米原万理さん

ロシア語の通訳で作家の米原万理さんが5月25日に卵巣がんで亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

米原さんとは、もう10年ぐらい前に一度だけ会ったことがあります。もう名前は忘れてしまいましたが、ロシア人のピアニストのインタビューの際に通訳として立ち会ってくれたのです。

当時の米原さんは「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞を受賞するなど、作家として有名で、バリバリと作品を発表していたので、その時、「まだ、通訳の仕事をしていたのか」と意外な感想を持ったことを覚えています。一言で言って、大変頭の切れる人でした。同時通訳をこなすので当たり前でしょうが、ピアニストとはまるで通訳なしで互いにしゃべっている感じでした。米原さんはほとんどメモも取らず、右から左へポンポンといった感じだったので、「只者ではない」という印象でした。

よく知られているように、父親の昶(いたる)氏が、共産党の代議士を務めた人で、その関係で、彼女は少女時代にプラハのソビエト学校で学んでいるので、根っからのバイリンガリストだったのです。

でも、通訳と同時に文才にも恵まれている人はそう多くありません。本当に惜しい才能を天が召してしまったものです。

インタビューが終わって、自分が彼女と同じ大学の後輩であることなどを話し、何人かの共通の知っている人を挙げて、あの人はどうした、こうしたといった噂話をした覚えがあります。その時の印象は全く偉ぶったところがなく、天真爛漫で、まるで少女のようでした。

2,3年前、すっかり痩せてしまった彼女が、テレビで闘病の話をしていましたが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。まだ56歳。もう少し活躍してほしかったので本当に残念です。

世の中のこと

幕別町札内


今日、電車の中で「あっちに行って下さい」と若い人に言われました。


別に、ほんの少し肩が触れただけだったのですが、肩を触れることぐらいは、東京の通勤電車では当たり前の話です。


私より、15歳くらい若い感じの人でした。


うーん、勇気があるのか、全く純粋な方なのか、どちらかでしょう。


どういうわけか、私は冷静でいることができました。


昨晩、格闘技家が、素人に殴られたことがニュースになりました。プロの格闘技家なので、反撃せずに「素人には手を出してはいけないと思った」と言います。加害者の方も「相手がプロの格闘技家だとは思わなかった」と青ざめたそうです。それはそうでしょう。もし、格闘技家が本気で反撃していたら、加害者の命はなかったでしょう。冷静になれることが、真の格闘技家たる資格を持てるのでしょう。


今の若い人は、自己中心的とよく言われます。他人を思いやるとか、「惻隠の情」だとか、「阿吽の呼吸」とか、全く通用しない世の中になったのでしょうか。


そういう世の中なら、そんなものはもう相手にしたくはありませんね。


 

四大文明、恐るべし

池田町スピナーズファーム


また「週刊文春」から孫引きします。立花隆氏の「私の読書日記」から。


ユダヤ教、キリスト教の歴史的思想的起源は、エジプトをルーツとする「グノーシス主義」に求められる。ユダヤ族の太祖のアブラハムは、名門ファラオの家系のエジプト人。出エジプトを指導したモーセもエジプトの名家の出。一神教の起源は、モーセの少し前のファラオ、アケナーテンが一神教(太陽神アテン崇拝)の教えの延長。


これは、ティム・ウォレス=マーフィー、M・ホプキンス共著「イエスの血統」(青土社)に出ているそうです。


やはり、人類の四大文明の発祥地は、恐るべしです。


四大文明とは、中国、インド、イラク、エジプト。


21世紀になって、再び脚光を浴びはじめた気がします。


 


 

ああ、レイテ島…

幕別町札内

「週刊文春」6月1号に載った「『厚労省遺骨集団』は『英霊の遺骨』を見捨てていた!」を読んで大変な憤りを感じています。

簡単に内容を説明するとー。

旧日本軍の戦没者は240万人といわれているが、まだ124万柱の遺骨しか収集していない。例えば、フィリピンのレイテ島では、8万人以上の日本軍兵士がほぼ全滅したのだが、戦後60年も経つというのに、まだほとんど回収されず、とうもろこし畑に散骨され、畑のこやしになっている。それなのに、厚生労働省の2002年の白書では「遺骨収集はおおむね終了」と発表している。厚生労働省は現在、戦没者の遺族らの作る民間団体に遺骨収集を任せているが、最近になって、フィリピン大学のフランシスコ・ダダール教授に遺骨の「鑑定」を任せるようになった。ダダール教授は「これは、日本人の遺骨ではない。フィリピン人の遺骨だ」などど、取捨選択しているが、その鑑定の仕方は単なる目視。つまり、カンで行っていたわけだ。ダダール教授は、単なる考古学者で法医学の専門家ではない。「私がやっていることは、当てずっぽうです」と告白しているくらいだ。

