秋葉原

久しぶりに秋葉原に行ってきました。やっぱり3年ぶりですかね。すっかり、全く変わってしまいました。東口にはつくばエキスプレスなるものが開通し、どでかいヨドバシカメラが睥睨していました。昔は何だったのかさっぱり覚えていません。操作場だったのか、何か他の古い建物だったのか、どちらかだったでしょうが、昔の面影は全くありません。ヨドバシカメラに足を踏み入れたのですが、特に買うものがなかったので、その商品の多さに圧倒されて眩暈がしてすぐ出てきてしまいました。

それに外人が異様に多かったです。緑光したセネガル人、ブルカを被ったアフガニスタン人、商売人風のイラン人、顔は東洋系なのにネイティブにロシア語をしゃべる人、台湾人、韓国人、コートジボワール人、クロアチア人、あ、オーストラリア人もいましたね。

なぜ、秋葉原に行ったのかといいますと、月刊ギャラリーの本多隆彦編集長と会うためでした。場所は「赤津加」。この居酒屋を知っている人はかなりの通です。電気街のど真ん中にある仕舞屋風の店です。シマアジの刺身950円が美味しかった。

月刊ギャラリーは、6月下旬から7月初旬にかけて「第一回日中友好絵手紙コンクール」を開催するということで、その審査を頼まれたのです。私は、顔の左半分が歌舞伎の女形、右半分が京劇をあしらって「中日友好」をアピールした作品を最優秀賞に選ぶことにしました。

本多編集長は2年前にわざわざ帯広にまで遊びに来てくれた人です。その洞察力の鋭さにはいつも驚かされます。昨晩もはっきり言われてしまいました。

「君は目の前の幸せを捨てて、10年後の心配ばかりしている」

あまりにも図星だったので、20年ぶりにタバコを吸ってしまいました。

生命保険やめました

生命保険やめてしまいました。

月額約2万円支払っていたのですが、契約15年経って、同じ保証なら、急に2・5倍の「値上げ」を突きつけてきたからです。月5万円も払えますか?

生命保険も博打みたいなものです。死ねば儲けものなのですが、身も蓋もない言い方ですが、契約期間に死ななければ無駄です。

受取人もどうせ敵さんですからね。

これまでジレッタントだったので、全く、お金のことを考えたことはありませんでした。どこかサモシイと思っていたのです。だから、自分がいくら厚生年金や市税や固定資産税などを払っているのかと聞かれればすぐ答えられません。

ある人から「馬鹿なお坊ちゃん」と言われてしまいました。

その通りでしょう。

でも、これからの人はどうやっていきていけばいいのでしょうかね。もう国は頼れません。年金は破綻して、貧乏人は麦を食え、どころか、早く死ねという時代になるでしょう。

真面目にコツコツ働いていてもたかが知れています。子供なんて全く頼りになりません。

かといって、世の中、うまい話があるわけありません。

ネットサーフィンしていたら、「メールアドレスを登録してくれれば、一万円をプレゼント」なんてありました。思わず、登録しようかと思いましたが、「そんなうまい話、あるわけない!」と冷静になることができました。危ないところでした。

これまで一攫千金を狙って、宝くじを買っていましたが、もうやめました。

何しろ、1等が当たる宝くじは1000万本に1本の確率。

「宝くじは無知な人間に課せられた第二の税金」という格言には、妙に納得してしまいました。銀座で宝くじ売り場の前で長蛇の列を作っている人を見て、彼らが哀れに見えてきました。

それでは、競馬?

競馬も最初から手数料として25%も控除されているのです。要するに極めて割りの悪いギャンブルなのです。

それでは、どうしたらいいか。

私はあることをすることにしました。

もちろん、この先はブログに書けません。たぶん、そのあることのために相当時間を取られることでしょうね。

それでは皆さんのご健闘をお祈りします。

 

 

不思議な体験6

6月2日以来の「不思議な体験」の続きです。

室岡さんの返信メールのことでした。そこには次のようなことが書かれていました。

「私のやってきたことが、西洋医学、あるいはそれに類する学問の分野によって否定されてきたことは百も承知です。否定材料を探すことはまったく楽なことです。だから、そういうことはそちらにお任せして結構です。しかし、事実は小説よりも奇なりです!百も承知でありながら、臨床的に実際に効果があることに目を奪われてきました。自分なりに勘を頼りにやっているのですが、勘がいけない、というのでは恐らく何の発展も危機の回避もできなくなるのではないでしょうか?どんな発明も発見も、結構、偶然とか勘とかがきっかけのようです。私は『感じる』ことを大切にしたいのです。もしそれがプラセボ効果だとしても、それだって素晴らしいことじゃないですか。もともと私のやっていることは常識を打破して新しい分野をみつけようということですから、否定やご批判はまったく自由であります」

