驕れるものは久しからず

茅の輪くぐり=大宮・氷川神社

先日は、大切なスマホを忘れ、昨日は眼鏡を忘れ、今日は腕時計を忘れ…。

私も世間に誇れる年齢になってきました。このまま行けば、綾小路きみまろのように、何を忘れたか、忘れることでしょう(笑)。
合併記念公園

日曜日の都議選は、あそこまではっきりと結果が出るとは想像もつきませんでした。呆気ないですね。権力は根元から腐敗する見本を見せてもらいました。

祇園精舎の鐘の声も聴こえてきました。

奢れる平家も久しからず、です。

たまたま「受け皿」があったので、浮動票の多い都会の皆さんは、自民党を避けた結果、自民党の歴史的惨敗に繋がったのでしょう。

自衛隊を私物化して応援を頼んだ稲田さんも、加計学園からの献金疑惑を否定した下村さんも、お金を払って新聞を買って悪口を書かれた二階さんも踏んだり蹴ったりです。

しかし、今回の千両役者は、何と言っても、森友学園の籠池さんでした。あれ程、安倍さん、並びに貴婦人に対して尊崇の念を抱き、園児らに万歳三唱までさせていたのに、国策捜査を仕掛けられてからは、すっかり「反・安倍」の急先鋒の闘志に転向されておりました。

安倍さんが都議選候補の応援のため、東京・秋葉原で演説している会場にわざわざ大阪から駆けつけ、貴婦人から頂いたと思しき100万円の札束を振り回して、「安倍辞めろ!」コールを周囲の若者たちと一緒に合唱して、警察らしき公安関係者に捕まっておりました。

籠池のおばはんも「安倍に携帯電話も何もかも盗られてしもうた…ほれ、ほれ」と吉本新喜劇も驚く名演技で、YouTubeカメラマンに向かって訴えておりました。

そう、こういう吉本新喜劇より面白い番組は、天下の公共放送NHKでは、官憲の手が入っているのか、放送してくれないんですよね。

「右向け右」の会長がいなくなったと思ったら、新会長は、目立たぬように生かさぬように、遥かに政権べったりで右傾化しております。

あっ?

でも、こうして「隠れた真実」を市井の民が「報道」してくれるので、健全な民主主義が保たれるのかもしれません。

それにしても、籠池さんは、千両役者。絵になる人だなあ~。

ブラケイリュウ 大宮の巻 昭和9年の不思議

大宮の料亭「含翆楼」跡

NHKの番組「ブラタモリ」を毎週楽しく見てます。知らなかったことばかりで、大変勉強になります。

前回の「名古屋」。本来、尾張(今の愛知県)の中心地は、織田信長も青春時代を送った清須だったのに、徳川家康が名古屋に城を作って、わざわざ清須の町人を地名ごと移住させて街まで作ってしまったという歴史。そして、熱田神宮との関係。凄く勉強になりました。

一昨日は、埼玉県の「大宮」でした。現在JR高崎線、宇都宮線、京浜東北線、埼京線、それに東北新幹線など七つもの路線が走り、東京駅、上野駅に次ぎ全国で第3位のターミナル駅という「鉄道の街」として知られます。が、な、何と、明治に鉄道が開始された当初、大宮に一つも駅がなかったんですね。知りませんでした。

その謎を解き明かす番組でしたので、興味津々で見ました。

私も早速、新幹線に乗って遠路はるばる大宮まで行ってきましたよ(笑)。
「含翆楼」跡地

大宮は、江戸時代、中山道の宿場町として、そして何と言っても武蔵国の一の総本社氷川神社が鎮座する街として賑わっておりました。

しかし、明治になって、当初は鉄道駅がありませんでした。

そこで、地元住民や商工会が一致団結して、駅誘致に奔走し、そのために考えついたのが、今から全く考えられませんが、軽井沢や箱根などのようにリゾート地として開発し、東京から観光客を呼び寄せることでした。

そのために、今の大宮公園、もともとは氷川神社の敷地だったところに料亭街を作ります。

それがきっかけで鉄道駅が漸くできたのです。

東京都心から1時間以内で来られるということで、そこには、森鴎外や正岡子規、夏目漱石、田山花袋ら明治の文豪も多く遊びに来て、大宮にまつわる随筆も数多く発表したので、ますます賑わったそうです。

