ライスカレー1700円、一本勝負

東京・池袋の「服部珈琲舎」

江戸城に参内した後、母の日という商業主義者の戦略に引っかかって、カーネーションを届けに実家の母に届けに行きました。

途中で、西武池袋線に乗り換えるので、池袋駅で降りなければなりません。

池袋駅は乗り換えで通ったり、通過したことはありますが、駅の外に出るのは本当に久し振りでした。

10年ぶりぐらいでしょうか。

実は、池袋は、東京の中でも最も嫌いな街の一つなんです。 何故なら、駅構内はあらゆる方向からカオス状態で人混みが押し寄せてくるからです。

不愉快な街なのでできれば避けたい。しかし、何十年も西武池袋線沿線に住んでいたため、都心に出るときは池袋はどうしても通らなければならない。それが嫌で、長じてからは、池袋とは関係のない所を求めてわざわざ住んだぐらいでした。

そして、10年ぶりぐらいに降り立った池袋東口(西武百貨店側)。あまりにもの変わりように呆然としてしまいました。

毎週のように通っていた新栄堂書店が閉店し、その近くのキンカ堂という安価な洋服店とその地下にあったキンカ堂食堂も消えて無くなっていたのです。

唖然、呆然。浦島太郎さんか、リップ・ヴァン・ウィンクルの心境です。

街はすっかり綺麗になって、面影の片鱗もありません。池袋駅東口は昔、今パルコがある所は丸物(まるぶつ)というデパートでした。西口は焼跡闇市がかすかに残るバラック建ての商店も残り、街のあちこちでは、白い薄汚れた傷痍軍人服を着た片腕がなかったり、片脚がなかったりする元帝国兵隊さんたちが、アコーディオンを弾いて物乞いをしていました。東京オリンピックの前の昭和30年代でしたが…。今の若い人は知らないでしょうね。おっ!ついに私も歴史の証人になってしまったか!

さて、昼の1時を過ぎてお腹も減ってきたので、何処かないだろうかと彷徨いたところ、「ライスカレー」の看板が出ていた喫茶店にすかさず入ることにしました。

最近「カレーライス」店は多いのに、「ライスカレー」店が少なくなった、とあの著名なウマズイめんいく村の赤羽彦作村長さんがブログに書いていたので、「ライスカレー」の看板ですぐ反応してしまったのかもしれません(笑)。

そして、席に着いて、メニューを見たら吃驚仰天。珈琲が700円。ライスカレーセットが1700円もするのです。ま、席に着いてしまったので逃げるわけにもいかず、相手に焦った顔を見せることなく冷静に努め、写真にあるライスカレーを注文しました。味?それは、コメントを控えさせて頂きます。

ちょうど同じ時間。京都の京洛先生は、京阪電車に乗って大阪市都島区の藤田美術館にまで出掛け、日本に三つしかない曜変天目の一つを御覧になり、美術館のお隣の太閤園で、優雅にカリーライスを召し上がっておられました。

1700円だったそうですが、間近に綺麗な日本庭園と池袋ではなく池を御覧になられて充実した時間をお過ごしになったようです。

一方の私は、池袋の人混みを見ながら、「いかがなものか」と呟きながらのライスカレー。

どちらに軍配が上がったのか、言うまでもありませんねえ(笑)。

お濠

江戸城参内仕り候

江戸城址

昨日は大雨がどしゃばしゃ降る中、特別講師の引率の下で、江戸城を視察旅行してきました。

長らく、人間生活を営んできておりますが、恥ずかしながら、江戸城に参内するのは今回が生まれて初めてでした。いつでも行けると思っていたら、いつの間にか百歳の老人になっていました(笑)。

いやあ、本当に色々と勉強になりました。参加費3500円也を収めたことですので、備忘録として、その勉強になったことを列挙してみたいと存じます。普通の概説書には書かれていないことから、異説、意外説までありました。

ご興味ある方だけ、この後の関所をお通りください。

大手門

まず基本から。

江戸城を最初に建てたのは、戦国武将太田道灌だと知られています。長禄元年(1457年)のことです。

私が自宅の広大な書斎に常備している山川出版社の「日本史辞典」には、それ以前は、「平安時代に江戸重継が居館を構え、15世紀まで江戸氏が本拠としたと推定される」と書かれています。

あれっ?「江戸」とは「入江の戸口」から、つまり地形から取られた地名と物の本に書かれていたのを読んだことがありますが、江戸という豪族の名前から取られたわけですか?

