ナベツネ考 

 

 

 

「小沢迷走」の舞台を作った張本人は、読売新聞グループ本社会長で主筆の渡辺恒雄氏だったらしいですね。

ここまで、政界を大混乱に陥れた男が、日本最大のマスコミのドンだったとは…。

彼は何を考えているのでしょうか?自らを「憂国の士」か何かと考えているのでしょうか?(福田首相を勝海舟、小沢氏を西郷隆盛、そして渡辺氏を坂本龍馬に例える週刊誌報道もありました)

山里会か山吹会か何か知りませんが、政界の大物と頻繁に会って、元首相をパシリに使って、日本国家を自らの人差し指一つで動かしていくのが自分の使命だと思っているのでしょうか?

本人は主筆として、読売新聞の社説で堂々と「大連立構想」を主張してきたらしく、ジャーナリストとしては、その手腕は認めますが、これでは、まるで、例えは悪いですが、火を付けて火事の原稿を書いているようなものじゃないですか。

本人は一切釈明していないので、真実は分かりませんが、「浅ましい」人だなあと思いました。

彼は大正15年(1926年)生まれですから、先頃の5年に1度の中国共産党大会で完璧に権力を剥奪された江沢民氏と、今でも病床にいるキューバのカストロ首相と同い年です。

そういう世代が、日本という国家をまだ動かしているわけです。

彼について、私は詩人ではないので、最初、言葉が見つかりませんでした。

関西人なら「えげつない」と言うでしょう。若者なら「うざったい」かな?

「みっともない」でも「哀れ」でもないし、「むごたらしい」では、ちょっとはずれます。「品がない」では、ちょっとニュアンスを言い切れていないような気がします。

やはり、「浅ましい」か、「さもしい」が一番、ぴったりです。

 

「私家版・ユダヤ文化論」3

公開日時: 2007年11月9日

内田樹氏の「私家版・ユダヤ文化論」では、まだまだ書き足りないと思っていたところ、変な小沢劇場があったので、伸び伸びになっていましたが、再開します。

内田氏は、この本の中で、以下のように述べます。恐らく、引用というより、盗用に近い長すぎる引用なのですが、この引用文を全部読んで頂かなければ、私の考えを展開できないので、致し方なく引用します。(ただし、原文のままではありません)

●「ユダヤ人とは何か」という問題ついて、フランスの哲学者サルトルはこう言う。

「ユダヤ人とは他の人々が『ユダヤ人』だと思っている人間のことである。この単純な真理から出発しなければならない。その点で反ユダヤ主義者に反対して、『ユダヤ人を作り出したのは反ユダヤ主義者である』と主張する民主主義者の言い分は正しいのである」

●陰謀の「張本人」のことを英語でauthor と言う。オーサーは、通常「著者」という意味で使われ、作家がその作品の「オーサー」であるという時、それは作家が作品の「創造主」であり、「統御者」であり、そのテクストの意味をすみずみまで熟知している「全知者」であるということを含蓄している。従って「単一の出力に対しては単一の入力が対応している」という信憑を抱いている人は、どれほど善意であっても、どれほど博識であっても、こういう陰謀史観から免れない。

●ユダヤ人問題について語るということはほぼ100パーセントの確率で現実のユダヤ人に不愉快な思いをさせることである。だから、ノーマン・コーンは言う。「ユダヤ人は彼らのためだけに取っておかれた特別の憎しみによって借りたてられたのだ」と。

●反ユダヤ主義者たちは、きっぱりとユダヤ人には「特別の憎しみ」を向けなければならないと主張してきた。なぜなら、ユダヤ人が社会を損なう仕方はその他のどのような社会集団が社会を損なう仕方とも違っているからである。

●「ユダヤ人たちは多くの領域でイノベーションを担ってきた」。この言明に異議を差し挟むことのできる人はいないだろう。「イノベーション」というのは普通、集団内の少数派が受け持つ仕事である。「イノベーター」というのは、少数者、ないし異端者というのとほとんど同義である。

●「ユダヤ人はどうしてこれほど知性的なのか?」

ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の状況がユダヤ人に強いた思考習慣、つまり、歴史的に構築された特性である。
ユダヤ人に何らかの知的耐熱性があるとすれば、それはこの「普通ではないこと」を己の聖史的宿命として主体的に引き受けた事実に求めるべきであろう。

