「ミュンヘン」

<a title=”スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」、ドイツで議論に (ロイター) – goo ニュース” href=”http://news.goo.ne.jp/news/reuters/geino/20060127/JAPAN-201334.html?C=S” target=”_blank”>スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」、ドイツで議論に (ロイター) – goo ニュース</a>

スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を見ました。

1972年のミュンヘン五輪の開催直前に、「黒い九月」と呼ばれるアラブ人のテロリストがイスラエル選手団を襲い、11人の選手・コーチを殺害した事件を元に、イスラエルの秘密諜報機関「モサド」が、報復のため、テロリストを次々と殺害する話です。

暗殺者のリーダー、アヴナーも最後は、自分は何をしているのかわけがわからないくなり、発狂寸前まで追い込まれます。生まれたばかりの娘にも危害が及ぶのではないかという不安に駆られ、すっかり祖国に対する不信感すら感じでしまいます。

見終わっても、カタルシスがなく、スピルバーグは何を言いたかったのかわからなくなりました。これでは、同胞のユダヤ人からもアラブ人からも批判されるはずです。

「事実に触発されて」と最初に断り書きが登場しますが、結局はフィクションなのでしょう。辻褄が合わないというか、ちょっと可笑しいなあというシーンがいくつかあります。

例えば、情報提供者のフランス人のルイ。モサド陣にアテネでのアジトを提供する一方、アラブのテロリスト(とこの映画の作者が呼ぶ)にも同じアジトを提供し、敵対する二者が鉢合わせすることを仕組んでおきながら、モサドのアヴナーは少しも、ルイを疑わない。これは、おかしいですよね。

やたらと、ドンパチ打ちまくるシーンが多く、これでは、ヤクザ組織の縄張り争いと変わらない、バックが国家か、愚連隊の違いに過ぎない、その程度の違いなのです。

真の背景にはユダヤ人問題やパレスチナ問題がからみ、一筋縄ではいかないのに、単純な物語にすること自体、とても危険なのです。さすがにエンターテインメント映画ではないでしょうが、サスペンス映画にしては中途半端です。

とにかく、この作品でアカデミー賞を狙っているらしいのですが、私にとっては、よく分からない映画だなあ、言っておきます。