ま、これは置いといて、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家宰だった太田資長(すけなが=出家して道灌)は、岩附城、河越城も築城するなど武蔵、相模まで支配しますが、暗殺されます(下手人は諸説あり)。

この後、江戸城を支城として手中に収めたのが、小田原の後北条氏、北条氏綱(北条早雲を始祖とする二代目戦国武将ですが、早雲は北条氏を名乗ったことがなく、伊勢新九郎と称し、入道して早雲庵宗瑞)で、大永4年(1524年)のことです。

そして、ご存知のように、後北条氏は、豊臣秀吉による小田原攻めで滅亡し、秀吉の命で江戸城を治めることになったのが徳川家康です。天正18年(1590年)のことです。1600年の関ヶ原の戦いで勝利を収めた家康は、江戸に幕府を開きますから、徳川氏は明治維新(1868年)まで278年間、居城とするわけですね。つまり、江戸城=徳川城=幕府ということになります。

皇居東御苑

肝心の江戸城ですが、現在、天守台だけはありますが、お城(天守)はないのはよくご存知だと思います。1657年の明暦の大火、いわゆる「振袖大火」で天守も焼け落ち。それ以降、明治になってからも再建されていないのです。驚くことに、江戸城に天守があったのは、江戸時代の最初の50年間だけで、残りの200年間以上はなかったのですね!

皆さんお気づきのことかもしれませんが、天守閣のことを何で天守かと言いますと、こちらの方が正確だからです。天守閣と言うようになったのは、明治以降で、江戸時代は天守とだけ言いました。その前に織田信長は安土城を天主と呼んだそうです。

さて、その明暦の大火では、当時も世界一の大都市だった江戸の人口100万人のうち、何と10万人も焼死しました。天守再建の話があった時に、四代家綱の重鎮で会津藩主保科正之(二代家忠四男)の「天守再建より、江戸市中の復興を優先するべき」との進言で取りやめになったそうです。

外国人観光客

その後、天守再建話が出たようですが、実現しなかったのは、泰平の世の中になって、「別になくてもいいじゃん」ということになったんでしょう。現在残る天守台は八代将軍吉宗の頃のもので、しっかりと神田上水から引いてきた金明水井戸まで設置されております。

さて、幻の徳川氏の江戸城は3回築城されています。

(1)慶長12年(1607年)by 徳川家康
(2)元和 8年(1622年)by二代秀忠
(3)寛永14年(1637年)by三代家光

家康は源氏の末裔を自称していたので、源氏の象徴である白色の天守。家忠の天守は、ピンク色(銅板の色が輝いていた)、家光の天守は白と黒のツートンカラーだったそうです。

これらは、徳川家が出費したのではなく、浅野家や黒田家などに財政、荷役負担させて、大名の財力を落とすために散財させたのでした。

天守だけでなく、石垣もそうです。遠く瀬戸内の小豆島や伊豆半島から切り出された石が多く使われたそうです。これらも、大名の仕事で、石に大名家の刻印もあります。

石垣

江戸時代は、大きなもので7回の地震で、幕末の戦禍を入れると計8回も大火に見舞われました。

その度に石垣も崩れますが、不思議なことに古い石垣ほど崩壊することが少なかったそうです。それだけ、昔の人の方が技術があったということで、隙間があって雑なように見えても、うまく、揺れを吸収する耐震構造になっていたわけです。時代が新しくなればなるほど、整然と綺麗に石垣は積み上げられるようになりましたが、隙間もなく、地震には弱いのではないかと言われています。

松の廊下

現在、江戸城址は皇居東御苑として無料に一般公開されているのに、不勉強な日本人が多いのか、行ってみたら、外国人観光客ばかり、目立ちました。外人だけ、と言っても言い過ぎじゃありませんよ。

