四大文明、恐るべし

池田町スピナーズファーム


また「週刊文春」から孫引きします。立花隆氏の「私の読書日記」から。


ユダヤ教、キリスト教の歴史的思想的起源は、エジプトをルーツとする「グノーシス主義」に求められる。ユダヤ族の太祖のアブラハムは、名門ファラオの家系のエジプト人。出エジプトを指導したモーセもエジプトの名家の出。一神教の起源は、モーセの少し前のファラオ、アケナーテンが一神教(太陽神アテン崇拝)の教えの延長。


これは、ティム・ウォレス=マーフィー、M・ホプキンス共著「イエスの血統」(青土社)に出ているそうです。


やはり、人類の四大文明の発祥地は、恐るべしです。


四大文明とは、中国、インド、イラク、エジプト。


21世紀になって、再び脚光を浴びはじめた気がします。


 


 

ああ、レイテ島…

幕別町札内

「週刊文春」6月1号に載った「『厚労省遺骨集団』は『英霊の遺骨』を見捨てていた!」を読んで大変な憤りを感じています。

簡単に内容を説明するとー。

旧日本軍の戦没者は240万人といわれているが、まだ124万柱の遺骨しか収集していない。例えば、フィリピンのレイテ島では、8万人以上の日本軍兵士がほぼ全滅したのだが、戦後60年も経つというのに、まだほとんど回収されず、とうもろこし畑に散骨され、畑のこやしになっている。それなのに、厚生労働省の2002年の白書では「遺骨収集はおおむね終了」と発表している。厚生労働省は現在、戦没者の遺族らの作る民間団体に遺骨収集を任せているが、最近になって、フィリピン大学のフランシスコ・ダダール教授に遺骨の「鑑定」を任せるようになった。ダダール教授は「これは、日本人の遺骨ではない。フィリピン人の遺骨だ」などど、取捨選択しているが、その鑑定の仕方は単なる目視。つまり、カンで行っていたわけだ。ダダール教授は、単なる考古学者で法医学の専門家ではない。「私がやっていることは、当てずっぽうです」と告白しているくらいだ。

こうして、日本兵と思われていた遺骨もダダール教授のおかげで、「帰国」できなくなってしまったようなのです。要するに厚生労働省が遺骨収集事業から一刻も早く手を引きたいという目論みがミエミエです。

週刊文春も「こんなデタラメな鑑定士を雇い、戦没者や遺族を愚弄する厚労省の責任は限りなく重い」と追及していますが、この記事を後追いした新聞がないのも腹が立ちます。

レイテ島といえば、私の父親の叔父に当たる茂期さんという人が34歳でそこで戦死しています。彼は昭和7年頃から、新宿にあった「ムーラン・ルージュ」という劇場で、高悠司というペンネームで劇作家として活躍したそうです。この大叔父のことを思うと、今回の記事は他人事にはとても思えません。

本当に腹が立ちます。

リバプール

中札内村美術館 公開日時: 2006年5月28日

(昨晩の続き)

佐藤君は、大手アイスクリーム会社の部長さんですが、昨年、工場視察等で、フランスのリール近くの何とかという町(失念)に行ってきました。その帰りに有休をとって、リバプールに行ってきました。彼は、私に劣らぬビートルズフリークなのです。

リールからロンドンまでTGVでわずか2時間なんだそうですね。ロンドンからリバプールまでは列車で3時間です。

彼は、早速「マジカル・ミステリー・ツアー」に参加して、ビートルズの所縁の地を訪問しました。私も、1979年に今村哲郎君と一緒にリバプールに行ったことがありますが、そんなものはありませんでした。今では、「ビートルズ」が観光の目玉で世界中からの観光客がこの港町に外貨を落としているわけです。