つまり、室岡さんは、「否定と批判」は覚悟で邁進していたのです。

世の中には、科学では証明できないことが沢山あります。

私は室岡さんに大胆にも「あなたのやっていることは、学会では全く認められていませんし、出鱈目だと言われてますよ」と挑戦状をたたきつけたのです。

これに対して、彼が、曖昧なことを言って逃げ隠れしたりたら、正直、もう彼のことを信じるのはやめようと思っていたのです。

「自分のやっていることは正しいと思ってやっている」でもいいし、「ビジネスのためにやっている」でも何でも良かったのです。真っ正直に答えてくれれば、それでよかったのです。

返ってきた答えは、私が想像した以上に実に誠実でした。少なくとも私にはそう感じました。ですから、彼から受けた不思議な体験を書こうと思います。

その話は次回で。

つづく

奇妙な一致

北海道鹿追町

 

先週の土曜日、ある会合に参加しようと思い、駅に行ったところ、電車が動いていませんでした。人身事故でした。40分ほど待っていましたが、「運転再開の目途もたっていない」というので、どうしたらいいか途方に暮れてしまいました。どうしても参加したかった会合でしたが、結局、諦めることにしました。遅刻しても、講師の話が終わってしまっているからです。

 

翌日の新聞で、19歳の予備校生の飛び込みだったことが分かりましたが、私は、諦めてよかったと自分自身、納得させました。「行かなくていい」というメッセージだと思い込むことにしました。

 

というのも、最近、何やら天からのメッセージのような奇妙な一致を感じる場面が相次いでいるのです。

 

このブログに関連しています。

 

例えば、5月19日に、五日市剛さんのことを書きました。すると、翌日、私が紹介した全く同じ本が新聞の広告欄に載っていたのです。

 

6月3日に「ナイロビの蜂」を書いた翌日、主演女優のレイチェル・ワイズが男児を出産した、というニュースを目にしました。

 

6月4日に「星の王子さま」のことを書きました。すると、今日の夕刊に、「星の王子さま」のことが出ていて、昨年、多くの出版社から翻訳本が出たのは、岩波書店の独占翻訳契約が昨年で切れたため、と書いてありました。(私の推理ははずれた)。そして、日本で初めて翻訳した内藤さんは、当時、70歳だったということも書いてありました。

 

さて、「天からのメッセージ」のことで、決定的なことを書きます。

 

昨日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見て、プログラムも買ってきました。そのプログラムを何気なく見ていたら、解剖学者の養老猛司氏の論文(毎日新聞からの孫引き)が載っていました。そこには、こう書いていました。換骨奪胎します。

 

「ダ・ヴィンチが500年前に手稿に書いていたことは、とことん変わらない当たり前のこと、つまり普遍性に目を向けていた。一般の人が日々、ローカルで特殊なことばかりに関わっていた中、彼は何百年という尺度でモノを考えていた」

 

私は、これを天からのメッセージと受け取ったわけです。

 

「星の王子さま」で触れましたが、サン=テクジュペリの言う「心でしかモノが見えない。大切なモノは目で見えない」という言葉の真意が、実はよく分からなかったのですが、この養老さんの言葉でハッと分かったのです。

 

つまり、私なりに、解釈するとこうなるのです。

 

「目先のことばかりを追っていると、大切なことを見失ってしまう。想像力を使わなければ、物事の本質はつかめない」

 

ダ・ヴインチの作品が、なぜ、500年も経っても人々を魅了し続けているのでしょうか?

