四半世紀ぶりの同窓会

幕別町・札内温泉ガーデン

 

大学を卒業して四半世紀以上経ちましたが、卒業して以来初めて大学の同窓会に出席しました。

 

同級生の生駒芳子さんが講演会を開いたからです。場所は、本郷三丁目の「本郷サテライト」。70人近く集まりました。平均年齢68歳という感じでした。昭和19年卒業の重松健さんという方もいらっしゃいました。

 

私でさえ、「若手」の部類に入るので、圧倒されてしまいました。生駒さん以外は全員初対面です。生駒さんの講演が終わった後、5階でワインパーティーが開かれました。最初は、話をする人が全くいなくて、「壁の花」状態でしたが、世話役の相馬寿美乃さん(F39)が色々紹介してくださって、本当に楽しい一時を過すことができました。(ちなみに「壁の花」は英語のwall flour の訳で、そのものズバリ、パーティーに行っても話相手がいなくて孤立している人のこと。ボブ・ディランの息子のジェイコブが作ったバンド名が確かWall flours だったと思います)

 

ほとんど60歳を過ぎた方だったので、名刺を持ち合わせていない方も多かったので、覚えている範囲でお話したのは、会長の渡辺昌俊さん(F32)、世話役の神奈川孝子さん(F37)と冨山絢子さん(F39)。三ツ星貿易副社長の岡田英雄氏(F40)、リッチフィールドの吉田菊一社長(F44)、ユニコインターナショナル取締役の藤倉洋一業務本部長(F45)ら。

 

早良哲夫さん(F32)は元NHKのカイロ特派員で、現在NHK情報ネットワークバイリンガルセンター専門委員。今、話題のダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」の英語版、フランス語版、ドイツ語版、イタリア語版を読み比べて「各国語、全然違う」と指摘されたのは面白かったです。各国語とも、原作にないことを書いたり、逆に省略したりしているそうです。例えば、フランス語版では、ルーブル博物館のグランドギャラリーといえば、分からない人はいないので、細かい説明を省いたり、カルバッジョの絵の場所についての記述も簡潔にしているらしいのです。早良さんは、何ヶ国語か分かりませんが多言語に通じている語学の天才です。

 

あと、名刺をいただけなかったので失念した方は失礼しました。

 

同期の生駒さんは、何と『マリ・クレール』(アシェット婦人画報社)の編集長になっていたのです。驚きでした。世界に四大ファッション誌というのがあって、それは「Vogue」「Elle」「ハーパスバザー」そして「マリクレ」だそうです。「Vogue」は世界15カ国、「Elle」は世界35カ国、「マリクレ」は世界25カ国で、それぞれ独自版を出しています。彼女は「Vogue」日本語版創刊の際に副編集長として4年務め、トラバーユして「Elle」に2年半、副編を務めた後、社内異動で2年前に「マリクレ」の編集長に抜擢されました。「マリ・クレ」は今年24年目で、最初は中央公論者から発行され、角川書店に移り、今の社に発行になりました。スタッフは編集が13人、デザイナー3人、営業が6人。公称10万部。実売は内緒です。

 

講演の演題は「ファッションと社会貢献」でした。はっきり言って、ファッションは贅沢嗜好品です。ですから業界がそのことをわかっているからこそ、社会貢献をしている話をしてくれました。例えば、アニエス・ベーさんなどは、態々紛争地に行って、自分のデザインの服やバッグを売って、すべて現地に寄付しているそうです。東京でも3台くらいアニエス・ベーの寄付した消防車が走っているそうです。

 

彼女は新聞に出たり、テレビにも出演しているので有名人かもしれません。トリイ・ユキやコシノ・ヒロコらデザイナーや一部のマスコミ記者の中から選ばれて首相官邸で小泉首相に会った話もしていましたが、その話は省略します。

 