●反ユダヤ主義者はどうして「特別の憎しみ」をユダヤ人に向けたのか?それは「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりにも激しく欲望していたから」というものである。反ユダヤ主義者がユダヤ人を欲望するのは、ユダヤ人が人間になしうる限りもっとも効率的な知性の使い方を知っていると信じているからである。

●ユダヤ教、ユダヤ人について語ることは、端的にその人が「他者」とどのようにかかわるかを語ることである。

よくぞ、ここまで読んでくださいました。

要するに私がいいたいことは、
●ユダヤ人というのは、人間の差別意識と嫉妬心から生まれたものである。

●何かが起きて、例えば、「サブプライムローンの破綻」でも、「第2次世界大戦」でも何でもいいのですが、人間は、すぐ、ユダヤ人の「陰謀」などとこじつけたがる。しかし、そもそも「陰謀」などというものはこの世に存在しないのだ。

●陰謀説を信じる人たちは、「そうしないと気が済まない」人たちなのだ。

●たまたまユダヤ人だと、その首謀者として血祭りに上げやすい。

●しかし、差別心と陰謀説を信じることは全くコインの裏表で、根は同じなのだ。

●人間は、いつ、どんな時代でも、自己証明と、優越感と安心感に浸りたいがために、常に差別する対象を求めるものだ。

●差別とは、自己と他者との関係性の中で不可避的に生まれるものである。

…そんなことを考えました。

結婚とは…

 

 

 

結婚とは、一組の男女が、一時の熱情にかりたてられて一緒になり、ともに狭い部屋に棲むことである。

と作家の渡辺淳一氏は言います。(出典は省略します)

狭い部屋に一緒に棲むからさまざまなトラブルが生じるのだと言います。

恋人時代や婚約時代にはお互いに見えなかった欠点が一緒に棲むようになると見え、お互いに嫌になるというのです。

「結婚は7年制にして、その都度更新したらいい」と発言したドイツの女性政治家もいました。

私は、コメントを避けます。福田首相みたいでしょう?

小沢氏の続き


昨日は休んで失礼致しました。
急に冷え込んで体調をちょっと崩したのと、帰りの電車で人身事故があり、あまりにも電車が来ないので、某駅から、自宅まで約50分かけて歩いて帰ったら、とても、パソコンの前に座る気力もありませんでしたもので…。

実は、小沢一郎さんの記事も書きかけでした。でも、彼は前言を翻して代表を復帰してしまったので「もう、好きにしてください」という気分です。

唐突な比喩ですが、あの小沢さんの行為は、関が原の戦いで、土壇場になって徳川方に寝返った小早川秀秋みたいなものです。これは、国民は忘れてはならないと思います。

その一方で、福田首相の(説明)責任も問われていますが、その通りだと思います。「私は説明しない」と開き直っていては、また憶測を呼ぶだけです。

読売新聞のナベツネ氏の陰謀説やら、小沢氏を第二の角栄とすべきアメリカの陰謀説とやらが週刊誌に面白可笑しく書かれているようですが、(まだ読んでません)陰謀といわれるほど、今回の話は奥深いものではなく、単なる茶番劇のような気がしてなりません。(アメリカの言うことをきかない小沢を貶めるために、アメリカが罠をかけたという陰謀説は説得力があって、とても面白いですけどね…)

「永田村」に住む甘やかされて育った議員2世の駄々っ子ぶりが露呈しただけのような気がします。

小沢氏に異議あり


今の政界は大混乱ですね。

新聞を通してしか情報を得ていませんが、どうも小沢一郎さんという政治家は、もう引退した方がいいんじゃないかと思います。同氏の代表辞意に翻意を促す民主党幹部も同罪です。これで、本当に政治に対するイメージが低下し、国民の政治不信は増長するのではないでしょうか?

「大連立」構想を、福田首相が先に持ちかけたのか、小沢さんが持ちかけたのか、密室談合で行われたわけですし、真実はこの二人だけしか知らないので、分かりません。ただ、福田首相の「あうんの呼吸」という言い方は、どうも、小沢さんが乗り気だったということを証明したようなものです。

これは、国民に対する裏切り行為ではないでしょうか。あれだけ、小沢氏は「自民党に代わる政権を樹立する」と選挙でも訴えてきたわけですからね。その言説に期待に込めて有権者は民主党に過半数の議席を与えたわけですから、連立を組むなどということは、裏で手を組むようなもので、国民は、まるで、二階に上らせられて、梯子をはずされた気分です。

