「ミリオン・ダラー・ベイビー」★★★★

最近、観たい映画が沢山あるのですが、アカデミー賞主要4部門(作品・監督・主演女優・助演男優各賞)を獲得したということで、優先的に「ミリオン・ダラー・ベイビー」を観に行きました。以下は、無料で観ながらコメントギャラをもらっているプロと称する評論家とは違った、あくまでも、お金を払って観た一人の観客の意見です(笑)。

観終わった感想は、一言。「アメリカニズムの終焉」という言葉が浮かんできました。ここでは、アメリカニズムというのは、政治的、経済的、そして文化的にアメリカが世界に及ぼす影響のことを指します。グローバリズムといってもいいかもしれません。

つまり、これまで観てきたどのハリウッド映画と違って、観終わった後の「読後感」が全く違うのです。それは、救いようのない結末にあるのかもしれません。そこには、何のカタルシスも浄化もありません。何か、重苦しい、喉元に小骨が挟まったような、「引っ掛かり」がありました。アメリカ映画ではなく、むしろそれはヨーロッパ映画に近い。特に、ルキノ・ヴィスコンティの映画を観終わった後の気分に近かったのです。ヴィスコンティの例えば「ルートヴィッヒ」。ワグナーの庇護者で知られる大王が、芸術に殉じて狂死するまでが描かれますが、その「不快同律」のような感動は30年経っても忘れません。

これまでのハリウッド映画は、要するにハッピーエンドが大半でした。熱烈な恋をして結ばれたり、正義の使者が悪者を懲らしめたり、一人取り残された子供が泥棒を退治したり、アメリカンドリームを実現して大金持ちになったり、誤解が解けて和解したり…まあ、そんなところです。

しかし、この映画の場合、ヒラリー・スワンク演じる女ボクサー、マギーは世界チャンピオンという栄光を掴む寸前に奈落の底に突き落とされてしまうのです。まだ、観ていない人にこれ以上ストーリーを書いてしまうのは、失礼なのでぼかしますが、クリント・イーストウッド演じるトレーナーのフランキーも、最後は行方不明になり、観客は「置いてきぼり」を食ってしまうのです。どう、折り合いをつけていいのかわからなくなってしまうのです。まあ、観客は好きに解釈していいのですが…。

私の場合はそこに「アメリカニズムの終焉」を見ました。これまでのハリウッド映画なら、「格好よかった」「スカッとした」「素晴らしかった」と爽快感を味わうか、「ちょっと、甘すぎる。物足りなかったかな」と揶揄するか、いずれにせよ、まあ、3ヶ月もすれば、すっかり俳優も内容も忘れてしまうものです。しかし、よく言えば、この映画だけは尾を引きそうですね。

言葉足らずで申し訳ないのですが、これまでのハリウッド映画は現実離れした「ウサ晴らし」のために存在意義があったのですから、忘れてもらって大いに結構なのです。また、新しい映画を、もっと刺激的な映画を、と人々が求めるからです。しかし「ミリオン…」はもう、ヨーロッパ映画に近いのです。守りに入った老大国の映画と言ってもいいかもしれません。政治的に言えば、アメリカのユナラテアリズム(一極主義)の終焉と言っていいでしょう。

この映画で主演、監督、音楽を務めたイーストウッドといえば、「ローハイド」を思い浮かべる世代が多いかもしれませんが、私の場合はやはり「ダーティー・ハリー」です。「マグナム44」か何かをぶっ放して暴れまわる正義のヒーローでした。「しばらく見ないうちに年を取ったなあ」というのが正直な感想ですが、ハリウッドを代表する典型的なスターが旧態依然の体質に引導を渡したという意味で、この作品はエポックメイキングになるのではないかと思います。