憤慨していたのは、石原慎太郎都知事に対してでした。さきごろ、東京都現代美術館で開かれた「カルチェ現代美術館展」でのオープニングで、展示作品を見た石原知事は「何かわからねえ、クズだね。どうせ、カルティエは金にまかせてやってるのだろう。私はブランドが嫌いだ」と挨拶したというのです。

 

「カルティエ現代美術館」は。パリのラスパイユ通りにあり、ジャン・ヌーベルという人の建築で、キューレターはエルベ・シャンテスという人。このシャンテスという人は、日本の現代美術の紹介に熱心で、今ときめく、村上隆も、奈良美智も森山大道も、皆、世界に紹介したのは彼だったというのです。そんな日本ファンの来日したシャンテスさんが、自分の美術館の作品をクズ呼ばわりされたのですから、挨拶を聞いたフランス人はみんな、がっかりするわ、怒りがこみあげるわ、散々だったそうです。

 

生駒さんの話では、そこに居合わせた「リベラシオン」の記者はこのことを記事に書いたのに、日本の新聞はどこも書かなかった、これは、おかしい、というわけです。

 

私の記憶ではどこか、多分、朝日新聞に載っていたような気がしたのですが、どなたか知っていますか?

 

石原さんは、以前にも「フランス語では数も数えられない」と批判して、露骨にフランス嫌いを全面に出していますが、会長の渡辺さんは「私の友人で一ツ橋大学出身の人がいて、その人は石原さんは一ツ橋の同級生で、彼をよく知っている。石原さんも学生時代は第2外国語にフランス語を取った。どうもよくできなかったので、そんなことを言うのですかね」と発言していました。

 

長くなりましたが、最後に1つ。

 

生駒さんは学生時代、劇団「百鬼」と写真部と社交ダンス部の3つも掛け持ちしていたそうです。「百鬼」は、公演は見たことがないのですが、よく覚えています。刀根君と学生食堂で昼を食べていたら、「百鬼」の連中が全身、頭のてっぺんから爪先まで、赤く塗りたくって、公演の宣伝のため、ゆっくり、ゆっくり、スローモーションで歩き回っていたのです。

 

全く怖くて、怖くてしょうがありませんでした。刀根君と顔を見合わせて「怖いね…」と震え上がっていたことを思い出しました。子どもがナマハゲ見た感じでした。

 

その「百鬼」出身の人たちも、語学が違っていたのに、生駒さんの講演に来ていました。皆さん、偉くなっており、恥ずかしくなってしまいました。2次会でご一緒しました。中国専門家の朝日新聞論説委員の五十川倫義氏(C54)と奥さんの孝子さん(Po54)、東京外大の藤井毅教授(H56)、富士通ソーシャルサイエンスセンターの岩木睦子さん(C54)。

 

皆さん色々と有難うございました。

 

もちろん、ここまで長い話を読んでくださった皆さんも!

「闘う皇族」

 

再び個人的なメモです。単なる備忘録です。つまらないと思われるので飛ばしてください。

 

昨晩は、先輩のS氏と銀座の「江戸源」で痛飲。S氏は3年前に会社を辞めて行政書士の資格を生かして独立。ある社団法人の事務局長も務めています。お会いするのは3年ぶり。当然、あの人はどうした、この人はどうした、といった話が中心。頭のいいS氏は記憶力が抜群で、いろんな人の「出自」を教えてくれました。H氏は東大文学部の大学院出身で、本人は当然、取締役になるつもりだったのになれなかった話や、亡くなったUは専大出身で、裏口から途中入社した話や、0氏は意外にも福島大学の大学院、K氏は教育大の理科系出身、SYはどんな分野でも取材力と文章力がある優秀な記者だったが、結局A社にトラバーユしたとか、I氏は、大森実の「オブザーバー」出身、TはS者として採用されたのでクビにしたくても切れない話などを聞く。

 

今晩は後藤さん主宰の渋谷おつなセミナーに3年ぶりに参加しました。

 

