ブドウエビ

羅臼町の寿司屋「かじか」の親父に奨められて食べたブドウエビは、地元でも「幻のエビ」と呼ばれて、めったに食べられないことが分かりました。

1匹1200円だったので、少し高いなあ、と正直思ったのですが、1000円から1500円が相場だそうです。

ブドウエビは正式には「ヒゴロモエビ」と呼ばれ、羅臼では「ムラサキエビ」とも言うそうです。水深500~700mに生息し、漁期は7月から9月下旬だけ。この時期、全国から「ブドウエビ」ファンがお忍びでやってきて、中には一人で15匹も平らげる人もいるそうです。

私が食べたものは、体長13㎝くらいで、普通のエビと比べ、身がしまっていて、詰まっている感じでした。頭の所がその名の通り、少しブドウ色でした。コリコリと歯ざわりがよく、わさび醤油で食しましたが、とろける感じでもありました。

どうです?食べたくなったでしょう?
日本人は講釈好きです。口で食べているようで、実は頭で食べているのです!

知床大団円

ついに知床の大団円。知床岬を目指して、クルージングに出かけました。

いつぞや話した通り、前日、満員で観光船に乗ることができず、翌日にクルージングの「ドルフィン号」(定員25人)に予約して乗ることにしました。

この写真は、「ドルフィン号」から撮った観光船「オーロラ号」です。

「ドルフィン号」は、午前10時出発。約3時間で8千円でした。

しかし、乗船した途端、雲行きが怪しくなりました。

な、な、何と、不吉にも雷が鳴っているではありませんか。小雨も振り出しました。

「これからの天候次第では、知床岬までは行かず、途中で引き返すことになります」という船長のこれまた不吉なアナウンス。

私は撮影のための好位置をキープするため、吹きさらしの2階席に陣取っていました。乗船時に、ビニールのレインコートを渡されて着込んでいましたが、序々に雨が勢いを増してきました。撮影どころではありません。

雨粒は、まるで石粒のようになり、当たると本当に痛い。風で帽子も飛ばされました。

観念しましたが、それでも撮影を諦めませんでした。

何でもないような写真ですが、撮るのに、本当に必死でした。
木口小平は死んでもラッパを放しませんでした。

そのうち雨が小止みになってきました。

かもめも近くに寄ってきました。

湯の華滝の付近で、ほかのクルーザーを見かけました。

やっと知床に着いた気がしました。

しかし、この時です。船長さんのアナウンス。
「天候がこれからも荒れ模様が続くようです。これ以上、行くと、帰れなくなります。誠に申し訳ないのですが、これで引き返します」

まだ、1時間もクルージングしてません。話が違う…。
しかし、船長の方針に従うしかありません。

しかし、これは本当に素晴らしい船長の決断でした。この後、またまた台風のように海も陸も荒れたからです。

船長さんは、最後にサービスとして、ヒグマを見せてくれました。この黒いしみのような点がヒグマです。クルーザーから500mくらい離れていました。分かりますか?

本当にいい思い出になりました。

知床さん、有難う!!!!

ちなみにクルージングは3時間の予定が1時間半くらいでした。
すると、下船後、半額の4千円も返却してくれたのです。実に良心的な「船宿」でした。「ドルフィン号」です。皆さんにもお奨めです。

いかに死ぬか

人間、いかに死ぬかは問題ではない。いかに生きるかが問題なのだ。
死ぬことはそう大したことではない。なぜなら、一瞬で終わってしまうからだ。

―サミュエル・ジョンソン(1709-84、英国の批評家・詩人・ジャーナリスト・エッセイスト・辞書編集者)

知床五湖

カムイワッカ湯の滝で一風呂浴びた後、バスの帰り道に「知床五湖」に立ち寄りました。

このバスは先に触れましたが、知床自然センターから知床大橋まで夏の間、運行しているもので、何回途中下車してもいいのです。知床五湖はカムイワッカの湯の滝からバスで20分くらいです。知床五湖までは、車で行けますが、お奨めできません。駐車場に入るまで1時間以上待たされるからです。

知床五湖は、名前の通り五つの湖ですが、この日は残念ながら、ヒグマが出没したということで、一湖と二湖しか行けませんでした。上が、「知床一湖」で、下が「知床二湖」です。

祝ローリングストーンズ、新アルバム発表!