小沢氏に政権という政治権力を託すのは危ういという判断は至極まっとうだと思うのはもう私だけではないでしょうね。

それに、政治というのは、思ったほど、頭脳明晰な人たちが慎重に、思慮深く、高尚に知的活動として行っているのではなく、目的を達成するためには手段を選ばず、夜郎自大的で、騙したり、すかしたり、脅したり、裏切ったりすることだということを今回、白日の下に晒された感じがします。

政治の世界は全く「一寸先は闇」です。

つまらない芝居を見せられた感じです。

ジョン・レノン・ミュージアム

公開日時: 2007年11月5日

一昨日、さいたま新都心にある「ジョン・レノン・ミュージアム」に大野さんと行ってきました。
5年ぶり3回目ぐらいです。

若い大野さんは、ビートルズを知らないどころか、ジョン・レノンがニューヨークのダゴダ・ハウス前でマーク・チャップマンによって暗殺された日より、後に生まれているので、あまり、ジョンについてはよく知らないはずです。私が無理やりに連れて行ってしまったのですが、それでも、館内でかかっていたビートルズやジョンの曲は聴いたことがあるらしく、「今でも、彼らの音楽は、世界中の若者を引き付けているんだなあ」と思うと感慨深いものがありました。

レプリカではなく、ジョンが実際に弾いていたギター(リッケンバッカーやエピフォン・カジノ、ギブソン160E、ギブソンSG等)などが展示されているので、何で、こんな埼玉県にジョンの遺品があるのか不思議でしょうがありませんでした。

何でなんでしょうか?

ビートルズが全盛期だった1965年ごろまで、ジョンはリッケンバッカーを使っていましたが、このギターの胴部に演奏曲目リストが貼っていて、そのまま、展示されています。何度見ても、感動してしまいます。

面白かったのは、ジョンは、ちょくちょく日本を訪れていましたが、日本のJCBカードも契約していて、その展示されていたカードには「ジョン・レノン」と日本語のカタカナで印字されていたのです。有効期限は、昭和56年で、暗殺される1年後でした。

それと、ジョンは手相占いをしたらしく、彼の手形も展示されていました。その手形を合わせてみたら、本当に不思議なことに、私とまったく同じサイズでした。これには驚きです。

確か、身長も私は彼と同じくらいです。展示されているステージ衣装などをみると、随分、小さく、痩せてみえましたが、手形と身長が私と同じだと、何か、彼に非常に近しい親しみを感じてしまいました。

しかも、ジョンは、ヨーコの影響で歌舞伎など日本文化にも興味があったらしく、彼が特別に誂えてた煙管も展示されていたので、本当に不思議な縁を感じてしまいました。

「私家版・ユダヤ文化論」2 

公開日時: 2007年11月4日


(続き)
著者の内田氏は、ユダヤ人について、こう定義します。

第一に、ユダヤ人というのは、国民名ではない。

第二に、ユダヤ人は人種ではない。

第三に、ユダヤ人はユダヤ教徒ではない。

こうなると、ますます分からなくなってしまいます。第一、これでは、定義になっていません。

そこで、著書はこう続けるのです。

ユダヤ人がユダヤ人であるのを、彼は「ユダヤ人である」とみなす人がいるからであるという命題は、ユダヤ人とはどういうものであるかについて事実認知的な条件を列挙しているのではない。ユダヤ人はその存在を望む人によって遂行的に創造されるであろうと言っているのである。

うーん、難しいですが、これは何にでも当てはまる社会的歴史的根本的事象であることは確かですよね。

「私家版・ユダヤ文化論」

公開日時: 2007年11月3日

久しぶりに脳天がぐじゃぐじゃになるくらい刺激的な論考に出会いました。

内田樹「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)です。小林秀雄賞を受賞した話題作だったので、致し方なく買って、そのままにしていたのですが、フトと思い出したように手に取って、読み始めたら、もう止まらない、止まらない。面白くて、面白くて、ページを繰るのがもったいない気持ちになってしまいました。

すごい本です。人間の思考法を根底からひっくり返すような挑発的な言辞が羅列されています。

この本を「理解」することは、読者のそれまでの生活、信条、読書遍歴、嗜好、志向、思考がすべて問われている、と言っても過言ではないでしょう。

この本では、「ユダヤ人とは何か」というテーマで一貫して問われています。

この話は1回だけでは終わらないので、初回は、皆さんも意外と知られていない歴史上、そして現代でも活躍している「ユダヤ人」と呼ばれている人たちを本書から引用してみます。

