不思議な体験6

6月2日以来の「不思議な体験」の続きです。

室岡さんの返信メールのことでした。そこには次のようなことが書かれていました。

「私のやってきたことが、西洋医学、あるいはそれに類する学問の分野によって否定されてきたことは百も承知です。否定材料を探すことはまったく楽なことです。だから、そういうことはそちらにお任せして結構です。しかし、事実は小説よりも奇なりです!百も承知でありながら、臨床的に実際に効果があることに目を奪われてきました。自分なりに勘を頼りにやっているのですが、勘がいけない、というのでは恐らく何の発展も危機の回避もできなくなるのではないでしょうか?どんな発明も発見も、結構、偶然とか勘とかがきっかけのようです。私は『感じる』ことを大切にしたいのです。もしそれがプラセボ効果だとしても、それだって素晴らしいことじゃないですか。もともと私のやっていることは常識を打破して新しい分野をみつけようということですから、否定やご批判はまったく自由であります」

つまり、室岡さんは、「否定と批判」は覚悟で邁進していたのです。

世の中には、科学では証明できないことが沢山あります。

私は室岡さんに大胆にも「あなたのやっていることは、学会では全く認められていませんし、出鱈目だと言われてますよ」と挑戦状をたたきつけたのです。

これに対して、彼が、曖昧なことを言って逃げ隠れしたりたら、正直、もう彼のことを信じるのはやめようと思っていたのです。

「自分のやっていることは正しいと思ってやっている」でもいいし、「ビジネスのためにやっている」でも何でも良かったのです。真っ正直に答えてくれれば、それでよかったのです。

返ってきた答えは、私が想像した以上に実に誠実でした。少なくとも私にはそう感じました。ですから、彼から受けた不思議な体験を書こうと思います。

その話は次回で。

つづく

山崎朋子さん

かんの温泉

今晩は、ノンフィクション作家の山崎朋子さんと銀座でお会いしました。山崎さんから先週「お渡ししたいものがあるのですが…」という電話を受け、ジョンとヨーコが雲隠れした例の喫茶店「樹の花」で待ち合わせしたのです。

「お渡ししたいもの」とは何だと思いますか?

秘密にしたいので、コメントを戴いた方にだけお教えしましょう。

山崎さんとは、本当に色んな話をしました。座を代えてすぐ近くの穴場の居酒屋「中ぜん」で4時間くらい粘ってしまいました。山崎さんはお酒は召し上がらない人なのに、私が一人でパカパカ飲んでいるものですから、ほんの少しだけ付き合ってくださいました。

山崎さんはもちろん、パソコンもしませんし、携帯も持っていません。ブログも知らないかもしれません。だから、好き勝手に書こうと思えば書けるのですが、そこまでしようとは思いません。

三国連太郎さんのこと、田中絹代さんのこと、栗原小巻さんのこと等色々お伺いしましたが、書けないこともたくさんあります。

書けることは、今度、山崎さんの代表作の「サンダカン八番娼館」が、カンボジア語に翻訳される話があるが、今許諾しようか、しまいか迷っているという話です。

山崎さんは、本当に好奇心の塊みたいな人です。これだけ有名な方ですから、皆さんも簡単に彼女の実年齢を調べることができるでしょうが、まだまだ少女のあどけなさが残る純真な人です。これだけ、世間に揉まれながら純真さを失わないのは人類史上稀有なことだと思います。

何か奥歯にモノが挟まったようなモノ言いで恐縮ですが、彼女は作家でありながら、ゼネラルプロデューサー、つまり仕掛け人でもあるのですが、その自覚がほとんどありません。行き当たりバッタリ、という言い方は失礼なのですが、ぶつかった対象相手にトコトンぶつかって、それが、文学作品になろうがなるまいが関係ない。ですから、メモも取らず、テープにも録音しないそうです。全く作為がないのです。

「私の名前は朋子ですから、一度、お友達になった方は、相手が嫌で離れるまでずっとお付き合いします」

なかなかの人です。

彼女に興味を持った方は、彼女の「サンダカンまでー私の生きた道」(朝日新聞社)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022576782/503-8476322-6834359?v=glance&n=465392

をご参照ください。

奇妙な一致

北海道鹿追町

 