私は、ジョンとミミおばさんが住んでいたメンラヴ・アベニューの家に行ったことがあります。そこは、中流よりちょっと上が住む高級住宅街で、ジョンの「労働者階級の英雄」というのは、ウソだなあ、と思ったことがあります。その時は、ポールやジョージやリンゴの住んでいた家には立ち寄りませんでした。

今回、面白いことを聞きました。

まず、ジョンのミミ伯母さんの家は、庭付き一戸建てでしたが、どうやら、住居はその半分で、もう半分は他の家族が住んでいたこと。ポールとジョージの家は本当に狭い、日本でいう「長屋」だったこと。リンゴの家はもっとみずぼらしかったことーでした。

やっぱり「労働者階級の英雄」だったわけです。

彼は律儀にもビートルズ博物館に行って、ロン・ジョーンズ著のガイドブック「ビートルズのリバプール」とボールペンを買ってきてくれました。その本はリバプールのビートルズの名所案内です。

私は「ペニー・レイン」が大好きなのですが、歌詞の意味が分からないところが何点かありましたが、この本で初めて分かりました。

それは、shelter in the middle of the roundabout です。「ロータリーの真ん中の避難所」とは何のことかなあと思っていたら、写真付きで説明がありました。それは、ペニー・レインにある交差点のロータリーにあるバス・ターミナルでした。今では、そこは「サージェント・ペッパーズ・ビストロ」という名前の小さなレストランになっていて、観光客を集めているようです。

いやあ、ビートルズ・ファンの私にとってはたまらない堪能する本です。

有難う、幸信!

ああ、記憶力が…

幕別町札内

昨晩は、高校時代からの友人佐藤幸信君と有楽町のローズ&クラウンズで深酒して、どうやって帰ったか、全く記憶がないのです。物覚えもひどく悪くなり、人の名前もすぐ忘れてしまいます。

夏目漱石も亡くなったのは49歳でした。晩年の写真は70歳くらいにみえましたが、そんな若かったのですね。

面白い記事を読みました。

奈良時代の平均寿命は、30歳前後だったらしいのです。清少納言が老いを感じたのは、30代後半だったそうです。

明治初期では、男33歳、女35歳。

1950年でも男58歳、女61歳。

平均寿命が80歳以上になるのは、1980年以降なんだそうです。

昔は、乳幼児の死亡率が高く、戦争があったりしたので、平均寿命を下げていますが、奈良時代に60歳以上生きた人は5%くらいいたそうです。

これだけ若くして亡くなることが普通だったら、早熟にならざるをえない。人生の密度も濃くなるでしょうね。

不思議な体験4

(昨日のつづき)

南極が魚臭いのは、それだけ、生命力に溢れている証拠だというのです。

その正反対がエーゲ海です。室岡さんは、トルコを旅行した際に、エーゲ海も訪れました。紺碧の海に白い建物ーカサブランカが映え、まるで映画の世界です。室岡さんは、あまりにもの美しさに、吸い込まれるようにして泳いでみたそうです。

すると、何の臭いもしなかったそうです。そして、具に海の底を眺めても美しいだけで、藻クズの一つもありません。つまり、魚や生物もいない世界だったそうなのです。

室岡さんが、最終的に行き着いた所は、パキスタンにあるフンザという村でした。ここに、100歳近い老人がゴロゴロしていて、しかも矍鑠して、簡単な農作業にも従事している。

室岡さんは、フンザの村人たちが、なぜ、長生きできるのか、調べてみることにしたそうです。

 

不思議な体験3

池田町スピナーズファーム

東京1200万人、帯広17万人。

帯広の街で知り合いとバッタリ会ったりするのは、確率的に当たり前なのですが、東京に戻って、本当に偶然に街中で会ったりします。これはすごい確率です。

新橋で会ったGさんもそうだったし、先日もM新聞のKさんと目と目が合って、二人で「あ!」と声に出したくらいです。今日は、NスポーツのKさんと銀座でバッタリ会いました。何十年ぶりか、でした。Kさんとは26年前に初めてお会いしたのですが、当時から大変なフケ顔(失礼!)で30歳だったようですが、50歳くらいに見えました。