 

それは、彼は同時代の、同世代のつまらない生活やら出世やらの悩みを超越して、100年先、500年先の世界を見越して仕事していたからに他なりません。

 

実は、私自身、東京に戻ってから、どうしようもないくらい、目先の事に追いまくれて八方塞がり状態でした。自分で「見えない壁」を作って悶々としていました。本当に大切なことを見失っていました。

 

そこで、自分で見えない壁を作れるのなら、「見えない橋」も作れるはずだ。サイモン&ガーファンクルのような「明日に架ける橋」を想像力で作れるはずだ、とハタと気づいたのです。

 

この感覚は私を開放してくれました。

 

立派な仕事を残した人は時間を超越しています。イエスは2000年経っても、滅びません。孔子も老子も釈迦もムハンマドも然りです。

 

これまで生きてきた人類の何十億、何千億人の人々が、日々の生活に追われ、組織内の争いに汲々し、町内会の付き合いに翻弄されてきたことでしょう。その中のホンの一握りの天才が、何百年という尺度で、仕事をしてきたのです。

 

今、話題の村上世彰氏は46歳で引退宣言しました。「一発どでかいことをしてやる」と宣言して、灘高ー東大法学部ー通産省という絵に描いたようなエリートコースに進み、最後は証取法違反と暴力団紛いの恐喝で何百億円という自己資産を残し、シンガポールにプール付きの11億円のマンションを買い、渋谷に13億円の豪邸を建てるから本人は大満足でしょうが、後世の人は何と言うでしょうかね。

 

いや、その前に同時代人として言わせてもらいたい。

 

村上君、君は時代のヒーローなんかじゃない。実に頭のいいさもしい人間だ。

 

とかくこの世は

子供が両親を殺して、自分も自殺する事件が千葉県習志野市でありましたね。広島県や秋田県では子供が殺される事件が相次ぎました。こういうことをあまり取り上げたくないのですが、随分殺伐な世の中になってきました。

一方では、自殺者が8年連続3万人を突破しているという異常事態が続いているのに、他人事として、あまりにも無関心が蔓延っています。

せめてもの救いはサラリーマン川柳です。

銀座でわずか千円の床屋を見つけました。洗髪も髭剃りもなく、カットのみ。約10分間。これが結構流行っているらしく、すでに川柳になっているそうです。

散髪代 犬が1万 俺千円

同じような川柳が以下の通り。

お昼時 妻はセレブで 俺セルフ

説明はいりませんね。

米原万理さん

ロシア語の通訳で作家の米原万理さんが5月25日に卵巣がんで亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

米原さんとは、もう10年ぐらい前に一度だけ会ったことがあります。もう名前は忘れてしまいましたが、ロシア人のピアニストのインタビューの際に通訳として立ち会ってくれたのです。

当時の米原さんは「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞を受賞するなど、作家として有名で、バリバリと作品を発表していたので、その時、「まだ、通訳の仕事をしていたのか」と意外な感想を持ったことを覚えています。一言で言って、大変頭の切れる人でした。同時通訳をこなすので当たり前でしょうが、ピアニストとはまるで通訳なしで互いにしゃべっている感じでした。米原さんはほとんどメモも取らず、右から左へポンポンといった感じだったので、「只者ではない」という印象でした。

よく知られているように、父親の昶(いたる)氏が、共産党の代議士を務めた人で、その関係で、彼女は少女時代にプラハのソビエト学校で学んでいるので、根っからのバイリンガリストだったのです。

でも、通訳と同時に文才にも恵まれている人はそう多くありません。本当に惜しい才能を天が召してしまったものです。

インタビューが終わって、自分が彼女と同じ大学の後輩であることなどを話し、何人かの共通の知っている人を挙げて、あの人はどうした、こうしたといった噂話をした覚えがあります。その時の印象は全く偉ぶったところがなく、天真爛漫で、まるで少女のようでした。

2,3年前、すっかり痩せてしまった彼女が、テレビで闘病の話をしていましたが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。まだ56歳。もう少し活躍してほしかったので本当に残念です。

不思議な体験4

(昨日のつづき)

南極が魚臭いのは、それだけ、生命力に溢れている証拠だというのです。

その正反対がエーゲ海です。室岡さんは、トルコを旅行した際に、エーゲ海も訪れました。紺碧の海に白い建物ーカサブランカが映え、まるで映画の世界です。室岡さんは、あまりにもの美しさに、吸い込まれるようにして泳いでみたそうです。

すると、何の臭いもしなかったそうです。そして、具に海の底を眺めても美しいだけで、藻クズの一つもありません。つまり、魚や生物もいない世界だったそうなのです。

室岡さんが、最終的に行き着いた所は、パキスタンにあるフンザという村でした。ここに、100歳近い老人がゴロゴロしていて、しかも矍鑠して、簡単な農作業にも従事している。

室岡さんは、フンザの村人たちが、なぜ、長生きできるのか、調べてみることにしたそうです。

 