番組では取り上げられませんでしたが、昭和に入って、太宰治が「人間失格」を執筆したのは大宮でした。

で、大宮まで自家用飛行機で飛んだ私も、今はなき料亭跡を訪ねて写真まで撮ってきたわけです(笑)。

昭和9年4月1日完成の大宮公園球場

せっかく、遠く大宮まで脚を運びましたから、近くを散策しました。料亭跡の間近に、昭和9年4月1日完成の大宮公園球場があり、現在も多くの試合が開催されています。

ここは、球場が完成した同じ年の昭和9年11月29日、日米野球第17戦が行われたところでした。ベーブ・ルース率いる全米チームが圧勝しましたが、後に日本の職業野球界に名を残すスタルヒン投手がプロデビューを果たした球場だと、高札に書かれておりました。

昭和9年とは、あの天皇機関説事件が起きる1年前のことです。

この昭和9年という年号をよく覚えておいてください。

昭和9年11月18日 行幸記念碑(斎藤実内大臣揮毫)

料亭があった大宮公園内には、この写真のように「行幸記念碑」がありました。測ったわけではありませんが、高さは3メートルはあるかと思います。

この記念碑の文字を揮毫したのが、当時の内務大臣斎藤実です。斎藤は、それからわずか2年後の昭和11年の2・26事件で暗殺されるわけですから非常に感慨深いものがあります。

昭和天皇は、例の日米野球が開催される11日前の昭和9年11月18日に大宮に行幸されていたわけです。

当時はまだ高級料亭街は残っていたのかもしれません。高札には、氷川神社にご参拝されたと書かれておりますが、もう一つの神社にもお参りされたかもしれません。

昭和9年4月9日創建の埼玉県護国神社

それが、昭和9年4月9日に設立鎮座された埼玉県招魂社(現在、埼玉県護国神社)です。私も今回初めてお参り致しました。

鳥羽伏見の役以後の国事に殉じた埼玉県関係の英霊5万1000余柱が祀られております。

この沿革を読みますと、昭和9年は、どうやら昭和天皇はこの招魂社にまで行幸されていないようですね。

目と鼻の先なのにどうしたことでしょうか。

いずれにせよ、この大宮公園には不思議にも「昭和9年」があちらこちらにありました。

近現代史探偵の私としては、とても散策し甲斐がありました。

菅野完著「日本会議の研究」を読んで

今年3月15日、自宅前でインタビューに応じる菅野完氏。あたしが撮影したので著作権は大丈夫です(笑)。

私は2015年5月頃からほぼ1年間、病気のため黄泉の国を彷徨っておりましたが、閻魔大王様から「お前は修行が足りんから、もう少し娑婆で苦しんでおれ!」と言われて、下界に戻ってきてしまいました。

ある程度意識が回復した頃、周りの世間を改めて眺めてみると、黄泉の国に行く前と比べるとすっかり変わってしまっていることに気がつきました。

リップ・ヴァン・ウィンクルか、浦島太郎さんになった気分です。

特定秘密保護法、集団的自衛権の閣内決定、安保法制、そして先の共謀罪成立です。憲法改正論議も喧しい。このまま、「戦前」に突入する雰囲気です。

超国家主義者や国粋主義者の皆様は万々歳なんでしょうけど、あたしのような日本の伝統を重んじる保守的な西洋かぶれの個人主義者にとっては窮屈な閉塞感しか感じません。

安倍一強独裁政権については、何度もこのブログで批判してきましたが、単なる蟷螂の斧で、何の突っ張りにもならないことは分かりきっておりますが、閻魔大王様からあれだけ「娑婆世界を見て反省して来い」と言われたものですから、こうして懲りもなく、ブログってるわけです(笑)。

で、今、あのかなりの物議を醸し出した菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)を今ごろになって読んでおりますが、「ははあ、なるほど、そういうことだったのか」と、一人で相槌を打ちながら読んでいるわけです。

この本が話題になった頃、私は黄泉の国におりましたので、知りませんでした。

意識を回復した頃、例の森友学園問題が怒涛の如く、あらゆるマスコミで報じられ、その中で、籠池理事長(当時)が記者会見に臨んでいる場面がありました。ある記者らしき人物が食い下がるように質問して、自分の名前を明かすと、それまで眠たそうな顔をしていた籠池理事長が急に目を輝かせて、「そうか、君が菅野君か、そうか、君があの菅野君かあ」と実に感動的に、そして嬉しそうに話している場面がありました。

