旭山動物園長会見記ー動物的カン 

 

旭川市旭山動物園の「名物園長」小菅正夫さんの講演会を聞きました。これはこれで、非常に面白く、興味深かったのですが、個人的に小菅園長とお話しして、大変勉強になったことを皆さんにお伝えしたい、と思います。(講演の話はまた、機会を譲って、後のブログに書くことにします)

 

以下の話はどこの講演会でもされたことはないし、(もちろん今回もそうでした)、恐らく活字になって、世間に公にされるのは、これが初めてではないかと思います。

 

きっかけは、小菅園長が、時計を持っていない、ということでした。

 

一応、講演なので、いつ始まるかは、こちらの指示で始められますが、決められた時刻で話を終えるためには、本人が時計を持っていなければ、確認できません。

 

それでも、普段、園長さんが時計を持っていなかったのは、理由がありました。

 

園長さんが若い頃、飼育係として動物園に配属された頃、一応、身分的には、市役所の職員なので、定時に帰ろうと思えば、帰れます。でも、動物たちを夜中、戸外にほっぽらかしておくわけにはいかず、最後は、室内の檻に入ってもらわなければなりません。それが、一日の最後の仕事です。

 

ある日、彼は、夜6時にある会合の約束がありました。その時間に間に合うためには、せめて5時半には園を出なければなりません。当然、時間が気になって、5時くらいからソワソワして、時計の針を見たりします。

 

しかし、こういう時に限って、動物たちは、檻の中に入ってくれません。普段はすんなりと5時を過ぎれば、檻の中に戻ってくれる動物たちが、です。

 

動物たちは、人から見られると、かわいそうにストレスを生じると言われます。

 

しかし、本当のストレスとは、何もすることがない、ということなのだそうです。できれば、飼育係とは出来る限り、長く遊んでほしいのです。

 

だからこそ、飼育係が、早く帰ろうとすると動物たちは、事前に察知して、わざと檻に入ろうとはしません。意地悪をするつもりでもないのですが、人間の発する「気」が、手に取るようにしてわかってしまうのです。

 

要するに、動物たち、特に野生動物は、毎日、緊張感を持って生きています。命のやり取りをしているわけですから、その察知能力は半端ではありません。日本人もかつてはそういう能力がありました。例えば、「殺気」でもいいです。幕末、いつ、命が狙われるかわからなかった時代、動物的カンで難を逃れる人(一時期の坂本竜馬や桂小五郎)が沢山いました。

 

例えば、野性の鹿を捕まえようとして、5,6人が輪になって囲んで捕えようとします。すると、鹿は、一瞬にして、どの人間が精神的、肉体的に劣って、その「包囲網」から潜り抜けることができるか判断できて、そこから突破することができます。

 

命が掛かっているからです。

 

一瞬の妥協も許しません。

 

それが動物的カンであり、テレパシーのような、人間の目に見えない、声に聴こえない能力がある、ということなのです。

 

「人間は言葉をしゃべることによって、コミュニケーション能力が退化した」と小菅園長は喝破しました。

 

動物は言葉がしゃべれない代わりに、違う形ですばやい伝達手段を駆使しています。

 

思い起こせば、一昨年の東南アジアで甚大な被害を及ぼした津波で、象たちは、事前に津波を予知して、人間には聴こえない「低周波」で仲間と交信して、海岸地帯から山奥へ逃げて、ほぼ全員が難を逃れた話が有名になりました。

 

食うか食われるか、の熾烈な世界に生きる野性動物に、研ぎ澄まされた能力が備わっているわけです。それは見ただけで一瞬に判断できます。

 

動物だから、といって皆さん馬鹿にしてはいけません。動物は動物で、判断しているわけです。

 

どうですか、面白かったですか?