現在は、60歳近いのでしょうが、昔、老けていたおかげで、何十年ぶりかに会っても変わらないので、逆に若く見えてしまうのです。これは、すごい発見でした。

この話と全く関係がないのですが、室岡さんの話です。

室岡さんは、東京で週刊誌の記者を長年やっていました。しかし、長年の過労とストレスのせいで、大病を患い、仕事を辞めて故郷に帰りました。そこで、「命とは何か」を求めて、世界中を旅しました。秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を求めて、世界中を旅した徐福のようです。(ちなみに、この徐福の名前は、6年程前、熊野古道を旅した時に途中に立ち寄った新宮市で知りました。徐福は、新宮まで足を延ばしたらしく、記念して徐福公園なるものがありました)

室岡さんは、面白いことを言いました。

南極はどんな匂いをするか知っていますか?ーそう、魚が腐ったような臭いをしているのです。あまりの臭さに卒倒しそうです。それでも日本人は慣れています。西洋人はあまり魚を食べませんから、この臭いに弱いのです。せっかく、観光船で来たのに、南極大陸に上陸しない西洋人もいるのです。

つづく

 

ネクタイ

池田町スピナーズファーム

 

今日は銀座で、久しぶりにネクタイを買いました。

 

帯広では1本も買っていないので、3年ぶりくらいでしょう。

イタリア製です。薄い水色の下地に赤と紺のドットが付いています。今度お会いしたら褒めてください。私ではなく、ネクタイを。

 

マリ・クレール編集長の生駒さんに会って、少し、ファッションに目覚めました。

 

しかし、ファッションというのは自分のためでなく、人様に見苦しくないように振舞うエチケットの側面を持っていると思うようになりました。

 

目下、全国の会社では6月の決算に向けて、社長や取締役の人事が発表され、全国至る所で悲喜交々のドラマが飛び交っていると思います。「何であいつで、俺じゃないんだ!」という声が聞こえてきそうです。

 

「組織では、評価するのはいつも他人。だからこそ、少なくとも身だしなみだけは整えた方がいい」というようなことを言ったのは、あの斎藤一人さんでした。

 

評価するのはいつも他人ー。これは名言です。

 

何だ、それでネクタイ買ったの?と言われそうですね。

ブログ盗作事件

幕別町の札内温泉ガーデン

ワイドショーでも話題になる自民党の杉村太蔵議員については、ほとんど興味がなく、彼がブログを盗作したというニュースを聞いても、あまり関心が湧かなかったのですが、2つの点で、「これはいかがなものか」と思いました。

第一は、彼が国民の税金で養われている公人であること。

第二は、盗作した内容が、「19歳の時、自殺を図ろうとした」ということだったこと。

第一に関しては、彼は公式に国民に対して謝罪する義務があると思います。

第二に関しては、結局、彼は26歳にして、まだ一度も挫折や世を儚んだ経験がなく、他人の文章を盗まなくては疑似体験さえできないことを暴露してしまったことです。

彼は、19歳の時、自殺を図った経験がないのにも関わらず、そう書いたことは、結局、ウソをついたわけですから、政治家としての資質を疑われても仕方がないということです。

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060523-35673.html

 

 

 

 

不思議な体験2

池田町スピナーズファーム

 

ウーム。今日は複雑な心境です。この世は、科学がすべてでしょうか?非科学的なことはすべてまやかしとして非難されなければならないのでしょうか?