「日本会議の研究」の中で、恐らく新聞雑誌や一般書籍では初めて森友学園のことを取り上げられていたので、これまた恐らく籠池理事長も読んでいたのでしょう。

籠池理事長にとって天敵だった菅野氏が、その後、籠池氏からその実力を買われて、逆に、菅野氏が森友学園問題の機密文書を託されるようになるとは、全く娑婆世界は不思議に溢れています。

私も本当に偶然に、フランス大使館で用があった時に、この菅野氏がマスコミの記者やカメラマンが沢山群がってインタビューされている場面に遭遇したことを今年3月15日のブログに書いたことがあります。(当時は、菅野氏が何者なのか、全く知りませんでした)

で、肝心の「日本会議の研究」ですが、今になっては、建前主義の新聞がやっと重い腰をあげて報道したので、かなりオープンになった事実があります。でも、出版された当時は、ほとんど報道されていなかったので、実に画期的な労作と言っていいでしょう。大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を獲得したことは妙にうなづけます。

今、稲田朋美防衛相が、都議選の応援演説で「自衛隊としても宜しくお願いしたい」などと発言(後に撤回)し、「自衛隊の私物化」「自衛隊の政治利用」として問題になっています。稲田さんは弁護士なのに、憲法や自衛隊法や公職選挙法などについての知識には欠けていたようです。

安倍首相は、稲田防衛相は罷免しない、とはっきり宣言し、菅官房長官も「地位に恋々としがみついていた」などと発言するわけがありません。

彼らは、「日本会議国会議員懇談会」のメンバーとして堅い血より濃い結束があることが本書を読んで分かりました。第3次安倍内閣の8割がこの日本会議国会議員懇談会のメンバーであることもこの本には書かれています。

稲田氏は祖母以来、宗教法人「生長の家」の信者で、戦前に発行された谷口雅春教祖が書いた経典「生命の實相」をボロボロになるまで読んでいたことが本書の中に出てきます。

日本会議の原点となった生長の家は、今では方向転換して、左翼的エコロジー運動に重点を置き、日本会議とは一切関係を絶っているともこの本には書かれています。

いやあ、確かにこの本は読み応えがあります。ノンフィクションというより、身体を張った突撃取材によるルポルタージュと言った方がいいでしょう。

豊田真由美議員、激白「何か、問題でも?」

豊田真由美です。

えっ? あたしのこと知らない?

まあ、あの有名になった方とは一字違いますけど、今、雲隠れしてます。

はい、はい、秘書への暴行、暴言?やりましたよ、やりました。あれだけ、ICレコーダーで証拠を取られて「週刊新潮」に暴露されちゃあ、もう無理でしょう。

「このハゲー!」とか、「この野郎~」とか、「交通事故でグチャグチャになって死ね」とか言いましたよ。
だから、自民党に離党届出したじゃないですか。それとも、何か問題でも?

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

ええ、確かにあたしはエリートですよ。女子御三家の桜蔭から東大法学部。国家公務員上級試験に合格して、厚生省に配属されましたけど、あたしの希望する役所じゃなかったの。何処が志望だったのか、別に言う必要ありませんけどね。

だから、上司に掛け合って米ハーバード大学に留学させてもらったの。今は「学歴ロンダリング」が流行ってるでしょ?東大なんて、世界ランキングでは39位。北京大学(29位)より劣るのよ!

ハーバード大学の学費と滞在費?勿論、税金よ。決まってるでしょ。何か問題でも?

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

でも、あたしの野望は、こわっぱ役人で終わることじゃないの。天下国家のために国際的な仕事をしたかったの。だから、阿保な民主党が自分でこけて、国民の信頼を失ったから、そのチャンスを逃さず、さっと高級官僚は辞めて、安部チルドレンになる覚悟を決めたのよ。何か、問題でも?

えっ?暴行、暴言の話?

ええ、週刊新潮に書かれたことは、間違いもあるけど、まあ、幹は合ってたわね。あのボケカス、あつ、失礼、あの55歳の娘もいる秘書がトロいもんだから、支援者の配送先を間違えたんですよ。心を痛めたのはこっちなんですからね。あいつの運転中に、後ろの座席から殴ろうが、蹴りを入れようが、自業自得でしょ?

