辺見庸講演会

辺見庸氏の講演会を聴きに行きました。
2003年3月14日に新潟で講演中に脳出血で倒れて以来2年1カ月ぶりの講演だったそうです。まだ右半身が不自由で原稿はパソコンに左指で打ち込むといいます。昨年末にがんの手術を受け、まさに二重苦に襲われ、「自死のことばかり考えた」と告白していました。余程尋常でない精神状態に追い込まれていたのですね。

と、ここまで携帯から送稿しました。続きを家に帰ってから書こうかと思いましたら、喉がかわいていたのでビールを飲んでしまいました。

そしたら、すっかり酔っ払ってしまいました。

恐らく、酔いに任せてきついことを書いてしまうと思います。

辺見氏の講演は、結論から言いますと大変刺激的で感動しました。とても内容も濃く、話も面白かったです。脳出血の後遺症もなく、本人が言うほど呂律が回っていない、なんていうことはありませんでした。

ただ、彼の著作のすべてに目を通していないので、あまり生意気な言い方はできませんが、彼の言うことの100%賛成できませんでした。同意できたのは、半分の50%と言っていいかもしれません。でも決して不満足だったという意味ではありません。

要するに、彼は、日本を代表する共同通信社という大企業に何不自由なく勤め、確かにベトナムやカンボジアで沢山の死体を見て苦労したかもしれませんが、北京特派員として、新聞協会賞も受賞し、大変恵まれた境遇でジャーナリスト生活を送ったお坊ちゃんだったにも関わらず、それが恰も当然のこととして甘受し、残念ながらまるで文化大革命時の紅衛兵のように、教条主義に陥っていたままだったということです。

「もの喰う人々」にしても共同通信の「通年企画」として連載したものをまとめたもので、彼自身、チェルノブイリやアフリカのスーダンなど世界各国を取材して
渡り歩いたにしても、ふんだんな取材費を使ったはずです。まず、他のマスコミの人間にとっては、うらやましがるどころか、全くありえない企画だったのです。分担金を加盟紙から拠出して金銭的に余裕のある大通信社しかできない企画だったからなのです。

それだけ、マスコミの恩恵を受けて、作家として「独立」したにもかかわらず、今日の講演や著書の中で、今の若いマスコミ記者に対して「糞バエ」呼ばわりするのは、あまりにも言い過ぎではないかと思いました。

辺見氏によれば、2003年12月9日に、小泉首相がイラク派兵を閣議決定した際に、憲法の前文を持ち出して自己正当化した「ファシスト」小泉首相に対して、「それはおかしい」と異議を唱えなかった政治部記者は、小泉に迎合する糞バエなんだそうです。

エリート街道しか歩むことがなかった辺見氏だからこそ、こういう発言ができるのでしょうか。彼は、ニュースを売る仕事を一度もしたことがありません。人に頭を下げたこともないでしょう。全学連の学生がそのまま大人になったようなものです。まだ革命家気取りなのかもしれません。

講演内容は、主催した毎日新聞と辺見氏に帰属するので、詳しく書けませんが、要点は、「憲法改悪に反対」「天皇制反対」「日本は既にファシスズム国家」だといったところでしょう。

しかし、反対するのは簡単で、護憲学者のように安全地帯で口先で言っていればいいのですが、「皆さんには、本当に指先に血が出るほどの勇気と行動力があるのか」と聴衆に訴えかけていました。

60年安保世代の面目躍如といった感じでした。

聴衆は、彼とほぼ同じ世代が占めていました。

辺見氏は「私の友人もいれば、映画俳優もいる。右翼も左翼も、公安の一課の人も付き添いできているでしょう」と笑いを誘っていましたが、その通り、種々雑多な人が来ていました。

しかし、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連もなくなり、アメリカ一国だけが「勝ち組」になった現在、もう右翼も左翼もイデオロギーもないのに、いまだに、そのような幻想にしがみついていたとは驚きでした。まさに、カエサルの言うところの「人は自分の見たいものしか見ない」のですね。

辺見氏は、脳出血で倒れ、がんの手術までした時、「自死のことばかり考えていた」と告白していましたが、1999年に自殺した江藤淳氏の遺書を読んで思いとどまったと、半ば皮肉も込めて話していました。

「たとえ、形骸になろうと、生き恥をさらそうと、無様に行き続け、作家として最後まで書き続けたい」と結んでいました。

きついことを書きましたが、彼はかけがえのない注目すべき作家です。