公開日時: 2005年7月27日

ついにローリングストーンズがニューアルバムを発表します。
1997年の「ブリッジズ・トゥ・バビロン」以来実に8年ぶり。リリースは9月6日です。
タイトルは「ア・ビッガー・バン」。何のことかと思ったら、宇宙の起源といわれる「ビッグ・バン」の比較級でした。

思えば、私はストーンズの新曲は1965年の「テルミー」以来、追いかけてきたので、もう40年も経ちます。ミック・ジャガーは7月26日に62歳の誕生日を迎えたそうです。

ストーンズは1963年に、ビートルズをオーディションで落としたデッカ・レコードからプロデビュー。「不良のイメージ」を作ったのは当時のマネジャーのオールドマンですが、ミック・ジャガーは名門ロンドン大学経済学部のインテリ学生でした。ストーンズの成功も、単なる音楽的な才能だけではなくて、ミックの「経営能力」によるところが大きいのです。そうでなければ、40年以上も世界の荒波の第一線で活躍できるはずがありません。

この点だけは、いくらビートルズ好きの私であっても、ストーンズの偉大さは世界一だと思ってます。
ストーンズのニューアルバムが出るなんて、今、私は中学生のようにドキドキしてます。何しろ、1972年の「メインストリートのならず者」以来の長尺で、「Streets of Love」「 Rough Justice 」「Back of My Hand」など全16曲が収録されているそうです。

はっきり言って、ストーンズの音楽は「偉大なるマンネリ」なのですが、もう伝統芸能のように「様式美」化されているのです。
そのうち、ストーンズ亡き後は、伝統芸術になるか、クラシックとして聴かれるでしょう。人類が生き永らえていたらの話ですが…。

ちなみに、プロデューサーの一人、ザ・グリマー・ツインズは、ストーンズファンなら誰でも知っているのですが、ミックとキース・リチャーズのことです。

カムイワッカの滝

知床の最大の見どころのひとつが、このカムイワッカ湯の滝です。
ここに来なければ、ここを見なければ、知床を見たことにならないと言っても過言ではないでしょう。

知床に足を踏み入れた三日目の七月十七日のことでした。
前夜、斜里町の宇登呂にある民宿「知床荘」に泊まり、蟹までおまけに付いた美味しい夕食と温泉に入り、久しぶりにリラックスできました。
この分だと、「いいことあるのかなあ」と、知床岬に行く計画を立てました。
前日、お話したように、知床岬に行くには、道がないので、船でいくしかありません。観光船の「オーロラ号」が6000円、クルーザーを出す所が4、5軒あり、いずれも8000円で、午前10時出発でした。

「オーロラ号」に乗ろうと、余裕で、9時20分頃、乗船券売り場に着きました。何と、それでも満員でした。仕方がないので、ちょっと高いクルーザーにしました。すると、どこもかしこも満員。この日が日曜日だということを忘れていました。「オーロラ号ですら満員ですから」と言われてしまいました。仕方がないので、翌日のクルーザーの乗船を予約して、予定を変更して、カムイワッカ湯の滝に行くことにしました。本当は、最終日の明日に取っておくつもりだったのですが…。

カムイワッカの湯の滝とは、またまた、ガイドマップによると、湧き出した温泉が流れ込んでいる川で、上流に行くほど水温が高くなります。遊歩道が整備されていないので、沢伝いに30分ほど登ると、滝壺があり、天然の露天風呂になっていますーといった所です。

ここまで行くには、夏場(7月中旬から9月中旬まで)はバスでしか行けません。知床自然センターから50分くらい掛かります。

カムイワッカの湯の滝に行くには、事前に準備が必要です。まず、上記の露天風呂に入りたい人は、水着が必要です。そして、何と言っても、歩くのに滑り止めが付いた靴下が要ります。知床自然センターで840円で売っていました。草鞋も売ってましたが、とにかく、普通の靴で滑ってしまい、無理です。裸足だと、ごつごつした岩がちょっと痛いです。

とにかく、ゆるゆると温泉が流れる岩場の斜面を登って行くのです。
そして、30分くらいで滝壺に到着するのです。ここが、まあ、終点です。用意のいい人はやはり水着を持っていて入っていました。皆、成人で、子供や老人はいませんでした。ここまで来るのに体力が追いついてくれないからです。「秘境」にしては、多くの観光客と一緒に、ついに知床を征服したような錯覚を味わうことができました。

フレペの滝

話は前後しますが、お昼は羅臼町では有名なお寿司屋さんに入りました。うに丼2100円。あまりにも食べっぷりがよかったのか、マスターが「今朝採れたばかりのブドウエビはどうですか」と勧めるのでチャレンジしてみました。
さしみだったので、まだピチピチ動いていました。コリコリとして甘みがあり、それでいてとろけるようでした。1200円。東京だったらいくらするでしょうか?