議員は辞めませんよ。マスコミは、盛んに、女のスキャンダルで離党したり辞めたりした不祥事が続く当選二回生議員を非難してるけど、お門違い。あたしは、そんじょそこらの二回生とは違うのよ。

何か問題でも?

えっ?あたしのカモメのような太い眉毛が気に食わないって?

何?怖いって?

ほっといてよ!

【追記】
どうやら、この人は、埼玉県選出の豊田真由子衆院議員とは別人のようです。

昔話「将軍様のご意向 御犬様施療師養成所物語」

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

時は元禄十四年。

三代将軍安倍心臓は、全国に生類憐みの令を発しました。

その結果、江戸市中を始め、諸藩では野犬や狂犬が巷に溢れ、困り果てました。

将軍様のご意向を受けた筆頭家老萩生田抜三郎は、将軍の腹心の友、籠池こと加計主水(かけ・もんど)が治める伊予の國に御犬様施療師養成所を作らんと、あらゆる方策を練って画策しておりました。

そこに立ちはだかったのが、仁木弾正こと原田甲斐。越後屋から揺すった賄賂(まいない)五百両を懐にして、諸藩の大名を折伏して、味方につけておりました。
桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

困った筆頭家老抜三郎は、伊賀者と甲賀者を使って、諸藩に「伊予の國に、御犬様施療師養成所を作るは元禄三十年四月開学とおしりを切ったり」との高札をあらゆる街道の宿場町に立てさせました。

高札に群がった水呑百姓どもは、字が読めません。

近くにいた坊主を捕まへて、「和尚さま、一体、何と書いてあるだんべ?」と尋ねました。

学識のある僧侶だったので、字は読めますが、「元禄三十年とおしりを切る」の意味が分かりません。

百姓どもから「和尚さま、おしりとはどういう意味ですか?」と聞かれた坊主は、苦し紛れに「おしりとはな。臀部のことじゃ。決まっとるがな。つまり、元禄三十年は、臀部のように盛り上がる。そうそう、御犬様施療師養成所が伊予の國に元禄三十年にできるが、その年は大いに盛り上がることだろう。そう書いてあるのじゃ」と、説明しました。

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

それを聞いた百姓どもは、「安倍将軍、万歳!安倍将軍、万歳!」と万歳三唱したとさ。

めでたし、めでたし。

(幕府の御用瓦版「参詣」「読切」からの抜粋です。明らかに現代では使ってはいけない差別用語が含まれておりますが、当時を再現するために、敢えて使用させて頂きました)

総理大臣日乗の答えと政治闘争に揺れたフランス19世紀

寿能城跡

昨日の答えです。

(い)首相の一日=東京新聞
(ろ)安倍日誌=産経新聞
(は)首相官邸=日経新聞
(に)首相動静=朝日新聞
(ほ)安倍首相の一日=読売新聞
(へ)首相日々=毎日新聞

如何ですか?

総理大臣日乗に、わざわざ安倍の名前を冠する新聞社は、安倍首相に忠誠を誓って、時の権力者の太鼓持ちか、御用新聞に徹していることがよく分かります。

寿能城守潮田出羽守

先日、フランス文学者の鹿島茂教授の講演を聴いたおかげで、数十年ぶりにフランス史の復習を始めています。

何しろ、フランスは、自分たちの王様(ルイ16世)の首をはねてしまった超過激の国である一方、ジャン・ジャック・ルソーに代表されるように「自由、平等、博愛」の人権主義の国でもあります。

特に19世紀が見離せません。

18世紀末(1789年)にフランス革命を成功させると、19世紀は、第一共和政、第一帝政(ナポレオン1世)、王政復古(ウィーン会議)、七月革命(1930年)、二月革命・第二共和政(1848年)、第二帝政(ナポレオン三世)、パリ・コミューン、第三共和政(1870年)と実にめまぐるしく変わります。

この間、王党派と共和派と皇帝派が入り乱れ、極右と極左が権力闘争に明け暮れて、政治体制が振り子のように右から左へ揺れ動きます。

ちなみに、仏革命後の国民公会で、議長から見て右側に王党派、左側に共和派が席を占めたことから、右翼、左翼の概念が歴史上初めて生まれたという説があります。

その後、今の「テロ」の語源にもなったテロリスムが横行し、クーデタ未遂(ブーランジェ将軍事件など)も再三再四ありました。

面白いことに19世紀の唯一のマスメディアだった新聞が政治運動の先頭に立ち、時の権力者を批判し、一方の権力者は、ジャーナリストを監獄に入れたり、反政府新聞の発行禁止処分をしたり、御用新聞に耳触りのいい情報をリークしたりして対抗します。