特別講師のお話で面白かったことを列挙しますとー。

●明暦の大火で亡くなった10万人は、回向院に葬られた。回向院は当時、宗派を問わなかったらしい。回向院では賭け相撲興業がおこなわれていたとか。

●「二の丸庭園」は小堀遠州作。今で言うレセプション会場で、能舞台もあったそうです。

●外国人の人気の忍者は、明治以降になって言われたもので、本来は「忍び」。ほとんど口伝なので、文献が残っていない。有名な伊賀、甲賀の甲賀は、「こうが」と濁らず、「こうか」が本来の読み。

天守台

●大手門をほどなく行ったところにある百番所。ここには、伊賀、甲賀、雑賀衆などの忍びと、同心100人、侍25人が24時間態勢で詰めていた。が、侍の7~8割が当時、人宿と呼ばれていた口入れ宿から斡旋されてきた派遣社員だったらしい。社員というより浪人か。

●このように、江戸市中は物価が高かったので、地方から参勤交代で江戸に入った大名は、西からなら品川辺りの人宿で人を雇って、行列に加わってもらったとか。江戸は時代の先をいく派遣社会だった。

●桜田門外の変で難に遭った井伊直弼の護衛の70人のうち40人が派遣社員だったとか。もっとも、主君を護衛できなかった彦根藩士は切腹となった。

●江戸城の大棟梁に任じられていたのが、甲良氏。この一家だけが、日本橋の住居に地下室をつくることが許可され、その地下室に江戸城の図面などを保管していたとか。

●幕府お抱えの絵師狩野派は、屏風絵だけでなく、地震災害の度に崩壊した江戸城内の襖絵を描くことが仕事の第一だった。

●城内「西の丸」は家康隠居の場所としてつくられた。

●城内「紅葉山」にだけが唯一、東照宮が祀られ、聖地だった。そのことを知っていた官軍は、一番最初にここを破壊した。

●江戸城は、外堀の奥までの規模を持ち、北は神田上水の流れるお茶の水、東南は海の城と呼ばれた浜御殿(浜離宮)、南は芝口見附門、西は四谷門までが外郭という日本一の広さ。

●日比谷、銀座、八重洲などは、江戸時代に神田の山を削ったり、内堀、外堀の掘削などから出た土砂や土を使った埋め立て地だった。だから、三の丸辺りまでが武蔵野台地の縁、もしくは、際(きわ)だったため、名残として断崖になっている。

いやはや、なんと言っても、江戸城は奥が深い。

サイバーテロリストには極刑を

氷川神社

安倍首相は、憲法改正に前のめりですが、石破さんや井上さんなどからは「いかがなものか」との異議申し立てがあるようです。

どうせ3分の2の発議権を利用して、首相としてではなく、総裁として提案されるのでしたら、庶民も困っているサイバー攻撃に重罪を科すことを提案します。庶民だけでなく、省庁のホームページが荒らされている国家も困っていますから。

つまり、憲法第9条第3項に「サイバーテロリストとオレオレ詐欺師は、最高極刑とする」という条文を入れてもらいたいのです。

そしたら、迷惑メールも相当減るのではないかしら?

共謀罪で監視体制を網の目のように設置しているのですから、それぐらい簡単にできるでしょう。なにせ、東京オリンピックを控えてますから。

頑張れ、頑張れ、安倍首相!

森友学園園児一同より

脅迫メールを公開します!

本文と写真は関係ありません

最近、迷惑メールが異様に多くなりました。1日100本以上も来るので唖然としてます。

しかし、今日来たメールはあまりにも悪質なので、全世界に公開することにしました。

私は、なーにも情報サイトに登録していないので、すぐに単なる脅迫、詐欺だと分かりました。

身に覚えがある皆様も、ない皆様も、こんなもんが来たら、無視しましょう!