【学者】

スピノザ、カール・マルクス、フロイト、レヴィ=ストロース、アインシュタイン、デリダ

【映画】

チャップリン、マルクス兄弟、ウディ・アレン、ポール・ニューマン、リチャード・ドレイファス、スティーブン・スピルバーグ、ロマン・ポランスキー、ビリー・ワイルダー、ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン

【クラシック】

グスタフ・マーラー、ウラジーミル・アシュケナージ、バーンスタイン

【ポップス、ロック】

バート・バカラック、キャロル・キング、フィル・スペクター、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、ビリー・ジョエル、イッギー・ポップ、ルー・リード、ジェーリー・リーバー&マイク・ストーラー、ジーン・シモンズ(kiss)、バリー・マニロウ、ベッド・ミドラー、ニール・ヤング、ブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネジャー)

ユダヤ人は世界の人口のわずか0・2%しか占めないのに、1901年に創設されたノーベル賞で、2005年度までの統計によると、ユダヤ人が占める割合は医学生理学賞で26%、物理学賞で25%、化学賞で18%にも達するのです。彼らはどうして、これほどまでにも優秀で他から抜きん出ているのでしょうか?遺伝?熱心な教育熱?それとも、選ばれた民であるから?

そもそもユダヤ人とは誰を指すのでしょうか?

なぜ、これほどまで彼らは迫害されるのでしょうか?

すべての「答え」が本書に詰まっている、という言い方はできませんが、少なくとも、考えるヒントだけはぎっしりと詰まっています。

読者に考えさせるのが、この本の主要目的でもあるからなのです。

(続く)

「江戸を歩く」

公開日時: 2007年11月2日

 

田中優子著、石山貴美子・写真の「江戸を歩く」(集英社新書)を読了しました。久しぶりに、読書の悦楽を堪能しました。

 

なぜなら、この物語は、この本の中の世界にしかないからです。もう100年以上昔に消滅した江戸の痕跡を求めて、著者は逍遥します。まさに「失われた時を求めて」です。

そこにあるのは、郷愁でも懐古趣味でも何でもいいのです。現実に、もう失って、再現することも不可能です。しかし、この本の中にだけは、その時代の生活と文化が生き生きとしているのです。

少し、備忘録を兼ねて、引用したいと思います。(原文そのままではありません)

●日本は、伝統的に「御霊(ごりょう)信仰」だった。御霊は、「みたま」とも読む。死者の霊に対する畏れの感情とともに、そう呼んだ。橘逸成、藤原広嗣、吉備真備、菅原道真(天満宮)、平将門(神田明神)ら、時の権力者との抗争に敗れて、怨念を持って亡くなった場合、怨霊となって、この世に天災や疫病をもたらすと、昔から考えられてきた。そこで、彼らを鎮魂し、悪を制御するために、大掛かりな祀りを行ってきた。京都の祇園祭も、869年に八坂神社の御霊会(ごりょうえ)として始まっている。

(いわば、敵味方なく、むしろ、朝敵に対して、日本人は篤くまつりごとを行ってきたのだ。)

●しかし、明治維新政府は、この信仰を捨てることで「近代化」を成し遂げようとした。敵を無視し、味方の軍人だけを「英霊」と呼んで、靖国神社に祀るようになったのだ。

(要するに、靖国神社は、徳川幕府をクーデターで倒した薩長土肥のための宗教施設であることには変わりがないということでしょう。ここには、新撰組も会津藩士も祀られていない、維新政府に歯向かったということで、元勲西郷隆盛も祀られていない)

●浅草三社祭の「三社」とは、檜前浜成(ひのくま・はまなり)、竹成(たけなり)兄弟とその主人の土師臣真中知(はじのおみのまつち)のことで、この三人は八世紀頃、朝鮮半島から逃れてきた渡来人だった。渡来人は、馬の飼育、漁の技術、麻、絹、瓦、文字、画、皮革、そして、仏教をもたらした。土師は、埴輪、土器、墳墓の技術者だった。

 

●向島百科園は、骨董屋を営んでいた佐原鞠塢(さわら・きくう)が隠居後の1804(文化元)年に開いたサロンで、幕臣で狂歌連のリーダー大田南畝、姫路藩主の弟で画家・狂歌師の酒井抱一、画家の谷文晁、旅館経営者で作家で国学者の宿屋飯盛(やどやのめしもり=石川雅望、まさもち)らが集った。

