国際化

私が卒業した大学の会報に素晴らしい文章が載っていたので、少しだけ引用させて戴こうと思います。(もちろん丸写しはしません)
久しぶりに「知的興奮」を味わいました。

二人の講演録です。一人は、ロシア語通訳・翻訳家の米原万理氏。
日本語の「国際的」は英訳すると、international 。しかし、「国際化」は英語で、 internationalization とは言わないそうです。Internationalization とは正確に「国際共同統治を構築する」という意味だとか。

それでは、「国際化」に相当する英語は何と言うでしょうか?それは、globalization です。しかし、日本語の「国際化」とは意味が正反対なのです。日本語の「国際化」は、外国の風習や慣習に理解を示して「寄り添っていく」ようなニュアンスがありますが、globalization は、「自分たちの基準で世界と地球を覆う」という意味で使っているそうなんです。まるで、「植民地化」と同義語ではありませんか。そもそも英語には日本語の「国際化」という概念がないということです。例えば、「過労死」がないので、そのまま karoshi と、音訳で英語にしたように。
これで、グローバリズムの正体が分かった気がしました。自分たちの価値観を押し付けるということなんですね。19世紀の帝国主義が途切れずに続いているということでしょう。

もう一人の講演録は、国際基督教大学大学院教授の村上陽一郎氏です。
米原氏のglobalization を受けて、この言葉は、歴史の世界ではウイッグ史観というふうに言い、つまり、近代というものを絶対的なものだと考えて、様々な世界に向かって押し広げようとすることなんだそうです。例えば、パプアニューギニアは文明的に遅れている「発展途上国」だから、近代化しなければならない、といった理論です。パプアニューギニアの人にとっては、今の伝統的な生活が乱されるし、余計なお世話ではないでしょうか。そんなことは構うことはないのでしょうね。

それにしても、「善の押し売り」とも言えます。一点の曇りもない正義感、使命感に駆られているから始末に終えません。不滅です。