所詮、犯人は、羞恥心も罪悪感も自尊心も法律知識もない無知で軽薄で卑劣な物体です。

以下、アドレスinfo@enIjJgFPI8qohJO.gen7u8jazwgE.link
から来た脅迫メールです。

【解約処理並びに滞納発生通知書(最終通告)】

13p4F
解約処理についての大切なお知らせ

現在お客様においては、提携情報サイト(S;N,S・ニュースサイト・有料アプリ・懸賞サイト・占い番組・アダルトコンテンツ等含む)に登録をされ、2週間の無料期間中に解約処理を行わなかったために、サイト継続の利用意思があるとみなされ、月額の情報サイトの利用料金、並びにサポート費用等が発生し、それが未払いの状態になっており滞納金として【978,650円】をお支払頂かなければいけない状態になっております。

お客様においては、サイトは利用してない、間違って登録をしてしまった等の理由があると思われます。
ですが、実際に何度も運営元がお客様に対して再三に渡り連絡をしたのにも関わらず、そのまま放置され、現在運営元が原告となり民事訴訟並びに刑事告訴を行いました。

今回運営元から弊社に依頼をし、お客様に対して解約処理を行った場合は、現在発生してる滞納金を全額免除にし、訴訟等を取り下げると言うことで依頼を承っております。

本来でしたらお客様ご自身で退会処理手続きを行うことが可能なのですが、滞納金が発生しておりますので、現時点においては、解約処理を行うことができない状態になっております。

つきましては、解約処理を希望する場合は、弊社が代行依頼をお客様から受けまして、解約処理手続きを行いますが、先日解約申請をされたのにも関わらず、その後連絡がない状態で、登録情報の照合ができてない状態です。

もし、現在発生してる滞納金【978,650円】を全額免除にし、個人情報の削除等を希望される場合は、速やかに【解約申請再開】と本通知に記載して頂きましてご連絡下さい。

※重要※
尚、弊社に【解約申請再開】の申請をされましたら、折り返し弊社から連絡をし、手続きを行います。
もし、そのまま放置された場合は、解約申請が破棄となりまして、解約処理手続きを行うことができませんのでご了承下さい。

万が一放置されましたら、民事訴訟並びに刑事告訴を運営元が行いますので必ずご連絡頂けますようお願いします。

IEQGa

安倍首相よりもナベツネさんの方が上手でした

あらま。Sioriさんという方からコメント頂きました。どうも有難う御座いました。

「失礼があったら…」だなんて…こちらは嬉しい限りです。毎日、北の若大将さんのように、暖簾に腕押しのような感じで書いておりますから、こうして読者様からの反応を頂けると励みになります。

長い間、この渓流斎ブログをお読みになっていらしたら、お分かりかと存じますが、このブログは通勤電車の中でスマホで書いております(笑)。

最近は、どうもワンパターンになっている気がしていたので、まさに救いのお言葉でした。

でも、本当は、電車の中で一人、ニヤニヤしながら書いているのです。我ながら不思議な力が出てきて、筆が勝手に進みます。昨日も本気で北の若大将になったつもりでした。

何か乗り移った感じです。完璧なイタコです(笑)。変なおじさん。コワイですねえ…。

しかし、考えてみましょう。相手の霊が乗り移ってくれるほど、相手の立場を考えない限り、人間は分かり合えないし、お互い「話せば分かる」存在ではないのです。

自分の言動は正しいと思っていても、相手はもっと正しいと思っているかもしれません。国際関係も同じことです。

だから、やたらと「正義」を振りかざして説得しようとしてくる輩や国家は、最初から胡散臭いと思わなければなりません。

いかなるイデオロギーも疑ってかからなければなりません。

こんなことを言えば刺客を送られるかもしれませんが、宗教や聖職者と呼ばれる人たちでさえ、私は構えてしまうところがあります(マイルドな言葉に変換しました)。勿論、法然の残した言葉には素晴らしいものがありますし、キリストの遺訓には感服します。