●人形町は、浅草の猿若町に移転するまで、1632(寛永9)年から1842(天保13)年まで210年間の長きに渡って芝居町があった。

●「お茶の水」は、二代将軍秀忠が、鷹狩の帰りにここに立ち寄り、そこの湧き水で飲んだお茶が忘れず、この地名がついた。

●江戸は風水に基づいて計画的に作られた都市で、江戸城の場合、まず、城の正面の入り口に当たる大手門が東に作られた。その反対の西には富士山が見える。大手門の北には隅田川が流れ、南は、あえて、「虎の御門」と名付けられた。風水では、北(玄武=げんぶ)に山、南(朱雀)に水、西(白虎)に道、東(青龍)に川がなくてはならないので、大手門を南、その反対の富士山を北、虎ノ門を西、隅田川を東に見立てた。

また、江戸城を中心にして、鬼門である東北に寛永寺と浅草寺を配し、ちょうど反対側の南西の位置に増上寺を置く。増上寺が南にずれている方向を修正するかのように、外堀に沿って山王社が建てられ、江戸城をはさんでその反対側に、やはり外堀(神田川)近くに神田明神がひかえている。いずれも、江戸の総鎮守と言われ、天下祭が行われている。

 

●大田南畝(おおた・なんぽ)は、江戸中期文化のリーダーであり、スターである。牛込中御徒町、現在の新宿区中町で生まれ育った。1767(明和4)年、18歳で「寝惚先生文集」を刊行し、平賀源内に支持され、狂詩のジャンルを確立。20歳で、狂詩から狂歌に取り掛かる。江戸文化の行方は、平賀源内ー大田南畝ー山東京伝の順番の世代交替によってリードされた。

(野口武彦「蜀山残雨」が読みたくなりました)

 

●神楽坂の路地奥の和風旅館「和可菜」に泊まり、銭湯「熱海湯」に入り、江戸時代そのままのような居酒屋「伊勢藤」で、一杯ひっかける。「神楽坂では飲んだり食べたりするだけでなく、滞在することをおすすめする。私は仕事に行くのも家に帰るのもいやになった」と著者は書く。

 

ああ~私も江戸情緒を浸りに、また神楽坂に行きたくなりましたねえ。(上のコースでお会いするかも?)

「帝国海軍vs米国海軍」


 


  文芸春秋11月号の「帝国海軍vs米国海軍 日本はなぜ米国に勝てないのか」を読んで驚いてしまいました。このブログでも何回か取り上げましたが、同誌が特集した「昭和の陸軍」(6月号)、「昭和の海軍」(8月号)に続く第3弾の座談会です。


 私は昭和初期の歴史に興味があるので、本当に食い入るように読んでしまいました。


 座談会の出席者はおなじみの、半藤一利、福田和也、秦郁彦、戸高一成、江畑謙介、鎌田伸一の各氏です。本当に「オタク」じゃないかと思えるくらい、彼らは細かい事歴に精通していますね。本当に頭が下がります。


 


 私が驚いてしまった、と書いたのは、ミッドウエー海戦のことです。あれで雌雄が決して、日本の敗戦が決まったようなものなので、私は、最初から日本は勝ち目がなく、随分、無謀なことをやったものだ、とばかり思っていたのですが、座談会の列席者によると、戦う前は、どちらが勝つか分からず、むしろ、日本軍の方が圧倒的に優勢だったというのです。


 ミッドウェー海戦を指揮したスプルーアンス氏も後年、秦氏に対して「私はラッキーだった」と非常に謙虚に述べたというのです。当時の日本海軍の第一航空艦隊は世界最強と言われ、パイロットの練度、士気、航空機の性能などからして、この評価は妥当だったというのです。


 要するに、戦う前は、兵力も戦闘能力もアメリカ側が劣勢だったらしいのです。


 


 この話には驚いてしまいました。歴史にイフがなく、結果的に日本側の失態で負けてしまったわけですから、今から何を言っても始まらないのですが、「随分、無謀なことをやっていた」という考えだけは改めなければならないと思いました。おっと、「君は随分、右翼の軍国主義者に変貌したね」と言われそうですが、もし、あの時代に私が生まれていたとしたら、小林多喜二や三木清にはなれなかったと思います。


イデオロギーや主義では生きてはいませんから。