先週の土曜日、ある会合に参加しようと思い、駅に行ったところ、電車が動いていませんでした。人身事故でした。40分ほど待っていましたが、「運転再開の目途もたっていない」というので、どうしたらいいか途方に暮れてしまいました。どうしても参加したかった会合でしたが、結局、諦めることにしました。遅刻しても、講師の話が終わってしまっているからです。

 

翌日の新聞で、19歳の予備校生の飛び込みだったことが分かりましたが、私は、諦めてよかったと自分自身、納得させました。「行かなくていい」というメッセージだと思い込むことにしました。

 

というのも、最近、何やら天からのメッセージのような奇妙な一致を感じる場面が相次いでいるのです。

 

このブログに関連しています。

 

例えば、5月19日に、五日市剛さんのことを書きました。すると、翌日、私が紹介した全く同じ本が新聞の広告欄に載っていたのです。

 

6月3日に「ナイロビの蜂」を書いた翌日、主演女優のレイチェル・ワイズが男児を出産した、というニュースを目にしました。

 

6月4日に「星の王子さま」のことを書きました。すると、今日の夕刊に、「星の王子さま」のことが出ていて、昨年、多くの出版社から翻訳本が出たのは、岩波書店の独占翻訳契約が昨年で切れたため、と書いてありました。(私の推理ははずれた)。そして、日本で初めて翻訳した内藤さんは、当時、70歳だったということも書いてありました。

 

さて、「天からのメッセージ」のことで、決定的なことを書きます。

 

昨日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見て、プログラムも買ってきました。そのプログラムを何気なく見ていたら、解剖学者の養老猛司氏の論文(毎日新聞からの孫引き)が載っていました。そこには、こう書いていました。換骨奪胎します。

 

「ダ・ヴィンチが500年前に手稿に書いていたことは、とことん変わらない当たり前のこと、つまり普遍性に目を向けていた。一般の人が日々、ローカルで特殊なことばかりに関わっていた中、彼は何百年という尺度でモノを考えていた」

 

私は、これを天からのメッセージと受け取ったわけです。

 

「星の王子さま」で触れましたが、サン=テクジュペリの言う「心でしかモノが見えない。大切なモノは目で見えない」という言葉の真意が、実はよく分からなかったのですが、この養老さんの言葉でハッと分かったのです。

 

つまり、私なりに、解釈するとこうなるのです。

 

「目先のことばかりを追っていると、大切なことを見失ってしまう。想像力を使わなければ、物事の本質はつかめない」

 

ダ・ヴインチの作品が、なぜ、500年も経っても人々を魅了し続けているのでしょうか?

 

それは、彼は同時代の、同世代のつまらない生活やら出世やらの悩みを超越して、100年先、500年先の世界を見越して仕事していたからに他なりません。

 

実は、私自身、東京に戻ってから、どうしようもないくらい、目先の事に追いまくれて八方塞がり状態でした。自分で「見えない壁」を作って悶々としていました。本当に大切なことを見失っていました。

 

そこで、自分で見えない壁を作れるのなら、「見えない橋」も作れるはずだ。サイモン&ガーファンクルのような「明日に架ける橋」を想像力で作れるはずだ、とハタと気づいたのです。

 

この感覚は私を開放してくれました。

 

立派な仕事を残した人は時間を超越しています。イエスは2000年経っても、滅びません。孔子も老子も釈迦もムハンマドも然りです。

 

これまで生きてきた人類の何十億、何千億人の人々が、日々の生活に追われ、組織内の争いに汲々し、町内会の付き合いに翻弄されてきたことでしょう。その中のホンの一握りの天才が、何百年という尺度で、仕事をしてきたのです。

 

今、話題の村上世彰氏は46歳で引退宣言しました。「一発どでかいことをしてやる」と宣言して、灘高ー東大法学部ー通産省という絵に描いたようなエリートコースに進み、最後は証取法違反と暴力団紛いの恐喝で何百億円という自己資産を残し、シンガポールにプール付きの11億円のマンションを買い、渋谷に13億円の豪邸を建てるから本人は大満足でしょうが、後世の人は何と言うでしょうかね。

 

いや、その前に同時代人として言わせてもらいたい。

 

村上君、君は時代のヒーローなんかじゃない。実に頭のいいさもしい人間だ。

 