こうして、日本兵と思われていた遺骨もダダール教授のおかげで、「帰国」できなくなってしまったようなのです。要するに厚生労働省が遺骨収集事業から一刻も早く手を引きたいという目論みがミエミエです。

週刊文春も「こんなデタラメな鑑定士を雇い、戦没者や遺族を愚弄する厚労省の責任は限りなく重い」と追及していますが、この記事を後追いした新聞がないのも腹が立ちます。

レイテ島といえば、私の父親の叔父に当たる茂期さんという人が34歳でそこで戦死しています。彼は昭和7年頃から、新宿にあった「ムーラン・ルージュ」という劇場で、高悠司というペンネームで劇作家として活躍したそうです。この大叔父のことを思うと、今回の記事は他人事にはとても思えません。

本当に腹が立ちます。

リバプール

中札内村美術館 公開日時: 2006年5月28日

(昨晩の続き)

佐藤君は、大手アイスクリーム会社の部長さんですが、昨年、工場視察等で、フランスのリール近くの何とかという町(失念)に行ってきました。その帰りに有休をとって、リバプールに行ってきました。彼は、私に劣らぬビートルズフリークなのです。

リールからロンドンまでTGVでわずか2時間なんだそうですね。ロンドンからリバプールまでは列車で3時間です。

彼は、早速「マジカル・ミステリー・ツアー」に参加して、ビートルズの所縁の地を訪問しました。私も、1979年に今村哲郎君と一緒にリバプールに行ったことがありますが、そんなものはありませんでした。今では、「ビートルズ」が観光の目玉で世界中からの観光客がこの港町に外貨を落としているわけです。

私は、ジョンとミミおばさんが住んでいたメンラヴ・アベニューの家に行ったことがあります。そこは、中流よりちょっと上が住む高級住宅街で、ジョンの「労働者階級の英雄」というのは、ウソだなあ、と思ったことがあります。その時は、ポールやジョージやリンゴの住んでいた家には立ち寄りませんでした。

今回、面白いことを聞きました。

まず、ジョンのミミ伯母さんの家は、庭付き一戸建てでしたが、どうやら、住居はその半分で、もう半分は他の家族が住んでいたこと。ポールとジョージの家は本当に狭い、日本でいう「長屋」だったこと。リンゴの家はもっとみずぼらしかったことーでした。

やっぱり「労働者階級の英雄」だったわけです。

彼は律儀にもビートルズ博物館に行って、ロン・ジョーンズ著のガイドブック「ビートルズのリバプール」とボールペンを買ってきてくれました。その本はリバプールのビートルズの名所案内です。

私は「ペニー・レイン」が大好きなのですが、歌詞の意味が分からないところが何点かありましたが、この本で初めて分かりました。

それは、shelter in the middle of the roundabout です。「ロータリーの真ん中の避難所」とは何のことかなあと思っていたら、写真付きで説明がありました。それは、ペニー・レインにある交差点のロータリーにあるバス・ターミナルでした。今では、そこは「サージェント・ペッパーズ・ビストロ」という名前の小さなレストランになっていて、観光客を集めているようです。

いやあ、ビートルズ・ファンの私にとってはたまらない堪能する本です。

有難う、幸信!

ああ、記憶力が…

幕別町札内

昨晩は、高校時代からの友人佐藤幸信君と有楽町のローズ&クラウンズで深酒して、どうやって帰ったか、全く記憶がないのです。物覚えもひどく悪くなり、人の名前もすぐ忘れてしまいます。

夏目漱石も亡くなったのは49歳でした。晩年の写真は70歳くらいにみえましたが、そんな若かったのですね。

面白い記事を読みました。

奈良時代の平均寿命は、30歳前後だったらしいのです。清少納言が老いを感じたのは、30代後半だったそうです。

明治初期では、男33歳、女35歳。

1950年でも男58歳、女61歳。

平均寿命が80歳以上になるのは、1980年以降なんだそうです。

昔は、乳幼児の死亡率が高く、戦争があったりしたので、平均寿命を下げていますが、奈良時代に60歳以上生きた人は5%くらいいたそうです。

これだけ若くして亡くなることが普通だったら、早熟にならざるをえない。人生の密度も濃くなるでしょうね。

不思議な体験4

(昨日のつづき)

