうか。

考えてみれば、人間誰しも身近な人との関係で生きているわけで、そこには愛情があれば、すぐ憎悪に変わることもあります。何か世の中、殺伐としてきた感じです。

と同時に、こうして歳末を迎えると、東京ではどこから集まってきたかと思うほど身動きできないほど群集で通りは溢れます。銀座でも新宿でも渋谷でもそうでした。人にぶつかっても、日本人は一言も謝らない。電車に乗っても、着膨れして狭くなった座席に無理に押し込んできて、iPODの音量を大きくして傍若無人に振舞う若者というか馬鹿者も増えてきました。

世の中が、ギスギスしてきて、のっぺりとしたつかみ所のない社会になってきた気がしてしょうがありません。