永遠の相の下に

スピノザ(1632-77)の言う「永遠の相の下に」という言葉が好きです。

彼の主著「エチカ」によれば、理性の本性とは、物事を偶然的なものとしてではなく、あるがままに観想することである。理性の基礎は、概念であり、時間とは関係なく、永遠の相の下で考えなければならない。永遠の相の下での認識とは、身体の現在の時空的存在を考えることではなく、神の本性の必然性から生じるものとして考えることである。このように認識したとき、はじめて我々の精神は、神をも認識するという。

現在、盛んにマスコミで取り上げられているホリエモンも東横インも「永遠の相の下」ではすっかり、忘れ去られてしまうことでしょう。あと、10年、いや5年、はたまたこのようなドッグイヤーの時代に3年もつでしょうか?

私が先月20日に取り上げた光クラブ事件の山崎晃嗣も60年近く経ち、すっかり忘れ去られました。

「金こそがすべて」と言って時代の寵児になっても「永遠の相の下」では取るに足らないということでしょう。

それより、「愛こそはすべて」と歌ったミュージシャンの方が、永遠の相の下では、いつまでも人々の心に蘇ることでしょう。
私はそう信じます。