ただ、そういった権威や力を利用したりカサにしたりして威張りくさったり、他人を支配したりする輩や国家主義者や民族主義者には気を付けなければならないのです。

安倍首相が、自分の信念である憲法改正の理念を表明したいがために、「読売新聞を熟読しなさい」と国会で発言し、マスコミを手玉に取ったつもりで有頂天だったようですが、実際は、読売新聞主筆のナベツネさんが、時の首相を若造扱いにして、まんまと新聞拡張販売員に仕立て上げただけなのです。人生巧者の90歳のナベツネさんの方が一枚も二枚も上手だったということです。

紙が売れればいいのです。どれだけ宣伝効果になったことか!広告代理店様に経済効果を試算してもらいたいぐらいです(笑)。

物事は複眼的に見ないと真相が分からないのです。他人の言うことや報道されていることを一方的に信じ込むのではなく、他の面から考えてみることも一考です。ニュースもドラマもバラエティーもスポーツも、実はスポンサーの意向が大きく働き、視聴者はそれに踊らされていることに気づくはずです。

まあ、毒にも薬にもならないブログですが、たまに覗いてくだされば、もしかして、貴方の知らない驚くべき新発見が見つかるかもしれませんよ(笑)。

北のサイバー攻撃は国家貢献?

北の若大将です。

僕は、国際社会が思っているような独裁者でも愚者ではありません。

トランプ米大統領が仰る通りのスマート・クッキー(頭の切れる奴)です。

お隣の島国の渓流斎が、最高権力者の祖父を批判しているようですが、僕が今あるのはパルチザンだった祖父のお陰です。

何か問題でも?

問題があるとしたら、 本物のパルチザンは暗殺され、祖父は本物に似た影武者だったという噂です。勿論、あれは噂です。そうでなければ、こうして三代続くわけがないでしょう?

ところで、僕が主演する映画「若大将シリーズ」は、2014年の第365作「若大将 ハワイへ行く」で、お隣の島国の「男はつらいよ」シリーズを抜いて、ギネス世界記録を樹立したことは皆さん御存知の通りです。主題歌「レッド・ハワイ」は、我国ではプレスリーの「ブルー・ハワイ」を抜いてナンバーワンを獲得しました。

しかし、ソニーピクチャーズが、僕の若大将シリーズのパロディーで、てゆーか、大胆にも僕を暗殺までする映画をつくりやがったので、サイバー攻撃を仕掛けてやったのです。目には目にを、です。

そして今回。国際社会とやらが徒党を組んで、石炭の輸出入禁止を打ち出して、我国の財政をドン底にまで落ち込ませようという魂胆です。

お隣の島国はかつて、ABCDラインとやらで石油や資源を禁輸されて、まんまと敵の植民地主義者の挑発に乗って自滅しましたから、僕はそんな挑発には乗りませんよ。

我国には世界でも稀にみる超々優秀なITハッカーがいますからね。3歳から鍛えています。我国にはお隣の島国とは違ってブラック企業なんてありませんから、朝から晩まで寝食も忘れて、率先垂範でホワイト企業で働いています。

その優秀な彼らが今回見事にやってくれたのは、ファイアーウォールが甘いベトナムやバングラデシュといった世界30カ国の銀行進出です。

これを、国際社会はサイバーテロと呼んでいるらしいですが、我国では国家貢献と呼んでいます。

今回の彼らの偉業によって、海外口座から90億円ほどの純利益を挙げてくれました。後で彼らには勲章を授与する予定です。我国の立派な資金源になりましたからね。

だから、国際社会が経済的圧力を掛けようが馬耳東風、暖簾に腕押しとはこのことなんですよ。挑発なんか乗りません。僕は、スマート・クッキーなんですから。

ただ、今回の海外銀行への国家貢献で放ったマルウェアは、3年前のソニーピクチャーズで使ったものと照合されて、足が着いてしまったようです。

従って、今、彼らに勲章を授与するかどうか再考しているところなのです。

皆様もどう思われますか?