 

今、世界中で注目されている「ダ・ヴィンチ・コード」も、キリストに子どもがいて、正統派の「オプス・デイ」を陰謀集団に描いたおかげで、キリスト教徒からは非難の応酬とボイコット運動が展開されているようです。

 

先日、お会いした室岡さんについても「非科学的だ」と断罪する大学教授にお会いしました。大学の先生ですから、さすがに理路整然としており、彼の方が正しいのかもしれません。

 

しかし、へそ曲がりの私は、たとえそうであっても、もう少し、室岡さんの言動について、振り返ってみたいと思います。それが、同時進行の同時代のブログの利点であり、欠点でもあります。この先の展開は見えません。

 

室岡さんは、面白いことを言っていました。

 

世の中の1%の人が知っていれば、それで、世の中に認知されたことになる。

 

3%の人に認知されれば、それが、当たり前の通常の話になる。例えば、性同一障害や同性愛を3%の人が認知すれば、それは、当たり前の話になる。

 

5%の人に認知されれば、あたかも、全員が行っているような感じになる。例えば、5%の女子高生がルーズソックスを履けば、すべての女子高生がルーズソックスを履いている感じになる。

 

つづく

 

【編集長独白】ブログは一日の閲覧が「10」を切ったら、止めるつもりでいましたら、意外な人が閲覧していたことを知り、驚くやら、恥ずかしいやら…。もう少しだけ続けることにします。

 

 

四半世紀ぶりの同窓会

幕別町・札内温泉ガーデン

 

大学を卒業して四半世紀以上経ちましたが、卒業して以来初めて大学の同窓会に出席しました。

 

同級生の生駒芳子さんが講演会を開いたからです。場所は、本郷三丁目の「本郷サテライト」。70人近く集まりました。平均年齢68歳という感じでした。昭和19年卒業の重松健さんという方もいらっしゃいました。

 

私でさえ、「若手」の部類に入るので、圧倒されてしまいました。生駒さん以外は全員初対面です。生駒さんの講演が終わった後、5階でワインパーティーが開かれました。最初は、話をする人が全くいなくて、「壁の花」状態でしたが、世話役の相馬寿美乃さん(F39)が色々紹介してくださって、本当に楽しい一時を過すことができました。(ちなみに「壁の花」は英語のwall flour の訳で、そのものズバリ、パーティーに行っても話相手がいなくて孤立している人のこと。ボブ・ディランの息子のジェイコブが作ったバンド名が確かWall flours だったと思います)

 

ほとんど60歳を過ぎた方だったので、名刺を持ち合わせていない方も多かったので、覚えている範囲でお話したのは、会長の渡辺昌俊さん(F32)、世話役の神奈川孝子さん(F37)と冨山絢子さん(F39)。三ツ星貿易副社長の岡田英雄氏(F40)、リッチフィールドの吉田菊一社長(F44)、ユニコインターナショナル取締役の藤倉洋一業務本部長(F45)ら。

 

早良哲夫さん(F32)は元NHKのカイロ特派員で、現在NHK情報ネットワークバイリンガルセンター専門委員。今、話題のダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」の英語版、フランス語版、ドイツ語版、イタリア語版を読み比べて「各国語、全然違う」と指摘されたのは面白かったです。各国語とも、原作にないことを書いたり、逆に省略したりしているそうです。例えば、フランス語版では、ルーブル博物館のグランドギャラリーといえば、分からない人はいないので、細かい説明を省いたり、カルバッジョの絵の場所についての記述も簡潔にしているらしいのです。早良さんは、何ヶ国語か分かりませんが多言語に通じている語学の天才です。

 

あと、名刺をいただけなかったので失念した方は失礼しました。

 

同期の生駒さんは、何と『マリ・クレール』(アシェット婦人画報社)の編集長になっていたのです。驚きでした。世界に四大ファッション誌というのがあって、それは「Vogue」「Elle」「ハーパスバザー」そして「マリクレ」だそうです。「Vogue」は世界15カ国、「Elle」は世界35カ国、「マリクレ」は世界25カ国で、それぞれ独自版を出しています。彼女は「Vogue」日本語版創刊の際に副編集長として4年務め、トラバーユして「Elle」に2年半、副編を務めた後、社内異動で2年前に「マリクレ」の編集長に抜擢されました。「マリ・クレ」は今年24年目で、最初は中央公論者から発行され、角川書店に移り、今の社に発行になりました。スタッフは編集が13人、デザイナー3人、営業が6人。公称10万部。実売は内緒です。