不思議な体験3

池田町スピナーズファーム

東京1200万人、帯広17万人。

帯広の街で知り合いとバッタリ会ったりするのは、確率的に当たり前なのですが、東京に戻って、本当に偶然に街中で会ったりします。これはすごい確率です。

新橋で会ったGさんもそうだったし、先日もM新聞のKさんと目と目が合って、二人で「あ!」と声に出したくらいです。今日は、NスポーツのKさんと銀座でバッタリ会いました。何十年ぶりか、でした。Kさんとは26年前に初めてお会いしたのですが、当時から大変なフケ顔(失礼!)で30歳だったようですが、50歳くらいに見えました。

現在は、60歳近いのでしょうが、昔、老けていたおかげで、何十年ぶりかに会っても変わらないので、逆に若く見えてしまうのです。これは、すごい発見でした。

この話と全く関係がないのですが、室岡さんの話です。

室岡さんは、東京で週刊誌の記者を長年やっていました。しかし、長年の過労とストレスのせいで、大病を患い、仕事を辞めて故郷に帰りました。そこで、「命とは何か」を求めて、世界中を旅しました。秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を求めて、世界中を旅した徐福のようです。(ちなみに、この徐福の名前は、6年程前、熊野古道を旅した時に途中に立ち寄った新宮市で知りました。徐福は、新宮まで足を延ばしたらしく、記念して徐福公園なるものがありました)

室岡さんは、面白いことを言いました。

南極はどんな匂いをするか知っていますか?ーそう、魚が腐ったような臭いをしているのです。あまりの臭さに卒倒しそうです。それでも日本人は慣れています。西洋人はあまり魚を食べませんから、この臭いに弱いのです。せっかく、観光船で来たのに、南極大陸に上陸しない西洋人もいるのです。

つづく

 

ネクタイ

池田町スピナーズファーム

 

今日は銀座で、久しぶりにネクタイを買いました。

 

帯広では1本も買っていないので、3年ぶりくらいでしょう。

イタリア製です。薄い水色の下地に赤と紺のドットが付いています。今度お会いしたら褒めてください。私ではなく、ネクタイを。

 

マリ・クレール編集長の生駒さんに会って、少し、ファッションに目覚めました。

 

しかし、ファッションというのは自分のためでなく、人様に見苦しくないように振舞うエチケットの側面を持っていると思うようになりました。

 

目下、全国の会社では6月の決算に向けて、社長や取締役の人事が発表され、全国至る所で悲喜交々のドラマが飛び交っていると思います。「何であいつで、俺じゃないんだ!」という声が聞こえてきそうです。

 

「組織では、評価するのはいつも他人。だからこそ、少なくとも身だしなみだけは整えた方がいい」というようなことを言ったのは、あの斎藤一人さんでした。

 

評価するのはいつも他人ー。これは名言です。

 

何だ、それでネクタイ買ったの?と言われそうですね。

不思議な体験2

池田町スピナーズファーム

 

ウーム。今日は複雑な心境です。この世は、科学がすべてでしょうか?非科学的なことはすべてまやかしとして非難されなければならないのでしょうか?

 

今、世界中で注目されている「ダ・ヴィンチ・コード」も、キリストに子どもがいて、正統派の「オプス・デイ」を陰謀集団に描いたおかげで、キリスト教徒からは非難の応酬とボイコット運動が展開されているようです。

 

先日、お会いした室岡さんについても「非科学的だ」と断罪する大学教授にお会いしました。大学の先生ですから、さすがに理路整然としており、彼の方が正しいのかもしれません。

 

しかし、へそ曲がりの私は、たとえそうであっても、もう少し、室岡さんの言動について、振り返ってみたいと思います。それが、同時進行の同時代のブログの利点であり、欠点でもあります。この先の展開は見えません。

 

室岡さんは、面白いことを言っていました。

 

世の中の1%の人が知っていれば、それで、世の中に認知されたことになる。

 

3%の人に認知されれば、それが、当たり前の通常の話になる。例えば、性同一障害や同性愛を3%の人が認知すれば、それは、当たり前の話になる。

 

5%の人に認知されれば、あたかも、全員が行っているような感じになる。例えば、5%の女子高生がルーズソックスを履けば、すべての女子高生がルーズソックスを履いている感じになる。

 

つづく

 

【編集長独白】ブログは一日の閲覧が「10」を切ったら、止めるつもりでいましたら、意外な人が閲覧していたことを知り、驚くやら、恥ずかしいやら…。もう少しだけ続けることにします。