第二帝政の下、ヴィクトル・ノワール事件で過激な反ナポレオン・キャンペーンを張ったアンリ・ロシュフォール、七月革命から19世紀のほとんどの革命に参加し、75年の生涯のうち33年間も監獄で過ごしたオーギュスト・ブランキらが当時を代表するジャーナリストと言えます。

いやあ、何百年経っても、人間のやることですから、何処の国でも変わらないことが起き、未来永劫続いていくわけですね。

驚きの総理大臣日乗

何処でせうか?

モリ、カケ問題を国会閉幕でうまく乗り切ったかのように見える安倍晋三首相ですが、納税者である国民の不信感は募るばかりです。

どうも、彼の場合、国民のための政治ではなく、古いイデオロギー、もしくは「腹心の友」のための政治を行っているように見えます。

「一強多弱」の独裁政治とも言われることから、彼がフランス第二帝政のナポレオン三世になぞらえるかどうかは、後年、歴史で証明されることでしょう。

教えましぇん

さて、日本の最高権力者である総理大臣が、毎日、誰と会って、何をして、何処で夜の会食をしたのか具に時系列で新聞の片隅で報道されておりす。

実は、私は、この欄を読むのが一番楽しみです(笑)。これまで、何と言っても、読み甲斐があったのは、麻生太郎首相でしたね。麻生財閥の御曹司ですからお金の使い方が半端でなく、夜行くお店も誰も行けない会員制クラブばかり。あれは勉強になりました。

ところで、この総理大臣の日録は、実際は、共同と時事の両通信社のいわゆる若い「首相番」と言われる記者が、全国のマスコミを代表してフルカバーしています。

だから、どの新聞を読んでも同じ文面が載っているわけです。ただし、タイトルが違います。そこで問題!以下のタイトルは、何新聞でしょうか?その新聞とは、朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の都内で発行されている6紙です。

(い)首相の一日
(ろ)安倍日誌
(は)首相官邸
(に)首相動静
(ほ)安倍首相の一日
(へ)首相日々

萩生田光一内閣官房副長官とは

藤井四段 26連勝

文部科学省の再調査で、 安倍晋三首相のお友達「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、内閣府から「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などという極秘忖度文書が、あの菅官房長官が放言した怪文書ではなくて、本物だということが昨日やっと確認されました。

一体最初のやる気のない調査は何だったんでしょうかねえ? 「国民の声」を真摯に受け止めた松野博一文科相が渋々再調査を命令しましたが、その結果については、紙に書いてある謝罪文めいたものを軽く棒読みしただげで、心からの反省の言葉はなし。

やはり、国民を舐めきってます。

獣医学部新設選定では、実質的に加計学園しか応募できなくなる要件を指示した安倍ご総理の側近中の側近である萩生田(はぎうだ)光一内閣官房副長官のメールも公表されましたが、当の萩生田副長官は「知らぬ、存ぜぬ」と、敵前逃亡の構え。

こんなこすからい人間を国会議員に選んだ有権者はどこのドイツだ、イタリアか、と思ったら、今は簡単に調べられますね。

◇◇◇◇◇

1963年、東京奥多摩地区八王子市生まれの53歳。明大商学部卒。八王子市議などを経て、2003年衆院議員当選(4回)。極右団体「日本会議」国会議員懇談会事務局長。
安倍総理のお友達「加計学園」千葉科学大学客員教授。身長180センチ、体重100キロ。

このほか、離婚しているとかしていないとか、息子が早稲田実業高校野球部の助監督とか、そうではないとか、色んな未確認情報もありますが、これで十分でしょう。

本当は、顔写真でも載せようかと思いましたが、著作権侵害の共謀罪で逮捕されるのも馬鹿らしいのでやめておきました。

小選挙区制は独裁国家にする

亀戸「升本」

この度、帝国市議会選に立候補した仲里依紗男で御座います。

今節の森朋学園、家計学園問題等を見ましても、火のないところに煙は立たないのでありまして、安部心臓首相がいくら否定しても、縁故によるものであることは明々白々で御座います。

