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いつぞや、このブログでもご紹介した「森の哲人」オジジとオババこと徳村彰、杜紀子夫妻が、帯広に来て、帯広の隣町の幕別町札内で講話会を開きました。
講話会といっても、ごくごく少数の人(15人くらい)で、ゼロ歳から50歳代ぐらいの人まで様々でした。
約1時間半、オジジがどうして、北海道上川管内滝上町滝西にある森に移り住んだのか、といった話から、今、森に暮らして感じていることを淡々と話していました。
初めてオジジのことを聞いた人のために、ここで再び彼のことを紹介しますとー。
彼は金沢市出身で、現在78歳。詳しくは分かりませんが、東京大学を出て、物書きの仕事をしていたようです。中国やソ連にも行っていたというので、貿易関係の仕事もしていたようですが、本人は口を閉ざしているので謎です。
彼の生き方を変えたのは1971年のこと。仕事のしすぎで、肝硬変と肺気腫に罹り、当時、名医中の名医と言われていた医者に、「あなたの命は、もってあと2年」と宣告され、「どうせなら、残りの人生好きなことをやろう」と心に決めたそうです。
そこで、横浜の日吉で子供たちのための「文庫」(「図書館」と言えるほど大きくなかったのでそう名づけたらしい)を作ったところ、今で言う登校拒否の子供たちが沢山集まるようになり、もっと広い、環境のいい所を探します。そして、紆余曲折を経て、北海道にその地を見つけますが、「永住」覚悟したのは、1990年のことでした。
約6㌶の国有地を借りて掘っ立て小屋を建てますが、電気もガスも水道もありません。しかも真冬は、マイナス25度にもなる極寒地です。
それでも、「この15年間は本当に幸福だった」と振り返ります。「余命2年」と言われて、30年以上、生き延びています。しかも、「森の精」のおかげで、肝硬変が消える奇跡が起こり、左右裸眼で0・1しかなかった視力も1・2まで回復します。「森のおかげ」とオジジは言います。
6㌶の土地には、ミズナラ、ニワトコ、ホウノキ、ハルニレ、アモダマ、シラカバなど80種類の樹木もあるそうです。ヨーロッパ全体で65種類しかないので、その数字がいかにすごいかお分かりになるでしょう。
オジジはそんな森の自然に一切手を加えることなく共棲しているのです。
春から秋までは、都会の子供たちらを受け入れ、冬は、毎日8時間の雪かきです。北国育ちのオジジは子供の頃、雪かきが大嫌いだったそうですが、健康を害して、余命2年と宣告されたのに、雪かきのおかげで、すっかり体力を回復したそうです。
「幸福とは、日本になかった言葉です。明治になって、Happinessを翻訳したものです。それでは、古来の日本では、幸福のことを何と言っていたのかー。幸(さち)と呼んでいたのです。幸の『さ』境目、境界線のこと。『ち』は霊力のことです。つまり、自分の肉体や精神の内部と外部の境目で不思議な力を感じることなのです。私は、一日の雪かきの仕事が終わって、五右衛門風呂に入ると自分の肉体とお湯が溶けて境目がなくなって、何とも言えない恍惚感を感じるのです。こんな幸せなことはありません。これから私は100歳、いや140歳まで生きて、森の素晴らしさを伝えたい」
オジジの素敵な笑顔を皆さんにもみせたかったです。
なお、オジジについてもっと知りたい方は、彼の著作『森に生きる』『森に学ぶ』(雲母書房)をご参照ください。