 

講演の演題は「ファッションと社会貢献」でした。はっきり言って、ファッションは贅沢嗜好品です。ですから業界がそのことをわかっているからこそ、社会貢献をしている話をしてくれました。例えば、アニエス・ベーさんなどは、態々紛争地に行って、自分のデザインの服やバッグを売って、すべて現地に寄付しているそうです。東京でも3台くらいアニエス・ベーの寄付した消防車が走っているそうです。

 

彼女は新聞に出たり、テレビにも出演しているので有名人かもしれません。トリイ・ユキやコシノ・ヒロコらデザイナーや一部のマスコミ記者の中から選ばれて首相官邸で小泉首相に会った話もしていましたが、その話は省略します。

 

憤慨していたのは、石原慎太郎都知事に対してでした。さきごろ、東京都現代美術館で開かれた「カルチェ現代美術館展」でのオープニングで、展示作品を見た石原知事は「何かわからねえ、クズだね。どうせ、カルティエは金にまかせてやってるのだろう。私はブランドが嫌いだ」と挨拶したというのです。

 

「カルティエ現代美術館」は。パリのラスパイユ通りにあり、ジャン・ヌーベルという人の建築で、キューレターはエルベ・シャンテスという人。このシャンテスという人は、日本の現代美術の紹介に熱心で、今ときめく、村上隆も、奈良美智も森山大道も、皆、世界に紹介したのは彼だったというのです。そんな日本ファンの来日したシャンテスさんが、自分の美術館の作品をクズ呼ばわりされたのですから、挨拶を聞いたフランス人はみんな、がっかりするわ、怒りがこみあげるわ、散々だったそうです。

 

生駒さんの話では、そこに居合わせた「リベラシオン」の記者はこのことを記事に書いたのに、日本の新聞はどこも書かなかった、これは、おかしい、というわけです。

 

私の記憶ではどこか、多分、朝日新聞に載っていたような気がしたのですが、どなたか知っていますか?

 

石原さんは、以前にも「フランス語では数も数えられない」と批判して、露骨にフランス嫌いを全面に出していますが、会長の渡辺さんは「私の友人で一ツ橋大学出身の人がいて、その人は石原さんは一ツ橋の同級生で、彼をよく知っている。石原さんも学生時代は第2外国語にフランス語を取った。どうもよくできなかったので、そんなことを言うのですかね」と発言していました。

 

長くなりましたが、最後に1つ。

 

生駒さんは学生時代、劇団「百鬼」と写真部と社交ダンス部の3つも掛け持ちしていたそうです。「百鬼」は、公演は見たことがないのですが、よく覚えています。刀根君と学生食堂で昼を食べていたら、「百鬼」の連中が全身、頭のてっぺんから爪先まで、赤く塗りたくって、公演の宣伝のため、ゆっくり、ゆっくり、スローモーションで歩き回っていたのです。

 

全く怖くて、怖くてしょうがありませんでした。刀根君と顔を見合わせて「怖いね…」と震え上がっていたことを思い出しました。子どもがナマハゲ見た感じでした。

 

その「百鬼」出身の人たちも、語学が違っていたのに、生駒さんの講演に来ていました。皆さん、偉くなっており、恥ずかしくなってしまいました。2次会でご一緒しました。中国専門家の朝日新聞論説委員の五十川倫義氏(C54)と奥さんの孝子さん(Po54)、東京外大の藤井毅教授(H56)、富士通ソーシャルサイエンスセンターの岩木睦子さん(C54)。

 

皆さん色々と有難うございました。

 

もちろん、ここまで長い話を読んでくださった皆さんも!