「ダ・ヴィンチコード」★★★

やっと、映画「ダ・ヴィンチコード」を見てきました。
見る前は、酷評ばかり目にしました。
例えば、「ラングトン教授役のトム・ハンクスは、とてもハーバード大学の宗教象形学者には見えない。あくまでも、トム・ハンクスにしか見えない」

「トム・ハンクスの長髪が似合わない。あれは鬘だ」

「物語の展開が早すぎて何がなんだかわからない」

「わずか2時間半に沢山のものを詰めすぎ」等々…

確かにそういう所がありました。原作を読んでいなければ、よく筋がわからないかもしれません。それでもあえて言いますが、「とてもよかった」

DVDでもう一度じっくり見たいくらいです。

暗号解読官ソフィー役のオドレイ・トトゥが非常に知的に見えてよかった。何しろ、彼女はイエス・キリストの末裔ですからね。

世界中の熱心なキリスト教信者がこの映画をボイコットしているそうですが、確かにわからないわけではありませんね。彼らにとっては、イエスにマグダラのマリアという妻がいて、おまけにイエスが磔になった後、マグダラのマリアはフランスに逃れて娘をもうけたという話は荒唐無稽どころか冒涜そのものなのですから。

しかし、エンターテインメントとしてはよく出来ています。監督のロン・ハワード(あの「アメリカン・グラフィティ」のそばかす少年!)がよく世紀のベストセラーを映像化したものです。(「ダ・ヴィンチコード」の日本語版文庫が1000万部に達したそうです。)

星の王子さま

サン=テクジュペリの不朽の名作『星の王子さま』を遅ればせながら読んでいます。

教科書に載っていたのか、子供の頃から何度も「帽子」の話は読んだ記憶があります。が、通しで最後まで読んだ記憶がありません。フランス語を習い始めた頃は、もうこれは子供が読む童話だと思っていたので見向きもしませんでした。

しかし、その考えは間違っていました。サン=テクジュペリは「はじめに」で、きっぱりと断っています。子供の頃の純真さを失った大人に向けて書いているのです。

童話でなくて寓話です。ですから、登場するキツネも薔薇も狩人も地理学者もビジネスマンも何かを象徴しているわけです。とてもとても深い物語です。

『星の王子さま』を読んでいます、と書きましたが、日本語ならわずか2時間くらいで読めてしまいます。しかし、深くじっくり読むと、もっともっと時間がかかるのです。だから今でも読み続けているのです。

オリジナル作品は、1943年に出版されました。日本では1953年に内藤濯氏による翻訳が最初です。

Le Petit Prince は「小さな王子」というのが直訳ですが、これを「星の王子さま」と翻訳したのが内藤氏の功績です。1999年の時点ですが、世界的なベストセラーの第一位が「聖書」で第二位がマルクスの「資本論」。第3位が「星の王子さま」なんだそうです。累計販売数で5000万部だそうです。

日本では昨年から今年にかけて急に翻訳本が出ました。目に付くものだけでも、倉橋由美子訳(宝島社=05年6月)、山崎庸一郎訳「小さな王子さま」(みすず書房=05年8月)、池澤夏樹訳(集英社文庫=05年8月)、稲垣直樹訳(平凡社=06年1月)、河野万里子訳(新潮社文庫=06年3月)と5種類もあります。

これは異様ですね。

私の推理ではサン=テクジュペリの著作権が切れたせいだと思われます。彼は1944年7月31日に偵察飛行に飛び立ったまま、南仏上空で行方不明になります。44歳の若さでした。通常、著作権は50年なのですが、第二次世界大戦の戦勝国は、戦時中に著作権が保護されなかったとか何とか言って、もう10年くらい引き伸ばされています。昨年は戦後60年でしたから、堂々と出版できたのでしょう。

ということで、読み始めると、翻訳本といっても訳し方が様々でどれも違うのです。手始めに、倉橋さんの遺作となった作品を読むと、さすがに小説家だけに読みやすい。しかし、彼女流の意訳も多いのです。

一番、原作に近いのは、サン=テクジュペリの研究者でもある京大大学院教授の稲垣さんの訳ではないでしょうか。実は、彼は、現在、NHKラジオのフランス語講座の講師をやっていて、私は、それに触発されて、フランス語で読み始めたのです。テキストには訳が載っていますが、3分の2くらいで、残りはカットされています。それで騙されて彼の翻訳本を買わされてしまったわけです(笑)