ゲストは「闘う皇族 ある宮家の3代」(角川選書)などの著書のある浅見雅男氏。同書は、香淳皇后(昭和天皇の皇后)の実家の久邇宮家をめぐって起こる「宮中某重大事件」(大正9-10年)などを取り上げ、皇室の在り方などを実証的に研究したもの。宮内大臣などを歴任した牧野伸顕(大久保利通の次男)や原敬らの日記などを丁寧に読み込んで、これまで「宮中某重大事件」が山県有朋が独断で起こしたかのように吹聴されていた定説をひっくり返します。浅見氏は、有名出版社の編集者をしながらこのような仕事をされており、全く頭が下がります。

 

【メモ】

 

明治2年 華族=137公家(5摂家=近衛、九条、鷹司、一条、二条)、諸侯(大名)

 

明治17年 勲功華族=大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋…

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F

 

3年ぶりの出席で、お会いしたのは、主宰者後藤喜兵衛氏をはじめ、千葉商科大の日暮高則氏、編集者の伊田欣司氏、システムコンサルタントの石川徳衛氏、双日システムズの白石一郎氏、クリエイティブアーティスツの平沢真一氏、作家の加藤廣氏、NECの大嶋実恵子氏、NECの浅野早苗氏、宝印刷の北野忍氏、日本政策投資銀行の鈴木亮氏、エグモントの長畑芳明氏、日本気象協会の富沢勝氏、日経の浦田憲治氏、松下静子氏、山本悦夫氏、軍事アナリストの鍛冶俊樹氏、NHKの山田賢一氏、経済ジャーナリストの阿部和義氏、ITRの広川智理氏、ホープツアーの栗原麟太郎氏、元橋武彦氏、産業カウンセラーの中村文夫氏。

 

ねえ?単なる備忘録だったでしょ?失礼致しました。

運動部OB会

 

昨晩、6年ぶり2度目の運動部OB会が、13階の「ラウンジ・ヒビヤ」でありました。

 

堀解説委員の音頭で、榊原前社長の挨拶で始まりました。榊原氏は昭和39年の東京五輪を取材した人物で、当時のスポーツの取材は、原稿を送るのに公衆電話を確保するのが大変で、ポケットに10円玉を一杯にしていた話などをしていました。

 

昭和46年頃に在籍していた友末忠徳氏も出席し、現在、茨城新聞社の社長兼主筆に出世されていることが分かり、驚いてしまいました。もう7年目だそうです。「地方の新聞は、やはり、共同と時事の両通信社が頼り。両社とも切磋琢磨して頑張ってほしい」と話していました。

 

「60年史」を編纂した元部長の中ノ森氏によると、同盟通信が敗戦後、GHQによって共同、時事に分割され、共同が一般ニュース、時事が経済実務、出版に棲み分けされたが、昭和24年に、組合情報だけでストのニュースを配信した共同に憤慨したGHQが、この「事件」をきっかけに時事にも一般ニュースの配信も認め、両社で競争させるようにしたというのです。全く初めて聞く話でした。

 

GHQの功罪については、今後、調べつくさなければなりません。

 

デスクだった室井氏は相変わらず口八丁手八丁で、現在「会長、会長」と呼ばれているらしい。もう74歳になったそうです。会長というのは、老人会の会長です。「平均年齢72歳の女性にモテモテよ」と室井氏は元気溌剌でした。

 

その一方で、室井氏と同い年の山田実さんは昨年亡くなっています。諸橋さんも脳梗塞を患ったという話で欠席しました。元部長の藤原紘さんも今年亡くなりました。このほか、高木さん、中井さん、小田牧人さんも…。最初に彼らに対して、20秒間の黙祷を捧げました。

 

TBSに行った西野君は83年入社で、4年間しか運動部にいなかったそうです。経済部を経て、TBSに移籍して11年目になったとか。

 

