無料の功罪

ある友人(あえて名前は伏せますが)と話をしていて、驚かれてしまいました。「え?渓流斎は、ブログはタダで書いているの?今時の学生でさえ、自分のブログで紹介した本は、クリックすればその本を買うことができるようにしているんだよ。結局、その紹介文は単なる宣伝だったわけだ」と言うのです。今、全国でブログが何十万あるかわかりませんが、いい気になって読んでいたら、結局単なる宣伝、コマーシャルだったというわけです。

「すべての文章には、お金がからんでいる」と喝破したのは作家の山本夏彦氏ですが、確かに新聞の記事も記者は社員として月給をもらっているわけですし、いくら無料雑誌とはいえ、ライターはスポンサーから回りまわって原稿料をもらっています。同人誌や自費出版等は別格として、世間(といっても定義は曖昧ですが)に発表される公共の文には何らかの形で「経済原則」が働いているわけです。

インターネットだから、情報は無料だと思い込んでいる若い人が多いのですが、結局、回りまわって「読者」はお金を何らかの形でお金を払っているのです。ニュースそのものは、マスコミの会社の提供だとしたら、ポータルサイトの運営者はそのマスコミの会社にお金を払っているのです。そのお金は、どこから捻出されるかといえば、結局、中間は省きますが、スポンサーの商品を買う利用者が払っていることになるのです。

さて、とはいえ、それにしても、今のところ、今のところですが、私がこれまでブログでご紹介してきた本にしろ、CDにしろ、映画にしろ、雑誌にしろ、すべて自腹でお金を払って買ったり、見たりしたもので、出版社や興行元から一切、お金をもらったわけではありません。はっきり書きますが、いわゆる記者や評論家やライターと呼ばれて批評や紹介文を書く人は、タダで対象に接しています。要するに、タダで映画を見て、ボロクソを言い、タダで本を読んで、コケ降ろし、タダでコンサートを見て、自分ができもしないくせに馬鹿にしているのです。

タダだからできる芸当なのかもしれませんが。

「だから何なの?」と批判する人もいるかもしれませんね。それなら、「これから私はスポンサーからお金をもらって宣伝文を書きます」と宣言したら、今後も私のブログを読んでくれますか?

分かりました。今度、もし仮に、スポンサーからお金をもらったりして紹介めいた文章を書いた時、新聞のように【全面広告】とクレジットしましょうか?でも、それこそ、つまりお金をもらってこそ、真のプロのブロガーなのでしょうね。無料の方がレベルが上とは限りませんから。

結局、今日は何が言いたいのか自分でも分からなくなってしまいました。