フランス語のお勉強は実に四半世紀ぶりです。

『星の王子さま』のハイライトは、何と言っても、キツネが王子さまに3つの「秘密」を説き明かすことです。

その1=「心でしかものは見えないんだよ。大切なことは目で見えないんだよ」

その2=「バラのために失った時間こそが、君のバラをそれだけかけがえのないものにするんだよ」

その3=「君が馴染んだものに対してはいつまでも君には責任があるんだよ」

急に読んだ方は何を言っているのかわからないでしょうが、大変な隠喩が含まれています。

是非、原書で読んでみてください。

「ナイロビの蜂」★★

今日は久しぶりに映画を見ました。3月に帯広で見て以来ですから3ヶ月ぶりです。
観たのは、今話題の「ナイロビの蜂」です。ブラジル人のフェルナンド・メイレス監督作品。原作はスパイ小説の巨匠ジョン・ルカレ。主演は「イングリッシュ・ペイシェント」でアカデミー主演男優賞を受賞したレイフ・ファインズ(この俳優さん、私は好きですね)とこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞したレイチェル・ワイズ。

とにかくストーリーが錯綜していて分かりにくかったですね。ファインズ扮するジャスティン・クエイルは英国人の外交官で、新妻のテッサ(ワイズ)を伴って、ケニアのナイロビの大使館に一等書記官として赴任するが、妻のテッサは、ある陰謀の実態を調査しているうちに、刺客に狙われて、結局、事故にみせかけて殺害されてしまう。その陰謀とは、国際的な製薬会社が、新薬の効果を調べるために、ケニア政府と裏で取引して、貧しいケニア人を使って、人体実験をしているというものだった。この背後には、英国の外務省のアフリカ局長もからんでいた、という一大スキャンダルで、テッサは、口封じのために殺されたのだ。妻の「事故死」に不審を抱いたジャスティンは、妻の足跡を追っているうちに、次第に組織に狙われるようになるーといった内容です。と、まだ観ていない人には悪いのですが、書いてしまいました。

しかし、これは私が映画で観てとった内容であって、本当は、もっと違う話かもしれないというのが正直な感想なのです。カメラはわざとぶれて、ドキュメンタリー・タッチで撮っています。主人公と一緒に、ケニアのスラム街を歩いているような気分にさせてくれます。

名門ケンブリッジ大学出の才媛レイチェル・ワイズの美しいこと!妊婦姿でしたが、あれは本物だったのか、CG(?)なのか今でもわかりませんが。

原題は、 The constant gardener です。何でこれが「ナイロビの蜂」になるのかー映画を観れば分かるでしょう。原題は、ジャスティンが、あまり妻の行動に関心を示さず、というか束縛しないで、自分は、好きなガーデニングに打ち込んでいた。その結果、妻を死に追いやってしまったという負い目を感じたから、この題をつけたのではないかと勝手に想像しています。

言っておきますが、私の読みは浅い!

観ている途中で「ありえない」と不思議に思う場面が何度もありましたが、とにかく、アフリカの大地の映像と音楽は素晴らしかったです。それだけでも観る価値があると思います。

ついでながら、ネットで間違えて「ナミビアの蜂」と検索したら、社民党党首の福島みずほさんのブログをはじめ、かなりのヒットがありましたが、これは「ナイロビの蜂」の間違いですよね?何だかよくわかりません。

不思議な体験5

「不思議な体験」の続きです。5月26日以来です。何でこんなに間隔があいたかについては、徐々に説明します。前回はこう書きました。

『室岡さんが、最終的に行き着いた所は、パキスタンにあるフンザという村でした。ここに、100歳近い老人がゴロゴロしていて、しかも矍鑠して、簡単な農作業にも従事している。

室岡さんは、フンザの村人たちが、なぜ、長生きできるのか、調べてみることにしたそうです。』

こうして、室岡さんは、村人がなぜ長生きするのかー。その秘訣が「水」にあったことを突き止めたのです。

いわゆる「フンザの水」と言われ、1960年代から欧米でも注目されてきました。

しかし、その室岡さんの説に、真っ向から反対する意見の人が、最近になって私の目の前に現れたのです。その人は、ある大学のヒンドゥー(インド)学の教授で、その道の権威です。カースト制度に関する著作など、何冊か一般向けに本も出している人です。