南極が魚臭いのは、それだけ、生命力に溢れている証拠だというのです。

その正反対がエーゲ海です。室岡さんは、トルコを旅行した際に、エーゲ海も訪れました。紺碧の海に白い建物ーカサブランカが映え、まるで映画の世界です。室岡さんは、あまりにもの美しさに、吸い込まれるようにして泳いでみたそうです。

すると、何の臭いもしなかったそうです。そして、具に海の底を眺めても美しいだけで、藻クズの一つもありません。つまり、魚や生物もいない世界だったそうなのです。

室岡さんが、最終的に行き着いた所は、パキスタンにあるフンザという村でした。ここに、100歳近い老人がゴロゴロしていて、しかも矍鑠して、簡単な農作業にも従事している。

室岡さんは、フンザの村人たちが、なぜ、長生きできるのか、調べてみることにしたそうです。

 

不思議な体験3

池田町スピナーズファーム

東京1200万人、帯広17万人。

帯広の街で知り合いとバッタリ会ったりするのは、確率的に当たり前なのですが、東京に戻って、本当に偶然に街中で会ったりします。これはすごい確率です。

新橋で会ったGさんもそうだったし、先日もM新聞のKさんと目と目が合って、二人で「あ!」と声に出したくらいです。今日は、NスポーツのKさんと銀座でバッタリ会いました。何十年ぶりか、でした。Kさんとは26年前に初めてお会いしたのですが、当時から大変なフケ顔(失礼!)で30歳だったようですが、50歳くらいに見えました。

現在は、60歳近いのでしょうが、昔、老けていたおかげで、何十年ぶりかに会っても変わらないので、逆に若く見えてしまうのです。これは、すごい発見でした。

この話と全く関係がないのですが、室岡さんの話です。

室岡さんは、東京で週刊誌の記者を長年やっていました。しかし、長年の過労とストレスのせいで、大病を患い、仕事を辞めて故郷に帰りました。そこで、「命とは何か」を求めて、世界中を旅しました。秦の始皇帝の命で不老長寿の薬を求めて、世界中を旅した徐福のようです。(ちなみに、この徐福の名前は、6年程前、熊野古道を旅した時に途中に立ち寄った新宮市で知りました。徐福は、新宮まで足を延ばしたらしく、記念して徐福公園なるものがありました)

室岡さんは、面白いことを言いました。

南極はどんな匂いをするか知っていますか?ーそう、魚が腐ったような臭いをしているのです。あまりの臭さに卒倒しそうです。それでも日本人は慣れています。西洋人はあまり魚を食べませんから、この臭いに弱いのです。せっかく、観光船で来たのに、南極大陸に上陸しない西洋人もいるのです。

つづく

 

ネクタイ

池田町スピナーズファーム

 

今日は銀座で、久しぶりにネクタイを買いました。

 

帯広では1本も買っていないので、3年ぶりくらいでしょう。

イタリア製です。薄い水色の下地に赤と紺のドットが付いています。今度お会いしたら褒めてください。私ではなく、ネクタイを。

 

マリ・クレール編集長の生駒さんに会って、少し、ファッションに目覚めました。

 

しかし、ファッションというのは自分のためでなく、人様に見苦しくないように振舞うエチケットの側面を持っていると思うようになりました。

 

目下、全国の会社では6月の決算に向けて、社長や取締役の人事が発表され、全国至る所で悲喜交々のドラマが飛び交っていると思います。「何であいつで、俺じゃないんだ!」という声が聞こえてきそうです。

 

「組織では、評価するのはいつも他人。だからこそ、少なくとも身だしなみだけは整えた方がいい」というようなことを言ったのは、あの斎藤一人さんでした。

 

評価するのはいつも他人ー。これは名言です。

 

何だ、それでネクタイ買ったの?と言われそうですね。

ブログ盗作事件

幕別町の札内温泉ガーデン

ワイドショーでも話題になる自民党の杉村太蔵議員については、ほとんど興味がなく、彼がブログを盗作したというニュースを聞いても、あまり関心が湧かなかったのですが、2つの点で、「これはいかがなものか」と思いました。

第一は、彼が国民の税金で養われている公人であること。

第二は、盗作した内容が、「19歳の時、自殺を図ろうとした」ということだったこと。

第一に関しては、彼は公式に国民に対して謝罪する義務があると思います。

第二に関しては、結局、彼は26歳にして、まだ一度も挫折や世を儚んだ経験がなく、他人の文章を盗まなくては疑似体験さえできないことを暴露してしまったことです。

彼は、19歳の時、自殺を図った経験がないのにも関わらず、そう書いたことは、結局、ウソをついたわけですから、政治家としての資質を疑われても仕方がないということです。

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060523-35673.html