このほか、出席したのは、齋藤さん、浅野さん、岡林さん、安田さん、吉永君、滝川君、中澤君、三浦さん、田中賢君、八尋君ら。

升本

美瑛

昨晩は、先輩の中山恒彦さんと銀座の「升本」で痛飲。「景虎」「立山」「浦霞」「山田錦」…あとは覚えていません。

私は行きつけの飲み屋というものはありませんが、以前は虎ノ門や田村町の「升本」にはよく飲みに行きました。そしたら、どうやら、チェーン店らしいのです。「升本」の店の発祥は神楽坂らしく、暖簾分けしてぞれぞれ独立にやっているようです。新橋の駅前の酒屋「升本」も関係があるそうです。

元々、中央大学の総長も務めた升本何とかさんという人が、おいしい酒を安く飲めるように、と昭和26年頃に大衆酒場を開いたのが最初らしいのですが、酔っ払った頭で聞いていたので、不確かです。インターネットで検索したところ、同じ升本でも江戸時代に遡る亀戸の「升本」がありましたが、これとは関係なさそうです。

もし、ご存知の方は教えてください。

私のことをよく知る先輩は「君は直情径行になるところがあるから、交渉ごとは迂回する方がいい」とアドバイスしてくれました。

人はよく見ているものです。

でも、東京に戻って、もう我慢しないことにしてます。

自分の嫌なことはしない。

嫌いな人や事からは極力避ける。

どんなに非難されようと、そうします。

限りある人生なのですから。

パソコン失敗談

十勝岳

パソコンのご相談をしたところ、どなたもコメントしてくださらないので、勝手にハードディスクから、写真を削除したところ、ブログの写真も消えてしまいまいた。ブログの写真を直接消去したわけではありません。

パソコンって、繋がっているのですね。全く関係ないと思っていたので、素人ながら驚きです。

恐らく、私の古いブログを辿ると写真のところは「×」になっているかもしれません。今更、修復するのも、大変ですので、頃合をみまして、直していきますので、ご寛恕ください。

まだ間に合いますので、パソコンをスムーズに動かす秘訣を教えてください。

私は、これは、最後の手段として、インストールしたソフトはすべて、CDかDVDにコピーして、ハードディスクをなるべく空っぽにするしかない、と睨んでいるのですが…。

ちなみに、私は今、NECの「La vie 950」を使っています。会社の富士通のパソコン(機種は不明)は本当にスムーズだったのです。富士通のパソコンには、やたらと写真や原稿の文字情報も沢山、入っていたのですが、CPUの違いなのでしょうか。

それでは皆さん、お元気で。

パソコン相談

十勝岳避難小屋

今日は思い切って、パソコンのメモリを増設してみました。

近くの量販店で、512Mバイトの増設RAMボードを買ってきて、自分で取り付けてみたのです。

最近、私のパソコンは妙に重くて起動も終了も遅く、アップロードも本当に遅くてイライラしてしまいます。

「これは、メモリを増設しなければならないな」と、思い切ってトライしてみたのですが…。

殆ど変わらないのです。騙された、という感じです。

最もお店の人も「机でいえば、ちょっと広くなった感じで、あっと驚くほどの効果はないかもしれませんよ」と忠告してくれました。

それにしても、メモリは1万1800円もしたのです。何か損した感じです。

もちろん光ファイバーを使っているのですが、その反応のノロイこと!

何かいい方法はあるのでしょうか。

どうか教えててください。

 

怒りのエネルギー

十勝岳

弟子:最近、怒りの感情を抑えることができません。封印した方がいいのでしょうか。

師匠:しっかりとその怒りの感情を感じてください。

チャンスです。本当は、元々あなたの中にあったものです。だから起きてくるのです。何度でも言います。答えはすべてあなた自身の中にあるのです。

これまで、あなたはずっと怒りの感情を封印してきました。しかし、今、その感情を出す時期にきたのです。毒だしのチャンスなのです。大切なことは、闘うことではないのです。感じきることです。必ず、必ず、見える世界が変化します。あなたの心が変われば、必ず世界が変わります。本当です。あなたの心が平和に向かっているのがわかります。しっかり感じでください。声に出して怒鳴ってもいいのです。天に向かって、神に向かって文句を言ってもいいのです。本気ならすべて届きます。封印しないでください。その怒りの感情を出し切った時に、見えてくるものが必ずあります。出会う人も変わります。チャンスなのです。