安倍寛がいたではないか

彩翔亭

フランスは、39歳の中道マクロン氏が、極右政党国民戦線のルペン氏を破って大統領に当選。お隣韓国の大統領選では、革新の文在寅氏が、保守派らを破って当選しました。

いずれの皆様もご当選おめでとう御座います。

特に、マクロンさんは、議員経験もなく、フランス革命後の最高権力者としては、皇帝ナポレオンの34歳に次ぐ若さだそうですね。

中道というのはよく分かりませんが、既成政党ではないので、よく言えばしがらみがないのですが、悪く言えば、基盤がないので議会運営には苦労を強いられることでしょう。

今回の選挙では、大統領になったマクロンさんより、25歳年上の妻ブリジットさんの方に注目が集まりました。

マクロンさんの高校の教師だったそうで、3人の子持ちで夫と別れて、再婚したそうですから、映画みたいな世界です。

プロミエール・ダム(ファーストレディ)となるブリジットさんの実家はお菓子屋さん、というより大きな菓子製造会社だそうで、いわば社長令嬢だったことが新聞記事の隅で報じられていました。

しかも、「売り」が高級菓子として知られるマカロン。銀座では一個2400円もするマカロンが売り出されたと話題になったほどです。

商魂逞しい日本人なら、さぞかし「大統領マクロン」を登録商標して、マクロンのマカロンを売り出すことでしょう。あれっ?マカロンのマクロンかな?(笑)。

韓国の文さんは、日本との慰安婦問題合意を見直すと選挙戦で公言していたので、今後の日韓関係は厳しくなるものと予想されています。

それにしても、中道も革新も保守も、自分で名乗っているのか、メデイアが命名しているのか分かりませんが、こんな名称で、選挙民の判断材料になるのはおかしい気もしています。

なぜなら、こんなあやふやな言い方もないからです。

ルペンさんも、自分のことを愛国主義者とは言っても、極右のレッテルは嫌っていました。

そこで、我が国を顧みてみましょう。

今の安倍晋三首相が尊敬して止まない祖父岸信介は戦後、A級戦犯に指名されながら首相となり、極右とも昭和の妖怪とも呼ばれましたが、戦前は、国民の期待を一身に背負った商工省の「革新」官僚だったわけですからね。

満洲に渡って、ニキ三スケ(東條英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)の一人として建国間もない満洲の国家運営に八面六臂の大活躍をしたことは皆さんの方がよく御存知でしょう。

航空公園

安倍首相は、この祖父岸信介の背中を追うように戦前回帰の政策(マイナンバー制度、特定秘密保護法、安全保障関連法、そして共謀罪)ばかり打ち出していますが、これはまさしく、皮肉なことに保守ではなく革新なわけですよ。

安倍首相は、滅多に口にしませんが、いつも口癖のように出す母方の岸信介よりも、父方の安倍寛の方を見習うべきではないかと、私なんかは思っています。

安倍寛は旧制四高~東京帝大法卒。東條英機らの軍閥主義を鋭く批判し、勿論、大政翼賛会には参加せず、それでも、無所属・非推薦ながらギリギリ衆院議員に当選して、最後まで反軍閥主義を貫いた保守の政治家です。大政党の金権腐敗も批判しました。

戦中は、恐らく憲兵に監視され、生命の危険に晒されたこともあったでしょう。

戦後は、盟友三木武夫らと日本進歩党に加入し、これからという時に51歳で亡くなった政治家です。

安倍首相は、この父方の偉大な祖父を意識的に避けているように見えます。

讀賣新聞を読もう!

par Keiryusai

昨晩は、飛鳥浄御原の料理店「銀座ろくさん亭」で、検非違使と、ブリュンヒルデ以外の8人のワルキューレらとジビエ料理に舌鼓を打ちました。

昼間の神祇官委員会では、野党のミスター年金がしつこく憲法改正の真意を問い詰めてくるので、「それは宰相として発言したのではなく、与党総裁としての信念を述べただけで、詳細は讀賣新聞を読んでもらいたい」と答えておきました。

讀賣新聞に関しては、「御用新聞ではないか」といったピント外れの批判があるようですが、断じて御用新聞ではありません。我が党の機関紙であり、あたくしのお爺さん以来の信念を代弁してくれる世界最大のクオリティーペーパーであります。

