不思議な体験1

帯広市

 

ここ数日間、都会の雑踏を離れて、秘境で隠遁していました。

 

風邪をひいていたので、寝込んでいるか、温泉に入るか、ボウリングをするか、本を読んでいるか…それぐらいしかしませんでしたが。

 

ここでの滞在の最後の日に、不思議な人に会いました。

 

恐らく長い話になると思います。一回では終わりません。五回か六回ぐらいになるかもしれません。いやもっと長くなるかもしれません。途中で中断して、忘れた頃に再開するかもしれません。

 

そこで考えたのですが、その人の名前とどこでお会いしたかについては、伏せることにしました。文責はすべて私にあるのですが、彼に迷惑をかけてはいけません。差し障りがあると思ったからです。それ以外についてはなるべく詳しく書いてみるつもりです。

 

ですから、ご興味ある方のみ、お読みください。そして、どうしても我慢できなくて意見が言いたくなったら、どうぞコメントしてください。それでは始めます。

 

その人ーこれから室岡さん(仮名)と呼ぶことにしますーとは、Hさんの紹介で会うことになりました。「元ジャーナリストで、難病を治してしまう。自分もガンに罹ったのに治してしまった。医師ではないが、脈診といって脈をみるだけでその人にどこが具合が悪いのかわかってしまう。知識が豊富ですごい人。とにかく、話を聞くだけでもいいから会ってほしい」-それがきっかけでした。

 

それを聞いて、私はあまり気が進みませんでした。正直言って、どこか胡散臭さを感じてしまいました。

 

しかし、Hさんはすでに夜8時半に電話で会うアポを取ってしまったらしい。「室岡さんは、Mさんのお客さんの紹介で知り合ったのです。Mさんも何度も会っています。とても信頼できる人だから」-あまりにも熱心に薦めるものですから、取り敢えず、Hさんの車で室岡さんの自宅に向かいました。

 

私たちはリヴィングルームに招き入れられました。

 

室岡さんは、年齢は50代後半から60代初めという感じでした。いわゆる中肉中背。眼鏡をかけており、その奥に光る瞳は鋭さと柔和さの2つを秘めているような不思議な感じでした。大病を患った経験があるという話を聞いていたせいか、芯の強さの中にどこか体質的に病弱な雰囲気を醸し出していました。身長は170センチくらい。これは、私の脈を取った時に、一緒に立ち上がって測ったので、自分の身長から憶測しました。

 

とにかく、淀みなく話をする人でした。声は低くもなく高くもなく。時折、自身の専門用語を使われたが、聞き取りづらいところはありませんでした。沈思黙考のタイプとも違うし、講釈師のタイプでもない。やはり、真実を追究するジャーナリストタイプといえばいいかもしれません。

 

簡単な挨拶を済ませて、私は室岡さんに単刀直入に聞いてみました。「元ジャーナリストとお伺いしていたのですが、どちらにいらっしゃったのですか」

 

「トップ屋です。光文社の『女性自身』にいました。データーマンからアンカーマンまで何でもやりました。最初は草柳大蔵グループにいました。本当に嫌な奴でしたね。すぐ私のことを『田舎もん』と馬鹿にするのです。まあ、仕事のしすぎで体を壊して、田舎に戻ってきたわけです」

 

Hさんから、室岡さんは数々のジャーナリスト賞を取ったらしいという話を聞いていました。

 

「週刊誌時代で思い出すのは、『東京湾にも水俣病』と、週刊誌ですから、タイトルは大袈裟でしたが、東京湾で見つかったハゼが水銀中毒に冒されていたことをスクープしたこと。そしたら、朝日も毎日も読売も新聞があとをおっかけた。あれは気持ちよかったなあ。あとは、群馬県の安中市で、金属会社の30代の女性社員がカドミウム汚染で亡くなったこと。会社は彼女の労災を認めなかった。しかし、彼女は自身の体が蝕まれていく様子を短歌にしていて、それが公明新聞か何かに載っていたのです。それで注目されていました。もう亡くなって3年近く経っていたのですが、当時、安中市では土葬だったので、彼女の遺体が綺麗に残っていた。掘り起こして、内臓を調べたところ、大量のカドミウムが検知され、彼女の『主張』が証明された。これを連載で記事にしたら随分反響を呼びましたね」

 

女性週刊誌といえば、芸能人や有名人のスキャンダルが売り物ですが、室岡さんは、そんな「軟派もの」には見向きもせず、公害問題などの「硬派もの」を得意にしていたようです。

 

それが今の仕事につながっているようでした。

つづく