考えてはいけません。感じてください。

怒りの反対のプラスエネルギーは、やる気、情熱です。

これからは、自分の人生をしっかり創造して喜びを引き寄せてください。過去を振り返ってはいけません。過ぎ去ればすべて感謝に変わります。自分自身を慈しみ愛することを選択しなさい。

 

 

兎角この世は…

人間は一人で生きていけないので、ムラや組織を作ります。

組織を作ると命令系統や役割分担を決めるために、ポストができます。

ポストには数限りがあるので、椅子取りゲームが始まります。

ある程度のポストにいる人間は、そのポストを死守するために汲々とし、ポストが欲しい人間は、脅し、追従、土下座、服従、恐喝、寝返り…何でもします。

そんな足の引っ張り合いが嫌な人間は、最初からドロップアウトします。

しかし、ドロップアウトしても「裏社会」の方がもっと厳しい階級社会だということに気づかされます。

「兎角この世は住みにくい」という溜息が出てきます。

 

東京で会った人

神の子池

東京に戻って1ヶ月以上経ちました。

 

東京で会った、見た人ー。

 

①自己保身に汲々の人

 

②自己中心主義の人

 

③権威主義に凝り固まった人

 

④偽善的な人

 

⑤偽悪的な人

 

⑥人にぶつかっても何も言わない無礼な人

 

⑦電車の中で大声で電話している若い女

 

⑧電車の中で化粧をしている若くない女

 

⑨不正を恥じない傲慢な男

 

⑩自己犠牲を惜しまない勤勉な人

 

 

iPod体験

帯広・紫竹ガーデン

半世紀も生きていると、音楽の再生、録音機に関しては「歴史の証人」のような体験をしてきました。

まず、小学校に入る前の幼児の頃でしたが、家には78回転のSPレコードがありました。昭和三十年代の半ばです。ほとんど覚えていないのですが、クラッシックと童謡でした。ちょっと手が滑って落としたりすると、あっけなく粉々に割れてしまったことはよく覚えています。

小学校の頃は、ソノシートでした。もう、知っている人は少ないかもしれません。ビニールのペラペラのレコードです。漫画本の付録についている代物です。これで、「忍者部隊月光」や「サスケ」などを聴いていました。

私が生まれて初めてレコードを買ったのは、小学校4年の時で、ビージーズの「ジョーク」という45回転のシングル盤でした。400円でした。

再生機は、いわゆる小さなポータブルで、借りてきたローリング・ストーンズのLP「スルー・ザ・パースト・ダークリー」をかけると、再生機からレコードからはみ出ていました。

テープレコーダーは、もちろん、最初はソニー製のオープンリールでした。まだ、カセットは出回ったばかりか、庶民には高値の花だったようです。

中1の時、父が初めてステレオを買いました。これで、一気にレコード収集が加速しました。

以下中略で、LPからCDの時代になり、MDの時代になったと思ったら、いつの間にか、iPodの時代です。

私はウォークマンの走りの世代ですが、iPodには本当に脱帽です。その小さくて軽いコンパクトさ。その中に、最大1万5千曲も入ってしまうから驚きです。

自分の持っているCDを十数秒で簡単に録音できますし、Podcastといって、無料の「ラジオ放送」もインストールできました。試しにCNNとBBCのニュースを「録音」しました。CDウォークマンのように「針」が飛ぶようなことはないし、音質も非常にいいです。世界中で大ヒットし、一時は追放されたアップル創業者が復活したのは頷けます。

今の若い人はSPだけでなく、LPも見たことがない人がいるかもしれません。レコード会社の人も「CDが売れなくなった」と嘆いていましたが、私も、若かったら嵩張るレコードより、iPodで満足できたでしょう。

つまり、若くないので、やはり、LPの時代が無性に懐かしいです。これ以上書くと長くなるので、今日はこの辺で。