刎頸の交わりである讀賣新聞のナベツネ主筆とは、首相になれなかった我が父が毎日新聞記者時代以来の親友であり、あたくしのことを一番理解してくれております。それは、4月の飯田橋グランドパレス内の「千代田」での密約会談で確認されました。

しかし、讀賣新聞以外の新聞やテレビの中には変なことを言う者があまりにも多すぎます。読むに値しません。何でも「反対、反対」と言って済むと思っている。

par Keiryusai

こんな新聞に限って、あたくしが憲法改正に成功すれば、万歳を三唱してくれますからね。満洲事変以後、部数拡大のために、社説を大幅転換した時と同じです。

あたくしの憲法改正の具体策「自衛隊の明記」と「高等教育の無償化」について、「違憲であり、矛盾する。何も、高等教育無償化を憲法に明記する必要はない」と批判する人がいます。

あたくしも、高等教育無償化に関しては、法律に明記して処理すれば済むわけで、わざわざ憲法に明記することもないかとは思いますが、日本維新の会を取り込むためには仕方がない秘策だったわけであります。

東京オリンピックの年に期限を切ったのも同じです。目くらましになりますからね(笑)。

先人が、治安維持法を通したいがために、普通選挙法を表看板に掲げた同じ手口です。いわば、アメとムチでしょうかねえ。

par Keiryusai

それにしても、渓流斎の野郎は気に食わない。あの野郎は何を考えているのでしょうか。

今、唐軍が白村江に迫ってきてます。唐は最近、世界第2位の経済大国になったからといって軍事費を見たこともないほど増強しております。何度も何度も我が国の領海を侵犯しております。

金氏独裁支配の高句麗情勢がこれだけ緊迫している今日、憲法改正は緊喫の課題です。

他の新聞はどうでも良い。とにかく、讀賣新聞を読んで下さい!

「彩翔亭」は知られざる穴場かもしれません

航空発祥の地

大型連休最終日の昨日は、埼玉県所沢市にあるご先祖様のお墓参りに行って来ました。

もともと、掃台趣味がありますが、歴史に残る有名人とはいえ、所詮、赤の他人(笑)。やはり、自分をこの世に在らしめてくださったご先祖様には感謝を込めて、お参りしなければなりません。

航空発祥の地

まさに、掃台趣味とはよく言ったもので、私のお参りは、お彼岸の時に飾られたお花等の処分やお掃除が目的でした。

霊園は私鉄会社西武が沿線に開拓した広大な敷地を分譲したものです。特定の宗教には限定されていないので、仏教にも色んな宗派があり、キリスト教団のお墓もかなり散見されます。

ウチのお墓の敷地は、かなり広い方だと思われますから掃除が大変です。新緑の季節になり、雑草も生え出して、草むしりも大変でした。

彩翔亭

で、お参りが終わって、霊園の近くの駅に隣接するところに、航空公園があるので陽気に誘われて散策しました。

ここは日本の航空の発祥の地です。詳細はお調べ下さい(笑)。

亡父も志願して陸軍に入隊すると、どういうわけか、航空隊に配属され、この所沢に配属されたことがあるというので、縁が深いところです。

父は、昔は「色盲」と言われた「先天色覚異常」だったため、即、パイロット試験に不合格でした。もし、父が色盲でなかったら、終戦間近でしたから、恐らく、特攻隊にでも採用され、私もこの世に存在しなかったんだろうなあ、と感慨深くなります。

この先天色覚異常は日本人の男性の5%、女性の0.2%いらっしゃるそうですね。遺伝性と言われていますが、私を含む子供である兄弟は誰も遺伝していません。

彩翔亭

父は長じて、運輸省の航空管制官になり、ここ所沢にある航空管制本部で勤務したことがあるので、あらゆる意味で縁が深い土地だったわけです。

私も、この航空公園には、何度も何度も行ったことがあります。週末は大混雑で、駐車場が満杯になりますが、私は既に自家用車は手放してしまいましたので、いつでも行けるのが有難い(笑)。