相泊から、再び知床峠を通って、斜里町の知床自然センターに戻ってきました。
ここに車を置いて、フレペの滝を目指しました。歩いて20分くらいでした。

フレペの滝は、乙女の涙という意味だそうです。ガイドマップには「高さ100mの断崖の途中からオホーツク海へと流れ落ちる不思議な滝」と説明しています。

運良く、またまた鹿さんがいました。
絵になりました。
絵葉書にもなります。

相泊

知床は、最後に残された日本の秘境でした。

行ってみて初めて分かったのですが、突端の知床岬までには、道路が通っていないのです。

天然のサンクチュアリです。ここに、やっと、人間に追い詰められたヒグマたちが100数頭生息しています。

知床岬に、どうしても行きたい人は道がないので船で行くしかありません。

道路が通っている最北端が、相泊という猟師街です。
ここで行き止まりです。
車から降りて歩いてみました。
港町といえるような大きな町ではありません。全国的に有名な「羅臼昆布」を採る漁業関係の人が何人かいるだけでした。
皆、不機嫌そうな顔をしていました。
「昆布はいつ取れるんですか?」とおばちゃんに聞いただけでも
「まだ、まあだー」と吐き捨てるように言うのです。

後日談ですが、知床から帯広に戻ったところ、新聞で「羅臼で昆布採りが始まった」という記事が載っていました。

まあ、余所者はおよびでないということだったんでしょう。

海に入ってみました。真夏だというのに、飛び上がるほどの冷たさです。
真冬の寒さは想像もできないくらい厳しいでしょう。

海岸近くにエゾシカをみかけました。

変な言葉遣いですが、本物の野生を感じました。

北方領土問題

北海道に住んでいると、ことのほか北方領土に関心が高まります。まさしく、身近な問題だからです。
写真は、知床の明泊から見える国後島です。霧で少し霞んでいますが、手を伸ばせば届きそうなほど近い所に位置していました。
「こんな近くにあるのか」というのが正直な感想です。

ここでは、あまり政治的な問題に触れても詮方ないことでしょう。私に何か力があったり、世論を動かしたりできれば別ですが、庶民は悲しくても運命を受け入れてしまいがちです。
今、北海道新聞の「戦後60年―戦禍の記憶」の通年企画で、「北方領土の元島民」の連載が続いています。これを読むだけでもこの新聞を読む価値があります。恐らく、このような連載ができるマスコミは、メディアの性格的にも体力的にも地政学的にも世界を見渡しても道新ぐらいでしょう。

そして、「戦後60年」ということは、成人として戦禍の渦中を体験した人の証言を得る最後の「戦後」になるという現実を我々は理解しなければなりません。
私はこの連載で、初めて島を占領された元島民の生き証人としての生の声を知ることが出来ました。
例えば、択捉島にいた佐藤八重さん(84)さんは、「ソ連兵5人ぐらいが靴のまま家に上がりこみ、銃剣で天井を突き、畳を全部ひっくり返し、神棚にあった腕時計3個をわしづかみにして持っていった」などと証言しています。
また歯舞諸島の志発島で昆布漁業者だった腰昭二さん(78)は、「当時を知る私たちの世代が他界してしまったら、島がどこにあるのかさえ国民は分からなくなってしまうのではないか」と憂えています。

島には軍属以外に、教師や漁師や商店主ら普通の生活をしていた庶民が沢山住んでおり、ある日、突然、過酷の運命に晒され、今も帰島の夢は叶っておりません。私は一瞬、パレスチナ問題みたいだ、と頭によぎりましたが、政治的発言は止めましょう。問題があまりにも深く、自分の無力を恥じ入るばかりです。

世界自然遺産

知床が世界自然遺産に登録されたのは、日本時間で7月15日のこと。
その記念すべき日に知床に足を踏み入れることができました。
例の木下小屋で一泊し、翌朝、「オホーツク展望台」に登った後、知床自然センターに行きました。

ここは、知床を訪れる人なら誰でも必ず立ち寄る所です。記念品や土産物のほかに、ガイドブック、知床の大自然を写した「ダイナビジョン」もあります。いわゆる知床の情報発信基地です。

ここに、知床の世界遺産登録を祝して御神酒がおいてあったのです。各自、自由に飲めるというので、早速、一杯所望すると、とても冷たく、喉越しがよく、天にも登る気持ちでした。

思わずおかわりしてしまいました。

近くに老夫婦がウロウロしていたので、ほろ酔い気分で「これ、とても美味しいですよ」と薦めたら、無視されてしまいました。

変なおじさんに見られたのでしょう。