この人とは、いつぞや書いた「マリー・クレール」の生駒編集長の講演会の後の2次会で知り合いました。早速、この「フンザの水」の話を向けると、彼は「そんな話はデタラメで、全く学会では認められていない。1960年代にレニー・テイラーという人が、フンザを不老長寿と健康の秘境の地として売り出したのが始まりで、そもそもフンザには戸籍もないので、本当の年齢が分かるわけがない。要するに、全くの作り話で出鱈目だ」と全面否定するのです。

これには、大変困ってしまいました。世に言う、とんでもない話を捏造して、健康食品を売りつけたり、治療と称してわけの分からない施術をほどこして大金を巻き上げるーいわゆるインチキ商法ではないかという疑念が生じたからなのです。

そこで、室岡さんにメールで問い合わせることにしました。しかし、待てど暮らせど、なかなか返事が来ない。

諦めかけた頃、そう昨晩、やっと彼からメールの返事が来たのです。

つづく

とかくこの世は

子供が両親を殺して、自分も自殺する事件が千葉県習志野市でありましたね。広島県や秋田県では子供が殺される事件が相次ぎました。こういうことをあまり取り上げたくないのですが、随分殺伐な世の中になってきました。

一方では、自殺者が8年連続3万人を突破しているという異常事態が続いているのに、他人事として、あまりにも無関心が蔓延っています。

せめてもの救いはサラリーマン川柳です。

銀座でわずか千円の床屋を見つけました。洗髪も髭剃りもなく、カットのみ。約10分間。これが結構流行っているらしく、すでに川柳になっているそうです。

散髪代 犬が1万 俺千円

同じような川柳が以下の通り。

お昼時 妻はセレブで 俺セルフ

説明はいりませんね。

米原万理さん

ロシア語の通訳で作家の米原万理さんが5月25日に卵巣がんで亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

米原さんとは、もう10年ぐらい前に一度だけ会ったことがあります。もう名前は忘れてしまいましたが、ロシア人のピアニストのインタビューの際に通訳として立ち会ってくれたのです。

当時の米原さんは「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞を受賞するなど、作家として有名で、バリバリと作品を発表していたので、その時、「まだ、通訳の仕事をしていたのか」と意外な感想を持ったことを覚えています。一言で言って、大変頭の切れる人でした。同時通訳をこなすので当たり前でしょうが、ピアニストとはまるで通訳なしで互いにしゃべっている感じでした。米原さんはほとんどメモも取らず、右から左へポンポンといった感じだったので、「只者ではない」という印象でした。

よく知られているように、父親の昶(いたる)氏が、共産党の代議士を務めた人で、その関係で、彼女は少女時代にプラハのソビエト学校で学んでいるので、根っからのバイリンガリストだったのです。

でも、通訳と同時に文才にも恵まれている人はそう多くありません。本当に惜しい才能を天が召してしまったものです。

インタビューが終わって、自分が彼女と同じ大学の後輩であることなどを話し、何人かの共通の知っている人を挙げて、あの人はどうした、こうしたといった噂話をした覚えがあります。その時の印象は全く偉ぶったところがなく、天真爛漫で、まるで少女のようでした。

2,3年前、すっかり痩せてしまった彼女が、テレビで闘病の話をしていましたが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。まだ56歳。もう少し活躍してほしかったので本当に残念です。

世の中のこと

幕別町札内


今日、電車の中で「あっちに行って下さい」と若い人に言われました。


別に、ほんの少し肩が触れただけだったのですが、肩を触れることぐらいは、東京の通勤電車では当たり前の話です。


私より、15歳くらい若い感じの人でした。


うーん、勇気があるのか、全く純粋な方なのか、どちらかでしょう。


どういうわけか、私は冷静でいることができました。


昨晩、格闘技家が、素人に殴られたことがニュースになりました。プロの格闘技家なので、反撃せずに「素人には手を出してはいけないと思った」と言います。加害者の方も「相手がプロの格闘技家だとは思わなかった」と青ざめたそうです。それはそうでしょう。もし、格闘技家が本気で反撃していたら、加害者の命はなかったでしょう。冷静になれることが、真の格闘技家たる資格を持てるのでしょう。


今の若い人は、自己中心的とよく言われます。他人を思いやるとか、「惻隠の情」だとか、「阿吽の呼吸」とか、全く通用しない世の中になったのでしょうか。


そういう世の中なら、そんなものはもう相手にしたくはありませんね。