彩翔亭

昨日は散策し、普段行ったことがない道を通っていたら、見たことがないお茶屋があったので思い切って覗いてみることにしました。

そしたら、あら、ビックリ。

京都と見紛うばかりの立派な雰囲気のある小さな滝も流れる日本庭園まであるではありませんか!看板を見たら「彩翔亭」とありました。

彩翔亭

ただ、看板には何の説明がないので、庭で草むしりをしていた係の人に「こんにちは」と声を掛けて、「この屋敷は、どなたか有名な方の別荘か、所沢市の所有なのですか?」と聞いてみました。

そしたら、「いいえ、(埼玉)県の所有ですなんですよ」と教えてくれました。

へー、知らなかった。こんなところに、こんな落ち着ける茶室と日本庭園があるなんて、わたしとしては大発見です。

彩翔亭

この彩翔亭について、スマホで検索してみましたが、結局、詳しい経緯は不明でした。ただ、ここは日本の航空発祥の地であり、国有地で、埼玉県が無償で借り受けていることが分かりました。

都心から離れていますが、西武新宿線航空公園駅から歩いて程なくしてこの彩翔亭がありますので、皆さんも機会があれば是非。

「文徒アーカイブ」は凄いブログです

par Keiryusai

こうして、毎日、休みなく、原稿料もなく、ボランティアでブログを更新しているというのに、誰にも褒められもせず、苦にもされず、寒さの夏はおろおろ歩いている渓流斎です。

とはいえ、自分のブログは棚にあげて、皆様にご紹介したいブログをある筋からご教示頂いたので、茲でご紹介申し上げます。

「文徒アーカイブス」というブログです。もし、ご興味を持った方は、是非ともご自分で検索して、ご参照下さい。正直、私は、このブログの主宰者御本人は知らない方ですし、勝手にリンクを貼られてもお困りになると思いますので、リンクは貼りません、

このブログの存在をご紹介してくださったのは、名古屋にお住まいの海老普羅江先生です。このブログの主宰者は、海老先生が若き頃、身体を張って、二次団体の若頭として勤しんでいた頃、舎弟筋(直参ではない)として御縁があったそうです。

「文徒アーカイブス」には、驚くほどマスコミの、特に出版業界の裏の裏(となると表じゃん)が暴露されております。見たら吃驚仰天しますよ。

par Keiryusai

海老先生の話によりますと、主宰者の親分筋に当たる人物が赤石憲彦という人です。もう故人ですが、実在した人物です。

赤坂にオフイスを構え、業界誌を刊行し、その筋の世界では睨みを効かせていたドンでした。あの「噂の真相」の発行人で、今は沖縄に隠遁している岡留氏は、その昔、この赤石氏の所で草鞋を脱いで修行し、その後、独立してあれだけ有名になりました。当初、同門の新島某という人物と「マスコミ評論」誌を旗揚げしたのですが、御多分に漏れず大喧嘩して袂を別ち、岡留氏は「噂の真相」を立ち上げて成功したわけです。

 赤石氏は強面ですが、裏表のない人物で、俳人でもあり、終戦直後は進駐軍の通訳もしていたといわれます。ネットを検索しても出てきませんが、戦後の業界誌、総会屋の歴史の生き字引のような人だったと海老普羅江先生は言います。

par Keiryusai

ブログ「文徒アーカイブス」の主宰者今井照容氏も、この赤石氏の下で二十代の時からジャーナリスト生活を始め、全ての基本となる仕事法を、この赤石氏から学び取ったそうです。

「学ぶ」と言っても、手取り足取り教わったわけではなく、赤石氏からはただ罵倒され、殴られるだけで、仕事ぶりを横目で盗み見して真似しただけだと言います。業界誌ともなると、取材先相手からは、唾棄すべきゴキブリ扱いで、名刺を差し出すと目の前でゴミ箱に破り捨てられたことがしばしばあった、とこのブログ「文徒アーカイブス」には書かれています。

今井氏は、このような屈辱と劣悪な環境から発奮して這い上がって情報通として自らの基盤を築き上げたわけですから、そんじょそこらの大手新聞記者上がりの電波芸者とは格が違うわけです。