縁故とは「決められる政治」であり、決められる政治とは、まさに独裁政治であります。

21世紀の日本で、何故、独裁政権が誕生したのかと言いますと、その原因は20世紀末に細川衛熙政権が地味党の河野妖平総裁とタッグを組んで成立させた小選挙区制にあることは、選挙権のないお子様にでも分かる明々白々の事実なのであります。

先生御案内の通り、小選挙区制は1区に1人しか当選できません。わずか100票差で2位となっても落選し、死に票が累々と蓄積されるわけで御座います。

近頃の地味党政権を見ましても、得票数がわずか4割なのに8割もの議席を確保しているのが現状であります。

これが、小選挙区制の恐ろしさであります。

この仕掛け人は、今は「終わった人」地味党の小沢二郎幹事長でありました。彼は、自分の意のままに「決められる政治」をしたいがために、中選挙区制に固辞する政治家を「守旧派」と名指しで批判して、マスコミまで巻き込んで一大キャンペーンを張り、ついに地味党を飛び出して、細川連立政権を樹立することに成功したのです。

「政治改革」の美名の下で、小選挙区制に賛成したのは、朝日新聞はじめ全ての大手マスコミだけではありません。政治学者の佐々樹毅、山口一郎、それに田藁総一朗ら「リベラル」というお面を被った詐欺師集団もこれに同調して、こういう事態になったのです。

当時、小選挙区制に反対した政治を熟知した地味党、社外党の議員は、戦時中の大政翼賛会と「選挙」を戦った非推薦政治家と同じです。今なお、「リベラル」とかアホみたいな念仏を唱えて、反省もしていない山口一郎なんてのは姜尚大、藤原帰二らと同根です。彼らは「新体制運動」と呼んで東条英機独裁政権を生んだ近衛文麿(戦後自殺)とやったことは同じです。

アホなリベラルと違って、小選挙区制に断固として反対した政治家は、意外にも石原慎次郎と野仲広務ぐらいで、政治学者は佐伯思想という保守本流ばかりです。

帝国民ファーストなどといういかがわしい連中ではないのであります。

独裁安部政権は北朝鮮を批判していますが、今の日本は北朝鮮とまったく同じで、「誰が話を聞いてスパイしているか?」と戦々恐々としている時代なのであります。

もうすぐ「共謀罪」も成立しますから、さらに酷くなり、早晩、日本は密告社会になります。トントントンカラリンと隣組です。あっ?知らない?これまた、失礼いたしやんした!

渓流斎ブログとやらにも、さらに監視を強化して、反体制派の危険思想の取り締まりには、昨日打ち上げに成功したGPS衛星「みちびき」の精度を上げて参る所存で御座います。

以上、清き一票、宜しくお願い申し上げます。

家計学園物語

滝の城まつり

斉川龍之介 創作「家計学園物語」

阿部関白太政大臣 あたくしは、お友達のことを依怙贔屓したり、公僕に圧力をかけたり、口利きしたりした事実はありません。もし、発覚したら関白を辞めてやろうじゃあ、(一呼吸置いて)ありませんか。

前の事務次官後川 「関白の御意向」「神祇官の最高レベルが言っている」との竹簡文書は本物です。不当な圧力で、行政が歪められました。

滝の城まつり

須賀官房長官 文書は、今東が言うところの「怪文書」であり、式部省の聞き取り調査では存在の確認はできなかった。そもそも、後川次官は、不祥事を起こして既に式部省をお辞めになった方で、悪所に通い詰め、夜鷹と遊び、内裏の御意向に背いて恋々と地位にしがみついていた下衆野郎です。何でそんな男の言ってることが信用できようぞ。

前の事務次官後川 私は下衆野郎ではありません。須賀長官こそ大嘘つきです。私は、泉洋人関白補佐官から「関白の口から直接言えないから、俺が代わって言う。関白のお友達の家計学園ために、伊予国に班田収受法を施行して、動物大学をおっ建てなさい」ときつく厳命されました。

滝の城

京都工業大学 それは面妖な。我らは、もう30年も昔から動物大学設立の申請を式部省に毎年してきたのになしのつぶて。これでは、関白のお友達の家計学園を依怙贔屓したことは明々白々の事実じゃあーりまへんか。

須賀官房長官 そういった事実は御座いません。既に正式な手続きを踏んで班田収受法は施行されました。

森朋学園児 こうして安心して暮らせるのは阿部関白のおかげです。阿部関白、万歳!阿部関白、万歳!

つづく